ニヤニヤ谷へ 幕間
塞ぎきれない鍋蓋
ランナお姉ちゃん! またお碗を叩いたりして!
その癖はやめてって前にも言ったじゃないですか! ひと様の迷惑になっちゃいますよ。
いいじゃないか。駅なんて元々騒がしいし、聞こえやしねぇって。それにここはあたしの車ん中だぜ? これくらいの自由はあったっていいだろ。
もう! いつも言い訳ばっかり!
だって暇だしよぉ……
しかもどこの誰かさんが、今日に限ってやたらたくさん作るもんだから、こっちは待たされっぱなしでもうお腹ペッコペコ!
せっかくの料理が冷めるのを見てるだけってもの忍びねぇから、こうして音を立てて注意してあげてんだよ。まだだぞ、まだだぞ、鍋蓋(なべぶた)ちゃんが席に着くまで冷めちゃダメだぞってね。
またそんないい加減なことを……まったく、ランナお姉ちゃんったらいっつもこうなんだから。わがままな子供みたい。
そこまで暇なら、厨房に来て手伝ってくださいよ!
いやいや、あんたっていう「六つ星シェフ」がいるんだからあたしの出る幕はないだろ。頼りにしてるぞ、鍋蓋ちゃん!
あー、また! だから「鍋蓋ちゃん」はやめてって――
――ところで、この赤いのはなんだ?
あっ、それは瘤獣肉のトマト煮です!
できたてアツアツですから、きっとすっごく美味しいと思います!
瘤獣肉の、トマト煮だって? だったら何でこの色なんだ……もっと黄色っぽい出汁になるはずだろ――
言い終わるよりも早く、アランナは湯気の立つお碗からスプーンで大きな瘤獣肉の塊をすくい上げ、口の中に放り込んでいた。
あまりの熱さに口を開けて、ハフハフと冷まそうとしながらも、アランナはグッと親指を突き立てた。
……はふっ……ふぅ……
んまーい! こりゃいけるな。さっすが、うちのトレーラーの「六つ星シェフ」サマ。
えへへ、それほどでも~。
まあ、ランナお姉ちゃんのおかげでもあるんですけどね。とびっきり新鮮なお肉を手に入れてきてくれましたから、調味料で味を誤魔化さずに、ありのままの美味しさを引き出せました。
そうなのか? きっとあたしらがもうじきここを出ると知って、市場の大将が気を利かせて新鮮なのを見繕ってくれたんだろう。二年も常連として通った甲斐があったってもんだ。
それはどうでしょう。ランナお姉ちゃんの話を聞いた限りだと、大将さんは最初からわたしたちのことを気にかけてくれてたんじゃないかなって思うんです。
想像ですけど、きっと背が低くて、おおらかで、汚れたエプロンを着けた、アイアンヘッドおじさんみたいな感じの人ですよね。
あー、残念ながら、そいつは見当違いだ。あの人はな、包丁片手に店の前に立ってるだけで、市場を行き交う誰もがニンジン一本くすねるのをはばかるような、そんな人さ。
……まあ、なんだ。もう少し大きくなったら、街に出て自分で確かめて来てもいいぜ。
そういやこの、瘤獣肉のトマト煮? 食べたのいつぶりだっけか?
えーと。
わたしたちが初めて一緒にご飯を食べた時じゃないですか?
その時はランナお姉ちゃんが料理してましたよね!
はぁー、だとしたらだいぶ久々だ。あんたよくそんな昔のことを覚えてられるな。
それはもちろん!
「料理なんてちょちょいのちょいよ」って言ってた挙句、あんな超絶すっぱいものを出されたら、誰だって覚えちゃいますよ。
ゴホン……そりゃー、あのトマトがそんな酸っぱい品種だとは知らなかったからだよ。出来上がったスープも黄金色で美味そうだったしな。こりゃメシが進むぞって思ったんだ。
たしかお姉ちゃんも、食べたあと酸っぱすぎて口元がギュッてなってましたね。
は、腹が膨れりゃそれでいいだろ! 味なんて二の次! ていうかあんた、それでも全部平らげてたじゃないか!
