バベル BB-9・戦闘前
物語の結末
カズデル地区 バベルロドス本艦外
摂政王の予想通り、バベルは無防備だ。
目立たぬよう動き、警戒を強めろ。
事前に取り決めたルートで潜入し、魔王を見つける計画に変わりはない。Aルート、Bルートの部隊も準備は整っている。
主戦力はこの船にいないようだ。仮に勘付かれたとしても、奴らが戻るには時間がかかるだろう。
そして、バベルの護衛もまだ我々には気付いていない。
……摂政王殿下は賭けに勝ったのだ。敵方の重要人物が我々を暗に助けていると見える。
全隊、ただちに乗船せよ。手早く済ませて、リスクは最小限に抑えろ。
十分前、アーミヤは奇妙な騒音で目を覚ました。
バベルでは絶えず修理と刷新が繰り返されており、彼女がこの新たな家に来たばかりの頃と比べ、その様相は大きく変化していた。
「クロージャさんがまた色々やってるのかな?」
アーミヤの部屋にはドクターが彼女のために置いていった絵本がたくさんあった。そこにはこれまでに聞いたことのない物語が描かれている。
彼女の一番お気に入りの一冊は、奇妙な乗り物に乗って空から落ちてきた人の冒険譚だった。
しかし、彼女はその物語の結末が好きではなかった。その人は最終的に乗り物の修理に成功し、地上の子供たちに別れを告げて空へと帰ってしまうのだ。
……この音嫌い。ドクターも来てくれないし……
テレジアさん……テレジアさんのところに行ってみよう。
ダウニングおじさん、こんにちは! ペンチが落ちてますよ、どうぞ!
おっと、ありがとうアーミヤ。どこへ行くんだい?
テレジアさんに会いに議長室まで。そうだ、ドクターを見ませんでしたか?
ドクター? ここ数日はずっと見てないな。多分司令室にこもって作戦指揮をしてるんじゃないか?
そっか、ドクターはやっぱり忙しいんですね……ありがとうございます。じゃあまた!
アーミヤ、走ったら危ないぞ! 船の中はどこもかしこも修理中なんだ。つまずかないようにな!
ったく、あの子ときたら――
うぐっ……
一人片づけた。このまま進む。
潜入済みの者はすでに各ポイントに潜伏し待機している。いつでもこちらに合わせて動けるぞ。
船に残った連中は脅威ではない、遭遇した場合は直接手を下せ。
テレジアさん、絵本を持ってきました――
あれ……どうしてドアがロックされてるんだろう?
テレジアさん、アーミヤです! 中にいますか?
たしかクロージャさんが、こうすればドアが開くって言ってた……開いた!
テレジアさん――
アーミヤ、どうしてここに?
すぐ近くで嫌な音が聞こえて……ちょっと怖かったから、それで……
……
もうすぐ本当のおうちに帰れるのよ。
でもテレジアさん、すっごく疲れた顔してる……
じゃあ、アーミヤにもお仕事のお手伝いをしてもらおうかしら。
あら、それは……絵本?
そういうことね。アーミヤのお供なら、こっそりサボったってドクターやケルシーはきっと何も言わないでしょう。
ありがとうテレジアさん!
さあ、ここに座って。この物語を読み終えたら、アーミヤを私のおうちへ招待してあげるわね。
じゃあ、前回はどこまで読んだかしら?
……
ドゥカレ、我輩から離れよ。
その方の体は凡愚の血でまみれている。
なに、事のついでにあらぬ議論を交わす有象無象を浄化したにすぎませんよ。現時点においては、あの兄妹の生死を軽々しく語ってよい者はいませんから。
極めて不敬です。
ネツァレム、それよりもこの状況においては、あなたは都市へと後退し防衛すべきではありませんか?
それは我輩が待ち望む戦争とは無関係だ。
ならば、テレシスはあなたに彼女の死を確実なものにさせようとしているのですか?
