登臨意 WB-4・戦闘前
往昔を念はず
モンおじさん! モンおじさん、中にいないの? 聞きたいことがあるのよ!
あたしよ。ドゥ・ヤオイェよ!
嬢ちゃん、扉を叩いても無駄だよ。入り口に掛かってる札が見えないのかい。
夕飯の時にはもう閉まってたぞ、用があるなら明日また来な。
おい、なんで無視するんだ……
モンおじさん! あたしに何か隠し事してるんじゃないの?
これ以上反応がなかったら、勝手に入るからね。
……
おいおい、まだいるのかよ……
どうして今時の若いもんは、みんな夜中に鍛冶屋へ駆け込むんだ。
あれ? あなたは行裕客桟のテイ番頭の……
あんた、前に父さんを訪ねてた若い役人ね?
いつ玉門に? こんな時間になぜ鋳剣坊に?
人探しよ。
あんたの方こそ何しに来たのよ?
捜査です。
役人が鋳剣坊まで捜査に来るなんて、まさかモンおじさんは本当に何かしたの?
あなたの言い方からするに、ここには本当に問題があるようですね……
質問してるのはあたしよ。
……
もしもドゥさんがこの件と無関係であるなら、捜査の邪魔はしないでいただけますか。
どっちが邪魔してるだか……
一閃。月光と見まがう軌跡が、ドゥ・ヤオイェの言葉を遮った。
鋳剣坊の門を閉じていた錠が地に落ち、「一時休業」の札は二つに割れているのを確認したときには、ズオ・ラウはすでに中に飛び込んでいた。
(モンの兄貴に見張るよう言われたが、まさか本当に騒ぎを起こしに来る奴がいるとは。)
(ダメだ、助けを呼びに行かないと。)
何してるのよ!
……
ね、聞いてるの!
あなた――
殴ったからってなに! これが役人の捜査のやり方ってわけ?
出てきなさい!
……
どうぞ。
リーさん。
いやぁちょうどワイフーが出て行くのを見ましてね。ものすごい勢いで、おれが呼んでも気付かない始末でした。
……
大学を卒業したばかりで、血気盛んな年頃ですからねぇ。あの時分は何事も単純に考えて突っ走りがちだ。できれば、ユーシャ嬢ちゃんから色々教えてやってほしいもんです。
リーさんの部下に指図する資格なんて、私にはありませんよ。
なんのなんの、水臭いことは言いっこなしにしましょうや。若者ですからね、見識を広めておくのもいいことですよ。
まああの子の腕なら、多少の悪人に出くわしたところで、心配は無用でしょうけどね。
昨日の夜、お父さんがリーさんを訪ねましたよね。何か頼み事でもされたんですか?
頼み事とまではいきません……人探しのついでに、色々小耳に挟みましてね。探偵の耳っつーのは良く音を拾うもんですから。
もし何かユーシャ嬢ちゃんの捜査の役に立てば、それに越したことはありません。
どうぞお座りになって。話をするなら立ってるのは大変でしょう。
どこから話すとしますかねぇ……
例えばですよ。もしウェイさんと、あなたの親父さんの気が合わないとしたら、龍門はどうなります?
……
「天災が目前に迫っているこの状況で、しかも都市内じゃ山海衆が騒ぎを起こしてて、将軍自ら兵を率いて城門を守ってるんだぞ。こんな時に民間人と会う時間なんてあるはずないだろう?」
「だが、この人は将軍の知り合いだと聞いたぞ。」
「やはり将軍に知らせておこう。万が一本当に何か重要な話があるとしたら困るだろ?」
......
