驚靂蕭然 12-1・幕間
火と熱風
ピアース。
はっ、上官!
休暇の承認が下りたらしいな。
はっ、なんとか滞りなく。上官、これも全て──
全てお前のベビーフェイスのおかげだな、小僧。
上のお歴々も、たまには部下を気遣うポーズをとってみたくなるもんさ。いわゆるイメージ作りだな。
ハハッ、恐らく機嫌が良かっただけでしょう。
実家の粉挽き小屋の天井が崩れましてね、間が悪いことに町の大工は足を折ってて修理もままならないんで、母から帰って手伝うよう言われたんです。
十日間の休暇から移動日数の八日を差し引いて、あっちにいれるのは一日半ってとこですが、それだけあれば半壊した粉挽き小屋くらい何とかなりますよ!
万一に備えて、半日分のマージンを持たせました。上手くいけば父のために畑を耕してやれるかもしれません。
あ、そうだ、作業用の手袋を一ダース買って行かねばなりません。家にあるのはとっくに替え時が過ぎてますから。
うむ、それは……買い物リストか?
はい、上官。漏れがあってはいけませんので用意しました。次の休暇がいつになるかわかりませんし。
その時には、お前も正真正銘自分の力で勲章を勝ち取っていてほしいものだな。
もちろんです、上官。全ては我らがヴィクトリアのために!
野心は十分だな、小僧。
俺の知り合いにトッドという老いぼれがいてな、共に国境で高塔の術師たちとやり合ったことがあるんだが、あいつは純金の記念章を授与されていた。
あの勲章は、本当に美しいものだったよ。胸元でキラッキラッ光りやがってな、目が離せなかった。
しかも我らの敬愛すべきウィンダミア公爵様が、御自ら授与なさったんだ。軍人にとっては最高の栄誉さ。だが、その後の祝勝会で、トッドはずっとしかめっ面だった。
なぜだかわかるか?
自分の功績に、まだ満足していなかったからですか?
いや違う、もっと深刻だ。
自分の手でグラスを持ってビールを飲めなかったからだ。あいつの両手は木製の義手になってたんだよ、ハハッ!
ベテラン将校は口の端を歪め、その黄ばんだ歯を覗かせた。
若い兵士はそれに続いて乾いた笑いを発した。上官が言ったのが、ブラックすぎるジョークだと彼にはわかっていた。
甲板の上の風は強く、兵士は帽子のつばを押さえながら、控えめにくしゃみをした。
疾走する高速戦艦の甲板上ほど、人がコートを必要とする場所はないだろう。
若い兵士はこのようなことを考えていた。「今日の食事はウェルズが担当だ。あのハゲ頭のデブっちょ、軍用缶詰をどれだけ盗み食いすることやら」と。
「でもあいつの作るクリームシチューは絶品だ。今日のシチューには羽獣肉をたくさん放り込んであるといいけど」と。
そして若い兵士はこう思った。「日が暮れた後、夕食を食べてから出発しよう」。
彼らが駐屯する移動要塞は、すでにロンディニウム近辺までたどり着いていた。天気が良ければ、地平線の向こうにザ・シャードの先端も見える距離だ。
彼は駐屯地に戻ったら、後方支援中隊の輸送車に乗り込み、最寄りの町まで行こうと算段を立てた。
そこのバーで一杯引っかけたあと、朝まで待てば、仕入れをするため郡に向かう革職人がいるはずだから、それに便乗する。タバコを二箱も渡せば乗せてくれるはずだ。
若い兵士は実家の納屋を思い出した。藁の堆肥の発酵した臭いが常に充満していた。
納屋のあの臭いは今でも時折、夢に出てくる。良い香りだとは口が裂けても言えないが、故郷の村との繋がりを示してもいるのも確かだった。
「たまには……いや──」若い兵士は静かに眉根を寄せ、こんな風に感傷で自分を偽るのはもうよそうと思った。
たまにであろうと、彼はあの臭いを嗅ぎたくなかった。納屋の悪臭は実家に戻るのを躊躇する一番の理由だった。
はぁ、また霧か。いつまで経っても、ロンディニウムの天気にゃ慣れないな。
俺たちがリターニア国境に駐屯していた時も、良い天気だったとは言えないが、それでも午後にはよく日光浴ができたものだ。
艦長に伝えてきてくれ。この天気では監視所からは何も見えない、それにレーダーも干渉を受ける。帰航すべきだとな。
カスターの部隊はおとなしく自分らの戦線にとどまり、ゴドズィンは部下をまた少し後退させた。そしていくつかの顔馴染みの前哨部隊を除いて、ウェリントンの主力はいまだ姿を見せていない。
敬愛すべき我らがウィンダミア公爵様を除き、残りの七名の公爵様は相変わらず様子見だ。巡回完了だな。
上官、ではサルカズは……
それは俺たちの仕事ではない。お偉方にはそれぞれお考えがある。
ですが聞いた話だと、最近ロンディニウム内では……
ピアース、俺は十数年も兵士をやってきた。酒とトランプ以外に、軍隊で学んだ最も重要なことは――
そういうくだらん噂に耳を傾けないことだ。後方で地図を見ている上官たちがすべてを解決してくれる。俺たちは自分の本分を守っていればそれでいい。
我々の本分は……ヴィクトリアを守ることではないのですか?
