安らかな譫言SS-4・戦闘前客間の迷宮
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安らかな譫言 SS-4・戦闘前

客間の迷宮

繊細で柔らかい記憶を包み込む。誰の目にも触れないように。

でも声が枯れるほどの想いを、どうあの人に届ければいいの?

我、悲しみを恐れるなかれ。


揺れる甲板から堅牢な大地に足を踏み出すと、祥子の心に安心感が湧き上がった。

親切な船長

嬢ちゃん、話に付き合ってくれてありがとな。

この島は随分離れてるからな。あんたがいなきゃ、一人でだだっ広い海を眺めて運転するところだった。想像するだけで、退屈すぎて気がおかしくなりそうだ。

豊川祥子

こちらこそ、海の上の興味深いお話をたくさん聞かせていただきありがとうございました。

親切な船長

その恰好からして地元の子じゃなさそうだな。なんでこんな誰も来ないような小さい島に来たんだ?

豊川祥子

……捜している人がいますの。

親切な船長

この島の人か?

豊川祥子

……おそらく、違います。

親切な船長

そりゃ珍しいな。この島から出ていく奴はいても、自分から来る奴なんて初めて聞いたぞ。

豊川祥子

わたくしも、確信があって来たわけではなく……

夢に入った時、祥子の手元にあったのはこの島への乗船券だけだった。モーフィアスの悪戯かもしれないという考えが頭によぎったが他に取れる選択肢もなかった。

親切な船長

(肩を叩く)まぁ、心配すんな! この島に住んでる奴は少ないから、住民に訊いたらすぐに見つかるだろう!

豊川祥子

……ええ。

親切な船長

けど嬢ちゃん、その子が見つかっても見つからなくても、昼過ぎには戻ってくるんだぞ。

この島は船の便が少ないからな。もし逃しちまったら、次に帰れるのは早くても来月になっちまう。

豊川祥子

ですが、それではもう時間が……

親切な船長

うーん、そう言われてもな……

少しだけなら待てるが、夜の航海は危険だからな。日が暮れる前には帰らないといけないんだよ。

豊川祥子

……わかりました。急ぎます!


???

(歌声)アーアーアー……♪

??

はい、聞こえます。

???

(小さな歌声)アーアーアー……♪

??

……

???

離れて何度か歌ってみたけど……ダメだった?

??

……はい。何も聞こえませんでした。

???

……とりあえずアイマスク外すね。


エイヤフィヤトラ

どうでしたか?

三角初華

ちょっと言いにくいんだけど……前やった時と比べて、また聞こえる範囲が狭くなってるみたい。

エイヤフィヤトラ

そうですか……分かりました。これからフィールドワークに出る時は、もっと周りの状況に気を配るようにしますね。

三角初華

エイヤフィヤトラちゃん、やっぱり危ないんじゃないかな……

島に来てどれくらい経つの?

エイヤフィヤトラ

二ヶ月くらいです。

三角初華

聴力が落ちてるのに、ちゃんと診てくれるお医者さんもいなければ治療方法もないんだよ。

今日は港に船が来てるはず。荷物をまとめるのを手伝ってあげるから、すぐにでも帰ろう?

エイヤフィヤトラ

そういうわけにはいきません。まだこの島の火山のデータを集め終わっていないので……

三角初華

でも、エイヤフィヤトラちゃんの身体は――

エイヤフィヤトラ

この島に来る前に、ロドスの先生に診てもらったんです。

その……確かにあまり良い状態とは言えないんですが、先生と約束したんです。三ヶ月だけって。

火山の研究が私にとってすごく大切だってことは先生も分かってくれてますから、最後には納得してくれました。

三角初華

……

エイヤフィヤトラ

初華さん、私は火山が好きなんです。あなたが星を見るのが好きなように。

私たちが初めて出会ったのも、私が山で迷子になっていた夜でしたね。あの時、ちょうどあなたは星空を見上げていました。

三角初華

……これから山にフィールドワークに行く時は、私も絶対一緒に行くからね。

エイヤフィヤトラ

はい、ありがとうございます!