食べ物を粗末にするのはよくないですからね。それにあの時は……
さあ、昔話もほどほどに、もういただいちゃいましょう。でないとランナお姉ちゃんがまた冷めたとか、ケチをつけ始めますからね。
そう言いながら、彼女は食卓に置かれた食器にそっと手を添えた。すると立ちどころに、料理は出来立てホカホカの状態に戻った。
ふわりと湯気が立つ料理を見て、アランナの顔つきが一瞬で険しくなる。
ちょっと!
約束したよな? もうそんな風にアーツを乱用しないって。
あっ……
でも、こうした方がすぐに温められますから……
料理の一皿や二皿くらい、きっと大丈夫ですよ!
……
そうかい。じゃあ好きにしな。結局あんたの身体だし。
けどアイアンキャロットシティに着いたら、頼れる先生を探して、正しいアーツの使い方をきっちり学んでもらうからな。
……
なに見てんだ? ほら、あんたも早く食べな。
しばらく眺めてたいなって。ランナお姉ちゃんはいつだって美味しそうに食べてくれますから、見てると嬉しくなっちゃうんです。
少女は食器の縁からこぼれたスープを布巾できれいに拭き、そして手を拭った。
それから分厚い本を数冊、棚から取り出すと、椅子に一冊一冊積み重ね、その上に腰掛ける。
そうして片方の腕をテーブルに置き、もう片方の腕にあごを乗せ、目を細めてニコニコしながらアランナを見つめた。
アイアンキャロットシティに着いたら、このトレーラーは会社に返却で、路線も廃止されちゃうんですよね。
ああ。
そっか……
名残惜しいのか?
……そうでもありません。
ウォーミーはいつもポジティブですから。
あっそ。
それで、廃線になった後も、この車に残るつもりか?
ま、こいつならたぶん返却されても廃棄処分にはならないだろう。ただ、これまで停まってた停車駅たちにはもう寄れないけどな。
……
だとしても、わたしはポジティブなので……だから、きっと、落ち込んだりしません!
……それに、ランナお姉ちゃんがついてってくれますから、なおさら落ち込むことなんてありません!
……
アランナはウォーミーの頭を撫でた。それに応えるように、彼女は耳をピクリと動かした。
えへへ……
どうかした?
く、くすぐったいです……
コータスの少女の反応に、アランナは思わず笑みを零した。
そんじゃ――
いつもお利口さんで、元気いっぱいの鍋蓋ちゃんに、お使いでも頼んじゃおうかな?
え? でもウォーミー、もうずっと街に出てないのに……
大丈夫大丈夫。
実は車のスピードを上げるために、安全弁を取り外しちゃってるんだけど、車検の時に会社にバレたらまずいんだ。
そこで、新しい安全弁がご入用ってわけ。
長旅になるからな、当然日用品も必要だ。仕事仲間が少し分けてくれると言ってたけど、そこまで世話はかけられねぇ。
そうですか……自動車工場のおじさんたちは、ランナお姉ちゃんがここを出て行くってこと、もう知ってるんですか?
ああ。けどまだ色々とやんなきゃいけないことが残ってて、これから片をつけに行く。ひょっとしたら一晩かけても終わんねぇかも。
わたしを連れてくつもりなのも、知ってるんでしょうか?
まあ、そうだろうね。
――だから、他のことは全部頼んだぜ。なんたってウォーミーは立派で頼もしいんだから。
おっと、こいつを渡さなきゃ――
アランナはよれよれの文字が書かれた一枚の紙をウォーミーに手渡した。
扉のとこの袋に入ってるもんを売れば、いくらか足しになる。
財布も渡しとくから、そいつの中身と売った金で、リストに書いてあるのを買ってきてくれ。頼んだぞ。
あたしは最後の仕事を片付けてくるよ。
最後の、ですか……
役割分担してさっさと済ませよう。いいね?
……はい、任されました!
