風雪一過 BI-8・戦闘後
チェックメイト
……あなたサルゴン宮廷の人間?
……昔の仕事だ。
まさかサルゴンの剣術まで知っているとはな。
アーツは興味ないから全然覚えられないけど、武器に関することは忘れたくても忘れられないのよ。
黒騎士が天性の武者と称されるゆえんだな。
天性?
フッ。
「アーツを使えないリターニアの不良品」から、「天性の武者」って呼ばれるようになるまで、どれだけかかったか知ってる?
まさか痛覚がないのか?
子供の頃に、毎日寝る時以外は苦痛に耐えるって生活をしてたら、誰でもこの感覚に慣れるものよ。
あなたはどうなの? 死と隣り合わせた経験はどのくらい?
そんなものをわざわざ数えていた知り合いで、長生きした奴は一人もいない。
それよりも、黒騎士は商業連合会への協力を拒んだことにより、三連続チャンピオンという実績を持ちながら追放の後に命を狙われ、カジミエーシュの辺境に姿を消したというが……
だから?
かつては権力に屈しない象徴として名を馳せた騎士が、今では陰謀家の護衛として、クーデターに加担するか。
その是非を問うわけではないが、それでも少し残念だな。
私はてっきり、あなたたちロドスならエンシオディスの考えを理解できると思ってたんだけど。
理解できるかと受け入れられるかはまた別の話だ。
実際、ドクターはエンシオディスの考えを理解しているとは思う。
そう。まぁ、エンシオディスや自分の弁明をするつもりはないわ。そんなの面倒だし、する必要もないもの。
あの男が一体何をしたいかは、その目で見届けるといいわ──今日を生き延びればの話だけど。
いくつもの難所を越え、ついにエンシアは崖の縁まで登り詰めた。まもなく崖の上へよじ登るというところで、すぐ近くから声が聴こえたため、彼女は反射的に手を止めた。
あーあ、麓も山頂もめちゃくちゃだな。
そうだな。まさか大長老が倒れるなんて……下ではアークトスが、兵を引き連れて突っ込んできてるらしいぜ。
もうこれ以上の大ごとは起きないと思っていたんだがな。これじゃこの先もどうなるか全くわからんな。
俺はむしろ最初っから、あれで騒ぎが落ち着くなんて思ってなかったぜ。ただ、こんなことになって、ちょっと悲しいけどな。
というと?
俺たちが蔓珠院を占領してから、エンヤお嬢様──いや、巫女様が主導権を握ったのは明らかだろ?
大長老が倒れた今となっては、蔓珠院全体が完全に巫女様に従っている。
そして山の下では、エンシオディス様が全体を掌握している。
……
言われてみれば確かにそうだな。山の上は巫女様。山の下ではエンシオディス様か。
お前の言うように、これじゃこの先どうなるかなんて全くわかったもんじゃないな。
……俺たち下っぱは、そんなこと考えたってどうにもならんがな。
そうだな、こんなこと考えててもしょうがない。
さ、見回りに戻ろうぜ。もうしばらくしたら俺たちも下山するよう言われるかもしれないな。
……お姉ちゃん。
おい、ありゃ何だ!?
食料庫が燃えている!
何だって!? 早く消しに行かないと!
フンッ、ちょろいわね。
さすがはスキウース様、あなたらしいやり方ですね……
どういう意味よ!?
いえ、褒めたつもりなのですが。
フンッ! 燃えても後で建て直してやればいいのよ。この状況でやり方なんて気にしてられないでしょ!
ぐずぐずしないで。ユカタンが閉じ込められてる場所はもうすぐそこよ! あいつらが火事に気を取られてるうちに!
はっ!
……ヤエル。
何かしら、巫女様。
大典の際、群衆の中であなたを見かけたのですが、そばにフードをかぶった人がいましたね。
ええ。
聞くところによると、その方こそエンシオディスが招いたロドスの大事なお客様なのでしょう? ドクターと呼ばれているとか……
そして、その方は今、アークトス側に付きエンシオディスと対立しているのですね。
……巫女様に隠し事はできないわね。
あなたはどうやってそのドクターと知り合ったのですか?