今日は天気がいいなぁ……

私、初華さんの歌が聴きたいです。

こんな良いお天気の日は、歌を聴きながら遠くの火山や海を眺めるのにぴったりですから。

三角初華

いいよ。じゃあちょっと近寄るね……

初華が距離を少し詰めると、エイヤフィヤトラは小さな耳をぴんとそばだてた。その耳には、ちらりと補聴器が覗いている。

三角初華

(深く息を吸う)

「ねじれた空を 描いて思うの」

「羽根のない君 堕ちればいい」

「触れてしまった神聖なもの」

「今夜 私の神話になって――」

「……」

エイヤフィヤトラ

とっても素敵でした!

三角初華

……ありがとう。

エイヤフィヤトラ

初めて聴きましたが、どなたが作った歌なんでしょう? もしかしてこの島の歌ですか?

三角初華

私も分からないんだ。前にどこかで聴いたのかな、知らないうちに歌えるようになってて……

エイヤフィヤトラ

でも、初華さん……なんだかすごく寂しそうです。

三角初華

え……?


疑い深い島民

なに? 三角初華?

ジョン、聞いたことあるか?

同じく疑い深い島民

いいや。名前からして島の外の人間だろ?

豊川祥子

なにか手がかりだけでも頂けませんか?

島で一番顔が広いあなたならきっと何か知っていると、先ほど近くにいたおばあ様からお聞きしましたの。

疑い深い島民

うーん……なんせ人が少ない島だからな。誰も聞いたことがないってことは、最近来た人なんじゃないか?

そういえば、確か火山の裏手に別荘があって、そこに変わった奴が住んでるって噂があったな。

同じく疑い深い島民

ああ……俺も聞いたことがあるぞ。

名前は忘れちまったが、そいつなんじゃないか?

豊川祥子

その別荘はどちらですの!?

疑念を捨てた島民

ほら、この海岸道路沿いを北に二十キロ、回り込むように山の裏側まで行けば、あの別荘が見つかるはずだ。

豊川祥子

ありがとうございます。二十キロなら、車で行けば三十分ほど……

疑念を捨てた島民

嬢ちゃん、ここに車はないぞ。

豊川祥子

車がない……?

同じく疑念を捨てた島民

ここに来るまでに気が付かなかったのか? この島に車なんてないんだ。

豊川祥子

でも、道路は整備されて……

疑念を捨てた島民

むかし観光客を呼び込もうとして道路を作ったんだが、完成しても誰も来なかったのさ。結局、金がかかっただけで赤字になっちまった。

嬢ちゃん、急いでるならこの自転車を貸そうか?

古いやつだが、まだ何とか使える。頑張って漕げば、別荘まで二時間くらいで着けるはずだ。

豊川祥子

……

祥子は男の背後にある古びた自転車に目を向けた。フレームは傷だらけで、塗装もほとんど剥がれ落ちている。見るからに年季の入った自転車という佇まいだ。

同じく疑念を捨てた島民

頑張れよ! 久しぶりに来たお客さんだからな、目当ての人が見つかるように祈ってるよ。それと、島を楽しんでいってくれ!

豊川祥子

ありがとうございます。それでは、わたくしはここで。

祥子がペダルを軽く踏むと――

豊川祥子

なんとか、走れそう……ですわね!

疑念を捨てた島民

気をつけろ! 前は下り坂――

注意はもう手遅れだった。古びた自転車は制御不能になり、祥子は自転車ごと坂道を滑り落ちていった。

豊川祥子

きゃ――――!!!

疑念を捨てた島民

――ふふっ、面白いわね。

モーフィアス

あっはははははは――

ほんと――最高ね! あははははは!

ウォルフ

モ、モーフィアス。

少し、やりすぎ、じゃ……

モーフィアス

黙りなさい。

ウォルフ

……

モーフィアス

あいつが自分で勝負に乗ってきたんじゃない。私は勝負を進行しているだけ。

あいつの弱点、絶対に暴いてやるわ。そして二度と覚めない夢を紡ぐのよ。

思い知らせてあげる――私こそが、夢のお城最高の「夢の作り手」だってことをね。

……アイリス。あんたが私より上なんてあり得ない。


エイヤフィヤトラ

太陽が真上に来て、木陰がどんどん狭まってきました……

ちょっと暑くなってきちゃいましたね。

三角初華

私の別荘がこの近くにあるんだ。そこでひと休みしない?


