バベル BB-6・戦闘前
明滅する灯火
おいあれ見ろよ! 前はどうなってんだ!?
橋が……爆破されてるのか? ならどうやって渡ればいいんだよ?
ほ、ほかに道はないのか? やっとここまで逃げてきたのに、天災雲がまだ頭上にあるなんて……
隊には負傷者や子供もいるんだ。これ以上、どうやって道を探せってんだよ……
クソ! 森も草原も源石クラスターだらけだ。ヤバい……源石が活性化を始めてやがる。
このままだと天災の直撃を食らう前に、源石の爆発で死んじまうよ……ゴホッ。
今すぐ――ゴホゴホッ――ゴホゴホゴホッ――
……いや、これ以上ぐずぐずしていられないな。源石の塵が漂ってやがる、*サルカズスラング*。
もう一週間近く薬の補給がないってのに……隊の負傷者と……感染状況を考えたら……クソ!
な、何の音だ?
バベルの救援はまだ来ねぇのか? まだだと? なら斥候を偵察に出せ。なにか見つけるまで戻ってくるんじゃねぇ!
チッ、天災雲の形がもうできてきてやがる。医療拠点を襲撃したのは一体どこの*サルカズスラング*な部隊だ! 「スカーアイ」ですらここまでイカれたマネはしねぇぞ!
おい、後ろの連中もしっかりついてこいよ! 避難はもう間に合わねぇから、洞窟を探して隠れるぞ! 中に源石の痕跡があるとこはダメだ。少しだろうと安全とは言えねぇからな!
……クソったれ! 負傷者でさえ見逃さねぇなんて、テレシスのクソ野郎が……
お母さん……痛い……足が痛いよ……
ほら、泣かないで。もう少しの辛抱よ、あとちょっとでおうちに帰れるから……
やだ――いやだ――うわあああん、痛い――痛いよぉ……
子供の泣き声。
陰謀の声、死の声、生を求める声。
天災は無情にも、風雪を呑み込み、嵐を育んでいく。
遠くの崖の上に、数名の人影があった。
厳しい吹雪の中、崖の縁に立つ女性はただ黙って遠くを見つめている。
視線の先にあるのは、無情な天災、要路を守る敵兵士、逃げ惑う野獣、そして行き場を失った負傷者と民だ。
生命が幽谷にこだまするかのように、Mantraの耳の中に返ってきた。それは――
子供の泣き声だった。
……聞こえた。
子の泣き声だ。
雪がずいぶん激しくなってきたな。状況は芳しくない。
二千三百十三人。
これで全員だな。
……位置とバイタルサインはすべて入力済みだ。
被害は予想より少ないが、急がねば。
Mantraさんのアーツを近くで見ると、やはり目を見張るものがあるな。
(謙虚にうなずく)
それにしても、人事部のあのジャールはまだ優秀な通信兵をスカウトできていないのか?
(軽く目を閉じる)
それは残念だ。
……よし、情報をすべての行動隊に送ったぞ。
北東に七キロ、洞窟。
子供たちがそこにいる。
だが、軍事委員会の偵察ドローンが俺たちに気づいているな。
連中の対処は俺に任せてくれ。子供たちを頼めるか?
(眉をひそめる)
なに、奴らはこの地形で俺の小隊とあえて正面衝突するようなことはしないさ。
安心しろ、あくまでも挨拶に行くだけだ。もしもリーダーがマンフレッドなら、俺が生け捕りにしてきてやる。
軽率な行動は慎め――
各位、聞こえるか。
遅れてすまない。CA建築エリアでの行動はすでに完了した。
皆は引き続きMantraの計画に従い行動するように。こちらは場所を移し、負傷者と平民の救助を優先して引き続き支援を行う。
いいタイミングだ、ドクター。
ああ。現状、Miseryが軍事委員会の注意を引いてくれているが、そろそろ手助けが必要になりそうなんだ。
つまりちょうど俺の出番か?
ちょうど君の出番だ、Ace。
よし、では命令を待とう。
それと……
さらなる死傷者を抑えるため、テレジアは中心部の被災医療拠点へと直接突入する。
各員が無事ならば……後ほどその場所で会おう。
ばっ、爆発だ!
慌てるな! 光ってる地面から離れろ! みんな下がるんだ! 地下の源石が活性化し始めてる――
*サルカズスラング*、間に合わない――
炎が凍土の下で蠢き、吹雪に天災の火花が混ざる。
ひと息ひと息が重いことこの上なく、まるで「テラ」という抽象的な概念が、一つ一つの具体的な生命を圧迫しているかのようであった。
しかし次の瞬間に、その圧迫感は突如として消え失せた。
目の前の光景に、人々は無意識のうちに深く息を呑んだ。
っ――爆発が……止まった?
