ニアーライト NL-1・戦闘前
カレンデュラ
お疲れ様です、ドロステさん……何をご覧になっているのですか?
あら、マッキーさん。ありふれた詩集ですよ。
なるほど……詩文を愛するあなたらしいですね。
初めてお目に掛かった時も、あなたは本を手にしておられた。血と鉄さびの臭いに満ちた競技場の中で佇むお姿が、周囲とはまったく異なる雰囲気だったのを覚えています。
そんなに細かいことまで、覚えていてくださったのですか……?
あ……はは、お恥ずかしい。実は、私もあなたのファンなのです。お時間の許すときがあれば、サインをいただきたいくらいでして。
ふふ、光栄です。
お話中失礼いたします、マッキー様。
ご注文のワインですが、こちらに置かせていただきます。
ありがとう。ほかのスタッフにも感謝を伝えてくれ。
では、ドロステさん。お祝いに、一杯ご一緒させてください。
ええ、喜んで。
乾杯!
乾杯。
ああ、確かに良いワインですね。こちらは非常に高価なガリア・コレクションなのですが……
今日のような日に、そして、あなたのような騎士にこそ相応しい逸品ですよ。
身に余るお言葉です。私は、ただ運が良かっただけですから。
ご謙遜なさらず。……ところで、その詩集は……
故郷の詩人が書いたものです。無名の人ですが、彼の書く詩が本当に好きで。
ほう、リターニアの詩集ですか。タイトルは……ふむ、『双月とカレンデュラ』ですかな?
いつもながら、リターニア語がお上手ですね。
はは、外交上の必要があって学んだだけですよ。カレンデュラがお好きなんですか? ……昨今のカジミエーシュには、こうした詩歌をどう味わうか知る者はもはや少数になってしまいました。
……文字というものは、想像と切り離すことはできません。そのすべては、想像を表現するための単なる符号にすぎませんから。
現代人にとって、詩歌は美学に欠けた文字の迷宮に過ぎません。感情を押しつけられる感覚が、不自然でわざとらしく感じるのだと思います。
恐らく、すでにカジミエーシュの人々は別種の「消費」に慣れきっているのでしょう。けれど、詩歌はそうした消費とは無縁のものですから、現状は、ごく当然のことです。
……どこか含みがあるように聞こえますね。
そのようなことはありません。詩歌のことをお話ししているだけですよ、マッキーさん。
ですが……何か、ほかに仰りたいことがあるはずでは?
ええっと……何のことでしょう。
あっ。新しい眼鏡のことでしたら、とってもお似合いですよ。
そ、それはどうも……! まさか気付いていただけるとは……これは驚きました、はははっ……
っと、ごほん。……その件ではないのです、ドロステさん。以前、都市間ネットワークや紙媒体で掲載された、噂話のことで……
ああ……ワイン風呂ですね?
はい。あんな噂を放っておいては、あなたの名声に傷が……
ワインのお風呂に入る人なんて、本当にいるのでしょうか? べたべたしてしまうのではないですか?
……言われてみれば? 確かにそう、かもしれませんね。
ふふっ……そうでしょう? であれば、あのようなニュースを誰が信じると?
信じてしまう者はいますよ、ドロステさん……どんなに根拠のない話でも、それが必ずしも真実とは限らないと知っていても、彼らは何かと首を突っ込みたがるものですから。
あとから誤解を解くのでは、いけないのですか?
