辞歳行TA-5・戦闘前双飛燕
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ウルサス極東炎カジミエーシュリターニアヴィクトリアカズデルシラクーザレム・ビリトン
ウルサス極東炎リターニアカズデルシラクーザレム・ビリトン

名前

辞歳行 TA-5・戦闘前

双飛燕

962年

陛下……我らがお供できるのはここまでです。

この扉の奥の部屋に進めるのは、炎国で、陛下ただお一人でございます。

三公ともそこまで恐れることはあるまい。たかが扉一枚に過ぎぬ。

陛下、この扉の奥にあるものこそ炎国の秘中の秘。我が国が擁する最も強大な権柄にございます……

……そうか。

齢十七の真龍は最後の階段を下りきる。

そこで振り返り、元の場所で恭しく畏まっている三公を一瞥し、気づかれない程度に唇を曲げると、大したことではないと言わんばかりに堂々と扉を押し開けた。

彼はその扉の奥に何があるのか聞いたことがあった。この国で千年にわたり語り継がれてきた数多の伝説と故事を――

「地は万民を澤(うるお)し、此の奇石を賜う。天は炎祚(そ)を祐(たす)け、孽(げつ)歳を誅するを得。」

炎国千年の繁栄はこれの上に成り立つと言う者もいれば、真龍の権柄はこれを借りたものに過ぎぬと言う者もいた。

しかし、ここ数百年でその姿を見た者はいない。

即位したての真龍はやや興奮気味に、指先を微かに震わせていた。

炎国の土地に存在するあらゆるものが、炎国の興隆と強盛のために彼の指揮に従うことになる――

……ましてやたかがちっぽけな結晶一つだ。

そして、彼は扉を押し開けた。

野心に満ちた彼といえども、目の前に広がる巨大な空間と身が竦むほどの光に思わず足を止めた。

扉の奥にあるのは、最初の源石に人の手が加えられた創造物であった。数を明らかにすることもできぬほど多くの天師が千年以上にわたり源石に制限と導きを重ね続けてきたのだ。

既に百灶を都とし、幽谷を発(ひら)き、歳陵を治め、歳躯を徙(うつ)し、災炁(き)をもって歳識を鎮め、歳を鎮むれば災炁竭(つ)くなり。帝なお自ら安んぜず、天師府に策を問い、以て永寧を図る。

期年して術を得、災炁を鍛錬し、以て斧鉞(ふえつ)と為す。唯災炁は凶戻(きょうれい)にして、天師百人、身を殉(おと)すを引と為すを須(もち)い、次いで甲兵万員、形を滅して刃と為さば、当に之を誅すべし。苟(いやしく)も全功を建てんとせば、百灶免れず。

帝曰く、「民を残(そこ)ないて以て逞しくするは、君子の屑(いさぎよ)しとせざるなり、況んや我においてをや! 人の殉ずるを引と為すは、我一人にて可なり。躯を捐(す)てて刃と為すは、其れ我が後昆(こうこん)を俟(ま)つのみ、また何ぞ人に諸(これ)を求めんや!」

年を逾(こ)え、真龍身を以て殉じ、術乃ち成る。皇太子涕泣して、之を「不反」と名づく。

真龍

……不反、不返。

祖先は自らの命を懸けて、殉死の代償を当代真龍ただ一人の身に託す道筋をつけた。そのため、後世の真龍は自らの身と引き換えに、この源石の比類なき権能を発動できるようになった。

この目で見に来なければ、これほど巨大な物とは知る由もなかったな……

だが炎国そのもの、果ては炎国の未来と比べれば、ちっぽけな結晶に過ぎぬ。

この奇物が手にあるのであれば、炎国は本来より多くのことを成せたはずだ。

この数百年、眠りから覚めぬ凶獣を鎮圧するため、我らは一体どれほどの代価を払ってきた? その代価はまた、使い方を転じればどれだけ軍隊を前進させ、機械を轟かせるに足るものだったのだ?

かくも凡愚な結果しか出せぬことに……耐えられるはずもない。

真龍は巨大な装置の前にしばらく立ち尽くした。今や灼熱の光にも慣れ、それどころか……退屈すら覚え始めていた。

彼は三公が先ほど見せた恭しい表情を思い出して可笑しく思った。また、このあと扉の外に立っている彼らの怯懦を、礼を失することなく嘲るには如何にすべきかを考えた。

そんなことを考えている内に、彼はふとあの「掟」を思い出した。三公を外に締め出し、真龍をひとり目の前の巨大構造物と対面させたあの「掟」を。

この装置と、己の命とを固く結びつけた掟。

彼は失笑した。

……真龍が天下の権柄を握るにあたり、このような結晶ごときに頼らねばならぬと、誰が言った?


