風雪一過 BI-5・戦闘前
狩場
……
…………
アークトス様。
──! はっ、巫女様、何でしょう?
そう緊張なさらずとも結構ですのに。アークトス様、身共は決して人食いの猛獣などではありませんよ。
そうは仰いますが、巫女様自らが聖猟にご参加なさるのは初です。ご覧ください。私だけでなく、ここにいる戦士たちが皆、巫女様にいいところをお見せしようと張り切っております!
……身共は巫女として、イェラガンドの戦士たちと共に聖猟に参加するのは、当然の義務だと思っております。
確かにごもっともです!
それよりも、狩りが始まってから、あなたはずっとうわの空で、何か考え事をされているようです。もし何か尋ねたいことがあれば、遠慮なく仰ってください。
……ははっ、巫女様の慧眼はごまかせませんな。お恥ずかしい限りです。
あなたさえよければ、身共を友人と思って接してください。
そうすれば、身共も同じように接することができます。
巫女様……
では、そうさせていただきます。失礼がありましたらどうかご容赦ください。
ええ、どうか友人のように気兼ねなくお話しください。
……
わかりました、では遠慮なく言わせていただきます。
どうか教えていただきたい。巫女様は、三家の主権奉還について一体どう思われているのですか?
……とても率直ですね。
友人ですから、当然のことです。
我らペイルロッシュ家は、戦うことにかけてはブラウンテイル家とシルバーアッシュ家に後れを取ることはありません。ですが、謀略となればこの両家の足下にも及びません。
回りくどいやり方や、秘密をひた隠しにするのは私の性に合いませんから。
ええ、確かにその通りですね……
ですが友よ、お許しください。
あなたのその質問に答える前に、一つ確認しなければならないことがございます。
どうぞ仰ってください。
アークトス様、あなたは忠勇無双かつ、敬虔なる戦士です。
あなたが率直で飾らない性格であることを身共は知っています。ですが、あなたが何も考えていないわけではないということも承知の上です。
友人同士の間で遠慮すべきではないと仰るからには、身共もそれにならうべきでしょう。
──身共は知りたいのです。かねてより、エンシオディス様の開放政策になぜそこまで頑なに反対なさるのでしょう?
……巫女様、私は無骨な人間です。
いくらエンシオディスの言う開放政策の素晴らしさや魅力を吹聴されようと、私が求めるものはそうした御託でも、耳触りの良い謳い文句でもありません。
私はただ、奴が何をもたらしたかだけを見ているのです。
そして私が目にしたのは、我々の家になだれ込む信仰なき外国人。発展という口実のもとに行われた、土地や山河の破壊。奴の領地で働いた結果、徐々に信仰心を失っていったイェラグ人──
……
……奴がもたらしたものは確かに便利です。奴はそれにより多くの金を稼ぎ、あちこちに大きな建造物を建てていきました。
ですがもし皆が皆、奴にならい、いわゆる発展のために信仰を忘れてしまえば、この土地はどうなってしまうでしょうか?
イェラガンドがペイルロッシュ家にイェラグの守護を命じた以上、その安全を脅かすことは、誰であろうと、どんな方法を用いたものであろうと見過ごすことはできません!
……アークトス様のお考えはわかりました。
では身共があなたのご質問に答える番です。
エンシオディス様は、核心となる領地をすべて身共の手に引き渡すことをご提案なさいましたが、身共にとっても突然のことでしたので、やはり驚きました。
やはり巫女様もご存じなかったのですか?
はい。彼の中にこんな計画があったとはついぞ知りませんでした。
ですが──
……
エンシオディス様が果たしてどのような考えに基づいて、主権奉還に思い至ったかはわかりません。ですが結果からしてみれば、これが悪い展開であるとも思いません。
つまり……
身共は蔓珠院で、日夜人々がイェラガンドに祈っている様子を見てきました。
その経験から、間違いなく身共がエンシオディス様よりも正しく理解していることが一つございます。それは……イェラグはまだ信仰を失いはしないということです。
このような決定がなされたからには、今後は多くのことについて、誰かが一人で決めてしまうということはなくなります。
予期せぬことは常に起こるものです。違いますか?
