闇散らす火花 幕間
眼前の夢
1097年11月16日 p.m. 9:50
夜九時は、付近の感染者工場の勤務交替時間だ。
時間をつぶすため、クエルクスさんのお店にはたくさんのお客さんが来る。
そんな人たちにお店が提供してあげられるものは多くない。
ぺらぺらの鱗獣フライ、味のしないポテトスープ、水と区別がつかない果実酒。
それでも、ここには常連客たちが集う。
乾杯!
乾杯!
ハハハハ! ブランドジュニア万歳!
スパークちゃん! もう一杯くれ!
はい、どうぞ。
嬉しそうですね、何か良いことでもあったんですか?
ブランドジュニアさんがオレたちに今月のボーナスを出してくれたんだ!
ボーナスっても、100ペンスだけどな。
しかも、俺らが必死に働いて工期を守った対価だ。
それよりこんな遅くまで飲んでて、女房に叱られないのか?
バカ言え! オレは一家の大黒柱なんだぞ? あいつにそんな度胸あるか!
よーし、そんじゃ一家の大黒柱に乾杯だ!
乾杯!
スージー! もう一杯くれ!
アハハ……ジェームズさん、ほどほどにしてくださいね。本当に奥さんに叱られちゃいますよ。
なぁスージー、店長から聞いたが、これよりちょっと強めの酒があるんだって?
その酒をもらえないか?
ダ・メ・で・す!
クエルクスさんから言われてるんです。強いお酒は健康に悪いんですから!
ストーンさん、少しは自分の身体を労わらないと。
はぁ、なんでだよ?
この病気にかかっちまったら、どうせ死ぬんだ。なら死ぬ前に──
そんなこと言っちゃダメです!
たとえ鉱石病だとしても、患者さんの状況が違えば、病気の進行も異なるって、街のお医者さんも言ってました!
おっかない顔すんなよ、俺はただ──
ストーンさん!
な……何だよ?
身体に気を付けて、生きることだけ考えてください! さっきみたいなことを口癖にしちゃダメですよ!
うぅ……悪かったよ。
ほれ見ろ、スージーを怒らせちゃったじゃないか。
や、そういうつもりはなかったんだが。
お? 今日は随分と賑やかだな?
こんばんは、ビタールートさん!
よぉ! ビタールートの兄貴じゃないか! 一緒に飲もうぜ!
なんだぁ? 何か良いことがあったみたいだな。
カレドンシティの感染者地区には変わった人たちがたくさんいる。ビタールートさんもその一人だと言ってもいいかな。
彼はロドスという組織の人で、市議会の貴族が招請した「専門家」さん。
でも感染者に対するロドスの態度は、ちょっと理解できない。
「ロドスはカレドン市議会に協力し、感染者に対して医療面での援助を提供する」って彼らは公に表明している。
どうしてそんなふうに感染者を……助けようとするんだろう? しかもよその人がなんで?
今日は暇なのかい? 酒を飲みに来る時間があるなんて珍しいじゃないか。
まあな。最近新しく何人か入ったから、人手はそれなりに足りてるんだ。
へえ? ロドスでの仕事ってのはどうなんだ? 給料は良いのか?
なんだ、興味あるのか?
いや、違う違う。オレは読み書きすらロクにできんからな……興味を持ったって恥をかくだけだ。
最初、感染者地区の人たちは彼らを信用していなかった。中には重症の感染者をさらって実験台にしてるってデマを流す人もいた。
でも彼らは行動で、本当に感染者を助けていると証明した。
鉱石病の診断に急性の発作に対する救急処置、さらには仕事で負った普通の怪我の治療もしてくれる。ロドスの診療所に行けば誰だって助けてもらえる。
今でも、彼らの活動の動機を疑っている人はたくさんいる。けど少なくとも、このお店に来るお客さんたちはみんな彼らを信じてる。
そういえば、ジェームズ、来る途中で君の奥さんを見かけたぞ。
は? えっ!? マジか? マズいな……
ゴホンッ。
えーとだな、お前たちはゆっくり飲んでいくといい。お……オレは急用を思い出したんでな、先にいくぜ!
ハハハッ、「大黒柱」が急ぎの用か?
