アテヌス復讐記ME-ST-1・幕間流れる川を越えて
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ヴィクトリアサルゴンミノスシエスタ
クルビアボリバルヴィクトリアサルゴンミノスシエスタ

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アテヌス復讐記 ME-ST-1・幕間

流れる川を越えて

ゆえにアガモンの最も優しき英雄にして、叙事詩の吟遊者たるケレセイラは、

己のリラを月桂樹の梢(こずえ)に掛けた。

そのリラは、ヒュムノイ高山にそびえる杉の木で出来ており、弦はアグネス平原の勇猛な駄獣の腸で作られていた。

それが鳴り響く時、英雄の国では万物が歌い、その歌は自由に彼方へと漂っていく。

そして今、ケレセイラはリラを月桂樹の傍らに掛けた。

「異郷の者が遠方よりやってきた。」彼女は小刀を固く握ると、そう口にした。

「我らの土地を踏みにじり、我らの故郷を焼き払い、遥か彼方まで流れゆく川までをも阻みし者ども……」

「奴らは、万物に対して、奴らのために歌えとすら命じるが――否!」

「この事実だけでも、我が臓腑は強く締め付けられるように感じる。」

「我がリラの音は、英雄の物語のためにこそ鳴り響くのだ!」

――『ケレセイラ記』より


興奮気味の声

「史料には確たる記載こそないものの、学界では一般的に、サルゴンがミノスに建造した三大移動都市の中で、パーディシャー・マラが最も愛したのはアテヌスだったと考えられている。」

「サルゴンとミノスの技術者は、この都市を移動式プラットフォーム上に移設するにあたり、多大な労力を費やして、どうにか『山に抱かれし花園』と名高きその美しい姿を残すことに成功した。」

「今日の観光客が、かつてマラが重視して残した峠からアテヌスに入ったのなら、そこで目にする山々と川の流れは、ケレセイラが初めてこの地を訪れた時と何一つ変わらぬものだろう。」

「これは筆者一押しのルートであり、読者諸君にもぜひ――」

癇癪を起こす声

うるさいな! そのくだらない本のせいで、僕たちがどんなにひどい道を歩かされてるか考えてもみろよ!

ミオ

おまけにこんな物まで運ばされてさ! 大きいし重たいし、面倒くさいったらありゃしない! それを僕たち二人だけで運ばなきゃならないなんて!

ティティ

きゃっ! やめて、叩かないでよ!

ここまで何日も歩きっぱなしで、ただでさえ腰も背中も痛くてしょうがないんだから。それに、喉だってカラカラだし……

ミオ

よくもそんなこと言えたな!

そもそも、お前が衝動的に使節団から離れて駆け回ってるのがいけないんだろ! 本当なら僕は、今頃アテヌスの花畑でフローラルリキュールを浴びるほど飲んでたはずなのに!

ティティ

別に私は、衝動的にこの道を選んだわけじゃないわよ。

前に話したでしょ? 子供の頃、父から聞かされた物語で、アグネス川の対岸にミノスという場所があると知って以来、私は……

というか、出発の時も言ったわよね。ミノスへの使節派遣なんて滅多にないチャンスだし、せっかくなら古道沿いに、ケレセイラの足跡を辿ってアテヌスへ向かうことで、歴史を追体験したいって――

ミオ

だからってこんな50キロもある荷物を持ち歩くことないだろ! 二人いたって、これを運んでるだけでクタクタじゃないか! こんなの過剰労働だよ!

ティティ

それを言うなら過重労働でしょ。

ミオ

どっちでもいいだろ、細かいことをぐちぐち言うな!

ティティ

わかったから、もう叩かないでってば。しょうがないでしょ、この荷物をほかの人に任せるのは不安だったんだから。

これはバルジャバンダバード博物館で一番貴重な収蔵品だし、サルゴンとミノス両国にとって極めて重要な文化財なのよ。私たちがはるばる遠くから来たのだって……

ミオ

それをミノス人に返還して、新時代における両国の友好を深めるため、だろ? 自分の任務はちゃんと覚えてたらしいな!

サルゴン使節団の長、メジェティクティ゠ナストゥ゠マーシャイェル殿! お前は迷子になったうえに、遅刻までしてるんだぞ! アテヌスの監督官と約束した面会時間はもう過ぎてるんだ!