その「ヴィクトリア」が何であるかを決められるのは、我々の上の者だけだ。小僧、俺たちの本分はただ命令に従うことだ。
戻るぞ、平和な一日は終わった。
早く熱いシャワーを浴びないとな。このバカげた霧のせいで体がダルいったらありゃしない──
若い兵士は、ここ最近疲れすぎていたのかもしれないと感じた。そして、ちょうどいいタイミングで休暇を取ってよかったと思い始めた。
戦場は常に兵士に緊張を強いる。ましてや、今の彼は果たして起こるのか、いつ起こるのか、信じられるのは誰なのかがわからない戦争に直面しているのだ。
少し暑い――若い兵士はそう思った。
彼は腕を上げ、シャツの第一ボタンを外そうとした。彼の尊敬する上官が、たった今平和な一日が終わったと宣言したのだ。ならば少しくらい風紀を無視したところで問題ないだろう。
彼は実家の暖炉を思い出した。数年前、真新しい軍服を着て里帰りした時、暖炉の熱で汗だくになっても彼はボタンを一つも外そうとしなかった。そのことをシェリーにずっとからかわれていた。
若い兵士は微かに笑った。
ふっ、あんなことでからかうから、お前のためにバカげたロマンス物語なんてみやげを持って帰るのをやめたんだぞ、これでおあいこだからな。
……
主砲の出力は正常、目標の破壊を確認しました。
よし。
次の準備に取り掛かるのだ。大公爵たちはすぐに何があったか気付くだろうからな。
……
殿下。
で……殿下!
あら、見ない顔ね?
は……はい! 殿下! 以前は傭兵分隊にいました。将軍に目をかけていただきましてこのお役目についたばかりです!
た、大変光栄です……あなた様はずっと私の……
私も会えて嬉しいわ、あなた何て名前なの?
わ……私は……
……
(小声)私に正式な名前はございません、皆からは「エルボー」と呼ばれております。
クソッ……こんなことになるなら、本の中から名前を取って付けておくべきだった。
「エルボー」……どうしてエルボーなの?
スープを飲んでいた時に肘を火傷を……いえ、くだらない話です。殿下が気に掛けるほどのことではございません……
きっとスープカップを高く持ち上げすぎたのね。
違います! 「プラグ」の野郎がぶつかってきたせいです! あのバカ、次に会ったら必ず……
殿下。
あっ、も……申し訳ございません、将軍、テレジア殿下。
行っていいわ。まだお仕事が残っているのでしょう?
今日のあなたたちの夕食はクリームシチューだそうよ。食べそびれないようにね。
……
ありがとうございます、テレジア殿下。
我々は……
我々は「戦争が終わるごとに、サルカズは帰ることができる場所を得る」。
我々はすぐにカズデルへと帰ることができますよね?
……
もちろんよ。
私は王庭の主たちといるより、彼らと一緒にいる方が好きだわ。
サルカズの魂たちはいつも私を蹲らせて、長く苦しい歴史の中に沈めるの。
だけど彼ら……さっきの子みたいに新たに成長した子たちは、私に確かな未来を感じさせてくれる。
私たちは……この未来をどこに置くべきなのかしら? 再び大地を席巻する戦火の中?
私たちの目の及ぶ場所全てが焦土になったとき、新芽は本当に私たちの望んだ通りに芽吹くのかしら?
希望っていつも重いものよね、マンフレッド。
……殿下。
軍事委員会の手はず通り、一部の区画はすでにロンディニウムから切り離されました。現在は指定の位置へ到着し、中心部と大公爵たちの包囲網の間に停止しております。
あの場所は今後、我々の攻撃の拠点及びハブとなり、この飛空船も一時的に停留することになります。
ウィンダミア公爵はすぐに自身の高速戦艦が破壊されたという報告を受けるでしょう。しかし彼女は飛空船の脅威を無視できません。これはナハツェーラーの王が戦線を展開する一助となります。
テレシス殿下の指示に従い、これより我々は……
窓の外を見てごらんなさい、将軍。
言われるがままに、マンフレッドは窓の外へと顔を向けた。
計画の通りではあるが、実際に炎が目の前で赤々と燃える様子は想像していたほど……感情を沸き立たせるようなものではない。彼はその事実を認めざるを得なかった。
……炎の光とは眩しくて、目が開けぬものですね。
我々の戦争が、ついに始まりました。
軍事委員会の推測によると、大公爵たちは今後十六時間以内に慎重に軍事行動を展開すると思われます。対して我々の準備はすでに完了しております。
いいえ、戦争はずっと続いていたわ。
戦争と呼べるのは、軍団と軍団の殺し合いだけではないの。たとえばカーテンの後ろに隠れている目、闇夜の中でささやかれる呪い、抑えつけられた泣き声、そのどれもが戦争よ。
荒野で孤独に倒れた我らが同胞、黒の慶典で引きずられたローブ、コレクターがガラスケースに飾ったカズデルの煉瓦、これらもまた戦争よ。
戦争は、いつも私たちの一部だったわ。私たちはただ……再びそれを人々の前へと押し出しただけ。
たとえ戦火が燃え上がった場所がヴィクトリアであろうと、カズデルは戦争の一部です。これについては、テレシス殿下ともすでに多くの計画を立てております……
いいえ、マンフレッド、私が聞いたのはそういうことではないの。
私たちの足元、この飛空船の影が一人一人を平等に覆っているのが見えるわ。
戦争を終わらせましょう、将軍。結局のところ、これがサルカズが採れる唯一の方法であると証明されたのであれば。
――涙で涙を沈め、苦しみで苦しみを埋めましょう。
……
それが……唯一の方法です。
あなたのお望みのままに致しましょう、殿下。
……
本当か?
