墟 AT-1・戦闘前
極道の流儀
お疲れ様です、カツ定食が届きましたよ。
ご苦労さん。君は先に帰ってくれ。
はい!
……
もう夜中になる。お前は午後に御机を訪れてから、ずっと我々の追跡を受けていたわけだし、きっと腹が減っただろう。
(うなずく)
だったら、まずは食え。極東の味、カツ定食だ。
刑事は「極東の味」を強調して言葉にしながら、定食の乗った盆を星熊のほうへ押しやった。
星熊は無言で食器を持ち上げると、箸を手に取り、大口を開けてかきこみ始めた。
どうだ、龍門でもこの味にはありつけるか?
(黙々とかき込む)
その様子じゃ、故郷の食事は随分ご無沙汰らしいな。
(口にカツを詰め込む)
……まあいい、今は食え。
(キャベツをもぐもぐと咀嚼する)
(水を飲む)
(勢いよくかき込む)
(空っぽになった食器を置く)
ふぅ。
どうだ、懐かしいか。
ご報告します、刑事。小官は懐かしかったわけではなく、腹が減っていただけです。
お前――
龍門を発つ前にも、カツ定食を食べてきたところでな。次は別のものをもらえないか? あなたたちが私を捕まえたあの店のおでんはどうだろう。良い香りだったのに、だしすら味わえなかったしな。
ちなみに、私が龍門で容疑者に飯を食わせてやる時は、いつも腸粉を出しているんだ。
態度を改めろ。お前は容疑者なんだぞ。
容疑者? 私は御机に来て二十四時間も経っていないんだが、一体何の容疑だ?
二十年前の事件であれ、容疑者は容疑者だろう?
……刑事さん。
惟任(これとう)だ。
では、惟任刑事。
なんだ。
二十年も経てば、時効は成立している頃だ。
それに、龍門の督察証もそろそろ確認は取れただろう。
結果はまだ出ていない。
それに、お前の話が本当だとして、龍門の警察官がここに来るとはどういう風の吹きまわしだ?
失業でもしたか? 仇討ちでもしに来たか?
龍門の誰かがお前を差し向けたのか?
それとも、最近街で噂されている、北院のスパイと何か関係があるのか?
よせよせ。そんなふうに推測を重ねると、話が大きくなるだろう。
ほら、この手紙を見てくれ。
身体検査はしたはずだが、まだ何か隠し持っていたのか?
警察のことを一番よく知っているのは警察だからな。
……
ふぅ。
相棒、もう一周走れるか?
問題なさそうだな。では、行こう。
(夫人のバイクか?)
一本角の鬼は姿勢を低くしてバイクに身を寄せ、まっすぐな道の端を目掛けて進んでいく。
唸りを上げる風のせいで、追走者との距離が判然としなくなり――
なぜバイクをお停めに?
一緒に楽しめたらと来ただけで、勝負する気はありませんから。
イェンウから聞いた話では、スワイヤーがニューシエスタに向けて出発する前に、留守番のあなたたちの負担が増えないようにと、局内の仕事をしっかり片付けてくれたそうですね。
ええ。お嬢様のお心遣いがなければ、私がここにきている暇など到底なかったことでしょう。
そうですね。それで、仕事以外の一体何事が、ホシグマ督察の心を煩わせているのですか?
……まさか、顔に出ていましたか?
そういうわけではありませんが。
何度も思い切りアクセルを踏み込んでも心が落ち着かないのであれば、一人で悩むべきではないと思ったのです。
あいにく今は、チェンちゃんもスワイヤーもおりませんし、同郷の私がお節介を焼くしかないでしょう。
同郷の……ですか?
ええ、同郷の、です。
夫人に隠し事はできませんね。最近、ある手紙を受け取りまして……
とても丁重な――いえ、形式ばった書き方ですね。
もしやこの方が、ホシグマ督察の龍門への避難を手配したという、般若の「父君」ですか?