ティティ

うっ……でも、使節団は通常のルートを通ってるから、今頃都市に着いてるはずよ。きっとベフヌイさんが、監督官さんに説明しておいてくれると思うわ。

ミオ

ベフヌイって……あの偉そうな貴族? お前本気で言ってるの?

あいつ、使節団での役目はお前の補佐だって聞かされた時、すごい目でお前を見てたけど? あれはお前に荷車五十台分の金塊を盗まれたみたいな顔だったね。

ティティ

そ、そんなはずないわ。ベフヌイさんはいい人よ。

私は博物館の館長になったばかりなのに、こんな重要な仕事を任されちゃったから、正直に言うと……とにかく、ベフヌイさんにはかなり助けてもらってるの。

ミオ

あーもう、好きにすれば。僕は観光目的でついてきただけだから。

ほら、早く行こう。じゃなきゃ本当に力尽きちゃうよ。

ティティ

はいはい。ほら、そんなこと言ってる間に着いたわよ。

前を見て――

ティティ

わぁ……!

ミオ

わぁ……!

ティティ

アテヌスの資料はたくさん読んできたけど、実際にここに立つと、やっぱり……

ミオ

花畑があんなにたくさん……フローラルリキュールにフラワーパイが待ってるぞ! 助かった!

ティティ

……

サルゴンと川を一つ隔てた先にある、多くの都市が連合し共存する地、ミノス。

そして、ミノス最初の都市であり、「山に抱かれし花園」と謳われるアテヌス。

サルゴンに広がる砂漠とはまったく異なる景色が、ティティの眼前に広がっている。史料の中でしか見たことのなかった移動都市が、その全貌を見せたのだ。

純白の高き壁。

緑豊かな野原。

美しく寄り添い合う山々と川。

そんな景色の中に、風変わりな造形をした神殿建築が点在しているのがひときわ目を引いた。英雄譚が伝説を潤す雨であるとすれば、こうしたものはその雨で成長する植物のようなものだろう。

名高き演劇や哲学、物語や伝説が、この土地でのびのびと育まれてきたことも、そして砂漠の砂すらそれを覆い隠すことはできなかったことも頷ける。

ミオ

ちょっと、なんで押すのさ?

まだ息もつけてないんだけど……

この数日、ティティは苛立つ獣主をなだめながらも、自分がこの長旅を落ち着いて過ごしているかのように見せようと努めてきた。

だがこの時、彼女はミオよりも気が急いていた。早く眼前の都市に入りたくてたまらなかったのだ。

ティティ

ねえ、下のほう、見える? アテヌスの都市に繋がる接続地点は渡し場になっていて、船でないと入れないようになってるのよ。

ほら、急いで急いで。


兄貴、手伝おうか?

川は凍り始めてるし、流氷まで見えてるのに……その櫂(かい)一本で進もうだなんて、大変だろ。

渡し守

座っていろ、イサコス。

だけど、このくらいの荷物、大した重さじゃないし、自分で歩いていけるよ。

渡し守

俺が送っていきたいのだ……お前のためにしてやれることは、そう多くはないからな。

思えば、お前が夢で神託を受け、俺たちが出会ってから、もう二年になるのか。

お前は移動都市から持ち出した技術を俺たちに教え、サルゴン人が見下ろすかの沼地へ共に村落を築き、水田を開墾し、寒さのもたらす災禍に立ち向かってくれた。

俺たちは共に暮らしてきた。家族としてな。

この二年の間、ずっと考えてたんだ。神託はなぜ、俺をこの地へ導いたんだろうと。

だが、今にしてわかったよ……サルゴン人はこの近くの川辺に現れるんだ。この沼地を抜けて、川沿いを行けば、最速で辿り着けるだろう。

渡し守

……そうか。

兄貴。遊撃隊は、サルゴン人に勝てると思うか?

俺たちは、百年以上も負け続けてきたけど。

渡し守

(うなずく)

俺は神託を受けてもいなければ、占いができるわけでもなく、お前と共にここを発つことすらもできぬ身だ。

それでも、俺にできることだけは約束しよう。

俺たちの村を、家を、田畑を、花畑を、守ってみせると。お前たちが勝利を得て戻った暁には、二人でお前の故郷であるアテヌスへ向かうこともできるだろう。

俺は渡し守の仕事を続ける。お前が話してくれたあの日から、俺はずっと思い描いてきたからな。日々デルフィ運河の朝日を眺めて船を漕ぎ、神殿へ働きに出るお前を送り届ける、そんな光景を……

……イサコス、聞いているのか?