その物言いこそ、あの兄妹に対する軽蔑ではないのか? 摂政王はそのような手配などせぬ。
我輩はただこの戦争の終結と、新たな戦争の始まりを見届けに来ただけだ。
魔王が敗れたのならば、我輩は刹那の死の余韻を背負い……王に代わって、深淵の中でこの手に掴んだ勝利を見届けよう。
……あなたも悲しみを感じるのですね。
その方こそ。
葦で編まれた冠は川底に沈み、陰鬱な霧がすでに何日も立ちこめていた。
……アエファニル……そなたはいまだ彼女のそばにおるのか?
挽歌は誰がために響かんとしておる?
……
テレジアさん、どうしてやめちゃうんですか? せっかくお話がいいところにはいったばかりなのに。
アーミヤ、この先の楽しみは後に取っておこうと思うの。それよりももっとリラックスできる方法でお話を読んであげるわ。
でも……うん、わかりました。
アーミヤ、びっくりしないでね。
しゃぼん玉だ! あれ、これは――
溶け合う黒い波紋が純白の部屋に絶えず波打っていく。アーミヤはまるで黒いプールに飛び込んだかのような心地だった。
黒いしゃぼん玉は音を、アーミヤの視線を遮った。
しゃぼん玉越しに、テレジアの姿がぼやけ……
次第に遠のいていく……
テレジア……さん……
ひとまずその中でぐっすり眠っていて、アーミヤ。
……私のそばにいれば安全だから。
はぁ……
テレジア殿下……
僭越ながら、我々はこの命でもって、将軍の追求する未来をあなたに証明させていただきます。このような要件での訪問を、どうかお許しください。
そのことにため息を漏らしたわけじゃないわ。
実のところ、あなたがそうやって正体を隠そうと私の前では無意味なのよ。
あなたが当時イレーシュの乗輿の前で拝命していた様子はまだ覚えているわ。あの戦いでのあなたの勇敢な戦いっぷりには感動させられたものね。
それとあなたと一緒にいた人たちのこともよく覚えているわ。
みんな勇士と呼ぶに相応しい人たちだった。今この瞬間、カズデルの移動都市で奮戦している英雄と比べても遜色ないほどにね。
……この身なりは、決して身元を隠すためではございません。あなたの前ではまるで無意味だと存じています。
角を切り落とし、名を捨て、ひいては特徴的である皮膚を一寸刻みで潰したのは、このような卑劣な手段で魔王を屠ると決めたその時に――
我々はもはやサルカズに記憶されるに相応しくない存在となったからです。記憶されてはならないのです。
――おい、やれ。
湧き返る気流が幾度も刺突を試みる切っ先を泥沼のように包み込んだ。
ビュン――
刃の震動が周囲の空間をも共鳴させる。刃は絶えず迫り、刺突を繰り返す。
直後、鋭利な刃の主たちはまるで抗えない波に押し流されるように後退し、そのうねりに呑まれていった。
あなたたちの名前も覚えているわ。
ルカ……覚えているわよ。
当時あなたは一人で蒸気騎士を止め、蒸気に身を隠して相手の騎士を引きずり出し、みんなの前で首を落とした……
刺客の命が消えてゆく。
……あなたのことも覚えているわよ。リーエン。
無数にいた同名のサルカズの中でも、最も特別な一人。捕虜になった後に高塔術師の野営地から三人の同胞を助け出し、さらには彼らの法陣まで破壊した……
死でさえも、テレジアに近づこうとする彼らを止めることはできない。
それとあなた……レヴィン。
あなたはテレシスのためにクロスボウを防ぎ、片腕を失った。それでも地獄の中を生き延びて、撤退まで粘り続けた……
あなたたちには、名もなき存在として死んでほしくないの。
少なくとも……私は覚えているから。
死体が積み重なり、彼女の足場は少なくなっていく。
ため息が漏れた。首からにじみ出た血を拭うと、不覚にも白いドレスにどす黒い赤をこすりつけてしまう。
我々は命尽きる前にサルカズのため何か成さんと、その一心で御前へと至りました……
あなたを――かつて忠誠を誓った魔王を殺すために。
あなたの強大さは誰よりもよくわかっています。ならば、我ら死にぞこないの裏切り者に地獄へのお供をさせてください。
……