安らかな譫言SS-8・戦闘前童話のプロローグ
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安らかな譫言 SS-8・戦闘前

童話のプロローグ

何十階もある建物の屋上から見下ろすと、地上の車も人も塵のようにちっぽけに見える。

電話越しの声

にゃむさん、事務所の指示通り周辺の警備を強化しました。

ですが、誘拐犯はまだ捕まっていません。安全を考慮して、事務所からしばらく活動休止の要請が来ています。

祐天寺にゃむ

活動休止……?

電話越しの声

長くはかかりません。にゃむさんの安全を確保するため、改めてこちらで信頼できる仕事相手を選んでおきます。

祐天寺にゃむ

でも、それじゃファンのみんなが……

電話越しの声

にゃむさん、今やあなたは龍門のスターなんです。ご自身の人気をもう少し自覚してください。

祐天寺にゃむ

でも……!

電話越しの声

しばらくゆっくりお休みしたり、趣味の時間を過ごしたりしてはいかがでしょうか?

――でも無闇に出歩いちゃダメですよ。

近衛局からまた連絡が来ましたので、私はそちらの対応をしてきますね。

祐天寺にゃむ

ゆっくり休め、無闇に出歩くな……ね?

にゃむは自分の家を見回した――

それを「家」と呼べるならの話だが。

リビングにはいつも一人だけで見る超大型テレビが置かれている。

ベッドは毎日綺麗にしてもらっているため、いつでもホテルのように整っていた。

彷徨っていた視線が、ふとある物に吸い寄せられた。

祐天寺にゃむ

あった……

忘れようとしていたわけではなく、見ないようにしていただけなのかもしれない。

ある瞬間、自らの意志で置いたもの。

それは、本棚の一角に置かれていたドラムスティックだった。

祐天寺にゃむ

(スティックを叩く)……ワン、ツー、スリー、フォー。


祐天寺にゃむ

……ヘタクソ。


年老いた声

あの女を逃がしたな。

私の命令に背いたか。

八幡海鈴

今回は契約違反ということにしてください。こちら、違約金です。

海鈴はポケットから金貨の袋を取り出すと、ドンの前のテーブルに置いた。

年老いた声

……私を拒むつもりか。

八幡海鈴

……再考した結果、やはりこのままの関係を保つのが良いかと。

一人で動く方が私の性に合っています。もし相棒を選ぶにしても、私はベースを選ぶでしょう。

年老いた声

いや、違うな。お前はフランシスたちの元に戻りたいんだろう。

八幡海鈴

……

そうですね、以前から彼らの音楽パーティーに興味がありました。申し訳ないですが、あなたの言う大きなテーブルには着けそうにありません。

年老いた声

はははははっ……私がいつお前をテーブルに着かせると言った?

初めから、お前はただの「チップ」に過ぎないんだよ。

八幡海鈴

――!

年老いた声

自分の手元にないチップなど、何の価値もない。

ドンがそう言い終えると、応接室の扉が開き、屈強な用心棒が現れて海鈴を取り囲む。

海鈴がはっとしてドンに視線を向けると、ぎらりと光る一丁の拳銃が海鈴に狙いを定めていた。


小島はどんどん遠ざかり、今にも視界から消えようとしている。

三角初華

……

親切な船長

どうしたんだ? ずっと島のほうを眺めて。

三角初華

さっき、誰かが私を呼んでたような……

親切な船長

ははっ、聞き間違いだろう。こんな海の上で、風の音、波の音と羽獣の声以外に何があるってんだ?

しかしそんなにたくさん荷物を抱えて、大都市に出稼ぎにでも行くのかい?

三角初華

……ある人を探しに行くんです。

親切な船長

そりゃ奇遇だな、さっき乗せた嬢ちゃんも同じことを……

三角初華

今、何て言いました……?

親切な船長

(大声)波が急に荒れてきやがった!

いつの間にか、空がずいぶん暗くなっていた。

親切な船長

危な――手すり――掴まれ!!

だが、もう手遅れだった。

荒れ狂う大波が激しく甲板に打ち付け、海水が全ての船室に流れ込んでいく。


若葉睦

違う……違う!

