保安官バッジ 幕間
保安官バッジ
引っかかってるみたいです。足はなんとか掴めますけど……
引っ張り出せ。
母獣を傷つけてしまわないでしょうか?
こいつらはお前が想像しているよりもずっと強い。無駄な心配はするな!
では行きます!
今だ、思いっきり引っ張れ!
口と鼻についた粘液は拭き取りました。呼吸はできているみたいですが、蹄が柔らかすぎて立ち上がれないようです。このままでは母乳が飲めません。ウッディさん、どうすればいいですか?
今はとりあえず見守るんだ。
は、はい……
……ダメみたいです。やっぱり立てそうにありません。
産まれるのが早すぎたんだろう。今日の事故がなければ、最低でもまだ二週間は母親の腹ん中にいたはずだからな。
仕方ない、ひとまず連れかえって、しばらく人の手で育ててやるとしよう。
ですが……もしずっと立てないままだったらどうするんですか?
こいつの運命を勝手に決めつけるような発言はよせ。さっきも言ったろ、こいつらはお前が思っているよりもずっと強いんだってな。
……
ウッドロウさん! 大変です! 今すぐ野営地に戻ってください!
何があったんだ?
け、喧嘩です!
ジェシカ、先に様子を見て来い。俺は駄獣たちを柵に戻してくる。
ジェシカさんに行かせるんですか? だいぶ荒れてるんですけど……
そうですよ。わたしでは……
いいから、先に行け。こいつらを戻したら俺も行く。
ですが、もし……
話はまず現場に行ってからにしろ。俺が今後、野営地を離れて荒野に放牧に行ったら、どのみちこういう緊急事態はお前が一人で対処することになるんだ。
一発ぶちかませ! 手加減すんじゃねぇぞ!
うおっ、あの蹴りは相当効いたんじゃねぇか?
すみません、通してください。ここに集まらないでください。
ジェ、ジェシカさん、気を付けてくださいね。こいつら喧嘩になると周りが見えなくなっちまうから、巻き込まれたら大変ですよ……
心配はいりません。それよりも、喧嘩の原因はなんでしょうか? どうしてこのような集団での殴り合いにまで発展してしまったのでしょう?
さ、さあ? 俺にもさっぱりで……
一体どうすれば……
あなたは一旦戻ってください。あとはわたしに任せてくれれば大丈夫です。
(野次馬の人数が多すぎる……無理やり突っ込んでいくのは難しそうね。)
なんとかして真ん中に辿り着くには……そうだ、上から行けば……
少女は辺りを見渡し、野営地周辺の状況を素早く観察する。背の低い小屋に乗り物、あちこちに散らばった木材と建築用の足場。それと野営地の中心にそびえる給水塔。
すぐに少女は無造作に配置された建物と道具の配置の間から、はっきりと「動線」を見つけた。
彼女はそばにあったテントからロープを外すと、足場によじ登る。そして高い場所にロープを括りつけ、振り子の要領で野営地中心の給水塔に楽々と着地した。
しゃがみ込み地上を見下ろせば、混沌としていた状況が一目瞭然となる。
周りの人たちは喧嘩に巻き込まれただけで、中心にいるあの二人が今回の騒動を引き起こした原因みたい。
二人を止めることができれば、騒ぎも収まるはず。
サッと給水塔から飛び降りた少女は、寸分の狂いもなく人だかりの真ん中に着地した。顔を横に逸らして飛んできた拳を躱すと、相手の手首を掴み、その背後に回り込んで地面に押さえつけた。
そして暴れる相手を押さえつけながら、大きく息を吸い込むと、暴れている人だかりに向かって大声で叫んだ。
全員そこまでです!!!
えっと……座ってちゃんと話し合いましょうか。
二人とも喧嘩はダメですよ。開拓地に来たからには一緒に協力し合うべきです。納得のいかないことがあっても、お互いに譲り合う心が大切ですよ。
フン……
クソッ……
コホン……それで、お二人が他の皆さんを巻き込んでまで大喧嘩していた理由は一体なんだったのです?