下山してあなたの手紙を送り届けた時に、偶然ね。
……そういうことにしておきましょう。
どうして急にその人の話を?
……
一度お会いしてみたいのです。
え?
経緯こそ存じ上げませんが、今その方は明らかにエンシオディスの反対側に立っています。
その方の考えを伺いたいのです。
……
私は自分のやるべきことこそ疑っていませんが、決断が遅すぎたのではないかと危惧しています。
そこで、その方の協力を仰ぐ必要もあるかもしれません。
その点については……心配いらないわ。
なぜです?
その人の使者が、すでにあなたの背後に来ているから。
!?
お姉ちゃん!
あなたは、エンシア……あぁ、どうやら私は、ついに幻覚を見るようになってしまったのですね。
もぉ~っ! お姉ちゃん、あたしは幻覚じゃないよ。本物のエンシアだよ!
──!? エンシア、本当に本物なの!?
そう言ってるでしょ。信じられないなら触ってみる?
……!!
エンヤは震える両手で目の前にいるエンシアに手を伸ばす。
しかし彼女は、突然現れた妹が幻ではないかとひどく恐れ、触れるのを躊躇していた。
そんな彼女の手が触れるのを待たず、エンシアはすでに彼女の胸の中へと飛び込んでいた。
そして彼女はすぐに確信した。自分の胸に飛び込んできた人物は、紛れもなく最愛の妹であると。
……
本当にあなたなのね、エンシア……本当に。
お姉ちゃん、会いたかったよ。
私も会いたかったわ、エンシア。
外で元気にしてた?
病気の具合はどう?
ロドスってどんな場所なの?
もう、お姉ちゃん、それ全部手紙で聞いたやつじゃない……
あのね──
Sharpが数歩後ろに退がり、かすかに息を吐いた。
彼はその生涯の中で数多くの強敵に遭遇し、ロドス所属の強者たちとも腕を競ってきた。直接手合わせしたことのない相手でも、彼らの実力をその目に収めてきた。
だがそんな彼も認めざるを得なかった。このデーゲンブレヒャーのような相手……彼女のような「純粋なる力の権化」には会ったことがないと。
スピードとパワー、それはすべての戦士が備えてしかるべき基本的な素質である。
しかし、デーゲンブレヒャーはそれ以外に何も備えていない……なぜなら、それ以外に何も備える必要がないからだった。
すべてを凌駕する圧倒的パワーとスピードを有する者に、それ以上何が必要だろうか?
幸い、Sharpがエリートオペレーターになれたのも、その二つを備えていたからだ。
......
……
エンシオディスを相当信用しているようだな。
どうしてそう思うの?
金のためであってもここまでする奴はそうそういない。
それにお前は、そもそも金で動くような奴じゃないだろう。
そういうあなたは? 口ではただの仕事とか言ってるけど、もう完全に仕事の範疇を超えてるわよ。
俺は自分の気に入った仕事しかやらない。
あっそう。……私はカジミエーシュが嫌いだった。あそこは騒々しいし、誰も彼もがやかましい。
はじめはイェラグも好きになれないって思ってたわ。
でも、意外といいところよ。
素晴らしい理由だな。隠居生活の地盤を固めておくのも大事ということだな。
申し合わせたかのごとく、双方ともに数歩、後ずさった。
相手を倒すには、これまでと同様の攻撃では意味がないことを、互いに悟ったのだ。
さらなる奥の手を出さざるを得ないだろう。
デーゲンブレヒャーは剣を投げ捨てると、腰から二本の鐧(カン)を抜いた。
Sharpもまた、盾を投げ捨て、両手で刀を握りしめた。
若木から伸びた一本の枝が、雪の重さに耐えきれずに、「パキリ」と音を立てる──
──同時に、Sharpとデーゲンブレヒャーの姿が、その瞬間までいた場所から消えた。
あなたったら、驚きすぎて何から話せばいいかわからないわ。
人の目を避けるために、麓から崖を登ってくるなんて。
えへへ、そうでもしないとお姉ちゃんに会えないでしょ。
さっき、ドクターという人があなたを来させたと言っていたわね。
何のために来させたの?
