局部壊死 6-11・戦闘後
「こんな事」
(ぐっ、ぐうっ……! はぁっ、はぁっ……)
(……これは罠!? 今の奇襲はただの陽動だったというのか?)
(これ以上私の部隊が分断されれば、部隊全体が行動力を失ってしまう……)
(マズイ、すぐにでも連絡をとらないと!)
(クソッ、何で手が言うことを聞かない! どうして私は震えてるんだ!)
(ダメだ……追いつかれるわけには……!)
!
うっ、ぐわっ!
(低い咆哮)
レッド、殺すな。
......
ゴホゴホッ……! ぐっ!
彼女で間違いないか?
間違いない。匂いがした。
(クンクン。)
うっ、偽物。オオカミじゃない。
でも、匂いは本物。
この匂いは、真狼(しんろう)。一匹目の真狼。
真狼?
この……オオカミのガキめ!
動くな。
うっ、どういうことだ…… 何で力が入らないんだ?
まさか……この私が抑えられるだと?
まだ暴れようとしてる。これはオオカミの技。彼女は、噛みつき攻撃をオオカミに教わった。
反撃されたら、彼女の脊髄を貫いて、動けなくする。
その必要はないだろう。
わかった。
待て、お前は……
……そうだ、お前だ! やっと見つけたぞ……!
裏切り者……この裏切り者! ようやく見つけた、裏切り者め!
君は……
イリヤの娘、リュドミラか?
黙れ! お前なんかが私の父の名を呼ぶな!
研究所とあそこにいた科学者全員、皆ウルサスに葬られたんだ。
君はそう思っているのか。
なにを白々しい!
お前だ………卑怯な裏切り者のお前が、あのセルゲイと一緒に私の父を、そして他の科学者全員を売ったんだ!
……
君の髪、父親と全く同じ色だな。
……何を言っている? お前はどうして……
動くな。
ぐっ!
君は、どうして私が君の非難を真っ向から否定しないのかが聞きたいのか?
このクズが!
なるほど。クズか。私にどんな人物であってほしいんだ?
臆病で金や道楽を貪る者……それとも、冷酷で残忍な、目的のためなら手段を選ばない者か?
今の私の姿は、君の想像を満足させることができたか?
思いもしなかった……お前が根っからの冷血女だったなんてな!
君がセルゲイを殺した時、彼は後悔していたか?
……どうしてそれを……
君は、彼がアレックスとミーシャの父親だということは知っていたのか?
フンッ、ハハハ……そうさ、そのアレックスが私を奴のところまで連れて行ったんだ!
………レユニオンはアレックスを受け入れ、彼の父を殺し、その姉を攫った。
フッ……
レッド。彼女にチャンスを与える。
わかった。
……何をするつもりだ?
一度だけ、私を殺すチャンスを与えよう。
チャンスだと? 自分が何を言ってるか分かってるのか?
死にたいとでも言うのか? あの仲間を売ることでチェルノボーグの官職にまで成り上がったセルゲイと同じ様に、お前も今さら後悔でもしたのか?
……いや、後悔して当然だ。自分がやってきた全てのことを後悔してろ!
普段なら、「後悔したことは一度もない」と言うところだが……
今日だけは素直に教えてやろう。一つだけ、とても後悔していることがある。
——だがそれは、君の父の件とは全く関係のないことで、だ。
……殺してやる。殺してやる!
スゥ………フゥゥゥゥ……
「殉難者の苦しみを呑みこみ」……
霧か?
アーツ。
霧……いや、本質は煙と言うべきか。
口腔内の発煙器官を使い、神経伝達によって煙を起こしている。確かに感染器官を利用した特殊なアーツだ。
いつまで無駄話を……本当に救いのない奴だな。あまりの恐ろしさに口以外は動かなくなったか?
どうして私の父を裏切った? どうして科学者たちを裏切った?
どうして! 私に教えろ——
「ケルシー所長」!
リュドミラ、私はたまたま逃げ延びただけだ。
お前の作り話を信じるとでも?
フッ。君の父は『正当と正義』を君に読ませたことがあるだろう?
——!
五歳の君にそんな本を読ませるとは……イリヤは本当に、非常識な奴だったな。
奴はあの本が好きだった。真夏のある日、奴が君と本を抱えながら窓際に立ち、茂みには陽射しの茜色が映っていた光景を思い出す。奴は君に手を振るよう諭したが、君は頑なに顔を背けていたな。
もういい!
