ウルサスの子供たち 幕間
いつも通り
……ミヤ。
アーミヤ。
えっ? あ、すみません、ドクター。ボーっとしてしまいました。
顔色が悪いようだが。
……ちょっと気になることがあって。
ドクター、この部署異動申請を見てください。
申請者は、ナターリア・ロストワ。
後方支援部から前線への異動を希望しています。
はい、彼女は自治団のメンバーの中で、唯一後方支援部に所属しています。
とても仕事ができるようで、後方支援部ではすごく評判が良いんですよ。
ドクターも気になりますか? 正直に言うと今回私は、この異動にあまり同意したくないんです。
ウルサス人の名前は、ちょっと覚えにくいですよね。
彼女は以前私たちがチェルノボーグから救出した難民の一人で、唯一の貴族です。
ズィマーさんがリーダーをしているウルサス学生自治団の一員でもあります。
ズィマーさんたちがオペレーターになったのは、彼女たち本人の要望があってのことですが……
最初、私はとても反対していたんです。
はい。だから初めは本人たちの意向であっても、ケルシー先生を説得して却下しようと思っていました。
ただ……
彼女たちは今、定期的にカウンセリングを受けています。報告を見る限り、多少のトラウマは残っていますが、全体としては問題なしという状態です。
ただ……
ありがとうございます。
ですが……
なんと言うか、どう説明したら良いかわかりません。
……ドクター、ナターリアさんの様子を見てきていただけますか?
ではよろしくお願いします、ドクター。
お手数をおかけしますが、ドクターにしかお願いできないんです。
ドクター、これはとても重要なことなんです。面倒でもどうかお願いします。
そこまで真面目に観察しなくても大丈夫ですから、仕事外の気分転換だと思ってどうか。
あ、でもその前にお昼休みですね。そんなに急がなくても、食事が済んだ後で問題ありませんので。
おい、ドクター。
なんでもない、ただ見かけたから声をかけただけだ。
おい、とぼけてんじゃねぇ。聞こえただろ。
オマエは忙しいんじゃなかったのか、なんでこんなところでブラブラしてんだよ。
暇なのか。
アタシがこれから行く任務は、オマエみたいにブラブラする余裕はないんだけどな。
ズィマー、出発前はウロウロするなと言っただろう。
……
ごきげんよう、ドクター。
さあズィマー、休憩室に戻れ。そろそろ時間だ。
フンッ、いつかアタシが隊長になってオマエをあごで使ってやる。
オマエもだ、ドクター。いつかオマエを超えてやる。
その志や良し。だがせめて私の片腕に敵うようになってから言うのだな。
そしてドクターを超えるとなれば、うむ、全力の私に勝利してから言うと良い。
チッ。
そうだ、ドクター。もう知っているとは思うが、念のため説明しておくと、ここ最近は私が新人小隊の引率をしているんだ。
では、要件がなければ私はこの辺で……
ニアール、ズィマーのことはどう思う?
ん? ズィマーか?
うむ……先程見た通りだな。言うことを聞かず、慇懃無礼だ。
戦士と言えどあの年頃であれば、自分が何と戦っているか、何のために戦うべきかがわからないのはよくあることではあるが――
彼女はその傾向が明らかに強い。
彼女からはとても大きな迷いが感じられる。その正体を知ることはできないが、悪い傾向であることは間違いない。これから私が念入りに正していかなければならない部分だ。
その通りだ。外面の乱暴さはある種の防御壁だろうな。
内側に守られている心が弱いものであると断定はできない。しかし彼女の凶暴さは、私の前ではひとたまりもないということは間違いないだろう。
心配するな、ドクター。彼女はまだ子供だ。
彼女はチェルノボーグ出身だと聞いた。嫌な思い出が色濃く残っているのかもしれないが、彼女に未来がある。
フッ、ドクター、慌てなくていい。
わかっているだろう、彼女はあなたのことを嫌ってはいない。
と言うよりも、彼女は自分に親しくする者に対して、無意識に攻撃的になっているように思える。
それにドクター、私もあの子のことは嫌ってはいない。
むしろ気に入っているんだ。彼女はある種の純粋な正義感を宿している。たとえ心に迷いがあったとしても、その実直さゆえに、大きく道を踏み外すことはないだろう。
それはとても貴重な素質だ。
おっと、そろそろ出発の時間だ。では、今度こそ失礼する。
あれ、ドクターだ!
こんにちは!
まさか見えてない? グムが小さすぎるのかな!?
ドクター、おーい、グムだよ!
ドクター、今日はごきげんだね!
