長い廊下を抜けて 幕間
長い廊下を抜けて
わっ……! な、なに……?
バイビーク先生? 大丈夫ですか、火傷していませんか? カップの破片には触らないでくださいね。
ん~、きっと嬉しすぎて手が震えちゃったんだよぉ。もうすぐおうちに帰れるんだもんねぇ。
……
大丈夫大丈夫~、炎国なんかじゃ物が割れるのは逆に縁起がいいって言うからぁ。
いいよ、バイビークさんは座ってて。元々あなたを見送るために開いたお茶会だからさ。新しいのをいれて来るよ。
あっ、そこ! 危ないですよ! すぐに片付けますから、お茶を入れるのはその後にしてください。
……
バイビーク……
……一体どうしちゃったの?
(……収監されて一年以上経ってから、ようやく教えるなんて。)
(本当はそんなに気を遣わなくてもよかったのに。わたしはもう、気にしてない……気にしてないんだから、うん。)
(あっ、手紙と一緒にママが撮った写真も入ってる……ぷっ、パパの新しい眼鏡、変な色。)
(ママったら、わざと選んだでしょう……ふふっ。)
(あとこれは……服? それと新しいレイピア。素敵ね。使い勝手も良さそう――きっとパパがデザインしたのね。)
――ねぇ、荷物がまた届いてるわよ。これ以上は部屋が埋まっちゃうんじゃない? ご両親、家ごと送ってくるつもりなの……あら。
その手にしてる剣、当てましょうか? この後の訓練でさっそく使うつもりね?
ええ、パパが新しくデザインしてくれたんです。
まったく羨ましい話ねぇ。家にいた時も、ご両親にはうんと甘えさせてもらってたんでしょう。
そんなことありませんよ……
まぁ、照れてるの?
……オーキッドさん、これ以上からかったら、例のスカート作りはもう手伝ってあげませんからね!
あら、それは困っちゃう! バイビークが手を貸してくれなきゃ、新しい服が作れなくなるわ。どうしましょう~。
オーキッドさん! からかわないでくださいってば。
ふふっ、はいはい。もうちゃちゃはいれないから、ゆっくり読んでてちょうだい。
気持ちを切り替えて、バイビークは机の上にあるもう一通の手紙へ視線を落とした。
こっちのは、誰からの手紙でしょう。差出人は……書いてない。送り主の住所は……「監獄」?
「心優しいお嬢さん、僕は今、感謝の意を込めてこの手紙を書いています。僕はようやく心の安らぎを得ることができました。この穏やかな喜びを、どうにかしてあなたと分かち合いたいのです。」
「僕はずっと、何の罪もないあなたを源石で傷つけたことに心を苦しめてきました。それである日、カウンセラーの先生に助けを求めたところ、先生が僕の心のわだかまりを解いてくれたのです。」
「先生は言いました。人は自らの過ちを一度は許すべきであると。だから僕は自分にチャンスを与えました。僕は自分の過ちを許したのです。そして今、とても穏やかな気持ちです。」
……
「お嬢さん、僕はその先生に、あなたが今どんな気持ちでいるのかを尋ねたことがあります。僕が思うに、これ以上憎しみと苦しみに囚われ、安らぎを得られずにいるのは良くないと思います。」
「どうか聞き入れてください。僕たちは自分を許し、他人を許し、憎しみを忘れ、さらに憎む相手すらも受け入れなければ、新しい人生を歩むことができないのです。」
……?
どうしたの? ボーっとして……誰からの手紙?
これは……あの犯人、わたしを感染させた……あの人から……
なんですって!? ……なんて書いてあるの?
許しと安らぎを得られたと……書いてあります。
オーキッドさん、それって……いいこと、ですよね?
