未完成 幕間
未完成
月曜日
あら、こんな朝早くに一体誰かしら……
はいはい、ちょっと待ってね。
オーキッドさん、突然お邪魔してすみません。
あなたは?
初めまして、オーキッドさん。僕はここで治療を受けている患者の家族で、ジェリーと申します。
どうも、ジェリーさん。私に何かご用かしら?
実は……ドレスを……ウェディングドレスを作っていただきたいんです! どうか、お引き受け願えないでしょうか!
ウェディングドレス? 悪いけど、頼む相手を間違えてるんじゃないかしら。私は以前ファッション誌の編集者として勤めたことがあるだけよ。
それに、来月には補給のために一度大きな町に停泊するから、その間にでも市内のドレスメーカーで注文すればいいと思うけど。
しかし、ペニーは……僕の婚約者は、来月まで持たないかもしれないと、ワルファリン先生が……
それは……ごめんなさい、ジェリーさん。そんな事情があったとも知らずに……
いいえ……そういった次第で、オーキッドさん、無理なお願いなのは承知してますが、もうあなただけが頼りなんです。
本当にいいんですか? 服作りは多少の心得もあるのだけれど、プロのデザイナーじゃないし、ご期待に沿えるかどうかは……
それに、ロドスで手に入る生地は数えるほどしかないし、ドレスに使えるものなんてほんの僅かよ。作り上げられたとしても、出来栄えの方はあまり保証できないわ。
はい、そういったことも諸々承知の上です。贅沢は言いません。僕たちは、いわゆる普通のウェディングドレスさえあればそれで満足ですから。
はぁ、わかったわ……そういうことなら、お手伝いしましょう。
製作に入る前に採寸が必要になるわ。ペニーさんの方の都合はどうかしら?
この頃のペニーの容態は……いやでも、採寸だけなら……
そうですね。明日、明日でお願いできますでしょうか?
ええ、もちろん。では明日の午後二時にお伺いするわ。あとで病室の部屋番号を送ってちょうだいね。
ありがとうございます、オーキッドさん!
はいはい、早く彼女の元へ戻ってあげて。
はい、では失礼します。明日またよろしくお願いします。
火曜日
ロドスの病室
はい、お疲れ様。採寸はこれでおしまいよ。さあ、横になって。背中支えるから、ゆっくりね。
この人ったら、わたしに黙ってオーキッドさんにお願いするだなんて……ゴホゴホッ、ご迷惑をおかけして、本当にすみません。
いいのよ、気にすることじゃないわ。それよりもあなたが元気そうでよかった。彼がよく面倒を見てくれてるおかげかしらね。
ええ……わたしが病気になってから、彼には苦労ばかりかけて……付きっきりで面倒を見るんだから、疲れも溜まってるでしょうに……
いやいや、疲れてなんか、僕の心配はいらないからね、ペニー。
ねぇジェリー、ちょっと食堂へ行って、野菜スープを持ってきてくれない? なんだか急に飲みたくなって。
ああ、わかった。すぐ持ってくるよ!
あっ、ジェリー、そんなに急がなくてもいいから……って、はぁ……仕方のない人ね。
オーキッドさん、ドレスの話の続きをしましょう、ゴホゴホッ。
ええ。そうだ、カタログを持ってきたの。この中で何か気に入ったデザインがあれば教えてね。
どれも華やかで綺麗……これ、全部オーキッドさんがデザインされたドレスですか?
まさか。これは各国の一流デザイナーたちによる傑作を集めたものなの。これらのデザインに倣って、アレンジを作ってあげるくらいならできるわ。
そうなんですね……あの、できればオーキッドさん自身の作品を見てみたいのですが、お願いできますか?
申し訳ないけどそれは無理よ。ジェリーさんから聞いてないかもしれないけど、私はただのファッション誌の元編集者。お見せできるほどの作品はないわ。
でも、さっき握手した時に触れましたよ。オーキッドさんの手、親指と人差し指の間にタコがありました。あれほど厚いタコは、大きな仕立てはさみでしかできないはずです。
……大した観察眼ね、ペニーさん。
確かに私はデザイナーをやっていた時期もあったわ。でも、あまりうまくいかなくて、結局やめてしまったの。
そんな、オーキッドさんはセンスが良さそうなのに……
センスだけじゃデザイナーはやっていけないわ。
大学で服装デザイン科だったんだけど、私を指導してくれてたボイドという先生に言われたの。私の作品からは心動かされるものが感じられない、人生の無駄だからデザイナーの道は諦めろ、って。
ちなみに、無駄になるのは私の人生じゃなくて、お客さんの人生だそうよ。
まあ、なんて毒舌……嫌な爺さんね。ゴホゴホッ、そんな人の言うこと、気にしなくていいんですよ。
確かに嫌味な人だけど、クルビアで一番有名なデザイナーの一人でもあるわ。当時はとても尊敬していたの。
だからこそ絶望して、耐えられなくなって、すぐに転部を申請して専攻を芸術史に変えたわ。
それで、悔しくないんですか? オーキッドさん。
……まあ、もう過ぎたことだからね。
オーキッドさん、ゴホゴホッ、わたしの場合、どうせもう長くはないんですから、無駄だとか気にしませんよ。
せっかくですから、やってみませんか?
