銀心湖鉄道 RS-6・戦闘前
不正乗車の代償
私は悪い子なんかじゃねぇ!
このっ、デタラメ言いやがって……!
来るなら来い、ちっとも怖かねぇぞ!
私は悪い子なんかじゃねぇ!
私には母ちゃんがいれば十分だ! 父ちゃんなんかいらねぇ!
いらねぇんだよ……
はっ……
まさか、上から落ちたおかげで見つけられたなんてな。
双子の木……こんなとこに隠れてたのか。
こいつで間違いなさそうだ。マジで絡み合って生えてんだな。
……
ふぅ……これでよし。
母ちゃんの用事は済ませられたな。さーて……
チッ!
やっぱダメだ、全然登れやしねぇ。
雪は深すぎるし、崖も急すぎる。こんなん素手じゃ無理だな。
試してないのはこっちの崖くらい……
待て、ロザリン!
ッ、ぐっ……!
あまり近付くな! そっちは危険なんだ!
わかったわかった、行かねぇよ。おっさんもじっとしててくれ!
まだ足が動かねぇんだろ? 無理すんなって。今は座って休んでてくれよ。
いいや、大したことじゃない。お前にケガをさせるわけにもいかんしな。
まさかお前が、あのヴィクトリア野郎に目を付けられるとは。このままでは済ませんぞ!
ってことは、あいつマジでヴィクトリアのスパイだったのか?
まあ、でも……正直あいつにはまだ何もされてねぇんだけどさ。
何かあってからでは遅いんだ!
こうも時期の悪い時でなければ、我がペイルロッシュ家の領地に二度と踏み込めなくなるくらいには殴りつけてやったというのに!
そもそもおっさんが急に出てこなければ、私があいつを縛り上げて懲らしめるつもりだったんだぞ!
まあいいや、この話はよそう。
ところで、さっき……
あーもー、ウダウダやるのは性に合わねぇんだ! ストレートに聞かせてもらうぜ!
さっきここに落ちてきた時、どうしてわざわざ私の下敷きになってくれたんだ?
それに、あのヴィクトリア人、私のフルネームを知ってたりとか変な言動してたけど、あれってどういうことなんだ? おっさん、何か知らねぇか?
……
ロザリン。
今こんな話をしても、受け入れがたいことはわかっている。だが……
俺とタチアナ――
……つまり、俺とお前の母親は、この山頂で出会ったんだ。
母ちゃんと……ってことは、おっさんが……
お前の想像している通り――
ロザリン。お前は俺の娘だ。
これはまた、珍しい客人だな。
ラタトス、お前がそうも慌てて訪ねてくるとは何事だ?
私が来た理由くらいわかってるだろう、エンシオディス。
あんた、今やってるような根拠のない誘導なんかでヴィクトリアの「グレーシルクハット」を騙しきれると本気で思ってるのかい?
賢い人間ほど、自らの判断を深く信じ込むものだろう?
そこは否定しないがね。
忠告はしておこう。あまり他人を見くびらないほうがいいよ。
あの密偵は確かにアークトスの娘を追っている。誘導は成功しているように見えるが、そう簡単に事が運ぶとは思えない。
万が一、あの男があんたの予想通り動かなかったらどうするつもりなんだい?
ほかに手を考えてないわけじゃないんだろう?
アークトスの娘がこのタイミングでイェラグへ戻ってきたこと自体が予想外の出来事だった。
この場当たり的な計画ですべての問題を解決できるとは当然思っていないさ。
つまり、手はあるわけだな。
それで……今日はどうしてノーシスの姿が見えないんだ?
あいつだけじゃない。普段あんたのそばに控えてる護衛の女もいないだろう。うちの妹夫婦から聞いた話じゃ、あの女ここ数日はほとんどチェゲッタの訓練に出てないそうじゃないか。
お前は耳が早いな。
だが、ノーシスとデーゲンブレヒャーにも自分たちの仕事がある。あの二人に会いに来たのなら、その期待には応えられまい。
あいつらに用なんかないよ。
ああ、でも……そうだね。ノーシスがいたら、伝えておきたい「良い知らせ」があったんだけど。
ほう……?
