怒号光明 R8-6・戦闘前
収まらぬ「戦火」
フェイゼへ:
感染者になったばかりの頃、私は無為に過ごしていた。
コシチェイが私を利用し、何かを企んでいたのは知っていた。それが恐ろしかった。奴は私に何をさせる気なのかと。
奴は何らかの手段を用いて、私が長い時間をかけて確立した感染者の通信ネットワークを一気に破壊するつもりだったのだろうか?
それとも、私に感染者を分断させ、彼らを都市派と集落派に分けるつもりだったのだろうか?
もっと恐ろしいことも考えられる。感染者で新たに軍隊を組織し、ウルサスを再び戦火に陥れるつもりだったのだろうか?
私には推測することしかできない。振り払えない薄暗い闇が、私の頭上を覆っている。
それでも私は先へ進むしかない。
昨日の話だ。確かペトロワという名前のスノーデビル隊員が、オイルシードをシスティミルクで炒めていた。変わった調理法で、面白い味だったから、お前にも食べさせてみたいと思った。
あの一件……思い出したわ。早いわね、もう二年も経ったなんて。
戦士たちが噂しているのは本当? 本当にあの場で彼女とケンカしたの? あの廃都市を丸々爆破しちゃったって聞いたけど……
そんな大袈裟なものじゃない。まぁ、噂ってのは尾ひれがつくものだからな……私はただ彼女の源石氷晶を燃やしただけだ。
サシェンカ! 走り回らないの、滑って転ぶわよ!
皆が気ままに生活する姿を眺めるというのは、いいものだな。
これが私の役目だから。
まさかアリーナが、子供たちの教育係を買って出るとは思わなかったよ。
私と子供たちとの関係は、ウルサスとの関係よりも断然良好よ……あれ? さっき何かを燃やしたって言ったっけ?
フロストノヴァの源石氷晶だ。彼女の小隊が使用していたアーツの装置だ、多分な。
それは……フロストノヴァはさぞかしお怒りだったでしょうね。
ハッ、確かにな。……ひと息つく間に、体の半分を凍らされたよ。
気付いたときには、私の首元に氷の刃が迫っていた。
とっさにそれを受け止めたら、温度差で「シューッ」とすごい音がしてな。この剣が霜だらけになったのを初めて見たよ。
彼女はやけに驚いた顔をしていたよ。多分初めて会ったんだろう、自分の刃に亀裂を入れる相手に……
あら、随分楽しそうに話すのね。自慢してるのかしら?
そんな……いやまぁ確かに……ん? あの柵の後ろにいる女の子、何て名前だ?
リューボフね……リューバ、盗み聞きはダメよ! 次の授業でお話を聞かせてあげるから、我慢して。
そう、灰色森のおばけのお話……怖~いお話よ!
先生に木くずを持ってきてくれる? カゴに詰めて。お願いね。
……それで?
フロストノヴァは……アリーナも知ってるだろう? 彼女の名前は私なんかよりもずっと早く、西北凍原の感染者術師の間で広まっていたからな。
あなたは、他人が自分の名前を噂するのは嫌いだと思ってたけど。
この名前を使って他人を脅す者がいたなら反感を覚えるが、戦士たちがこの名を聞いて挑戦してくるのは嬉しいさ。
あなたと違ってフロストノヴァは一切挑戦を受けないんでしょ? ということは、あなたは相当彼女を怒らせたのね。
まぁな……彼女は、感染者の中でもトップクラスの術師だ。そして同時に、トップクラスの小隊指揮官であり、さらには最強の戦士でもある。
……誤解するなよ。私はそんなものを目指してはいない。
でも、他の人から見たら、あなたたちは似ているらしいわね。子供たちの中には、フロストノヴァみたいになりたいって言う子もいれば、あなたみたいな英雄になりたいって言う子もいるのよ。
か、勘弁してくれ。私は本当にそう呼ばれるのが苦手なんだ……それで、アリーナの考えは?
