ダーティマネーCV-4・戦闘前席を立つ者
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名前

ダーティマネー CV-4・戦闘前

席を立つ者

ヘレナ

それにしても変ね。暖房はなんとか維持してるし、ストーブもつけてるのに、どうしてまだこんなに寒いのかしら? また銀行が何か悪さしてるんじゃないでしょうね?

ウッドロウ

俺んとこもそうだ。干した靴下が一晩経っても生乾きだった。

ん、何の音だ……?

ヘレナ

ウッディ、何度言えばわかるの、いい加減ひげを剃りなさいよ! 水を飲むたびにテーブルの上がびちゃびちゃになるんだから。

ウッドロウ

バカ言え、店に入ってから水なんて飲んでないぞ。

ヘレナ

じゃあこの水たまりは何?

ウッドロウ

このレストランは古びてるし、俺の頭も骨董品だからな……

俺の記憶違いって可能性もあるが……あの水たまりは、ずっとあそこにあったか?

ヘレナ

まさか――水道管が破裂したの!?

何てこと……うちのオンボロ床がこんな水に浸かったら一発でおしまいよ!

ウッドロウ

早く元栓を閉めてこい。それから空の容器を持って、漏れてくる水を受け止めるんだ。上の階のものは俺が片付けてくる!


ヘレナ

あぁ、いたた、腰が伸ばせなくなりそう……ウッディ、上の階の状況はどう?

ウッドロウ

椅子にでも座って聞いた方がいいぞ、何せお前も年なんだからな。

ヘレナ

平気よ、あたしがこれまでどれだけの不幸を目にしてきたと思ってるの? いいから教えてちょうだい。

ウッドロウ

二階は膝まで浸水してる。家具は全部びしょ濡れだ。

ヘレナ

……じゃあクローゼットの中身は? 無事?

ウッドロウ

お前、赤はたしか嫌いじゃなかったよな?

ヘレナ

まあね……

ウッドロウ

ならよかった。パイプから噴き出た水は錆び色だから、お前の服は全部渋い赤色になるだろうよ。

ヘレナ

……ウッディ、あなたいったい上に何しに行ったのよ?

ウッドロウ

ほらよ。大事なもんは全部ここだ。

ヘレナ

あっ……この箱のこと忘れるところだったわ。どこから引っ張り出してきたの?

ウッドロウ

もちろんクローゼットさ。お前がものを隠す場所なんてたかが知れているからな。それと、枕元のテーブルに置いてあったものも一緒に詰めておいた。

ヘレナ

ああ、よかった、水には浸ってなさそうね。どれどれ……

……保険証券はあるわね、今日の損害は保険でカバーできるはず。それと土地売買契約書、家屋権利証に……預金通帳。

ウッドロウ

まだその通帳を持っていたのか? 中の残高を引き出せないことはわかってるだろう?

ヘレナ

あなただったら、捨てられる?

ウッドロウ

……

ヘレナ

ほらね……あの人が何年もかけて貯めたのは、もはやお金だけじゃないの、気持ちだって入ってるのよ。

ウッドロウ

チッ、過去を忘れられない奴だ。

ヘレナ

あたしたちはもうみんな年をとったのよ、ウッディ。予測できない未来より、何年もかけて少しずつ蓄積された過去の方が親しみ深いというものじゃない?

ウッドロウ

同意はできんな。

ヘレナ

……あら、この小説も。枕元に置いたまま、もう長いことめくってなかったわね。

ウッドロウ

金持ちの令嬢と牧場で働く若者か、よくあるベタなラブストーリーだな。

ヘレナ

ウッディ……何でそんなに辛辣なの? 少しは優しい言葉を使ってくれてもいいじゃない。

ウッドロウ

じゃあこう言ってやろう。明日、銀行でうまくいくよう願ってる。

ヘレナ

……あたしが若い頃よりも随分丸くなったことに感謝すべきね、あなたは。で、そっちは明日どうするつもり?

ウッドロウ

ジェシカを連れて雑談でもしてくる。

ヘレナ

雑談?