それだけじゃない……雪が……雪が空中で止まってる?
今降り注ぐ雪の結晶は、源石結晶に近しいものだ。十分に気をつけていれば、お前でも制御できる。
おま――あなたは……
一片一片の雪を精確に制御することは極めて困難だが、源石に富んだこの環境であれば、吹雪を止めることはそう難しくない。
エイダン、授業をよく聞いてなかったな。
せ……先生! 来てくださったんですね! 先生は……
十分間耐えてやる。
その間にお前たちは谷の草地に戻り、南へ向かえ。Scoutが先導してくれるはずだ。
それと、大量の源石にさらされながらの行軍において、講じられる応急防護手段はいくつもあるはずだ。何もしてないということは、教えたことをすっかり忘れてしまったのか?
それは――
いや待て……急性鉱石病を発症している者までいるのか。なんてことだ!
注射剤だ、受け取れ! 追加で十分……全部で二十分稼いでやる。一旦全員その場で休みつつ防護措置を取れ! 私が何とかする!
でも、先生が――
天災が完全に形成される前に、万全の状態を整えろ! 私がこいつの首根っこを掴んでるうちは、少なくともこの付近は安全だ!
――そうだ。
私が今同時に何種類のアーツを使用しているか、それぞれどの学派によるものか、今週末までにレポートを書き上げるように。お前たち全員だ。
……だから生きて帰れ、わかったか!
……俺だ。マンフレッドはまだ明確な命令を下してねぇのか?
あいつは何してんだ? あぁ?
ありえねぇ! 王庭の重要人物だって? そいつが難民とバベルの軍隊に混じってるだと? おい、調べろ!
何を調べるってんだ、どうせデマだ。大方マンフレッドが手を引くために考えた言い訳だろうよ。
たとえいたとしても、とっくにバベルの捕虜になってるだろ? 天災から捕虜を救い出すなんて任務は受けてねぇんだけどな。
そうは言っても言われた通りやるしかないだろ、ったく。おい、イバラ小隊に要所の確認を……
はいはいっと……おい聞こえるか? こちら86番、こちら86番……
おーい聞こえねぇのか? どこ行った? まだ交替の時間になってねぇだろ。
……待て。
ちょっと辺りが静かすぎねぇか?
さっきまで羽獣の鳴き声もしてたってのに……
野獣も天災にビビって逃げ出したんだろ。
天災は五時間以内にここに直撃する予定だってのに、こんな時にあいつらは何サボってやがんだ?
当番表は? 見せてみろ。
見せろって言ってんだろ――
お、おい、どこ……どこ行った?
おい! こちら86番小隊! 誰か、誰かいないのか!? 一体どういうことだ、誰か――
いるぜ。
――
ふぅ。
三つの小隊をすべて鎮静化した。気づかれていないし、ルートは安全だ。
戦闘員は送った座標に従って移動してくれ。医療スタッフは先に負傷者を連れて俺が残した目印に従って退避するように。
……俺にはまだ確認しなければならないことがある。
……
確かに軍事委員会の通信回線だな。だがこいつらは斥候だし、拠点を襲撃した雇い主のいない傭兵でもない。
こいつらが受けてるのは「レッドベリー」――平民の撤退ルートを確認するだけの任務か……ふっ、マンフレッドが「王庭の要人」がいるなんて嘘までつくとはな。
うむ。どうやら本命はアスカロンに任せるしかないようだ。
……
バベル。
お前は俺の死神か?
……バベルの拠点の襲撃を主導したのはお前だな。誰の命令だ?
あの者たちはただの医者と感染者の平民――
その言葉を言い終える前に、剣先はすでに届いていた。
アスカロンはわずかに違和感を覚えた。
しかし彼女はすぐに状態を整えた。そう、暴力を振るうために。対話でもって答えを引き出すのは、正直あまり得意ではないのだ。
袖口の仕込み刀はすでに冷たい光を放っている。
うっ。
お前は一体――
……
――!