「上がっていいぞ。将軍の許可が下りた。」
「将軍は城楼におられる。」
夜はすでに深かった。
城壁には軍用源石式サーチライトが埋め込まれており、階段に沿って敷かれた明かりは、周囲を昼間のように照らした。
城楼を目指すモン・ティエイーの歩みは遅く、背後にいる兵士も催促しなかった。
彼はもう十年以上玉門の城楼に登っていなかった。
……
……
平祟侯に、ご挨拶申し上げる。
……来意を申せ。
都市から出ることを許可してほしい。
信使部隊が襲撃に遭い、遺体すら残ってないと聞いた。
部隊の中には鋳剣坊の人間も何人かいた。誰かが迎えに行かにゃならん。せめてあいつらが死んだ場所に酒をまいて、砂を持って帰るべきだ。
誰かある。
はっ。
都市封鎖の命は、既に都市全体に伝達したか?
……はい。
……
聞こえたな?
だから平祟侯を訪ねて来たんだ。
門が開かれることはない。
客人、玉門は現在一日数十里の高速で砂漠の只中を移動している。今あなたを出したところで、何の意味もありませんよ……
誰が発言を許した。
そうだな。玉門は現場からもう相当遠くまで離れた。砂漠は風も強いし、あいつらをどうやって連れ戻すってんだろうな。
死者の時は止まったままだ。だが玉門は前進し続けるのだ、遅れは許されん。
信使部隊を殺害した賊は、すでに都市内に潜入している。戒厳令を敷き、一刻も早く奴らを一網打尽にすることこそ、亡くなった者たちへの手向けとなろう。
なら、俺たちにも犯人の調査をさせてほしい。
ここしばらくは街もごたついている、俺たち江湖の渡世人なら、力になれる。
犯罪者を捕らえ、そして玉門の安寧を守ることは、我ら玉門の軍人たる者の責務だ。
かようなことで民の手を煩わせれば、このズオが無能というもの。
……
用件はこれだけか?
あれほどの力を込めて空中で剣を繰り出し、なお当を失することなく自在に収めるとは。
羽獣が川面へと舞い降り鱗獣をくわえて空へと反転する様とは、このこと。水面にただ細波を残すのみの絶技です。姉弟子の力の制御は、また新たな境地に達しましたね。
姉弟子、もう一度見せていただけませんか?
……
さっき驚いて隠れてしまった小さな砂地獣を、もう一度地面から出すことができるならいいですよ。
……それはできません。
いわゆる技や型というのは、人の反応を理解しやすいよう整理したというだけのものです。そして、本来人の反応に決まったものはありません。武術の真髄とは、その場の変化の中にあります。
遍く天下の武術を記録するからには、些細な型の動きばかりにこだわらない方がいい。
「形」は型、「意」は精神、先生も以前にそう教えてくれました。
人というのは、頭ではわかっていながらも、変えられないものがあるのです。
あなたも本当に不器用ですよね。
あれは?
千人隊長が部隊を集結させているようです。
優に百人は超えていそうですね。随分と大きな部隊……
千人隊長、部隊の集結が完了しました。
装備の確認をしたら、街の南にある鋳剣坊まで向かうぞ。総員、俺に続け。
はい。
チューさんと録武官の方だったか。
隊を整えているということは、もしや山海衆の行方を突き止めたのですか?
タイホー御史が鋳剣坊近くで重傷を負ったため、兵を率いて調査するようズオ・ラウ公子に命じられたんだ。
あなた方が動くことを平祟侯はご存じですか?
将軍は外城楼を守っておられてな、昨日すでに、三日の間将軍直属の兵を動かす権限を、公子に与えたのだ。
鋳剣坊の所業であるという、証拠はあるのですか?
具体的なことはまだわからないんだ。
ズオ・ラウはどこに?
公子はすでに一足先に向かった。
タイホー御史が負傷して、公子も焦っているんだ。
……
――
門戸を閉じ、悪党がたむろしていながら鋳剣坊だと? 笑わせる。
目当ての人物はいませんでした。
持燭人と裏でやり取りしていたとは、あのモンという奴はやはり信用なりません。
天災データはまだモンが持っている。あいつを探し出すぞ。
まずはこのガキどもを片づけろ。
あんたたち、一体何者よ! モンおじさんは? あんたたちの手にかかったの、それともあんたたちとグルなの?
……
ダーチーとシャオチーはどこにいるのよ?
……
だんまりを決め込む気?