ああ、そうだよ! じゃあな、続きはまた今度。
ジェームズさん、気を付けて帰ってくださいね。
お店にいるほとんどの人は感染者だけど、ジェームズさんは違う。
カレドンシティでは、非感染者が感染者地区で働くというのも珍しいことじゃない。
『カレドン感染者新法』が施行されてから、仕事のない貧しい人たちが、危険を承知で感染者工場で働くようになった。
だいたいの人は仕事が終わればすぐに感染者地区から離れるし、仕事中も感染者との接触を避けている。
彼らの行動は理解できるし、感染者たちもこうした対応にとっくに慣れているから、そのことで非感染労働者たちを責めるようなことはしない。
でもジェームズさんみたいな人もいる。
はぁ、呑んべえが行っちまったよ。
おーいビーン、そんなとこでぼーっとしてないで、こっちで何杯か付き合えよ!
新聞読んでるんだ、邪魔するな。
面白い話があるのか?
お前あのビッグニュースを知らないのか? 巷じゃこの話題で持ち切りだぞ?
ああ、新法の話か? 確かにビッグニュースだよな。
新法って?
感染労働者の待遇改善に関する新法だよ! お前の頭にはホント酒のことしかないな! これは俺たちにとっても重要な法律だぞ!
チェッ、何かと思えば。
あんたの方が脳天気なんだってんだよ、そんなくだらん話を真に受けやがって。
なんだと? 待遇改善がうれしくないのか?
あんたさ、本気で貴族どもが俺たち感染者にお慈悲をかけてくれると思ってんのか? どうかしてるぜ!
賭けてもいいぜ。その新法は絶対に全会一致で否決されるさ。何もなかったことになるだけだ。
あんなモンはな、連中が俺たち感染者をなだめるためのパフォーマンスにすぎねぇんだよ。
ハハッ! 残念だったな、賭けはお前の負けだ!
新法は通っていないが、否決されてもいない。
議会の投票結果は同数、最終的な決議は次回に持ち越されたんだ。
ちょっと長引いただけだろ、可決なんて結果が出るとは思えねぇけどな。新聞にはなんて書いてあるんだ? その新法は具体的にどんな内容なんだ?
ちょっと待ってろよ、えーっと……こないだ講演を聞いた時にメモしといたんだ。
あった。これだ! 感染労働者は労働時間が一日十五時間を超えてはならない。また、工場は感染者に非感染者と同様の源石防護具を提供しなければならない……
プハハッ、ちゃんちゃらおかしいぜ。
そんなこと実現するとでも思ってんのか? 金が地面から生えてくると信じるようなもんだぞ。
あんたらよそ者はわかってねぇな。俺はこの地で生まれ育ったカレドン人だ。あいつらのやり方はずっと見てきた。あの貴族どものことなら誰よりも理解してるんだよ。
ケチって言葉も生ぬるいあのクズどもに、自分の財布から金を出してもらおうと期待してんのか? 夢見てんじゃねぇよ。
はぁ、希望がないよりかは、あった方がいいだろうが。
そんな悲観的になるもんでもないさ。十年前のカレドンなら、感染者に関する新政策が出てくること自体、誰も想像すらできなかっただろう。違うか?
違うね。
俺たち感染者を工場で使えば、給料は他の半分でいいんだ。貴族どもの財布が膨れることなら、賛成するのも当然さ!
確かにな。それに金すら払わずに、賃金券だけでおしまいなんてことも多々ある。
物事の発展には時間がかかるからな。君らも、もっと楽観的に構えてもいいと思うぞ。
カレドンシティは、他都市の感染者を受け入れて仕事まで提供している。そんな場所は全ヴィクトリアでもここだけだ。
前に何人かの工場長が言ってたが、この政策を「クルビアモデル」と呼んでるらしいな?
クルビアの都市は、どこもこういう感じなのか?
それは……話せば長くなるが、やはり多少は違うな。
まぁいいさ、ほかにニュースはないのか?
そうだな……
「恐怖! 夜のカレドン地下に響く怪音!」。
あとこれ……「カレドン外縁部の廃棄地区で夜間に人影! 感染者の密航か?」。
それと……「治安悪化! 凶悪犯や指名手配犯が感染者地区に紛れ込む」だってよ。
どうしてそんなニュースばっかりなんですか?
大げさなタイトルをつけて「感染者」の三文字をぶち込んでるだけだよ。『デイリーカレドン』のクソ記者からはまともな言葉なんてひと言も出てこねぇ!
まぁとにかく、スージーさんも用心するんだぞ。確かにここ最近のカレドンはあまり治安が良くない。
アハハ……気をつけますね。ありがとうございます、ビタールートさん。
1097年11月17日 a.m. 8:40
鱗獣肉、ジャガイモ、タマネギ……これくらいかな?
あっ、あとコショウもか!
これをケルスさんのお店に届ければいいんですね?
そうだよ、よろしくね。
はい!