お姉ちゃんのそばにいてあげるべきだって言われたんだ。状況に応じてお姉ちゃんを守るか、連れて逃げろって。
状況に応じて?
うん……ひょっとするとお兄ちゃんが、お姉ちゃんに何か良くないことをするかもって。
……
えっと……
お姉ちゃん、あたしの考えはこうだよ。
お兄ちゃんには自分の考えがあって、きっとあたしじゃ止められないんだ。
でも、もしお兄ちゃんの考えが最終的にお姉ちゃんを傷つけることになるんなら……
あたしは命を懸けてでもお兄ちゃんを止める。
……
ドクターがなぜ妹を自分のもとへ送り込んだのか、エンヤは唐突に理解した。
守る、あるいは逃げる──これらは、ドクターが妹に与えたもっともらしい指示に過ぎない。
ドクターは私の考えも読んでいるに違いない。私が妹に会うということ自体が、事態を大きく変化させるということを理解しているのだ。
エンシアが私を守る?
エンシアが私を連れて逃げる?
いや、逆だ。
私こそがエンシアを守るべき人。
私こそがエンシアを連れて逃げるべき人。
そして私こそが──立ち上がって戦うべき人。
エンシア、昔編んであげたミサンガ、まだつけてたのね。
もちろんだよ、これからもずーっと外さないよ。
もうボロボロじゃない。時間ができたら、また編んであげるわね。
ほんとに!?
ええ。
それで、エンシア。
ん?
今はお姉ちゃんに、手を貸してくれる?
いいよ、何をすればいいの?
そばにいてほしいの。
……
(外は静かだが、あの二人の看守はまだいるはずだ。)
(窓……この角度で気付かれないように脱出するには、まずは看守をどこかにおびき寄せるしかないな。)
(巡回の奴は……一日に五回ほどここを通る。恐らくまもなくのはずだ。)
(無理やり鍵を壊せば目立ちすぎる。だが、もしこじ開けられれば……)
(……きっとチャンスが来る。)
……エンシオディス様は……今回こそ……
(──来た! 巡回だ。)
三家……衝突は避けられそうにない……だが……
……ブラウンテイル家の……燃え……スキウース……
(スキウースだと……!?)
(ウースがどうしたって? まさか何かあったのか!?)
(クソッ、遠すぎてよく聞こえない!)
(……いや、きっと大丈夫だ。まずはここからなんとか脱出して、それからウースとお義姉様に合流して……)
待て、何者だ!?
早くそいつらを止めろ──グハッ。
──!?
(何の音だ? 入り口で何かが起きている……)
ユカタン、大丈夫!?
ウース!? なぜここに──
なぜここに、ですって? バカなこと言わないで、あなたを助けに来たに決まってるでしょ!
ほかの人じゃ頼りになんないから、あたしが助けに来たのよ!
そんな……危険すぎる!
ウース、部下は何人連れてきたんだ? お前が自分で来るなんて……僕のために危険を冒してほしくないんだ!
……
ユカタン。
それ以上言ったら、ぶん殴るわよ。
なっ……
いい!? あなたがあたしのために危険を顧みないというのなら、あたしだって同じなのよ。
わかった? 二度と忘れちゃダメよ!
……あたしを一人で置いていくなんて許さないんだから。
ウース……
そんなことはしない……わかってるだろ。
フンッ、もちろんよ!
とにかく無事でよかったわ……さあ、行くわよ! 今はまだほかにやることがあるの。あなたを救出したら別の任務に取り掛かるってラタトスに約束したんだから。
任務?
スキウース様! シルバーアッシュんとこのヴァイスが、兵を連れてここにやってきます!
ほら、もう来ちゃったわ。詳しい話はあとでゆっくりしてあげる。とにかく、あたしたちの任務はシルバーアッシュを目いっぱい困らせることよ。
それと……探したい人もいるんだけど、まあ、これはあと回しにしましょ!
正直状況はあまり良いとは言えないわ。ヴァイスもなかなか厄介な相手だし……でもあなたがいれば大丈夫! でしょ、ユカタン?
……
当然だ。お前が必要とするなら、僕がずっとそばにいる。
包囲網を狭めろ!
アークトスを山道に行かせるな!
旦那様、このままだと囲まれます!