言いたいことがあるのなら遠慮せずに言ってください。どっちの言い分が正しいのか、わたしも少しくらいは意見を差し上げられるかもしれません。
言い出したからには、最後まで話を聞いてもらうよ。それであたしとこいつのどっちが悪いのか、聞かせてちょうだい。
はい、もちろんです。
事の発端は二ヶ月前までに遡るんだけど……
(二ヶ月……そんな長い間不満を溜め込んでいたの? ああもう、わたしがちゃんとしていれば、もっと早く気付けたかもしれなかったのに。)
その時、二人で市場をまわりながら、結婚したら羽獣を飼ってその卵を売るか、駄獣を飼って放牧で生計を立てるか、どっちにするか相談してたの。
お、お二人は……結婚を予定していたのですか……?
そうだとも! 結婚するならこの時期が一番だろ! これ以上先延ばしにしたら、子供が生まれるのが来年の冬になっちまう!
つまり……あなたたちは羽獣を飼うか、駄獣を飼うかで意見が分かれて喧嘩したと……?
その通り!
それって……殴り合いするほど重要な問題なんですか?
もちろん!
すみません、わたしちょっと混乱しちゃってるみたいです……もう少し詳しく説明してもらってもいいでしょうか?
(もしかしたら、人には言いづらい事情を抱えているのかもしれない……詳しく話を聞いてみないと。)
だから何回も言ってるけど、駄獣を飼うべきなんだよ。羽獣なんて大したお金にはならないんだから。
いや、飼うなら羽獣一択だ! 駄獣を飼ったら荒野まで放牧しに行くことになるだろ? お前を一人野営地に残していけってか!
あたしが自分の身も自分で守れない女にでも見えるわけ!?
二人とも落ち着いて……ほら、座ってください……
大の男を一発でノックアウトできる女を心配する暇なんてねぇよ!
あ、あなたも立ち上がらないで……彼女さんを煽るのはやめてください。
口喧嘩なんざ埒が明かねぇぞ! 喧嘩は拳でするもんだろうが! そんで勝ったほうの言うことを聞きゃいい!
やれ! やっちまえ!
皆さん、どうか落ち着いて、野次を飛ばさないでください……どうしよう、まったく事態が収まる気配がないよ……
まさか……あんたが家を留守にしている隙に、あたしが他の男を連れ込むとでも思ってるんじゃないでしょうね!?
馬鹿なこと言ってんじゃねぇ!
二人とも、座ってちゃんと話し合いを……
(お願いだから殴り合いはもうやめて……)
だったらなんでなのさ!?
(ああ、もうダメだ……!)
馬鹿野郎、そんなの決まってんだろ……
こうなったら……
目の前の二人の瞳がメラメラと燃え上がっているのを見て、少女は緊張した面持ちで拳を握りしめ、これから炸裂するであろう戦いに備えた。
そんなの……
お前と長いこと離れんのが寂しいからに決まってんだろうが!
え?
それが本音か。まったく愛とは素晴らしいものだな。
お互い腹を割って話せたことだし、次は俺とも話してもらおうか。さてお二人さん、今回のことで野営地が被った損失、どうやって弁償するつもりだ?
ジェシカ、お前の意見は?
わ、わかりません……わたし、なんだか涙が出てきちゃいそうで……
ジェシカ……?
二人が喧嘩していたのは、ぐすっ……ただ一緒にいたいからだなんて……こんなのおかしいしめちゃくちゃだけど……
でもわたし……わたし、どうしても……
うぅ……うっ……
お、お嬢ちゃん? なんで泣いてんだよ! なあお前、どうすればいいんだ?
分かった分かった、もう喧嘩しないから泣き止んでよ、お願いだから……ねぇ見て! あたしたち仲直りしたよ!
そ、そうそう! ほーら、もう手なんか繋いじまってるぜ!
ああ……お二人が仲直りしたところを見ると、なんだかもっと涙が……
ぐすっ……
ほら、タオルだ。顔を拭け……
……ごめんなさい、ウッディさん。わたし、ずっと横で泣くことしかできなくて、結局ウッディさんに任せっきりになってしまいました。
気にするな。お前がここで学ぶことはまだたくさんある、焦ることはない。
なんだなんだ、家に戻ってくるなりお前さんの横でジェシカがべそをかいてるじゃないか。まったく、説教するにしても言葉くらい選べんか。
ち、違うんです、マイルズさん……これはウッディさんのせいじゃなくて……そ、その……
泣きたい時は泣けばいい。それでマイルズ、畜舎のほうはどうだ?
増築は終わったよ。あの親子に「スイートルーム」も作ったし、飼い葉もたっぷり敷いてやった。これで母親もたらふく食えて、乳をいっぱい出せるだろうよ。
赤ちゃんの様子を見に行ってもいいですか?
