相見歓 OR-ST-3・幕間
須問湯
……今夕、何の夕べぞ?
薄暗い陵墓に光が差し込むことはなく、この混沌とした闇の中は、まるですでに時が止まっているかのようだ。
前回この場所で物音が響いてからどれだけが経った?
この日、この場所でまた一つ音がした。
長くここにいるの?
ユー・チェン殿、お乗りください。
最後に一つ、願いがある。
どうか頼まれてはくれないか。通りの向かいの小さな料理屋に行って、茶碗一杯の白飯と茶を買ってきてほしい。
監獄に行くにも、腹を空かせたままでは具合が悪い。
もちろんです、少々お待ちください。
行かれるのですか?
判決は下された、大理寺にずっと居座ってもいられんだろう。
そうでしょうね……ですから、今日は見送るために参りました。
なんだ。随分と殊勝だな。私を恨んではいないのか。
事の全容を知ったのです、何を恨むことがありましょう?
恨むにしても、もっと早くに話して下さらなかったことを恨むしかないでしょう。
早くに言っていれば、今頃お前までこの手枷をかけられていただろう。
大理寺にも、いくらか見込みのある若芽を残しておかなければならんさ……
あなたに言い渡された刑には、異議を申し立てました。
不当な判決だと先輩が思われたなら、三法司に再審の申請をするのも大いに正当な――
まさかお前は、私の行いは懲役十年にもあたらないというのか?
行いだけを見れば違いますが、その行いは、あくまでも……
だったら何だ?
法は法だ。「道義」ではない。
今日このユー・チェンが法に従わねば、将来またどれだけのユー・チェンが現れて各々の「道義」のために動くと思う? それによって生み出される混乱は、いかばかりだ?
この土壇場で愚かな話をするとはな。私が育てた弟子とは思えん。
……失言をいたしました。
無論、どのようにして「法」を多くの人の心のうちにある「道義」へと近づけるかは、お前たち後進次第だ。
私はそれを待とう……山の上のあの松の木は未だ健在だ。その時、お前が切り倒して棺桶を作ってくれるのを待っている。
……
ところで、見送りに来たのなら、なぜ大理寺の官服ではないのだ?
官を辞しました。
一筋の白雷は目の前を一瞬照らすことができますが、世の正否や善悪を全て断ずることはできません。私に見えないことはまだたくさんあります。
山上の青い松の木は未だありますが、つまるところ松の木にすぎません。山を登る者がその木に何を見い出すかは、やはり登山者本人の心次第です。
私は天師府に戻り、またしばし修業を積みます。
……それもいいだろう。
考えても結論の出ぬことを曖昧なままに続けても、決して成果は得られん。
先輩……最後に一つ、分からないことがあります。
一体なぜ……太師の事件の調査に拘ったのでしょうか?
……なぜそう問う?
事件の資料を整理してようやく気づきました。この事件のために全てを捧げていたのは、グー・チュエン一人だけではありません。
グー・チュエンがそうするのには一応の動機があると考えられますが、あなたは当時大理寺の未解決事件を明らかにするという命を受けていた以外に、この事件とは直接的な関係がないはずです。
……
ユー・チェン殿、ご依頼の品です。
余味居の店員さんが何を言ってもお金を受け取ろうとせず、またあなたが客として来るのをいつまでも待っていると言っていました。
不思議ですね、あなたに頼まれたとは言っていないのですが……
数十年前、料理屋で初めてグー・チュエンに出会った時、彼はこんなことを言っていた。「五色は人の目をして盲ならしむ。五味は人の口をして爽(たが)わしむ。」と。
後になってようやく分かった。結局のところ、私は目の前のことしか見えておらず、舌も鈍いのだ。
しかるにこの目に映せるのは純粋な真実だけ、この口で呑み込むことができるのは純粋な味だけなのだ。
囚人服を着た男はおもむろに振り返ると、大理寺の門に掛けられた横額を、そして門の向こうにある決院を見やった。
彼は身をかがめ、柏の木の下でいまだ溶けぬ雪をすくう。それを椀の白飯にかけ、あっという間にかき込んでしまった。
美味いな。
……行くか。
何者だ?
おっと、こんな遠くまで来て、これ以上どこへ行く気?
……お前には関係ない。
この炎国の土地で騒ぎ立てておいて、見て見ぬふりをしろって?
あんたら老いぼれって傷が治らないうちから痛みを忘れるわよね。あの時はあんたたちをぶっ飛ばしてこの土地から追い出したけど、今だって同じようにできるのよ。
お前一人で? 笑わせてくれる……
へぇ、やる気? いいわよ。
あんたって、腹の中にいくつか小さな箱庭を詰め込んでるのよね。あんたとあの絵描き、どっちの腕が良いのか見てみたいわ。
残山剰水ごときが。私の火に、いつまで持ちこたえられるでしょうね?