……フンッ、強行突破もここらが限界か。
アークトス様、投降してください。
ヤーカ家のせがれか……エンシオディスのどんな甘言に乗せられてそこまでの忠誠を誓ったというのだ。
ペイルロッシュ領でもその名が知られるほどのヤーカ家が――
まさかイェラグを支配しようとするエンシオディスに加担するほど愚かだったとはな!
……
投降と言ったか?
ありえん。
アークトス様を捕らえろ……できるだけ生きたままで。
……
来るがいい、シルバーアッシュ家の愚図どもめ! 死にたい者からかかって来い!
……!?
……オーロラさん!?
まさか──
ドクター!?
デーゲンブレヒャーが向かったはずでは……
ドクター、やっと来たか!
ハハッ、確かにイェラグの雪は異邦人にとっては厄介だろうな。
構わん。まさに願ってもないタイミングだ!
フン。援軍も到着した今、もう俺たちは止められんぞ。
アークトス、喜ぶにはまだ早いのではないか?
エンシオディス!
ドクター、久しぶりだな。
お前とは語らいたい話題がたくさんあるが、残念ながら今はその時ではない。
エンシオディス、今すぐこの腑抜けた包囲網を打ち破り、巫女様を救出して見せよう! 全イェラグに向けて貴様こそが逆賊だと証明してやる!
そうか。期待している。
戦士たちよ、ペイルロッシュ家の古来よりの責務を思い出せ!
「イェラグを外敵から守り、この土地に安寧を守ることだ!」
今! エンシオディスは巫女様に害をなすばかりか、巫女様を自らの道具に仕立て上げようとしている!
我らペイルロッシュ家がそれを認めるのか!
「認めない! 認めない!! 断じて認めない!!!」
時は満ちた……俺に続いてカランドに突貫せよ! エンシオディスを打ち破り、巫女様を救い出せ!
「エンシオディスを打ち破り、巫女様を救い出せ!」
「エンシオディスを打ち破り、巫女様を救い出せ!!」
「エンシオディスを打ち破り、巫女様を救い出せ!!!」
……
巫女様、何をなさるおつもりです!?
山を下ります。
ですがエンシオディス様が──
一体いつから、身共の行動にエンシオディスの同意が必要になったのですか?
「チリン」「チリン」「チリン──」
澄んだ鈴の音が寺院に響き渡る。
次の瞬間、エンヤとエンシアを除き、その場にいた全員が地面に倒れた。
お姉ちゃん……すごい。
ヤエル。
巫女様、どうして私がいるのがわかったのかしら?
あなたは聡いですから、どこかに隠れてこの状況を見ているだろうと思っていました。
私はカランドを下ります。後のことはあなたに任せましたよ。
えっ、こんな面倒なことを私に押しつけるの?
ええ。山の下ではより面倒なことが待っているからです。
そう言われちゃ、どうしようもないわね。
……
あなたは知らないでしょうけど、歴代巫女の選抜のたびに、私は侍女に扮して、試練を受ける子たちを陰から観察していたのよ。
あなたはあの年の六人目だったわね。
元々あなたにも、何ら期待していなかった……最近の巫女たちは、みんな退屈な子ばかりだったからね。
候補の子たちはみんな、強靭な肉体を持っていたのかもしれない。でも強い意志を持つ子はいなかったわ。結局、最終的には長老たちの操り人形になっていった。
時々考えていたの。彼女たちが──この国の人々が停滞してしまうのは、イェラグがあまりに閉鎖的だからではないかって。
でもあなたは違った。
あなたはとても面白い子だったわ、エンヤ。
巫女になるためじゃなく、怒りと失望に衝き動かされて選抜に参加するなんて、普通考えられないもの。
あなたが吹雪に凍えながらカランドの山道を歩いていた時……体力が尽き果てても諦めようとしなかった時、あなたが心の中にずっと抱いていたものは──
巫女になるという意志でも、イェラガンドの代理人にならなくてはという責任感でも、イェラグ人の幸せを願う祈りでもなかった。
あなたが抱いていたものは、兄に対する失望、他の両家への嫌悪、巫女になり彼ら全員を見返してやりたいという怒り。
そしてそれ以上に私を驚かせたのは、あなたのイェラグに対する考え方よ。
もちろん、正しくはあなたたち兄妹が揃って私を驚かせたと言うべきだけれど。
あなたの兄は早くから答えを出していたわ。
そしてあなたは、あなた自身の答えをずっと模索していた。
ここ数年、あなたは蔓珠院から受けるあらゆる冷遇に耐え、人々を助ける様々な方法を探していた。結果的に、それらがあなたの糧となった。
そして今、それらの糧によってあなたは成長し、今回のような騒動の中でも自分を見失うことなく、あなた自身の選択をした。
私の子、私の代弁者、私の友人、私の姉妹――あなたに、祝福を贈るわ。おめでとう。
道を示してあげられないことを許してちょうだい。私はこの土地に自らの烙印を軽率に押してしまったことを、今でもずっと後悔しているの……
でもせめて今は、あなたの門出に際し、心ばかりの彩りを添えさせてもらうわ。
静寂の中、ヤエルは微笑みを浮かべ、軽く二回手を叩いた。
「パンッ」「パンッ」
そして、すべてが変わった──
痛くもかゆくもねぇぜ!