そいつは晩飯の後にしな。飯を食いながら、お前さんの今日の「武勇伝」をしっかり聞かせてもらおうじゃないか。
小耳に挟んだ話じゃ、ロープを使ってすごい身のこなしで人だかりの中央に降り立ち、一発で全員を黙らせたって?
よ、傭兵時代に学んだことが、たまたまここでも役に立っただけです……
おや、あたしが聞いた話と違うねぇ。二人が激しく言い争っていた最中で、隣に座ってたジェシカが突然静かに泣き出して、驚いたみんながジェシカを宥めるために喧嘩をやめたって聞いたけど。
だから目をそんなに真っ赤に腫らしてるのか。そいつがお前さんの秘密兵器ってわけかい。
あの時は、自分でも止めることができなくて……本当に反省しています。
それに、二人が羽獣を飼うか駄獣を飼うかで言い争っている間も、一言も口を挟めませんでした。二人が話していたことは、どれもわたしの知らないことばかりで……
二人に適切なアドバイスをしてあげられたら、もっと早く仲直りできていたのかもしれないのに。
今までこんなことを学ぶ機会なんてなかったろう? 気にするこたあないさ。わしに言わせちゃ、お前さんはあれこれ考えすぎなんだよ。今度また同じようなことが起きたら……
どうすればいいでしょうか?
簡単なことよ。銃を抜いて空に向かって数発ぶっ放せばいい。そうすれば、その場にいる全員が立ちすくんで顔色を窺ってくれるわ。
それを聞いて思い出したんだが、当時ウッディがお前さんのレストランで同じようなことをしてなかったか?
あたしが誰の話をしてたと思ってたわけ?
問題が解決できれば、手段なんざ誰も気にしない。
ウッディさん、どうやってあの二人と話をつけたんですか? 何も文句を言わずに、お金だけ払って大人しく帰っていきましたけど。
俺はただ、野営地に残って大人しく暮らすか、ここを出て自力で荒野で生きていくか、どっちかを選ばせてやっただけだ。
そ、それはいくらなんでも横柄すぎませんか?
ジェシカ、野営地で起きるこういう些細なことは、理屈こねたって解決できることじゃないんだ。ウッディみたいに手っ取り早く片付けちまうのが一番なんだよ。
そうなのですね……今日のような場面に遭遇したのは初めてだったのですが、そんなやり方があるなんて知りませんでした。
次また似たようなことがあれば……ウッディさんのやり方を試してみようと思います。
そこまでだ。お前は俺じゃないぞ。そんなふうに考えるな。
……そうですよね。荒野での生活経験が豊富なウッディさんに、わたしなんかが敵うはずないですし……
そういうことじゃない……いや、もういい。
はいはい、その話はおしまい。そんな浮かない顔、食事の席では禁止だからね。ジェシカ、こっちにおいで。食器を配るのを手伝ってちょうだい。
あ、はい……一、二、三、四、五……あれ、一組多い?
ヘレナさん、食器が一組多かったみたいです。戻しておきますね。
おっかしいねぇ、ちゃんと数えたのに。全部で五人……
……
(気まずそうに顔を背ける)
ヘレナさん、その……
……
はあ……つい癖で、まだ昔のままだと思い込んじゃったみたい……さあさあ、食事にしましょうか。
ねぇ……早く立てるようにならなきゃダメだよ……
来月になれば、ウッディさんがあなたたちを荒野に連れて行くの。今のままじゃ、群れのみんなに置いていかれちゃうよ。
ジェシカ? もう夜もずいぶん更けたが、まだ戻らないのか?
もう少ししたら戻ります。
本当か? 前も同じことを言っておいて、結局一晩中外にいたじゃないか。
ヘレナさんは……もう寝ましたか? わたし、さっきまったく気付かなくて……ただヘレナさんがお皿の数を間違えたんだと思ったんです……指摘するべきじゃありませんでした。
ああ、晩飯のことをまだ気にしてたのか。
開拓地に来てからずっと、ヘレナさんにはお世話になりっぱなしでした。それなのに、わたしは友人として彼女の気持ちに気付くこともできなければ、寄り添うこともできなかった……
レオーネさんが亡くなったことで、皆さんがどれだけのショックを受けているのかは、わたしが一番よく分かっているはずなのに……
さあ、もう中へ入れ。あいつなら平気だ。お前のせいじゃない。
ウッディさん……本当に来月になったら行ってしまうんですか?