うーん……
実はここ数年……余計なことを考える暇もないくらい、毎日色んなことに追われて忙しく過ごしているうちに、段々とあの時のことを思い出すこともなくなっていったんです。
あの人も……どうやら心理カウンセラーに相談したみたいで、心の安らぎを得られて、わたしを傷つけたことの罪悪感に苦しむことはなくなったと書いています。
あの件はわたしもほとんど忘れかけていますし、彼もまだ監獄で罪を償っている最中ですが、彼なりにわだかまりを解いたことですし……
ならきっと彼は、監獄から出る頃にはもう、新しい人生を迎えられますよね?
あはは……それでいいと思います。もう昔のことですし、後腐れなく終わった方が、わたしにとってもきっと……
うれしい、こと……
バイビークの目から、ポタッと涙がひとしずくこぼれ落ちた。
えっ、なんで……
次の瞬間、堰を切ったように彼女の瞳から涙がとめどなく溢れて、頬を濡らした。
バイビークの顔には、困惑と慌てたような表情が浮かんでいる。
彼女は慌てて涙を拭こうと目元に手を当てたが、それは何の意味もなさなかった。涙は次々と流れ出し、こぼれ落ちて行く。とうとう彼女は泣きじゃくりはじめた。
ちょっと、いきなり泣き出しちゃってどうしたの? 大丈夫?
えっ、わ、わたし、どうして……?
ほら、ハンカチよ、使って!
あれ、えっと……あはは、ど、どうしちゃったのか自分でも分かりません……
た、多分もうすぐ家に帰れると思って、感極まっちゃったのかな。
ごめんなさい……情けないところを見せてしまいました……
そんなのいいから! 一回顔を洗ってきたら? 温かい飲み物を用意しておくわ。
さ、行っておいで!
は、はい!
わたし……
……一体どうしちゃったんだろう……?
バイビーク、どうだった?
はい、特別に二ヶ月の休暇をいただけました。アーミヤさんから家でしっかり休んできてねって。ロドスは来月クルビアを通過するので、その時に補給所で降りようと思います。
この機会に、パパとママとゆっくり過ごして、一緒にお出かけしたりしようかなと思っています。それでオーキッドさん、家族にお土産を渡したいのですが、何かお勧めはありますか?
外国の特産品がいいのか、それともロドスにちなんだものがいいんでしょうか……いや、いっそのこと自分で作った方がいい気も……
それとこういったものは、事前にトランスポーターに頼んで郵送したほうがいいのでしょうか? それとも自分で持って帰ったほうがいいのですか?
ひとまず落ち着いてちょうだい。そんなに慌てなくてもいいのよ。まだ時間があるから、じっくりと準備すればいいわ――
……手、冷たいわね、大丈夫?
あ……
オーキッドさん、実はわたし、少し緊張していて……
あの手紙をもらってから一週間……ずっと考えていたのですが……わたし今度帰ったら、面会に行こうと思います。あの人に会ってみようと思います。
……バイビーク。
はい、オーキッドさん。
そういう決心ができるのは、本当にすごいことだわ。
いえ……この一週間で何度も考えて、やっと決心できたんです……
一度は会ってみるべきだと、そう思っただけですよ。だって、これはわたしの……わたしが……
いいのよ、そんなに緊張しなくて。直接その人に会うのも、過去と向き合う方法のひとつ。その考え方、とても勇敢だと思うわ。
ところで、おみやげの話なんだけど、実は私もあまり詳しくないのよね。一緒に他の人に訊いてみましょうか。
はい!
リリーさん、ちょっといいですか? 来月実家に帰るんですが、なにかオススメのおみやげはありませんか?
炎国名物の酔鱗? ……なるほど、ありがとうございます。考えてみますね。
グムさんのレシピで作ったクッキーを? それは話題になりそうですね。キッチンに行って訊いてみます! ありがとうございます!
あ、グムさんは任務で留守? そうですか……
任務中に撮った写真? ご家族も喜んでたんですか……はい、なるほど……
ありがとうございました! いいアイディアが浮かびそうです!
(お店で買ったものよりも、手作りのプレゼントのほうが喜ばれるみたいね。)
(というより、愛情がこもっていて、送り主を思い起こせる物であればそれでいい、ということかな。)
数日後
新しい服、もうできちゃうんですか? さすがバイビーク先生、すごい効率です!
