淬火煙塵 11-14・戦闘後
相まみえる時
これが……
巨大な扉が地下空間の中に横たわっていた。その場にいる者たちの息遣い以外の音は何一つ聞こえない。
当然、死とは静寂なものである。どれだけ輝かしい王権も、それを変えることはできない。
……諸王の眠る地。字面通りに理解するなら……王たちの墓か。
何か聞こえたか?
何も。私たちの呼吸音以外にはな。
……
間違いなく、なんらかの声がこの空間でこだましている。
これは、夢から覚めた時の呟きだろうか、それとも疲れ果てた時の呻き声だろうか?
彼らはこちらを見つめている。
――「ヴィクトリア」はこちらを見つめている。
はっきりとそれを理解した時、彼女は反射的に苛立った。
彼らは一体何を期待しているのだろうか? 自分にどんな未来を思い描いているのか?
こうしたものに追われる日々には、とうに嫌気がさしていた。
あの黄金の如き生き物からの呼びかけにも、長い間応えていない。
行くぞ、この任務をさっさと終わらせる。
ロドスと自救軍が、私たちの助けを必要としているんだ。
――
止まれ!
地面にある……これは……
……薄暗くてよく見えなかったから、上流社会にありがちな奇抜な装飾か何かだと思ってたが。
血だな。
それに交戦が起きた痕跡もある。
これ以上ないほどに凄惨な戦闘の……いや、死が染みついた泥だまりだな。
血痕。大胆にうねった血痕が、道の果てにある扉の向こうにまで伸びている。あるいは、その巨大な扉の向こうから這い出していると言うべきだろうか。
それは、とっくに乾き切っていた。ねじ曲がった暗褐色の残滓だけが存在し、砕けた瓦礫の上を覆っている。
赤黒い軌跡は、その他にも破損した矢じりや、刀剣の破片、それからアーツの攻撃によって残された深い穴の上に及んでいた。
加えてなにより目をひいたのは、この地の静けさを引き裂く傷跡のように、神聖なる扉の上に残された血痕であった。
付近には死体が一つもない。しかし戦場を経験したことがある者ならば、かつてここで何が起きたか容易に想像することができる。
二つの集団が各々に信念を抱いて戦い、いずれも、その願いに殉じたのは明らかであった。
血痕の色から見て、何年も前の出来事みたいだな。
何年も前……まさか……
……サルカズ。
ここで死んだのはサルカズだ。
奴らの武器は知っている。これは……当時、塔楼騎士を襲ったサルカズの戦士が使っていたものと同じだ。
…今のサルカズの兵士が使っているものとはだいぶ異なるな。
ああ。
あれ以降、サルカズが身につけている武器は全てハイベリー区の軍事工場で製造されたものだ。ヴィクトリア軍が使用している制式武器と似ている。
これほど雑な作りではないし。これほど……野蛮でもない。
私は……この錆びた刀が、同僚を叩き切ろうと振られた時の音を覚えてる。とても重いから、甲冑を引き裂く前に、骨が砕けるんだ。
ダグザちゃん、あんたへーき?
……へーき。
もしも、この痕跡を見ただけでビビって先へ進めねーなら、私はロンディニウムから逃げた後、一晩だって乗り越えられなかったぜ。
……ヴィーナ、状況は私たちが想像していたものとは違うようね。
……
声。声にかき乱され頭痛がする。
彼らが促している。彼らが訴えている。
「諸王の息」は、まだこの奥にある。
冷静に、前へ進め。
このサルカズたちと戦ったのは何者だ?
判別できないな。
相手は何の痕跡も残していないか?
俺が見たことない痕跡かもしれない。
トター、貴様は傭兵になってどれくらい経つ?
あと一ヶ月で十四年だな。
ならば、ほとんどの国や地域の武器を知っているだろう。
そうだ、だがすべてではない。
俺はごく普通の傭兵だから、各国精鋭部隊の武器はそんなに見てないよ。
もしもそいつらにお目にかかったことがあるなら、今まで生きてはこられなかっただろうな。
……
モーガン、インドラ、貴様らは通路の外まで戻って警戒を行え。
前みたいに、撤退ルートを確保するんだよね?
でもよ、一番面白れぇシーンを見逃したくはねーんだけど。
シージ、慎重に進むべきだ……
私たちの頭上で起きている戦闘の音が聞こえるか、ダグザ?
いいや。
私には聞こえる。その震動が……私には想像できる。
私は手ぶらでは帰れないのだ、ダグザ。
もしこの剣ですべてを阻止できるのなら、たとえそれが犠牲や殺戮をほんの少し遅らせるだけであったとしても……
私は行く。
私は、これを責任だとは見なしていない。ただの……作戦行動にすぎない。
喧嘩を売ってきた奴の前歯をへし折ってやるのと、大して変わりはない。
ヴィーナ……
アラデル、貴様は言ったな。ここまで来たなら、私たちはもう振り返る機会はないのだと。
ハンナちゃん、ご機嫌ななめだね~。
ハッ、王宮の地下で喧嘩するチャンスだったのによ!
