「初めまして」 幕間
「初めまして」
「その時、我々は他の三つの移動都市とドッキングする。それは同時に『カジミエーシュ騎士メジャー』の前奏でもあり……」
来るタイミングが悪かったみたいね。
地面が濡れている。どうやらつい先ほどまで、雨が降っていたようだ。
Elaは薄暗い空を見上げた。太陽を覆い隠しているのがいまだ晴れぬ暗雲なのか、ひしめき合う摩天楼なのか、それとも真夜中の電飾のように輝いている広告スクリーンなのかは分からない。
「タイミング悪く騎士競技の開催期間外に到着したとしても、心配はいりません。観光スポットや商業施設もきっとご満足いただけることでしょう」か。どれどれ……
「スウォマー食品会社本部見学ツアー」、「スウォマーランド」、「スウォマープライムモール」、「スウォマー工場ナイトツアー」……
……ご丁寧にスウォマーで使える十五パーセントの割引券が二枚も挟んであるわ。
まあ、きっともっとマシな場所がまだあるはず――
えっ、これで終わり?
入り口でスウォマー、ミェシュコ、それとローズ新聞の観光パンフレットを一部ずつもらうべきでしたね、Elaさん。
ごめんなさい、どなたかしら?
あなたは以前ドッソレスで、レイネル・コワルスキーの元で働いていましたね? 彼が今どこにいるのかご存じですか?
知らないわ。
本当に?
ドッソレスを離れてから、あの人にはもう一度も会っていない。
だとしても、どうかご協力いただけませんか? 彼が無責任に姿をくらませてから、大量の資産が手付かずのまま、カジミエーシュに残されておりましてね。
ドッソレスで彼と関わりのあったあなたなら、資産分配において、我々に有利な証言を提供していただけるはずです。そうすればあなたにも……
少し分けてくれるってこと?
もちろん、然るべき報酬は必ずお約束――
どうやら、本当に最悪のタイミングで来ちゃったみたいね。
もう一度言うわね。ドッソレスを離れてから、あの自分勝手な狐耳野郎とは会っていない。そして、私は今「ビジネス」とか「資産」とか、そういうことには一切関わりたくないの。
Elaは黒ずくめの男の前を大股で横切ると、ちょうど二人のそばで客待ちをしていたタクシーに乗り込んだ。
あまりもの勢いに、スウォマーの観光パンフレットが彼女の手からすっぽ抜け、水だまりに落ちた。ぐしゃぐしゃに濡れたパンフレットからインクがにじみだし、水だまりを鮮やかなピンクに染める。
……関わりたくないのなら、なんのためにカジミエーシュに来たんだ?
街の入り口近くにホテルがあって助かったわ……
……
失礼。
……まだ後をついてきてる。
この先は人目につかない裏路地みたいね。ちょうどいいわ。
……ここまできたら、もう偶然とは言えないわね。
(小声)改良版GRZMOTマインの一発目をお見舞いしてあげるわ。礼はいらないわよ。
抵抗はやめろ。そうすればさほど苦しまずに済む。
ちょ、ちょっと! そうです、そこのあなたです! 彼女に何をするつもりですか!
誰だ!?
フッ!
うっ……
大丈夫? ケガはなさそうね。
まさか一人で倒してしまうなんて……さっきの奴はどこに?
すっ転びそうになりながら逃げてったわよ。巻き込んでしまったあなたを置いて、追いかけるわけにはいかなかったから、見送るしかなかったわ。あなた、名前は?
ラファルです、記者をやっています。あなたは?
Elaよ。
その名前、なんだか聞き覚えが……まさかドッソレスでレイネルのボディーガードをやっていた方ですか?
あいつ、結構な有名人だったのね。
レイネル・コワルスキーは新聞社にとっては貴重なスクープですからね。
ラファルは懐からタバコを一本取り出すと、耳の後ろに挟んだ。
少しいいでしょうか? あの事件の前、彼は――
申し訳ないけど、もうお帰りいただけるかしら、記者さん?