ええ。私はあの人を、鉄斎の叔父貴と呼んでいます。これだけの時が過ぎましたから、今は七、八十歳くらいでしょうか。
鍛冶町は、私が御机を離れる前に住んでいた場所なんです。
そうでしたか。そんな町が「じきに世を去らんとしている」のならば、帰ってあげるのが筋ではありませんか?
……正直、私は龍門に来た時、ここに長く住めたらとも思いましたし、もしダメなら別の場所へ行き、炎国を離れるのみだとも考えていましたが、極東へ帰ろうとだけは思わなかったんです。
二十年が経ち、御机が今どうなっているかもわかりません。そんなところに帰るより、私はここでバイクを乗り回し、仕事が終われば街で焼きビーフンを食べる生活をしているほうが落ち着くんです。
ですが、帰る理由はもうあるでしょう? 葬儀があるなら、里帰りにはちょうどいいではありませんか。
……
あなたは自ら龍門で最も堅い盾となり、命懸けで戦ってくれています。イェンウも、私も、リンさんも、そしてあなたの友人たちも、みんながそれを見ているのですよ。
とはいえ、あなたはその役目のみに終始すべきではない人材です。
チェンちゃんが去り、ユーシャも恐らく父君の仕事を継ぐのであろう今、近衛局の局長一人だけでは、この屋台骨は支えきれませんから。
私は職務怠慢なところがあり――
そんな言い方はやめてください。
チェンちゃんが龍門を去る前に、彼女と話をしていたのは知っていますよ。私が望むと望まざるとにかかわらず、こうした話は私の耳に届くものなのです。
仮に、あなたが心の奥に抑圧している事柄が、永遠に解決できないことだとしても、一度帰って、ご存命の方々と言葉を交わすだけでも悪くはないのではありませんか。
……そうですね。
では、こちらに戻ってくるときは、お土産に極東の甘口醤油煎餅を忘れず買ってきてくださいね。
煎餅ですか?
近衛局の近くに新しい煎餅屋ができたので、極東の味を期待して、入ってみたのですが……
熱々の生地に良い香りの卵液と揚げ肉が包まれ、ネギが乗ったものが運ばれてきて初めて、極東の「煎餅」と炎国式の姜斉煎餅は別物だったと思いだしたものですから。
これで誤解は解けただろう、惟任刑事。
暴力団である「金石会」の会長がお前に手紙を書き、奴の縄張りである鍛冶町の葬儀に参列するよう言ってきた。そしてお前は、同郷の人間に説得され、帰郷を決意した、と?
その通りだ。
その同郷の人間というのは――
それが誰かなど、重要ではない。
重要だろう。お前は、その人物の後ろ盾がなくとも、御机の街頭に堂々と姿を現していたとでも言うのか?
もちろんだ。
……
吐く気がないなら、ここでお前を二十四時間拘留させてもらおう。
どうせ警察は暇してるんだ。毎日市民から通報はあるが、緊急性のある用件は数本もないからな。
だとしたら、なぜ通報を?
怪談話にまつわる手がかりを見つけたから、捜査してくれと言うんだよ。
……怪談話?
ハッ、どうやら本当に御机には長年帰っていないらしいな。
今の警察署は、警察署らしからぬ有様なんだ。あの暇人どもは我々を心霊対策局だとでも思っているんだろう――
誰だ?
お客様です。……三船さんが来てます。
疲れた顔の刑事は、星熊に視線を向け、それから扉の外のほうを見やった。その顔には、明らかな憤りが見える。
こちらが緊急の用件でしたら、時間を稼いでみましょうか?
できるわけないだろ。どうせ三言も話さないうちに、奴はほかの誰かに電話をかけて、結局俺に話が回ってくるだけだ。
……
入ってもら――
刑事が言い終える前に、背の高いフィディアは大股で部屋に入ってきていた。彼は傍らの警察官には目もくれず、まっすぐに星熊の元へ近付いてくる。
金兵衛!?