真龍

……私は政事を行い始めたばかりで、思い及ばぬことも多い。当面は三公の力を借りることになる。

そこで教えてほしい。我が炎国は数百年に亘り繁栄を極め、国は太平、民は安泰であった。ではなぜ、今なお兵を挙げ、乱を起こす者がいるのか?

いまだ炎国の恵沢が行き届かぬ土地があるからか、それとも真龍に服さぬ逆賊の民がいるからか?

場が静まり返る。

真龍

誰も答えぬのなら、私が自ら決断する他あるまい。

恵沢を遍く行き渡らせ、衣食に困る者が一人たりとも存在しない国にせねばならぬ。天威をもって教化し、炎国から不臣の心を持つ者をなくさねばならぬ。

ゆえにこそ、北方の逆賊を討伐して、百灶は移動都市へと改築するのだ。この二つ、いずれも遅れは許されぬことと心得よ。

どう叶えるか、財源、食料、人手の調整については、各位が戻り次第、六部を招集して協議せよ。月末までに結論を出すことだ。

本日はここまでとする。

帳の向こうにいる三名は声を揃えて拝命し、一礼すると、退出していった。

それからほどなくして。

真龍

おお、来たか。

ウァン

……陛下に拝謁いたします。

真龍

炎国には十二の「奇才」がおり、我が国のために多大な功を立ててきたと、以前から耳にしていてな。長らく興味深く思っていた。

そこで司歳台の資料にも目を通したのだが、面白いことに気がついたのだ。

戦功を請う報告書にも、不審な記録にも。

お前の名が、最も多く挙がっていることにな。

ウァン

……

真龍

ふっ。だがこうして見ると、お前の姿も、噂ほど恐ろしいものではないようだ。

ウァン

私を呼ばれた用向きはなんでしょうか?

真龍

お前こそが、炎国で最も策謀と判断に長けた者だとよく耳にする。

そこで、お前に策を献じてもらいたい。今の炎国が直面する二つの難事は如何にするべきかを。

ウァン

北方の反乱は大患とは言えません。逆賊は現地で名声を享受しているに過ぎず、勢力を広げるにはあたわず。とはいえ、基盤を固めるのを見過ごすべきではないでしょう。

これに対処するのであれば、五万の兵に、半年分の糧秣を持たせれば、一度の戦にて目論見は達せます。

真龍

兵部の見積もりより、随分と楽観的な見立てだな……だがこの件に関しては、私はお前の判断を信じるべきだと思う。

いいだろう。もう一つの件は?

ウァン

百灶を移動都市に作り変える件については……工部の検証では、理論的な実現可能性はあるという結果が出たようですから、残る問題は財源と食料、物資、そして……

……百灶の下の歳の陵墓です。

真龍

ああ……お前も承知の通り、問題の在り処はそこだ。

今日お前を召喚したのは、この件のためだ。

お前は如何にして「歳を除く」つもりか?

ウァン

……

司歳台の資料を熟読した陛下であれば、知らぬはずがない……「我ら」は元来、歳獣と一つであり、あれと存亡を共にしています。

つまり陛下は、如何にして「我ら」を殺すつもりなのかと問いたいのですか?

真龍

炎国が気にかけるのは、かの唯一無二の「歳」だけだ。

ウァン

……

数百年前の討伐のために炎国が払った代償は、陛下もご存知のはずです。

どうしても強硬な手段で歳獣を滅ぼそうと思うなら、軍の七割、民の一割、さらに今後五十年続く動乱。それがこの一戦のために炎国が払う代償となりましょう。

真龍

それが真ならば、炎国にはお前たち十二人のための活路を考える余力などなおさら残らぬであろうな。

ウァン

……

代理人は顔を上げ、帳の向こうから注がれる視線を受け止めた。

真龍

私は、炎国を千年苛み続ける長患いを除くためであれば、如何なる代償をも恐れぬ。

歳獣を滅し、それまで歳を鎮めるために用いられてきた莫大なエネルギーを存分に活用する。百を超える都市を築き、万余りの戦艦を作り、再び炎国千年の隆盛を極めるのだ。

惜しいな。お前たちの過去の功績を思えば、その繁栄の未来図の中に、十二人の席があることを期待していたのだが。

ウァン

……

もしも陛下が、功を焦って無策のまま突き進むのではなく、本当に歳獣の問題を現実的に解決したいとお考えなのであれば……

……まだ手段はあるやもしれません。

真龍

……ほう?