よそ者は街から出て行け!
感染者は街から出て行け──ここは私たちの家だ!!
出て行け!
全部感染者のせいだ! やつらがいるから俺たち配送員は失業したんだ!
感染者地区に反対するデモは、カレドンシティでは珍しくない。
四年前にカレドン議会が「感染者に関する新政策」を推し進めるようになってから、大量の感染者がカレドンに押し寄せてきた。
だけど、非感染者と感染者との衝突は減るどころか、むしろ増えることになった。
おいお前! そこの感染者、こっちへ来い!
……わ、私はただ通りかかっただけです。
てめぇ、何持ってやがんだ? あん?
これは別に──
そのカゴに何が入ってるかって訊いてんだよ! 見せろ。
これは他のお店に届ける商品です!
お前ら感染者はこの時間、工場にいるべきなんじゃねぇのかよ? 何でこんなとこをぶらついてやがんだ!
配達も仕事で……
口答えすんじゃねぇ!
うっ……
(痛ったぁ……)
火花……アーツを……
(耐えて……スージー……やり返しちゃだめ……)
(こんなの……何回も経験してるでしょ。)
お前らは感染者のくせに、どいつもこいつも大手を振って街中をぶらぶらしやがって、何様のつもりだ?
テメェらのせいでカレドンの空気が汚れてんだよ!
害虫どもが。さっさと臭ぇドブの中に帰れってんだ。
(感染者地区に入って来たのはそっちじゃない……)
なんだ、その目は? やんのか?
寛容は美徳だ。追い詰めるのもその辺に。
だ……誰だてめぇ?
布で顔を隠した背の高い男はフェリーンの少女を立たせてやると、振り返って目の前の暴徒を見据えた。
そちらのお兄さん、あまり紳士的な態度には見えなかったよ。か弱いレディをいじめる趣味があるのかな?
んだと、感染者ごときが!
ヒーロー気取ってんじゃねぇぞコラ!
俺とやる気か? ホラ来いよ?
……
腰抜けが。
レイドさん!
フッ。
俺なんかじゃ、とてもあなたの相手は務まらないさ。
ただ、あなたが技の披露を続ける前に忠告しておこう。俺の顔には源石結晶があるんだ。ちょうど今殴られた位置にな。
な……なんだと……
おやおや、こいつはちょっとマズイね? 俺の口から血が出てて、あなたの手も皮が剥けているよ。
ひょっとしたら感染したかもしれないね?
そっ……そんな!
早く病院に行け! まだ間に合うぞ! 急げ!
クソったれのウルサスが! 許さねーからな、覚えてやがれ!
いいから早く病院に行けって!
あの、レイドさん、ありがとうございます。
だ……大丈夫ですか?
心配ない、殴られるのは慣れてるから。
それより君の方だ。顔が腫れてきてるじゃないか。
だ……大丈夫です。帰って冷たいタオルで冷やせば平気ですから。
このところ、感染者新政策に反対する者たちの動きが勢いを増している。今度からは回り道した方がいい。
どこまで行くんだ? 送って行こう。
え、でも今はお仕事中じゃ? そこまで面倒をかけるのは……
気にしないでいい。俺も用事があるから、そのついでだ。
レイドさんは近くの工場の労働者で、たまにお店にも来てくれる。
彼はウルサスからの移民だけど、お酒が苦手で、お店で一人で本を読むのが好き。
ほかの労働者たちは彼のことをかなり尊敬しているようで、みんなレイドの兄貴って呼んでる。
でも……レイドさん、さっきの人は本当に鉱石病に感染しちゃうんですか?
まさか、脅しただけだ。
鉱石病は確かに血液を介して伝染することもあるが、さっきの彼は少し皮を擦りむいただけだから、可能性は低いだろう。
脅す分には確かに有効だったようだけどね。
アハハ……そうだったんですね。
クズどもが、どいつもこいつも*スラング*だな! この*スラング*!
女の子に手を上げるとは、恥を知らねぇのか!
まあまあ。気を鎮めてください、私は大丈夫ですから、ね?
それでその乱暴した人たちは逃げたの? どっちの方角へ行ったかわかる?
北へ向かった。恐らくボイル区の方だろう。
はぁ……ボイル区かぁ……それじゃあ探すのは難しいよ。
とにかく記録だけはしとくね。ここ最近、警備隊の人手も不足気味でさ。
顔はまだ痛む? さすってあげようか?