その……あなたは、騎士にまつわること以外を、単純に考えすぎる節がおありですね……
こちらでローズ新聞本社と連絡を取ったところ、あの記事はとあるゴシップ紙の編集者が独断で掲載したものだそうです。
気付いた時には既に大きな反響が寄せられており、様々な理由からすぐには撤回されなかった、とのことで。
それが彼らの仕事ですから、責めはいたしません。
……あなたはとても寛大な方だ。だからこそ、私はやりきれない気持ちになることがあります。
故郷に学校を、そして移動式プラットフォームを建設するために、あなたは、個人収入のほとんどをリターニアの貧困地域に寄付されているというのに。
今更噂を否定したところで、大騒ぎした群衆はそれが真実がどうかなど気にすることはないでしょう。
デマや噂を面白がり、言いふらして喜んでる者たちが、根拠もなく誰かを傷つけ、中傷するのは簡単なことです。
しかし、真相が明らかになったあとに、あなたを傷つけた人々があなたのために事実を広め、無実の罪を晴らしたことなど、これまで一度もなかったではありませんか。
ゴシップは民衆に刺激を与えますが、事実を広めるのは退屈なことですから。それもまた、ごく当然のことですよ。
……あなたは、どうしてそうも無関心なのですか!
あなたのような清廉潔白な騎士こそが、ほかの人々の手本とされるべきだというのに! 本来、あなたの名声はより高くあらねばなりませんし、その上――
――マッキーさん。
ッ……はい。
今のお言葉、感動しました。
あなたは、情に厚く……心の優しい方です。
……
……連合会の代弁者として、騎士の皆様が競技外の干渉を受けないようにすることも、私の仕事ですので。
とはいえ、あなたにはもう少しご自分の生活に気を配っていただきたいものですが。
あっ……そういえば。
決闘のお相手は、いつ頃発表されるのでしょうか?
はあ……どうしてご自分の試合すら気にかけていらっしゃらないのですか?
予定通りに進みましたら、次の相手は灰髭騎士です。そして、その次に当たるのが……耀騎士です。
……
……驚いておられますか?
ええ、とても。耀騎士、マーガレット・ニアール……この名は幾度も耳にしてきましたけれど、いつ聞いても強く、美しく、優雅な響きです。
連合会はあなたの勝利をお祈りしております。
はい……ですが……
「燭」と「耀」……私に勝ち目などあるのでしょうか?
そう仰らず。現代の騎士称号というものは、広まりやすさを重視したものであって、実力とは無関係ですからね。
あなたはとてもお強い。どうかご自身を信じてください。
よおし――わしの勝ちじゃな!!
クソッ! 今のはズルだろ!
ガッハッハ、老騎士フォーは未だ壮健~♪ よぼよぼコーヴァル負けて吠えろよ~♪
あんたなあ! 「始め」の合図の瞬間、わざとゲップしただろ!?
おっと、その椅子は使わないでくれ、コーヴァル。あまり丈夫じゃないからね。使うなら、ほかのにしてくれないか?
お前は敗者だ~♪ コ~~ヴァ~ル~♪
……一体何してるの?
腕相撲だよ。それで、君が持ってるのは何かな?
さっき買ってきた薬だけど……
と、言うと、ムリナールに渡すつもりか?
……ええ。でも、彼はきっと私を無視するでしょうね。それに、彼がちゃんと薬を使うとも思えないし……
はぁ。性格は全然違うけど、マーガレットたちにそっくりなところもあるのよね。
そういえば聞いたぞ。ムリナールとマーガレットの二人が真剣勝負して、マーガレットが勝ったんだって?
これでやっと、ムリナールの目を覚まさせてやれるかもしれないな……
フン、あの小僧に目を覚ますも何もないと思うがな。あやつの意識ははっきりしてるよ。はっきりし過ぎてるからこそ、今のように幽霊じみた姿になったのだろうさ。
ムリナールは……
……ううん。何でもないわ。
みんな~! あっ、ゾフィア姉さんまで!
あら、マリア。一人できたの?
ついさっき、騎士協会の人がお姉ちゃんを訪ねてきてね。仕方ないから、私だけ先に……
どうもお姉ちゃんみたいに追放された後、身分を取り戻した例は少ないから、審査が必要な書類がたくさんあるんだって。
そうじゃったか。しかし、まったくおかしな話じゃのう。あやつらときたら、当時は必死でマーガレットを陥れようとしておったくせに、今度はあっさりと騎士の身分に戻しよった。
なんか裏でもあるんじゃねえか?