ウッドロウ

ああ、楽しい雑談だ。


荒々しいチンピラ

じ……爺さん、まずはその銃を下ろしてくれ。な、なんでも……話せばわかるって。

ウッドロウ

何をそんなにビビってるんだ? こうして穏やかに話をしてるじゃないか。

さぁ言え。ここ数日、区画外の野盗どもと密かに会って、何の話をしていた?

荒々しいチンピラ

そ、それを言えば勘弁してくれるのか? 言う、全部言うよ!

横暴なチンピラ

なんだと、この腰抜け!

荒々しいチンピラ

だって……

ウッドロウ

ジェシカ、そっちの奴に蹴りを入れてやれ。

ジェシカ

ええっ、はい……

横暴なチンピラ

ああ? 人のズボンに靴こすりつけやがって、何のつもりだ?

ウッドロウ

……もういい。ジェシカ、お前射撃の腕はどうだ?

ジェシカ

わ、悪くないと思います……

ウッドロウ

そうか。じゃそいつの耳を狙って一発ぶっ放せ。

横暴なチンピラ

わっ――!

ジェシカ

ご、ごめんなさい、す……少し手が震えてしまって。叫ばなくてもいいですよ、弾は当たってませんから。

ウッドロウ

大丈夫だ、何度か撃てばそのうち当たる。ほら、次。

ジェシカ

はっ、はい……!

横暴なチンピラ

わかった! わかったよ……あいつらは……

ウッドロウ

あいつらは、何だ?

横暴なチンピラ

あいつらは……最近人手不足みたいで、仲間にならないかと声をかけてきたんだ。ど、どうせ区画にいたって借金は返せねえし、みんなも他に生きる道を探した方がいいだろうと思って……

ウッドロウ

ほう、人のもんを奪って暮らすことがお前の言う生きる道か? それを勧めることに何も思わないようだな。

横暴なチンピラ

べ……別に強要したわけじゃねえし。みんな俺が話し終える前に自分から乗ってきたんだからよ。

ウッドロウ

なら何を恐れている、ありのままを話せばよかっただろう。

横暴なチンピラ

……あんたが銃を持って押し入ってくるからだろ? 下手に喋って機嫌でも損ねたらたまったもんじゃねぇ……

ジェシカ

その野盗たちは今、どこに隠れているんですか?

横暴なチンピラ

し、知らねえよ……奴らは神出鬼没だから。

ウッドロウ

……

ジェシカ、ここまでにしよう。

荒々しいチンピラ

爺さん、俺たちを見逃してくれたら、この家にある物は、ぜ、全部くれてやるからさ。頼むよ……


ウッドロウ

上等なもんばかりじゃないか。隅にビールとシャンパンまである。

ジェシカ

……このまま、彼らを見逃すんですか?

ウッドロウ

俺はただ、失踪した奴らの行き先を知りたかっただけだ。もし区画を去ったのが奴ら自身の選択なら、俺も尊重するしかない。

ジェシカ

ですが……

ウッドロウ

どうだ、お前もひと口飲んでみるか?

ジェシカ

遠慮しておきます。

ウッドロウ

……コクのある味わい、ホップの香りも豊かだ。見事なもんだな……こんな良い酒を一体どこで手に入れたんだ……?


ヘレナ

……

銀行員

申し訳ありません、ヘレナ様。初期審査と協議の結果、ヘレナ様の補償請求は受理いたしかねます。事故の写真にある水道管の損傷は明らかに人為によるものでしたので。

ヘレナ

人為? 誰かの手による犯行の可能性があるってこと――

銀行員

そこで、ヘレナ様の店舗の売上と負債状況を考慮しますと、保険金を詐取するためにご自分でレストランの給水システムを破壊した可能性もあるのではと、我々は疑念を抱いている次第です。

ヘレナ

……保険金詐欺じゃないかって疑われてるわけ?

銀行員

あくまでも推測にすぎませんがね。もし資格を持つ方を経由して、保険金詐欺の疑いを否定できる書類を提出していただけるのなら、その際は直ちに補償請求の手続きに入りますよ。

ヘレナ

何を言ってるの? この区画から裁判官や弁護士がいなくなってどれだけ経っているか、あなたたちが知らないはずないわよね!?