ゴホゴホッ……
ペニー……あのね、オーダーメイドのドレスは既存のデザインで作るよりも多く時間がかかるものなの。もし途中で予想外のことが起きたら、お二人の結婚式に間に合わなくなるかもしれないのよ。
オーキッドさん、わがままなのはわかってます。でもこれは、死に逝く者の最後の願い事ですから……どうか、叶えてやってはもらえないでしょうか。
――はぁ、降参よ。いいでしょう、あなただけのウェディングドレスをデザインしましょう。
はい、オーキッドさんもこれを機に、あの爺さんの言葉なんかはもう忘れましょう、ゴホゴホッ。
それで、デザインするにあたってはお二人のことをもっと知っておかなくちゃね。明日、いえ、近日中にまたお話できるかしら?
ええ、急がなくても大丈夫ですよ、ゴホゴホッ、いつでも会いに来てください。
わかったわ。まずあなたのサイズに合わせてパターンを起こしておくから、後は話し合いながら仕上げましょう。今日のところはもう上がるわね、ゆっくり休んで。
ゴホゴホッ、はい、じゃあまた、オーキッドさん。
よし、パターンができたわ。これでどうかしら……
はぁ、あの子、あんなにやせ細って、もはや骨と皮だけだったわ……パフスリーブとボリュームのあるスカートにしよっか。少しでも肉付きがよく見えるようにしてあげなきゃね。
ハニー、どんな生地がお好み? オーガンザ、シフォン、それともシルク……
インスピレーション……インスピレーションよー、早く舞い降りてきてちょうだい……
(テーブルの上にある二つの木製のデッサン人形を持ち上げ、軽く互いに触れさせる)
はぁ、あなたたちの物語は、一体どんな感じなの?
水曜日
僕とペニーはシエスタで出会いました。あの街は乳白色の砂浜で有名ですよね。それで、僕が砂浜で飲み物を買って振り向いたら、彼女がそこにいました。
人もたくさんいたはずですが、なぜか彼女だけが目に飛び込んで来たんです。あの時は、夕陽がゆっくりと内海に沈んでゆき、海が金色に染まっていました。空は……
空は夕焼けでピンク色になったかと、とても綺麗だったのは覚えてます。砂浜にいた人々は皆その絶景に歓声を上げて、写真を撮ったりしてましたが、僕は何もできませんでした……
僕はもう、彼女を見つめることしかできなかったのです。
シエスタか……シエスタはどんな街なんだろう。セイロンさんに電話して聞いてみようか。
セイロンさん、夜分遅くにごめんなさいね。
ええ、確かセイロンさんの故郷って、シエスタよね。
いいえ、大したことじゃないの。ただシエスタの海の写真や動画なんかがあったら、デザインの参考にしたいなって。
じゃあ、頼むわね。明日取りに行くから。
ありがとう。
木曜日
ゴホッ、あの時はビールかけしてる人たちがいて、冷たいのを浴びて振り返ったら……ぼーっとわたしの方を見て笑う男がいて。仕方なくこっちも微笑み返したら、ゴホゴホッ、おかしな展開に……
その人は、真っ直ぐ歩いてきて、唐突に、アジサイを見ないかってわたしを誘うんです。
ゴホゴホッ、ナンパの仕方にしてはまあまあですが、たったの一言だけなのに、彼は嚙みまくりでした……
ふぅ――でも、わたしはその誘いを断りませんでした。
そうして、わたしは人生で一番美しい庭を見ました。彼が手塩にかけて育てたお花たちがぎっしりと咲いていて、ゴホゴホッ。
あんなに色とりどりのアジサイを見たのは、初めてでした。
ラナさん。申し訳ないけど、今週の週末、温室で咲いたアジサイを少し採らせてもらえないかしら?
すみません、オーキッドさん。アジサイは今月もうほとんど残りがなくて。香水に使う分は取っておきたいので、そうしたらたぶんもう……そうね、何に使いたいか聞いても?
集中治療室のペニーさんって、知ってる?