すみません、失礼しました。
そろそろロドスの事務所に顔を出さなきゃ。これ以上面倒事が起こらないといいけど。
そこで右に曲がってちょうだい。
聴いてる? 右に曲がって。
すみません、次の交差点で曲がりますね。さっき騎士競技の結果を聞いてまして……俺、一発デカいの当てたんです!
今はメジャーはやってないんじゃなかったの?
小規模の試合なら普段からたくさん開催されてますよ。近所の騎士競技場に行ってみます?
興味ないわ。
いやいや、ぜひ行ってみてください。観光客なら、みんな――
さっき伝えた場所でお願いできるかしら。どうも。それと、また交差点を通り過ぎたわね。
ああ、すみません……
謝るくらいならちゃんと運転して。ほら、次の交差点はもう目の前よ。そろそろ減速してちょうだい。
ちょっと、聞こえてるの?
Elaは車のドアを開けようとしたが、固くロックされていた。運転手は未だ心ここにあらずといった様子だ。
彼女は突如、屋上からプールに落ちて無傷だったレイネルのことを思い出した。
ここはポーランドではなく、カジミエーシュだ。ここの人々がアーツでどのようなことができるかなど、自分のようなよそ者に想像がつくはずもない。
彼女は運転手の右足にチラリと目をやると、ハンドガンを取り出した。
動かないで。
一体何を――
Elaは身を乗り出すと、後部座席から片足を突き出し、空いていたほうのペダルを思いっきり踏みつけた。
タイヤが急にロックされたことにより、車体後部は勢いよく半円を描きながらも、なんとか次の交差点前で停止した。
その瞬間、大型トラックがものすごいスピードで、本来タクシーが通り過ぎようとしていた交差点を横切っていった。
どういうことか、これで説明して――
あれ……いない?
ただの運転手でしょう。大金を手に入れてうわの空だっただけなのでは? だってあなたを故意に事故に合わせようとしたら、その人も一緒に死んじゃうじゃないですか。
身を守るためのアーツが使えるか、防護装置を用意していたんじゃないかしら。車は外に停めてあるから、調べてみて。
なるほど。で、その車はどこに?
ほら、外に見えるあの駐車場に――
なくなってる!?
もうお引き取りください。お気持ちはよく分かりますが、他人に濡れ衣を着せるのは感心しませんよ。
いえ、これは濡れ衣ではありません! 僕もさっきこの目で見たんです、彼女が乗っていたタクシーのすぐ前を大型トラックが横切っていったのを。もう少しで大事故が起きていましたよ!
あなたは?
通りすがりの記者です! しかも今日、このElaさんをずっとつけ回していた男がいたんです。まあ、Elaさんに負けて逃げて――
部外者は出て行ってください。
君たちの横柄な態度が記事になってもいいのか!
書きたければ勝手にしろ。出て行けと言ったんだ! 今すぐ!
あんたも私のあとをつけてたの?
僕は――はい、すみませんでした。レイネルの元ボディーガードなら、きっと特ダネを掴めるかと思いまして……
それで、私が危うく交通事故に遭いかけた場面を見て、私の味方をして恩を売れば、口を割ってくれるだろうと思ったと?
……すみません。
待ってください、Elaさん! 尾行者の直後に事故なんて、立て続けにこんなことが起きるのはおかしいと思いませんか?
言われなくても分かっているわ。
でも僕は黒幕の正体にも、概ね見当をつけているんです!
へぇ、誰よ?
ボグダン・コワルスキー、レイネルの叔父ですよ!
彼はシュチェパンの遺産の「分け前」を寄越すよう、前々からレイネルに要求していました。レイネルが行方をくらませた今、あなたが代理で遺産の処理にきたと思い、始末しようとしているのです。
始末? カジミエーシュって、そんなに気軽に人を殺せるような場所だったの?