なら、口を割せてやるだけ――
――刀身がドゥ・ヤオイェの側をかすめる。ズオ・ラウが前へと踏み込んでいた。
彼は何も言わず、険しい顔で、刀を相手に向ける。
ドゥ・ヤオイェが言葉を遮られたのは本日二度目だ。
ちょっと――
何者だ!
ここを壊させてはいけない。
やめて。
庭がぐちゃぐちゃになってる。やるなら外でやって!
……
まだ仲間が隠れていたか。
(くっ――)
どうしてあの剣がこいつの手元に……?
お頭、このガキは手傷を負ってます!
まずはガキを片づけろ。
急に風が吹いたかのように、中庭に細かな砂が舞った。人影がいつの間にか交錯する。
負傷した異族の少女は、傷口を押さえつつ後退し、槐樹の老木にもたれて息を切らす。ドゥ・ヤオイェが近づいていることに彼女は気付かなかった。
覆面をした賊は、再び軒下の影に潜んだ。
年若い持燭人が中庭の中央まで進み、二人の少女の前に立つ。彼の腰にはいつの間にか剣が一本あり、しっかりと固定されている。
私の剣!
いつの間に持っていかれたの? さっきの衝撃……
切断された革が地面に落ちていた。獲物の毛皮で部族の人が作ってくれたベルトだ。しなやかで頑丈であり、剣を縛っておくのに最適だった。
彼女にとって命よりも大事な剣を縛っておくのに。
これは宗師の剣です。
あなたが山海衆と無関係であるというなら、実物が私の手元に戻ってきたことですし、ひとまず剣の件は不問とします。軍営に侵入した罪は、後ほど追及します。
……お前!
返せ!
誰? 止めないで!
あんたの傷は軽くないわ、むやみに動かない方がいいわよ。
あたしは剣とかどうでもいいの。でも、あんたずっと鋳剣坊の中に隠れてたってことは、モン・ティエイーを知ってるわよね。
教えてちょうだい。モンおじさんはどこへ行ったの? 鋳剣坊の中で二人の尚蜀の若者を見なかった?
黙ってるつもりなら、あんたの傷口にもう一発お見舞いするわよ。
……
どうやらこいつらは仲間じゃないようだな。
外にいる者たちは出口を塞ぎ、奴らが逃げないようにしろ。
......
聞こえないか? 返事をしろ!
ふんっ。
その声はすぐ近くにあった。彼が慌てて振り返る。
痛みは遅れてきた。動くにつれて痛みが増し、真っ二つになった通信機器を目にして、ようやっと脳がはっきり斬られたことを理解する。
彼は後悔する間もなかった。
チューお姉さん。
外は片付けました。
!!!
以前市場であなたを襲撃した者の仲間ですね。山海衆ですか?
はい。
軽率が過ぎます。
どうやら、あなたは武術に進歩が見られないだけでなく……
この者たちを捕まえてから、チューお姉さんのお説教を聞きます!
……待って。
先ほどは気付かなかったが、剣を数回しか振っていないのに、手の平には汗がにじんでいた。
……
この庭……この温度……
暑くなってきているようです。
まだ三月で、今は太陽も出ていません。暑くなるわけが……
まさか鋳剣坊の源石鍛造炉……
炉の火はとっくに消えています。
お頭、あの女にうちの者が何人もやられました。
これ以上時間を無駄にするな。
徒に時を費やした自覚があるとは。
三月半ばのこの時期に、季節外れの蝉の声が響く。
空気中の湿気がずんと圧力を増して、衣服がべったりと張り付く。決して早春の露などではない。
その場にいた者たちは皆等しく異常を感じ取った。
一粒の水滴が、チューバイの顔に滴った。
北地の春は訪れが遅く、槐樹の老木に若葉は未だ生えていない――
これは刃に凝結した水滴だ!
――
先生。
モン・ティエイーは?
鋳剣坊にはいません。
……
ちょうど去ろうとしたところに、こいつらに遭遇しました。
その刀……
タイホーさんを傷つけたのはあなたですね!