ドクターは食堂にご飯を食べに来たの?
グムはねえ、最近あんまり任務がないから、キッチンを手伝ってるんだー。
グムちゃん、香料を持ってきたわ。
あっ、ありがとうパフューマーお姉ちゃん! そこに置いといて!
パフューマーお姉ちゃんも食堂でご飯?
いいえ。私は自分の作業室で自炊するほうが好きなの。
ええっ、グムも食べに行っていい? パフューマーお姉ちゃんの香料の使い方を勉強したい!
フフ、もちろんよ。
グムさん、お手すきならこちらのお手伝いをお願いします。
はぁい! 今行くよ!
ウンさんが任務で出ているので、人手不足で手が回らなくて。この鍋は任せますね。
うん、わかったよ、マッターホルンおじさん! あ、パフューマーお姉ちゃん、お部屋に行くのはまた今度にするね。ドクターもたくさん食べていってね!
ええ、いつでも大歓迎よ。
おっ、今日はグムちゃんが作ったメシを食えるのか!?
クソっ、さっき食べたばっかりなのに!
今日はツイてないな!
はは、じゃあ俺はもう一杯食べるぜ!
みんな慌てないで、ちゃんと全員分作るから!
グムちゃんは本当に元気な子ね。ねぇドクターくん?
前に一度私の作業室で居眠りをして、心配になる寝言を言っていたから気になってはいたんだけど。
あの子がロドスに溶け込み始めているのを見て、少し安心したわ。
すぐに万事オッケーってことにはならないだろうけど、きっと少しずつ、良くなっていくわね。
あら、ドクターくん、ストレート過ぎるのは必ずしも良いことじゃないわよ?
すべてを話すことはできないけど……大丈夫。あの子に必要なのは慰めじゃなくて、時間だから。
ドクターくんもあの子を気にかけているのかしら? フフ、やっぱりドクターくんはオペレーターたちのことを心配しているのね。
安心して、本当に重要なことなら、私も隠したりはしないから。
誰にだって小さな秘密くらいある、そうでしょう?
ドクターくん、あまり自惚れたらダメよ。あなた一人で全員の面倒を見られるとも、見ないといけないとも考えなくていいの。
オペレーター同士も、お互いを気にかけ合っているんだから。
じゃあ、私は作業室に戻るわね。
ドクターくんも疲れたらいつでもどうぞ。
ドクター、こんにちは。
食堂でドクターと会ったのは初めてですね。
ドクター、何か考え込んでいるようですが、食堂の入り口で考え込むのは止めたほうが良いと思いますよ。
ふむ……ご飯が少し硬くて、スープもちょっと甘みが強い気がしますが、料理自体はとても好みです。
ではドクター、何も要件がなければ、私はこの辺で。
午後にはまだ授業がありますから。
授業?
はい、ヒュパティア先生の歴史授業です。
これまで色々やってきて、気付いたんです。ヒュパティア先生の歴史授業が、私にとっては一番の力になると。
ふむ、なれません。
あ、拒絶しているわけではありませんよ。私自身もよくわかっていないので、うまく説明はできませんが。
先生の授業は面白いですよ、ドクターも時間がある時に聞いてみてはいかがですか。
ふむ、ドクター、私の記憶が確かなら、ドクターは記憶喪失ではないのですか?
何はともあれ、厚意には感謝します。
実際、歴史を学ぶことが本当に私の役に立つのかはわかりません。
ですが私は、先人たちの経験や考え方が、インスピレーションをもたらしてくれるのではないかと思っています。
私には、導きが必要だということでしょうね。
では、授業に行きますね。
ナターリアがどこにいるか知ってるか?
ナターリアですか?
彼女が前線のオペレーターになろうとしていることは、グムから聞きました。申請が通ったかどうかは知りませんが、私の知る彼女なら、既に周到な準備を始めているはずです。
ナターリア、狙いが甘いぞ。
ロザリン、いい気でいられるのは今のうちだけよ。必ず当ててみせるから。
へへ、あり得ねぇあり得ねぇー。
あとな、もう私のことは「リェータ」って呼べよな!「ロサ」!
あらそう、リェータ、今に見ていなさいな。
そんなバカでかい武器を使ってっから、うまくできねえんだよ。
チェルノボーグで拾ったガラクタなんてさっさと捨てて、もっと使いやすいもんにしたらどうだ?
はぁ、はぁ……これは記念品だから。
ふーん、じゃあ頑張んねえとな。
でもよ、ナターリア。もう脚もフラフラで、ろくに歩けなくなってるじゃねぇか。一旦休んだほうがいいって。
まだ頑張れるわ……
うわっ!
