出発の日 幕間
出発の日
(クンクン)
(うろうろ)
(ひづめで地面を叩く)
モ~!
どうしたの? 何か見つけた?
モォ~~〜!
誰かいるの? どっち? 連れてって。
今回は事前に警告して、周辺地域もスムーズに撤退してたんだけどな。来る途中で見かけた家はとっくに空っぽだったし、間に合わなかった人はいないはずだよ。
モォ。
ここ? 誰もいなさそうだよ。
(鼻を廃墟の石に押し当てる)
待って、動かしちゃダメ! 見えなくても、この下に人がいるかもでしょ?
ジャンボ、私が見てみるよ。ちょっとそこどいてね。
おーい! 聞こえるー?
わたしはノマドのブリギッドだよー。誰かいたら、近くにある硬いものでわたしの真似して叩いてみて!
返ってきたのは長い静寂。ブリギッドはパートナーの駄獣の勘違いを疑った。しかしふと辺りを眺めると、近辺に倒壊した家屋と散乱した物資の袋があった。
すでに天災発生から二十四時間以上が経っており、生存者がいたとしても救出できる可能性は極めて低い。
……うーん、生きてる人はいないっぽいね。ジャンボ、間違えたんじゃない?
(怒ったようにひづめで地面を叩く)
わかった、わかったって! でも何の音もしないし、きっと勘違いだよ。
モォー!
しっ、待って……
(レンガを叩く音)
(微かな人の声)
……ほんとに人がいる!
外はこっちだよ! 話してみて。周りに明かりはある? いるのは君一人だけ? それとも――
――娘――
ブリギッドは廃墟に伏せ、最も声がよく聞こえるところに耳を当てる。彼女は生存者の声を一つも漏らさないように、できる限り強く押しつけた。
たす……け……
もっとはっきり!
娘を……助けて……
娘? そこにもう一人いるの? 娘さんはどんな状態?
いくつか小さな音がした後、女性の声はいくらか鮮明になった。
真っ暗で、よく見えないんです……瓦礫の下に埋もれてしまって……娘は気を失っていて、どんな状態かわからず……
お願いです、助けてください――
娘さんはそこにいるの?
はい……腕の中に……一緒に石の下敷きになっていて――
娘さんを抱いてるんだね。なら深呼吸して、耳を澄ませて全身で娘さんを感じてみて。息はまだしてる? 温もりは感じる?
……うぅ……は、はい!
よかった。じゃあ今から、ずっと話しててね。
ゆっくりでいいよ。人って急に気が緩むと気絶しやすくなるから。
何でもいいから話してみて。娘さんの年齢とか、君の髪色とか……
ノマドはすっと立ち上がり、腰につけていた鈴を取り外して持ち上げると、開けた場所に歩を進める。
鈴と風の音が響く中、彼女は原野を渡り歩く仲間に救援のメッセージを送った。
……娘は三歳で……私の髪は赤色です……
種族は? わたしはペッローだよ。
フェリーンです……私も、娘も……
君の名前は?
イブリン……
娘さんの方は――
すみません、あまり聞こえなくて……
……ノマドさん? ノマドさん! まだそこにいますか!?
ごめんごめん、助けを呼んでたんだ。娘さんを守って、君はすっごく勇敢なんだね。もう少しで仲間が来るから、そしたら二人とも助けられるよ。
ま……まだかかるのですか……?
時間が……時間がないんです……
大丈夫! 君はまだ元気だし、娘さんも腕の中で生きてるでしょ。ここに来るのは難しくないし、今のところ余震の兆候もない……信じて、二人とも助かるから!
ですが――足の感覚がないんです! たとえ出られたとしても、もう……
えっ――
だから私のことは構いません。ノマドさん、救助の方を待つのではなく、今すぐこの子だけを――
お願いです!
たとえ両足がなくなっても、君にはまだ目と腕がある。
まだ娘さんを見ることも、触ることもできる。せっかく天災から娘さんを守ったのに、こんな所でその子を手放しちゃうの?
どうして?
ノマドさん、あなたにはわかりません……
わからないかもしれないけど、説明してみてよ。ほら、「話し続けて」って言ったでしょ。
でも今みたいに声を張り上げるんじゃなくて、ゆっくりね。でないと喉がすぐ渇いちゃうし、体力もなくなっちゃうよ。
ですが……
……ブリギッドさん?
おっ?
ネモス! メッセージが届いたんだね。でも、こんなに早く来てくれるなんて!
メッセージですか?
風の音を聞く方法、前に教えたでしょ。忘れちゃったの?
いや、きっと覚えてるはずだよ。でなきゃわたしの場所をこんな正確に見つけられないもん。それより、ちょうどいいところに来てくれたよ。早く来て――
「霊の守人」、我々は緊急任務の最中です。無駄にする時間は……
ええ、すぐに済ませます。それと彼女は私の友人、ターラーのノマドです。
ネモス、その兵士さんたちは……?
ダブリンの救援小隊です。私とナ・シアーシャから来ました。
ふーん。
とにかく、助けに来てくれたんだよね? 近くの小型移動都市の住民は無事避難したんだけど、間に合わなかった人をふたり見つけたんだ。
このエリアの下ですか?
