安らかな譫言SS-5・戦闘前マスカレードへの招待状
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安らかな譫言 SS-5・戦闘前

マスカレードへの招待状

我ら共に笑い、共に泣こう。

華やかな舞台で、賑やかな一人芝居を演じよう。

我、死を恐れるなかれ。


若葉睦

祥、飲んで。

豊川祥子

ありがとうございます。喉の痛みが少し治まりましたわ……

若葉睦

よかった。ほら、これ。レム・ビリトンは砂地だから、水とゴーグルがないと、生きられない。

祥子は睦から渡されたものを両手でぎゅっと握りしめた。水の入った袋が圧力で膨らみ、今にも破裂しそうだ。

若葉睦

祥、ちょっと変。気分悪い?

豊川祥子

いえ、何でもありませんわ……

睦、わたくしのこと……覚えているんですの?

若葉睦

うん。

豊川祥子

これまで、わたくしたちでしてきたことも?

若葉睦

うん、全部、覚えてる。

その言葉を聞いて、祥子はようやく少しの落ち着きを取り戻し、辺りの景色を見渡した――

二人はこれまで狭い坑道を奥へ奥へと進み、この場所までたどり着いた。

暗い、じめじめとした場所。ランタンと暖炉の火だけが微かに周囲を照らしている。

ベッドと食卓の間には一人が通れるほどのスペースしかない。しかし食卓に置かれたコップの数から、睦以外もここに住んでいることが伺える。

豊川祥子

睦……ここでどのくらい暮らしているんですの?

若葉睦

一年くらい……ううん、もっと長いかも。どれくらい経ったか、感じなくなった。ここなら難しいことは考えなくていいから。

豊川祥子

それは違います……時間の感覚がないのは、ここが夢の中だからですわ。

睦、どうしてこのような夢を……

若葉睦

夢……?

豊川祥子

睦、あなたに大事なことをお伝えします。ここは現実ではありません、今すぐに――

???

あら――睦ちゃん、もう帰ってきてたの〜?

背後から走ってきた女性が、そのままの勢いで睦に抱きついた。

若葉睦

マ、ママ……埃、ついてるから、こすったらだめ……

???

もう! 丸一日も会ってなかったんだから、ちょっとくらい抱きついたっていいじゃない!

若葉睦

お客さん、来てるから……

睦の母

あら、さきちゃん!

うちに来るの、ずいぶん久しぶりね?

豊川祥子

みなみさん……

睦の母

もう〜、そんなよそよそしい呼び方じゃなくて、「みなみちゃん」って呼んで?

若葉睦

うん、私も、たまにそう呼ぶ。

豊川祥子

……

睦、いつからみなみさんとこれほど仲良くなりましたの……?

睦の母

あら、私と睦ちゃんはずっと仲がいいのよ? だって親子なんだから。

ところで睦ちゃん、今日の成果はどうだった?

若葉睦

きゅうりジュース、いつもよりちょっと多めに売れた……多分、暑かったから。

睦がポケットに入っていた巾着をそっと開けると、中には硬貨が数枚入っていた。

睦の母

うん――睦ちゃん、偉い!

ねえ、私のほうも見て。

若葉睦

ママ、すごい……

睦の母

ふふ、今日は服のお直しを頼む人が何故かいつもより多かったの!

パパも、工事現場で一日中ずっと働いてたよ。お昼を持って行った時、埃まみれのパパを見たらちょっと可哀想になっちゃってね。仕事が終わったらちょっとだけ飲んでいいよって言っちゃった。

今頃、仕事の人と一杯飲んでるかも。一応「早く帰ってきてね」とも言ったけどね。

ちょうどさきちゃんも来たことだし、せっかくだから、みんなでご馳走にしよっか!

若葉睦

みんなで揃って食べられるの、嬉しい。

睦の母

そうよ、今日はいつもより余裕があるし、たくさん食べなきゃ。

豊川祥子

……

睦の母

さきちゃんも、遠慮しなくていいからね!

若葉睦

祥、どうしたの?

豊川祥子

い、いえ……なんでも……

目の前にある、裕福さとはかけ離れた家。剥き出しの土壁、弱々しく光るオイルランプ……

どうして睦の夢は、こんな所に……

ウォーミー

睦ちゃん、みなみちゃん……あら? こちらの方は?

若葉睦

祥……私の幼馴染。

ウォーミー

初めまして。

夕食でもご一緒にと思って来たんですが、いかがですか?

たくさん作ってきたので、ぜひ食べてください!