まだ持久力に難ありだな、ナターリア。
ウルサス人として悪くない基礎体力はあるが、戦えるようになるにはまだまだだ。
はぁ、はぁ……申し訳ございません、努力します。
だがお前のその意気込みは、私の想像以上だ。悪くない。
この一連の訓練を乗り越えたなら、オペレーターにならずとも、お前にとって大きな糧になるはずだ。
お褒めに預かり光栄です。
あ……ああ。
ひとまず少し休憩だ。
はい!
リェータ、お前は自己トレーニングを。
はーい。
グレース、見てやってくれ。
わかりました。
ドクター、昼休みなのだから休んでいろ。ここはお前が来る必要のない場所だ。
ああ。
もしただ挨拶に来ただけなら、私は戻るぞ。
ここのところ、少しずつ統率者の風格が出てきたな、悪くないと言わざるを得ない。
来れば、私はお前の対応をしなくてはならん。そんな時間は極力減らしたいのでな。
恐らく、アーミヤからナターリアもオペレーター転向の申請を出したと聞き、様子を見に来たといったところだろう。
そんな驚いた顔をするな。
アーミヤがウルサスから救出したあの難民たちをとても気にかけているのは、皆の知るところだからな。
覚えているだろう、ズィマー、グム、イースチナ、リェータ――
そうだな、リェータは例外だ。戦闘に関して言えば、彼女の心配はほとんどいらないだろう。
とにかく、あの四人がオペレーター申請を出した時、アーミヤは無理やり申請を却下しようとするほど反対していた。だが何故か、途中で考えを改めたようだ。
とはいえ、最後の一人まで申請を出したとなれば、アーミヤが気にしない方が不自然だろう……
ふぅ、十分休めたわ。ロザリン、もうちょっと付き合ってくれるかしら。
はぁ、お前も粘るなぁ。
私のオペレーター転向の決心を甘く見ないことね。
はいはい。
ナターリア、もう少し休んだほうが良いぞ。トレーニングで一番大切なのは休むことだ。無理をし続ければ、身体が持たなくなる。
ありがとうございます、グレース教官。でもまだ頑張れます……
おいおい、ドーベルマン教官にビビってるのか? あの人は怖そうに見えて……
グレース、聞こえているぞ。
あっ、えーっと、とにかくそういうことだ。
はい、ですが安心してください。本当に苦しくなれば私も休みますから。
そうか……
彼女をどう思う?
お前からはそう見えるのか? 私はそうは思わない。
似たような者を多く見てきたからわかる。彼らが死ぬ気で喰らいついているのは、自分に思考を放棄させようとしているだけだ。
あの三人の子たちを思い出したのではないか?
あんな年齢であんなに歯を食いしばって、大人たちの社会に挑もうとするとは。どこからそんな覚悟が湧いているのか。
しかも彼女たちに限っては、その覚悟は本物のようだからな。
確かに無理をしているな。私の想像以上だ。
命がけでトレーニングをする貴族のお嬢様か……フッ。
私も、アーミヤが彼女たちを戦場に立たせたくない気持ちは理解できる。
あんな若者が戦場に踏み出すことを喜ぶ者などいないからな。というよりも、私のような軍人がここにいる意味は、彼女たちの生活を守るためのはずだ。
いつも思うんだ、彼女たちを戦場に立たせることは、私の力不足の結果なのだと。
――とは言え私も、自分が全ての人の力になることはできないという現実は受け入れているがな。
私にできるのは、彼女たちに戦い方を教え、自分の身を守る術を身に着けさせ、未来の彼女たちの傷を減らすことだけだ。
よく考えてみろ、ドクター、お前は彼女たちのために何ができる?
ドクター、おかえりなさい。
早速ですが、ナターリアさんのこと……ドクターはどう思われましたか?
アーミヤも何かを感じたのだろう?