銀行員

大変恐れ入ります。ただ我々も規定通りに業務を行っているにすぎませんので、ご了承ください。ほかにご用がなければ、次のお客様の対応に入ってもよろしいですか? 後ろがつかえておりまして。

ヘレナ

だったら……この通帳からお金を引き出してちょうだい。

銀行員

この通帳は……ああ、記憶にございますよ。何度も申請されてましたよね。この収入がヘレナ様の合法的な所得であると証明できるようになったのですか?

ヘレナ

この通帳は、あの人が手紙と一緒にあたしに送ってくれたのよ。でもあたしがデイヴィスタウンに駆け付けた時、彼はすでに亡くなっていたの! ご近所全員がそのことを証明してくれるわ!

銀行員

それに法的効力があるとでもお思いで?

ヘレナ

……もう行くわ、返して。

銀行員

すべてこちらにございます、無くさないようにどうぞおしまいください。そうでしたヘレナ様、ついでに一つお伝えしておかなければなりません。

ヘレナ

何?

銀行員

ご提供いただいた写真から、確実に申し上げられることが一つだけございます。ヘレナ様のレストランはこの浸水で資産価値が大幅に下がり、現在の融資を返済するには不十分になると思われます。

強制清算手続きを回避されたい場合には、こちらの……

ヘレナ

もういいわ……黙りなさい、このクソったれが。

リスカム

あれは、ヘレナさん?

フランカ

あたしたちに気付いてないみたいね――

それにしても、今日はやけに人が多いじゃない。銀行が何かしたのかしら?

焦る老齢の女性

あのう、これ今朝うちに届いた督促状です。債務超過で間もなく破産手続きに入ると書いてありますが、私返済はいつも欠かさずに……

銀行員

ご夫人、あなたの場合、元々貸付期間を延長して対応させていただいてたのですが、すでにその最大回数に達しているのでこれ以上の猶予はいたしかねます。

幸いなことに、あなたが現在お持ちの資産をすべて売却した場合、残りの債務はたったの二千ドルとなります。この程度の金額であればすぐに捻出できるでしょう。

焦る老齢の女性

あと二ヶ月……いえ、一ヶ月だけ待ってもらえませんか?

銀行員

申し訳ございませんが、それはできかねます。

もしご返済いただけない場合、強制手続きに入ることになります。

法に則り、あなたが現在所有する全財産を没収し、デイヴィスタウンを期限内に退去していただくと同時に、約一万の債務を返済していただきます。

焦る老齢の女性

二千だろうと一万だろうと私は払えないんですよ! お願いです、本当に、一ヶ月だけでいいですから……

銀行員

そこまでおっしゃるのなら、こちらをご検討されてはいかがでしょう……

……開拓計画です。いま参加すれば、一定の債務減免を受けることができますよ。

焦る老齢の女性

ですが、私はもうこんな歳ですよ……開拓地に行ったとして、何ができるというんですか……

銀行員

まだそのレベルの心配をなさっているのですか?

債務を背負い、犯罪のリスクを冒して住む家を失くすか、それとも債務減免を受け、開拓地に行って新たに生活を続ける場所を探すか……これ以上ご説明する必要はないと思いますが?

焦る老齢の女性

……

……わかりました。サインします。

銀行員

そうですか、では右手に向かってください。そちらの係員が登録をしてくれますので。

次の方! 次の方どうぞ――

フランカ

こ、こんなのって……

銀行支店長

お二方、何かご用でしたらまずはあちらの列へお並びに――

これはこれは、リスカム様とフランカ様でいらっしゃいましたか。どうです? リストは調べ終わりましたか?

フランカ

まずはあなたたちが何をしているのか説明して! どうして開拓地に無理やり行かせるような真似をしてるの?

銀行支店長

契約を交わすだけで債務を大幅に減免でき、借金を抱えながら去る悲劇を回避できるのですよ。彼らからしてみれば最良の結果ではありませんか。

フランカ

……じゃあ、あのリストは? あれに載ってた人のどこが暴徒だっていうの? みんな破産しても家から離れたくないってだけの、ただの可哀想な人たちだったじゃない!