兄貴……この冬のミノスは、ひどく冷えるな。

渡し守

(力を込めて櫂を漕ぐ)……


渡し守

……

渡し守は首を横に振る。あの時、イサコスがそんな言葉を口にした後、彼は何かを答えたはずだった。

だが、何と答えたのかは、何年経てども思い出すことはできなかった。

???

やっと来ましたね、クサントス先生。10分の遅刻ですよ。

クサントス

これまでは、一度も遅刻せずにいられていたんだがな、リュケイオン。脱いだ外套が見つかっていれば、こうはならなかったはずだ。

リュケイオン

私はただいつものお世話の延長として、脱ぎ捨てられた外套を畳んで預かっておいただけです。

先ほど岸辺で先生の外套を見かけた時は、昨日退勤時に不注意で落とされたのか、あるいは盗人に盗られた挙句、古さのあまり捨てられたのかと考えていましたが、朝から泳いでらっしゃるとは。

ですが、その予定を教えてくださらなかった以上、この件で私が責められるいわれはありません。

むしろ、言いたいことがあるのはこちらのほうですよ。勝手に泳ぎに行くなんて、医師のアドバイスに背く行為ですから。

クサントス

……お前には、いつも感謝している。長年に渡り、俺はお前に戦いの技と船頭の技術を教え、お前は俺の身の回りの世話をし、誠心誠意尽くしてくれた。

先ほどの言葉も、お前を責めたわけではない。単に今日は元々早めに退勤するつもりでいたので、遅刻が殊更に気にかかっただけだ。

リュケイオン

またそうやって話を逸らして……というか、まさか今日も退勤後に墓地へ行かれるおつもりですか? やはり、あの方に会いに……

クサントス

ああ。イサコス、俺の親友だ。

思えばあの別れが、そのまま永別となってしまった。当時のあいつも、お前と同じくらいの年齢だったものだ。

リュケイオン

こういった時は、何か慰めの言葉をかけるべきなのでしょうが、それは私の得意分野ではありませんね。

クサントス

……不得手なことなどしなくていい。大抵の場合それは、すべきではないことでもあるのだからな。

注力すべきことはほかにある。船を巡って、リンゴ農家と第一神殿の作業員たちがもう何日も争い合っているだろう。渡し場の管理人である俺に、何としても今日こそ決着をと迫ってきているほどだ。

第一発着場へ向かおう。今日は忙しくなりそうだ。

リュケイオン

お待ちください、クサントス先生。

先ほどリディア監督官の使いが来たのですが、曰く――先生には今日、この第二発着場に留まっていただき、故障した船の修理を「お願い」したいとのことです。

クサントス

アテヌス中で誰よりも「優先順位」という言葉を口にしているであろう彼女がそう言ったのか。ほかには何と?

リュケイオン

特に何も。

クサントス

……

リュケイオン、今日はサルゴンの使節団がやってくる日ではなかったか?

リュケイオン

……そのようですね。

クサントス

ふん……リディアはまだ俺の事情を覚えているようだな。感謝すべきか、憤るべきか。

だが、彼女はまず、俺の櫂から刃をすべて取り除くべきだろう。それどころか、いっそ「古巣」に戻ってきたサルゴンの使節たちと顔を合わせずに済むように、俺を牢獄に閉じ込めたほうがいい。

???

あの……すみません、対岸に渡していただくことはできますか?

ティティ

ほかの渡し場は相当混んでいるので、間に合いそうになくて。

クサントス

……


礼儀正しい女性

……つまり、何らかの理由で、そちらの大使の到着が遅れていらっしゃると?

派手な貴族

ご無礼を承知で申し上げますが、その通りです。

礼儀正しい女性

……

派手な貴族

申し訳ありません、リディア監督官。ミノスの景色は大変素晴らしいものですし、大使はまだ若年ですので、すべてが新鮮であるあまり、配慮を欠いてしまったのだと思います。

加えて先ほどもお話しした通り、サルゴン最古の家門の一角たるエンシパ家の当代の叙勲者であり、使節団の副使である私もまた、大使同様、サルゴンの代表者として行動する権利がございますので。

リディア

無論、あなたのことは信頼しております、ベフヌイさん。

ベフヌイ

ところで、アテヌス側はいつ儀式を執り行うおつもりですか?

