緋染めのビロード AD-4・戦闘前
支離滅裂な早朝
ダルトンさん、本当に私の代わりに追加シーンをお願いしてきてくれたんですか? しかも空中スタントの目立つやつを?
前に私がスティーヴン監督にいくらお願いしてもだめだったのに、ダルトンさんの一言で許可してくれたんですか?
ちょろいもんさ。俺はグレータ本人から直々にオファーされた主演だからな。スティーヴンが俺の要求を断れるわけないだろ?
本当にありがとうございます! 私、ワイヤーはこれが初めてなんです……絶対このチャンスを大切にしなきゃ。一足お先に準備に行ってきますね!
行ってこい。
はっ、謙虚なふりしやがって。お前が裏で、俺の主演シーンを減らして自分のに差し替えるようにスティーヴンに頼んでたって知らなけりゃ、俺もきっと騙されてたよ。
ワイヤーの芝居は初めてか……ちょうどいい。
新人なら、新人らしい態度がある。撮影の都合で現場で数時間宙吊りにされようが、耐えなきゃならないもんだ、そうだろ?
シェリー! またワンシーン追加で撮ってもらえることになったの。ワイヤーが必要なんだけど、用意してもらえる?
……無理です。
あなたが芝居好きで熱意があるのはわかっています。けどシーンの追加はこれで何度目ですか? 私がチームのために組んだスケジュールをめちゃくちゃにするのも、何度目か分かっていますか?
大女優さん、少しは責任感ってものがないんですか? 私はあなたの軽い一言でスケジュールを変えたりはしません。この制作チームはあなたを中心に動いているわけじゃないんです。
ごめんなさい、シェリー。わざとあなたの仕事を増やすつもりはなかったの。でも、ダルトンさんが監督の同意は得たって言ってたわ。これはもう決まったことのはずよ……
ダルトンさんが?
……
わかりました。
ありがと、シェリー!
(ダルトンさんは昨日、あなたのことをなってない新人だって文句言っていたばかりなのに、今日になって親切にもシーンを追加してあげるなんて、そんなわけないでしょ。)
(ワイヤー、か……)
お、ローラちゃん、今日は一段と輝いてるね! 空中スタントは疲れるし大変だってのになぁ。君みたいにやる気満々の役者は少ないよ……
今が一番ワクワクして幸せなんです。次のシーンはこの映画で唯一の全部私だけのシーンだから、しっかり撮らなきゃですよ。
へぇ、君ってほんとに可愛いね。
くれぐれも怪我しないようにね。疲れてしんどかったら俺のとこに来なよ。今夜はずっと部屋にいるからさ……
あっ! マリオンさん、マイケルさんのメイクを直しに来たんですか?
……
では私は準備に向かいますね、また後ほど会いましょう!
俺のとこに来なよって何よ!
た、他意はないよ……後輩への気遣いだって……そんなに怒らないでくれよ、マリーちゃん。
あたしがいないと、すぐ他の女にちょっかい出すの? 付き合ってからまだそんなに経ってもないのに、もう飽きちゃったわけ?
演技中から意味深な視線を交わしてたし……若い子が好きなら彼女に乗り換えればいいじゃないの、何であたしをキープしてるわけ? メイクも今後はローラにやらせればいいでしょ!
そう言うなって、ハニー。俺が本気なのは君だけだよ。
そんなに嫌なら、今後は自分から彼女に近寄ったりしない。誓うよ!
……ほんとに?
君への気持ちにかけて!
……
あんたの悪い癖は知ってるけど、今がキャリアの成長期なんだからね。バカなことしないで。もちろん、あたしの気持ちも裏切らないでよね。
あのローラとかいう新人、やかましくて自己顕示欲の塊で、どうせ腹黒よ。あんたが気にかけてやる価値なんてないわ。
金輪際、あんたから彼女に近付かないでよ。
話しかけるのも、ボディタッチも禁止。たとえあいつが死にかけてても、あんたとは無関係だからね……いい?
あの、ハニー?
マリオンの目は真剣で、彼女の言葉が冗談ではないことを語っていた。
わかったよ。約束する、ぜーんぶ君の言う通りにするからさ。
俺のシーンはまだか。何かあったのか?
ダルトンさんのところで何かあったみたいで、現場総出で対応に当たってるんです。私は誰からも指示を受けてなくて……見てください、あそこで新人の子もほったらかされてるでしょう。
はぁ、吊られたまんまか。可哀想に……
可哀想って、マイケルさんはそんなにお人よしじゃないでしょうに。正直に言ってくださいよ。ワンチャン狙ってるんじゃないっすか?
君はやっぱり俺のことをよくわかってるな。
それじゃ可哀想なカワイ子ちゃんの様子でも見に行くか……
マリーに朝怒られたばかりで、ローラちゃんには二度と自分から近付かないって約束しちゃったんだよな……とはいえ……
向こうから俺に近付いてくるのは別だろ?
マイケルが上を向くと、ローラのか細い体が宙に吊るされていた。時折汗が滴り落ち、床の一部を濡らしている。
女性は少し疲れた表情をしていたが、目には力強さが残っており、普段からチャラついた態度のマイケルの心をちくりと刺した。
ワイヤーがギシギシと軋む音が耳に届き、マイケルはこれまでの経験から、ローラが付けている装置には問題があると判断できた。
危ない。だが――
好都合じゃないか?
装置がおかしいことに気づいたら、ローラちゃんの方から助けを求めてくるだろ。
そうなれば俺は彼女のヒーローだ。自然に彼女とイチャつけて、マリーちゃんにした誓いも破ったことにはならない……完璧じゃないか!
