狂人号 SN-ST-6・幕間
下層ホール
ッ……進めば進むほど、恐魚が増えてるじゃない……!
早く合流しないと危険ね……
……
師匠……私はどうすれば、あの人たちみたいに……
……グァア……
! シーボーン……!?
(甲板で見たあいつだわ! でも、あんな一撃を食らったのに、少しもダメージを受けてないってこと……!?)
......
(……どう仕掛けてくるかしら? 手足を遣うか、噛みついてくるか……)
(何にせよ、まずは距離を取らないと。ハンドキャノンを――)
......
……え……?
ちょ、ちょっと待って! あなたが腰から下げてるそれって……!
どうしてそんなものを!? ……っまさか、あなた……!
アオオオッ――!
くっ……! う、ぁ……はぁっ……!
(なんて馬鹿力……! 運良くしのぎはしたけど――)
……イ……
......
一体何が言いたいわけ?
なんにせよ……こんなところで倒れるわけにはいかないわ!
私は、イベリアの審問官なんだからっ!
……やれやれ。
溟痕を焼くのに時間を取られてしまったな。
……状況は楽観視できそうにはない、か。
グルル……ギュギュ……
(ここからなら、下の状況を見られそうだな……)
もう何時間経ったんだろう? それに、大審問官さんは……あとどれくらい持ちこたえられるのかな……?
……もし、僕が……いや。考えるな、ジョディ。集中するんだ!
裁判所の人たち……どうか、間に合ってください……
あら、どうしたの? もうお終い?
……グ、アァ……ァ……
そう。――あなたのお友達が泣き叫ぶ声が聞こえる? サルヴィエントで見たお花さんは、まだいくらか綺麗だったけれど……あなたはどうかしら。
とりあえず、目が覚めてから最初のダンスレッスンとしては、退屈すぎるってことは確かね。
ガァアッ……!
待ちなさい!
あれは私が追いかけておくから、あなたはイベリアの小鳥さんを探してちょうだい。
……今の気分はどう?
とってもいい感じよ。星の海から降り注ぐ滝みたいに、記憶が流れ込んでくるの。自分のすべてを思い出すにはもうしばらく時間がかかりそうだけど。
とはいえ、ここ数年のことを思い返すと、ちょっぴり恥ずかしくはあるわね。
……まだ不安定な状態みたいだし、やっぱり私が追うわ。
なあに? 私の獲物を横取りするつもり?
奴は海へ逃げ込もうとしてるのよ。
それはそうでしょうけど、あの子が逃げたのは私たちに勝てないからじゃないのよ。
一体何を見つけたんでしょうね?
今、そんなこと考えてる時間は――
......
げほ、ごほっ……やっぱり、まだハンドキャノンを制御するのは無理そうね……
ちょっと、待ちなさいってば……!
――って、あら? アビサルハンター?
おはよう、アイリーニ。次の獲物を連れてきてくれてありがとう。
……今、アイリーニって呼んだわよね? あなた……もしかして、記憶が戻ったの?
ええ。まだ完全ではないけどね。それでも、今はすっごくいい気分だし、コンディションも最高よ。
二人とも、お喋りしてる場合じゃないわよ。
このシーボーン、甲板で見た奴でしょ。第二隊長の攻撃を避けられるくらいの相手なのよ。
すごいじゃない、アイリーニ。そんなのを相手にして、傷を負わされずにここまで追い立ててくるなんて。しっかり褒めてあげないとね。
いいえ。追い立ててきたわけじゃないし、奴はそもそもほとんど攻撃してこないのよ。――ほら、今だってそうでしょう?
そうねえ……こんなに隙だらけでお喋りしてるんだから、衝動的に攻撃してくると思ってたんだけど。
......
あなたのお友達なら、ついさっき出て行っちゃったわよ。今から追いかければ、まだ間に合うんじゃない?
仕掛けてこないってことは、あなたも平和主義者なのかしら?
……
(カジミエーシュ……以前スカジが暫く滞在していた陸上国家だったわね。広大な草原と森林を有する、騎士の国だと聞いたことがあるけれど。)
(「騎士」、ね……)
……果たして偶然なのかしら? あるいは、何かに惹きつけられているとか?
この船にしても――ブレオガン、あなたが故郷に残そうとしていたものは一体何? その答えはどこに隠したの?
……うん?
(恐魚の死骸……だけではないようね。)
(この無駄のない切り口……抵抗した痕跡すら見当たらないわ。……その上匂いが入り混じって、空気がやけに濁っている。)
(船内に……まだ、ほかの何かがいるということ?)
——
そのベルトと懐中時計は、間違いなく人間の――それも、イベリアの制式採用品よね!
あなた、一体何者!?
