登臨意 WB-ST-2・幕間
我の信ずる所を信ず
……
以上が事の経緯です。
剣はワイ殿の手に渡りました。彼の腕を考えれば、ズオ・ラウではどうにもできないでしょう。
たった一つの約束のために、三年も玉門を離れず待っていたのか……面白い奴だ。
タイホー殿の傷の具合は?
まだ目覚めていません。
タイホー殿に重傷を負わせたのは一昨日ウェイ殿を暗殺しようとした者と同一人物です。彼女は混乱に乗じて逃れましたが、私では相手にならず、追いつけませんでした。
現在はズオ・ラウが鋳剣坊を封鎖していて、多くの江湖の者たちが……彼の監視下で行動を制限されています。
ただでさえ天災が迫るこの状況で、守備軍と江湖の者たちも完全に袂を分かちました。玉門の情勢はさらに混乱するでしょう。
ズオ・ラウばかりを責めることもできまい。
……この件は、あなたが手を出さなければ解決できません。
ズオ将軍から軍営の守りを務めるよう言われている。大っぴらに反すことなどできるか。
……私が話しているのは、ここ数日間のことだけではないとご存じでしょう。
あなたはもうすぐ玉門を離れるのです。発つ前に、あなたを慕う者たちにきちんと説明をするべきです。
それともなんでしょう。説明に困ることは、いっそ言葉にしない方が楽ですか?
……
皆がお前を私の教え子だと思っているが、この私ですらもお前が何者かを忘れかけそうになる時がある。録武官や、ズオ・ラウと同輩の子供だと、つい思ってしまうんだ。
ですが、私はあなたを「先生」と呼んだことは一度もありません。
そうだな。私は「先生」とは言えない。
お前は勘が良く、剣術もほとんどがお前自身の研究成果だ。私が教えてやれることは、もとから限られている。
しかし私の素性を隠して、玉門に留まらせているのは、他でもないあなたです。
幼な子を、みすみす再度荒野へと戻すわけにはいかないだろう……
側に置いて、殺されるとは思わなかったのですか? それとも私は永遠に、あなたに勝てないと確信しているのですか?
復讐のために殺すだけなら、武で私に勝る必要などないだろう。
飯に毒を盛るとか、この城壁の上から私を押すだけでもいい。機会だけ数えれば、少なくとも私は優に千回死んでいるな。
私を手にかけた後も、お前が執念を手放せないかもしれないことだけが心配だが。
……もしもこの五年がなかったら、今のあなたの言葉を聞いた瞬間に私は、君子面した偽善者だと罵っていたでしょうね。この大地で一番唾棄する存在だと。
五年か。お前が玉門に来てからそんなに経っていたか。
あなたからすれば、大して長い時間ではないでしょう?
なぜだ?
十年ごしなのに、記憶と寸分違わない姿で、相変わらず、無常など見尽くしたと言わんばかりのやるせない表情を浮かべている。私がどれだけ鈍くても、普通の人でないことはわかりますよ。
この大地に、寿命が極めて長い種族がいることは知っています。以前はただの物語として聞いていましたが、まさかその伝説が自分の側にあったとは思いませんでした。
とっくに気付いていたのか。
あまり気にしていなかっただけです。
我が心願は復讐のみ。あなたがどれだけ生きられるかは関係ありません。
それに、あなたが只人ではないと考えるのは、自分に言い訳を探しているようなものですから。
あなたが言ったように、徒歩で高みに登るには、ひたすたに一歩一歩上へと歩み続ければいい。他のことなど、考え過ぎれば、心を乱すだけです。
しかし恩讐や勝敗で心を埋めたなら、たとえ本当に望みを果たしたとしても、その重石を降ろせるとは限らん。
雑念が増せば、剣は鈍る。
只人は、その執念こそを生きる糧にしているのです……あなたならわからないはずないでしょうに。
知り合ったばかりの頃のお前は、これほど人を追い詰める喋り方ではなかったはずだが……
この五年で、あなたからは多くの教えを受けましたから。
私が教えたのは、武を学ぶ心構えだけだ。
教えられるものには限りがある、それはあなたが言った通りです。ですが教えから何をどこまで学ぶかは、弟子次第でしょう。
……
話を戻しますが、私はやはり会いに行くべきだと思います。
あなたを執念としている人は、あまりに多いんですから。
……
大男が消えた……
待ちなさい。
またあなたか……
お嬢さんが賊たちと仲間でないのなら、なぜ剣を盗むのですか? あの医館の人とはどういう関係なんですか?