睦の母

……申し訳ないわ、そんなの。

ウォーミー

ご近所さんから聞いたんです。睦ちゃん家の煙突から、もう何日も煙が出てないって……

若葉睦

(お腹をさする)……

ウォーミー

それに、前回のパーティーからもう一ヶ月くらい経ちますし。

皆さん言ってましたよ。また睦ちゃんの演奏を聴きたいって。

睦の母

そういうことなら……睦ちゃん、どう?

若葉睦

え……私の演奏?

睦の母

さきちゃんも聴きたいでしょ? 睦ちゃんの演奏、何回聴いても素晴らしいの!

そうだ! いっそうちでパーティーをしましょう! 実はさっきまで、みんなも食事に誘いたいなって思ってたのよ。

若葉睦

祥は、どう思う?

豊川祥子

そうね……

わたくしは……睦がどうしたいかが大事だと思いますわ。

若葉睦

……うん、私、弾きたい。


喧噪、笑い声、乾杯の音。

決して広いとは言えない家が、人で溢れている。しかし、窮屈さを気にする者はいなかった。

睦の母

ほら、もう一杯どう?

睦ちゃんの幼馴染、さきちゃんにも乾杯!

周りの人たち

さきちゃん、よろしくね!

皆が一斉に、部屋の隅に座る祥子の方に目を向けた。

睦の母

(グラスを掲げる)さきちゃん……?

豊川祥子

か、乾杯……

周りの人たち

乾杯――!

乾杯の挨拶が終わると、参加者は再びパーティーを楽しみ始めた。祥子は部屋の隅の壁にひとり寄りかかりながら、複雑な表情で目の前の光景を見つめていた。

若葉睦

祥。

豊川祥子

睦……?

若葉睦

実は……全部知ってるの。

豊川祥子

え……?

若葉睦

これは、全部嘘だって……みなみちゃんの優しさも、全部嘘。

豊川祥子

そ、それは――

若葉睦

祥に会った時に分かった。そろそろ帰らなきゃいけないって。

でも……もう一回、チャンスが欲しい。

これで最後にする。ちゃんとさよならするから。

せめて、夢の中だけでも……私も、みんなみたいに、自由に歌わせて。

豊川祥子

睦……

祥子の返事を待たずに、睦はクラシックギターを抱えたままゆっくりと人だかりの方へと歩いていく。

睦の母

睦ちゃん、準備はいい?

若葉睦

……うん。

睦の母

どうしたの、睦ちゃん。何かあった?

若葉睦

私の椅子……どこ?

睦の母

用意してるわよ。ほら、この椅子、いつも使ってたでしょ?

睦は、座面に裂け目のある黒い椅子をじっと見つめた。

若葉睦

うん。

睦がゆっくり腰を下ろすと、周囲がしんと静まった。


若葉睦

弾くね……『春日影』。

豊川祥子

――!

一生忘れることのできないメロディーが、睦の夢の中で再び奏でられた。

あの日と同じ、温かい音色が、その場にいる皆の心をしっとりと癒やしていく。

しかしその曲を弾く睦の姿は、祥子には別人のように思えた。

かつてギターで悩んでいた睦ではない。

まだ懸命に感情表現を学んでいる最中ではあったが、ここにいる睦は、とても幸せそうにしている。

「悴んだ心 ふるえる眼差し」

「世界で 僕は ひとりぼっちだった」

「散ることしか知らない春は」

「毎年 冷たくあしらう」

豊川祥子

睦、これがあなたの……

今日、睦をここから連れ出せる機会は何度もあった。そして、おそらく睦もそれを受け入れただろう。

しかし、どうしても連れ出すことができなかった。

睦が心の底から幸せそうだったから。

蝋燭のかすかな灯りが、音楽に合わせて揺れる人々の影を壁に落とす。その影は、まるで暖かな春の日差しが作る木陰のように揺れていた。

睦は椅子に腰かけ、皆に囲まれている。目を閉じ、弦の指で指を滑らせながら、静かに歌っていた。

今、睦は何を思っているのだろう?

「せつなくて いとおしい」

「今ならば 分かる気がする」

「しあわせで くるおしい」

「あの日泣けなかった僕を」

「光は やさしく連れ立つよ――」

それを見ているうちに、祥子はある感情に囚われた。

それは安堵か、後悔か……あるいはその両方かもしれない。

今の睦は、二人でいる時よりもずっと楽しそうにしている。

一人で椅子に座り、ひたむきにあの日の歌を歌っている。

「雲間をぬって きらりきらり」

「心満たしては 溢れ」

「いつしか頬を きらりきらり」

「熱く 熱く濡らしてゆく」

「君の手は どうしてこんなに温かいの?」

「ねぇお願い、どうかこのまま、離さないでいて――」

手を離さなければ――

睦の、幸せのために――

祥子はステージに背を向け、その場から逃げ出した。

そうして、夜の闇に消えていった。