アハハ……平気ですよグラニさん、あまり心配しないでください。
確かに最近のカレドンシティは、あんま平和とは言えないけど……でもまさかスージーちゃんまで襲われるなんて。
グラニさんはカレドンシティの地元警備隊には所属していない。そこから応援要請を受けて、一時的に感染者地区を担当している騎馬警官だ。
ちなみにカレドンの警備隊の「人手不足」はただの言い訳。感染者地区の管理なんて面倒だっていう本音は透けて見えてる。
とにかく、そんなわけでグラニさんは感染者地区では珍しく感染者を積極的に助けてくれる治安維持要員の一人だ。
でもたった数人だけじゃ……感染者地区の色々な治安問題を解決することはできない。
物的損害はなし……これで書類は完成っと。今んとこはこれくらいしかできないね。
ひとまず帰るけど、何かあったらあたしに連絡して。
ありがとうございます、グラニさん。
ふん、あのクズども。俺の目の前に現れたらとっ捕まえてやる。
本当に捕まえたとして、何ができるのかな?
ぶっ飛ばしてやるんだよ!
それはあまりお勧めできないね。あなたが手を出した途端、周囲の者たちがすぐに騒ぎ出すだろう。
そして翌朝の『デイリーカレドン』トップページの見出しは「感染者が一般市民を殴打! 治安問題深刻化」になる。
……それは……
実は、さっきの声がでかい奴には見覚えがあるんだ。
一ヶ月前、ツナギ姿でデモ隊に混ざり、自分の工場が感染者のせいで潰れたと言っていた。
二ヶ月前は、行商人たちに混ざり、自分は「商人」で店の物を感染者に盗まれたと言っていた。
ちなみに今日は、自分のことを何者だと?
確か「配送員」だと言ってました。
えぇ、そんなことってあんのか?
話を聞くとボイル区のチンピラがやりそうなことだ、雇われたのかもな。……またどこかの貴族様が、俺たちを目障りだって考え始めたのか?
感染者地区は存在自体が誰かしらの目の上のたんこぶだからな。新政策を支持する議員たちが圧倒的優勢に立たない限り、同様の事件が減ることはない。
用心するに越したことはないさ。
野郎、スージーをいじめただけでなく、レイドの兄貴にまで手を出すとは、命知らずな奴め……
気にするな、酒でも飲んでおけ。
はぁ……スパークちゃんがいじめられたと聞いて、酒がまずくなっちまったろうがよ。
アハハ、大げさですよ。
スパークちゃん、これをやる。
え? これは?
腫れを抑える薬だ。夜、顔を洗った後に痛む部分に塗ればいい。
おい、そんなイイもんがあるなら俺にもくれよ!
これは炎国の薬で高いんだ! 使ったとこで何も変わらんお前のようなガサツな奴には必要ないんだよ!
えっ……そんなに貴重なものなんですか。
いいから取っとけ。バーの店員の顔が腫れてちゃ困るだろ。
アハハ……このお店、本当はバーじゃないですけどね……
ビーンさん、ありがとうございます。
それじゃ、代わりに今日のお代はタダにしておきますね。
いいなぁ、お前!
スージー、本当に行くの?
うん……ここにいても、みんなの迷惑になるだけだから。
スージー聞いて……ママ、今月また別のお仕事を見つけたから、薬のことだったら何とかなるわ!
ママ、もうやめて……これ以上迷惑はかけられないよ。下の子たちは学校へ通わなきゃいけないし、お兄ちゃんたちにも病気を移したくない。
大事な娘を他の都市に一人で行かせられるわけないでしょう!
心配しないで。ちゃんと考えてあるから。カレドンで働けば、お給料の一部は薬にして払ってもらえるって聞いたんだ。
……ごめんなさい……不甲斐ない親で……スージー……本当にごめんなさい。
ちゃんと身体は大事にするから、心配しないで、ママ……
1097年11月18日 a.m. 9:20
たまに家族の夢を見る。
私はヴィクトリア北部辺境の小都市、ボッセンダルで生まれた。
小さい頃──父がまだ生きていた時は、よく家族みんなをピクニックに連れて行ってくれた。
シェーン山の尾根に立つと、広大なカジミエーシュ平原を見渡すことができた。
もう五年くらい家に帰っていないけど、母はいまだに手紙を送ってくれる。
私が故郷を去ってから、家の経済状況は良くなった。母と兄の収入では感染者一人にかかる費用は負担が大きすぎたから。
みんな元気で生きてくれてる、それで十分だ。
いらっしゃいませ!
私だよ!
え? 店長!
スージーちゃ~ん。
お耳をもませて!
アハハ……店長……くすぐったいですよ。
はーい、私のことはなんて呼ぶんだっけ? 店長とか他人行儀な関係じゃないでしょ?
