孤星 CW-7・戦闘前
空に浮かぶ城
1099年11月21日
p.m.7:11 フォーカスジェネレーター離陸から3分後
っ……んん……
はぁ……寒いな……あいつら、また暖房を消したのか。
夜中のラボで残業してる人もいるって、何回言ったらわかってくれるんだか……
もしもし、ハニー? どうした、電話なんかしてきて。
ちょっと待っててくれ……外で話すから。
え、今日が何の日かって?
んー……プロジェクトの締め切りまであと九日になった日、かな……進捗があまりよくなくてさ。
だから悪いけど、今日も帰れそうにないんだ。
……結婚記念日? ああ……
ごめんな、この数日本当に忙しくて……そうだよな、あのレストランずっと楽しみにしてたもんな……わかってる、わかってるよ……ごめん。
だけどさ、副大統領が最近ライン生命に公式訪問したせいで、取締役会の奴ら頭がどうかしちゃったみたいで……
あの連中、全プロジェクトチームに対して、今すぐ何かしらの成果を出せとか抜かして、それができないなら出てけって言うんだよ。
……いや、これは言い訳じゃなくて……頼む、聞いてくれ。今日は本当に無理なんだ。今度必ず埋め合わせするから――
もしもし? ハニー?
ああもう……
……何かすんごいことが起きてくれないかなあ。
オフィスビルが爆発するとか、銀行が襲撃されるとか、トリマウンツのキャタピラーが突然切れるとか……
何でもいいからさ。
夜は次第に深まってきたが、オフィスビルの照明は一晩中灯り続けるようで、影が哀れな研究員を包み込む。
彼はふと身震いした。あと数週間もすれば雪が降る頃だろう。そんなことを考えていれば、すれ違う誰かが彼にぶつかっていった。
ま、そんなことあるわけないか。
彼はまだ外にいたくなる気持ちをどうにか抑え、ビルに向かって歩き出す。だがその瞬間、遠くから何か不快な音が聞こえてきた。
前触れもなく鳴り響く天災警報と共に、避難を呼びかける放送が通りに響き渡る。研究員は思わず歩みを速め――
そしてはたと、周囲の群衆が次々に足を止め、示し合わせたかのように空を見上げていることに気が付いた。
彼は、今度はいぶかしげに顔を上げた。
……あれは……何だ?
ゆっくりと回転する巨大なリング状の構造物が、高層ビルの背後から浮かび上がる。
暗闇の中で何かの装置が展開していくと、そこに映った街のネオンも変化して、金属が放つ輝きに皆、目も開けていられなくなった。
壮大で、優雅で、人類が持つ美しい夢からでなければ生まれないだろう存在に思われるそれは、雲の中を進み、そして今も……上昇を続けている。
リング状の機械、か?
p.m.7:13 フォーカスジェネレーター飛行中
いやあ、実に興味深いお話ですね。
本当ですか? よかった……! もし、ライン生命様から我々のプロジェクトにご支援をいただけたら……
まあ、それよりお座りください。そうだ、何か飲まれますか?
あっ……ではお水をいただけますか、ミスター・ジャスティン。
お気軽にジャスティンJr.とお呼びください。それと、遠慮なさらずお酒でもいかがですか?
ガリア帝国はかつて戦火に滅んでしまいましたが、当時の将軍たちには感謝しなければと思いますよ。彼らは最高のブドウの産地を残しておいてくれたわけですから。
さあ、こちらを。
あ、ありがとうございます。
どうぞ。
失礼します。主任の執務室でずっとお電話が鳴っているのですが、どうしましょうか。
取り込み中だと伝えてください。
それが、主任の……ご友人からのようなのですが。
ベンジャミン市長かクリス議員か、もしくはフィル保安官かコレット中佐か、あるいはそれ以外かな?
工業区の警備を担当しているルイス氏です。
フンッ。
彼らの話では――と、すみません、こちらの方は?
も、申し訳ありません! すぐに席を外しますので!
お気になさらず。そのままおかけください。
あなたは続けて。
あっ、はい。
……ご友人方は、これまでに七号区画へ預けたものについてかなりの不満を示してきています。これはごく「普通」のプロジェクトではなかったのか、と。
コレット中佐は、すでにルイスさんのもとを訪れたそうです。恐らく明日には、七号区画の監視ファイルすべてが失われることになるかと思います。
加えて、市長と議員はこの数年でお送りしたアタッシュケースを残らず送り返してきて、今後の選挙ではこちらの支援は必要ないと明言してきました。
それと、保安官は非常に……過激な姿勢を取ってきています。聞くところでは州検事から緊急の逮捕状を取得したそうで、現在はこちらに向かっているものと思われます。
警備課には知らせておきましたが、それでも大した時間は稼げそうにありません。
やれやれ、あの人たちとは良い関係を築けていると思っていたんですが。
友情というのは、まったく脆いものですね。そうは思いませんか?
