挽歌が灰に還る時 EA-5・戦闘前
炎に溺れる
……また幻でも見せられたのかな。思ってた道と違う。戻ってきてしまったみたい。
空の色もよく見えないし、どれだけ歩いたかわからない……あとどれくらいで着くんだろう?
でも、ブリギッドが話していたようなことは――黒い霧と耳障りな音に阻まれるようなことはなかったし、少なくとも森に入ることはできているよね。
悪戯好きの精霊たちや、人を迷わせる幻、枝を引いて転ばせてくる羽獣なんかは……モランたちと戻ってきた時と変わらないし。
もしかすると、木々の背が高すぎて、そのうえ生い茂っているせいで、太陽の光が届かないから、外とは違った生態系になるのかな。
……道を間違えてはいない。ここが黒き森の中心なんだ。
でも、なんとなく……前に来た時とは景色が違う気がする。あの秋らしい赤や黄色はどこへ行ってしまったの?
どうしてこんなふうになっているの?
黒い霧……!?
やっぱり、黒き森は私を拒絶しているの?
ラフシニーは武器を握りしめた。仮にネモスの話が事実であり、都市を離れたダブリンの人々が戻ってこなかったのなら、大方彼らは黒い霧に飲まれたのだろう。
しかし、黒い霧が攻撃してくる気配はなく、それはただその場に留まっていた。
霧も……私を拒んでいるみたい。
というより、よそよそしいような……失望されているの?
どうして?
植物のざわめき以外に、その言葉に応えるような音は何一つ聞こえなかった。
ラフシニーは首を振り、行く先に光が見える道を選んで慎重に黒い霧の横を通り抜けていく。だが霧は依然として、彼女に何の反応も見せなかった。
悪戯好きの精霊たちも、今は姿を見せてこない。
だめだ、また行き止まり……
ここに長居はしていられない。悪いけど、炎で道を開かせてもらうしか――
随分ご聡明な判断だな。
誰!?
さて、誰だろうな。
どうして……あなたが?
街で会った……人だよね。あの時は、聞きたいことがあったのに――
確かに前回は無礼な態度を取ってしまった。だが、あの後からお前の振る舞いをずっと見てきて、私もその行いを反省した。
何にせよ、お前が私の想像していたような人物とは少し違っていることは認めよう。しかし、今は悠長に話している場合ではないぞ。
木々を燃やさずとも、炎で照らすだけでいい。その正体を確かめてみろ。
「正体」って……?
随分鋭い葉っぱ……それに、固いトゲがついているし、枝は金属みたいに照り返してくる……これは一体?
実のところ、正体自体は重要ではない。お前の炎ではそれを焼き払えんということだけを知っておけばいい。
こっちへ来い。
黒い霧の気が変わる前についてくるんだ!
もう少しでも話しかけるのが遅れていれば、あれは気分を害し、お前を骨も残さず飲み込んでいただろう。
でも、そっちは行き止まりでしょう?
目に見えるものだけが真実だと思うな。
言う通りにするんだ、さあ!
ここは……ナ・シアーシャへ来るときに通った道!
さっきの小道はここへ通じていたの?
失礼な質問だけど、あなたは森の中の精霊と……
バカを言うな。あんな連中と関わりなどあるはずがないだろう。
それにしても、この森はあれから何百年も経っているというのに、黒い霧が出るようになった以外は相変わらずだな……
ふん、興ざめだ。
もう少し進めば森から出られるし、あなたも一緒に――
やれやれ、まったく……
どうかしたの?
後ろを見てみろ。
リードさん!
リード、こっちだ!
森の明るい端のほうから、流民たちの姿が現れた。
街で何があったんですか? あなたが街へ入って以来、あの黒い霧が急に怒り出したように、街と外界を完全に遮断してしまって。ここしばらく、誰も森には出入りしていなかったんです。
けれど、先ほど黒き森の外で狩りをしていた人から、森から物音や人の声がする、火明かりらしいものも見える、と聞いたもので……
前にも似たようなことがあったのですが、その時は霊の守人から、面倒ごとになるから黒き森には近づくな、と言われたんです。
それでも、今回はその火明かりがあなたの炎だとわかったので、どうしても駆け付けなければと。
ここは危険過ぎるから――
だとしても、あなた一人にその危険を負わせるわけにはいきませんよ。ロンディニウムの郊外で、沼地であなたを待っていた時から、皆そのくらいのことはわかっています。
私たちは、あなたを信じているんです。ですから、あなたも私たちを信じてください。
ありがとう。
お礼など必要ありませんよ。さあ、ひとまず集落へ戻りましょう。
うん。
それで、あなたは――
リードさん? どなたとお話ししているんですか? 一緒に森を抜けてきた方でもいるとか?
