懐黍離 HS-2・戦闘前
神農祭
野原を平かにし、溝壑を定め、気衝霄漢、壮志に憑り、雲を凌ぎ、河山に直面す! 烈たる東風、霜を照らす月、天時定め難く、驚雷聲咽す♪
願はくは稲の香、天南地北あまねく広がらんことを。恐るるは、是れ酷旱洪水又た撲とせんことを! 我恨む、身を以て雲を造り春雨と化し、春色を人間に迎へ來たらしむる能わざるを。
耕耘を為すには先づ身を以て汗に浸さん、好く鋤を果てなき平原に釘さすに似たり! 千里の土をして、踏み平らかにして肥田と為さしむことを誓はん——♪
六月の日差しはとても強く、都市全体が大釜のように焼けつく。風が吹くと、稲の澄みやかな香りが遠くからでも鼻を抜け、心の中もぽかぽかと温かい。
今年の村芝居は格別の賑わいだ。舞台の前には人が幾重にも並んでいてごった返している。誰もが必死につま先立ちで舞台を見て、思わず小声で歌に続く。
ズオ・ラウは遠くから様子を眺めていた。演者が古風な衣装に身を包み、毅然とした表情で歩んでは朗々と歌う。方言が使われたそれは、注意深く聞いてみても、理解できない部分があった。
この劇が歌っているのは?
古代に神農が大荒城に来て土地を拓いた時の物語です。
毎年神農を祭る際はこの劇が上演されるんです。劇は全部で三幕構成で、これは第二幕の『争天時』ですね。
なぜ地元の言葉で歌われないんですか?
最初にここに来た天師たちは炎国各地からやってきました。長い時を経て、その人たちがどこの人だったか覚えている人はとっくにいなくなってしまったんですよ。
だから村芝居の稽古の時に、イメージに基づいて役の方言を決めるしかないんです。彼らを称える意味もあるんでしょう。そうしたことが重なって、この劇は今のような姿になったんです
あちらで並んでいる方々は何をしているんですか?
「神農迎え」です。
伝説によると、毎年夏の収穫期になると、今年の実りはどうだったかを見るために神農が大荒城へ戻ってくるそうなんです。
千年前から、大荒城は源石汚染が少ない珍しい土地で、炎国の重要な農地でした。
農民たちはこの地を開墾し、小屋を建てて暮らしていました。
天災が訪ねてくるまで……
歌が舞台から聞こえてくる。鋭く細い音だ。そこに太鼓の音が重なる。細いばちが雨粒のように小さな太鼓を叩く。
演者が円を描いて歩いている。身に着けた服はみすぼらしく、稲がいっぱいに入った竹のかごを腕に抱えている。
あの人が演じているのが神農ですか?
当時、大荒城は歴史上例のない天災に見舞われ、大半の土地がひどく汚染されました。それと同時に、田畑を荒らす化け物も大量に湧き出てきたんです。
何代にもわたる人々の努力が、すべて無に帰しました。
田畑を切り拓くのは容易ではありません。開墾できる土地を見つけるのはもっと困難です。神農はここで起きた出来事を知り、この得難い土地をできる限り救うことにしたんですよ。
彼女は農民や天師たちを率いてここに住み、土地の汚染を取り除く方法、そして環境に適応できる穀物の種の栽培方法を研究しました……何代にもわたって。
細かな太鼓の音は次第に重みを増し、舞台上の歌声も徐々に頭を突き抜けるような壮烈なものになる。そして銅鑼の音が響くと、引き裂くような哮る歌声が舞台を覆い尽くした。
舞台上には雪が舞い、神農の後ろ姿を徐々に覆う。稲と葦の花でできた雪は宙を漂い、台上はついに静寂な白に染まった。
澄んだ笛の音が響き、一本の萌黄色の新芽が大雪の中で芽吹いた。笛の音は伸びやかに響き、ズオ・ラウは手を伸ばし飛んできた稲の花を受け止めた。
この場面は……?
神農は、北へ新たな種を探す途上でこの世を去ったんです。
人々は神農の亡骸を見つけることができませんでした。遺されていた竹のかごともみ米の入った袋を大荒城へ持ち帰って、慰霊碑を建てたんですよ。
神農がこの世を去ったあの年の夏至、人々が稲刈りを終えてまもなく、神農が空の果てから降りてくると、うれしそうに作物をなで、田畑に新たな種をまくのを見たという話もあります。
それ以来、大荒城では毎年村芝居をして神農を迎え、収穫を祈るんですよ。
神農は……神話の人物ですか?