――するとハガネガニは目を覚まし、のそりと起き上がった。「カチカチ!」とデカい音がしたと思った時にゃあもう、タワークレーンはバラバラに切断されてた。
鉄筋が落ちてきたって、甲羅に穴一つ空きやしねぇ。そんなハガネガニを見た連中は当然、手に持ったシャベルやら溶接トーチやらを放り出して、慌てて逃げ出したってわけさ。
ハハッ、面白いだろ? 何やら実在する人物を……おっと違った、カニを題材に制作された映画らしいぜ。今夜、向こうのスラグ置き場で開かれる野外劇場で、こいつを上映するんだ。
……
なぁに、礼はいらねぇよ。その顔を見りゃあわかるぜ、お前さん越してきたばかりだろ?
それからここでのボウリングとトランプゲームのルールについて、もうちょっと詳しく説明しておこうか。工場区画ごとに、ルールがそれぞれちょっとずつ違うってのは知ってるよな?
……サンドビースト、一匹お願い。
……ゴホン。いいだろう。
そこの籠の中から好きに選びな。うちで売ってんのは、どれもしっかり手懐けてあるぜ。よく食べてよく寝る、人懐っこい子たちばかりだ。
ところでお前さん、そんなにおしゃべりが苦手なのかい? たとえばよ……今日はいい天気だろ? 珍しく砂埃のない青空だ。こんなお天気じゃそっちも仕事がしや――
ど、どいてくださ――い!
と、止まれないんですー!! わああああ――!
ったく、どこのどいつだ? こんな小さな子供に大量の荷物が載ったカートを押させやがって……この通りが急な下り坂になってんのを知らねぇのか?嬢ちゃん、大丈夫か? 頭打ってねぇか?
ううっ……
……大丈夫です! それに、わたしはもう子供じゃないので、これくらい何ともありません!
って……あわわ。鍋もお椀もみんな散らばっちゃってます。せっかく頑張って積み上げたのに……
女の子が腰をかがめ大きな鍋を拾い上げようとするのと同時に、横から別の誰かが手を伸ばしてきた。
お互い反射的に手を引っ込め、一歩退く。ウォーミーは慌てて、手を隠すように袖口を引っ張った。
……
……あの、自分で拾えますから、大丈夫ですよ。
わかった。
それと、さっきはカートを止めてくれてありがとうございました!
いいよ。止めてとは言われなかったけど、前にゴミ収集車があったから。ぶつかったらよくないし。
え? ……たしかに、それもそうですね!
それとごめんなさい、店長さん。お店の入り口をこんなに散らかしてしまって……すぐに片付けますから!
気にするこたぁねぇ。焦らずゆっくり拾いな。
あれ……
あの、もしかして、「アロイ・ロングイヤー」って雑貨屋さんはこちらですか?
店長さん、商談させてください!
商談? ハハッ……嬢ちゃん、おうちの人はどこにいるんだい?
ここはわたしひとりで十分です。お姉ちゃんにはお姉ちゃんの仕事があるから、今回は役割分担をしたんです。だからお願いします!
ふむ……わかった、じゃあちょっと待ってな。
そっちのお前さんは、どのサンドビーストにするか決まったかい?
……
もうちょっと見てる。
じゃ先にこっちの嬢ちゃんの対応をするぞ――で、何を探してるのかな?
その前にまずこの袋に入ってるものを売らせてください。お買い物はその後です。
店長さん見てください。この食器も、源石コンロも――これだけきちんとお手入れをして、ピカピカに磨いてある調理器具なら、けっこうなお金になりますよね。
ゴホッ、ゲホゲホッ……取っ手まで真っ黒に焦げた鍋に、歯の欠けたフォーク、それから鉄クズ……これを全部買えってのかい?
はい……これを売ったお金とお財布の硬貨を合わせて、安全弁と溶接ホルダー、ラッカー缶を買わないといけないので……
ハァ……じゃあこうしよう。まずは買いたいもんをレジまで持ってきな、少し安くしてやるから。それでも足りない分は、中古品を買い取って宛がうことにしよう。悪いが残りは持ち帰ってくれ。
それじゃダメなんです。これは全部売らなきゃいけなくて。
冷凍ニンジン一本おまけしてやるから、そいつで勘弁してくれ……
えっ……! やったぁ!
よし、これで交渉成立だな。どれどれ……おっ、このコンロだけで足りそうだ。ほかのガラクタは自分で持って帰んな。いいな?