もしエンシオディス様が、事前にそのことに思い至っていないのであれば、それは彼自身の落ち度です。
……なるほど。今のところまだ問題は山積みですが、その言葉は信じましょう。
……
正直に申し上げますと、最後の言葉を聞くまで、私は巫女様とではなく、別の者と向き合っているかのような錯覚に陥っていました。
ただの思い過ごしかもしれませんが。
……
アークトス様がそのように感じられたのであれば、身共は悲しいと言うほかありません。
ですが、私の姓がシルバーアッシュであることは、決して否定できぬ事実です。
……
ただ、巫女になった後に、身共の一切は世俗と切り離されました。そして、身共にとってこの姓が意味を失った原因も、エンシオディス様にあるのです。
巫女様……
野獣共がついにしびれを切らしたか……
皆、狩りの準備を整えよ!
巫女様の肖像画に刺繍、それから彫像なんかも売ってるよ!
どれもイェラグ人の信仰の象徴さ。さあさあ買った買った! イェラガンドの祝福を手に入れるまたとないチャンスだ!
えいっ!
わっ! こっちがビックリしちゃったじゃない……
目が覚めた?
わあ、あなたの手、とっても冷たいのね……
なにをしているの? こんなところでぼうっとしちゃって。
あっ、それともそんなに驚かせちゃった?
アハハ、全然平気そうじゃないの!
で、何を見ていたの? そういえば、聖猟は初めてかしら? 早い話が狩りの儀式なのだけど、今回は巫女様も参加するってことで、皆楽しみにしているのよ!
数百年前に蔓珠院が古書の中から、イェラガンドが初めて現れた日がこの日であることを発見したからだと言われているわ。それでこの一日をイェラグにおける最大の祭日に定めたのよ。
そんな大典の日に何をするかというと──
ご覧の通り、普通の人たちなら、お祭りを楽しむだけでいいのよ。
でも巫女様にとっては、仕事の日なのよね……聖猟で得た山雪鬼の戦利品を厄払いしないといけないのよ。
実際にどうやるかは、もうすぐ見られるわ。
へぇ……あなた、鋭すぎるって言われない?
この時期になれば、私も蔓珠院のお仕事をほっぽりだして、お祭りを楽しむことができるけれど……
巫女様にはやることがたくさんある上に、私では力になってあげられないから、あまり気乗りしないのよね……
それに……
はぁ……やめやめ。お祭りだもの、こんな話はよしましょう。
あら、私に尋ねて正解ね。
レクリエーションね……そんなにいくつもあるわけじゃないわ。出店のバリエーションはそこそこだけど、それ以外は結局ほとんどがイェラガンドに関するものだもの。
でも、もしイェラガンドへの理解を深めたいと思っているなら、このお祭りはいい機会よ。
行きましょう、私が案内してあげるわ。
毎年この時期になると、学院で教えたり学んだりしてる修道士たちが蔓珠院にやってきて、人々に説法をしたりイェラガンドの歴史を語ったりするのよ。
ほら、ちょうどそこでもやっているわ。
千年前……先祖たちがイェラガンドの怒りに触れると、イェラガンドはイェラグの守護を放棄し、後に厳しい冬が訪れた。
イェラガンドの怒りを鎮めるため、蔓珠院は毎年、最も純粋な魂を持つ少女を選び出した。少女は天道を歩き、主を象徴する鈴を山頂に掛け、自らの魂を主に捧げた。
百人目の少女の祈りで、イェラガンドはようやくイェラグの人々を許し、厳しい冬はついに終わりを告げた。
そしてイェラグの最初の巫女もその時に誕生したのだ。
ああ、あの歴史の話ね……そうだ、蔓珠院の書籍で、別バージョンのお話を見たこともあるわ。
別バージョン?
そうでしょう、でも同時に残酷でもあるわ。
そんなことないわ。書庫で偶然見つけたの。当時を経験した人が書き残したものかもしれないし、単なるデタラメかもしれないわね。
いずれにせよ、イェラグの雪山は、人を呑み込むのよ。
旦那様! 前方に突然大量の野獣が現れましたわ!