それほどでも……それと、編み物の基本を少し教えただけですし、先生と呼ばれるほどのことじゃないですよ。
それに比べて……うぅ、始めてから結構経つのに、私のほうはまだ裁断が終わったばかりです。お父さんに贈るお洋服、いつになったら完成できるんだろう……
初心者にしては十分上達が早いほうですよ。コツコツ続けていれば必ず完成しますから。
そういえば、ここ何日かずっといろんな人に実家への手土産について聞いて回ってたよね? 結局服を作ることにしたの?
ええ、皆さんに教えてもらった内容を元に色々考えたんです。
ウルサス名物のはちみつドリンクや、任務の途中で買ったサーミ産特製燻製肉よりも、割れてしまった手作りクッキーの方が家族に喜んでもらえたそうです。
手作りの方が家族への思いがよりたくさん詰まっているからでしょうね。
そういうわたしも、布地を用意していた時にはじめて、今の両親の服のサイズもわからないことに気づき……それで仕方なくサイズにゆとりのあるコートを作ることにしたんです。
いいじゃん、コート。暖かいし見た目も色々と工夫ができるしさ。ところで、帰るのは来月じゃなかった? もう何日も夜なべしてるみたいだけど、そんなに急がなくても十分間に合うんじゃない?
それはそうですが……ただ最近、手が空くとなんだかそわそわしてしまって落ち着かないんです。
もうすぐ家に帰れるから興奮してるんでしょ、みんなそうだよ。
えと……それって、悪い人に会いに行くからじゃないんですか……本当に大丈夫なのでしょうか?
悪い人とは、なるべく距離を取ったほうがいいと、私は思いますけど……
それなー、実は結構心配してたんだよ。だいたいそいつと話すことなんかあるの? 手紙だって、呼び寄せるための罠かもしれないしさ。もし実際に会って何か変なことでも言われたらどうすんのよ。
それは、分かりません……
でも……きっと、大丈夫だと思います。
普通に面会するだけですから。見張りの警官だって大勢いますし、会話もガラス越しですし。
別に何かしたいから行くわけではありません。監獄の中でどんな風に過ごしているのか、確認したいだけです。
自ら進んでカウンセラーに相談して、しかもあんな手紙を書いたからには、あの人にも真面目に生きたいという気持ちがあると思うのです……
今はもう落ち着きを取り戻して、今後をちゃんと生きていくつもりなら、それでいいんだと……ええ、わたしはそう思っています。そうですよね?
私がバイビークさんなら、一番お気に入りの服を着て、全力でおめかしして、今すっごく幸せです、過去なんてちっとも気にしてませんよアピールしてやるけどね。
でもまあ、行くのはバイビークさんだし、自分がしたいようにすればそれでいいんじゃない?
はい。
わたしがしたいように……
みんな~、集まって何してるのぉ? ちらっと「服」がどうって聞こえたよぉ。
かっこいい服だったらラヴァちゃんがい~っぱい持ってるからぁ、借りればいいんだよぉ。コーディネートも手伝ってあげるねぇ。マスクがついてるやつがいいと思うんだぁ。
監獄に行くなら、舐められないようにしないとねぇ。
ぷっ。
もう、またそんなテキトー言って。
でもバイビークちゃん、笑ってくれたよぉ?
皆さん、いろいろ考えてくれて、ありがとうございます。
(けど、わたしは本当は何がしたいんだろう……)
……
あれ、なんでまたパターンを起こしてるの?
(服を作るんです……監獄の中のあの人のために……)
(デザインに感情が反映されるのなら、わたしがあの人を思ってデザインする服はどんな風になるんだろう。)
(黒い服、温かい服、ダメージ加工の服、着心地を重視した服、動きにくい服、醜い服……一体どれ?)
(でも、どうしてあの人のためなんかに、服を作ろうと思ったんだろう。このラインの一本一本に、生地に、ステッチには、わたしのどんな感情が現われてるんだろう。)
(……分からない……)
……
すっごく集中していますね。こっちの話は聞こえてないみたいです……
バイビークさん?