エイヤフィヤトラ

ふぅ――すっごく涼しいです!

リビングもとっても広いですね。ここまで広いと、冬場は寒くなっちゃいませんか?

三角初華

あそこの暖炉に火をつければ、すぐに暖かくなるんだ。

でも私一人なら、ストーブをソファの傍に置くだけで十分だよ。

エイヤフィヤトラ

うーん、初華さんがここまで立派なお嬢様だったなんて……

三角初華

いやいや! 私はここに住んでいるんじゃなくて、この別荘を管理しているだけ。

エイヤフィヤトラ

(小声)私、家主さんのお邪魔になっちゃいませんか……?

三角初華

大丈夫、今は私一人しか住んでないから。

ここの家主は……もう長い間帰ってないんだ。

エイヤフィヤトラ

なんだか……その人が恋しいみたいですね。

三角初華

うん。仕事の関係っていうより、私にとっては特別な関係だったから……

あの子は、初めて私のことを見てくれた子っていうか……私と初めて親友になってくれた人でね。

あの子はピアノを弾くのが好きだった。私は傍で椅子に座って、ピアノに合わせて歌ってたんだ。

本当に……本当に楽しかったんだ。

エイヤフィヤトラ

それなのに、どうしてその方は、この島を……この「家」を出てしまったんですか?

三角初華

どうしてだろうね……ここにずっといたいと思ってたのは、もしかしたら私のほうだけだったのかも。


自転車のきしむ音がますます激しくなり、祥子はバランスを取るだけで精一杯になっていた。

そして、体力も徐々に限界へと近付いていた。

豊川祥子

きゃっ――!

急カーブにさしかかった所で、自転車のブレーキが突然効かなくなり、祥子の身体は勢い余って投げ出された。

豊川祥子

ううっ……

祥子は痛みをこらえながら身体を起こし、必死に顔を上げて目的地の方向を見据えた。

遠くの山の麓に、一軒の家がかすかに見える。

豊川祥子

あれは……

その家を見た祥子の脳裏には、何故か無数の知らない記憶が蘇ってきた――

豊川祥子

こ、これは――!?

初華はこの夢の中で、幼い頃から祥子とここで遊んでいた。

そして成長してからは、ここで一緒に暮らすようになった。

豊川祥子

これは……全部、初華の夢ですの……?

モーフィアス

ふふん――♪ ふんふふん――♪

ふふっ……どうかしら? あの子には色んな夢を見せてあげたわ。だけど、結局あの子の願いは「あなたと一緒にいたい」ってだけなのよ。

そんな夢も、最後はいつもひとりぼっち。

いつも、あんたが突然いなくなる――

ほんと、あんたってつくづく酷い子ね。

豊川祥子

そんな……酷いだなんて……

モーフィアス

あいつから聞いたんでしょ?

夢に出てくるのは、心の奥底に眠るありのままの思いだって。三角初華が一緒にいたいと強く願えば願うほど、ますますあなたに手が届かなくなっていくわ。

ひと気のない小さな島を作ってあげても、そこを二人だけの島にしても……それでも、あの子は手に入れたものを失う辛さを何度も味わう運命なの。

結局あの子の幸せは、砂みたいに指の間からこぼれ落ちていっちゃうのよ。

まったく、夢の中ですら救われないなんて、どれだけ絶望してるのかしらね。

豊川祥子

……初華、必ずあなたを悪夢から救い出しますわ。

モーフィアス

ほんと? ほんとに!?

楽しみにしてるわ――己の無力さに打ちのめされ、途方に暮れるあんたの顔をね!

モーフィアスが人目も憚らずに高笑いをする中、遠くから船の汽笛の音が響いてきた。

それは、出航の時間が迫っているという合図だった。