もちろん違います! 彼女に関する伝説はたくさんありますが、実在した人物ですよ。
天師府の教材にも彼女の記載があります。彼女は炎国の農業理論の創始者で、農業理論と二十四節気の規則を初めて体系的にまとめた人なんです。
これは、単に天師府の教材に記載されてるものじゃないはずでしょう? ほとんどの炎国人が知ってる常識ですよ……どうしてこんな常識まで僕に聞く必要があるのかこっちが聞きたいくらいですよ。
黍、其の数は六。天の時を定め、二十四節気を規り……大飢荒の時に於て身を大荒城に現し、躬ら耕すること千年、未だ曾て離れず……
代理人の中にも、こんな人がいたのですね……
おう、シャオホー、今日は来るのが早かったな。お前んとこのシャオマンはどうした? 一緒じゃないのか? 隣のお兄さんは誰だ?
王(ワン)おじさん、僕は別に――
ははは! そうだ、若者のことだしな! 野暮はやめとくよ。研究してる作物の今年の収穫はどうだ?
……
いい感じですよ!
研究は重要な段階に達しました。あと二回も試験を続ければ、成果が見られるはずです。
そりゃいい。成果があるならいいさ。俺たちの一年の働きも、無駄じゃなかったってことだな!
お前たちは楽しんでな。俺は収穫機の準備に行ってくる。
今のは……嘘ですね。
聞かないでください。
……
……おかしいな、シャオマンはどこ行ったんだろう?
この劇では笛の伴奏をするはずなのに……
会いに来たわよ。
これ、新しく作ってみたクッキーなの。あなたに持ってきたわ。
本当はきびの粗糖で餡を作ろうと思ったんだけど、今時あれを食べる人なんていないってふと気づいてね、だから今回のクッキーはお店で売ってる粉砂糖で作ったの。食べてみて。
それとこの果物もね。新しい品種ができたの。甘くて香り高くて当時食べた酸っぱいものよりもずっと美味しい。今もこういうのが好きかどうか分からなかったから、全部数個ずつ持ってきちゃった。
……
最近体の調子はどう、まだめまいがする?
今回はあなたに……そして彼らに会いに来たの。
聞こえてる? 銅鑼や太鼓、それに村芝居の音、神農祭で神農を迎えているのよ。
彼らをここに残して、街は賑わっているなんて、なんて寂しいのかしら……
堤防には、青々とした松と柏が数列並んでいる。
その中には、すでに樹齢数百年の高くそびえる大木もあれば、植えられて間もないと思われるものもある。夏も真っ盛り、日差しは林全体をあぶり、目が覚めるような松脂の香りが漂っている。
シュウは手を伸ばし傍らの松の木を撫でた。枝先に掛かる赤い絹で結ばれた木札は揺れ、数匹の小さな虫は木を上り下りし、樹冠の中に止まる羽獣が何度か鳴き声を漏らす。
夏に入ってから大小の天災が相次いでいるわ。今年の天候はあまり良くないわね。
天師たちには気をつけるよう言っておくから、それほど心配しなくていいわ。
……
収穫はあまり良いとは言えないけど、それも心配の必要はない。
まだ備蓄があるもの。何年もの間そうしてやってきたでしょ?
……
男はだだっ広い川面を眺めている。ぼんやりと口を開いたが、やはり何も言わない。
……
外からたくさんの人が来て、真相を知っている人もいるわ。私も手伝うから心配しないで。
私たちは……やはり、全てを守れてはいないわね。
……
……うぅ……
(声にならない嗚咽)
男は顔を覆って泣き始めた。
きっと良くなるわ、何かしらの方法はあるはずよ。
あの天災ではない天災も……過去の出来事も……払われた犠牲も、死も、どれも無駄にはならない。
覚えているかしら?