あいつらのことは知らない、あの大男が誰かも知らない。
自分がどれだけの面倒事に巻き込まれているのか、わかっていないようですね。
あなたを利用しようと、何者かが剣の場所を教えたんでしょう。ですが、あなたは移動都市に住んだこともなく、玉門について何も知らない。
この剣を盗むことが一体どのような面倒事を引き起こすか、あなたにはわかっていません。
ですから、どうか素直に教えてください。そうすればまだ取り返しのつく余地があるかもしれません。
言ったよ。誰の指示でもない、ただ恩返しのためにやってるんだ。
それで自分が命を落とすことになっても?
……とにかく、もうつきまとわないで。
真相がどうであれ、無関係の人が危険にさらされるのを黙って見ていることはできません。
私は、あなたを助けているんです。
……
調子のいいことを言っても無駄。あなたは良い人じゃない。
私はお上の命令を受けて調査しています。先に剣を盗んだのはあなたですから、たとえ事情があったとしても、正当化はできません。
工房にいた人たちを全員軍営に連れて行くよう命じたよね。あれだけでもう信用できない。
彼らは山海衆を庇い立てして、奴らを鋳剣坊から逃がそうとしたんですよ。
違う。あの場所を守ろうとしたんだよ!
容疑が晴れるまで、全員を厳しく取り調べる必要があるんです。天災と賊が人々の安寧を脅かしている今、私には玉門を守る責務があります。
私の部族では、十六歳になった身体の丈夫なアナサに対してだけ、部族の人が専用の武器を作ってくれる。
武器を手にしたアナサは、老人や子供、病気の同胞をずっと守らなければならない。
無関係の人が危険にさらされるの見てられないとか、玉門を守るためとか、それなら簡単に武器を一般人に向けていいの?
私には果たすべき職責があります……
師匠の言ってた通りだ。あなたたちは、もっともらしい言い訳ができるなら、自分が間違ってるとは思わないんだ。
……
あえて速度を落としたのに、誰もついてきていないではないか。
剣はまだ俺の手にあるぞ。お前らは何を悠長にしゃべりはじめてるんだ?
失礼。お二人とは少し誤解があったようです。元の持ち主に返すためその剣を差し出してはいただけないでしょうか。
お前たちの言い争っているのを聞いて、大方は理解した。
この剣は元々宗師のものであったが、この娘が盗み出したんだな。
あの人の武術はすでに人知を超えた域にある。特定の武器に依存することはないはずだ。それなのに、この剣が惜しくてお前に追わせているのか?
秘密事項です。申し訳ないが話せません。
宗師に面倒をかければ、退任の日がまた後ろ倒しになるよな……しかしこの娘を手伝うと約束もした。
うむ……参った。参ったな。
……
そうだ!
俺は理屈など知ったことじゃないが、もっと単純明快なやり方があるな。
お前たち二人とも少しは武術の心得があるのなら、ここで一勝負してみろ。武器の使用は禁止、拳だけの戦いだ。勝った方に、剣を渡してやる。
ふざけないでください。民草の大事に関わることを、戯れで決めていいはずがないでしょう!
私は勝負など絶対にしません――
……時間が惜しい。
梅花拳法、これにより拳と脚の連携を自在にせよ。来た拳は繋ぎ止めて、相手が手を引いたら己の拳を伸ばせ。
至近距離で発勁せよ、力にも正誤あり。意を他に向ければ、その精神はまことに不出来……
ん?
空がわずかに白み、客桟内の従業員はようやく机を拭き、地面を掃いて、今日の厨房で必要な食材を準備し始めていた。
目覚めたばかりのリーの耳に、裏庭の方から羽獣のさえずりと、そして、立て続けに鳴る拳の音が聞こえてきた。
親子ってやつは、切っても切れない縁だねぇ……
お見事、お見事。
リーおじさん……
お前さんがその拳法を使ってるのを見るのはしばらくぶりだな。突然心法か何かに悟って、無策の策の境地に達したのかと思ったよ。
……また冗談を言って。
武術は、そんな突拍子もないものではありません。進歩したければ、日々の厳しい訓練に頼るしかないんですよ。
こいつは一本とられたね。
そういやぁ、初めてお前さんに事務所の使い走りをさせた時、ちーとばかり節度のなってないギャングの奴らと面倒事を引き起こしてたっけか。
おれが気付いて駆けつけたら、倒れたギャング連中の真ん中でお前さんが一人で立ってたね。まるで何もなかったみたいな様子でな。
あの時お前さんは、まだ十六歳だった……
私はちゃんと言葉を身につける前から、武術を学び始めましたから。
そんな昔のことも覚えてるのか?