......
時間稼ぎをしているみたいね。
もう一匹が海へ戻ってしまったら、面倒なことになるわ。
......
それでもまだ攻撃はしてこないなんて……随分消極的なダンスパートナーね。
――スカジ、私に合わせて。
ええ。
――グ、ッ……!
……ゥ、グ、ァァッ……
二人がかりで攻撃したのに、反撃してこないわね。ここまで来るとなんだか可哀想。
……! 違う!
奴は時間稼ぎをしてたわけじゃないんだわ!
こ、これは――鐘の音……!?
ギュアアアアアッ――!
誰もいない黄金の広間に、鐘の音が響き渡る。
広間の灯りがちらちらと順に瞬いて、三人がそれに気を取られた瞬間に、シーボーンは玉座のそばへと降り立った。
そう、そこにあるのは玉座だ。
このイベリアの大船には、玉座が存在していた。それは傲慢さの結晶であり、権力の果実であり、愚昧な文明の共犯者であった。
あれって、まるで……
スペクターは、自分でもあまりにも馬鹿げていると思ったのか、それ以上言葉を続けはしなかった。
冠を被ったシーボーンは、カーテンと同じ色を纏っていた。玉座のそばで静かにひざまずくその姿は、玉座の主と最も親しい立場にあるように見えた。
それは、昔の王妃や大臣のように、イベリアの黄金の太陽に仕えていたのだ。
その時、玉座の陰から一人の男が現れた。
アイリーニは灯りを高く掲げて暗がりを照らし、その人物の全体像を確かめようとした。
貴様らは、何故……我が船に、立ち入った?
ごほっ……げほっ、ごほ……っ、はあ……
……答えろ。……この、偉大なる……アルフォンソに、何の用だ?
一体、何のために……これまでの、静寂を破り……何十年もの間、誰に顧みられることも、なかった……「我がイベリア」を訪れた?
まずは、貴様から……答えろ。旧、イベリア人。
――
アイリーニは我が目を疑った。彼の顔には、見覚えがあったのだ。
若くして審問官となり、常に勉学を怠らずに過ごしてきたアイリーニは、経典を熟読し、歴史を学んで、信条を力に変えてきていた。ゆえにこそ、歴史書の中で見た顔を覚えていたのだ。
「このシーボーンが、アルフォンソですって?」
「あの人は、イベリアで最も偉大な船長なのよ!」
――あ、あなたがここの船長だって言いたいの!? そんなわけないじゃない、この怪物!
そもそも、アルフォンソ船長は、六十年前の時点で五十歳近いご年齢だったのよ! 万一ご存命でも、当時のままの姿でいるなんてことありえないわ!
アイリーニは自身の動揺を感じ取っていたが、そんな弱みを見せるわけにはいかない。
彼女は反射的に、上官と同じように灯りを掲げた。
正体を現しなさい! シーボーン!
……
......
灯火が揺らめく。審問官が手にしたその小さな灯りは、黄金の広間が放つ輝きよりも、「喪失」という言葉こそが似つかわしいように感じさせるものだった。
黄金の時代。
玉座のそばに控えた「シーボーン」は、アイリーニをしばし見つめたあと、軽蔑したように目を背け、すでに人のそれではない「アルフォンソ」の腕を軽く撫でた。
ほんのわずかな静寂が、英雄を包み込む。
……「シーボーン」、だと? 馬鹿げた呼び名だな。
旧イベリア人よ、名を名乗れ。
私はイベリアの審問官、アイリーニよ。
「旧イベリア」だなんて、笑わせないでちょうだい。イベリアの名を汚す物言いは許さないわよ。私が――
口の利き方を弁えろ、小娘!
(言葉を遮るような甲高い声)――
っ……!
この俺がヴィクトリア艦隊を焼き払い、獅子王の名誉を湖底へと投げ捨ててやった時、貴様はどこにいた?
船に積んできた純金を、俺がこの手でサルヴィエントにばら撒いていた時、貴様は何をしていた?
イベリアの大方陣がリターニアの朝日を暗雲の如く遮った時、貴様はどうしていたかと聞いているんだ!
何を――
ごほっ! ごほ、げほっ……っ、ごほっ……はあ、っ……
我が名はアルフォンソ。旧イベリアの公爵にして、その大艦隊の総指揮官。スタルティフィラ号の船長にして、自らに戴く王である。――貴様のような審問官風情が、誰に向かって口を利いている?
……(不満げに首を振る)
無知な国教会の手の者め。海を渡って俺を探しに来たことを褒められでもしたいのか?
