赤松林 幕間
影ひとつ
足跡がない……ここを通った痕跡はありません。
奴らが逃げた方角はこちらではないみたいですね。
ターゲットを見失ったのは、病院担当のチームだ。あそこから逃げるなら、必ずこの辺りを通るはず。
警戒を怠るな、逐一状況を報告せよ。
了解。
……
ん?
うぐっ!? あぁ……
......
……行こう。
奴らはここの異常にすぐ気付く。時間がない、私についてきて。
お前に指図されるいわれはないぞ、感染者。
このクズどもを、あの距離から簡単に片づけられるお前の実力は、ある程度認めざるを得ない。
だが勘違いするなよ。だからと言って俺がお前の指示に従うということではない。
……
すでにこの一帯は、無冑盟に囲まれている。君一人で逃げ切るのは難しいよ。
奴らは君をずっと追い続ける。
だから何だ?
……連中に自らの愚かさを思い知らせてやる。
……無理じゃないかな。
君の傷はまだ塞がっていない。その体で奴らの監視の目から逃れるのは不可能だよ。
フンッ……忌々しい無冑盟め。
いいか、お前たちに協力するとは言ったが、それは俺たちに共通の敵がいるからだということを忘れるな。俺はあの下劣な人殺しどもに、愚行の代償を払わせてやりたいだけだ!
その話は後で。今はまだ完全に窮地から脱したわけじゃない。
これ以上、お前たちと話し合うことなどない。
小娘、あのバカげた要求を提示したチャンピオンに感謝しろ。あれがなければ、お前は今ここでその鎧を着て俺と話などしていない。
……
君の言う通りだよ。
私はかつて、血騎士に心から感謝していた。
ん?
……
どうした、話は終わりか?
……あの試合。
君とマリア・ニアールの試合を見たよ――“プラスティック”シェブチック。
私は君が嫌い。
でも競技場での君は、今よりも少しだけマシだった。
お前の感情なんぞどうだっていいが、言葉には気を付けるんだな。そもそも、なぜお前は嫌いな俺を病院から連れ出したんだ?
……それが必要なことだとソーナが言ったから。それに――
それになんだ。ソーナというのが、お前たちのリーダーの名か? フンッ、そいつも同じく小娘のようだな。
……ソーナは仲間だよ。
今から拠点に戻る。ソーナとほかの仲間が私たちを待ってる。
……俺をお前たちと一緒にするな、感染者騎士。手を組むことに同意はしたが、それは一時的なものにすぎない。
いや……そんなつもりは毛頭ない。君と私たちは違う。
だけど、“プラスチック”シェブチック、君も自分でわかってるはずだよね。一人では無冑盟に立ち向かうすべなどないって。
……
フッ……そうだな、お前の言う通りだ。
……今のカジミエーシュは、どうかしている。感染者が騎士になれたり、無冑盟のような日陰者までもが堂々とのさばっている。
まったく悪い冗談だ……
……まずはほかの仲間と合流しよう。
多勢に無勢では何もできない。
十日前
君たちは民間人じゃないよね、一体何者!?
次から次へと……
……
人混みに紛れて襲うつもり!?
あまり舐めないでよ――
待って! まだ手を出さないで!
……あちゃー、来るのがちょっと遅かったかな。まさかこんな大乱闘になっちゃってるなんて。
まったくだ。困ったことになったな。
ぐずぐずしてる暇はない。こうなった以上、連れて行くべきだ。
ええ、そうするしかなさそうね。
君たちは……
こんにちは、遠牙騎士。称号を獲得したお祝いがまだだったわね。おめでとう、とても喜ばしいわ。
あなたのニュース見たわよ。人気急上昇じゃない?
人気急上昇? 独立騎士団の設立を宣言し、物議を醸したのが? フンッ、要らない連中を引き寄せただけじゃないか。
感染者騎士……
黙れ。
ひっ……
やめなさいって! はぁ……まぁいいわ、どうせ手を出しちゃったんだし、もう追っ手も掛かってるはずだから、今さら一緒よね。
焔尾、それと灰毫……君たちがなぜここに?
……こいつらが何者か知ってるの?
はっきりくっきりね。でもここで立ち話してる場合じゃないわ。こいつら騒ぎを大きくしたいから、すぐにマスコミがやってくるわ。そうなったらあなたにとってはデメリットしかない。
それに、あなたケガしてるでしょ?
あたしたちを信用してちょうだい。ついてきてくれれば、ゆっくり説明してあげるわ、どう?