まったく、二人ともいっつも口さがないんだから。
心配して言っておるんじゃろうが……
まあ、本当に問題が起きたとしても、そん時は俺たちみんなで夜逃げして、カジミエーシュとおさらばすりゃいいだけさ。そんでなんつったか、あの……ドロスとかいう場所を見物しに行こうぜ。
……ドロスじゃなくて、ロドスよ。
ところで、マリア。君の叔父さんは……?
えっと……ムリナール叔父さんなら、まだ仕事中じゃないかな。そろそろ帰る頃だと思うけど……
奴のことは、耀騎士がこっぴどく懲らしめてやったんじゃろう?
まったく、もっと早くにこうなるべきだったくらいじゃな。そもそもニアールの旦那が健在なら、あの小僧の自堕落など許すわけが――
……
――マリア?
確かに……叔父さんとの決闘に勝ったから、お姉ちゃんがまた騎士競技に戻れたっていうのは事実だよ。今は、叔父さんも口出ししてこないしね。
ふむ、あのムリナールが負けを認めた、と……?
でも……叔父さんは決闘中、最後までアーツを使わなかったの。
……はあ? じゃああいつ、わざと負けたのか?
どうせ、全力を出す勇気などなかったんじゃろ。それなら、負けても言い訳ができるからのう。
……負けを認めるのも、わざと負けるのもありえないと思うわ。ムリナールよ?
彼は……マーガレットを見下しているわ。耀騎士という存在も。
単純にアーツを使うに値しないと思っている、それだけなのよ。
「灰毫(かいごう)」グレイナティ。……ソーナを見なかった?
あそこにいるが……それにしても、なぜ私を呼ぶ時だけ称号をつけるんだ?
……嫌だったら、やめてもいい。
ただ……君のイメージに、よく似合うと思って。
……まあいい、好きにしてくれ。
――ソーナ!
なーにー?
こっちへ来い、全員揃ったぞ!
了解! よいしょっと――
お待たせ! カイちゃん、ケガの具合はどう?
大したことはない。……で、これは何だ? 人形か?
あははっ、あたしだって女の子だもん! 可愛いものが好きでもおかしくないでしょ?
……ソーナ。
はいはい、わかってるって。冗談言ってる場合じゃないわよね。
「工業事故」はますます増えてきてるわ。あいつらは感染者を追い出して、スラム街でパニックを引き起こさせてるの。
無冑盟は既に、公然とやり合うつもりでいるようだ。こうなった以上は、感染者たちを隠れさせ続けたところで、何も解決しない。
シェブチックが興味深い情報を提供してくれた。私たちは一刻も早く――
――どうした? ソーナ。
ん、何?
なんだか、うわの空に見えるぞ。
ね……もしいつかまた、あたしたちが自由を得られる日が来たら……
その時は、何をしたい?
そうなってから、一緒に考えればいいさ。
急にそんなことを言い出すなんて、本当にどうしたんだ? 今日はやけに感傷的じゃないか。
あははっ、何でもないわ。ほら、それより早く行きましょ。
レッドパイン騎士団の新顔たちに挨拶しなくちゃ!
……ここの人たちは、ほとんどが感染者なんだな。
そう思うと、国民議会に睨まれそうなもんだが。
……それだけで済みゃまだマシだよ。法律関係の「問題」なら、金さえ積めば何とでもなる。
だが、この状況が続けば……無冑盟が黙ってないだろう。
無冑盟ぃ? あれって実在すんのか?
ああ。都市伝説だと思ったら大間違いさ。
っと、誰か近付いてくるぞ。あれがレッドパインの騎士たちか……
……はぁ……子供ばかりのように見えるが。
しかし……若者だからこそ、できることもあるんだろうな。
焔尾(えんび)騎士、ソーナ。
灰毫(かいごう)騎士、グレイナティ。
遠牙(えんが)騎士、ユスティナ。
“Di-di!”
ん? もう一人のクランタはいないらしいな……
……彼らの計画に加われば、生き延びられるのだろうか? たとえ今生き延びても、来月は? 来年は?