そう、わたしがついさっき立ってた場所。親子二人で、母親はまだ意識があって会話もできる、娘さんも気を失ってるけど、まだちゃんと息をしてる。
ブリギッドさんは、これから他の場所を調査するんですよね?
うん、そのつもりだよ。だから近くの仲間を呼ぶためにメッセージを送ったんだ。一人より何人かの方が早いし、ほかの場所も見て回れるからね。
では、ここの救助活動は私たちにお任せください。あなたは別の場所に行っていただいて結構です。
「霊の守人」、「将校」から受けた救援任務は――
わかっています。ですがこの下にもターラーの生存者が二人いるのです。ダブリンはターラーのダブリン、違いますか?
ここの救援は私たちが引き継ぎます。ブリギッドさん、それで構いませんか?
もちろん。わたしたち、前もこうして協力したじゃない。それに今の君には助っ人がたくさんいて、わたしが手伝う必要もないしね。
ついてきて。場所を教えるから。
……別行動をしましょう。一部はここに残り救援を、残りは私と一緒に――
し、しかし!
焦っているようですね。親子の状態はどうでしたか?
おおよそあのノマドが伝えていた通りの状況です。しかし二人分の安全なスペースを確保するために、総員で瓦礫を撤去してから救出を行ったとしても、かなり時間がかかってしまうでしょう。
今回の我々の目標……ヴィクトリア人に包囲された難民の救助は、一刻を争います。
つまり、別行動する余裕はないというわけですか。
はい。それと、生き埋めになっている母親はどうしても意思決定者であるあなたと話がしたいそうです。
……
では話しましょう。
……ここ、さっきも来たよね。あの親子がいた場所でしょ?
ネモスたちはもう離れたみたいだから、二人ともとっくに救出されてるはずだよ。こんな無駄足を踏ませるなんて……ジャンボ、また食べすぎたんでしょ?
ブルル……モォー!
(突進する)
ちょ、ちょっと! どこ行くの!? 冗談だからさ、勝手に走らないでよ!
ねぇってば――
……
これって……
人の身体が、廃墟に埋もれている。近付いてみると、土とほこりに塗れて灰色になった顔に、わずかに鮮やかな赤色が見えた。
それは女性の髪だった。
……イブリン?
(弱々しい呼吸)
まだ息がある――ねえ、イブリン! 目を覚まして!
イブリン!!
げほっ……ごほごほっ、うぅ……
イブリンだよね? どうして君だけ置いてかれてるの?
……ネモスは? あのダブリンの人たちは? 君を助けたはずじゃ――
霊の守人さん……
……どうか娘だけは……助けて……
お願いします……
私はいいから……娘を連れて行って……早く!
……え?
もう……伝えたはずです。
何を言ってるの? わからないよ、もう一回言って!
ノマドは持ちあわせの道具で瓦礫を除去していく。しかし一人ではなかなか進まず、そうしているうちに女性の声はどんどん弱まっていく。
あの石……きっと……私はもう感染しています……
もし生き延びても……受け入れてもらえません……
……それに、足が……動きません……
私は足手まといになるだけです……
あぁ……
だめ! そんなの――
間違ってる!
あなたも……近づかないで……
わ……わたし――
「わたしがあなたを助ける」「わたしならあなたを救える」……わたしは何と言えばいいんだろう。
どちらも、もう不可能だった。廃墟は先の救援活動により様相が変わってしまったのだ。女性の腰にのしかかる崩れたレンガや壁が、彼女の身体を支えながら、次第に彼女を押し潰していく。
……「一人より何人かの方が早い」……とは言った、けど……こんなやり方……
空間の上を蓋してた石をどかしたせいで、周りの瓦礫が支えを失って君のところになだれていった。
何があっても君が娘さんを守るのを知ってたから、彼らは崩れるのがわかってても石をどかしたんだ。
そういうことだよね。
現実とは皮肉なものだ。子供を助けたいという気持ちが、母親自身を死の淵に追いやってしまったのだ。今更誰かが戻ってきても、もはや助かる状態ではない。
でも、ネモス……どうしてこんなことをさせたの?
ちょっと時間がかかっても、二人とも助けられたのに……
(悲しい声)
げほっ……ごほ、ごほっ。もう……やめてください。
でも――
だったら……あなたにしてあげられることはある?
では……あなたは、「霊の守人」と呼ばれていましたね……
ネモスのことを言ってるの? それは別の人で、わたしは霊の守人じゃないよ。
……あなたがどなたかは、わかりません……ですが……
私が完全に……息絶えたら……どうか……
どうか、霊の守人のやり方で……葬ってもらえませんか?
