風雪一過 BI-6・戦闘前
岐路
他の両家に攻撃は仕掛けず、蔓珠院を守るためだけに兵を出す……
まったく、何が蔓珠院を守るよ。
これで、蔓珠院を支配する正当な理由ができたというわけね。
はぁ、確かにそうみたいね。
私もようやく、エンシオディスのやり方が理解できたわ。
主権奉還はただの見せかけで……初めからすべてをひっくり返すつもりだったのね。
そうよ、彼をもってしても、イェラグ人のイェラガンドへの信仰に打ち勝つことはできないはず――みんなそう思っていたわ。
大長老も、ラタトスも、アークトスも、私ですらそう思っていた。
そうね、確かに彼は知っているわ。
でも、ずっと気になっていることがあるの。
神なしで生きるのなら、人々の心から完全に神の存在を消し去らないといけないのかしら?
あら、私はちょっと感心しただけで、別に落ち込んだりはしていないわよ。
信仰というものは次第に人々の枷となる……少なくともイェラグ人のイェラガンドに対する信仰がそうであることは、とうにわかっていたわ。
でもありがとう。
……はぁ、でもこんなこと、巫女に仕えるただの侍女長には関係ないわよね。
そういえば、私はてっきり、何故まだあなたに付きまとうのかって聞かれると思っていたけど……
何かを傍観することを選ぶ理由は無数にあるものだ。
あなたが介入することを選んだ理由が無数にあるのと同じように?
……ありがとう、ドクター。
私は自分の選択を貫くわ。あなたもそうであることを祈ってる。
ドクター、任務は完了した。
二人は引き留められなかった。ラタトスからはドクターに謝意を伝えてほしいと言われたが、彼女にも何か計画があるようで、そそくさと領地へ戻って行った。
アークトスも急いで領地へ帰った。あの様子を見るに、兵力を集めてエンシオディスとやり合うつもりかもしれない。
ドクター、二人をそれぞれの領地に返して、本当に死傷者を出さずに済むの?
つまり、もしあの二人があそこで捕まれば、激情に駆られた民衆に処刑される可能性もあったということか。
たとえそうでなくても、裁きを受けるのは必至だな。
二人は今でこそ裏切り者の汚名を着せられてしまったけれど、両家の──特にペイルロッシュ家の忠実な部下たちは、そう簡単に信じないわよ。
その時が来れば、紛争にしろ内輪もめにしろ、イェラグは必ず混乱に陥るはず。
だがエンシオディスからしてみれば、たとえこれからどうなろうとすでに大義名分は立ってるわけだ。
混乱が起こり、その過程で相当な死傷者が出ても、彼なら最終的には事態を収拾することができる。
……
彼がただ黙って混乱に任せるだけとは思えないが。
まあそうだな。エンシオディスも苦労して今の状況を作り上げた。それはつまり、彼が民衆に全く無関心というわけではないということだろう。
俺がカランド貿易に「客」としてもてなされていた時、彼の人となりについて、いくつか耳にした。彼に対する従業員たちの評価はいずれも、先見の明がある人物というものだった。
つまり、彼が公然と事を起こす決断をした今、極めてリスクが大きいように思えるこの策こそが、現状の最も適切な選択肢だったということだろう。
そうだったら……いいんだけど。
シルバーアッシュ家が過去にブラウンテイル家と比較的親密だったことを鑑みれば、ブラウンテイル家にも当然手駒を多く忍ばせているだろう。そいつらが混乱を抑える役割を果たすはずだ。
注意すべきはペイルロッシュ家の方だ。彼らの装備や戦術は後進的ではあるが、その規模を侮ることはできない。
そうね、シルバーアッシュ家との関係も昔から良くないわ。
それに、ペイルロッシュ家の忠誠心は非常に強固なものよ。たとえ今回のようなことが起こっても、ペイルロッシュ家から寝返る人がいるかどうかは……
だからこそ、あの二人に協力するというドクターのやり方も理解できる。
一族をまとめあげられるのは当主だけだ……つまり、当主に影響を与えることができれば、より戦略的な計画を実行することも可能になるというわけだな。
だが、ドクター……俺が言うまでもないが──
イェラグの地形は複雑で交通の便も良くない。我々に残された時間はもうわずかだ。
まずは二人と話してみよう。
ラタトス様、お待たせいたしました。
こんな時にまで手を借りることになって悪いね。
いいえ。私もブラウンテイル家の人間です。こういう時こそラタトス様のお力にならなくては。
エンシオディスが言っていたこと、信じるか?