チッ……爆薬か……狂人めが。
もう万策尽きただろう。さっさと……
……
……私だ。たった今終わった。
主導者らしき者は丸焦げだ。すまない、生け捕りにすることはできなかった。
ああ、何かがおかしい。
相手は一目見て私がバベルの人間だと認識し、一瞬刃を交えた後、私に敵わないと判断した瞬間に自爆した。
あまりに果断すぎる。百戦錬磨のスパイか、あるいは……待て。
カバンを見つけた。ああ、壊れていない。先ほどの攻撃で斬り落とされて爆発を免れたようだ。
中には……バベルの腕章と、軍事委員会の勲章もあるな。
だが、傭兵が敵味方の両陣営と繋がっていることは決して珍しくはない。
あとは紙が一枚……個人的なメモかもしれない。見てみよう。
特に重要な情報はなさそうだ。はっきりと読み取れるのはサルカズ語で書かれた一つの単語だけだな。
「デル」――家。
……
忘れろ。特に意味はない。
……通信不能だと? それもそうか。天災を間近にして、こんな古臭いブツじゃ確かに役に立たねぇな……
はぁ……ほかの隊が逃げ延びる方法を見つけてくれてりゃいいが。
ぼうっと突っ立ってるな。
動けない感染者は……全員こっちに運んでやれ。
もう何の希望もないんだぜ。天災も避けられるわけじゃねぇし。
どうせ何の希望もないんだから、やるだけやるんだよ。
……やってどうすんだ? 意識がない奴だっているんだぞ。
あたしも同じ様な感染状況だし大差ない。この手でみんなの苦しみを終わらせてやるんだ。
みんなが死んだら源石が拡散するだろうし、あたしもろくな結末にはならないだろうね。お前は遠くからクロスボウか何かであたしの後始末を頼むよ。
(つぶやく)やるわけねぇだろ。
おい、止まれ。そっちの感染者には近づくな。ジュリーが処理する連中だからよ。
……感染者。
君は彼らを薪のようにここに捨てた。
俺だってやりたくてやってるわけじゃねぇ。
彼らに助かる見込みはないのか?
助からねぇよ。みんな死を待ってるところだ。あと十分と経たずに全員塵になるだろうな。
助けられた命だった。
ちょっとばかし寿命が延びることを、助かるって言うのか?
……
あいつらは感染状況が深刻すぎる。ここを離れたって、どうせカズデルの裏路地で野垂れ死ぬだけなんだよ。こんなことになるなら俺もサルゴンに残っときゃよかった……
この抑制剤を彼らに使ってあげよう。少なくとも痛みを和らげることができる。
……抑制剤なんてどこで手に入れた? いや、そもそもお前はどこのどいつだ? いつここに来た?
動くな!
識別コードを教えろ。さもないと――
ドクターにやらせてあげて。
大丈夫よ。
全部、大丈夫だから。
お前、なんだか見覚えが――
で、殿下! な――なんで殿下が――
ここは天災の真下です! 避難はもう間に合いませんよ! 来ていただいて……本当に嬉しく思いますが……でも……
殿下はここにいるべきではありません! あなたがこんな危険を冒す価値なんて、あたしたちには――
白きサルカズは、音もなく唐突に戦場に現れた。
人々がざわつき出す。ひっそりと現れたこの人物は、本当にバベルの魔王であり生ける六英雄の一人、そしてカズデルを育んだかの者なのだろうか?
テレジアはただ驚きと疑念を隠せない群衆の方へとうなずいただけだった。
彼女は感染者たちのそばで膝を折った。
……殿……下……
ごめんなさい、来るのが遅くなってしまったわ。
私にはもうあなたたちの命を救ってあげられない……私の努力はまだまだ足りないわ。ごめんなさい……
どうか……そんなことを……おっしゃらないで……
テレジアが彼の手をそっと握った。
まだ意識がある他の感染者も、まだ死を拒み続けている者も、皆同時に彼女の手から伝わるほんのわずかな……温もりを感じた。
皆の言葉は届いているわ、我が子たちよ。
あなたたち一人一人の人生を覚えておくわ……それ以上の約束はできないことを許してちょうだい。だけどあなたたちの家族、子供、友人、戦友……
彼らにはいずれ、恐怖の中で生きる必要がなくなる日が訪れるわ。
……
あなたたちの命は、本来こんなにもちっぽけなものであるべきじゃないの。
少なくとも今この瞬間、あなたたちは温かな夢を見る資格があるわ……将来必ず実現する夢を。
眠りなさい、カズデルの子らよ。温かな故郷で安らかな眠りを。
おやすみなさい。
……ありが……とう……ございます……
感染者の体が源石の色を発し始める。
たちまち細かな鉱石が血肉を浸食し始め、彼らの背負う生活と欲望がすべて輝く火の光へと変わった。
テレジアは彼らの手を握り続けた。
光を放つ灰が空に舞い上がり、風雪に打たれ、ついに空の星々になることが叶わなくなるその時まで。
……
あのさ、あんた、えっと……
好きに呼んでもらって構わない。「悪霊」という呼び名がしっくりくるならそれでもいい。
違う、そういうつもりじゃない! ただ、二人で話すのは初めてだからさ。
あんたは何度も勝利をもたらしてくれただろ、あたしもあんたの指揮下で戦ったことがあるんだ。それに、たしか源石の専門家でもあるって……
……「専門家」か。
だが実のところ……感染者がああいった形で亡くなっていくのを間近で見たのは今回が初めてだ。
……これまで随分運が良かったんだな。
まさかその光景があんなにも……
ちょっとばかし寿命が延びることを助かるって言うのか?