ま、大したことじゃないよ。明日になりゃわかることだ。
ノーシスにも伝えたことだが、あんたにも改めて忠告しておこう。いいかエンシオディス、イェラガンド像の足元の件についてはしっかり掌握しておきな。
これはもう、あんたらシルバーアッシュ家だけの問題じゃない。ブラウンテイル家もそこにすべてを賭けてるんだ。そのことを忘れるんじゃないよ!
肝に銘じておこう。
だが、三家に対してであれ、巫女様率いる蔓珠院に対してであれ……
お前はもっと信じる心を持つべきだ、ラタトス。
お前も私も、ノーシスも、そしてデーゲンブレヒャーも――
我々の全員が、イェラグの未来のためにここにいる。
私はそう強く信じているんだ。
……
追いかけっこはもうおしまい?
もう十分です。
それと先ほどの言葉は撤回しましょう、デーゲンブレヒャー女史。
あら、その賢い頭で今度は何を思いついたの?
やはり黒騎士は、人を騙すような真似はしないのですね。
これは私の勝手な勘違いでした。
当初私は、ロザリン嬢こそがイェラグの計画における重要人物だと思い込んでいました。
でなければ、少し彼女への興味を持っただけでこれほど多くの手がかりが出てくるはずがない、と思っていたのです。
ですが、あなたがここに現れたのは、私がアークトス氏やロザリン嬢に接触するのを阻止するためではないでしょう。
むしろ私の誤解をさらに深めるためにいらしたのでは?
話はそれで終わり?
頭のいい人って、そうやってよく喋るのよね。だけど私にはわからないし、別に理解したくもないわ。
さあ、武器を取りなさい。
ヴィクトリアの牙の鋭さを見せてちょうだい。
いやいや。
その前に私は降参します。
手がかりのすべては勘違いだったのですから、私たちが戦う必要などどこにありましょう?
先ほどあなたが仰った通り、私は山を下りてランチでもするべきなのでしょう。
……
「グレーシルクハット」は静かに両手を上げ、デーゲンブレヒャーのそばを通り過ぎる。
が、彼女の背後まで来たところで、彼はふと足を止めた。
とはいえ……
これは些細な憶測なのですがね。
私の知る限り、エンシオディス氏という方は目的もなく無駄な行動など取らぬ人です。
ゆえに、もしロザリン嬢が少しも重要な人物でないのなら、彼が餌に使うことはないでしょう。
しかし、彼女自身には何の嫌疑も見当たらない。となれば、もしや何かあるのは彼女の背後……ペイルロッシュ家のほうなのでは?
ペイルロッシュ家が運んだ酒、あるいは手配した輸送ルートに、その何かがあるのでは?
ロザリン嬢の出現は単なる偶然であり――
そしてそれゆえに、あなた方は私がロザリン嬢との出会いの後、図らずもペイルロッシュ家に探りを入れ、気付くべきでない物事に気付くのを恐れた。
だからこそ、こんな芝居を打って見せたのではないでしょうか。
デーゲンブレヒャーは黙したまま、ゆっくりと武器を振り上げた。
ペイルロッシュ家はイェラグの資源輸送を担当していますね。
他方で、イェラグの全鉄道には共通の合流地点があります。それは銀心湖であり、さらに言うなら注目すべきなのは……イェラガンド像の足元にある小島でしょう。
あのイェラガンド像には、恐らく何かしらの秘密があるのですね。
諜報員ってそんなふうに自分の考えを口に出してしまうものなの?
いいえ。
ですが、人には得手不得手というものがあります。武力に限った話で言えば、ヴィクトリア中の傑物と比べたとしても、あなたは相当ずば抜けた力をお持ちだと言えましょう。しかし――
無意識に起きるわずかな表情の変化を、完璧にはコントロールできていないのは確かです。
……
私の推測は正しいと考えて良さそうですね。
デーゲンブレヒャーは容赦なく武器を振り下ろしたが、「グレーシルクハット」はとうに準備を整えていた。
彼は衝撃を、雪を、殺意をすり抜け、麓に向かって走り出す。
デーゲンブレヒャーもその後に続いた。
銀心湖行きの駄獣観光車、もうすぐ出発しますよ~!