赤き龍が振り返ると、唐突に現れたあの男は、いつの間にやら陽光の下の雫のように姿を消していた。
みんなに住む場所を提供してくれてありがとう。
ネモスから彼らを託された以上、為すべきことをしたまでです。
では、ラフシニーさん。霊の守人は、部外者にあなたの存在を明かさぬことをお約束します。彼らの安否をご確認いただいた今、ここでお別れいたしましょう。
それは一体……彼女を歓迎してくださらないんですか?
それはあなたたちに対しても同じことだ。
二匹の赤き龍の間には、尽きせぬ争いが生まれるもの。あなたたちがその争いに介入する気でいるのなら、我らもこれ以上庇い立てはできない。
そんな……
それが我らの在り方なのだ。霊の守人は争いを起こすことも、鎮めることもしない。
我らは生者の争いには干渉できず、ただ死者の魂を見守るのみ。
赤き龍よ、あなたが彼女らの言うように、憐れみ深く気高い指導者であるのなら、なおさら己の争いに無辜の民を巻き込んではなりません。
これは赤き龍同士の争いじゃないんだ。私は、ナ・シアーシャの民のために力を借りたくて――
争いには、そうした口実がつけられているものです。
リードさんは争いの口実などを求めるような人ではありません。
たとえ真実なのだとしても、生者の争いに関わるわけにはいかない……それが、我らの間に今でも残る苦い教訓なのだ。
お引き取り願います、ラフシニーさん。
亡くなった人が安らかに眠れるように、弔いをしたいという頼みでも……聞いてはもらえない?
死者の弔いを?
それが本当なのであれば、集落の門戸を開きましょう。その葬儀のためだけに、ですが。
故人の名と、その功績を教えてください。それから……亡骸を渡していただきましょう。
彼の名は……クラン。街の鍛冶師だよ。
クラン!?
彼はなぜ死んだのですか?
紫の死の炎に命と意志を奪われたんだ。私の炎でも……彼を救うことはできなかった。
……
ならば、いわゆる独立から今日に至るまで、ナ・シアーシャからはただの一人も、都市内の死者のために伝統に則った葬儀を執り行いたいと頼みに来る者がいなかったのはなぜだ?
そうでしたか……
戦争が終わったあと、初めて弔われるナ・シアーシャの人間が……戦場で命を落としたわけですらないとは。
こうして……藁を束ねて輪を作ればいいのかな?
はい。そうしたら次はこのお花を飾り付けて、花輪を編めば完成です。
そういえば、道中でも一度、農民たちがリードさんの頭に花の冠を乗せて、来年の豊作を願っていたことがありましたね。
……うん。
懐かしいな、あの頃に戻ったみたいだ。
ここでの暮らしは楽しくなかった?
私自身は気楽でしたが、ほかの人たちには少し窮屈だったかもしれませんね。
霊の守人の生活ときたら、自分を痛めつけてるようなもんでな。モランは何て言ってたっけ? 「禁欲的な生活」か?
酒も飲まない、宴も開かない、手の込んだ料理も食べないし、笑い声を上げることすらないんだよ。毎日夜明け前から起き出して、真夜中にやっと眠るまで、儀式めいたことばっかりしてさ。
それを俺たちに押し付けてくることはないけど、農作業を手伝う必要はあるし、どうしても付き合いは生まれるだろ。
おかげで、ここに来て数日しか経ってないってのに、こっちまで笑い方を忘れちまいそうだよ。ははっ。
でも、モランだけは毎日霊の守人と話しに行ってるし、何かを学んで帰ってきてるんだよな。今日は組紐の編み方で、次の日は木の寿命の見定め方、って感じで。
それはそうなんですが、物語に出てくるような霊の守人に比べると……
ラフシニーさん?
守人さん。
まさかこんなところで彼らと共に働いておられるとは。
リードはいつもこうなんだ。
ええと……
席を外したほうがよろしいですか?
その必要はない。儀式のために、死者の生前について確かめておきたいだけだ。
ラフシニーさん、教えていただけますか。クランの身に何が起きたのかを。
……
私が見たすべてを、ありのままに話すよ。
それで何かを感じ取ってくれると嬉しい。