アハハ……クエルクスさん。
ん~?
クー姉……
よし、いい子!
クー姉はこのお店の店長さん。我が道を行くって感じの人。
みんなここをバー代わりにしてるけど、実はこのお店はクー姉のフラワーライトアートストアなんだ。
感染者地区にこういうお店があるのは珍しいから、どうしてここに出したんだっていろんな人が訊いてくる。
でも、クー姉の答えはいつもシンプルだ。
なんでライトアートストアをやってるのかって?
好きだから、だよ。
とは言っても、クー姉はほとんどカレドンシティにいない。
店は完全にクー姉の趣味だから、本当に言葉通り「好き」なんだと思う。クー姉の本職はトランスポーターで、年中荒野を駆け回って「ゴドズィンのドルイド」って呼ばれてたりもする。
ちなみに、クー姉のアーツはとてもユニークで、よく店内で奇妙な植物をたくさん栽培している。お店で売られているお酒もほとんどクー姉が仕込んでいる。
私のアーツユニットもクー姉がくれたもので、アーツをコントロールするのに役立つって言ってた……
クー姉、今回は何しに帰ってきたんですか?
何しにって、スージーちゃんに会いに来ちゃダメなの?
アハハ……
ちょっと用事もあるけど、それよりスージーちゃん前に自分がなんて言ったか忘れたの? もうすぐ年末だよ!
あっ、そうだ……
今年は私にとってとても重要な一年。
ここ数年ずっとコツコツ貯金をしてきた。その目的は、このお店を買い取ること。
私はこのカレドンシティに自分の店を構えたいと思っている。どんな商売でもいい、お店を持てば自立した人生のスタートがきれるから。
クー姉が言うには、このお店のオーナーはちょうど店舗の売却を考えていて、クー姉本人もお店に構う時間がなくなっている。
君、本当にお金を貯めきったの? すごいよ、スージーちゃん!
でもクー姉……本当に大丈夫なんですか? このお店がこの値段なのは、ちょっと安すぎる気がするんですけど……
その質問何回目? 私を信じてないの?
いえ……そんな、クー姉のことは信じてますよ。
来週オーナーにアポ取っとくから、君とオーナーの二人だけで話をするといいよ。彼は信頼できる人だし。
来週か……
1097年11月18日 p.m. 9:56
どうぞ、モンベランさん。ご注文のお茶ですよ。
ありがとうございます。
エセルフレイ・ユーリエ・モンベランさん。みんなにはモンベランさんと呼ばれていて、お店の常連客でもある。
彼女はロドスに所属する専門家の一人で、感染者問題に関する様々な解決案を市議会に提案する役目を担っている。
ビタールートさんと同様、ここのお客さんたちは彼女とも親しい。
モンベラン家と言えばとても有名な一族だけど、そのモンベラン家のお嬢様は今、なんと感染者地区でお茶を飲んでいる。
君の表情からして、今日もまたあの貴族様たちにご立腹なのかな?
お茶をすすっていたモンベランさんの口元が引きつり、額の血管もぴくっとした。
貴方信じられます? ねぇ、信じられますかしら?
このわたくしが半月もかけて苦労して作成した資料を、あの方たちは一ぺージしか見ませんでしたのよ!
一ページ!
無知蒙昧にも程がありますわ! 焦眉の急ですのよ! わたくしの提案はいずれも喫緊の問題ですのに、あの方たちは本当に微塵も興味がありませんの!?
まぁ火はまだ彼らに燃え移っていないからね、興味を持てないのも当然じゃない。
このまま先延ばしにすれば、遅かれ早かれ己の身が滅ぶことになりますのに。
以前ゴドズィンでレユニオンがあんな騒ぎを起こしたというのに、まだ彼らは目が覚めておりませんの?
ゴドズィンのレユニオンは二年前に殲滅されたじゃない。貴族様たちにとっては、こんなことは問題じゃないんだよ。
そんな単純な話ではありませんわ! 彼らは問題の核心を全く理解できていません! レユニオンは暴徒や盗賊ではありません。彼らは──
なんか店の中が急に暑くなってねぇか?
確かに。
そうやってすーぐ熱くなる。ほぉら、落ち着きなよ。興奮して店を焼かないでね。
はぁ……もうこのお話はよしましょうか。
あはは、モンベランさん、機嫌を直してください。
お仕事は終わったんですから、休みの時間くらいは楽しく過ごさないと。
これどうぞ、美味しいですよ。
……キャンディ?