そんなことはありませんけど、財力や権力を持った人物であれば……ただ手招きするだけで、自分の代わりに手を汚してくれる人がたくさん見つかりますよ。
情報をありがとう。とても参考になったわ。じゃ、さよなら。
この街を出て行くのですか?
ハハ、まさか。この程度のことで、自分の予定を中断するなんてあり得ないわ。それに、命を弄ぶイカレ野郎には、しっかりお仕置きをしないと。
どうするつもりなんです?
手掛かりを集めていれば、必ず突破口が見つかるはずよ。
突破口ならもう目の前にあるじゃないですか。彼の行いは殺人の教唆ですよ。
それだけじゃ足りないわ。
では、そこに記者が一人加われば十分ですよ……率直に申し上げましょう。僕と協力して、奴を懲らしめる気はありませんか?
……
あなたもレイネルの元ボディーガードなの?
はは、まさか……でも僕は本気ですよ。ボグダンの老いぼれには、酷い目に合わされましたからね。
僕は元々、ローズ新聞傘下の新聞社で部長を任されていました。五年前、ボグダンが企画したとある美術展が散々な結果に終わったのですが、マスコミは絶賛の嵐だったのです。
誰かが真相を暴いて、あれがいかに酷い展覧会だったのかを、世間に知らしめる必要がある。そう思った僕は、一晩中かけて反論記事を書き上げたんです……
それが公表されなかったってこと?
いえ、記事は大きな反響を呼び、新聞も飛ぶように売れました。これは昇給間違いなしだって期待したくらいですよ。ほら、当時の新聞、まだ手元に残しているんです。
……確かに、ずいぶんな言い様ね。
でも一ヶ月後に僕が受け取ったのは、降格通知でした。奴は僕の解雇を再三要求したのですが、社長が庇ってくれたのです。ほとぼりが冷めるまでの処分ですけど、未だ戻れそうにありませんよ。
記者が、黄ばんだ新聞紙を丁寧に折りたたみ、もう一度懐にしまう姿を、Elaはじっと観察した。
何か考えはあるの?
簡単なことですよ。先ほどの交通事故が、嘱託殺人だと証明できる確かな証拠を見つけ出します。そうすれば主導権はこちらのものです。
(小声)ここはボグダンがいつも商談に使っている場所です。ここで張っていれば、何か目撃できるかもしれません。
(小声)シッ、車が来たわ。
……本当にさっきのタクシーとその運転手よ。
あいつが降りたら車をこじ開けますので、見張りをお願いします。
いや、私が――
いえ、カジミエーシュ製の車なら僕のほうが詳しいですから、ここは任せてください。
あれ、これはなんだろう?
この路地は一通り調べ尽くしたわ。これ以上はもう何も――
Elaさん、これを見てください。
小切手……しかもコワルスキーのサイン付き。
ラファル、あなた本当にツイてるわね。
と、当然ですとも。
その運、一体いつまで続くのかしらね?
それは……あはは。
街に着いてすぐ、報酬をチラつかせてElaさんを仲間に引き込もうとした男はいますか?
まだ探しているところよ……
もしもし? どうしたんだ?
パパ、あたしまた負けちゃった。
騎士競技の賭けはもうやめなさい。何度言えばわかる――待て、どこにそんな金があったんだ?
リールからちょっと借りたの。
……
今、立て込んでいるんだ。金もない。
でも、もう少ししたら手に入るって――
いた、あいつよ……あなたと似たような恰好をした男。きっとサラリーマンね。
見えました。
今の電話、娘さん?