リディア

儀式ですか?

ベフヌイ

はい、交換の儀のことです。

今年の初め、サルゴンとミノスは正式に国交を樹立しました。その交流の一環として、サルゴンに流出していた、ミノス建国の英雄、ケレセイラの遺品がアテヌスへ返還される運びになりました。

その代わり我々は、アテヌス、コリニア、ラケダイモンの三つの移動都市が建造された時代に、サルゴン人がこの地に残した技術資料を持ち帰るという約束です……どうかお忘れになりませんよう。

リディア

忘れるはずもございませんよ、副……大使さん。

五年前、ミノスの辺境にて、大規模な戦役がついに終結し、両国が正式に不可侵条約を結んだからこそ、私は今こうして監督官の執務室であなたとお会いできているのですから。そうでしょう?

ベフヌイ

ふん……

リディア

ただ、申し訳ないのですが、ここ数日は本当に多忙を極めておりまして。あなたも川沿いの広場を通られた際に、あの大規模工事の現場と、活気にあふれた職人たちをご覧になりましたよね?

ベフヌイ

ええ。

リディア

あれは第一神殿の再建工事なのですが、そこに現在、都市全体の五分の一ほどの人員を動員しているのです。

ベフヌイ

第一神殿……

リディア

先ほどご自身で口にされていた通り、ケレセイラはミノス建国の英雄です。ゆえに、その名が何を意味するかということも、あなたならおわかりになるでしょう。

遥か昔、ケレセイラは彼女に従った様々な種族の難民を連れ、戦争と疫病から彼らを救い出して、山に抱かれし花園へと住まわせました。

付き従う者たちは、ケレセイラと共に故郷となる場所を築き上げ、この国最初の神殿、すなわち第一神殿を建てたのです。ミノスの英雄の血脈というものは、そこに端を発しております。

そして、そこにアテヌスが生まれ、多くの都市が連合し共存するこの国が生み出されました。

ですが、元あった第一神殿は戦火で損壊してしまったため、今はアテヌスの民が自発的に再建を進めている次第です……この行動の意味はおわかりですね。

ベフヌイ

……ええ。

リディア

しかし……はぁ。その再建に必要な石材を採掘するため、アテヌスはこの高くそびえるヒュムノイ山にもう一週間も停泊しています。

その一方で、今はリンゴの収穫期ですので、本来なら新鮮なリンゴをすぐに渡し場から船で運び出さねばなりませんし、まだ熟していない果実には日を当てなければなりません。

都市を日当たりの良い場所へ移動させなければ、リンゴの品質に影響が出てしまうのです……渡し場に集まっていたリンゴ農家の人々をご覧になりましたよね?

ベフヌイ

ええ。

リディア

英雄を讃えんとする民にも、収穫を案じるリンゴ農家にも、然るべき理解と対応が必要です。またご存じの通り、ミノスの行政体制では、私のような監督官には実のところ大した権限はなく……

何をするにも、神殿祭司たちの同意が必要です。

つまるところ、私は今、本当に手が回らない状態にあるのです。

ベフヌイ

先延ばしにする理由を見つけるのがお上手ですね。

リディア

失礼ながら、誤解です、ベフヌイさん。

私も、大使と同じ若者ですので……中核国家がいずれも積極的に変化を求めて動き出している今、我々のような小国も、急いで時代に追いつかねばと思っております。

ケレセイラの遺品とミノス三都市の建築資料の交換については、この半年の間、要人たちが交渉を続けてきました。

その成果たる交換が私の任期中に果たされ、長き歳月の果てにようやく、サルゴンとミノスが和解に至れるというのなら、私は喜んで尽力いたします。

ベフヌイ

ハッ、それが上手くいけばいいのですが。

リディア

では、何はともあれ、まずは使節団の皆様に、市内を自由に散策していただくのはいかがでしょう。アテヌスの魅力あふれる眺めを前にすれば、賓客たる皆様にもご満足いただけるかと存じます。