銀行支店長

破産した以上は、その家は彼らのものではなく、我々債権者のものです。デイヴィスタウンに警察がいないのをいいことに他人の不動産に不法侵入するのは、犯罪以外の何物でもないと思いますが?

フランカ

つまり、あなたの言う「治安維持」は、そういう借金が返せない人を追い払うことなのね?

銀行支店長

わたくし個人がそう表現しているわけではなく、これはれっきとした治安維持行為なのですよ、フランカ様。


ジェシカ

保険金詐欺扱いされて……挙句に破産ですか!?

ヘレナ

ね? 頭に血が昇るでしょ? だから話したくなかったのよ。

ジェシカ

あの、もし銀行が本当に、故意にこのレストランの価値を少なめに見積もってきたら、どれくらい価値が下がってしまうのですか?

ヘレナ

ずっと彼らと交渉してたけど、総額五万と評価されたわ……

ジェシカ

そうですか、それぐらいなら、わたしが……お貸しすることも……

ヘレナ

……この前こっそりレオーネに「貸した」ように?

ジェシカ

シルヴィアさんから聞いたんですか!?

ヘレナ

今朝にね。あの子、ずっと抱え込んでたみたいで。まあでも心配しないで、あたし口はとても固いから。

ジェシカ

……

ヘレナ

もちろん、お金を貸してくれるというならありがたいわ。だけど今後返していくにしても、かなり長い時間がかかるわよ。

ジェシカ

いいんです、返してもらわなくても……

ヘレナ

いえ……ダメよ、そんなこと言わないで。そうなったら必ず何とかして返すから。

ジェシカ

どうぞ。銀行から催促をされたら、この小切手を渡してください。すみません……

ヘレナ

もう、何であなたが謝るの? 借りる側じゃないんだから。

ついでにもう一つ。自分からは言いにくいから、あたしから伝えてほしいってレオーネに言われたんだけど。

ジェシカ

レオーネさんにお金のことを話したんですか!?

ヘレナ

あなたねぇ……話すわけないじゃない、あたしは口が固いって言ったでしょ。レオーネがあなたにご馳走したいんだって。

ウッドロウがここ数日で、野盗やらチンピラやらの調査をする合間に羽獣をたくさん狩ってきたの。あの二人以外にも、マイルズとベニーが来るわ。

ジェシカ

えっと、わかりました……

ヘレナ

なんだかあまり嬉しそうじゃないわね。

ジェシカ

実は、来る途中で銀行の外に大勢の人がいるのを見かけたんです。彼らは銀行と契約を結び……開拓地に行くんだそうです。

尋ねてみたら、開拓合意書にサインをすれば、債務を一部減免できるとかで……

ですがそのわずかな減免のために、自分の家や生活を捨てて、何もない場所でゼロから始めなければならないなんて……

みなさん……本当にそれでやっていけるでしょうか……


ヘレナ

メインディッシュが来たわ――羽獣のガーリック風味、ベイクドポテト添えよ。

ジェシカ

うわぁ、いい香り……

ウッドロウ

この部位は俺がいただこう。

ヘレナ

やめてウッディ、それはジェシカのために取っておいたのよ。

レオーネ

そうだぞ、ウッドロウ。今日のディナーの主役はジェシカなんだからな。

ジェシカ

気にしないでください。さっきビスケットを食べたばかりで、まだそこまでお腹も空いてませんし。それに、わたしはただデイヴィスタウンの状況を見て、じっとしてられないと思っただけで……

ウッドロウ

そら、こいつはこう言ってるぞ。

ヘレナ

それでもダメ。ベニー、あなたが食べてちょうだい。

ベニー

えっ……あ、ありがとう。

ウッドロウ

チッ……

ジェシカ

……クスッ。

ウッドロウ

何がおかしい?

ジェシカ

な……何でもありません。ただ、初めてお会いした時と今とでは随分雰囲気が違うなと。

マイルズ

ああ……わしもしみじみそう思うよ。こいつは来たばかりの頃、大勢の採掘労働者を怒らせてな。あの頃は、このとっつきにくくて強情な奴は喧嘩でもふっかけに来たのかとみんな思っていたもんだ。

ジェシカ

その後、どうやってみなさんと……?