あの人が、教えてくれました……
少なくともそっちの面に関しちゃ、あいつの教育は染み込んでるな。
古い言葉にはこうあります――「師とは門をくぐらせるもの。修行とはその者の行いによるもの。」と。
でもそうですね、実は「門をくぐらせる」こともとても重要です……
あいつからしたら、それが父親として唯一お前さんにしてやれることだったんだろうよ。
……
弁護してるわけじゃない。父親としては不出来なやつだが、それは別にお前さんが自分の望む人生を送る妨げにはならないだろ。
お前さんの武術は、あいつからの置き土産だと思えばいい。もし嫌なら、嫌いな習い事をやらされたとでも思って捨てちまってもいいさ。
武の頂を追い求めることはあいつの道だ。だがそいつが、お前さんの道であるとは限らないよ。
私は武術が嫌いなわけではないです。当然自分の人生もあります。
私は龍門科学技術大学の機械工学専攻で、優秀な成績で卒業もしました。同時に、リー探偵事務所の従業員であり、ロドスの外勤オペレーターでもあります。
だが、冬青木区の勧善懲悪大義侠じゃあないんだろうな。
必要とあらば、やってみせますよ!
そうか。納得がいったんなら、次会った時、この話をあいつにしてやりゃどうだ。
リーおじさん、やっぱり……
突然ずっと修練してなかった拳法を使い始めたんだ、何かしらの理由はあるってもんでしょう。
ところで、あいつのここ何年もの無責任な行状を考えれば、お前さんに不満があるなら、一勝負挑みに行ったところで、誰も文句はつけやしないと思うぜ。
挑んだ結果、負けたって構わないさ。あいつが今のお前さんの年の頃に、お前さんより優れていたとは限らないだろ。
……
(首を振ってため息をつく)
そこまで。
もう勝負はついた、この娘の勝利だ。
受け取れ。
ひとまず見逃してやる。恩を返し終わったら、戻ってきて医療費を返済しろ。
……わかった。
小僧、お前の刀だ。受け取れ。
相手が負傷しているのに気付いて、やり返さなかったのは見てわかった。負けはしたが、言い訳は立つ。
……
そんな目で俺を見る必要もない。
あの娘は帰ってくると約束した、俺は彼女を信じる。もし約束が違えられるなら、俺に人を見る目がなかったということだ。
その時は、俺が連れ戻してこよう。
もう行っていいわよ。
……なんでそんな目で見るのよ?
怪我はないようね。
ええ。予想外だったかしら、それともがっかりした?
もちろん、あなたが無事な方がいいわ。
無用な誤解を招いて、面倒事に巻き込んでしまったわね。ごめんなさい。
彼らには説明をしておいたから、大丈夫。行っていいわ。
待ちなさい。
さっきここの兵士から聞いたわよ。あの腕章――あんたから倉庫に落ちてったって渡されたやつは、元々一昨日都市の外から拾ってきた証拠品だそうね。
何も説明しない気?
もう知ってるなら、いまさら私が説明することもないでしょう。
ドゥ・ヤオイェの拳が空中で止まる。リン・ユーシャも避けるつもりはなかった。
あのね。知り合ったばかりだし、信じてくれないのも無理ないわ。
鋳剣坊を調査する人間が欲しいなら、あたしだって協力するのに異論はない。
でも、あたしの仲間の話を使って騙し打ちのように利用するのは最低よ。
ごめ……
ストップ。やめて。
あんたにそれを言う資格はないわ。絶対許さない。
わかったわ。
これが、あんたたち龍門人のやり方なの?
いいえ。私のやり方よ。
……
それで? 何か有用な情報は出てきたの? ただで利用されるだけってのも癪だし、教えてもらうわよ。
知ってることを全部話して。
元々は少し疑わしかっただけよ。でも今は確信を持ってるわ。
都市の外で襲撃に遭った信使部隊を見つけた時から、奇妙なことばかり起きているでしょう。
あなたたちが鋳剣坊で山海衆に遭遇したのも偶然じゃない。あのモンとかいう刀匠が、山海衆と通じている確かな証拠よ。
本当におじさんが……?
これら全てを計画する能力と動機がある人を一人挙げるなら、彼しかいないわ。
でもなんで、おじさんはどうしてこんなことを……
あたしの仲間の行方について、結局どこまで掴んでるの! 知ってることを全部教えなさい!
今は新しい情報はないわ。でも人をやって調べさせてる。
最悪の場合、信使部隊だけじゃなくて、玉門自体がすでに極めて大きな危険に陥っている可能性もあるわね。
彼の目的がそうではないことを、あるいは、まだ挽回の余地があるのを願うばかりね……
はぁ……
やっぱり歳だわなぁ、まるで木偶の坊だ。最後の一件も、うまくいかなかった……