ウァン

我ら十二人は元来歳獣と一つ。あれが目覚めるか、あるいは滅びれば、諸共に消え去ります。

しかし私が……取って代わることができるかもしれません。

真龍

……

勝算は如何ほどだ?

ウァン

少なくとも今はまだ、時間が必要です……

少年は帳の向こうで、殿外の庭園を指差した。

真龍

あの銀杏の木を見よ。今年の春に植えたばかりのものだ。

数日前、工部尚書はここで、あの銀杏が実を結ぶ前に百灶を移動都市に作り変えるという誓いを示すために軍令状を立てた。

およそ二十年だ……お前にも二十年の時間をやろう。

ウァン

……それではあまりに時が足りません。

真龍

お前と駆け引きをするつもりはない。

無限にも等しい寿命を持つがゆえに、お前たちは傲り、忘れてしまったのだろう。尋常の人の一生に、一体いくつの二十年があるのかを。

炎国は待てぬ。私もそれ以上待つ気はない。


ジエ

あなたが新しく来た持燭人さんですか? いつの間にか、随分時間が経っていたんですね。

前の持燭人さんももう……

寡黙な持燭人

先輩は先月に職を辞して故郷へ戻った。彼女から、「私のことはあまり心配なさらないでください」との伝言を預かっている。

今後は、私が君と司歳台との連絡を引き受ける。

ジエ

それなら、前もって労いの言葉をかけておかねばいけませんね。

他の持燭人は、あちこち放浪する兄弟姉妹たちをどう追いかけるかに頭を悩ませるものですが、私の持燭人は……

毎日この書斎に閉じこもって、書類や原稿整理の手伝いばかりなんです。持燭人というよりは、助手みたいなものですね。

寡黙な持燭人

構わない。読書や書き物は私の性にも合う、この仕事はまさに天職だ。

ジエ

それは何よりです。

ところで、お名前は?

寡黙な持燭人

椿(チュエン)と言う。

ジエ

「椿」?

「八千歳を以て春と為し、八千歳を以て秋と為す」。興味深いですね。あなたに名をつけた方は、偉大な理想家と言うべきでしょうか、それとも思慮深く慎重な方と言うべきでしょうか……

待って、あなたは……

……エルフですか?

チュエン

そうだ。

ジエ

その姿を見るに、恐らくは……衍獣のエルフですね?

衍獣とそのエルフは元々陰陽五行の道に通じています。五行を四季に帰すれば、春は木に属し、木と春が一字となることで、繁栄を強調し、また長寿の象徴ともなる……納得です。

チュエン

その話と同じことを、子供の頃に母に聞かされた。もう知っている人はいないと思っていたが……

ジエ

史書を編纂する仕事をしていると、毎日こうしたものと付き合うことになりますからね。

今日は初日ですから、簡単なことから始めていきましょう。まずは環境に慣れてください。この書斎にある書物や文章は、好きに読んで構いませんよ。

持燭人は慎重に部屋を見渡し、壁一面に並ぶ書簡と本へゆっくりと視線を走らせた。その目には、抑えきれない熱がこもっていた。

チュエン

この部屋にある原稿は……すべて君が書いたのか?

ジエ

いえ……私が集めた資料に過ぎません。執筆は、太史閣の史官たちの仕事です。

何せ……

チュエン

史書の編纂は、難しい仕事だから?

ジエ

責任が重いと言うべきでしょうね。

史書の一冊一冊が、人々の過去に対する認識を作り上げます。だけど、たった数行の文字では、人々に歴史の全貌を見せるには到底足りません。

どの出来事を取り上げて後世に残すか、後の人々にどのような経験や教訓を汲み取らせるのか……すべてに取捨選択が必要です。

「筆を秉りて直書す」。こうして口で言うのは簡単ですけど、とても奥深く、難しい学問なんですよ。

チュエン

では……もし史書に誤りがある時は、どうすればいい?