せっかくですので、第一神殿の再建現場もご覧になってください。皆様はケレセイラの遺品をお返しくださるわけですし、これも何かのご縁でしょう。

時に、我らミノス人は演劇と哲学を愛する民ですので、緻密な構成と推敲を楽しむ一方で、予期せぬサプライズをも大切にするものです。

ゆえに、交換自体につきましては、どうか数日お待ちください。こちらで盛大な儀式の手配をしておきましょう。

本来は、ミノスの伝統として、重要な行事はいずれも、祭司が主導する一幕の劇より始め、万事順調に進むようにと英雄たちの庇護を請う決まりとなっています。

ですが、祭司たちの負担を軽減し、手続きを簡略化すべく、アテヌスには二年前、この監督官という職が新たに設けられました。ゆえに私にも一定の裁量はあり、予め部下に準備をさせております。

儀式の準備が整うまでの間は、観光をお楽しみいただけるよう、私の信頼の置ける助手兼書記官に手配させましょう。何かありましたら、彼に申し付けてください……ヘカデモス!

ヘカデモス

ここに。

ミノスの無名の若輩者にして、轟くメガホンたるヘカデモスが、喜んでお仕えいたしましょう……勤務時間内だけですが。

ベフヌイ

ははっ。こんな色男に来てもらう必要はありませんよ。

ヘカデモス

……

ベフヌイ

ああ、失礼。私は長旅で疲れているので、ホテルに戻ってそちらの儀式の用意が整うまで待つつもりです、と言いたかったのです。

再建現場の見学につきましても、興味深くはありますが私は結構です。しかし、我が国の熱意溢れる大使であれば、彼女は博物館の学芸員でもありますので、関心を持つかと思います。

リディア

わかりました。では、ヘカデモスはメジェティクティ大使の元へ向かわせることにします。

ベフヌイ

それでは、あなたの「サプライズ」を楽しみにしていましょう、リディア監督官。

ただし――意図的な時間稼ぎをされている、あるいはそちらに別の思惑があると判明することがあれば、こちらもそれなりの対処をさせていただきますよ。

リディア

それは、お互いに言えることではないかと思いますが。

ベフヌイ

……

リディア

窓の外をご覧ください。今はちょうど、デルフィ運河の朝霧が晴れたところです。この静けさは得難いものに思います……此度のことに、我々の双方が、誠意をもって向き合えるといいですね。

それにしても、今日メジェティクティ大使にお目にかかれなかったことは本当に残念です。資料を見るに非常に若く、有能であるようですが、その上自由奔放とは……一体どんな方なのでしょう?


ティティ

うっ……

ミオ

ちょっと……しっかりしなよ、まだ片足を船べりに乗せただけじゃないか。

ティティ

(小声)だって船が揺れてるんだもの……!

ミオ

そんなの当然だろ。

っていうか、マックスD.C.の学校にいた頃に、自分から進んでヨットサークルに入ったとか言ってなかった?

ティティ

(小声)専攻してたコースの授業が忙しくて、古書修復室と発掘調査の現場を行き来してばかりの毎日だったから、け、結局、二回しか行ってないの。

クサントス

クルビア出身だったのか。服装を見て、てっきり……

リュケイオン

クサントス先生。

クサントス

ん?

リュケイオン

このお嬢さん、船酔いをしています。

クサントス

珍しいな。

ティティ

あ、いえ、その、長旅で足が疲れちゃって、足元がふらふらしただけで……

リュケイオン

どうしますか?

クサントス

お前は客人方の荷物を船に運んでくれ。俺は少し、取ってきたいものがある。

そちらのお嬢さんは、船室の奥に座っていてくれ。今日は波が穏やかだから、船の航行も安定するだろう。デルフィ運河は善良な客人すべてを温かく迎えてくれる場所だ。

彼女を向こうへ渡し終えたら、第一発着場へ向かい、サルゴンの大使に会いに行くとしよう……リディア監督官の好意を無駄にはできないからな。

リュケイオン

私もご一緒します。先生をしっかり見張っておかなければなりませんので。

クサントス

……その前に、まずは客人の荷物を運んでくれ。

ティティ

……全然話を聞いてもらえなかったわ。

ミオ

(小声)そんなこと言ってる場合か! こいつらどう見てもサルゴンに恨みがある人間だぞ!