彼女、今週末に病室で結婚式を挙げる予定なのよね。でもご存知の通り、容体が芳しくなくて……会場は狭いけれど、できる限りきれいに飾ってあげたいのよ。
ああ、あの子ね……確かに結構な重症だったわね、おそらくもう……いえ、なんでもないわ。そういうことなら明日来られる? 用意しておくわ。
もちろんよ。明日の夜八時でも大丈夫?
問題ないわ。あなたも体に気をつけてね、顔色がよくないわよ?
ええ、そうするわ。デザインするのって、本当に身を削る作業ね……とにかくありがとう、ラナさん。
金曜日
ペニーからアジサイのことを聞いたんですか? それなら、あの小さなハサミについてももうお聞きしたかと。
僕の趣味のことですが、男が園芸やら切り絵などと、実に女々しいとよく人に言われます。
だけどペニーは、素敵な趣味だと言ってくれました。僕たちは、ただ紙を色々な形に切り出すためだけに、あの庭で一日中過ごすこともよくあります。
ドジな僕と違って、彼女はとても上手でした。
オーキッドさん、本当にすみません。風邪を引いていなければ、ドレス作りのお手伝いだってできたのですが……
こちら、頼まれたレースです。家から持ってきたものから見繕いました。手編みなのでチクチクしませんよ。
素敵な肌触りね、ありがとう。
あっ、そうそう、一つ教えてほしいことがあったの。デザインに切り絵の要素を取り入れたいと考えているんだけど、そういう場合は裁断の時はどうすればいいのかしら?
図面って今お持ちですか? 確認してみます……
ええ、これよ。悪いわね。
土曜日
ゴホゴホッ、治療費を捻出するために、ジェリーは家を売りました……
あの庭はどうなってるんでしょう……ゴホゴホッ、世話する人がいなくなって、たぶん、荒れてしまったでしょうね。
一緒に切り絵をしていた日々……穏やかで心地よくて、ゴホッ、そんな日々がもう二度と来ないのは、本当に残念……
……あの頃、わたしたちは……ゲームをすることも、ゴホッ……
ゴホゴホッ……ジェリーはちょっと下手で、いっつも私が手伝ってあげて……
……本当に不器用な人、ゴホゴホッ、この先、彼のそばにいてあげられるような人は……
(彼のプロポーズを受け入れられるはずもないわ……)
胸元のアジサイの飾りができたわ。これを縫い付けて……うん、カンペキ。
吊り染めにした青いスカートの裾は、うーん……ちょっと淡すぎたかな、離れて見てみよう。
大丈夫だね、ちょうどいい感じ。
この切り絵風に加工したオーバースカートの仕上がりったら……ほんとに、バイビークって天才ね。
これでいいわ……ハニー、あなた最高よ。
……ペニーにも気に入ってもらえるといいんだけど。
月曜日
はい、ゆっくり身体を起こして……
ありがとうございます……オーキッドさん。
ふぅ……これでよしっと。背中のファスナーじゃなくて、前ボタンにして正解だったわね。
なんて綺麗……ありがとうございます。これを見ていたら、たくさんの思い出が……蘇りました。
(弱々しくドレスを撫でる)
とても気に入りました……オーキッドさん、本当にありがとう。でも何だか……お疲れみたいですね。
たくさん、気を遣わせたようで……すみません……
いいのいいの。あとで試着が終わったら、持って帰ってレースの襟を縫い付けるから。それで完成よ。
明日になったら、あなたはこのドレスを着て、ジェリーさんと結婚するの。
素敵ですね……でも、ごめんなさい。わたし……これを着るわけには……
もう、何を言ってるの……いい? このドレスは、あなたと、最高の瞬間のためだけに生まれたのよ。
明日、あなたはみんなからの祝福を受けて、これを着てジェリーさんの花嫁になるの。
会場にはシャンパンタワーやバルーンアーチが飾ってあって、食べ放題のクッキーだってあるわ。あなたを見た人はみんな、あぁ、なんて綺麗な花嫁だろうって思わず見惚れるわ。
オーキッドさん、ごめんなさい……
わたし、最初から……ドレスが完成するのを期待していなかった……完成しなければ……もう一度……彼を断らずに済むと思って……
これまで何度も……彼のプロポーズを断ってきました。でも、これ以上は、忍びなくて。
あなたの言うシチュエーションには本当に憧れます……そんな中で最期を迎えられたらって思うことも……でもわたし……やっぱりそんな身勝手なことはできない。
オーキッドさん……ここまでしてくれて本当にありがとう。だけどお願いです……このドレスを完成させないで。わたしは彼と……結婚してはいけないの。
あなたの気持ちはわかるわ、ペニー。結婚を前にして、花嫁が不安になるのはよくあることだもの。
でもね、一時の不安で尻込みしてはダメよ。あなたたちは互いを深く愛し合ってるんでしょ、違う?