専門の訓練を受けた駄獣が、観光名所の一つ一つへお連れしますので最高の景色が楽しめること間違いなし!
道中の風景を楽しみたい旅行客様はぜひお見逃しなく~!
銀心湖に行きたいんだ。一番速い駄獣を頼む。
一番速いのですと、追加料金がかかりますよ。
いくらでも払おう。今、極悪人に追われているところでね。私の命を救うと思って、頼む。
この後、私がどこへ向かったかを聞いてくる者がいれば、知らないと言ってほしい。いいな?
……娘が送ってくれた映画のディスクにこんなシーンがあったな。
(口笛を吹く)
こいつにしましょう。うちで一番速いタクメイです。
このことは誰にも言いませんから、安心してください。
ありがとう。
「グレーシルクハット」は駄獣の背へと素早く飛び乗った。
すると駄獣は大きく足を踏み出して、銀心湖へと駆け出した。
いやあ、外国のお人は面白いなあ。娘が帰ったらこの話をしてやらないと。
黒いコートを着た外国人を見なかった?
おお、本当に来たぞ! いや申し訳ない、見ていな――
ありゃ、デーゲンブレヒャーさんじゃないですか。
前に会ったかしら?
忘れちまったんですか? 去年うちのタクメイが荷物を運んでる時に沼にはまっちまいまして、そこへ通りかかったあなたが引っ張り上げてくれたんですよ!
ああ、そんなこともあったわね。
それで、例の外国人は見てないのよね? だったら――
待ってください。
?
あの野郎、デーゲンブレヒャーさんを悪人呼ばわりするなんざ、とんでもない嘘つきだな! こっちはタクメイまで貸しちまったってのに!
ここはきっちり懲らしめてやらんと!
牧畜民はそう言うと、トランシーバーを取り出した。
止まれ、タクメイ! そいつは悪い奴だ!
ふぅ……駄獣の機動性というのは侮れないな。そして何より、とてもタフだ。
もしかすると、一種の戦略資源になるのでは――
んっ?
またがっていた駄獣が、突然落ち着きのない動きをし始めた。
デーゲンブレヒャーさん! タクメイはあそこです!
ありがとう。
チッ――追いつかれたか。
しまっ――
くっ――!
もう諦めなさい。今日の所は、私の目からは逃れられないわよ。
単なる観光目的でも、ですか?
イェラグの案内なら私もできるわ。
それはご遠慮いたします。
はぁ。
今日こそスケート滑れるようになるぞ!
もう一ヶ月も同じこと言ってるじゃない。これ以上かけてたら、夏になっちゃうわよ。
そうなったら、また湖が凍るのを待たなきゃいけなくなるわ。
だからこそ、今日滑れるようになるんだよ!
はいはい。
悪いが、借りていくぞ。
うわっ、俺のスケート靴!
この金で新しいのを買ってくれ。
「グレーシルクハット」は、各地を調査して回っていた時に、イェラグ人が冬の暖かな日差しの下で氷の上を滑っている光景を目の当たりにしていた。
その遊びはなかなか楽しそうで、時間があれば自分も試してみたいものだと彼は思っていた。
とはいえ、こうも早く機会が訪れるとは思ってもみなかったのだが――
実行してみてすぐに、彼は判断ミスに気付いた。
うっ、これは――
あら、てっきり滑れるんだと思ってたのに。
あなた初心者ね? 重心が不安定だもの。
重心……? ふむ、なるほど。
ッ、まずい。
どいてちょうだい。
えっ?
うわあっ、空から人が!!
重心……重心か。よし、わかった!
「ドーン」という大きな音と共に、デーゲンブレヒャーの攻撃で氷面に大穴が空き――
「グレーシルクハット」はそれを間一髪でかわした。
ワーオ、できたぞ!
何と愉快なスポーツだ! 国に帰ったらぜひとも広めよう!
まあ、そのためにもまず今日を生き延びなければいけないが。
あ、あ、あいつ滑れてるぞ!
あんなに早く滑れるようになった人なんて初めて見たわ……
やれやれね。ほかにスケート靴はある?
あっ、でしたら私のを貸しましょうか?
ありがとう。
あなたは……
滑れるわ。
はやっ!