心配するな、星熊。俺がここにいる以上、警察はあんたに手出しできない。
ふ、ははっ。出世前の名で呼ばれるのは久々だろうな、三船光平さんよ。
あんたにもそう呼んでもらって構わんがな、惟任刑事。
……
そう、時勢を理解しているのは良いことだ。
三船……光平?
星熊よ、あんたの前では俺は永遠に金兵衛だ。
さあ、行こう。家に帰ろう。
まだ惟任さんが――
ほう、まだ何かあるのか? 警察がデタラメな逮捕を行った根拠を聞かせていないと言えばそうかもな。まさか二十年前の事件を理由にとは言うまい?
しかし、残念なことに時効は成立しているんだ。それも、何年も前にな。北院が公訴の制度を変更したからと言って、南院の警察まで彼らの身勝手さを見習っていいということにはならんぞ。
デタラメはそっちでしょう! たとえ時効が成立していようと――
時効が成立した状況で、誰かをここに拘留するその根拠は何だと聞いているんだ。答えてみろ、議員の質問や、テレビの生放送、そして民意による詰問に堪えられるだけの理由をな。
これは脅迫だ!
いいや、俺の権利を行使しているまでだ。
惟任さん!
……行かせておけ。
……鉄斎の叔父貴に頼まれて私を迎えに来たのか?
金石会の全員があんたの帰りを待っているんだ。行こう、これ以上この警官どもに煩わされることはない。
警察署を出て右に曲がり、通りを歩いていく。
すると不意に、昼間の仁田街が目の前に広がった。
無機質な白い日光が、通り全体を単調に照らしている。コンクリートの建物の壁は、ネオンの輝きを失い、本来の色を見せていた。
閉まっている店も、まだ客引きをしている店も、夜の鮮やかな光を失っており、そんな大小様々な店の前を、無表情なサラリーマンたちが足早に通り過ぎていく。ちょうど出勤の時間らしい。
昨晩この街頭で誰が盛大に吐いていたか、そして誰が客引きの誘いに乗って大金を浪費したかなど、この時にはもはやわからなくなっていた。
本当に久しぶりだな! 龍門ではどうしてる? 元気にしていたのか? 長いこと音沙汰なかったから、何かあったのかと思って心配したんだぞ!
もう何年も経ったのだし、私はもう金石会の人間ではないと思っていたんだが。
何を言う。運命に翻弄されていようと、音信不通になってしまおうと、帰ってきてさえくれたら家族さ。
この二十年の間で、金石会があんたに「破門状」だの「絶縁状」だのを送ったか? 送ってないだろう。
何より、今に至るまで、大きな会議の時には、おやっさんの左の席はずっと空席だったんだ。あんたは今も、金石会の若頭で、後継者なのさ。
だったら、お前は……?
若頭補佐だよ。
おやっさんがボケたんじゃないか、なんて思うなよ。あの人の判断にはみんな納得してるんだ。
二十年前、あんたが身を挺し、俺に先んじて例の議員候補を殺していなけりゃ、金石会はとっくに鍛冶町をたたき出されて、奴が先導した世論による攻撃でバラバラにされていただろう。
あのあと、あんたは俺たちを庇うために、一人で殺人の罪を負ってはるばる龍門まで逃げ延びた。そのおかげで、金石会は存続できたんだ。
これだけ大きな犠牲を払ったあんたのことを、ポイッと捨てちまったら、俺たちは人でなしだろう?
……そんなことは言わないでくれ。
れっきとした事実じゃないか。どうして言っちゃいけないんだ?
金兵衛、昔話は後にしよう。
鉄斎の叔父貴は手紙に、鍛冶町の葬儀を執り行うと書いていたんだが、その話は聞いているか?
葬儀だって!?
そんな……あれのどこが葬儀だっていうんだ?
鬼の姉御よ、街をぶらついてる暇はない。急いで鍛冶町に戻って、おやっさんに会い、事情をはっきりさせようじゃないか。
背の高いフィディアは歩みを速め、慌ただしく鍛冶町のほうへ進んでいく。
大きな歩幅で急ぐ彼の背を、星熊は、小走りに追いかけるしかなくなった。