……やっぱり、ダメです。
……変わった子だな、どうしてそんなに全部売ることに拘る? 悪い子に見えないから譲歩してやったが、そんな様子じゃ夜逃げのために身辺整理してると疑われても文句は言えねぇぞ。
それによ、嬢ちゃんのような身元もよく知らねぇ相手から、あれこれホイホイ買い取って他のお客に売るような真似はできねぇよ。感染者の所持品だったら大変だろ?
……
だから半日で全部売りさばくのは無理だって言ったんですよ……なのにランナお姉ちゃん、全然信じてくれないから……
……わかりました。それじゃコンロでお願いします。残りはまたあとで考えてみます!
……待った、嬢ちゃん。誰に言われて来たって?
えっと、ランナお姉ちゃんですが、あの「荒野のアランナ」です。
なるほどな。合点が行ったぜ。嬢ちゃんとは初対面だが、あいつのことなら知ってるよ。こんな小さい子に厄介事を押し付けるのも、あいつならやりそうなことだ。
ほら、脚立だ。こいつに登れば査定をしてるとこがちゃんと見えるだろ? 帰ったらあいつに伝えな。ブツはひとまずこっちで預かってやる。時間が出来たらメシでもおごれってな。
えっと……つまり全部買い取ってくれるんですか? どうしてまた急に……
それもそっか……! わたしはもう子供じゃないんだし、頼まれたことはやり遂げて当然ですもんね!
なんだなんだ、「商談」に応じても応じなくても、結局はへそを曲げるのかよ。
え、何を言ってるんです? へそを曲げてなんかいませんよ。
うーん……商品棚には、ランナお姉ちゃんが言ってた型番の安全弁がないような……
見せてみな。
こいつはとっくに廃盤になってるぞ。労組が基準を定めてから「型落ち品の入荷は禁止」って営業手引にしつこいくらい繰り返し書かれるようになったんだ。だからうちには置いてねぇよ。
それじゃ困ります。別の場所へ探しに行かなきゃ……きっと見つけてみせます! 店長さん、わたしのカートを見張っててください!
って、おい……ハァ、今度アランナのやつにきちんと言っとかねぇとな。
姉ちゃんの方はまだ決まんねぇのかい? それとも、何か別のもんでもお探しで?
……
ったくグズグズしちゃって、見てらんねぇ。レンチ貸しな、あたしがやるから。自分の車のことは自分が一番わかってるってもんだ。
お前が俺を雇ってやらせてるんだろ。値切るつもりなら素直にそう言えよ、アランナ。
あたしはあんたみたいに金欠じゃないんでね。酒にも溺れないし、事ある毎に車を故障させるようなこともしねぇ。
それに、あんたよりも手を動かしとかないと、鍋蓋ちゃんに自慢できなくなるだろ? あたしの腕前はどうだってね。
ハハッ、あのおチビちゃんか……
……なあ、今取り壊してるのって、もしやおチビちゃんの寝床だったとこか?
ああ、そうだよ。
マジかよ、こりゃ参ったな! ハハハハ、俺の負けだ。
いや、ずっと見栄を張ってるだけだと思ってたんだよ。
正直言って、短気なお前のことだから、とっくにほかの誰かに預けちまってるもんだと思ってたんだ。
……
――っと、悪い悪い。そう睨むなって。
誰が短気だって? もとはあたしに子供の世話なんて無理だなんだと賭けはじめて、喧嘩売ってきたあんたらのせいじゃねぇか。それで腹が立ってあの子を引き取ったんだからな。
またナメた口利いてみな。顔面にボール蹴りつけてやる。
そうは言っても、俺たちはあの子にかれこれもう二、三年会ってないんだぜ。お前が自分で語ることを聞いてるだけじゃ、そう思うのも無理ないだろ。
キャタピラを巨大循獣に噛まれて壊されただの、天災の中で安全弁を緊急交換して速度を上げただの、たまたま間欠泉に放り上げられた乗客を乗せただの……お前は何でも本当みたいに話すからな。
全部ホントの話だって。
へぇへぇ、全部ホントね。で、チビちゃんをずっと車ん中に閉じ込めて、外へ遊びにも行かせないのは一体どうしてなんだ?
――まさか、今になってもあの車から降りたがらないのか?