あの日の夜、奴は私に尋ねた——もし石棺を封じ込め、中の装置の存在がウルサスに漏れなければ、より多くの人を救えるのではないかとな。
そう、ウルサスがあの装置を戦争に用いることを阻止できるのではないかと。
お前はまさかそんな……そんなくだらない妄言で私を惑わせられるとでも思ってるのか!?
イリヤは石棺封印作戦の発案者の一人だった。そして、奴の信じた理念はその一生を左右することになった。
君は父の闘志を受け継いだようだが、君の父は決して闘志だけの男ではなかった……
リュドミラ、もし君が私を裏切り者と決めつけ、殺したいというならそうすればいい。ただし——
暴力という修羅の道を歩むなら、いずれ必ず君以上の力を持つ存在に遭遇することになる。
はは……
それだけか! もっと虚勢を張ってみろ。どんな術師でもこの濃霧は見破れない。私の位置を見抜くなど不可能だ。
酷い死に方をさせてやる。必ず、必ずメチャクチャに殺してやる。
……(威嚇音)
あの科学者たちのために、感染者たちのために、お前を殺してやるんだ。ウルサスに飼われた悪鬼め、クズめ!
私が術師に見えるのか? 確かに感染者ではあるが……
来い、mon3tr。
……?
……なに? なっ……何だそれは?
ど、どういうことだ? お前の脊椎が!?
どうやら君自身は霧の影響を受けないようだな。ではこれが見えるだろう。
どうして……こんなことが……
おえっ……! 何なんだよ、お前は一体何者なんだ、お前は……お前は一体!
それは何なんだ!!
私は術師ではない。アーツに頼ったことなどこれまで一度もない。
行け、mon3tr。
(軽快な鳴き声)
うっ、ぐわああ!
何だコイツは! どうなってる!
うああああ、放せ、放してくれ、放せ!
こいつの体、どうして貫けないんだ? やめろっ! 触るな、私に触るな!
消し去れ……
うわああぁぁぁ!!
……彼女の頭上に落ちてくるものを。
(不満そうな叫び声)
暴れ過ぎだ。建物が崩れるぞ、彼女が潰されないようにしろ。
……
うぐっ……
……もういい……
(低い唸り声)
今すぐ殺せ。
なぜだ?
……私など、いとも容易く殺せるんだろう! それともお前は獲物をなぶるのが趣味なのか!?
お前を殺すことができないなら、生きていてなんになる?
だが覚えていろ、たとえここで死んだとしても、お前のことは永遠に呪い続けてやる!
……死ぬ心の準備が本当にできているというのか?
……
君は、死にたいのか?
……くッ……
もし本当に私が裏切り者だとしたらどうする? 私を殺せば、君はそれで満足するのか?
……もういい……たくさんだ! お前を殺す、絶対に!
イリヤは私の教え子であり、良き友だった。
君の父は私が教えた中ではトップクラスの研究者の一人だったよ。彼の私利私欲のなさと真面目さがあれば、本来ならウルサスの発展を五年ほど前に進められていたはずさ。
ほざくな! 何故それを私に言う、何故だ! そんな話など聞きたくない、私には関係ない!
いや、君は聞きたいさ。君はこれまでも自分に疑問を抱き続けてきたのだから。
君はセルゲイに話をするチャンスは与えなかっただろう。だから私がその代わりに語ろうとしているだけだ。
——私は誰も売ったことはない、無論セルゲイのこともだ。
セルゲイは優柔不断なところこそあれども、決して貪欲な人間ではなかった。
だが、生まれたばかりの子供たちがウルサスの手に落ち、自分の家族を救うために、君の父たちの行動を当局に流したんだ。
だが今となっては、ミーシャもアレックスも、どちらも死んだ。秘密を売っても、誰も守れなかったというわけだ。
もし……もし私がミーシャを助けに行っていたら、あの子もアレックスも……死ななかったかもしれない。
いや……違う、そうじゃない! お前はそれだけの力を持っているのに、どうして父を助けなかったんだ!?
(威嚇する唸り声)
……
それができなかったからだ。
君の父を研究所から離れるように、説得することができなかった。
リュドミラ、私はチェルノボーグを離れる前に、君をシラクーザへと送ったはずだが、君は自らあの都市へ戻ったな。
君は君の父と同じだ。意志というものは、時間にすら打ち克つこともある。
君は必ずチェルノボーグへ戻ることとなる。ここで私と出会ったように。
……
では、これまでの全てに少しの意味もなかったと言うのか? 私と父がやってきたこと全てが……何の意味もないのか?