どれも異常なほどに攻撃的で、最前列の戦士が攻撃を受けておりますわ!
たかが野獣だ、恐るるに足らん!
お前たちはここに残って巫女様をお守りしろ。いいか、落ち着いて陣形を保つんだ。ヴァレス、お前も残れ。
ほかの奴らは俺に続け。前線の者たちの支援に向かう!
アークトス様、お待ちください!
巫女様?
身共も皆様と向かいます。
ですが、巫女様の安全が……
ヴァレスの言う通り、巫女様の安全が最優先です。どうか安心してここでお待ちください。ペイルロッシュ家の勇士たちが必ずや巫女様をお守りいたします!
身共は……
待て、アークトス!
……ラタトス! なぜお前がここに? お前たち両家は、それぞれ両翼で行動するはずだろう?
シルバーアッシュ家の連中はすでに出発しているが、何かがおかしいんだ。それをあんたに忠告しようと思って来たんだが……遅かったかもしれないね。
どういう意味だ?
ラタトス様は、前方に現れた獣たちの様子がおかしいと仰りたいのですか?
ご明察の通りです。
具体的な状況はまだわからないが、嫌な予感がする。小芝居を打つだけじゃ飽き足らず、聖猟のような厳かな儀式の最中に、妙な真似をしでかすような奴がいなければいいんだけどね。
……
とにかく警戒するに越したことはない。今回の聖猟には……巫女様自ら臨まれている。これまでとはわけが違う。
……
ラタトス様は過敏になりすぎているようにも思われます。
身共はすでにこうして勇士たちと共にいるのです。あえて身共を特別扱いし、危険を避ける道理もありません。
お二方、事態は切迫しております。移動しながら話しましょう。
……はっ!
巫女様のお考えは、イェラグの幸福であります! これ以上巫女様の行く道を阻むのは筋違いというもの。ヴァレス、先導しろ。行くぞ!
はっ!
……
(まだ出てこないなんて、なにやってるのよメンヒ……! 巫女様が聖猟に参加するなんて千載一遇のチャンスなのよ! 巫女様の前で野獣を始末できれば、最高の名誉じゃないの!)
(でも万が一……万が一巫女様がケガでもしちゃったら……)
(……まあいいか。ラタトスも本気であたしを罰したりはしないだろうから、最悪あたしが責任を負えばいいわ……)
(絶対にこのチャンスをつかみとるのよ、メンヒ!)
この野獣たち、全くの恐れ知らずか!?
絶対におかしいぞ……
今回は巫女様も隊にいるもんだから、山の野獣も恐れをなすだろうと思ってましたが。
どうやらそうでもないみたいっすね。巫女様も言うほど大したことねえな……
何バカなこと言ってやがるんだ! お前ごときが巫女様を軽々しく語るんじゃねぇ!
その言葉がアークトス様の耳に入ったらどうなるか、よく考えろ!
はいはい、わかってるっすよ! アークトス様に聞かせられるわけないっしょ。叱られるだけじゃ済まないでしょうし……
わかってんならいい……待て、後ろだ──
──!?
伏せて!
その凛とした声よりもさらに早く届いたのは、風雪を引き裂く銀色の光だった。
冷たく光る野獣の牙が若き戦士の目の前に迫ると同時に、温かく生臭い獣の血がその戦士の顔へと一気に噴き出した。
イェラグの巫女は、弓を引き絞った手をゆっくりと下ろし、喧騒の中を歩いてゆく。そしてブラウンテイルとペイルロッシュがその両翼に付き従う光景は、まさにあらゆる文献に描かれる姿だった。
お怪我はございませんか?
……み、巫女様……
まだ危機は去ってはいません。立ち上がりなさい、若き戦士よ。
イェラガンドの勇士たちよ、武器を掲げるのです! 身共とともにこの野獣たちを駆逐し、イェラガンドが我々にお与えになった試練を乗り越えるのです!
……
……はい!
み……巫女様のために!
巫女様のために!