……もしそうなら、明日こいつが運行終了したら、あの子はどうすんだ?
……
……アイアンキャロットシティに着いたら何とかするさ。会社が新しい仕事を振って来ないってこともないだろうし。
何とかするって……待てよ、お前こっちでじゃなく、あっちで新路線の割り振りを待つつもりなのか?
つまり、ここへはもう戻らないってのかよ?
うぅ、結局これしか見つかりませんでした……お姉ちゃんが言ってた仕様とちょっと違うけど、一応付けるには付けられるってお店の人が言ってたし、きっと大丈夫だよね。
そろそろ日が沈んじゃう……もう帰らないと、今日中にやらなきゃならないことが終わらなくなっちゃうよ。
ランナお姉ちゃんも……きっともう帰ってるはずだよね?
あの、そこの君? こんばんは。のんびり歩いてるから、発着所に急いで向かってるわけじゃないよね……
えっ、のんびり? そう見えますか? えへへ……
少し時間、いいかな? ここからアイアンキャロットシティ行きのトレーラーの最終便って、何時発かわかる?
それなら夜の九時半です。
絶対に合ってますから安心してください。その路線のことはわたしが一番詳しいんですから。
そうか……わかった、ありがとう、助かったよ。
九時半なら……まだ時間はあるな……
はぁ、なんだかランナお姉ちゃんのことが心配になってきちゃいました。どうしてでしょう……
都市間トレーラーの発着所は古い自動車工場の作業場近くにある。窓からは見慣れた灯りが漏れ出している。
ウォーミーは窓の埃を払い、中を覗き込む――
出口の通路が、労働者たちの出入りや、フォークリフトの積み卸しなどによる「業務ストレス」に耐え忍んでいるところだった。
その古びた通路は、まるで年老いた工場長が二十年間洗っては使い続けた鉄製の弁当箱のように滑りやすくなっていると、もっぱらの噂である。
労働者たちの歓声と口笛が響く中、金属の球――正確に言えば、廃材やクズ鉄を圧縮して丸く加工されたボールが、ツルツルの床の上に投げ落とされた。
ボールはゴロゴロと、前方へ向かって転がっていく。
ナイスショット!
またストライク? 何て腕前……さすがアランナ! やっぱりレベルが違うわ!
えーと、十八、十九……二十ポイントもリードされてるぞ。こんなのどうやって追いつけってんだ!
おい、ド下手のチャーリーボーイ! 大差を付けられる前に、その辺で引っこめ! 俺らの工場に恥かかせんじゃねぇ!
まあまあ、黙って見てろっての。今からお前らに、完璧な一投ってやつを見せてやるからよ。
いらん心配するよりも、その錆びた足りねぇオツムで考えとけよ。今夜の「アランナ送別会」を、どうセッティングし直してさらに盛り上げるかを……
そうだな。まずは垂れ幕を「祝・ラストスラグ自動車工場新人歓迎会――アランナ正式加入おめでとう」に変えるとこからだな!
本気なの? ここでストライクでも取れなきゃ、次の一投すら回って来ないのよ。
いいから見とけ。
チャーリーは身をかがめ、倒れているピン代わりの瓶たちを起こして並べ直すと、ズボンのポケットに手を擦りつけた。布地にくっきりと汗の跡が残る。
ボールを掴み、つま先をファールラインに当て、視線を真っすぐ前に向けたその時――
待った。
チャーリー、この辺にしておこう。
……はあ?
今はあたしがリードしてるけど、あんたにだって逆転のチャンスはある。だから「一時休戦」ってことでさ――今のスコアは、お互い納得のいく結果だろ。
つーわけで、今回は引き分けってことにしよう、な?
……
あのなぁ……うちの工場どころか、レム・ビリトン鉱業連合でやってる試合全部入れてもありえねぇよ、そんな決着。
俺の記憶が間違ってなけりゃ、確かこういう約束だったはずだ――俺が勝ったらお前はここに残る。逆にお前が勝てば、俺たちはもう引き留めねぇ。どこへなり好きに行っちまえってな。
それを引き分けにって……お前、身体を真っ二つにして、半分でアイアンキャロットシティに向かって、もう半分は工場に残すなんて真似ができるとでも?