私たちは、種が根を張って芽を出すのを見たでしょう。
(声にならない嗚咽)
私がちゃんと彼らの面倒を見ておくから。
けれども、あなたは……もう……
遠くから足音が聞こえてくる。軽い音が、積み重なった松の葉の上に落とされる。音を立てまいとする意思を感じるものだった。
だが、それを聞く男は風に合わせて正確に耳を動かし、半分閉じていた濁った目を見開いた。
……
彼はぼんやりとした人影を見た。髪を愛らしく二つのお団子に結んでおり、腰には竹笛を差している。
彼は何か言いたそうに唇を動かしたが、再び黙ってしまった。そして呆然と辺りを見渡し、身を翻すと、斧を拾い上げて青い柏の中へと入っていった。
……はぁ。
シャオマン、隠れていないで、出てきなさい。
年配の女性が稲を両手で恭しく持ちながら、ゆっくりと舞台に上がる。黄金色に輝くふっくらとした稲を三つの束に分けて、神農の祭壇の中央にある穀物の山に厳かに挿した。
卓上の陶器の椀には酒がなみなみと注がれており、彼女はそれを眉間の高さで捧げ持つと、地面にまいた。
農民が鐘突き棒を引き、三回鳴らすと、鐘の音は大荒城全体に響き渡る。地面もわずかに震えているようだった。
舞台下の農民たちは、揃って首を垂れ、黙したまま祈りを捧げる。そして順々に祭壇へ向かい、懐から穀物を数粒取り出すと、祭壇にある穀物の山に置いた。
みんながそれぞれ数粒の種を持ってくるんです。品種の指定はないので、何でも構いません。
穀物を高く積むのは、神農が帰ってくる道しるべにするためなんです。こうすることで、来年の大荒城が天候に恵まれ、炎国の穀倉が豊かになるよう守ってもらうんですよ。
君は知らないだろうと思って、僕が多めに種を持ってきています。礼を終えたらこれを置いてください。
ありがとうございます。
……今年の収穫は、すでに期待を下回っている状況です。どうか、どうか夏の収穫では問題が起きませんように。
年若い天師は深く腰を折って一礼した後、握っていた米の粒を祭壇の上の穀物の山に加えた。
今年の山は……随分と小さくなりました。
豊作だった年は、僕たちの持って来た穀物を台に置けなくて、みんなが笑いながら袋を追加して、そこに入れて脇に置くくらいだったんですよ。
賑わってくると、子供たちが「山登り」をすることもありました。高く早く登れれば登れるほど、来年の作物も背が高く丈夫に成長するだろうと思うので、大人たちも笑って眺めていたものです。
この山は、終わったらどうするのですか? 雑穀粥に使うとか?
いいえ、祭りが終わると、これは酒造の原料になります。そして翌年の神農祭にて振る舞われるんですよ。ほら、後ろにお酒が置いてあるでしょう。一人一杯いただくんです。
麹は前の年の米で作ったものが使われます。それを毎年繰り返していくのが、僕たちの伝統なんです。
ホーシェンが礼を終えると、舞台上の郷長から椀いっぱいの雑穀酒を手渡された。ホーシェンは両手を伸ばして受け取ると、上を向いて飲み下した。
シャオホー、今年はご苦労だった。
郷長こそ、お疲れ様でした。
……いい子だな。
ズオ・ラウも慎重に穀物の山に数粒置くと、他人にならって、深々と腰を折る。
……大荒城が天候に恵まれますよう、そして炎国の民が平穏に暮らせますよう、お守りください。
辛口の酒が喉を滑り落ちる。様々な穀物の香りが一息に鼻腔を突き抜け、めまいがした。
ドーン――!
天地を揺るがすほどの太鼓の音が、神農祠の奥から鳴り響いた。空気を震わせる低音は、先ほどの鐘の音よりも重々しい。農家たちは次々に足を止め、正午に鳴らされる十二の太鼓の音に耳を傾ける。
一声、春雨を携へて來たり、凍土隙を生ず。
二声、春雷蟄を驚かし、つらなる枝、芽を綻ばす。
......
十二声、瑞雪豊かに盈ち、厚土を覆ふ。
農家たちは持っていたばちを高く掲げ、勢いよく振り下ろした――
ドーン――!
収穫だ――!
収穫だ――!
唐辛子のように真っ赤な爆竹に火が点けられる。大きな叫び声と共に喜びの金色の火花が散った。間断なく響く炸裂音が辺りを埋め尽くす。
その音に気を取られていると、今度はエンジンが轟音を立てた。リズミカルな起動音がこの小さな天地を覆い、見渡す限りの田畑へと広がっていく。
田野はまるで黄金色の蒸し菓子のようだった。辺りに散った農民たちが砂糖粒のように畑を飾り、美しい軌跡を描き出している。
平坦な土地に明らかなタイヤの軌道が残され、収穫機の後ろからは逆巻く黄金色のしぶきが吐き出される。それは草や土の粒が混じって高く高く舞い上がった。
高粱酒でも飲むか? さっき縁日で買ったんだ。
今は当直の時間でしょ。先生に知られたら殺されるわよ。
なんだよ。水位を測定して、データを観測しとくだけだろ。あと三本飲んでも、データがおかしけりゃ一目で――
待て、本気で飲み過ぎちまったかもしれない。ちょっと見てくれ、この砂の中の源石結晶含有量はいくつだ?