違う……私のギター、こんな音じゃない……

彼女は心の中ではわかっていた。クラシックギターをどれだけかき鳴らしても、エレキギターの音は出ないのだと。

睦の父

(小声)睦、もう遅いから寝たらどうだ?

(小声)それと、ドアを開けてくれないか……

睦の母

(小声)ほら睦ちゃん、いつもみたいに、寝る前のお話を聞かせてあげる。

若葉睦

……いらない。

開けてほしかったら、教えて。祥はどこに行ったの?

睦の母

さあ、どこなのかしらね……

もしかしたら、祥子ちゃんもどこかに自分の幸せを探しに行ったのかもしれないわよ。

若葉睦

……嘘つき。

祥は、そんなことしない。

ドアの外は静まり返っている。

若葉睦

そんな簡単に考えを変えたりしない。祥は、私をAve{@nbs}Mujicaに連れ戻そうとしてて――

睦の母

じゃあ、睦ちゃんも簡単に変わっちゃダメよ。

いつの間にか、母が睦の背後に立っていた。

若葉睦

――!

睦の母

これはあなただけの夢じゃなくて、私たちみんなの夢なんだから。

「睦」たち

私たち、みんな「睦」でしょ?

これは私たちみんなの夢。みんながちゃんと存在できる、幸せな夢なんだよ。

睦ちゃんに祥子ちゃんはいらない。私たちがいればそれでいいの。

若葉睦

嫌……

「睦」たち

私たち、ずっと……ずっと一緒にいようね。

若葉睦

嫌――!


豊川祥子

約束の時間まで、あと十分しか……


子供たち

アイリスお姉ちゃん、ベナお姉ちゃん、さようなら――

ベナ

じゃあね、バイバイ!

約束守って、ちゃんといい子にしてるのよ!

子供たち

はーい!

ヴィグナ

アイリス、ベナ、もう行ける? 準備できたら――

豊川祥子

お待ちになって!

アイリス

祥子さん……?

てっきり来ないものだと思っていましたわ……

豊川祥子

はぁ……はぁ……はぁ……

アイリスさん……ネックレス……

アイリス

ネ、ネックレス?

豊川祥子

左ポケットの小さな箱に入っている――悪夢を防ぐネックレスですわ!

アイリス

祥子さん、何をおっしゃっているの? 私はそんなもの……

アイリスが無意識にポケットを探ると、思いがけずひんやりとした金属に触れた。

アイリス

祥子さん……あなたは、未来を知っていますの?


舞台の中央で、血だまりに睦が倒れている。

母

我が子よ! 我が愛しの子よ!

早く! 早くこの子を助けてあげて!

監督

どうした? 怪我でもしたのか?

女主人公

可哀想に、本当に死んでしまったのね! 何て恐ろしいのかしら!

男主人公

嘘だ、死んでなどいない! そんなこと信じるものか!

他の役者たち

(騒がしい鳴き声)

(興奮した鳴き声)

???

カット――

モーフィアス

……ウォルフ、あんたの演技、ひどすぎ。

ウォルフ

ごめんなさい。演技は得意じゃなくて。

カールトンたち

(楽しそうな笑い声)

モーフィアス

カールトン、自分たちは上手くできてるとでも思ってんの!?

カールトンたち

(慌てふためくような鳴き声)

モーフィアス

ダメね、役者がもう一人足りないわ……

モーフィアスはそう言って、舞台の中央を睨みつけた。椅子には長い青髪の少女が目を閉じて座っているが、その顔は苦しみに歪んでいる。

カールトンたち

(落胆した鳴き声)

ウォルフ

この劇はシラクーザの劇作家が書いたもので、上演されたばかりの頃は、結構な物議を醸したとか。

モーフィアス

何が嘘で何が本当かなんて、わざわざ突きとめて何の意味があるのかしら?