(小声)今からでもクルビア国籍になっておけ! いいか、絶対に――

ティティ

すみません、ご面倒をおかけしますが、荷物を運ぶときは気を付けていただけますか。とても大事なものなので。

ミオ

おい――お前――はぁ、とにかく船に乗ってからだな。


クサントス

随分重い荷物だが、これは?

ティティ

それは……

ミオ

うちの商品さ。ランクウッドから運んできた映画のキャラクターのフィギュアで、新作映画『ミズ・デュポン』のキャラだっている。こっちで転売しようと思ってね。

クサントス

アテヌスには映画館など一つもないが。

ミオ

だからこそさ。デキるセールスマンは、裸足の人がいる場所にこそ靴を売りに行くものだからね。

ティティ

あの、渡し守さん。あなたはさっき、「デルフィ運河は善良な客人すべてを温かく迎えてくれる」と仰ってましたよね?

クサントス

(うなずく)

かつてのデルフィ川はヒュムノイ山より湧き出でて、ミノスの山間にある平原を横切り、まだ移動都市ではなかった頃のアテヌスとコリニアへと流れていた……

また、我らの戦士がサルゴンの賊どもによる蹂躙を防ぐうえで、手助けとなってくれた川でもある。

そして、こうして運河として作り変えられたあとも、歌と討論を愛する同胞と、ミノスの文化を養い続けてくれているのだ。

たしかに、デルフィ運河は善良な客人すべてを温かく迎えてくれる……だが、サルゴン人だけは例外だ。

ティティ

ですが、サルゴン人の中にも、ミノスの文化を理解し、心から愛する人もいるかもしれませんよ。

クサントス

……

昔、我こそがその理解と愛を持つ者だと名乗るサルゴン人がいた。それは諸王の王の妹であり、「対岸の女王」とも呼ばれたパーディシャー・マラだ。

奴は、主要三都市を除くミノスの都市すべてを焼き払い、神殿を閉鎖し、演劇を禁じ、サルゴン人をミノスへ移住させ、あらゆる面からミノスをサルゴンに同化させようとした。

マラはミノスを最たる暗黒時代へと導いたのだ。奴の言う「理解と愛」というのは、ミノス人の身体に流れる英雄の血を徹底的に排除することだった。

そして今、再び遠路はるばるやってきたという例の使節とやらも、実のところはミノスで功績を立て、新たな「対岸の女王」にならんとする恥知らずの貴族なのではないか?

ティティ

まずは話を聞いて――

きゃっ、この船どうしてまた揺れ出したの……!?

ティティ

うっ――

う、ううっ……おえっ……

た、助けて……

ミオ

やれやれ……

リュケイオン

ふうむ……

クサントス

もうこの話はよそう。それより、このリンゴを食べるといい。少しは胃の腑が楽になるだろう。

リュケイオン

なるほど、先ほど取りに行っていたのはリンゴだったのですね。

ティティ

あ、ありがとうございます。

クサントス

いい。それより、目は閉じていろ。水面を見ないほうが楽になるはずだ。

ティティ

いえ、大丈夫です。私、どうしても見ていたいので。

ティティは船べりに横たわった。そうして、不快感をこらえながらもどうにか目を開く。

太陽はすでに真上まで昇っており、デルフィ運河の朝霧はすっかり晴れていた。吹き抜ける風が、朝霧の残した一抹の冷気を彼女の頬へと運んでくる。

ティティ

渡し守さん。復讐の刃と征服者の首が、ミノス演劇でよく用いられる主題の一つであることは知っています。

ですが私は、ミノスの戯曲の中に、それより示唆に富んだ表現をたくさん見てきました。

クサントス

……

ティティ

だから、その一つ一つをきちんと見ておきたいと思うんです。

そもそも、私がアテヌスへ来たのは――

クサントス

……? なぜそこで口を閉ざす?

ティティ

いえ、それより前を見てください……

今は散々な気分ですけど、それでも……

この川も、この都市も……本当に美しいと感じます。

私、きっとここが好きになると思うんです。

クサントス

であれば……俺にとっても、それは喜ばしいことだ。


クサントス

岸に着いたぞ。

あなたのミノスでの旅が、楽しく平穏なものになることを祈っている。