……何でもない。
テレジア、出発しよう。
……ええ。
だが今出発したところでもう手遅れだ。軍事委員会の罠も待ち受けているし……
大丈夫よ。
さあ、家に帰りましょう。
後に、軍事委員会の作戦報告にはこのように記された。
「バベルの魔王は最も信頼する部下を率いて、風雪と烈火を払いのけた。」
「それはまるでベッドカーテンをめくり、子を夢へといざなう母のように優しいものだった。彼らは想定通りのルートで撤退し、やがて我々の包囲網に入った。」
「だがその場に居合わせた術師と射撃兵は、誰一人として数百メートルにも連なるその隊列に奇襲を仕掛けようとはせず、そう命令を下す者もいなかった。」
このあまりに余計な脚色が過ぎる報告書と、マンフレッドが王庭の要人から提供された「偽の情報」に騙された件については、いずれも委員会から批判されたが――それ以上の処罰は受けなかった。
ドクター。
今回の作戦について聞いたが、君は……
ドクター?
ケルシー、教えてほしいことがある。
何だ。
医者の立場から見て、患者の余命を延ばすことはできても、死の定めを挽回できないとしたら……それは救いと呼べるのだろうか?
患者本人に他の要望がない限り、命を救うべく手を尽くすのは医者の責務だ。
我々は常にそのために尽力している。
どうしてそんなことを?
ただ、アーミヤや他の仲間たちを見ていると、君たちはこんな苦しみを受けるべきではないと……そう思ったんだ。
……
それに、その苦しみは……
ドクター、ケルシー、二人ともここにいたのね。
情報会議が今終わったわ。あの天災で戦局が膠着状態に陥っているのは確かみたいだし、一息つくなら今しかないわよ。
あなたたち二人はちゃんと休まないと! 特にドクター、帰ってきてからあんまり寝てないでしょう?
平気だ……
テレジアはケルシーをちらりと見た。ケルシーの目からは、やるせなさが透けて見える。
魔王には感じられた。罪悪感を、そして焦燥感を。あれだけ多くの感染者が散っていくのを目の当たりにしたのだ。そう簡単に受け入れられることではない。
ドクター、あなたまさか……これらすべてがあなたの手によって引き起こされたとでも思っているの?
残念だが、それは事実だ。
責任から逃れるつもりはないし、後悔するつもりもない。ただ、現状を受け入れるには……もう少し時間が必要なんだ。
今はまだ――
……
この大地のために、そうした感情を抱えてくれているのはすごく嬉しいけれど……ちょっと疲れを溜めすぎているんじゃないかしら。
あなたの今の苦しみや葛藤も、きっと善意と理想から生み出されたものでしょう? 私はそれを拭い去ったりはしないけど、あなたさえよければ、私にも一緒に背負わせて……
テレジアはドクターの手を優しく握ろうとした。ドクターの罪悪感と不安に満ちた魂を感じ取るために。
ドクターの力になりたかったのだ。
しかし、不穏な雑音がわずかに魔王の脳内に響き渡った。
……?
(ドクターが……私を拒絶したの? それとも……)
すまない、テレジア……君がそれを背負う必要はない。
ましてや、わざわざ「文明の存続」を使う必要なんてないんだ。君に負担がかかるし、もっと重要な使い道だってある。
力を尽くして頑張ってくれているドクターを助けることよりも重要な使い道が?
フフッ……ありがとう、本当に。
さて、君もScoutも、今が一息つける時だと言っていたな。
ならばMiseryから盗んだ料理の技術で、君たちにディナーをご馳走するとしよう。
――今後の試練に立ち向かうために。