それとも二重生活でも始めて、時間の半分を新生活に当てて、もう半分で俺たち腐れ縁の同僚と過ごすって寸法か?
勘弁してくれ、あたしを新しく赴任してきた区画代表の腐れ野郎と一緒にするな。
奴らだったら確かに、朝っぱらから総会に出て最新の事業計画を発表したあと、午後から坑道に降りて現場監督してても、夜になればつまんねぇ社交パーティーとかに出席できるかもしれねぇけど……
あたしには絶対に無理だね。トレーラーの運転ひとつとっても、ハンドルを握るだけで精一杯さ。せいぜい、乗客たちのキテレツな話に耳を傾けられる程度の余裕しかねぇ。
だからあたしの提案は、こうだ――
まずはアイアンキャロットシティへ行って、やるべきことを片付けてくる。あんたらの工場に正式に加わる話については、また戻ってきた時に話し合おう。それでいいだろ?
そんなこと言ってよ……そもそも戻る気なんてねぇんだろ!?
いったいどうしちまったんだ、アランナ? 俺たちとの例の賭けのせいか? あのチビが原因なのか?
あっ! ランナお姉……ちゃん?
……鍋蓋ちゃん?
な、な、なんでボウリングなんかしてるんですか? 片付けなきゃならない仕事がたくさんあるんだって、言ってましたよね?
いや、それはつまり、賭けの勝敗がついてない以上は、当然片付けなきゃいけないわけで――
ハァ……
(小声)ランナお姉ちゃんったら……こういうところは瘤獣そっくりでマイペースなんだから。
頬を膨らませたウォーミーは手を高く上げ、アランナの肩をドンと押した。
その動作でずり落ちた袖口から、不規則な形をした黒い結晶体が露わになる。アランナがプレゼントしたブレスレットでも、その光沢を完全に抑え切ることはできなかった。
ん? 皆さん、どうしてわたしのことをじっと見てるんですか?
――チッ、単なる野次馬根性だ。ほら、車に戻るぞ。
わぁ……
どうだ? 四時間前までここに規定違反のキッチンがあったとは全然思えないだろ? 賭けてもいい、誰一人見抜けやしないってね。
これぞ、区画屈指のカスタム技術をもってこそ成せる技さ。めったに拝めるものじゃないぜ、あたしの本気は。
はい、もうすっかり面影もありません……
でも……全部取り外すとは言ってなかったじゃないですか……
……ううん、さすがランナお姉ちゃん!
すっごく大変なお仕事が残ってて、一晩かかっても終わりそうにないから、仕方なくわたしにお使いを頼んだはずなのに……
帰ってきてみれば、仕事が片付かないどころかおじさんたちとボウリングまでして、今はサイダー片手に雑誌を読みながらくつろいでるんですから!
ま、まあな。アハハ。
とにかく、あと残ってんのはちょっとした問題が三つだけだ。
まず、壁のすす汚れを上から塗装して隠さなきゃいけない。一回手本を見せるから、あとは好きにやってくれ。ラッカーは二本用意してある。
こうしてみると、鍋を焦がして火が上がった回数、結構あったんですね……
次に、予備動力炉の配管に安全弁を取り付ける。
あっ、それなんですが、ランナお姉ちゃんが希望してた型番のものが見つからなくって……その場合ってひょっとして……
明日の車検に出せなくなったり……?
