安らかな譫言 SS-6・戦闘前
反響する大広間
冷たい風が、音を立てて耳元を通り過ぎる。
落ちていく。どんどん速度を上げながら。
しかし、深淵の底にはいまだ辿り着かない。
わたくしが無理難題を突きつけてもついてきてくれるドラマーが他にいまして?
言いましたわよね。あなたの人生、わたくしにくださると。
祐天寺さん……あなたは、ただあなたらしくなさって。
自分の居場所を求めて、いくつも組織を渡り歩いてきましたのね。ですが、それでも居場所が見つからないのであれば――
八幡さん、わたくしと一緒に帰りましょう。
このような所で苦しむ必要なんてありませんのよ。
初華、あなたがどこにいても……
必ず、見つけ出しますわ。
睦、ここは現実ではありませんのよ。今すぐに……
ドン――!
――!
心臓が激しく脈打ち、呼吸は乱れ、背中には冷や汗が滲む。
それは、あまりに散々な目覚め方だった。
とってもリアルだったでしょ?
高いところから、地面に落ちていって……
夢は砕け散り、「夢なき境界」に囚われ、逃げ出すこともできない……一体、どんな感覚なのかしらね。
皆さんの夢……確かに素敵な夢ではありましたわ。ですが、いつまでも浸っていてはいけません。
心の一番弱い部分を覗いて、それを脚色して何度も目の前に曝け出すような……そのような夢には。
あら、そうかしら?
あんたが夢に入ってくる前は、あの子たちはあんたのことも、くだらないバンドのこともほとんど忘れちゃってたのよ。
いいえ。Ave{@nbs}Mujicaはひとつの「契約」ですわ。皆さんの人生はわたくしが――
そんなもの、あんた以外にはどうだっていいの。
なっ――!
自分の耳で聞いたでしょ?
あの子たちがあんたを拒絶するのをね。
そんなのイヤ。ここにいる人たちは、みーんな女優としてのアタシを愛してくれてるの。
アタシ、そのために何もかも捧げたんだよ? なのに今更、全部嘘だったって言うの?
ふざけないで。そんなの絶対認めないから!
ここ、アタシの夢なんだよ? アンタもバンドも関係ない。
あなたには分からないでしょうね。
こんな生き方でいいんです……自分には、この生き方が合っているんです。
誰にも救ってもらう必要はありません。
それに、私を救える人なんていませんので。
……
やっぱり睦ちゃんには、祥子ちゃんはいらない。
あはは……あはははははっ!
あんたの無様で、無力で、笑える顔、全部見せてもらったわ。
最初は夢を壊されちゃったけど、これでおあいこって所かしらね。
ふふっ、でも感謝してるわ。あんたがあの子たちの夢を何度も出入りしてくれたおかげで……
証明されたもの――私の作った夢が完璧で、非の打ち所がないってことが。
これであいつも認めるしかないわ。私こそが夢のお城で一番の天才だってね。
あいつ……?
夢の中で会ったでしょ?
お姫様みたいな服を着て、時代遅れの話し方をするあいつよ。
あいつの傍にいると、落ち着かないったらありゃしないわ。
アイリスさんこそ夢のお城の主ですわ。あなたはただの偽物です!
彼女はおっしゃっていました。どんな素敵な夢にも、いつかは目覚める時が来ると――
ぐっ――!
祥子の喉は、突然凍りついたように声を発することができなくなった。
どうしてあんたを見ているとムカつくのか、ようやく分かったわ。
あんた、アイリスとそっくり。初めから他人の意見を聞く気がないし、口を開けばいつも綺麗事ばかり。
人生を預かるとか言ってたけど、結局みんなが自分から離れていくのが嫌なだけじゃない。
あんたの人生、全部見せてもらったわ。落ちぶれたお嬢様が、未練がましく足掻く姿をね。
自分の思い通りにしたい、他人に惨めな自分を見せたくない……あんたの行動、全部そうだったわ。
傲慢で、自分勝手で……ほんと救いようのない人。
あんたのバンドって、結局何だったの? 「契約」みたいに強い言葉で縛り付けて、バンドごっこをしていただけじゃない。
あの子たちは今、自分の幸せを手に入れた。だからあんたのことなんて捨てちゃったのよ。うふふっ……あんた、またひとりぼっちになっちゃったわね。
それでもアイリスの言葉を信じるって言うなら……いいわ、あんたのためにもう一回素敵な夢を用意してあげる。
たとえ頭では現実じゃないって分かってても、ずっと見ていたくなる完璧な夢をね。
他の子たちと同じように、私の夢に溺れて抜け出せなくなるのよ。
くぅっ――!
喋りたい? なら最後に一言だけ喋らせてあげる。
悪魔のような少女は、鎖をほどくような手振りで空中に模様を描いた。
わたくしは――
鎖が再び容赦なく締め上げる。
あはははははっ――
やっぱりあんた、黙ってる時の方がずっと可愛いわ!
もがき続ける祥子にモーフィアスは一歩ずつ近づき、右手を伸ばして祥子の頬に添えた。
偽りのお姫様。あんたが不思議の国を彷徨ってる間に、私ははっきり理解したわ。
あんたが何をに飢えて、何を求めて、何を恐れているかをね。
だから心配しないで。今度は完璧な夢を見せてあげる。夢の中だってはっきり分かってるのに、絶対に目覚めたくならないやつをね。
おやすみなさい。高貴で、狡猾で、自分勝手なお人形さん。
良い夢を。
ガタン、ゴトン。
祥子、祥子!
ん……
あなたの言うようになんて――
祥子は思わず叫んだが、そこはもう城の中ではなく、モーフィアスも姿を消していた。
大丈夫? 顔色すごく悪いよ。また悪夢でも見たの?
また……夢の中に戻ってきましたのね。
なに訳分かんないこと言ってんの、今起きたとこでしょ。
もしかして、まだ寝ぼけてる?
アイリスさんとベナさんもいらっしゃるのね……
はじめまして……自己紹介はまだですわよね?
ええ、あたしたちが着いた時にはもう寝てたわ。
ヴィグナさんとわたくしが先に乗り込んでいるということは……新しい夢に切り替わった、ということですのね……
祥子、何さっきから変なことばっかり――
わたくしたち、これからヴィクトリアへアンさんを探しに行きますのよね?
えっ、アンさんって誰? アイリスは知ってる?
アンさん……? 祥子さんのお友達ですの?
えっ……アンさんをご存知ありませんの?
では、わたくしとヴィグナさんは何のために……?
ちょうど仕事の場所が祥子の家の近くなんでしょ? だからついでに家に帰って、家族のもとで休んでもらおうと思ってるの。
仕事が忙しくて、ずっと家に帰ってなかっただろうしね。
車が急に止まりましたわ! 何事ですの!?
まさか、パンク!?
はぁ、はぁ……あ、危うく駄獣にぶつかるところでした!
幸い何事もありませんでした。すぐに再出発します!
……
エンジンがかかる音と共に、窓の外の景色が再び動き出した。
同じ景色、同じ同行者。
しかし夢の中では、すでに変化が起こっていた。