それは違うな。研究員たちは自らの死によって秘密を守り抜いた。
それによりウルサスは石棺内の装置を解析できないまま、研究施設を破棄し、封印することとなったのだ。
ウルサスにできたのは、少しばかりのエネルギーを持ち帰り、チェルノボーグの動力コアにした程度に過ぎない。
私が「裏切り者」という称号に値するとすれば、それはウルサスという国家に対しての裏切り者になるだろう。
君の父の努力には意味があった。ウルサスが全てを覆い隠しても、君はそれを覚えているはずだ。
そして私も覚えている。
(あくび)
……だが君のこれまでの行いには、一体どんな意味があったのだ?
ウルサスは研究所を丸ごと葬り、科学者の中でも希少な思いやりの心を持つ者を抹殺した。真の裏切り者は誰か。それは強欲な帝国そのものだ。
それなのに君は何をしてきた? 君はセルゲイを殺しただけだ。自身の子供すら守れなかった哀れな男をだ。
そして今、龍門にたどり着いたというわけだ。もし君と感染者の同胞たちが、本当にこの都市を手中に収ることができたら、元いた市民たちはどうするつもりだ?
皆殺しにするのか? それとも全員奴隷にでも? あるいは荒野に放逐し、見殺しにするか?
……私は……
彼ら全員を鉱石病にし感染者とすることで、君たちの苦しみを彼らに伝えるか?
……それとも、彼らと平和的共存を望むのか?
君たちにそれができるのか? リュドミラ、今のレユニオンにそれができると思うか? 君はこんな方法で感染者の国家を築こうというのか? それともこれがウルサスに対抗するための術か?
もしウルサスに対抗するつもりだというなら、なぜ龍門に来た? 恐怖を武器にしたとして、あのウルサスに勝てるとでも思うのか?
(ケルシー。こいつ、迷ってる。怖がって、逃げようとしてる。)
……
Mon3tr、戻れ。
いいの?
彼女には聞こえているだろう。
「クラウンスレイヤー」。レユニオンと君の憎しみは、他人の手のひらで転がされているに過ぎない。
君の父のことを思い出せ、君がイリヤから何を教わったのかを。
そして考えるんだ、本当は誰に復讐を果たすべきなのかを。
殺人と恐怖で舗装された道に君を引き入れた……君のリーダーは到底まともとは言えない。
真の理想主義者ならば、他人を自分のために死なせはしない。ましてや、自分の代わりに凶行をさせるなど、もってのほかだ。
ここを離れるんだ。この場所を離れ、今とは違う道を往け。
この大地を真の意味で変えられる道を……もし君がそれを望むのなら。
匂い、消えた。
ケルシー、彼女をずっと探してた。なぜ殺さない?
家を追われたハイエナを敢えて殺すべきだと思うか? その家が虚構のものだったとしても。
難しい。レッド、わからない。
では、レッド、彼女は私を殺すことで喜びを感じると思うか?
感じない。あいつ、苦しそうだった。
我々は法の代弁者ではないし、ましてや他人を裁く権利など有していない。我々には確かに他人を殺めるだけの能力はあるが、殺戮の正当性を宣言する権利などどこにもない。
もし彼女が殺戮に興奮と快楽を覚えるような者なら、私はすぐにでも彼女を殺していた。迷わずにな。
レッド、わかる。あいつ、苦しんでる。呼吸が乱れてた。
今の彼女はウイルスの温床になりえる。「不安」という名のウイルスを、荒れ狂うチェルノボーグの感染者たちの中に撒き散らすだろう。
……人は何歳まで生き、どれだけのことを成せると思う? 我々の目が欺瞞に覆われていた時間は、事実を見極めるために要した時よりも長い。
それに、真実を見極めることと自らの決断をすることは全く別だ。
彼女が集団的復讐心から目覚る時が来れば、必ずレユニオンを離れるだろう。それでも、セルゲイの血、そしてチェルノボーグ人たちの血は、彼女の指先から拭い去ることはできないだろう。
レッド……人という生き物は、自ら下した選択をやり直すことはできない。
レッド、わかる。頑張って、オオカミだけ殺す。
いい子だ。
あの匂いは覚えたか?
レッド、覚えた。
どんな匂いだ?
……嫌じゃない。
血の生臭い匂い。でも、ケルシーがさっき言ってた、「まともじゃない」やつの匂いじゃない。
バカな子だ。タルラはドラコ人だ。オオカミは彼女であるはずがないだろう?
分かった。
行く?
ああ、行こう。
……気温が下がり始めたな。時間は緊迫している、ここからは効率が重要になる。