その挑発の代償を払うことになる。
ふん……
まあいいや。たとえここでぶちのめしても、また一人そっくりそのまま作り出せるんでしょう。意味がないわ。
撤退する口実であれば、受け入れてやらぬこともない。
あんたと言い合いする気はないわ。あんたの本体を見つけ出して完全に息の根を止める前に、一つ聞きたいことがあるの。
気になるのよね、あの囲碁バカはあんたに言うこと聞かせるためにどんな利益を約束したの?
いや違うわ……「あんたたち」って、言うべきね。
あれの計略は、我とは関係ない。我々はただ同じ目的があるにすぎない。
我が探し求めているのは、あの陵墓に囚われている恥ずべき裏切り者である。
ほんとに復讐したいなら、とっととあいつの分身たちを一人ずつ殺して、それからあいつが炎国との戦争で死ぬのを待つべきだったんじゃないの?
これだけ長い時が経って、あんたの「同族」は大地にいくらも残ってないでしょう……あんたは結局のところ懐かしがってるのよ。
そういう「人間味」を考えれば、あんたたちと野獣を同一視することはできないかもね。
……戯言を。
いや……違うわね。あんたがあいつと共謀した理由はそれが全てではないはず。
私を騙せると思わないことよ。長い長い時間ずっと、炎国は常にいくつもの目であんたたちを見張ってきたのよ。
あんたたち、まだ百灶の下のあれを狙っているんでしょ……
……
リーおじさん……
父さんは、ここにいるんですか?
得られた情報に従えば、ここしかない。
はぁ……あいつと別れてこんだけ経ったが、あいつに関する情報が嘘であってくれと願ったのはこれが初めてだ。
だが武林のあちこちで勝負を吹っかけて回って、果ては何度も故意に人を傷つけたっつー噂の武術バカが、あれの他にもう一人いるとは信じがたいね。
父さんは、なぜそんなことを……
さあね……
あいつはこの世で並ぶ者がいないほどのバカの一人だが、バカであるほど、心は揺るがないはずなんだがねぇ。
この音は!?
――!
ワイフー……あいつに会ったら、くれぐれも気をつけることだ。
もうあいつの目を覚まさせてやれるのは、お前さんしかいないかもしれない。
はい……
リーおじさん……行きましょう。
はぁ……
(まさかあの剣は、本当に災いだったのか……?)
(リャン・シュンよ……ワイ・テンペイにもしものことがあれば、その責任はお前さんにあるってもんだぞ)
遠く距離を隔てた洞窟の深くに、しっかりとした体格の人影が朧気に見える。
重い拳が岩壁に絶えず打ち付けられ、梅の花のような血痕が所々に残っている。拳を振るうたびに、洞窟全体が揺れた。
訪れた者はその時ようやく気付いた。この「洞窟」は、その男の拳によって掘られたものであったのだと。
四十年……天下一……いつ……
剣を……人にやってはならん……失った……失ってしまった!
娘……娘は傷つけさせん!
父さん……?
父さん……目を覚ましてください……
父さん!
まもなく百灶が見えるな。
この宿駅にまた来ることになるとは。
……どうした、どうしても私についてくると言っておきながら、今は何も言わないのか?
ここで死んだのは、いずれも我々の兄弟です。
皆「忠義」のためだ……
ウェイ閣下、つけてくる者がおります。
む……
危ない――
見事な剣術……
長年見ぬ間に、君の剣術は当時とは比べ物にならないものとなったな。
……チェン家の娘。
久しぶりだな……ウェイ・イェンウ……伯父さん。
フェイゼ……
龍門で行ったことが、お前の下しうる最も愚かな決断だと思っていたが……
……これからどうするつもりだ?
……君はここにいるべきではない。
まさかフミヅキが……教えたのか?
これは私自身の決定だ、誰とも関係ない。
この件も君に関係ない――
……確かにな。
これまでお前に過去を尋ねたことはなかった。プライベートなことだから、私に干渉する権利もない。
ここ数年、私は多くの場所を訪れ、これまでに見たことも考えたこともないものを知った。
この世のあらゆる矛盾には、必ず「正義」があることも分かった。
母のこと……姉のことは……お前の過去と無関係とは言えない。
……
だからこの目で見たいと思った。お前にずっとつきまとってきた過去が、どのような結末を迎えるのか。
うわ――!
ふぅ……夢か……
でもアレの夢を見るのも不思議じゃないね……
あいつは?
小さな料理長は椅子から勢いよく降りると、伸びをして、目を強くこすった。
目の前の厨房は元のままで、鍋や椀も全てそのままの位置にある。
ふと、彼は何かを思い出したように、慌てて棚を開けると、たくさんの調味料の瓶を抱えて取り出した。
彼は慎重に一つ一つの調味料を口に運ぶ。眉間にしわを寄せながらじっくりと考え込む。
しばらく経って、ようやく彼の顔に笑みが浮かんだ。
良かった……
同じ味だ……
人であろうが獣であろうが、覚えていようがなかろうが、大した違いはなさそうだね。
世の味は永い、探し求めた味も見つかった。今後のことは……やめやめ!
今日味あれば今日酔い、明日愁い来たれば明日愁えん……大したことじゃない。
まずは店を開くとしよう。