くっ……
ヴァレス、アークトス様は、確かにお前に取り返しのつかねぇことをしたのかもしれねぇ──
だが、エンシオディスの野郎だってろくな奴じゃねぇだろうが!
言ったはずです──
イェラグは変わらなくてはなりませんの!
これは、あなたのように優秀な戦士をもう二度と無駄死にさせないためでもありますわ!
俺にお前を殺させないでくれ、ヴァレス。
それは私のセリフですわ、グロ将軍。
双方が一歩ずつ退がり、身構えた。
今日、恐らくどちらか一方がここで倒れなければならないことを、二人は感じ取っていた。その時──
……何だありゃ?
雲が……散った?
……
くっ、しぶといですね。甘く見ていました。
ですが、僕を倒したところで何の意味もありませんよ。
あなたたちでは旦那様を止められません。
……構わない。
お義姉様──ラタトス姉さんはずっと、イェラグに対して自分の理想を持っていた。
人々の歩みを進め、良い生活を送れるようにすることを望んでいたんだ。
ただ、それを実現する力がなかった。
だから、あの人は、あなた方の言うところの「狡猾なラタトス」になるしかなかったんだ。
あなた方からすれば、姉さんはただの邪魔者かもしれない。
しかし私にとっては、あの人はいつまでも敬愛する姉さんなんだ!
ユカタン……
……
あなたたちに個人的な恨みはありません。諦めてくれさえすれば、あなたたちの身の安全は保証します。
だが、私たちも大人しくエンシオディスとお義姉様の交渉材料になるつもりはない。
どけ、シルバーアッシュ家のヴァイス。さもなくばあなたを殺す。
……それは僕のセリフですよ、ブラウンテイル家のユカタンさん。
今日、ここから出ることは叶いません。
ユカタン、頑張って!
えっ……?
カランドの方角……雲が裂けた!?
Sharpが振り返ると、デーゲンブレヒャーは鐧(カン)をゆっくりと腰に戻していた。
彼らの周囲は、まるで天災が一瞬で大地をなぎ払ったかのように、至る所に裂けた木々や砕けた岩が転がっていた。
Sharpは自分の手から刀が滑り落ちたことに気付かなかった。彼の右腕はすでに感覚を失っていたのだ。
彼は負けた。
三ヶ月は右腕を酷使しないことね。
忠告感謝する。どうやら短期の病欠を申請する必要があるらしい。
落ち込んだりはしないのね。
この戦いの勝ち負けは、作戦に何ら影響しない。
お前をここにこれだけ足止めした時点で、俺の任務は完了した……あとはほかの奴らがやってくれる。
仕事は終わった。終業の時間だ。
あなたにとって、仕事ってそんなに重要なの?