間違いねぇ、まるであの伝説の中から出てきたみたいだった。
災いの予兆、動乱の前触れ、悪夢の化身……
つまり……
山のような大きさの鉗獣が、香水で満たされた宝箱を引きずってるのを見たのか?
そうだ、赤鼻のハンバートの言ってた通りだ。
……
ナインが言ってたぞ、あんたの身体の状態を考えるともうこれ以上酒を飲んじゃダメだってな。
ちょっとだけだろ! オレに残された日々は多くねぇ、最後の希望まで捨てろっつーのかよ。
お前も覚えてるだろ? あの雪原の夜、みんなが死にそうなくらい凍えてる中、ハンバートがオレたちに話した、あいつの村の奇妙な伝説をよ──
……すまない、俺が加入したのはあんたたちがヴィクトリアに来た後なんだ。
そうだったのか、オレはてっきり……
そうだ、ハンバートはウルサスで死んだんだったな。あいつは本当によくやったよ。少なくとも監視隊のクズどもを四人道連れにしたんだからな。
お前ならあいつとあいつの話を気に入るはずなんだがな。クソッ、あいつのために乾杯しないとな。
また飲んでるのか、ロマーヌイチ。何度言わせる気なんだ? ほら酒を渡せ。
ナインさんよ、オレはもう長くねぇんだ。酒くらい好きなように──
お前の寿命はまだ長い、医者の言う通りにすればな。
お、オレは医者なんて嫌いだ、あいつらは全員恥知らずな詐欺師だからな! オレにゃ、この液体が必要なんだ……オレは全部分かってるんだ……むにゃ……
ロマーヌイチのジジイ、また寝ちまったのか。
毛布をかぶせてやれ。
もうロンディニウムまで遠くないはずだ。
ああ、運が良ければ、あと一週間ちょっとで城壁が見えるだろう。あのボロ車を直せれば、もっと早く着く。
ロンディニウム周辺じゃ天災は稀だが、今の情勢からして、どこかの大公爵の部隊と出くわす可能性はある。奴らはどいつも友好的な連中じゃない。
それに、サルカズだっているしな……
今後の行動は、これまで以上の慎重さが求められる。
我々は幽閉されている仲間を見つけなければならない。たとえもう彼らが、我々の一員であることを認めていなくてもだ。
再び団結することは非常に難しい……だが我々は同じ苦痛を感じ、同じ悲しみを分け合っている。この感覚が我々を駆り立てるのだ。まだ立ち止まることは許さないと。
私はこれが何かの埋め合わせだと言うつもりはないが、我々が今安心して取り組めることも……これ以外にはない。
絶望の淵にいる感染者たちに知らせてやるんだ。自分たちにはまだ仲間がいる、自分たちは誰も気にかけない廃棄物などではないと。
……
お前はいるべき場所にいろ。
タルラ。
……
ナイン。
私は少し外の空気を吸いに来ただけだ。
好きにするといい。私がお前を見ている。
……遠くに、火が見えるな。
火が見えてからしばらく経つ。林が落雷で燃えているだけであってほしいものだが。
我々の部隊はあそこを迂回していく。
そうか、雷か……
お前が野営地で粥を作っているのを見た。
料理人を手伝っただけだ。ジャガイモをカゴ二つ分も処理しなければならないと言っていたから。
私も食べたが、味は悪くなかった。
アリーナ……いや……昔、ある友人が教えてくれたんだ。
作り方など、とっくに忘れているものだと思っていたんだが。
裁きが下される前に、お前がまだ力を尽くしたいというなら、私は止めない。
だが自分がどういう立場にあるのかはよく自覚しておくことだ。タルラ、我々はお前を見ている。我々全員がだ。
……分かっている。
荷物をまとめろ、そろそろ出発だ。
……寝ちまってたのか? クソッ。
ナイン、お願いだ! ジジイを哀れだと思うなら、もう一口飲ませてくれ、でないとオレはくたばっちまいそうだ!
おい! あれが見えるか? 空の向こうが真っ赤に燃えてるぞ! ハンバートが言ってたが……
あいつはこれを良い兆しだって言ってたぞ……吉兆だって!
あいつが言うには、これは……彼岸? 勝利だっけ? えーっと、思い出せねぇな。
もしかしたら、もしかすると……
単に……明日は良い天気ってことかもしれねぇぞ、お前ら。