はい、クー姉お手製のバニラミントキャンディです。怒りが湧いた時に一つ口に入れてください。
はぁ……有り難くいただきますわ。
数ヶ月前はシエスタでバカンスを満喫しておりましたのに……あの場所が少し恋しく思いますわ。
大変ですもんね、モンベランさん。
ふふ、こうして愚痴を聞いてくださる方がいるのでまだよかったですわ。
ロドスでは愚痴をこぼせないんですか?
みなさんそれぞれお仕事がありますから……職場での愚痴は、士気に影響を及ぼしかねませんもの。
ここだったら大丈夫さ。オレたちゃみんなガサツな人間だからな。モンベランさんが何を言おうと聞いたそばから忘れちまう。
それで、その貴族様たちは最終的にどんな結論を出したの?
会議の途中から、例の都市伝説についての口論を始めましたわ。
あの「街の地下から聞こえる奇妙な音」とか「感染者地区に悪党が隠れている」とかってやつ?
それを全部俺たち感染者のせいだと?
そうですわ。明らかに根拠のない陰謀論ですのに、こんなデマを毎日毎日広めているのはどこの誰ですの?
おかげでまともな議論もなく、最終的に全く無意味な罵り合いになりましたわ。
だが聞く限りじゃ、感染者地区を支持する貴族も大勢いるんだろ?
感染者地区が多くの問題を解決したのは確かだしな。貴族の中にはここ数年でがっぽり儲けた奴もいる。そういう奴は普通の人より感染者地区を強く支持しているが、結局は実益があるからだ。
それに感染者地区は、もう感染者だけの問題じゃなくなってきてるよね。今は多くの非感染者がこの地区で仕事してるし。でしょ?
そうだな、例えばオレとかな。
ええ、そういうことですわ……文句ばかり言ってても今日の結果は何も変わりませんわね。明日は別の仕事もあることですし、わたくしはここで失礼させていただきますわ。
気をつけて帰るんだよ。
そういえば……
ジェームズさんはどうして感染者地区で仕事をしてるんだ? 俺が言うのもなんだが、感染者と一緒に仕事をするのはやはりリスクがあることだろ。
リスクか……はぁ……
正直なところ、リスクが本当に問題になるとしても先の話だ。だが生活費って問題は今まさに目の前にある。
最悪オレが鉱石病にかかったとしても、オレに仕事がないよりは家族は良い生活を送れるからな。
おふくろは喘息で毎月多額の医療費が必要だし、親父も自力で立てないほどやっかいな骨の病気を患ってる。
ちぃせぇ子供も二人いるから、オレが稼がなきゃどうしようもないんだ。女房の手編みマフラーを売った金だけじゃ生きてけねぇよ。
目先の問題こそが深刻で、先のことなんて考えられねぇよ。もしほかにマシな仕事が見つかりゃいいが……
……はぁ、俺より大変な毎日を送ってそうだな。
……
ストーン、今日はどうしてそんなに静かなんだ? 何かあったか?
ゴホンッ……ジェームズさんとこの子供は、いくつなんだ?
八歳と十二歳だが、それがどうした?
いや……何でもない……ただ……
言いたいことがあるなら言えよ、今さら他人行儀もねぇだろう。
何か困り事でもあるんですか?
……困り事か……はぁ。
その……女房から手紙が送られてきてな。娘を連れて会いに来るってよ。
娘?? お前、娘がいたのか!?
え? ストーンさん結婚してたんですか?
なんだよ! 結婚してちゃおかしいかよ?
いや、そうじゃなくて、感染者の子供ということは……
あぁ、その心配はない。俺はあの子が生まれた後に感染したんだ。娘も女房もいたって健康だ。
だったらいいことじゃないか! なんで浮かない顔してるんだ?
そうだぞ。鉱石病になってもあんたを放っておかない女房なんて、いい人じゃないか。
はぁ、俺はこんなふうになっちまったんだぞ。どの面下げて会えばいいかわからないんだよ。
今のストーンさんのどこがダメなんですか?
そうだ、何で自分をそんなに卑下するんだよ。
でも今のまま奥さんに会うのは、確かにちょっとマズいかもね。
せめて髪くらい切ったら? そのボサボサ頭はよくないと思うよ。
いいですね! 髪を切るのなら……
(ハサミとクシを取り出す)
スパークちゃんは散髪までできるのか?
甘く見ちゃいけないよ! スージーちゃんのカットの腕は一流なんだから。
ジャジャーン!
なかなかいいんじゃないの?