そこは心配ないさ。市場ではもう出回ってない可能性も想定済みだから。
え……
このトレーラーが点検改修に出されるワケを教えてなかったか? こいつはな、ほかのパーツはまあまあ新しいが、肝心の動力炉がもうオンボロだ。
昔は特にルールもなかったんだけど、最近になってビッグピラー自治州の労組のいくつかが、「スタンダーダイズ」ってやつに乗り出し始めてな。
ハッ、「スタンダーダイズ」だなんて小洒落た言葉でカッコつけてるが、ようは「ルールを決めときましたー」ってこと。
古い動力炉のちょっとした欠陥くらいはどうにでもなるけど、宣伝されてるような最新式設備に変えたほうがみんなのためになるってのは、あたしも一理あると思った。
そんで、うちらがアイアンキャロットシティに行くのは、まさにこいつが新しい規格に合ってないからで、設備更新するためだ。だから安全弁が多少違っていても、叱られやしないさ。
あとは輸送を終えるだけだからな。目的地まで動けばオーケーだ。
ただし、万が一予備配管を使うような状況になれば――そんときは頼んだよ。
いつも通り、あたしが動力室の状況を見てきてって言ったら、すぐに確認してきてくれ。当然、報告も頼んだ。
はい……任せてください。
そんで最後……
こいつが、発着駅に提出する運行終了報告書だ。今回ここを出ちまえば、もう戻ることはないからな。
……
黙るウォーミーをちらっと見やりながら、アランナは話を続けた。
……まったく、手続きが多くてほんと嫌になるよな? 通知も急に届くしよ。あの「手厚いパーカー」に二時間教えてもらってようやく埋められたんだから、今日中に提出なんて無理無理。
ってことで明日あさイチで提出してくる。あんたは、今日の働きっぷりに免じて、工具室で朝まで好きなだけ寝ることを許す!
はい……
なあ。なにか言いたいことがあれば、たまには我慢せず口に出してもいいんだぞ……?
……担当する路線が変わったら、ランナお姉ちゃんはこの辺に住んでるお友だちとはもう……なかなか会えませんよね?
え?
なので、報告書はわたしが出してきますよ!
そうすれば、お姉ちゃんはお友だちともうしばらく話せますし、お別れもそこまで悲しくなくなるはず!
今はキッチンがないので無理ですが、新しいおうちに着いた後、また色々と取り付けられたら、すぐに甘口のミートスープを作りますね……あれを食べるたび、お姉ちゃんは笑ってくれますから。
ははっ、そいつは楽しみだ。
……あう! 背中を叩かないでくださいよぉ! 痛いですってば!
いつももう子供じゃないって言ってるだろ? このくらいもっと大人になれば、痛くも痒くもなくなるさ。
ほら、これもやるよ!
今夜はあたしと一緒に、キンキンに冷えたサイダーを飲むことを許してやろう。それと、いつもより一時間遅く寝てもいいぞ。
ふわぁ~……眠い……
でも、眠くても迷子にはなりません! 子供じゃないんですから、地図だってちゃーんと読めます。
えーと、ここを曲がって、正面の階段を上って……
あれ? 昨日の人、まだあそこに座って……もしかして乗車時間に間に合わなかったのかな?
昨日座っている場所から一ミリも動いていません。姿勢も、しょんぼりしている表情も全く一緒です。すごい……
あ、君か……お、おはよう……いいところに来たね。
その、今日のアイアンキャロットシティ行きの始発って、何時発かわかるかい?
それなら、六時二十分ですよ。
わたし、そのトレーラーの――じゃなくて……わ、わたしもそれに乗ろうと思ってまして!
そうか、ギリギリ間に合いそうだな……
案内しましょうか? そうすれば今度はもう乗り遅れませんよ!
え、い、いやいやいや、大丈夫!
……ごめんよ、お、お気遣いはありがたいけど……その、もう少しここに座っていたいからさ。
……ひょっとして、誰かを待ってるんですか?
え? いや、僕は……えっと、どうしてそう思うんだい?
ウォーミー、今夜はひとまずバラックへ戻ろう。これ以上待つわけにはいかない。
こういう事態が起こるのは、仕方のないことなんだ。
それは……
誰かを待つのは、ここじゃよくあることですから。
それじゃ、わたしはもう行きます。その人に会えるといいですね!
いや、その、別に会いたいわけじゃないんだ、今だってそのことを考えただけで恐ろしくて震えが……
……って、もういない。コータスの子供は足が速いんだな……まあでも、あの子には感謝しなきゃ。
次の方、資料を持ってお入りください。
(つま先立ちをしながら)わたしの番まであとどのくらいだろう……列の間からじゃ前が全然見えない……
どうしよう、もうすぐ出発の時間になっちゃう。書類提出は間に合わないかも。
朝早くからこんなにたくさんの人が並んでるなんて、ツイてないな……でも、大人だって、運が悪い時はどうしようもないよね。
ホントにね。ちゃんとしたイベントだってアピールしたいのは別に悪いことじゃないし組合の勝手だけど、わざわざボディビル大会の受付と行政手続きを同じ窓口で処理する必要なんてなくない?