もうしばらく吊るしておくとするか。
ローラちゃん、どうして……どうして誰にも助けを求めないんだ?俺がここにいるじゃないか!
もう何時間も経ってるんだぞ。ワイヤーの音もどんどん変になってきてる……どっから持ってきた装置なんだよ、なんでこんなに古いものを?
待て、あれ……裂け目? しかも命綱に? ローラちゃん、なんで気づかないんだよ!
だめだ、教えてやらないと、教えて……
前へ歩み出した時、マイケルは水たまりを踏んだ。現場はスポットライトの光が当たり続けたことでかなりの高温になっており、ローラは徐々に脱水状態に陥っていた。
それでも、ローラは助けを求めない。それはマイケルには永遠に理解できない信念と熱意であり、目の前のこの女性が、彼のキャリアの全てを否定しているかのように感じられた。
こほんっ。
マイケルが振り返ると、いつの間にかマリオンが遠くの隅に立っており、冷ややかな目で自分と疲れ切ったローラを見つめていた。
「たとえあいつが死にかけてても、あんたとは無関係だからね……いい?」
マイケルは頭上の真っ赤な耳に触れると、静かに進むのを止めた。
……自分から一人で耐えることを選んだのなら、俺はもう何も知らない。
君は学ばないといけない。これは最初の授業だ、ローラちゃん。
バカ真面目になっちゃだめなんだ。たとえ他人を傷つけてでも自分を守らなきゃならない、これこそが一番大切なんだ――
ギシ、ギシ。
ワイヤーロープの端はすでに限界まで伸びきっていた。
まだ助けを求めないのか?
うわっ――!!
マイケル?
マイケル、どうしたの? 何を考えてたの?
一緒に楽屋まで来たのはあんたの説明を聞くためであって、訳も分からずビクビクしてるところを見るためじゃないんだからね……
モイラが、あんたがこの区画から出て行きたがってたって言ってたけど、一体どういう意味?
ハニー、俺は君を連れてここから逃げ出さなきゃいけないんだ!
古城を出て、劇団と共にこんなに遠い場所で公演をするのはこれが初めてだったね?
うん。
緊張しているかい?
……そこまででもないです、先生。
主演はほかの先生たちですし、僕はほんとに小さな端役なので、舞台の上での役割もほとんど傍観することだけです……
しかし本当のショーが君の目の前で起こった時、逃げずに耐えることは、そう簡単なことではないよ。
ルシアン、これは新たな授業だ。
リターニア ループカーン管区 某高塔
(拍手)
見事な芝居だ。
……
主演としての初舞台を無事に終え、キミは遂に殻を破ったようだ。
喉のささやかな黒い結晶は跡形もなく隠されている。観客はただキミを輝かしいばかりの主演と思い、死の迫った感染者であることなど知らない。
今では演技にはますます磨きがかかり、歌声は以前にもまして人の心を揺さぶる力を持った。ルシアン……完璧だ。君のパフォーマンスからは、ほんの少しも「演技」が感じられない。
それは褒めているのか?
もちろん。
戻らないのか? ここにもう少しとどまって、舞台の余韻に浸りたいのかな?
余韻?
それは、この血生臭い臭いを指しているのか?
お兄さん、通して、道を塞いでるよ。
そこを通りたいの、おうちに帰らせて。
……
クリムゾン劇団は、この子を引き取ってもいいかもしれないね。
引き取る?
この子は、自分の故郷がすでに消えてしまったことも、目の前のこの集団の中に、肉親の血の臭いをまだ纏っている者がいるかもしれないということも知らない……
これは、宿命による出会いだよ。そう思うだろう?
かつてのキミと劇団と同じだ。
あるいは、君にこの子の先生を任せるべきかもしれないね。劇団への溶け込み方、新たな人生の受け入れ方……彼女に、君が歩んできた道の歩み方を教えるんだ。
舞台を下りた後も、ショーは続く?
ああ。私が言った言葉は覚えているね。
そう、人生とは、それ自体が最高の劇であり、宿命の美学が媒体によって限定されることはない。
……お兄さん?
……
どうですか、ルシアン?
考えはまとまりましたか? 今のあなたなら、決断できるはずですよね?
目が覚めたの?
……
(気怠げにあくびをする)
どうした、ミス・クリスティーン?
とってもしつこい渋みよ……今のあなたの感情。
口に合わないか?
そうでもないわ。
だけどこの区画に来てから、過去を思い出す頻度がどんどん増えてるわよ。
それはつまり、あの人に近付いているということだ。
あなた、あのコーディネーターの異常を敏感に察知していたわね。
君と同じように。
残念ながら、さらなる手がかりを得る前に、彼女の身に惨劇が起きてしまった。
あの撮影アシスタントを利用して、わざと天災の情報を広めたの?
あの文書の出てき方とタイミングがあまりにも出来過ぎていたんだ、ミス・クリスティーン。
ある程度の演目を経験した役者ならば、誰でもわかる。こうしたあからさまな手がかりが目の前に現れた時、それは必ずや何らかの役割を果たし、物語を次の段階へと前進させるのだ。
ダルトンの死は、ただの始まりにすぎない。
全ての伏線が張り巡らされ、物語の筋書きは書き上げられた。すでに開かれた幕は誰にも引き戻すことはできない。
ただし、物語をクライマックスまで進めて初めて、脚本家は姿を現す。
……その時、ようやく私は彼を殺せる。
(あくびをする)
気をつけなさい、ルシアン。
わかっている。
あなた自身に、気をつけなさいと言っているの。
さっき、あなたの感情はしつこい渋みだと話をしたでしょう……とても危険よ。
……
君には申し訳ないと思っている、ミス・クリスティーン。
あまり長く我慢させるようなことはしない。