どう辿り着いたにせよ、すぐに立ち去れ。「狂人号」は貴様らを歓迎していない。――ガルシア、我が忠実なる副船長よ。こいつらのことは放っておけ。
お前が奴らに血を流させれば、この連中はそれを千倍にして海へと返してくることだろうしな。
ア……(頷く)
裁判所への侮辱は、イベリアにおいては重罪よ。
……俺の言ったことが理解できないのか? 俺は出て行けと言ったんだ、旧イベリア人。この船の人間はとうに死に絶えているのだしな。
――ッ、私たちがどれだけの犠牲を払ってきたと思ってるの!?
……
私はっ……あなたの許可を得るためにここへ来たわけじゃないのよ……!!
騒々しい。……国教会の人間に再び会うことになろうとはな。お陰でますます貴様らに嫌気が差した。
それにしても、「重罪」とは片腹痛い。あの惰弱な王族を相手に為す術もなかった国教会が、か?
……
貴様が旧イベリアから来たというのなら……今の教皇が誰かは答えられるだろう? もしや、カルメンか?
……! 聖徒閣下の御名を知っているの……?
聖徒? ふっ……聖徒だと?
ッハハ、これは傑作だ! ハハッ、ハハハハ!
な、何がおかしいのよ!
まさか教皇になる勇気さえないとはな。奴は恥ずかしくないのか?
道理で、ここへ辿り着くのに六十年もかかったわけだ。あの災厄は旧イベリアを随分と臆病にさせたようだな。
……だが、それも些末なことだ。船医の奴が珊瑚へと変わる前に、俺はあいつと旧イベリアの現状についてあらゆる観点から推測を立てていた。……こうなることも、わかっていたさ。
――今、貴様らが立っている、この曇りなき黄金の広間こそが、我が記憶の中の祖国だ。
そう、これこそがイベリアなのだ! 貴様の言う「イベリア」は、貴様が目にし、理解したいと思った非常に狭い範囲のことでしかない。
かつては大地を股に掛けていたかの国が、ここまで腑抜けになるとはな。
アルフォンソはそう言うと、階段を降りてくる。
アイリーニは一歩後ずさり、その手の灯りがゆらりと揺れた。
……それで、エーギルまでいるのはなぜだ? 我がイベリアには、貴様らを歓待するつもりはないんだが。
ごめんなさいね、船長さん。悪気はなかったの。私たちは単に、気味の悪い怪物を追いかけてたせいで、あなたと副船長さんをそいつらと混同しちゃっただけなのよ。
……ねえ、あなた今までどうやって生き延びてきたの?
馬鹿なエーギルにしては良い質問だな。俺と奴の狩猟ごっこも随分長く続いてきたが、今日明日辺りであれを収穫するつもりだったんだ。
だというのに、貴様らが俺の獲物を追い払ってくれたお陰で――
――待て。まさか、貴様……!
……?
やはり違う……ただのエーギルではないな? 貴様ら二人ともだ!
名を名乗れ。
……スカジよ。
違う、そんなはずはない。謀ろうなどとは考えるなよ。俺たちは何十年とこの船に囚われているが、頭までやられたわけではない。
奴らは、貴様を「Ishar-mla」と呼んでいたんだぞ。
……あの鐘の音、あなたにも聞こえましたか?
この船にもまだ使い物になる設備があるとはな。
ここでは、あの鐘は狩りの始まりを意味するようですよ。
狩人は誰で、狩られる獲物は何者だ?
海の民たちは、そのようなことは気にも留めません。あのアルフォンソを弱った同胞と見なしていれば、強力な個体を生かすため血肉を分け与えることも厭わないでしょう。
……
――狩人が一人、向かってきていますね。
グレイディーアだろうな。あいつの鋭さを前にしては、陸で学んだ小細工など長くは通用しない。じきに顔を合わせることになる。
では、どうするつもりですか?
貴様こそどうする?
私は……あなたの選択が見たいと思っていますよ、ウルピアヌス。
少し前まで、アビサルハンターへの興味は失っていたのですけれど……ローレンティーナに可能性を見た今となっては、ね。
それに、自覚があるかはわかりませんが、自発的に選択をし、その上で正気を保っているあなたは……もはや、私たちと変わらぬ存在になろうとしていますから。
……
あなたは真相に迫れるのでしょうか? 神託を捨て、神の肉体を切り開き、海の神々の真実を理解することができるでしょうか?
あなたが求めている答えは、私ですら知りたいと願うほどに魅力的なのです。ふふっ、私にもまだ好奇心が残っているなんて……本当に残念。それは私が今も人間であることを意味していますからね。
我々の考え方は初めから真逆のものだ。神託とは、その子孫の本能に刻み込まれるものだからな。
……あら、まあ。
そんなふうに仰るなんて……私よりよほどシーボーンに近付いているのではありませんか?