むしろそんなチャンスに、ヴィーナたちが遭遇しなければいいんだけどね。
あのなぁ、俺はお前のためにこんなでっけー犠牲を払ってやったんだぜ。お前があっさりやられちまったら、代わりに叫んでやる奴が必要だもんな?
ハハ、まったくうちのおバカハンナちゃんは。
……
ね、初めてヴィーナに会った時のこと覚えてる?
忘れられっかよ。
くっそ生意気で無口で、何考えてるか分かんなかったよなぁ。
あの頃はまだちんちくりんだったのに、気性は荒いし、むすっとしてたね~。怒ってるかわかりにくいのに、いざ喧嘩を始めるとやばいし……ハハ、一体誰に喧嘩を教わったんだろうね?
先生から教わったって言ってた。
最初は、その先生って奴のこと、ノーポート区のどこぞの喧嘩自慢かと思ってたぜ。
けどヴィーナの出身を知って納得がいった。その先生っつーのは多分頭ん中まで筋肉が詰まった騎士かなんかだろ?
まじでさ、王子様だの王女様だのってのは刺繡されたドレス着てロクに走れもしない奴らだろ? 一体どんな先生が野獣みてーな喧嘩教えるんだよ?
アハハ、初めてヴィーナに正体明かされた時は、冗談言ってるのかと思ったよ。
ヴィーナが、俺たちの生死に関わるようなことで冗談なんて言うもんか。
最初は、グラスゴーに喧嘩吹っ掛けに来たどっかの新興勢力のギャングかと思ってたのに。
まさか王位継承者の口封じをしに来てたなんてね~? ハハ。
あいつらの拳は確かに硬かったな。
吾輩はあの時に思ったんだよね。王位継承者についていった方が、街でごろつきやってるよりずっと刺激的なんじゃないかって。それに、その王位継承者本人は吾輩好みだったわけだし~。
で、いつの間にか、吾輩たちはヴィーナの後にくっついてロンディニウムから逃げて、色んな所をさまよってから、またヴィーナと一緒にここに戻ってきた。
もし今……物語の中の英雄たちに選択肢があるなら、ソファでくつろぎながらキンキンに冷えたビールでも飲んでたいんじゃない。違う?
……後悔してんのか?
まさか~。吾輩たちはもうここまで来たんだもん。
吾輩の回顧録はね、もう始まってるんだよ。これでガッポリ儲けようと思ってるんだから! タイトルは『偉大なるヴィーナ陛下とその偉大なる友人たち』。あとは出版社の声かけを待つだけだね~。
お前のその弱っちい語彙力でか? やめとけよ!
ヴィーナは面白いって言ってくれたもん~!
……
そういえば……吾輩たちが看板をぶっ壊したバーがあったよね。
ありゃヴィーナが俺たちを率いて初めて勝った戦いだぜ!
あの夜、吾輩たちは酒蔵のお酒を全部飲んだよね。最後にベアードが吾輩たち一人一人を背負ってトラックに乗せてさ、警察が来る前にずらかったじゃない。
バーカ、また記憶が狂ってるぞ。お前を背負ったのは俺だろうが。ベアードは飲み過ぎて便器をハンドルと勘違いしてやがったんだ、運転できるわけねーだろ!?
……アハハ。
吾輩はたださ……どこだろうと、昔みたいに集まってできることはあるんじゃないかって思ってたんだ。たとえそれが、別のギャングからバーを奪い取ることだけだとしてもね。
ハンナちゃん……
帰ってきてこんなに経つのに、どうしてヴィーナはグラスゴーの様子を見に戻ろうって、一回も言わないのかな?
……鍵。
出発前に、ドクターがこの鍵をくれた。
ドクターが、これはケルシー先生が交渉によって手に入れたと言っていた……諸王の眠る地に続く、私たちの目の前の扉を開けられるのはこの鍵だけだと。
私が手にしているこの鍵が、かつてとあるドラコのものだったことは知っている。
……
……アラデル。
貴様は……もう一本の鍵がどこにあるか知っているか?
もう一本の鍵。
アスラン王室の鍵、それも目の前のこの扉を開けることができる。本来であれば父から譲り受けるはずだったが、彼女はその鍵を見たことがない。
……どうして急にそんなこと聞くの?
ついさっき思い出したんだ……「諸王の息」に関するもう一つの伝説をな。
私の祖先は……かつてドラコ王を殺しかけた。
そして今、私は赤き龍の末裔の鍵を持ち……
諸王の眠る地に通ずる扉を開けようとしている。
……この場においては、ドラコであれアスランであれ――
どちらもただのヴィクトリアよ。
扉が開いた。
それは彼女が想像するよりも軽かった。まるで、すべてはとうの昔に準備されていて、あとは彼女がそっと扉を動かすのをただ待っていたかのように。
諸王の眠る地において――
ヴィクトリア千年の歴史が彼女目掛けて襲い掛ってくる。一度は去りながら、また舞い戻ったアスランへと。