まさか、きっとあなたを陥れたのです。
……
頼んでおいたものは?
シルバーアッシュ家からブラウンテイル家まではなかなかの距離ですが、すでに駄獣車は用意し、話も通しておきました。
ラタトス様とスキウース様の準備が整い次第、必ずやお二人を無事にブラウンテイル家の領地までお送りいたしましょう。
……領地の動向は?
大典での出来事が広まった後すぐに、領地の周縁に位置するいくつかの町が、シルバーアッシュ家の旗を掲げました。
中心に近いエリアに現状動きはございませんが、しかし……
ああ。エンシオディスの息が掛かった奴がうちの領地にどれだけいるかくらい、私もわかっている……数えだしたらキリがないだろうね。
エンシオディスに何か動きはあるか?
シルバーアッシュ家の戦士がすでにカランドの麓と中腹に駐屯しております。
フンッ、有言実行というわけか。
周辺の民衆は皆彼らを歓迎しておるようで、まったく恥知らずな連中です。
あいつらはアークトスの大典での反逆行為を目の当たりにしている連中だからね。
アークトスの「罪」をまざまざと見せつけられた領民たちが、一番あいつを疑っていることだろう。
まあアークトスの話はいい。それであんたはどうだ、エンシオディスにどれだけうまい汁を吸わせてもらった?
それは……決してそんなことは──
下手な演技だね。別にごまかさなくたっていいのに。
……皆出てこい、ラタトスを捕らえろ。
……
……!?
ぐっ……
この程度の罠も見破れないようじゃ、この家の当主なんてやってられないよ。
ラタトス、駄獣車の準備ができたって……
どうしたの!?
どうしたんだと思う?
……あたしたちを売る気だったの?
へぇ、珍しく頭が回るみたいだね。
皮肉言ってる場合じゃないでしょ。
……味方はあとどれだけいるのかしら?
どれだけ? はぁ、どれだけだろうね……
スキウース、自分がどれだけのことをやらかしたか、自覚はある?
あたしは……
こんなことになるなんて思いもしなかったのよ……
……はぁ。あんたは思いもしないことだらけだね。
どうしようもなかったのよ! あたしはただ……自分もブラウンテイル家の力になれるって証明してやりたかったの!
……あたしはただ……
ただあんたの力になりたかったの……
……
ラタトス……とても疲れてるみたいだけど、大丈夫?
全然大丈夫じゃないって言ったら?
……
そう。わかったわ! この件はきちんと自分でケリをつけろって言いたいのね?
あたしが起こした面倒だもの、自分でケリをつけてやるわよ! それにユカタンとメン……えっと、あたしの部下だって今どうなってるかわからないわ。もう一秒だって待ってなんかいられない!
待て、どこへ行くつもりだよ!
エンシオディスのクソ野郎のところよ! 今回の件はすべてあたしの個人的な恨みであって、ブラウンテイル家とは何の関係もないって宣言しに行くのよ!
あたしのことは煮るなり焼くなりあいつの好きにすればいい。でもそれ以外の人は──何があっても返してもらうわ!
……
お姉様、お姉様! おじい様はどうしてまたお姉様を叱ったの? お姉様はこんなに頑張ってるのに!
お姉様は当主にならなきゃいけないから、それでたくさん叱られるの……?
な、ならあたしが当主になる! それからお姉様を叱らないでっておじい様にお願いするの。あたしが当主になるから、叱るならあたしを叱ってって!
えへへっ、大丈夫だよ、心配しないで。あたしにはユカタンもいるんだから。大人になってもずっと一緒って約束したから、何かあったらきっと助けてくれるわ。ユカタンは頭もすっごくいいの!