まるで大家族全員でおばあ様の部屋に押しかけて、みんなで一斉に告げ口して判断してもらおうとしてるみたい。
来たのがわたしでよかった。ドクターやアーミヤちゃんみたいな忙しい人だったら、頭を抱えてただろうな。
はぁ、アーミヤちゃん、かわいそうに……まだ十代なのに、なぜあんな重荷を背負わなくちゃいけないのかな。
ところであなた、さっき間に合わないかもとか言ってたよね? 小さくて細いその体型から察するに、大会の申し込みに来たわけじゃなさそうだけど。
え? ち、違います。「運行終了報告書」の提出に来てまして、これです!
提出が間に合わないと、運行終了ができなくなっちゃうので……
なるほど。そういうことなら大丈夫、わたしに任せて!
えっ――?
で、でも、手続きをするのはわたしたちのトレーラーで……あっ、もしかして、ランナお姉ちゃんの知り合いですか?
ううん、知らないけど。
でもあなたが運転手本人ってわけでもないでしょ?
ええと、はい……
でしょでしょ。なら大丈夫。つまりその報告書は、提出さえできれば誰が出しても一緒ってことだよね。
どうせわたしはここに並んでなきゃいけないんだから、ついでにあなたの書類も出しとくくらいどうってことないよ。だから気兼ねなく帰って大丈夫。
……って、あれ。なんか落ち込んでるけど、どうしたの? まだ何か心配事でも?
え、そう見えますか……ううん、ダメダメ、ちゃんとしなくちゃ。
あの……では、お願いします。
ありがとうございます、優しいお姉さん!
(この子、もしかして……)
……ねえ、これ、持ってて。
なんですか……えーと、カード?
名刺だよ。ご家族にきちんと渡すようにね。いつか役に立つ時が来るかもしれないから。
ほら急ぎな! もうすぐ乗客たちが乗ってくる頃だよ!
はぁ、はぁ……はーい!
悪いけど、到着するまでは工具室で隠れててもらうからな。
わかりました。ここに来たばかりの頃はずっとあの中で生活してましたし、大丈夫です。
まあ、いつもどおりその端末から監視カメラを通して車内の様子は見られる。乗客の様子も……って、これ以上の説明は必要ないか。
はい!
よし、じゃああたしは運転室に行くからな。
……
短い間の中でウォーミーはたくさんのことをやり遂げました。
いろいろトラブルはありましたし、お姉ちゃんも間に合わないかもと言ってたくらいだったのに……ちゃんと車検に向けての準備を終わらせて、きっちり手続きも済ませられました。
あっ、あの駅にずっと座ってた人、間に合ったんですね。よかった……そうでした、ダイヤがわからなくて困ってた人も助けてあげたんです。
ドアが閉まります。間もなく出発です。ご乗車のお客様は速やかに座席にお座りいただくか、お持ちの折り畳み式の寝椅子、腰掛け、もしくはマットなどを適宜な場所に――
……こんなによくできたんですから、わたしはもっとはしゃいだっていいし、ちょっぴり誇らしげに胸を張ってもいいくらい!
でも……本当は……
本当は……
大変なことが起きてもいいから、この車が運行停止になるまでの時間がもっと長くなればいいのにって、ずっと思ってる……
だって、わたしは……まだ……
このトレーラーはジャックした。今からニヤニヤ谷に向かう。
……え?
ウォーミーは運転室の監視カメラ映像が流れる画面に目を向けた。
車内放送から流れる聞き慣れない声の主は、昨日出会った怪しげな女性だった。彼女の手にはアランナが普段使っている放送用マイクが握られている。
そしてもう片方の手にしっかりと握られたクロスボウが、アランナの首に突きつけられていた。
監視カメラがアングルを切り替える際のわずかな動作音を察知したのか、彼女は驚くほど平静に、レンズ越しのウォーミーへと視線を向けた。
運転手を含め、ニヤニヤ谷に用のない乗客はここで降りてもいい。
……これって本当に、カージャック?