……
ソーナ、その言い方は何だか誘拐しようとしているみたいだぞ。
えっ? そんなことないよ?
ある。
……信じるよ。
え? 今なんて?
信じるから、一緒に連れて行って。
君たちと私は――
私たちは同じだ。だから君たちを信じる。
ここは……
あら! 早かったわね、ケガの手当はもう済んだの?
うん。
ここにいる人たちは、みんな感染者なの?
うん。ここに住んでる人はみんなそうよ。ほとんどが不運な事故で感染して、仕事も家も失って行き場がない人たち。
ここには粗末な寝床と食べ物しかないけど……何もないよりはマシでしょ?
……
ソーナ、イヴォナの方で問題が発生した。様子を見てくる。
無冑盟はまだ行動を起こすはずだ。ほかの奴にも警戒させないと。
わかってるわ。安心して、あたしが見てるから。
……
……
……ああ。任せた。
……彼女は……
ん? あぁ、カイちゃんのこと? 彼女はとってもいい子よ。時々融通が利かないこともあるけどね。
君たちと会ってから、彼女は一度も私に話しかけたことがない。
アハハ……多分、人見知りしてるんじゃないかな。
……
……
(ため息)わかった、話すよ――
カイちゃんはあなたのことを、あたしたちとは違うと思ってるの。目指してるものが違うだろうって。
ほら、あなたは今回のメジャーの大注目選手だし、騎士称号も獲得したばっかり。まさにノリにノってるでしょ?
どう見たって明るい未来が約束されてるもの!
……そんなことはないよ。
感染者には……感染者騎士には、明るい未来なんてない。
あら、試合に勝ったばかりの人が言うセリフだとは思えないわね。
初めは騎士になりさえすれば、まだ希望はあると思ってた。試合に勝てば、もしかしたら……
もしかしたら尊敬が得られて、本当に騎士として認められ、元の生活を取り戻せるって?
……そう思ってた。
でも、それは不可能なんだ。感染者騎士は結局、騎士よりも先に感染者だった。世間の見る目は何一つ変わらない。
……そうね。あたしもカイちゃんに同じことを言ったわ。
それに――同じ騎士として扱われたとして、今の騎士ってどうなのかしら。人混みに紛れて襲ってきた連中を見たでしょ? 奴らは感染者騎士だろうと貴族騎士だろうとお構いなしよ。
あいつらって、無冑盟?
騎士殺し……嫌な名前だよね。
そ。無冑盟よ。
商業連合会に魂を売って、刃向かう騎士たちを陰で始末する……対騎士のスペシャリストを自称して、それを誇りに感じているのよ。
観客の歓声や投げ銭の前で、今の「真っ当な騎士」にどれほどの尊厳が残ってるかしら? ましてやあたしたち感染者騎士なんて……
……
今回、私を襲ったのも、商業連合会の指示なの?
おそらくね。あなたは目立ち過ぎてるし、勧誘してきた騎士団に入る素振りもないでしょ。その上、あんな宣言までやらかしちゃって……ああいった奴らは遅かれ早かれやってきたでしょうね。
連中は、あなたを金づるにできないなら、ビジネスの邪魔にならないよう、「不名誉」な退場をさせるつもりなのよ。
……
どう? こんな理由で襲われるなんて、バカげてると思わない?
……三週間を、二回経験した。
え?
大騎士領へと来る途中で、私は感染してしまった。
感染者だという理由で騎士競技の登録を拒否され、泊まれるホテルもなかったから、この周辺を三週間さまよった。
そう……
三週間目、そのシーズンのメジャーで血騎士が優勝を果たした。
それから三週間後、感染者騎士向けの登録窓口が設立され、正式に開放された。
でもその時、私はほとんどお金を持っていなかった。だから闇市の試合に出て、どうにか登録に必要な手数料を稼いだ。
それはとても……大変だったでしょうね。
感染者騎士の地下競技場は、そういうモグリで行われてる違法試合と大差ない。
地下競技場からメジャーまで、私は不条理な場面をたくさん目にしてきた。だから今更こんなことで驚きはしない。
アハハッ、そうね……たしかに地下競技場には無冑盟よりデタラメなことがいっぱいだもの。
多かれ少なかれ、そういう経験をしてきたからこそ、あたしたちは今こうやってここに集まってる。
……それにここには、普通の感染者も大勢いる。
うーん……どう言えばいいかしら。やっぱり、騎士競技はそれなりに稼げるのよね。少なくともこうした行き場のない人を引き取るには充分よ。
だったら、こういうお金にも少しは価値があると思わない?