バイビークからの返事はやはりない。彼女は机にうつむき、絶え間なく紙に線を描いている。
う~ん、じゃあ私はちょっと寝てようかなぁ。
はぁ、大丈夫かなぁ。バイビークさんのご両親も一緒に付いてってくれるならいいんだけど、一人で行くならやっぱり心配だよ。
でもいい風に考えれば、面会してもなんともなかったら、この一件は本当に決着がついたってことになるね。
Zzz……
バイビーク先生、今日はもう何時間作業してるんですか。根を詰めすぎるのは良くないです。そろそろ休みましょう? ほら、クルースさんはもう寝ちゃいましたよ。
うーん……
あと少し……ちょうど使えそうな布が余ってますから……
……切りのいいところまで終わらせたら……
えっ? ついさっき始めたばかりなのに、もう裁断の段階に入ってるんですか?
でも、ご両親の服はもうできたはずじゃ? その新しいのは……?
これは……
バイビークは突然手を止め、形になりつつある黒い上着を見つめ、愕然とした。
形と裁断は整っているものの、縫い目は乱れ、布地はざらつき、縁の処理もいい加減なものだった。
無性にそれを切り刻みたくなり、彼女は無意識に机の上にある裁ちバサミに手を伸ばした。
これは……
これは、監獄にいるあの人のことを考えながら作った服です。
ええっ、服まで作ってあげてるの!?
うぅ〜ん、なになにぃ?
……うわぁ。
尊敬するよ、バイビークさん。本当にもう乗り越えたんだね。
自分を傷つけた人に服を作ってあげるなんて……本当にすごいよ。
私だったら絶対にできないや。
感心するオペレーターは椅子から立ち上がると、バイビークの肩をポンと叩いた。
私が君だったら、自分を傷つけた奴になんか一生会いたくないよ。住所を変えて、もう二度と連絡がつかないようにするし、ましてや服を作るなんて絶対にありえないね。
一生恨んでやる、絶対に許さないんだから。
バイビークさん、これまではあなたをただ芯が強くて勇気のある人なんだなって思ってたけど、今はもう……ただただ尊敬してる。
君は本当にすごい人だよ。
バイビークは何かを言いたげに口を開いたが、結局は何も言えず、ただ小さく微笑んだ。
ハサミを持つ手の力が抜け、彼女はふぅとため息をついた。
ありがとうございます……でも、わたしもどうして自分が……
……
……いえ、何でもありません。そう言ってくれてありがとうございます。カリンさん。
もう遅いですし、部屋に帰って休みましょうか。
うん! それじゃあバイビークちゃん、またね~。
ねぇ、クルース。バイビークさんいつ出発するか知ってる? ちゃんとお見送りをしようと思って。
そうだな……小さなお茶会でも開こうかな。
へぇ、それは面白そうだねぇ。
あの、でしたら会場のセッティングが必要ですよね。わ……私にも協力させてください! バイビーク先生にはお父さんの服作りを手伝ってもらってるお礼もありますから。
みんなー、準備はいい?
気を付けてね、ティーカップは熱いよぉ。
お菓子よし、紙吹雪よし……あとは、バイビーク先生を待つだけですね。
みんな、バイビークを連れて来たわよ!
皆さんすみません! 荷物をまとめていたら、遅くなって……
あれ……! クラッカーの紐が、ちょっと待ってください――
パンッ――!
テーブルを囲んだオペレーターたちがクラッカーを鳴らし、紙吹雪が舞い散った。
――バイビーク先生のミニ壮行会、スタートです!
は〜い、バイビークちゃん、紅茶だよぉ。
道中気を付けるのよ。
いつも真面目に頑張り、みんなのために綺麗な服をたくさん作ってくれて、外勤任務も怠らないみんな大好きバイビークさん! 里帰りを楽しんでね!
えっ、いえそんな……皆さん大げさですよ!