ハハッ……ええ、まあ。毎日騎士競技の賭け事に夢中で、お金を渡さないと他人に借りにいくんですよ。
お喋りはこれくらいにしましょう。今度は僕たちが、奴のあとをつける番です。
集まった証拠は……
車内にあった謎の装置の写真、裏路地で見つけた小切手、私に話しかけてきた男が、コワルスキーの邸宅に入っていく瞬間を撮影した写真。
こんなものが「弱み」になるかどうか、疑わしいわ。
もしこんな証拠でボグダンを有罪にできたら、カジミエーシュの法的機関よりも、司法制度そのもののほうが信頼できなくなってしまうわね。
Elaさん、記事というのは公表するためだけにあるんじゃないんです。あえて公表せずに、相手を脅すために使うことだってできます。証拠もそれと同じですよ。
……
まだわかりませんか?
ますますわからなくなってきた。
はあ……いいですか?
奴が殺し屋を雇った証拠を突きつけて、軽率な真似はやめろと警告するんですよ。そのついでに、然るべき慰謝料も請求しましょう。
そうすれば、そのお金で他の都市に観光にだって行けます。まあ、四都連合の時期に一通り見て回りましたが、どこも似たようなものですけどね。
あなたはどうするの?
お金を持って、どこか別の場所で記者でも続けますよ。理想は故郷で新聞社を立ち上げて、地元にあるローズ新聞の事業を全部かっさらってやることです。
まだ記者を続けるつもりなのね。
そうじゃなきゃ、最初からこの業界には入ってないし、わざわざボグダンを怒らせたりもしてませんよ。
でも、それって恐喝じゃないの?
だったらなんだって言うんです? 奴は本気であなたを殺そうとしたんですよ。
だったらいっそのこと、コワルスキーが完全に失脚するまで、とことんやらなきゃ。
そんなことが可能だとでも?
レイネルについて訊きたがってたわよね? ちょうど、ドッソレスにいた時にミウォシュという人から、レイネルの両親に関する話を聞かされたの。
ミウォシュ……レイネルの秘書ですか?
一瞬だけ、ラファルが目を輝かせた。しかしそれは、すぐに分厚いメガネレンズの奥にしまい込まれた。
ほら、興味が出てきた。
いえ……レイネルの両親が、ボグダンに打撃を与えられるエピソードを持っているとは思えません。秘書であるミウォシュが直接話しても無駄でしょう。
シュチェパンとアリージアは仲睦まじい夫婦でしたから、そもそも大したエピソードもないはずです。
だけど、ミウォシュから聞いた話じゃ、とてもそうだと思えないけど。
ラファルの目からは、もはや分厚いレンズでも覆い隠せないほどの光が発せられていた。彼はカバンからペンを取り出し、続いてタバコを一本手に取り耳に挟む。
すみません、吸うつもりはありません。ただ、仕事の時にこうすると、インスピレーションが湧いてくるんです。
アリージャが亡くなる少し前に、驚くほど高額で落札されたあの欠けた彫像を知ってる? ミウォシュの話じゃ、あれにシュチェパンが吹聴していた哲学的テーマは、込められていないらしいわ。
Elaは可能な限り、個人の感情には触れず、ミウォシュから聞いた彫刻の話を客観的にかみ砕いて説明した。
しかし、「言葉の暴力」や「経済的支配」と比べると、「仲睦まじい夫婦」なんて言葉はどうしても無力かつ滑稽に思えてならない。
そんな……じゃあレイネルは? 彼はずっと父親のことを尊敬していたはずです!
レイネルは上っ面だけの父親を激しく憎んでいたのよ。でなきゃ、自分で建設したクリスタウォワギャラリーを爆破したりしないわ。
自分で爆破した!? そんなの、出回っている話と全然違うじゃないですか! Elaさん、いくらでもお支払いします。どうか――
これからのゆすり上げる予定のお金で払うの? それとも、ボグダンから既にもらったお金かしら?
それはもちろん――
――っ!