え、ええと、失礼ですが、私はあなたに出資をお願いしにきただけの身ですから……こうしたことに関わるべきではないような……
おや、では気にならないのですか? 上流階級にあたるエリートや官僚、軍人やその手先たちが、一体ライン生命の何に驚いて、こんな夜中に起き出してまで仕事をしているのか。
わ……わかりません。ええと、無限に寿命を延ばせるナノマシンとか……ですか?
そのアイデアはいいですね。仮にそんな企画案とそのプロトタイプを持ち込んでくる人がいれば、私は間違いなく投資しますよ。
あ、あはは……
確かに、私にも気になることはあります。
どうして、あなたのほうから私に声をかけてくださったのか……
――ステード病という病名を耳にしたことはありますか?
えっ? し、資料で見たことはあります。確か、珍しい血液遺伝子疾患ですよね。
とても珍しいだけでなく、深刻で治療困難な病気だとか。罹患者の平均寿命は四十五歳以下ですし、非常に高い確率で遺伝してしまうという話でした。
もしかして、御社が――
ははっ、出資者候補のご機嫌取りを急がずとも大丈夫ですよ。
ですが、おとぎ話の如くして、ステード病の特効薬が出たというのは事実です。ライン生命とは無関係ではありますが、多くの人がその恩恵を受けたものです。
残念なことに、一歩遅かったのですがね。ジャスティンSr.は特効薬完成の三日前に、ステード病による多臓器不全で亡くなりました。
ジャスティンSr.? というと……
お察しの通りです。その一方で、彼の息子ジャスティンJr.は、十年以上恐怖の中でもがき続けた末に突然、この先は普通の人生を送れるぞと告げられたことになります。
一族を悩ませ続けた悪夢は、初めからそんなものは存在しなかったかのように、一瞬にして消え去りました。
……のちに知ったことには、その薬の主成分は見習い研究員が試薬の調合をミスした結果生まれたものだそうです。
運命、とそう呼ぶ人もいますがね。ハッ。
ですが……そのおかげで、遺伝の確率が高い病気からは解放されたわけですよね。
偶然起きたバカらしいミスの「おかげで」、ですか?
無能な人間は、それを「運命のいたずら」と呼んでひそかに喜び、誇ることさえするものです。
彼らはそれを、偶然がもたらした贈り物と見なしていますから。
ですが私は――
そんなもの、容認できません。決して許せはしないのです。
運命というのは、自分の手で握りしめ、制御し、支配するべきものであり――
それを導くのは私自身なのですから。
……天災警報? どうしてこんな時に。
ミスター、早く避難しましょう!
ハッ、やっとですか。
ジャスティン・フィッツロイJr.だな。
大法官閣下、ご連絡をお待ちしておりました。
君は何を約束してくれる?
それがクルビアを前進へと導くことをお約束しましょう。
その保証はどこにある?
私が参与することだけでは不十分ですか?
君の「友人」が大勢、私に警告してきたものでね。
クルビアの法律は、君のような人物が勝手に振舞うことを許すべきではないと。
お金が詰まったアタッシュケースを渡すのが勝手な行いだと仰るのなら、クリステンの行いなどはどうなってしまうのでしょう?
大法官閣下。私は以前、あなたがこう話すのをお聞きした覚えがありますよ。「クルビアの法律は薄っぺらな『道徳』を守るために在るわけではない」と。
法とは、前進していく人間のために道ふさぐイバラを切り開くものでなければならないからな。
でしたら、ご結論をお伺いしても?
クルビアの裁判所が軟弱で優柔不断なものに成り果てるのなら、私がここで働き続ける価値などなくなることだろう。
感謝申し上げます。
今のは……だ、大法官とのお電話ですか?
あなたは……いえ、ライン生命は、一体どんな研究をなさっているんですか?
ご安心ください。ライン生命に法的リスクはありませんし、信頼に足る会社であることをお約束しますよ。
で、ですが……
さて、先ほどのお話に戻りましょうか。私が「友人」たちの縄張りに一体何を隠していたのかについてです。
カーテンを開けてご覧ください。今夜を見逃してはもったいないですよ。
あれは……何……?
あんなに大きなものが……飛んでいる?
もしかして、あれも……ライン生命のプロジェクトですか?