ちょっと家に帰るだけで……
バイビークちゃんは今日は何もしなくていいからね。思う存分楽しめばいいんだよぉ。
バイビークさん、この数年一緒に仕事をするうちに、君のことはもう家族同然に思ってるんだ。
一見弱気な感じだけど、本当はすごく芯が強くて、決めたことなら必ずやり遂げられる。君は本当に立派だよ。
そんなことないですよ……皆さんが助けてくれるおかげなんです。わたしなんて、全然立派なんかじゃ……
はい、バイビーク先生、このお菓子を食べてみてください。焼きたてほやほやですよ。
先生の壮行会と聞いて、食堂のスタッフさんが張り切ってました。これは最高においしく作らなきゃねって。
はいは~い、バイビークちゃん! カンパ~イ! フェンちゃんには内緒にしてね。「お茶は乾杯するものじゃない」とか、小言を言われちゃうかもぉ。も~、意地悪なんだからぁ。
はぁ、私たち年はそんなに変わらないけど、私は君みたいに勇敢にはなれないよ。今の君はロドスに来たばかりの頃と比べたら、本当に大きく成長してる。見違えるほどだ。
いえ、その、ありがとうございます……皆さん……
他はさておき、自分を傷つけた相手にも服を作ってあげられるなんてさ、尊敬しちゃうよ。
想像してみても、絶対できないもん。
そういう感じじゃないんですよ。実のところ、どうして作っちゃったのか、自分でも分からないんです。ただつい……
バイビーク、もしかしたら今回の帰郷で、この件に本当の意味で終止符を打てられるかもしれないわね。
これが「徳をもって恨みに報いる」ってやつかな……納得したわ。
徳をもって、恨みに報いる……
ともかく、気を付けて行ってきてね!
はい……はい! 皆さん、ありがとうございます。
ありがとうございます……
わたし……
(「徳をもって恨みに報いる」……みんなの目には、わたしのことはそんなふうに映っているのね。)
(わたしはいい人、優しい人。つまりそういう意味だよね。)
(みんなは、そんなバイビークのことが好きで、感心してくれて、そんなバイビークのために壮行会まで開いてくれた。)
(みんなの目には、わたしの行いはとても立派に映っている。自分を傷つけた人にさえ、服を作ってあげてるものね。)
(パパとママには、人様に立派だと思われる、礼儀正しい人間になりなさいと、子供の頃から言われてきた。だから、そんな風に思ってくれていることを喜ばなきゃ……)
……
(でもわたしは本当に……嬉しいの?)
(……そんなバイビークのことを、わたしは好きなの?)
(わたしは……そんなわたしが好きになれるの?)
皆の素直な笑顔を前に、バイビークは突如、体が火に包まれたような錯覚に陥る。
ふと、何もかもが耐えがたいと感じた。まわりの笑い声が耳をつんざき、照明の光がやけに眩しく、ティーカップも熱くて手に持てない。何かを壊さなければならないという感情が彼女を駆り立てる。
そう思うや否や、手が滑ってカップが床に落ち、パリンという音と共に砕け散る。その音にバイビークはぶるりと震えた。
その瞬間、何が起きたのかは誰も見えていなかった。気が付くと、床はすでにカップの破片とこぼれたお茶にまみれていた。
わっ……! な、なに……?
バイビーク先生? 大丈夫ですか、火傷していませんか? カップの破片には触らないでくださいね。
ん~、きっと嬉しすぎて手が震えちゃったんだよぉ。もうすぐおうちに帰れるんだもんねぇ。
(違う……)
大丈夫大丈夫~、炎国なんかじゃ物が割れるのは逆に縁起がいいって言うからぁ。
いいよ、バイビークさんは座ってて。元々あなたを見送るために開いたお茶会だからさ。新しいのをいれて来るよ。
あっ、そこ! 危ないですよ! すぐに片付けますから、お茶を入れるのはその後にしてください。
(なんだか突然……自分の本心に気づいたみたい。)
バイビーク……
……一体どうしちゃったの?