それに……
それに、お姉様は叱られても、全然泣かないでしょ?
でもね、お姉様が泣かなくても、あたしはなんだかすごく悲しくなるの……
ハッ、アハハッ……
なんなのよこのクソ女! どうしてこんな時まであたしを笑うの?
ハハハ……ハハ……はぁ。
(本当に、バカな妹を持ったもんだね……)
……心の中でバカにしてんじゃないでしょうね?
そんなところかな。
あんたね……!
はぁ……いいから戻って来な。エンシオディスのとこへ行くのも、これ以上手を出すのもなしだ……そう単純な話じゃないんだから。
スキウース……最後に私たちが二人でちゃんとおしゃべりをしたのはいつだったかな?
あたしたちがちゃんとおしゃべりしたことなんてある?
……ないかもね。
さて、私は今後どう動くかを考えるから、あんたは戻って自分のことでもやってな。
帰り道で捕まらないように気をつけなよ。
それどういう意味? あんたは領地に戻らないの?
ああ。アークトスは恐らくまだ自分の屋敷には着いてない。
少し落ち着いたら、あいつはエンシオディスとやり合うだろう。
それまでに、やっておかないといけないことがあるんだ。
……無茶だけはやめてよね。ユカタンたちがまだエンシオディスに捕まってるんだから!
それと……それとあんたもよ。わ、忘れないでよね! 万が一あんたに何かあったら、ブラウンテイル家はあたしのものになるんだから。
……
ブラウンテイル家が……スキウースのものになる、か……
……それも悪くないかもな。
見ろ、アークトス様の部隊だ……
大典で、アークトス様が大長老に毒を盛ったって……
黙れてめぇら! 考えたらわかんだろ、旦那が毒を盛るなんて真似をするわけねぇだろうが!
それは……しかし……
お前、ペイルロッシュ家の人間のくせに、旦那を信じねぇのか!?
ひぃ!!
……やめろ、グロ。
民衆に当たり散らしたところで、恥さらしになるだけだ。
ですが旦那……!
今回の件がエンシオディスの罠であろうとなかろうと、今となっては後の祭りだ。何を言っても詭弁にしか聞こえんだろう。
ですがこのまま我慢しろって言うんですか、旦那!
我慢? そうはならん!
フンッ、エンシオディスは確かにやり手だ。だが奴は最大のミスを犯した……何かわかるか?
大典で、俺を殺さなかったことだ。
屋敷に戻り次第手下を集め、奴の所に攻め込む。
自分が犯した過ちがどれほどのものか……エンシオディスの奴に思い知らせてやらねば。
はっ! それでこそ旦那だ!
その機会は与えませんわよ、旦那様。
ヴァレス!?
その後ろの奴らは……てめぇ、ペイルロッシュ家を裏切りやがったのか!
……ヴァレス、これまでペイルロッシュ家がお前を悪く扱った覚えはないが、なぜこんなことを?
悪く扱った覚えはない……?
……旦那様、まだ思い出せませんの?
何をだ? 俺は常に誠実さをもって行動してきたつもりだ。一体何の──
そ、それは?
案ずるな、ヴァレス。
大長老の霊薬を飲んで邪気を払えば、親父さんは必ず良くなる。
お前の親父さんの怪我は、聖猟中に俺たちを守ろうとして負ったものだ。
大長老の予想では、隊列からはぐれた後に伝説の山雪鬼に襲われたのだろうということだった……だから霊薬で邪気を払ってやる必要があるんだ。
親父さんはかなり弱っている……さぁ、俺が飲ませてやる。
どうして父上は目を覚ましませんの? 父上の口元に付いた緑色のものは──
こやつは穢れに侵されておった……もはやイェラガンドもこやつがここに留まることを許さないようじゃ。
これまで、こやつは幾度も蔓珠院に盾ついておった。恐らくその頃からチェゲッタの邪気にあてられておったのじゃろうな……そして今日ついに、聖猟の最中連れ去られてしまったのじゃ。
もし霊薬を用いても、こやつの意識と敬虔さを取り戻すことが叶わなければ、それすなわち主のご意志ということじゃ。
……
大長老が飲んだ酒は、まさか……!?