率直に申し上げると、あなたは起業家向きではないですね。弱く臆病で自信に欠け、優柔不断でもあり、言葉選びに時間がかかりすぎていますから。
トリマウンツの投資者たちがあなたに視線を向けないのも、ある種当然のことでしょう。
ですが幸い、私からすれば、そんなのはどうでもいいことです。
ライン生命はあなたのエネルギーラボを買収し、今後のあらゆる研究を全力でサポートするべく、十分な研究資金を提供しましょう。
運が良ければ、いつかはライン生命の主任として、あなただけの課を立ち上げることもできるかもしれませんよ。
あのうら若きミス・ドロシーのようにね。
ええと……理解が追いつきません……今日は本当に、色々ありすぎて……
ただ受け入れればいいのですよ。これは偶然によるものではなく、私の判断によるものですからね。
このジャスティンJr.に干渉できる領域には、もはや偶然など存在しえないものなのです。
――私はこの先も、狂人たちの成功をお手伝いしますよ。
……わかりました、ジャスティン主任。
これから、よろしくお願いします。
こちらこそです。では、ライン生命へようこそ。――乾杯。
p.m.7:25 フォーカスジェネレーター飛行中
我々はついにあれを見つけたようですね、大佐。
随分と骨が折れましたね?
……
確かに、まったくの想定外でしたよ。クリステンがフォーカスジェネレーターのために、別の推進装置を用意していたとは。
彼女はフォーカスジェネレーターをゴミ捨て場に隠し、今やトリマウンツの上空に堂々と打ち上げてしまった。
……これは私の失態です。
今は責任の所在などを語ったところで意味がありません。
事態は最悪の方向へ進んでいますしね。
……フォーカスジェネレーターは現在エネルギーウェルに向けて飛行しており、二十分後上空に到達する見込みです。
技術マニュアル上の説明では、エネルギーウェル上空5000メートル付近に留まることで、偏向角に収まる範囲で可能な限りの地上目標を攻撃することができるとか。
無論、元々の計画では、トリマウンツで実行可能性を確かめることだけが目的でしたから、「アーク・ワン」は現在攻撃や反撃に適した位置にはありませんがね。
高度5000メートルですか……普通の飛行ユニットではまず到達不可能な位置ですね。今回のような予想外の出来事でもない限り、そちらの想定は周到だったと言えるでしょう。
ええ……現在は高高度でも運用可能な特殊ドローンをD.C.から送らせているところですが、まだいくらか時間がかかります。
とはいえ、トリマウンツに配備済みの通常式戦闘ドローンはすでに発進させましたので、フォーカスジェネレーターの高度上昇を可能な限り妨害はしてくれることでしょう。
それでも、効果は限定的に思えますね。
将軍方はあのリングのために相当頑丈な装甲を用意していたものとお見受けします。このクルビアでは、マイレンダーのドローンが最新鋭のものだと思っていたのですが。
いやはや、大変素晴らしい仕事ぶりです。これはまったく賞賛されるべきことですよ。
国防部はこのプロジェクトに相当のリソースを費やしていたようですね。
……「今は責任の所在などを語ったところで意味がありません」、副大統領。
重要なのは、事態を再びあなたの制御下に戻すことでしょう。
「我々の」制御下ですよ、大佐。……個人感情で言えば、軍の要求は理解できます。ボリバルでの失敗以降、あなた方は表舞台に返り咲こうと懸命に行動しているのでしょう。
ですが、我々は皆等しくクルビアの一員です。そうでしょう?
無論です。私は入隊した当時から、クルビアに忠誠を誓っていますので。
――目下、クリステンとの連絡は途絶えています。向こうからの連絡もなければ、応答もない状態です。
この機に付けこみ利益を得ようという輩であれば、このような行動は取りません。ですが一方で、軍事的脅迫と考えても筋が通りません。
一つだけ幸いと言えるのは――彼女が何を企んでいるにせよ、エネルギーウェルは今も我々の監視下にあり……
失礼。話を続けましょうか、副大統領。
緊急連絡のようですね。
……
後にしろ。今は副大統領と……
……何? エネルギーが充填されているだと……?
エネルギーウェルはこちらの制御下に置いたはずだろう? なぜ……とにかく今すぐ停止しろ!
切断できない……? どういう意味だ? ブレーカーでもスイッチでも何でもいいから探して押せば済む話だろう?
いっそコードを抜いて供給を止めるのでも、どんな方法だろうと構わん! 設備の損傷は気にせず止めろ!
……
なんだと?
もう手は尽くしたというのか? それでも止められるどころか、エネルギーの数値が上昇し続けていると……?
……
……トリマウンツに配備している爆薬すべてを使って、その施設を爆破しろ。
待ってください。すでにエネルギーが充填されている以上、施設を爆破すれば放出されたエネルギーで都市全体が壊滅する可能性がある、とマイレンダーのエージェントから報告が入っています。
まったく厄介なことになりましたね。
あのイカレ女、本気でそこまでこの国を恨んでいるのか!? 一体何を企んでいる!?
待てよ……まさか。
D.C.か。
奴の狙いはD.C.だ。フォーカスジェネレーターの偏向角に入りさえすれば、D.C.が脅威にさらされる可能性は高い!