Elaさん、変な冗談はよしてくださいよ。僕はそんなんじゃ――
茶番はもう見飽きたわ、ラファルさん。
偶然の出会い、追跡者、難なく手に入った証拠……これまで起きたことはどれも怪しさ満点だけど、偶然で片付けることもできなくはない。
だけどさっき、ボグダン・コワルスキーを恐喝しに行くと言ったでしょう。
あなたは奴の二言三言で将来を台無しにされたと言っていたのに、私に奴を恐喝させようとした。警察や裁判所を明らかに買収できるこんな場所で。
目を覚ましなさい、ラファルさん。カジミエーシュ人はあなたのほうでしょう!
僕は……その……
どうしてほぼ確実に失敗するような計画を、実行に移そうとするのかしら?
私に恐喝の容疑さえ掛けることができれば、警察も裁判所もボグダンの味方をするから、でしょ?
僕だって本当はそんなことをしたくない……でも、さっきの電話も聞いてましたよね? 金がいるんですよ……
まだあなたの話を信じろと?
っ! 確かに僕は……ボグダンに尊厳を売り渡しました。ですが、僕の身に起きたことはすべて本当のことです。
それじゃあ、あの新聞の切り抜きは? まさか、演技が終わったから捨てたなんて言わないわよね。
ラファルは少し黙り込んだ後、懐からあの黄ばんだ新聞を取り出した。それはさっき見た時のまま、丁寧に折りたたまれている。
これを捨てたことは一度もありません。
なら今度は、あなたが反撃をする番よ。
反撃って……確かにシュチェパンとアリージアの一件は大スクープですけど、それとボグダンになんの関係が?
アリージアのあの彫像が支配と脅迫、暴力と虚言の元に作られたのなら、ボグダンが所有している他の芸術品はどうかしら……?
*カジミエーシュスラング*!
先に警告しとくわ。これはカジミエーシュの美術市場全体を根底から揺るがすに等しい行為よ。レイネルもそうしたかったけど、遠回りした挙句、大勢の命を奪いかけたのに、結局は失敗に終わった。
どうして彼が直接、真相を公表する方法を選ばなかったのか……憎んでいた父親の体面を保とうとしたからとは思えないけど。
ええ、分かってます。分かってますよElaさん。カジミエーシュがそんなことを許すはずがない。
ラファルがガタガタと震える手で耳に挟んでいたタバコを取ると、火を点け、深々と吸い込んだ。その顔はひどく青ざめている。
すみません、結局吸ってしまいましたね。ですがElaさん、一つだけ言わせてください……
僕はカジミエーシュの記者の中で、この件について知った最初の一人でもなければ、最初に公表しようと思った一人ですらないでしょう……
だけど僕はもう、カーテンの向こうに隠されていた驚愕の真実と同じ側に立ってしまっているんです。もしかすると、僕の前にはすでに何百人もここに辿り着いた。そして命を落とした……
でも、そんなの知ったことじゃない! このカーテンを切り裂くのは僕だ!
ボグダン・コワルスキーは愚かにも、直接あなたの命を脅かそうとした。あなたがいかなる手段を取ろうと、それは正当防衛と言えるでしょう。
加えて、現段階でロドスはカジミエーシュにとっての大切な客人……その一方、ボグダンは商業連合会にとってさほど重要ではない。彼が望んでいるものを手に入れることは、永遠にありません。
分かったわ。
ではあなたも、我々との間に結んだ紳士協定を決して破らぬよう、お願いいたしますよ。
ハッ、破れるような隙があるとでもいうの?
コワルスキー家のスクープが出る二時間前に関係者を全員抑え、新聞社には紙面に空欄を残さぬよう、一時間以内に代わりの記事を用意させた……
ほんと、カジミエーシュのやり方を見せつけられたわ。
それは我々も同じですよ。カジミエーシュに訪れてひと月も経たないうちに、陰で嵐を巻き起こし、危うく一つの産業を潰しかけるなんて。
最後にちょっとしたお願いがあるんだけど、ラファルに会わせてもらえるかしら? 彼は今どこにいるの?
元気でやっていますよ。どうしてもとおっしゃるなら特別に面会許可を出しますが、その場合、我々の紳士協定にもう一つ条項が追加されることになります。
Elaさん! お元気でしたか?