ええ。
大長老が父上を訪ねた後、霊薬を紛失したことは覚えていらっしゃいますか?
申し訳ございません、旦那様……私は、ずっと半信半疑でしたの。大典において大長老が倒れる瞬間までは……
……
まさか俺が……このアークトスが、大切な将軍を自らの手で……
旦那様、あなたを恨んではおりませんわ。あなたのせいではありませんもの。
ですが、イェラグには変化が必要な時が来ているのかもしれませんわ……どうか邪魔をなさらないでくださいますか。
もうこれ以上、イェラグに忠誠を尽くす戦士が父上のような末路を迎えてはなりませんもの……
アークトスが途中でトラブルに巻き込まれるのを阻止しろ、か……ドクターの予想はまたもや的中だな。
しかし──
こうなるとわかっていれば、ブレイズも連れて来たんだがな……武力戦に特化したエリートオペレーターの中でも、山間部のような立体的環境で優れた機動性を発揮できるのはあいつだけだ。
イェラグで列車が止まると、これほど不便になるとはな。
はぁ……仕方ない。行くか。
……
どうしても行かなきゃだめなのか?
ああ、父さんと母さんが決めたんだ。イェラグにはもうエーデルワイス家の居場所はない。
俺はおじさんとおばさんがやったんじゃないって信じてる。もちろんお前も絶対無関係だって。
……でも僕は信じられないんだ。
どういう意味だ?
二人が本当に何もやっていないのか、僕にはわからないんだ。それに……僕が間接的な共犯者じゃないって確信も……
……だとしても、俺はお前を許すよ。
お前ほど俺の父上を尊敬している奴はいないって知ってるから。
……エンシオディス、僕たちの夢をまだ覚えてるか?
もちろんさ。
俺たち二人でイェラグをどこよりも強い国にする、そうだろう?
……でもお前は行ってしまうんだ。
戻ってくるよ。
ほんとか?
ああ……父さんと母さんはヴィクトリアに引っ越すつもりらしい。僕はそこの学校に通う。
これはチャンスなんだ。僕はあそこで最先端の知識を学んで、それを身につけたら、戻ってきて君の力になるよ。
……ふんっ、お前って奴は。
俺も一つ伝えておくよ。まだ誰にも話してないことがあるんだ。
なんだ?
エンヤとエンシアが成人したら、俺はイェラグを離れるつもりだ。
お前と同じで、たくさんのことを学んだら、また戻ってくる。
……未来の当主がイェラグを長い間離れるだなんて、そんなことしていいのか?
いいさ。その時は、お前に会いに行くよ。
おいノーシス、メシだ。
……
チッ、黙ってりゃどうにかなると思ってんじゃねぇぞ。
今はシルバーアッシュ家の全員が、てめぇを殺してやりたいほど憎んでるんだ。
旦那様と巫女様にあんな真似しやがって。旦那様の命令でなきゃ、メシどころか、水すらお前にやりたくねぇんだよ。
……
黙りこくってメシも水も要らねぇってか。
だったらちょうどいいや。この部屋でくたばっちまいな!
……
ノーシス、随分と変わったな。
以前のお前は、笑顔の代わりに鼻で笑うことなどなかったし、面と向かって人のことを無価値だと言うこともなかった。
変わったのは君の方だろう。
以前の君なら自分の地位を武器にすることも、社交辞令を重んじることもなかったはずだ。
貴族たちと付き合うためには、身につけざるを得ないのだ。
より素晴らしい研究をするためなら、私は他人にどう見られようと構わないがな。
何の研究をしている?
生命科学、それと源石解析だ。
一筋縄ではいかなそうだな。
君は? 見たところ貴族たちの中で、ある程度の地位を築いているようだが。
お前がイェラグを離れる時に、私たちが交わした言葉をまだ覚えているか?