短くしたのは久しぶりだから、なんだか頭がスースーするな……
ほう、随分とすっきりしたな。
ストーンさん普段からもうちょっと髪型に気を使えば、とてもカッコよく見えますよ。
はぁ、こんな生活だし、髪型に気を使う暇なんてねぇよ。
それは違いますよ!
こんな厳しい生活だからこそ、もっとちゃんとした暮らしを目指すべきなんです。
スージーちゃんの言う通りだよ。別に感染者の人生は悲惨なものでなくちゃいけないとかって決まりはないし。
元気出しなよ。今の君に会ったら奥さんはきっと喜ぶよ。
待て待て、ひとまず俺の部屋に来い。
うちにキレイな服が一揃いあるんだ。持ってるだけであまり着てないやつがな。持って帰って洗ってさ、着られるかどうか試してみろよ。
いや……それはさすがに悪いよ。
なに遠慮してやがんだ! 俺とお前の仲だろ!
ほらほら! まぁ一杯飲め!
1097年11月23日 a.m. 10:35
今日は約束の日。
このお店のオーナーさんと会う日だ。
私の目の前には、これまで貯めたお金が積んである。
六千五百ポンド。昔なら想像もできなかった金額だ。
子供の頃、弟がうっかり家の源石灯を壊してしまい、母にお尻が腫れるまで叩かれたことがあった。
母があんなに怒ったのは初めて見た──あの源石灯は母が夜に採掘場の坑道を見回るために必要な道具だった。
母をこれ以上ないほどに怒らせた高価な源石灯は百五十ポンド。当時の母のほぼ一ヶ月分のお給料だった。
六千五百ポンド。これで源石灯がいくつ買えるんだろう?
私はもう一度この嫌な臭いを放つ「重荷」を数えた。
ここ数年、色んな苦労をして生活を切り詰めてきた。
六千五百ポンド。
私にとって、この薄い紙の束はコツコツと築き上げてきた橋だ。橋の向こう側には、私の夢がある。
スージー! 気合いを入れて!
オーナーに会うだけ! 会うだけなんだから!
明日からは、あなたが店長だよ。夢が叶うんだよ!
あとほんのちょっとだから! 頑張れ、スージー!
私は鏡を見て、自分の頬を強く叩いた。
オーナーさんが来たら、何て挨拶しよう?
「始めまして、オーナーさん! お会いできて……」。
はぁ、笑顔が硬すぎるかな。
夢の実現に近づいているということが私にもたらしたのは興奮ではなく、むしろ間もなくお店にやって来るその人に会うことへの恐れだった。
オーナーさんは……どんな人なんだろう?
感染者じゃないのかな? 本当に私にお店を売ってくれるかな?
こんなに安い値段だけど、詐欺じゃないのかな?
ほかの人みたいに、ただ私をバカにするため、恥をかかせるために騙してるんじゃないかな?
クー姉も感染者じゃないし……実は二人ともグルで、最初から私を……
──って、何考えてるの!
私はまた自分の頬を思いっきり叩いた。
恥知らずでいやしい考えを、痛みで覆い隠そうとした。
そんなふうに考えちゃダメ! スージー! そんなの醜すぎるよ。
私は鏡を見つめた。静かな店内には、時計の秒針が「カチ、カチ」と時を刻む音だけが響いている。
苦しい。
スージーちゃん! いる?
えええっ!!
アーツを抑えて!
どうしたの、ビクビクして。何かあった?
いえ……その、何でもありません! おはようございます、クエルクスさん。
(疑いの目)
なんで目の下にそんなにひどいクマがあるの? あと呼び方も。
眠れなかった?
アハハ……ちょっと緊張しちゃって。
おはよう、スージーさん。
あっ! ビタールートさん、いらっしゃいませ……
ってあれ? 今何時ですか?
あ、すみませんビタールートさん……今日はお店は休みなんです。お食事でしたらまた……
クエルクス、スージーさんに言ってなかったのか?
あっ、そういえば。
?
ごめんごめん伝え忘れてた。彼がこのお店のオーナーだよ。
えっ?
えぇ???
ビタールートさんがオーナー? ということは前の店長たちもみんなビタールートさんと契約してたんですか?
まあそうだが、それは話せば長くなるんだ……とにかく、この店は実はロドスの所有物でね。
具体的な話はクエルクスから聞いているよ。スージーさんはこの店を買い取りたいんだよね?
一つ聞かせてくれないかな。君は今後ここでどんな業務をする予定なんだ?
ぎょうむ……?
あっ! 業務ですね!