……うん。
えへへっ、よかった。
なに?
あなた、思ってたよりもだいぶ付き合いやすい性格だわ……最初の印象だと、すごく冷たい人かと思ったもの。
……
あれ、どうしてまた黙っちゃうの?
……わからない。
こういう時にどう言えばいいのか、わからないんだ……
なるほどねぇ。
大丈夫よ……あなたもカイちゃんと同じく人見知りだってのはよくわかったから。
それとそのしゃべり方――先に結論を少しだけ話すって癖にも慣れてきたわ。たまにちょっとわかりにくい時もあるけど、大した問題じゃないわ。
……とにかく、今回は助けてくれてありがとう。
どういたしまして。あんまり気にしないで。
そうだ、これからどこへ行くつもり? すぐに戻ったりしたらまたあいつらに狙われるわよ?
今日の事件はすぐニュースになるわよ。ねね、なんて報道されると思う?
……知らない。好きにさせればいいよ。
私は……どこへ行くべきなのかわからない。行ける場所はとっくになくなってしまった。
うーん……
こう言うと何だか、ちょっと恩着せがましくてイヤなんだけど……でもこれは思いつきじゃなくて、ずっと前から考えてたことなの!
あたしとカイちゃん、それにイヴォナ――あなたも会ったことがあるでしょ? あの声のでっかい子よ。
……うん、覚えてる。
実は……あなたが前に宣言した独立騎士団の設立についてだけど、あたしたちも同じこと考えてたのよ。
レッドパイン騎士団。名前はあたしが考えたの、あたしたちの騎士団よ。
――!
ユスティナ、もしどこにも行くあてがないのなら、あたしたちと一緒に来ない? レッドパイン騎士団に。
私を……誘ってるの?
……ホントに?
えっと、そう聞こえなかった?
……
レッドパイン……騎士団。
わかった。私も君たちに加わるよ。
――君たちと……一緒に。
ここまで来れば大丈夫。この先に迎えがいる、もう安全だよ。
傷の具合はどう?
問題ない、かすり傷にすぎん。だが、まさかお前たち感染者騎士の拠点が、都市の外縁や近村ではなく、都市内部にあるとはな。
感染者が街の中で暮らすことを許す奴はいるはずがない――いったいどんな手を使ったんだ?
別に何も。
お金さえあれば、難しいことじゃない。
ハッ、金……その通りだ。金さえあれば、この都市でできないことはないか。
だが、誰かが情報を漏らせば、お前たちは法律違反で捕まるぞ。
その誰かが口を滑らせる前に、私の矢がそいつを片づける。
誰にもレッドパイン騎士団に手は出させない。
ならば早く段取りを決めよう。今もあの無冑盟のクズどもが好き勝手していると思うと、一刻たりとも我慢ならん。商業連合会に弓を引くと決めたからには、行動はできるだけ早い方がいい。
さっさとそのリーダーに会わせろ。お前みたいに実力のある奴が、自らの意志に背いてまで命令に従う、感染者騎士のリーダーにな。
……
……背いてはいない。
――なに?
合成樹脂騎士の救出という任務は、ソーナの命令なんかじゃない。私が自分から志願したもので、私個人の意志に背いてなんかない。
……どういうことだ? 俺たちは互いに相容れない者同士と思っていたが。
それとも、お前が志願したのは騎士団の利益を尊重してのことか?
違う。
ただ……君には家族がいる。
どういう意味だ……まさか!?
あの虫けらども、子供にまで手を出す気か!?
心配はいらないよ。ソーナが護衛をつけてるから。無冑盟の殺し屋はすでに撤退してる。奴らは君の息子に何もしていない。
……
その件については感謝しよう。
お礼はソーナに言って。全部彼女が段取りしたことだから。
私が君のことを認めているかどうかと、君に不幸が起きてほしいかどうかは、別の話だよ。
ただ、君の息子を見て……
君がいないと、あの子には帰る家がなくなるって思った。
騎士ユスティナには故郷があり、そこには今も彼女の帰還に期待を寄せる家族や友人がいる。
でもそれは――感染者ユスティナにはない。
……感染者には行き場などない。
いいえ、感染者に限らず、ここでは多くの人に帰る場所がない。
私も、もう帰れない。
もし風が本当に私の音を運んでくれるのなら……
……
口を閉ざし、草笛の旋律以外は、何も伝えないで。
ユスティナを、みんなの記憶の中の、単純で平凡な……騎士を夢見る女の子のままでいさせて。