マイルズ

ある時、こいつはヘレナと知り合ったんだ。

レオーネ

ウッドロウ、あんたヘレナにちゃんと感謝するんだぞ。もしヘレナが嫌われ者にも進んで話しかけるような親切な奴じゃなかったら、今頃どうなってたことか……

ほかでもないあいつが、毎日懲りずに話しかけて、段々あんたみたいな奴にも可愛げがあることに気付いたからこそ、ほかの奴らに紹介してくれたわけだからな。

当時は歌なんかも流行ったよな。多分ヘレナに惚れたどっかの野郎が作ったんだろうが――まだ覚えてるか、マイルズ?

マイルズ

そうそう……そんなのもあったな、懐かしい。

レオーネ

歌ってみるか? なあ一緒に歌おうぜ――

ヘレナ

あなたたちね、あたしのレストランでそんな歌を歌おうだなんて、いい度胸してるじゃない――


レオーネ

♪無一文の僕は、一人ここに流れ着いた♪

♪背後の故郷は、千里のかなた♪

♪眼前の荒野は、果てなく続いた♪

マイルズ

♪孤独だった、彼女に出会うまでは♪

♪彼女は両腕を広げ、僕を迎え入れた♪

♪僕の家も夢も、すべてはその腕の中♪

ジェシカ

……この歌は……ヘレナさんのことを歌ったものなんですか?

ウッドロウ

じゃなけりゃ誰だってんだ?

ジェシカ

そうですね……歌詞に出てくる「彼女」というのは特定の誰かというより、何かの象徴のような気がします。

レオーネ

何かって?

ジェシカ

もしかしたら、家と夢をその腕で包む「彼女」は……このデイヴィスタウンそのものなのかもしれません。

ヘレナ

あー、確かに!

そう言われてみれば、歌詞の後半にある「彼女の体」はエネルギータワー、「美しい髪」は立ち上る白い煙、「熱い心」は動力炉とも考えられるじゃないの。

それと、あなたたちがさっき歌ってたとこ、「両腕」っていうのもほら、区画のながーいキャタピラのことなんじゃない? それでここのすべての人を載せてるんだから。

あんなにたくさんの開拓者たちが、工具を手に少しずつこの区画を作り上げ、そしてこの地で生活を営んで……

その後も、さらに多くの若者が夢を抱いてやってきて、上の世代の足跡を追って、青春と情熱を捧げた。

誰もが思いを馳せるに値するのは、「彼女」だけであり、「彼女」以外にありえないわ。

レオーネ

……なるほど……なるほどな。

それなら……全部納得だ。

ヘレナ

それに、あたしは……夢や家庭を託すのにはまるで相応しくない女だもの。自分のことは自分が一番知ってるわ。


それ以上相づちは打たずに、技士はまぶたを軽く閉じ、椅子の背にもたれかかる。女店主の言葉が彼を過去へと連れ戻した。

夜遅く帰る時の、煙で汚れ疲弊した同僚たちの顔。朝早く仕事に行く時の、隣人と交わした挨拶。

グラスの縁から溢れるビールの冷たい泡。両の頬に寄せられた子供たちからの温かいキス。

彼の思考は千々に乱れて逆巻くも、心は優しさに満ちていた。

彼がこの時口ずさんだ、音程を外しながらも人の心を打つ歌声と同じように。

レオーネ

♪孤独だった、彼女に出会うまでは♪

♪彼女は両腕を広げ、僕を迎え入れた♪

♪僕の家も夢も、すべてはその腕の中♪

部屋にいた誰もが手を止め、口を閉じ、技士の歌声がレストラン全体に響き渡るのに任せた。

しばらくして、ボイラーマンのしゃがれた歌声が加わり、女店主も軽く口ずさみ出した。

皿に盛られた料理にしか目を向けていなかったウッドロウでさえ、思わず指先で膝を軽く叩き、リズムを取り始めたのだった。

しかしジェシカの心には言い表せない不安が渦巻いていた。それはまるで空を覆う暗雲のようで、晴れ間がのぞく気配がしない。