ああ、季節は待っちゃくれないからな。
ですが、わたしにはまだ学ばなければいけないことがたくさん残っています……
たったの二ヶ月離れるだけだ。俺がいない間はみんながお前を助けてくれる。
でも……すぐそばにいる人の気持ちも察せないわたしに、野営地の皆さんの面倒を見ることなんて……
ジェシカ……そんなに心配なら、出発までにもっとたくさんのことを叩きこんでやろう。今後の日々は今よりもっと厳しくなるぞ。覚悟しておけ。
もちろんです……だけどウッディさんも毎日忙しいのに、わたしの面倒まで見ていただいて……
ハッ、心配いらん。年寄りは早起きなんだ。
ウッディさん……
なんだ言ってみろ。
早起きだとおっしゃっていましたけど……まさかここまで早起きだとは思いませんでした。
残念だな。俺が放牧に行ったら、お前も毎朝この時間に起きなければならん。巡回に消灯、施設の整備……野営地にはやらなきゃならんことがわんさかある。
ウッディさん……本当にわたしにできるんでしょうか?
ふむ……それはお前の今月の頑張り次第だな。傭兵生活をやめてからは、もう長いことその銃に触ってないだろ。腕は訛っちゃいないだろうな?
えっと……森で毎日射撃の練習は続けています。
開拓地での戦闘とお前がBSWで経験した戦い方は勝手が違う。今までの練習方法では役に立たん。それに、野営地はBSWのような整った装備があるわけでもないしな。
それじゃあ、ウッディさんはどうされてるのですか?
前を見てみろ。
うーん……真っ暗で何も見えません。
もっと目を凝らすんだ。
あれは……
目の前にあるのは、ぽっかりと空いた穴のような暗闇だけ。少女は目を細め、前方の闇をじっと見つめた。
すると突如、彼女の目がかすかなきらめきを捉えた。
……ガラス?
その通りだ。医者のとこから空のアンプルを調達してきて的の替わりにした。当てられるかどうか試してみろ。
えっ、はい……
少女は銃を構え、森の中で弱々しくチラつく光に辛うじて狙いを定める。
ふぅ……
いいぞ。次はもっと遠くのやつを狙ってみろ。
はい……
銃声が響くたびに、微かなガラスの破裂音が森に響き渡る。ほどなくして、チラつく光の点は最後の一つとなった。だがそれは捉え難いほど遠くにある。
少女は呼吸を止め、最後の一発を撃つ準備を整えようとした。
ジェシカ……
なんでしょう?
お前が恐れているのは、本当に俺から任せられた仕事を上手くできるかどうかなのか?
言いたいことがあるのなら、はっきりおっしゃってください。
俺も言葉には上手くできん。ただお前がここ最近悩んでいる姿を見てなんとなく思ったんだ。お前が本当に心配しているのは、この場所に上手く馴染めないことなんじゃないのかってな。
ウッディさん、どうしてそんなことを言うんですか……?
ジェシカ、ここでの生活はお前が今まで経験してきたこととは全く違う。すぐに馴染めないのが普通だ。
この数ヶ月間、お前は野営地の皆と交流する時、常に経験豊かな開拓者のように振舞おうとしていた。そして俺たち老いぼれといる時は、長年付き合った友人のような態度を取る。
だけどジェシカ、お前はまだここに来てたったの半年しか経っていない。俺たちとの付き合いも半年ちょっとのことだ。
いち早く成長してここの生活に馴染むこと、それが皆さんがわたしに期待していることではないのですか?
成長とは今より優れた自分になることであって、別人になることではない。
人生はパズルとは違うんだ、ジェシカ。輪に融け込むことは、いなくなった誰かの空白を自身で埋めることじゃない。
ウッディさん、そんなことを言われるのは心外です。わたしがやってきたことを、あなたは全部見てきたはずですよね。
……だったら最後の瓶を当ててみろ。
ウッディさん……勝手に話を逸らさないでください。
続きは訓練が終わってからだ。
ウッディさん……
分かりました……そうおっしゃるのなら。
少女は再び森の中のガラス瓶に狙いを定める。だが何発試しても命中させることはできなかった。
突如、彼女の瞳孔が収縮し、ついに瓶が反射するホコリのように微細な光点を捉えることができた。その瞬間、すかさず引き金を引くも――
……
失敗したな。
ウッディさん……これはたまたまです。次は必ず当ててみせます。
俺の言葉が間違っちゃいないことは、お前が一番よく分かってるだろう。ガラス瓶は全部お前の射撃レベルに合わせて配置した。普段のお前なら、全部当てられていたはずだ。
だがお前は失敗した。
ウッディさんの言葉に動揺したと言いたいのですか?