……
わ……私の父は理髪師でした。
小さい頃、パパはいつも……家計が苦しいからといって生活態度を変えるべきではないと言っていました。
散髪は些細なことのように思えますが、自分の外見に気を使おうとする人は、きっとどんなことに遭っても人生を信じている人だと思うんです……
だから私は……
感染者地区に美容室を開くのも……いいかなって。
美容室か……感染者たちのために髪を整えるのか。
なかなか良さそうじゃないか。
じゃあこれで決まりだ! 契約のサインは、また後で来るやつが担当するよ。
え? これでおしまいですか?
俺たちはもう互いのことはよく分かっているだろう? スージーさんなら問題ないよ。
自分のお店か……なんだか……夢みたいです。
そういえば、クー姉はこれからどこへ行くんですか? この都市を離れるんですか?
はぁ、そんな顔しないでよ。もう二度と戻ってこないってわけじゃないんだから。
たまには顔を見せに帰ってくるよ。ここには友達もたくさんいるわけだし。
おっと、それと最後にもう一つ。
スージーさん、クエルクスがあなたにささやかなプレゼントを用意してくれたそうだ。
プレゼント? え?
おいで、スージーちゃん、みんなが君を待ってるよ。
おめでとう!
スージーちゃん、おめでとう!
グラニさん! どうしてここに!?
スージーが店長か! いいねぇ、俺たちが好きな酒をたくさん仕入れてくれよ!
おめでとう、スージーさん。
レイドさん! 今はお仕事の時間じゃないんですか!?
それが休みを取ったんだってよ。スージーが店長になる一大イベントを見逃せるはずないだろ。
そうそう、オレなんかここ数年毎日通ってたからな。自分ちよりも居心地いいって言いたいくらいだぜ。
奥さんにどやされるぞ。
それじゃあ、スージー店長、このお店は今日から君のものだよ!
……
ううっ……
え、なに泣いてるのさ、泣かないでよ!
そうだぞ、泣くこたないだろ。
ここんとこみんな大変なんだし、せっかくこんな嬉しいことがあったのに……
もっと喜ぼうじゃないか!!
俺たちはこれからも絶対この店に通うからな。
ハハハ……こういうのってなんて言うんだっけ? 感動の涙?
(涙声)クー姉……私……
も~泣かないでって言ってるでしょ……ほら笑って。
夢──
感染者にとって、夢は手の届かないところにあるもの。
私の夢は、自分のお店を持つこと。そして自分の生活を送ること。
もう家族に迷惑をかけないこと。
今、私の夢は現実になろうとしている。感染者にとってはこの上なく贅沢なことだ。
私はきっと幸運なんだよね?
1097年11月24日 a.m. 6:35
煙……
大量の煙が、感染者地区の一角を包み込んでいる。思いがけない火災が、早朝の穏やかさを打ち破った。
まずは近隣住民を避難させるんだ!
そこの野次馬! 見世物じゃないぞ!
こっちだ! ここの鎮火がまだだぞ!
死傷者がいないか再度確認しろ、ここは感染者地区だ!
残留源石、破損した電化製品をチェックしろ!
活性粉塵の拡散は絶対に許すな!
信じられん、こんな場所で放火する*スラング*があるか!
どうして……
動ける人を先に避難させろ! そこのフェリーン! 何してる!?
煙……
煙と焦げ臭い匂いが辺りに充満している。
炎で熱せられた革や木材がはぜる音が響く。
中に入る気か!? 死ぬぞ!?
その子を止めろ!
どうして……
彼女は己の目に映るもの全てが信じられず、瞼を閉じようとした。
これはきっと夢だ。
きっと悪夢に違いない。
再び瞼を開ければ、悪夢は覚めるはずだ。
瞼を上げられさえすれば、いつもの天井が見えて、新しい一日を迎えることができる。そして自分の店がそこで待っている……
願う心と裏腹に、眼前の光景が変わることはなかった。そこには燃え盛る炎に呑まれた「店」があった。
「グリーンスパーク」と書かれていたはずの看板は、焼け落ちて黒い炭にしか見えなかった。壁や屋根もあるいは燃え、あるいは溶け落ちて、廃墟というに相応しい。
彼女の目に映るのは、かつての夢、希望、未来の生活。
しかしその何もかもが、炎に呑まれて崩れ落ちようとしている。
どうして……?
少女はどんな苦境をも乗り越えてきた。それを支えていた意志は、もはやフェリーンの小柄な身体にすら耐えきれなかった。
彼女は地面に膝から崩れ落ちた。
熱せられた地面が、灰が、少女の手足を焼く。建物の残骸が皮膚を刺す。