この数値……
早く! 水門を閉めて――
ドーン――
夏の雷が頭上で唸り、群雲が震える。
田のあぜに立っていた農民たちが、一斉に空を見上げた。日差しは水面を照らしてきらめき、太陽は真上にある。
どうして、こそこそ私の後をついてきたの? あなたは村芝居で笛を吹くはずだったでしょう?
こそこそとここまで来たのはシュウ姉ちゃんでしょ。
どうして毎年神農祭の時になると、一人で食べ物を持ってこの川辺に来るの? あの何にも言わないおじちゃんに会いに来たの?
シュウ姉ちゃん、あのおじちゃんは一体誰? あの人はどうしてみんなと一緒に住まないの?
……彼はある病を患っているのよ。他の人にうつすのを恐れて、一人でこの場所に住んでいるの。
えっ……
シャオマン、みんなあのおじさんを怖がっているけけど、あなたは怖くないの?
確かにちょっと怖いけど……
でも、何日か前にめんめんを探してる時もおじちゃんを見たんだ。みんなが言うほど怖い人じゃなさそうだったよ。確かに、おじちゃんは斧を持ってて、顔つきがおっかないけど……
でも、あたしにはおじちゃんは悪い人じゃないって分かるよ。おじちゃんがあたしに怖い顔してる時の目は、シャオホーが宿題をやってこなかった学生を叱ってる時と一緒だし。
あなたは本当に賢いわね。
牧獣を飼ってる時だって、はぐれたおチビはすぐに狂暴になるし、懐かなくなるから。
そんな時は、その子をほかの牧獣と一緒にご飯を食べさせたり遊ばせたりすれば、すぐに他の子たちと同じになるんだ。
だからね。もしおじちゃんと話す人がいれば、おじちゃんも少しは楽しくなれるんじゃないかって……一人でここにいるなんて、可哀想だよ。
シュウ姉ちゃん、大荒城にはすごい天師があんなにたくさんいるでしょ。それでもおじちゃんの病気を治せないの?
いつかは、治せるかもね。
シュウ姉ちゃん……おじちゃんの病気は、伝説に出てくる怪物と関係あるの……?
……どうしてそんなこと聞くの?
時々夢を見るんだ。同じ夢。何回も見た。
夢に出てくるのは、この堤防で、あのおじちゃんが堤防に立ってることもある。
とってもひどい天気で、干上がったと思ったら今度は冠水したり、空にはたくさんの変なものが川の向こう岸から飛んでくるの……
田んぼの苗が全部死んじゃって、倉庫の穀物も足りなくなるんだよ……
その話……誰かに話した?
わっ、おっきな雷!
……
シャオマン、急いで戻りなさい。
……雨?
雨……雨くらい普通だろ? もうこんな時期なんだし……
……
空模様がなんだかおかしい……
ほっとけほっとけ! ひっくっ――天師は何も言ってないだろ。天災でもあるまいし――
ただ今日みたいな日に雨が降るなんて、ほんと興覚めだ。
どうして田んぼの水が、こんなに濁ってるように見えるんだろう……
……まさか!
どうしました? どこへ行くんですか!
舞台上の劇はいまだ止まず、雷鳴は太鼓の音と共に激しくなる。太鼓を打つ手は止まることなくバチを振り続け、豆粒大の雨がすでに地面を叩いて、水の色がにじみ広がっていた。
頭上には雨雲が急速に集まり始めている。まるで墨がこぼれたように、真っ黒な雲がぶつかり合うと、数本の稲妻が放たれ、分厚く巨大な雲の中で微かに光る。
暴雨が雲から滴り、地面にまっすぐ打ち付けた。田畑から砂ぼこりが巻き上がる前に、雨が全てを沈めていく。
小さな源石が、静かに田畑の中でほころぶ。
稲穂が首を垂れて、その小さな黒い花を眺めた。