ジエ

当然、改めるべきです。

筆を執る者が如何に公正を期しても、歴史とは常に書き手の立場によって形が歪んでしまうものですから。

私にしても、他の者より少し長生きで、少し多様なことを覚えているから、より多くの問題に気づけるだけなんです。

チュエン

他の者より……確かにな。君たち代理人は一般的な長命者とは異なる。着任の前に、君たちは全員何らかの「権能」を持っていると聞いた。

君はその権能を使って、史書の誤りを正すつもりなのか?

それに、不思議な書刀を持っているとも聞いた……歴史を修正する際には、その書刀を使うのか?

ジエ

そのように使うこともできます。だけど、そのように使うべきではありません。

チュエン

……え?

ジエ

代々受け継がれた誤りは、人の心に深く根を下ろしてしまいます。これを正すには議論を重ね、正解を提示して、その過程で新たな共通認識を形成するべきで、単に削除するだけではいけないんです。

自分で文章を綴っていて、字を書き間違えた時に、書刀で削ぐ程度なら構いませんよ。それは単なる個人の話ですから。

ですが、すでに出版された書籍の文字となってしまうと、何千何万という人々の記憶がそこに関わってきます。

そして歴史の場合は……私がどこまで修正できるかはさておき、歴史の修正は炎国にとっても、私自身にとっても、決して良いことにはなりえません。

はっきり言わせてもらうなら、私は歴史が改ざんされないよう担保するだけで、くたくたになるくらい神経を使っているんです。勝手に修正する余力なんてありませんよ。

チュエン

そうか……

ジエ

どうやら、あなたにも書刀で修正したいものがあるみたいですね?

チュエン

え!? 私は――

私は……

母を亡くしているんだが、亡くなる前に衍獣のエルフは、もう私一人だけかもしれないと言われた。

ジエ

……

チュエン

母は……私に身を寄せられる場所を見つけてほしいと言っていた。

それから、私は何年も旅をしてきた。人々の中に溶け込もうと様々な方法を試したが、どれも失敗に終わった。炎国は私を――

ジエ

炎国があなたを受け入れることを拒んだのは……衍獣のエルフが大討伐の記録においては「移り気で、悪意を秘めし者」と書かれていたからですね。

チュエン

でも、事実は決してそうではない……

衍獣が生存のために炎国と敵対したことは、否定できない事実だ。

でも当時のエルフは相生相剋の理の中で、争いの調停に力を尽くしていただけだ。結果として双方の敵となり、やがて……ほとんどが戦場で命を落とし、その行いも記録には残らなかった。

ジエ

だから、その歴史を書き換えたいと思っているのですか?

チュエン

……そういう考えが全くないとは言えない。だけど、君の持燭人となったからには、まず果たすべきはその他のことではなく、自分の職務だ。

ジエ

……残念ですが、書刀に触れさせることはありません。歴史の修正に使わせることもありません。

チュエン

……うん、分かったよ。私が軽率だった――

ジエ

だけどもし、私たちが本当に、当時のエルフたちの行為に悪意がなかったことを示す証拠を揃えられるなら、私は全力で誤った記述を修正することに協力しましょう。正しいやり方でね。

チュエン

え?

ジエ

ちょうどこのところ仕事も落ち着いてきましたし、まずは、あなたが暮らしていた地域を訪ねてみましょうか?

チュエン

それは……私はまだ着任したてだし、真実を話してるとも限らないのに、そんな――

ジエ

あなたが文字や歴史に対して真摯な情熱を持っていることは、見れば分かりますよ。それに……史書の編纂に携わる私があなたを信じないのなら、誰が信じると言うんですか?

チュエン

う……うん!

ジエ

では、これを。この書斎の鍵です。今日からあなたが私の持燭人なんですから、鍵の管理はお願いしますね。

チュエン

鍵を私に預けてしまったら、君はどうやって部屋に入るつもりだ。

ジエ

自分の部屋に戻るのに、鍵が必要な主人がいるわけないでしょう?

965年

大理寺役人

何だと? 建てたばかりの決院を、もう……?

工部役人

心配するな。取り壊して建て直すわけではない。土木天師を大勢呼び寄せてあるから、君たちの大理寺を必ずやそのままの形で移動区画に移すさ。

大理寺役人

しかし、直接移動区画の上に建てれば、予算も随分浮くのではないか?