いえ……大丈夫です。手が滑ってしまっただけです。
すみません、皆さんどうぞ続けて……あ、服にお茶がかかったりしてないですよね?
片付けはわたしにやらせてください。カップの欠片もほぼわたしの足元にありますし、こっちからのほうがよく見えますから。
ふぅ――そうですか。それじゃあ、お願いします。
ご無事ならよかったです。びっくりしましたよ。
わたしの不注意ですみません。
(でも、おかげでようやく分かった。わたしはきっと、そんな自分が好きじゃない。)
あの、皆さん……わざわざこのような場を設けていただき、本当にありがとうございます……ロドスに来てからの数年間、肩を並べて戦う戦友も、一緒に服をデザインする友人も出来ました。
わたしにとって、ここでの経験はとても貴重なものです。
(みんなには本当に感謝してる。こんなたくさんの祝福、本当にありがとう……)
家に帰ったら、パパとママには真っ先にこう伝えたい――ロドスで出会えた素敵な友人たちは、皆優しくて気遣い上手で、わたしのために壮行会まで開いてくれたんだよって。
(心は……もう決まった。ちゃんと考えて決めたから、後悔は絶対にしない。)
えっと、まだ完全には停泊してないみたいですし、もう少しだけお話ししていましょうか?
バイビーク、気をつけてね! 着いたらちゃんと休むんだよ!
いってらっしゃ〜い。
お菓子を包んでおきました。小腹がすいたら食べてください!
無事に帰って来てね!
ありがとうございます。それでは、行ってきます!
はい、申請は提出済みで、許可もおりています。予約した面会時間は今日の午後3時から3時30分までです。
それでは申請証明をご提示ください。確認して参りますので、少々お待ちくださいね。
……
問題ありません。こちらへどうぞ。
はい。
面会の前に、最後にいくつか手順を踏む必要があります。
まずはこちらの面会時注意事項にサインをお願いします。先ほど提出して頂いた申請証明の返事も、間もなく返事が返ってくるはずです。
はい。
それからこちら、面会者情報登録書です。ここにご氏名とその他の情報をご記入ください。
はい。
最後に安全に関する注意事項です。この場で目を通してください。今から囚人に通知を行いますので、その後面会室へご案内いたします。
分かりました。ありがとうございます。
……
ふぅ……
いよいよね。
五分。
十分。
二十分。
時間の流れがとてつもなく遅く感じられる。カップの茶がすっかり冷めきった頃、ようやく看守が応接室に戻ってきた。
手続きの確認はすべて完了しました。先ほどの安全に関する注意事項へのサインがお済みであれば、面会室へご案内します。
はい。よろしくお願いいたします。
……ああ、心優しいお嬢さん! 来てくれたんですね!
僕の手紙を読んだのですね? 僕が書いた通りに、自分にチャンスを与えたんですね? これで僕もあなたも、過去を捨てて、安らぎを得られます!
やはりカウンセラー先生の言った通り! 人は自らの過ちを許し、わだかまりを解くべきです。僕はそうして安らぎを得ました。あなたもきっと!
お嬢さん……本当に、心から感謝しています!
バイビークは無言で手に持っていた包みを差し出した。
なんと……僕に贈り物まで持ってきてくれたのですか?
……これは……手紙? 僕が書いた手紙? わざわざ持ってきたんですか?
興奮した犯人は手を伸ばし、窓の下の隙間から、バイビークの震える手に触れようとする。
そして、彼とバイビーク、二人の視線が交差した。
そっと開かれたバイビークの口から、短い一言が放たれる――
バイビークは立ち上がり、踵を返し、面会室の扉に向かって歩き出した。
犯人がガラスを叩く音が背後に響く。看守はすぐさま駆け込み、面会室の中には雑然とした音が飛び交った。彼女はそれをよく聞き取れなかったし、聞きたくもなかった。
バイビークは扉の向こうへ出て、長い長い廊下を歩き、やがてそれを通り抜けた。
外の日差しは明るい。彼女は空を見上げて、ふぅと息を吐いた。