……
私はイェラグを飛び出して良かったと思っている。
外に出てみてようやくわかった。門戸を閉ざしていても独力のみで世を渡っていける──そんな時代は終わった。
過去百年、国家間においては数え切れぬほどの交流や衝突があり、クルビアのように衝突を経て急速に台頭する国がある一方、ガリアのような強国が、衝突により徹底的に滅ぼされることもあった。
諸国が天災により分断される時代はまさに終わりつつある。往来の拒絶はもはや現実的な選択肢ではない。
イェラグがもし今までのように、門戸を閉ざしてさえいれば平穏な生活を送れると思っているのなら――
我々を待ち受けているのは、破滅のみだ。
千年の平和と安らぎはすでに終わった。他人が扉を叩くのを何もせず待ってばかりではいられないのだ。主導権がイェラグにあるうちに、門戸を開き歩み出さなければならない。
手を貸してほしい、ノーシス。
……フンッ。
はぁ、マジでイライラするな。
文句言うな。こっちまでイライラしてくるだろうが。
しっかしわからねぇな……どうして旦那様はノーシスを閉じ込めておくだけにしてんだ?
あんな裏切り者、さっさと首をはねちまえばいいじゃねぇか。
わかってねぇなお前は……ただ単にあいつの首をはねるだけじゃ、旦那様の怒りは収まらねぇだろ?
旦那様はノーシスにあんなに良くしてやってたってのに、その恩を仇で返したんだぞ。
たっぷり痛めつけてやらねぇとダメだろ?
それもそうだな……けどよ、すぐにでも他の両家とやり合うことになるんだろ? 俺は早いとこ前線に行きてぇぜ。
チッ、この戦闘狂が。あっ──
旦那様。
ノーシスの様子は?
はい、すでにまる一日、飲まず食わずです。
ひと言も発しないどころか、俺たちが呼んでも反応すらしません。
私が話してこよう。
はい。
……旦那様はノーシスと何を話すってんだ?
さあな。
ノーシスの奴は、旦那様にとっちゃ腹心の部下だったろ? だからその面目を保って死なせるために毒酒を渡す……とか?
お前、歴史小説の読みすぎだろ。
しかし──
ラタトスは大長老側に付いたようだ。
いずれそうなることはわかっていただろう。
君の行いのすべてがイェラグのためであることなど、誰が信じる。
会社の者たちでさえ、そのほとんどが「自分はカランド貿易という会社のために働いている」と、そう思っている。
……直接的に戦争を起こすのは、苦し紛れの最終手段でしかない。
君には懸念点が多すぎるのだ。
実際、他の両家を滅ぼしてイェラグを再建する方が、君が今考えている「体裁の良い」やり方よりもはるかに楽だ。
暴力のみで権力を奪い取れば、イェラグはその者を心から受け入れることはない。
ならば、私がやろう。
私が懸念することなど、君に比べればはるかに少ない。
……お前が何をやると言うんだ?
とぼけるなよ、エンシオディス。
考えたことがないとは言わせない。
罪人の子、そしてカランド貿易の汚点である私が再び裏切るのは、ごく自然な流れだろう。
……
エンシオディス、私は君の駒ではないし、部下でもない。
私は君のビジネスパートナーだ。
たとえ君が同意しなくても、私はそれを実行する。
いや、君が同意しないというならば、むしろその方が都合がいい。私たちの茶番劇が、より真に迫って見えるからな。
元よりこのイェラグに私の居場所はないのだ。それが私を受け入れようと受け入れまいと、そんなことはどうだっていい。
悪名を少しばかり多く背負うだけだ、どうということはない。
……
……
……
今何を考えている?
君は二十年前と何も変わっていないと思ってな。
というと?
完璧主義で、自信過剰。
君は常に「完璧な結果」を得ようとし、そして自分ならそれを得られると確信している。
「完璧な結果」か。それはつまり、アークトスとラタトスが我々の目の前に立ちはだからず……
大長老もイェラグに起こる変化を素直に受け入れ、その後すべてが自然と私たちの望む段階へと移行する、と言ったところか。
それは完璧な結果とは呼べない。せいぜい完璧な夢物語程度のものであることは、君もわかっているだろう?