貪欲な店主

聞くところによれば、この「移動都市」とやらに、朝廷は随分と心血を注いでいるとか。きっと我々民間人にも協力を求めたいのではないでしょうか。

疲弊した役人

迂遠な言い方はよしなさい。望みはなんです。仰ってください。

貪欲な店主

うちには紅木の椅子に、烏木の食卓、勾呉から取り寄せた食器、丹燕から取り寄せた吊り照明と、安物は一つもありません。

これが取り寄せた当時の見積書です。もしぶつけて壊したりでもしたら、どうなることやら……

疲弊した役人

はいはい。書かれたとおりに弁償すればいいのでしょう?


困惑する衛兵

そうなんです。囚人は全員移送済みです。

……この前の指示は大理寺からで、今回の指示は刑部からのものですって?

事情は理解しましたが、いないものを移送もできないでしょう。

そんなの知ったことじゃない? 雇った駄獣車がもうすぐ着く?


ジエ

尚書様がいらっしゃるとは知らず、出迎えもせずにごめんなさい。

尚書様が直々に天鏡閣を訪れたことはこれまでありませんし、何か大事なご用件があるのですよね?

工部尚書

ジエさん、時間がありませんので、率直に申し上げます……今年提出された書類に、一か所誤りがあり、ジエさんに訂正していただきたいのです。

ジエ

私が確認した資料に誤りが? それはぜひ、尚書様にご教示いただきたいものですね。

工部尚書

今年、丹燕の馳道を直す際に出た犠牲者の人数についてです。工部が提出した資料には、百余人とありますが、なぜそれが書類では三千余人となっているのでしょうか?

ジエ

あの書類は、特定の資料だけを参考に書いているわけではありません。三千余人という数字は、工部、戸部の資料に加え、現地の官署の資料を突き合わせて出した結果です。

こうした記述はどれも出典があります。尚書様がお疑いでしたら、こちらに確認用の控えもありますよ。

私は工部の業務に口を挟む権利は持ちませんが、丹燕では「三千余人」と記録されているものが、百灶では「百余人」となる理由もわかりません。

尚書様が天鏡閣で審査済みの書類に疑義を呈されるのであれば、十分な証拠を示していただく必要があります。

工部尚書

コホン……ジエさん、丹燕は百灶ほど人手に余裕がないため、統計作業の多くがうまく進んでいないのではないかと考えております。

それに、あそこは気候も寒冷で、冬季には疫病も多く、凍傷も珍しくありません。この三千人も、みな馳道の修繕業務で亡くなったとは限らないでしょう……

ジエ

なるほど。尚書様は内閣に申し開きをするために、私に資料を修正するよう望んでいるのですね。

工部尚書

これは内閣ではなく、炎国に対する申し開きです。

ご存知の通り、今年は炎国各地で工事が進められています。国力への影響が大きいとはいえ、これは国と民のためになる事業です。

これほど見栄えの悪い数字を出せば、民心を離散させ、士気を削ぐことになる。そう考えているのは私だけではないのです。

ジエ

今日行われている様々な政策が国に利することは否定しません。だからこそ、馳道を修繕する際に犠牲となった三千余人もまた、同じく国に身を捧げた者たちです。三千を百とすることは、過ぎた冒涜でしょう。

資料に誤りがあると証明されない限り、私の手を経た文字を改めることは断じてありません。これに異議のある者がいれば、直接私に話すようお伝えください。

工部尚書

今は移動都市の建設がとりわけ忙しく、上も下も心を一つにし、一致団結すべき時です。朝廷の上下を問わず、誰もが全力を尽くし、それぞれが苦労を抱えています……

にもかかわらず、太史閣と天鏡閣だけは、近頃やけに皮肉を極めた文章が多く、まるで明日にも移動都市の建設中止を望んでいるかのようだ。

ジエ

果たして文章を書く者の胸に一物があるのか、それとも読む者が疚しさを抱えているのか、どちらなのでしょうね?

工部尚書

あなたね……!

ご存知ないのですか? 朝廷はすでにすべての死傷者に対して、補償も弔慰金も十分に支給しており、それを惜しんだことはありません!

ジエ

その点は私が審査した書類にも記載があります。犠牲者とその遺族への手厚い弔慰金からは、朝廷の民を愛する心が窺い知れるでしょう。

工部尚書

であれば、たかが数字に過ぎぬものに、なぜそうも固執するのですか!?

ジエ

尚書様が炎国のことを思っているのは知っていますが、このままいけば、人々が「見栄えのする功績」ばかりに目を奪われ、「見苦しい人々」に目を向けなくなるのではないかと心配です。

ですから、私にできることは、この目で見た歴史を、寸分違わず記録させることだけです。

工部尚書

この炎国の歴史は、あなたの一言で決まるということですか?