我らが大統領はまだあそこにおられるはずだ。クリステンの奴……クルビアの脳と心臓を滅ぼす気か!
すぐさまD.C.市民全員の避難を開始しましょう。
そこはご心配なく。先ほど大統領から「こちらは問題ない」と連絡がありましたので。
D.C.の軍隊は出動済みですし、バリー将軍がD.C.の防衛を引き受けるとのことです。彼女は、命に代えても大統領を守ると約束してくれていますよ。
……バリー将軍?
ああ、まだお耳に入っていないとは思いますが、彼女は最近昇進したのです。
さて、大佐。あなたは任務を続けてください。この国にはまだあなたが必要ですから。
……まだ何か、気になることでも?
……
いえ、何でもありません。
どうかご安心ください。この茶番は、私がこの手で必ず止めてご覧に入れましょう。
無理はなさらないようお願いしますよ。
……では、失礼します。
命令内容はこれで大丈夫ですか? 大統領。
正直に申し上げますと、私も安心しきっているわけではないですが……大統領のご判断ならば、それを疑うつもりはありません。
……
わかりました、すぐに出発します。
なあ、見たか? あれ、何だろうな?
さあ。お偉いさんたちがずっと探してたものだったりしてな。
しかし、あんな高いところ飛んで……
一体どこに行くんだろう。
……今は都市の外に向かってるみたい。
見た目から判断すると、多分エネルギーを集める装置だと思う。
都市の外って……エネルギーウェルの方向か?
大佐はあれを何て呼んでたっけ? えーと、確か「アーク・ワン」……? フォーカスジェネレーターだったかな?
まあ、何にせよ……あの狂った科学者は何がしたいんだ?
あの狂った科学者は何がしたいのか?
「理想」、「執着」、「好奇心」、「進取の精神」……
科学者というのは、常にそうした性質を持つものだ。
サイレンスは認めていた。一科学者として、かつてライン生命の一員だった者として、今まさに空高く昇っていくあの巨大な構造物を初めて見た時、自分もまた微かな興奮を覚えたことを。
そして、言い表しようのない誇りを感じたことも。
以前懸命に勤めていたあの会社が、大地の、いや大空の奇跡を作り出したことを栄誉に感じるべき……果たして、そうなのだろうか?
「欺瞞」、「策略」、「犠牲」、「陰謀」……
彼女は即座に、この奇跡が何の上に成り立つものかに気が付いた。
統括――クリステン・ライト……
サイレンスは一介の研究員であり、クリステンとの交流はないに等しい。接点があるとして、せいぜい年末の総括会議で時折彼女の姿を目にする程度だった。
それでも、彼女はクリステンの眼差しを覚えている。
その目には、たった一つのことだけが映っていた。
科学者が考えなければならないことはただ一つ。それは「どのように目標を達成するか」。
科学者が負うべき責務はただ一つ、科学を前進させること。「これだけでも、我々を疲弊させるには十二分のテーマ」だから。
……
……「前進」って、どこに向かうことを言ってるんだろう。
クルビアの荒野では、雨が降れば植物が徒長するものだけど、これは有用だとかあれは雑草だとか、偉そうに判断を下す人たちの態度は好きじゃない。
そんなのは「前進」じゃないってことを認めるべきだ。
クリステンとその同類、そして彼女と同じ白衣をまとう人たちは皆……
己の見ている方向こそが、科学が前進するにふさわしい方向だと主張する。
サイレンスは、滅多に姿を現さない統括のことを理解しているとは言えないが、似たような人々や、こうした「前進」のために支払われる代償のことは理解していた。
「前進」を定義する者は誰か? それを監視するものは誰か? 今の状況では、その歩みの犠牲になるものが多すぎるのではないか?
もちろん、科学は前進しなければならない。
私も研究者だから、それは切実に感じている。
だけど、私たちはその代償が何なのかを知らなければいけない。
理解しないといけないんだ――
科学は、個人の理想や執着のためだけに捧げられるものではないことを。
ドローン……?
あんた、何をするつもりだ?
俺もあんたを困らせるようなことはしたくないんだ。上からすりゃあんたは用済みだし、大人しくしといてくれれば別に――
おーい! あんたに言ってんだぞ!
ったく、何考えてんだ……?
って、おい、お前車のカギどこやった!?
えっ!? あ、あいつ車を奪ったのか!? 気でも狂っちまったのかよ!
クソッ、早く追っかけないと――
サイレンス! 待ってくれよ!
この嬢ちゃん、どっから来たんだ!? ここは立ち入り制限エリアだぞ!
こら、何するつもりだ!
邪魔すんじゃねー!
うっ……!
オマエのカギももらってくぜ!
っ……お、お嬢ちゃん、運転できるのか……?
運転手がいないと――
うるせー、自分で何とかできるっつーの!
……あ、でも……左がブレーキ、だったよな?