……はい、それが私が彼女たちを気にかけていた理由の一つです。
ごめんなさい、ドクター。これまでは……話してもいいのかわからなくて。
ドクターは私の能力を知っていますよね。相手が強い感情を抱き、それを私に向けた時――私は相手の想いを感じることができます。
そして感情が強烈であれば、たとえそれが私に向けられたものでなくても……微弱にですが、その想いを感じることができるんです。
ズィマーさんたちは、なんと……説明したらいいか。
他の人たちと、少し違うんです。
私たちにとっては普通で当たり前の状況の、ふとした瞬間に、彼女たちのとてつもない感情を感じることがあるんです。
もちろん、彼女たちの感情はそれぞれ異なりますが、共通している部分もあります。
もしその感情に名前を付けるなら、きっと、「無力感」が相応しいでしょう。
実際彼女たちは、そこまで悲しんでいるわけでも、苦しんでいるわけでも、怒っているわけでも、絶望しているわけでもありません……
ただ、この比喩が正しいかはわかりませんが、まるで、形のない壁がそこにあるかのようなんです。
普段はその壁は見えませんし、触れることもできません。ですが彼女たちが前に進もうとすると、壁が彼女たちを阻み、その場に押し止めるんです。
彼女たちのために何かできるだろうか?
いいえ、ドクター。
今の私たちは、それをしてあげられる立場にないんです。
彼女たちがロドスに資料を登録するにあたって、私たちに教えてくれた経歴などの情報……それが、私たちが「知る権利のある」情報の全てですから。
彼女たちには何か隠し事があるかもしれませんが、隠しているならばなおさら、私たちはそれを暴いてはいけないんです。
もちろん、ロドスに不利益をもたらすものはその限りではありませんよ。とは言え、ズィマーさんたちが心に秘めているものは、そんな類のものではないと思います。
それに……
私たちが今彼女たちを助けようと躍起になったところで、本当に助けになれるとは思いません。
はい、私もそう思います。
もしかすると単に私が、そうすることを勝手に恐れているだけかもしれませんが。
クスッ、ドクター、また冗談を。
本当に、そんな風に簡単だったら良かったんですが。
ドクター、私は今になって心から思うんです。「あなたのことが理解できる」というのは、良い言葉ではないって。
ですが多くの人がそんな言葉を使います。そう言いさえすれば慰めの義務を果たせる、あるいは相手が心の扉を開けてくれると勘違いしているのかもしれません。
他人の感情を理解するのは、本当はとても難しいことです。助けになるのは、理解する以上に難しいでしょう。
艦内の他のオペレーターたちの場合も同じです。
過去の経歴を彼らと共有していない限り、私たちの言葉は彼らには届きません。私たちが正しいと思うことをしても、それが彼らの求めていることにはなり得ない場合もあります。
だからズィマーたちのオペレーター申請を認めたのか?
はい。
彼女たちの感情を感知した後、私は考え方を改めたんです。
彼女たちを保護の対象とするのは、私たちから見れば彼女たちのためです。結果的に、彼女たちの安全を保障することもできるでしょう。
ですがそれだけでは、彼女たちが完全に回復することはないと思ったんです。
ドクター、私も本当は、時間が全てを解決するなんて言いたくありません。
ですが今の私にはもう他の手がないんです、それ以外の方法を知らないんです。
私にできるのは、彼女たちの選択を尊重し、私の、そしてロドスのやり方で彼女たちを守ることです。
こうやって考えることでさえ、傲慢なのではと思ってしまいますが……
ですが私は、多くの人のために、もっといろいろなことができるようになりたいんです。
ドクター、身体的な疾患の治療方法を考えたり、治療の必要性を判断するなら、あまり深く悩む必要はありません。
ですが精神的な治療においては、それがとても難しい問題に変わります。
今の私には、こんなぼんやりとした答えしか出せません。
ドクターと同じことを、私も考えました。
もし今、自分が相手を助けられる立場になければ、その立場を造ればいいということですよね。
……少し弱気になってしまっていました。
痛みを和らげ、傷口を治療できる薬を使えば、全快する病気やケガもあります。ですがそれまでに受けた痛みと苦しみを消すことはできません。
私、いつも思うんです。私たちロドスが、たとえほんの一握りの人であってもいい、誰かが過去に受けた傷のことを忘れさせてあげられたら、それを考えないようにしてあげられたらいいなって。
でもそれはとても難しいことなんですよね。この道を歩んでみて初めて気付きました。
だってその願いを本当に実現するためには、薬品の研究を第一の基本として、それ以上に多くのことを成さなくてはなりません。
少なくとも、我々はそれを成そうと動いている。
……そうですね。私たちはいつも、前を向いて進んでいます。
ありがとうございます、ドクター。
彼女たちの話をしていたはずなのに、いつの間にか私がドクターに励ましてもらっちゃいました。お恥ずかしい限りです……
今回は私も、素直にナターリアさんの申請に同意するつもりです。
彼女たちが私たちに心を開いてくれたら……私たちが彼女たちの力になれたら嬉しいです。
いつの日か……ロドスが彼女たちの新しい故郷になったらいいな。