ジエ

……

歴史とは今までもこれからも誰かの一言ではなく、万人の声なき言です。

尚書様には万民のために福祉を謀る才学がありますが、私はただ声を上げられない人々に代わって、見える形で文字を残そうとしているだけです。

どうか尚書様、ご自分の胸に手を当て、民に代わってお答えください……

今年の丹燕の馳道修繕で出た犠牲者の数は、果たして百でしょうか……それとも三千でしょうか?

工部尚書

はぁ……


ジュン

こちらの庭園に入った途端に、工部尚書が怒り心頭で出ていくのが見えましたよ……例の丹燕の件ですか?

ジエ

ジュン姉さんもその件で忠告に来たんですか?

ふっ、まさかあの人たち、姉さんまで説得に寄越すなんて……もしかして今夢を見ているのは私の方で、目を覚ましているのは陵墓の歳なのでしょうか?

ジュン

棘があること。近頃はいつもこうなのですか。

ジエ

……

ジュン

本日は衍獣のエルフの冤罪の件、司歳台と刑部の双方で承認が下りたことを伝えに来ました。

ジエ

それは……

さっきは気が立っていて。ごめんなさい、気にしないでくださいジュン姉さん。

ジュン

気にしません。

ジエ

久しぶりの吉報ですね。これで、チュエンの心のわだかまりも少しは解けるでしょうか。

ジュン

司歳台との関係がこじれるのは好ましくありませんが、持燭人と親しくしすぎるのも、司歳台の望むところではないでしょう。

ジエ

分かっています。ですがあの子が来てからの数年、史書編纂の仕事をとてもよく手伝ってくれていて……明らかにこの仕事が好きなんですよ。

どうも、あの子は自ら進んで持燭人になったというよりも、孤立していたところに、誰かが手を差し伸べてきて、仕方なく引き受けたんじゃないかって思ってしまうんですよね……

まあ、それはそれとして。いずれにせよ、冤罪が晴れたのは喜ばしいことですね。

ジュン

とはいえ時期が時期です。今承認を寄越したということは彼らもこれと引き換えに、書類修正の件であなたが手を緩め、最終的にお互い一歩譲り合うことを期待しているでしょう。

私もこの件がすでに三公や真龍の耳に入っているため、事の是非と曲直を確かめに来ただけです。誰かの代わりに説得に来たわけではありません。

ジエ

……姉さん。さっきの話は、本当に墓の中のあいつが癇癪を起こしたとでも思ってください。

ジュン

家族の中で、あれを使ってそのような軽口を叩くのはあなたくらいのものです。

ジエ

リィン姉さんの口は美しいものを描き出しますし、ジュン姉さんの言葉には絶対的な重みがありますから、私なんて毒舌を吐くくらいしかできないんですよ。

ジュン

ですが今回の件、朝廷の者たちにも本人なりの苦悩があることは確かです。

この時期に、三千という数字が出れば、移動都市の建設に影を落とし、炎国各地に予測できぬ悪影響を及ぼしかねません。

ジエ

ジュン姉さんが罪を裁いていた頃、誰かが数字の改ざんをすることを許しましたか?

ジュン

数字の改ざんは当然ながら罪を構成します。ですがもし事に及んだ理由があり、私利私欲のためでないのなら、処罰を下すにあたっても、情状の酌量は行うでしょう。

ジエ

それは少し意外ですね。

ジュン

私は経史を治めず、あなたは訟獄を断じず。専門分野が異なるだけのこと。

ジエ

罪を裁く場合は情状を勘案しても良いでしょうが……歴史の記述となれば話は別です。

私が歴史や文字を学ぼうと考えたのは結局のところ、そこから「人の心」のありのままを理解したかったから。

文字の背後にある真意、史料の背後にある真実には、ひょっとしたら私の心の中の迷いに対する答えが隠されているのではないかと……

炎国のためでも、この大地のためでもない。まして家族のためでもなく……ただ私自身の迷いのために――

チュエン

ジエ、ジエ!

ジエ

チュエン、どうしたんですか? まだあなたに話す準備が――

チュエン

えっ……話すって何のこと?

ジエ

いえ、それは置いておいて……慌ててどうしたんですか?

チュエン

さっき君から書斎にある原稿を取ってきてほしいと言われたが、部屋に入ったら、誰かが侵入した形跡があったんだ!

机の上の書刀がなくなっていた!

ジエ

……