人間は、物事を徹底的に知りたがりすぎるわね。

ウォルフ

でもそれが、人間が「人間」である所以なのかも。

モーフィアス

……

ウォルフ

ごめんなさい、また余計なことを言って。

モーフィアス

いいのよ……てかウォルフ、あんた綺麗に話せてるじゃない。

ウォルフ

最近、劇の稽古が多かったからかな……もしくは、色々な出来事を目にして、少し考えさせられたからかもしれない。

モーフィアス

編み出された創造物にも「心」があるってわけ?

ウォルフ

本で読んだ。ブリキの人形にも心があるって。だったら僕にもあったっていいよね。

モーフィアス

チッ。本なんてあんなに読ませるんじゃなかったわ……ずっと口ごもってればよかったのに。


アイリス

あの子が「心」を失くしましたの!?

ベナ

また縫い合わせることはできるけど、心を失ってしまった以上、あの子はもう二度とここから出られないわ……

あんたが決めるのよ……モーフィアスの運命を。

モーフィアス

(アイリスお姉ちゃん……ベナお姉ちゃん……)


モーフィアス

……

あんた、やっぱり黙ってる方がずっと似合ってるわ。

皆が私みたいになれば、それでいいのに……

???

モーフィアス、茶番はここまでにしましょう。

舞台の上で、眠っていた人形が立ち上がる。

モーフィアス

ど、どういうこと!?

あり得ない……あり得ないわ! どうしてあんたが――

豊川祥子

言ったはずですわ。皆さんの目を覚ますまで、逃げはしないと。

モーフィアス

選択肢を二つあげる――

今すぐ私の前から消えるか……

幾重にも重なる私の夢に飲まれて、「夢なき境界」を彷徨うか。

豊川祥子

いいえ、どちらもお断りです。

モーフィアス

私に逆らうつもり!?

祥子はポケットの中に手を伸ばした。

豊川祥子

(やっぱり、入ってますわね。)

アイリスのネックレスは幾多もの夢を越え、いま彼女と共にここにあった。

今こそAve{@nbs}Mujicaを、メンバー全員を救う時――

豊川祥子

わたくしたちの勝負は、まだ終わっていません。

あの子たちの夢の中で、皆さんが心に秘めていた思いを見てきました。

皆さんの願いはすべて叶ったはずなのに、それでもまだ彼女たちは心の底から幸せになれていない……

決して取り繕ってなどいません。ただ迷っているだけなのです。

皆さんをバンドに引き込んだ人間として、わたくしは皆さんの人生に責任を負うと約束しましたわ。

その言葉を口にした時から、わたくしたちの運命は切り離せないものとなったと自覚しております。

わたくしの役目は、迷える人形たちに道を指し示すこと。皆さんのことも、必ず夢から連れ出してみせますわ。

舞台の中央に立つ豊川祥子は、眠りに落ちる仲間たちを見回すと、再びモーフィアスに視線を向けた。

豊川祥子

モーフィアス……あなたもその一人です。

月明かりが降り注ぐ時、人形は仮初めの命を宿す。

目覚めなさい――

モーフィアス

そいつを止めなさい!

カールトンたち

(恐ろしい雄たけび)

豊川祥子

ここがわたくしたちの夢。でしたら、夢の主はわたくしたち自身ですわ。

ですから、わたくしたちが思い描く通りの姿になれますのよ!

祥子がゆっくり腕を上げると、彼女の衣装が変わっていく――

彼女は夢の中で学んだアーツを、構想していた曲を思い出す。

そしてこれまで何度も練習した通りに、無心で掌を振り下ろし――

白い鍵盤の上を、祥子の指がなめらかに滑る。

音符がステージと客席の隅々まで鮮明に響き渡り、人形を操っていた糸からだらりと力が抜けていく。

糸の束縛から解放された人形たちは、広い舞台でひとりひとり倒れていった。


豊川祥子

Ave{@nbs}Mujicaの皆さんは、今日まで努力を重ねてきたのです。わたくしだけ怠けているわけにはいきませんわ。


豊川祥子

どのような困難に直面しようと、わたくしたち五人はまた集まり、Ave{@nbs}Mujicaのマスカレードをやり遂げましたわ。

今こそ、わたくしは曲を書きたい――

わたくしたちの試練、そして未来についての曲を。

豊川祥子

わたくしたちは一つのバンド――そう、運命共同体です。

これが、わたくしの答えですわ。


「睦」たち

睦ちゃん、ギターを置いて。

睦ちゃんはみんなのお姫様。何があってもそばにいてあげる。

――睦ちゃんの耳を塞いで!