彼らには、君と私が見ているものは見えない。ならば、彼らに我々と同じ考えを持つことを期待すべきではないのだ。
だが、お前と私の考えもすべてが同じというわけではない。
繰り返すが、私は君の駒ではないし、部下でもない。
私には私の考えがある。我々が共に歩んでいるのは、互いの考えに多くの共通項があるからに過ぎない。
それとも君は、些細な考え方の違いから、本当に私を裏切り者として処分しようというのか?
……
薄暗い明かりの下、エンシオディスがノーシスに手を差し伸べた。
私はただ、お前という親友がいることを幸運に思っているだけだ。
……
一瞬の沈黙の後、ノーシスはようやく手を伸ばし、エンシオディスの手を握った。
言っただろう、悪名を少しばかり多く背負うだけだと。そんなことにはとうに慣れている。
──握手を交わす二人の姿は、あの頃のままだった。
アークトスはすでに兵を集め始めている。
ラタトスは?
これを見ろ。
……あからさまな罠だな。
だが行く価値はある。
無意味なリスクを許容できるほど、状況は明らかになっていない。
ノーシス、我々はすでに勝利しているのだ。
我々の本来の目的はすでに達成された。今や、ペイルロッシュ家とブラウンテイル家は、イェラグの反逆者となった。
ブラウンテイル家に忍ばせている者たちが、我々に代わり世論を誘導してくれるだろう。そしてペイルロッシュ家の者は頑固ではあるが、素直でもある。
領民全員がアークトスの「罪」を理解すれば、ペイルロッシュ家の扉の大半は、自ずと我々に開かれる。
となれば、充分な時間をもって今後の計画に当たることができるだろう。
アークトスとラタトスが、おとなしく引き下がるとは思えない。
それがまさに、私がラタトスに会いに行く理由だ。
もしラタトスが、私と共にヴィクトリアへ留学に行っていたなら、私にも勝るとも劣らない実力を身につけていたかもしれない。
そんな彼女が持てるすべてを振り絞ったカードを切ってきたのだ。付き合ってやらねば、あまりに無粋というものだろう。
君はいつかその尊大さに命を落とすだろうな、エンシオディス。
たとえそうであっても、今回はそうなり得ない。
アークトスに関しても、全く不安材料にならないとは言い切れない……これもまた、このタイミングでお前に出てきてもらう理由のひとつだ。
あれはただの知性の足りない男だ。奴に何かできるとでも?
アークトスだけでは何もできはしないだろう。しかし、そこに関与してくるのはDr.なのだ。
あの者の存在こそが、この一局における最大の不確定要素であり、真に備えなければならない相手だ。
Dr.。
その者がイェラグに来てから、いくつか予想外の行動を起こしたことは認めよう……しかし、本当に君がそこまで重要視するだけの価値はあるのか?
イェラグを全く理解していなかった者が、いつの間にか舞台の大役を担い、我々の計画を大きく混乱させた……
同じことをやれと言われても、私にできるかはわからん。
さらには、あの者が次に何をするつもりなのか、そして何ができるのか予測がつかない。何もできないかもしれないし、あるいは──
私ですら思いつかないことを成し遂げるかもしれない。
フンッ、君に忠告するのはこれが初めてではないが──もし負けることを恐れているのなら、挑戦を楽しんでいるような素振りはやめた方がいい。
皆は騙されるが、私を騙すことなどできない。あのカジミエーシュから呼んだ護衛の女もだ。
ならばこの反論も初めてではないな――駆け引きを楽しむことと、負けず嫌いは矛盾しない。
駆け引きの楽しみのほとんどは、結果ではなく、勝利へのあらゆるプロセスがもたらすものだ。
その考えこそ、私が君に最も共感できない点だ……まあいい。私はただ、君がそのような尊大さに殺される前に、君を救い出す機会があればいいと望むのみだ。
それについての議論は次の機会に預けよう。いずれにせよ、私がラタトスとの会合に出向いている間は、指揮権をお前に委ねる。
カランド貿易の者が私の指示に耳を貸すのか?