言っただろう、プロ意識を重要視していると。
良い雇用主とはなかなか巡り会えない。少なくとも俺は、この仕事を大事にしているということだ。
お前は? 俺が時間稼ぎに来たことを初めから知っていて、それが達せられた今となっても平然としているようだが。
……
少し興味があるのよ……あなたが私を止めたとして、あなたたちに何ができるのかってね。
どうやらエンシオディスの護衛は、噂で聞くように彼の敵を問答無用で一掃するような奴ではないようだ。
人々が知るのは、エンシオディスが黒騎士を金で買い取ったということだけ……それは黒騎士がエンシオディスを認めたということと同義だとは思っていないのだろう。
お前はエンシオディスと同様に傲岸不遜な奴だ。
……あなたの名は覚えておくわ、Sharp。
俺の名など覚える必要はないさ。だがドクターの名前は覚えておくといい。
――あれは?
カランドの方角か。一体何が起きた?
……
……
戦士たち、整列!
はっ!
全軍──
──!
……!
──!?
何が起きた?
その瞬間、時が止まったようだった。
巫女の足音だけが山にこだまする。
吹雪はいつの間にか止んでいた。
空を埋め尽くしていた黒雲が、彼女に道を開くように、ゆっくりと両側に裂けていった。
雲間を突き抜けた光が巫女の行く道を照らす。巫女が天から降りてきたのではないかと、人々はふいに錯覚を起こした。
あるいは、錯覚などではないのかもしれない。
神……
神の御業だ。
これは神の御業だ!!!
その瞬間、すべての戦士の胸中にあるのは、たった一つの思いだけとなった。
──巫女に敬虔なる祈りを捧げねば。
ヤエルさん。
下がっていいわ。私が大長老を看るから。
はい。
……
考えてみれば、本堂は何度も修繕されてきたとはいえ、その年齢は恐らく主よりほんの少し若い程度ね。
大長老という肩書きも、ほとんど同じよ。
……
イェラグの団結を今日まで存続させたのは、蔓珠院の存在であるということは誰も否定しないわ。
でも、これまで正しかったことが、今も正しいとは限らない。
もし時代に適応できなければ、どれだけ強大であろうとも、それは捨て去られる運命よ。
イェラグはここで歩みを止めるべきではないわ……少なくともそれを望まない人がいる。
大長老、良い夢を。
あなたも、そしてあなたたちも、今までお疲れ様。
……どういうことですの。
……ありゃ何だ?
まさか、神の御業ってやつか……?
カランドで何が起きたのでしょう?
……全員、戻れ。
何が……起きたの?
これは……まさかイェラガンドが起こした奇跡か?
……
イェラグは……これからどうなるんだ……
……まぶしいわね。
教えて、これもあのドクターの計画の一部なの?
俺にもわからん。
オペレーターたちは皆、口を揃えてドクターにできないことはないと言うが……
正直、もしこれがドクターの計画の一部なら、あるいは少なくともこの可能性を予想していたというのなら……あまりにも桁外れだ。
……
お姉ちゃん、あたし怖いよ……
怖がらないで、エンシア。
お姉ちゃんがあなたを守る。
お姉ちゃんが……イェラグを守る。
山道にいるすべての兵士たちがこの瞬間、武器を置いた。
生涯を通じて信仰してきた雪山の神が、今まさに奇跡を起こした。真の主の前では、争いごとなどあまりに矮小で馬鹿馬鹿しかった。
……
……ペイルロッシュ家当主、アークトス・ペイルロッシュ。ここに主の代理人である巫女様へ、敬虔なる祈りを捧げます。
短い沈黙の後、彼はゆっくりと巫女に礼を行い、片膝をついた。
その場にいたすべてのペイルロッシュ家の戦士たちも、彼の所作にならって次々とひざまずく。
……エンシオディス、君は今、後悔しているか?
後悔?
私の最初の意見を聞き入れず、さらにはあのドクターをイェラグに招いたことを。
我々が負けたと思っているのか?
君の概念において、この結果は敗北を意味すると思っていたが。
過去であれば、確かにそうだった。
だが今日は……必ずしもそうではない。
エンシオディスが一歩踏み出す。
彼はゆっくりと群衆から抜け出して、巫女の前までやってくると、片膝をつき、祈りを捧げた。
そして、シルバーアッシュ家の戦士たちも、揃ってひざまずいた。
こうして、雪山事変は、誰も予想だにしなかった形で幕を閉じた。