若葉睦

(ギターを抱きしめる)

あなたたちは私じゃない……

会いたいよ、祥……

だれか、助けて……

???

ふふ、しょうがないなぁ。

睦に群がっていた「睦」たちが、操る糸の切れた人形のように、突然ばたばたと倒れていく。

???

睦ちゃんのどうしてもってお願いなら、聞いてあげる。


武器を構えた用心棒たちが、じりじりと海鈴に迫っていた。

年老いた声

海鈴、もう終わりにしよう……

何だ? この曲は……

???

うおおおおぉぉ――!!

フランシス

海鈴――!

八幡海鈴

フランシスさん、なぜ空から!?

フランシス

祥子って子が全部話してくれたんだ――俺たちは皆、お前の夢の中で作られた存在だってな。

八幡海鈴

なぜそんなバカげた話を信じるんです……

フランシス

いいや、もっともな話だと思わねぇか?

お前が作った人間だからこそ、俺たちは最初からお前のことを信用しきってたってことさ!

そう聞いてから、すっかり気持ちが楽になったんだ。海鈴、今の俺は何だってできる気がするぜ!

八幡海鈴

……

フランシス

時間がねぇんだろ。急いでこの悪夢から抜け出そうぜ!

八幡海鈴

しかし、どうすれば……

フランシス

お前の夢なんだから、自分で分かるはずだろ!

八幡海鈴

ですが私がいなくなったら、あなたたちは……

フランシス

いつからそんなウジウジするようになりやがった?

安心しろ。仲間で音楽パーティーをした日にゃ、お前がいねぇのを皆で寂しがってやるよ!

八幡海鈴

……はい!

フランシス

さっさと行け!

年老いた声

そいつを逃がすな――!

海鈴は楽器ケースの持ち手を握り締め、膝をわずかに曲げ、重心をゆっくりと下に移した――

八幡海鈴

では――行ってきます!

フランシス&仲間たち

海鈴の姉貴、達者でな!


マネージャー

にゃむさん……!

スピーカーから、未知の楽曲が爆音で流れている。

しかし部屋の中には誰もいなかった。

マネージャー

すぐに警備会社に連絡を!

慌てる警備員

にゃ、にゃむさんがライブ配信を始めました!

マネージャー

えっ……!?


祐天寺にゃむ

こんにちにゃむにゃむ~! にゃむちで〜っす!

にゃむちはなんと! いま、龍門の上空を飛んじゃってま〜す! あははっ、すっごい量のパトカーが追いかけてきてる〜!

は〜楽しい! こ〜んなにゃむちの姿、みんな一生忘れられないよね?

もしこれがみんなの記憶に残るんだったら、もう一つ覚えててほしいな――

にゃむちはAve{@nbs}Mujicaのドラマー――アモーリスでもあるってこと!


三角初華

(記憶が……少しずつ消えていく……)

(今まで残ってたあの子の記憶も、だんだん薄れていってる……)

(あの歌……あの歌……)

(大切な歌……)

(i say, you're mine... you're mine...)

(ほら すぐそこにいるのに)

(光……)

(まるで光みたい……)

(みんなを惹きつけて、温もりをくれて、輝かせてくれる……)

(それが……さきちゃんなんだね。)


ピアノの旋律と魂の叫びが、止まることなくリフレインする。

豊川祥子

……ごめんなさい。

わたくしは、これまで何度も皆さんを傷つけてきました。

それでも、今のわたくしは心から願っています。皆さんと――本当の皆さんと会うことを。

Ave{@nbs}Mujicaは運命共同体。皆さんの人生を預かっているのですから、わたくしも、人生をかけて皆さんをお守りします。

どうか……皆さん、お目覚めになって。

双月が空に浮かぶ真夜中、人形たちは目覚める。

豊川祥子

もう一度始めましょう……Ave{@nbs}Mujicaの世界を。