まあ聞け、友よ。感染者仲間がよく言ってるだろ? 努力なくして成功なし、ってさ。
俺たちは鉱石病にかかったんだ。こうなった連中の大半は、天命に従うことを選んでる……感染者の命は短い上に、死体は爆発する。周りにとって危険な存在だからな。
だが……俺たちだって、すぐに死ぬとは限らない。まだ時間が残されているなら、行動あるのみさ。
……人数が減ってるね。
このまま小規模の作戦を繰り返したところで、感染者全員を救うことはできないと思うよ、ソーナ。
……わかってる。だから少しでも早く突破口を見つけないといけないわ。
ハンッ……考えてもみろ。たかが数名の感染者騎士の権力と財力頼りで、この都市で何をなし得ると言うんだ。
ここにいる感染者たちを救うために使う金も、その無意味な隠蔽工作も、ビルの隙間の下水路に詰め込んだボロ小屋も……
すべてこの都市から与えられたものだ。ゆえに、突破口などない。
あはは、耳を塞ぎたくなるような話ね、シェブチック。
そういうお前の親類はどうなんだ? 騎士貴族のお歴々は、お前のために企業家たちの機嫌を取ろうとしてはくれなかったんだろう?
――商業連合会の標的となった以上、お前も我々と似たような立場にあることを自覚しておくんだな。
……フン……確かに、似たようなものだろうな。俺たちは皆、ここにぶちまけられたゴミにすぎん。
お前は、グレイナティだったか? 騎士貴族なんてものは、従者団が設立された瞬間から終わっている。
お前がかつて属した一族にまだ幻想を抱いているとは言わないだろうな、灰色リス。
……
(小声)騎士貴族を馬鹿にしてやれば、喧嘩ふっかけてくると思ってたんじゃない? 彼、意外とそういうタイプじゃないよ。
……なるほど。お前は思ったより冷静らしいな、シェブチック。
ハッ、知ったような口を。言っておくが、俺はすぐにだってこんなとこ出て行きたいんだ。お前らに、いつ病気を移されるか分かったもんじゃないからな。
だが、そのお前たちはまだ死にそうにない。となれば、今はほかのことを考えるべきだろう――
――無冑盟のことね。
……そうだ。連合会の下賤な手先めが、必ず後悔させてやる。
お前たちも、奴らと敵対するというからには、切り札くらいはあるのだろう?
……零号地。
あるいは大騎士領の感染者集中医療部と呼ばれる場所。多くの企業が共同で担当する、感染者収容治療エリア……
ふむ。感染者騎士であれば常連だろう? それで、無冑盟はそこにどんな秘密を隠しているんだ?
――待て。
我々は当然、いくつかの手段を用意しているが……お前にそのすべてを明らかにするつもりはない。
ほう? 手段とやらをそこまで知られたくないのなら、あのクソ病院から俺を救い出すのではなく――いっそ置き去りにして、無冑盟の連中に拷問させておくべきだったな、感染者。
そうやって噛みついてくるのはやめろ。俺たちはそれぞれの目的のため、ここにいるだけだ。――そもそもお前ごときが、俺と会話をしていい身分だと思うか? 灰毫。
それとも、連れ出してくれてありがとうとでも言ってほしいのか?
ッ、傲慢な貴族め――!
は〜わかったわかった、そんなに喧嘩がしたいなら好きにしてちょうだい。無冑盟を目の前にしたとき後ろから刺されるよりかは、今のほうがまだマシだもの。
――シェブチック、あたしたちだって何年も取り組んできたわけだし……政府とのパイプくらいは持ってるわ。
カジミエーシュで商業連合会を強く憎んでいるのは、まともな日常を過ごすこともできない貧民と感染者たちだけじゃないわ。……一体、誰だと思う?
……フン。
監査会が、連合会に打撃を与えるべく、お前たちと取引しているとでも? 狂っているのは俺か、それともカジミエーシュか……いよいよわからんな。
あっはは……
今の自分の状況を、そして騎士たちを見て、シェブチック。
――カジミエーシュはとっくに狂ってるわよ。