ヴァイス、マッターホルン。
二人が、お前に代わり命令を伝える。
ノーシス、事情はすべて聞いた。これまで苦労をかけたな。
僕もまさか、あなたが裏切り者のフリをしていたとは……
社交辞令は不要だ。
チッ、ようやく時間ができたと思っていたのだがな……
研究が滞ってどれほど経っただろうか。少なくともここに閉じ込められていれば、本を読むことくらいはできたのだが。
お前は私のビジネスパートナーであり、これは我々の共同事業だ。研究をする時間は今後いくらでもある。
……それは君が無事に戻ってくることが前提の話だ。
そろそろ出発よ、エンシオディス。
では任せたぞ、ノーシス。
……
……
ちょっと気になってたんだけど……大典でのあれ、本気だったの?
だとしたら何か問題でも?
だったら時間を作ってリハビリすべきね。
昔よりも腕が落ちたわ。
心配無用だ。
あなたは辛うじてあたしの相手ができそうだから、気に掛けてあげてるのよ。退屈な日々には飽き飽きなの。
術師はただの副業だ。
もう少し戦えれば、演技もより真に迫ってたはずよ。
……
でも、あなたが感情をむき出しにする姿は初めて見た。
悪くない演技だったわ。
……演技じゃないんでしょうけど。
……
ノーシスさん、これから──
……メンヒはどこだ?
……メンヒさんは別の部屋で軟禁されています。案内しますよ。
彼女は今回の件を知っているのか?
いえ……旦那様いわく、あなたから告げてやるのがいいだろうとのことでしたので。
……案内してくれ。
……
ノーシス様……
メンヒは靴の中から、大切に隠し持っていた短剣を取り出した。
かつてノーシスが実験の合間に作った彼女へのプレゼントだ。
彼女は虚ろな目で、短剣の刃をそっとなでた。
……馬鹿な真似はやめるんだ、メンヒ。
……
……どこにもお怪我はなさそうですね。
よかった……
私は大丈夫だ。
むしろ今回は、君に大いに苦労をかけてしまったな。
私は……以前に申し上げた通りです。
ノーシス様のお申し付けであれば、どんなことも辞さない覚悟だと……
……
……その反応を見るに、今回の件をおおかた察したようだな。
すべて、私とエンシオディスが計画したことだ。
……
やはりそうでしたか……
崖の下で、示し合わせたかのように待機していたシルバーアッシュ家のヴァイスに助けられてから、ずっと考えていました。
もしすべてが計画されていたものだとしたら、私はその舞台上で、一体どんな役を演じているのだろうと。
あなたが現れて、ようやく自分の役柄を悟りました……
……
すまない。
……謝らないでください。そんな必要、一生ありません。
メンヒ、君の意志を否定はしないが、私も言うべきことは自分で判断する。
……
エンシオディスと衝突し、カランド貿易を追われ、その後ラタトスと接触した――それらは初めから、計画の一端だったのだ。
この計画を知る者は最小限に留める必要があった。だから君にも話さなかった。
……
私もエンシオディスも、この計画の危険性をよく理解していた。
私は計画を細部までコントロールすると共に、あらゆる行動に万全を期さねばならなかった。これは普段の実験とは異なり……我々にとって二度とないチャンスだったからだ。
それにより君に不快な思いをさせたのであれば、私は君に謝らなければならない。
……
いいえ……そんなことは……そんなはずは……
……
どうして……
何だ?
あなたが何を考えていようと、どんな計画があろうと、私は絶対に……
絶対に……あなたのお力になるというのに。
……
どうして信じていただけなかったのですか……
……私のことは……信じていいのに……
……
メンヒ、わかってほしい。
君を完全に信頼していたからこそ、最も重要な役割を、このような胡乱な状態で君に任せた。
私は君を信じている──最も優秀な部下として、私の計画に沿って完璧に動いてくれるに違いないと考えたのだ。
……
あまり思い詰めないでくれ。今回、君は本当によくやってくれた。無事やり遂げたのだから、もう気を張らなくていい。
しばらくは、ゆっくり休んでくれ。
……
……今は言葉を交わす気になれないようだな。
また来る。
……
私を信じている……?
心の底から、私を信じると言ってくれた人は……今どこにいるの……
……
ノーシス様……今回、私はあなたを信じられるのでしょうか?