ええ、予想外の人脈のおかげで、こよないもてなしを受けてね……これが商業連合会が用意してくれた新しい職場? どんな仕事内容なの?
ラファルは唇を微かに震わせ、自分の襟元にチラリと目を向けた――何かが光っている――そして、タバコに火を点けた。
僕は今……ゴホン、出版前の新聞記事の校閲をしています。
すみません、耳にタバコを挟むのは仕事の癖ですが、今これを吸っているのは、ただ緊張をほぐすためだけです。
記事が世に出るまでの流れや基準について学べるのなら、悪くはなさそうだけど。
いいえ、最悪ですよ。ほら、見てください。これが僕が毎日、目を通しているものです。
『ザ・レッドワイン』?
どうです、素晴らしい新聞でしょう?
あなたをここに配属させた人は、ずいぶんと悪趣味なユーモアセンスの持ち主のようね。
もうこの話はやめましょ。娘さんはどうしてるの? 今の収入は、彼女のギャンブル代を賄うのに十分かしら?
ハハ、賄うどころか、特等席を買ってあげる余裕すらありますよ。今じゃ娘は競技場のVIP客です。
……ほんと、最悪ね。
ええ、ですがすべて少しずつ良くなってきていますよ。
どういう意味?
つまりですね、カジミエーシュはこれからも変わることはありません。変わるのは僕だけです。
報酬はたっぷり弾んでくれますが、それを受け取る条件は……おとなしくしていることです。
ラファルは顔を上げ、深々とタバコを吸う。今度は彼の襟下に仕込まれたマイクが、はっきりと見えた。
ほらね? これは最先端技術が使われている新製品です。前の僕では想像もできなかった高い給料と同様、僕をおとなしくさせるためのアイテムですよ。
これを外す度胸は僕にはありません。それともう一つのほうは……じきに僕のほうが離れられなくなってしまうでしょう。
……
人の意志や理想は、どんどんすり減っていくものです。そして、何も残らなくなったその時、すべてうまくいくようになる。そうなれば僕も、娘と同じ模範的なカジミエーシュの市民です。
ラファルは慌ただしくタバコの火を消すと、ずらりと並んだデスクの列へと戻っていき、自分の席に腰かけた。
Elaは室内を見渡した。ここに座っている人々は、皆ラファルと同じ仕事に勤しんでいるようだ。イラついている人、無表情の人、不安げに辺りを見渡している人……
かつて「そんなの知ったことじゃない」と叫んだ人が、ここに何人いるのだろう。それは、彼女に向かって目を細めているラファルだけかもしれないし、ここの全員なのかもしれない。
Elaはラファルに励ましの視線を送り返すと、ずっと持っていたままの『ザ・レッドワイン』に視線を落とす。
ゾフィア…………ゾフィア!?
「ウィスラッシュ」のゾフィア……心臓に悪い偶然ね。
こんにちは、Elaさんでいらっしゃいますか?
どちら様?
私は疾風騎士団のマネージャーでございます。騎士競技に興味はないか、お尋ねしたいと思いまして……
それで、次は申請費用の請求かしら?
いえ、どうか誤解なさらぬよう――えっ、直接お話を? かしこまりました……
お電話代わりました。疾風騎士団のメインスポンサーの者です。そして、ボグダン・コワルスキーとは、ビジネス上のライバル関係にあります。
まずはご無事で何よりでした。危機に迫られた際に、Elaさんが見せた並外れた身のこなしと判断力は大変素晴らしく、私どもとしても――
そっちはボグダンよりももっと上手に、私のあとをずっとつけていたって、素直に言ってくれたほうが、もう少し会話がスムーズに進むと思うけど?
どうやら、次は騎士競技みたいね。
騎士の国――カジミエーシュの騎士競技か……今回の勝負は引き分けに終わったけど、そろそろ次の勝負を始めようじゃないの、ボグダン。