違うって言うのか?
……
ジェシカ、俺は心配なんだ。お前がそうやって頑なに自分の中の問題を無視するのは、お前が強い人間だからなのか、それとも……開拓地に来たことを間違いだと認めたくないからなのか。
もしかしたら……お前はただBSWを離れたかっただけで、そもそも開拓地で暮らす覚悟なんてできてなかったのかもしれん。
わたしは……
わたし、は…………
老人はポケットからコインを一枚取り出すと、空高く弾き上げる。それを手の甲で受け止めると、素早くもう片方の手で覆い隠した。
そのコインで何をするつもりですか?
俺の本心はお前にここに残ってほしいと言っているが、頭ではお前は家族の元へ戻るべきだと思っている。自分では決めかねんから、天に決めてもらおうと思ってな。
さあ、裏か表か、当ててみろ。
当てたらどうなるんですか?
ここに残っても構わん。だがもし外したら、お前は家に帰るんだ。
そんなの横柄すぎます。ウッディさんにはわたしの代わりに決断を下す権利なんてありません。
決めるのは俺じゃない、コインだ。
そんなの……同じことです。
さあ選ぶんだ、ジェシカ。やると言ったら必ずやる、それが俺のやり方だってお前も分かってるだろ。
そんな……わたしは……
…………
その通りですよ……
あなたの言う通りです、ウッディさん。わたしは確かに挫折を感じていました。
覚悟ができていなかったことも認めます。開拓地での生活は、今まで一度も経験したことのないものでした。
駄獣のお世話に柵の修繕、幼獣の面倒……わたしが得意なことなんて一つもないし、BSWにいた数年間で学んだことは、ここではなんの役にも立ちません。
後悔しているのか、ジェシカ?
いえ、後悔なんてしていません。それとコインが表でも裏でも、ここを離れたりはしません。
万全の準備ができる人なんてどこにもいません。わたしにできることは一つだけ――何があろうと一歩も退いてはだめだと、自分に強く言い聞かせることです。
人は自分の選択に責任を持たなければいけません。ここに残ると決めたのなら、わたしは必ず残ります。そんなちっぽけなコインに左右されることはありません。
それに……わたしだって……
なんだ?
わたしだって……皆さんともっと一緒にいたいんです。
お前の祖父がお前の人生からいなくなったといって、その穴を埋める者を探す必要はない。
すみません……
……
まったく、お前は本当に馬鹿な子だ、ジェシカ。
ウッディさん……
こいつはちっぽけなコインなんかじゃないぞ。
老人が手を退けると、ようやくその手の甲に乗っていた「コイン」の姿がはっきりと見えた。
重量感のある丸い金属。その真ん中に彫られた星が朝日に照らされ美しく輝いている。
クルビアでは、開拓者はこれを信頼に値する者に渡し、野営地を脅威から守る役割を担ってもらうのだ。
これは……ウッディさんの保安官バッジじゃないですか?
今からこいつはお前のものだ。お前は自分には覚悟ができていないと言っていたが、俺の目にはもう立派に覚悟を決めているように見えるぞ。
え……?
決して退かないこと。それが未来へ進む者に必要な唯一の覚悟だ。
ほら、付けてやるからこっちへ来い。
……わたしでいいんですか、ウッディさん?
もちろんだとも。誰かのために涙を流せる人は、誰かのために戦うこともできる。
初めてお前を見た瞬間から、俺には分かっていたよ。
……ウッディさん、約束します。ウッディさんがいない間は、わたしが野営地の皆さんの面倒をちゃんと見ます。
やると言ったからには、必ず成し遂げてみせます。
少女は胸元のバッジを撫で、ぎゅっと握り込む。その時、甲高いいななきが森に響き渡り、二人は同時に振り返った。
駄獣の群れが森の奥からこちらへ向かってきている。その一番後ろには、よたよたとおぼつかないながらも、一歩一歩しっかり大地を踏みしめ歩く幼獣の姿があった。