尻込みじゃないんです……
オーキッドさん……わたし、切り絵は好きなのですが……最後の切り込みを入れるのは……嫌いなんです。
失敗したら……後戻りができなくなりますから。責任を持てないなら……そうなる前にハサミを置いて……止めるべきなんです。
(ペニーの手を握る)ペニー……そんなことないわ。あなたもドレスの完成を楽しみにしてたでしょう? 今止めたら、完成する日は永遠に来ないのよ。
完成しなくても、未来はあります。それが良いことかどうかは……わかりませんが、でもいいんです。残りの人生の中で、他の人に……出会うチャンスは、いくらでも……
あなたがここで諦めたら、ジェリーさんは一生後悔することになるのよ。
そうですね、彼は悲しむでしょう……でも、誓いの……縛りがなければ、いつかきっと……立ち直れる……わたしは、彼を縛り付けたくない……立ち直ってほしいんです。
どうやらもう、心を決めたみたいね?
はい、オーキッドさん。どうかこの願いを聞いてください。またわたしに……断られたら……彼は……どんなに悲しむか……
……わかったわ。
深夜
……
…………
ハニー、悪い知らせよ。ペニーは……最初からあなたが完成するのを期待していなかったみたい。
あなたを気に入ってくれた。でも、望みはしなかった。
なんだか……また無駄なことに全力投球しちゃったみたいね。
誰にも知られずにあなたを完成させて、残しておくこともできるけど……
そんなことしたって、なんの意味があるのかしらね。
ふぅ――
(ハサミを手に持つ)
だから、ごめんね……ハニー。
高々と掲げられたハサミが、月明かりに冷たく光る。天から降り注ぐ稲妻のように、ハンガーにかかった綺麗なドレスの前身頃を切り裂いた。
やっぱり、あなたを完成させることはできないわ。
半月後
いやいやいや、だからって切らないでよ!
でももう切っちゃったわ、ジョー。ウイスキー、もう一杯もらっていい? どうも。
私だって後悔したわ。特に次の日、ドレスが完成できなかったことをジェリーさんに知られた時にね。
彼、怒ったの?
むしろその方がよかったわ。でも彼、怒らなかった。
じゃあ、何か言ったとか?
何も言わずに、頷いて立ち去ったわ。
それ、一番キツイパターンだね、オーキッドさん。
最悪だったのは、結婚式を予定してた日にペニーさんが亡くなったことよ。ジェリーさんにどう向き合えばいいかわからなくて、お葬式にも出られなかったわ。
でも、もう半月は経ってるよね。どうして今日になってヤケ酒なんかを?
今朝、ジェリーさんが私に会いに来たのよ。
あら、彼は何て?
もうここから出ていくって。
ハサミをくれたわ。ペニーさんから私にって。お葬式の日に渡すつもりだったらしいけど、私は行かなかったし、ずっと彼を避けていたから……
それで直接会いに来たんだね。
ええ。うぅ……また空けちゃった。もう一杯もらえる?
吞み過ぎよ。
まだ全然よ。
別れる時、ジェリーさんを慰めようとして、彼女のためにも元気を出してと言ったの。
そうしたら、こう言われたのよ……
ですが、オーキッドさん……太陽が墜ちてしまったら、空にいくつの星が昇っても、人は終わらぬ夜から抜け出せません。
それを聞いて後悔したわ。あのドレスを完成させて、結婚式を挙げるようペニーさんを説得すればよかった。それでジェリーさんの辛さもいくらか減るかもしれないって……
でも、そうはしなかったと……
私、今回もまた、目を背けようとしてしまったの。ペニーさんのお願いは、そんな私にとって恰好の言い訳となったわ。
正直言って、ペニーさんと一緒にいる間は本当に辛かったわ。体から命が少しずつ失われていくのを、あれほどはっきり感じたのは初めてだったから。
(身震いする)ああ、恐ろしいわ……なんとか自分を抑えて、人前では普通に振る舞おうとしていたけど……
一人の時は、もし病室のベッドに寝ているのが私だったらって、つい想像してしまう。
ジョー、私も鉱石病なのよ!
(オーキッドの手を握る)
そうして私は、またもや絶望して、またもや逃げて、またもや最後までやり遂げられなかった。
もう一杯、注ごうか?
ありがとう。
(グラスを掲げる)
ジェリーさんとペニーさんに。夢と失敗に。ボイドのじじいに……
生と、死に。
(酒を一気にあおる)