それは……
ッ……かはっ……
女性は間もなく声も出せなくなるだろう。穴の空いたふいごのように胸を動かすも、何の意味もない。
その時は、もう目前だった。
ごふっ――
痛みから女性は眉根をきつく寄せ、灰に塗れた顔が急に紅潮した。
うぅ……
……
ノマドは無意味な掘り起こしをやめた。彼女は道具を置き、血のついたざらざらの手の平を女性の歪んで強張った額に当てた。
……これで、いい? 前にネモスが――霊の守人がこうやってたんだ。
痛みのうちにある人を慰めたり、家族を失った子供を安心させたり……こうやってゆっくり撫でたら、いろんな苦痛が追い払える。
私の手は、霊の守人の手じゃないけど……
(鼻でブリギッドの体を押す)
ジャンボ、イブリンのそばにいてあげて。温もりが届くかもしれないから。
……霊の守人さん? アヴァ――娘は、連れて行ってくださったのですか?
うん、連れて行ったよ。落ち着いて、娘さんはもう大丈夫だから。もう話さないで……
あぁ、あぁ……ありがとうございます……本当にありがとうございます……
うん……
ごほ、ごほっ。まだいるんですね。なら――
ほかにしてほしいことがあるの?
ナ・シアーシャが――見たい――
ナ・シアーシャが見たいんだね。うん、任せて。
うぅ――ああ!!
痛い……痛い……! 足は……足はもう、感覚がないのに、どうして――
っ――ごほっ、げほげほっ!
モォ!
それ以上は話さないで……
……っ……
もう、休んでいいんだよ。
かはっ……あ……あぁ……
女性が最後に深く息を吐くと、地面から出ていた上半身はぐったりと力を失った。ブリギッドはその時ようやく、女性の身体は瓦礫に潰され、とうに砕けていたことに気付いた。
……
モォ。
(ブリギッドの背中を押す)
うん、わかってる。彼女を出してあげないとね。ここに残して、牙獣の餌にするわけにはいかないよ。
ジャンボ、一緒に……
イブリンに、ナ・シアーシャを見せてあげよう。
一人のペッローと一頭の駄獣が、死者を森の端まで運んでいく。黒い森はノマドの進入を黙認していた。
さらに進んでいくと、道の果てにレンガと石でできた明るいナ・シアーシャの街がそびえ立っていた。
ふぅ……
ごめんね。そんなに大きなかがり火は灯せなかったから、君の言ってる霊の守人みたいには火を返してあげられないんだ。
あと、君は鉱石病には感染してないと思う。感染者が死ぬと、体が爆発することがあるんだ。でも君は、空が暗くなっても、こうして落ち着いてるでしょ。
……
それにたとえ感染してたとしても、そんなふうに死ぬべきじゃないと思うの。
ここまで来る途中、君を遺跡に連れて行って、本物の霊の守人を訪ねようとも考えてたんだ。でも君は、ナ・シアーシャを見たいって言ってたから……
色々考えて、結局ここに連れてきたんだ。
(低く悲しげに鳴く声)
ポジティブに考えてみよう? もしかしたら……
ネモスはもう、アヴァちゃんをナ・シアーシャに連れて帰ってるかも。君をここに埋めてあげれば、誰の迷惑にもならないし、遠くから娘さんを見れて、声も聞ける……かもしれない。
(野花を口にくわえて墓前に置く)
ジャンボ、わたしにも同じようなお花を――
……いや、やっぱり自分で探すよ。君はここでイブリンのそばにいてあげて。
ブリギッドは黒い森を出て、開けた土地まで来た。
ここなら、風の音が葉擦れの音でかき消されることもない。彼女がこれから発する言葉も、はっきりと友人に届けられるだろう。
群れを離れた霊の守人よ、もしまだこの声が聞こえるなら……
……さてと、お花を探さなきゃ。
草花を蝶々結びにしたら、ネモスはきっと来てくれる。前と同じように、遺跡の石壁を越えて、灯台の明かりが消えた岬を越えて――
空が明るくなる前に、わたしの元に来てくれるんだ。
名前のわからない、二つの花の束。一つは落ち葉で包み、赤毛の女性の小さな墓の前に。もう一つの蝶々結びした花は、地面に座った自身の足元に。
夜明けが来るまで彼女は待った。胸中を巡る疑問を解消するためだけに、日の出の瞬間、問うた言葉が効力を失うまで待ち続けた。
彼女は待つことをやめた。
……
(鼻でブリギッドを小突く)
来なかったね。
(優しく頬ずりする)
ね、ジャンボ。実はこれまでも毎回……わたしの気付かなかったところで、ネモスはこういう選択をしてきたのかな?
ネモスはずっと、ほかの霊の守人とは少し違ってた。そして遺跡も原野も離れて、車輪がいっぱい付いた都市に行ってからは……
あの子はもっと変わっちゃった。
モォー……
わかってるよ、ジャンボ。もう明るくなっちゃったから、ネモスは来ないって。
行こっか! もう十分すぎるくらい待ったしね。
ブリギッドは駄獣を支えに立ち上がる。蝶々結びの花はそのままにして、寒い中座り続けて固まった手足を動かした。
最後に、そばに立つ小さな墓を振り返った。その背後にある、陽の光を反射して輝く移動都市ではなく。
さよなら、イブリン。
ノマドが去ってからしばらくの時が経って、別の手が色褪せて黄色くなった蝶々結びの花を拾い上げた。
……
ブリギッドさん?