私から見れば、似ている人なんていないわ。みんなそれぞれ違う。
そう言うだろうと思ったよ。
実はフロストノヴァが子供の頃にどんな暮らしをしていたかは、私もよく知らないんだ。でも教養はあるし、いい暮らしをしていたんじゃないかと思う。
でも、どの子にも、私と同じ経験はさせたくないな……
あなたもすごく教養があるじゃない。
その話はやめよう。
タルラ、この大地があの子たちにもたらした境遇の不条理さは、私たちのもの以上かもしれないわ。
気が滅入る話だ。
これも私が教師をやりたい理由よ。
私の元「教師」とは似ても似つかないな。
言いたいことはわかった。フロストノヴァにも、もしかしたらそんな「教師」が……
どうかしらね。感染者の人生はみんな違うもの。
とにかく、フロストノヴァとやり合ってからというもの、技術訓練を怠ったことはない。アーツはもちろん、剣術も。彼女には絶対に負けられないからな。
それで、彼女とやりあった後はどうなったの?
彼女の怒りが収まった後に聞かされた、自分は責任者じゃないと。
じゃあ、決定できるのは一人だけってことね。
その通りだ。私たちの戦いが終わっていくらも経たないうちに……
街の反対側から現れた……
ある人物が――
もったいぶっちゃって……思い出すのがそんなに大変なの?
第一印象があまりに衝撃的だったから、的確に言い表すための言葉を探してたんだ。
真昼の日差しが降り注いでも、彼のまとう泥のような黒さが薄まることはなかった。
その時、ちょうど私はフロストノヴァに計画を説明し、他都市の感染者には私が連絡をつけると話していた。
私は資金を調達して小型の移動都市を建設するか、あるいは何らかの方法で手に入れるつもりだと伝え、遊撃隊にもこの計画に参加してほしいと彼女を説得している最中……
突然現れた彼の姿を見て、私は話を続けられなくなった。
どうして?
自信がなくなったから。
あなたにもそんな時があるの? 自信のないタルラなんて見たことないわ。
何とでも言え。私をそうさせた、それが……パトリオットだ。
その場では彼を説得できなかったのね。
いや、今もだ。
それからのことはもう知っているだろう。私とフロストノヴァの、あの「友好的な議論」を経て、私たちは遊撃隊との合流に成功したというわけだ。
……なるほどね。当時は感染者のみんなも、遊撃隊と一緒に行動できるって聞いて、とても喜んでいたわ。
それからの二年間で、私たちの暮らしは以前よりずっと良くなってきている……つまりタルラの選択は間違ってなかったってことよ。
だが……遊撃隊は私や他の感染者戦士を重視しているのではなく、ただ、私たちと同行している感染者をないがしろにできないだけのように思う……
それなら、なおさら落ち込むことなんてないじゃない……あなたも同じ考えなんでしょ?
だがもう二年が過ぎたというのに、全く進展がない。
ねえタルラ、あなたはいつからパトリオットに認められていないと思い始めたの?
一年ほど前……私たちと遊撃隊が合流してしばらく経ってからだ。今もその思いは変わっていない。
――不可能だ。
私たちは、ウルサスの腐った統治下で暮らしている感染者が凍原にあとどれだけいるのかさえ知らない。今、遊撃隊に都市の感染者について話すのは時期尚早だ。
都市の感染者に目を向けたからと言って、凍原に住んでいる感染者も見捨てるつもりはない。だからこそ私もあれだけの仲間を連れているんだ。
私たちはどのみちいつか戻ってくる。私たちの目標はウルサスの、いや、この大地の感染者を団結させることだ……
住む場所は違っても、感染者が自分の境遇に不満を持っていることについては同じだ。
ある都市にいる友人は、この運動を「レユニオン」と呼んでいる。
彼は感染者に向けて団結を呼びかけ「レユニオン・ムーブメント」を名乗り、一つの信念を持って、感染者に対するウルサスの厳しい統治に抗議している。
ならば、私たちも機会を見つけ、凍原のウルサス兵が採掘場で搾取していることに抗議すべきだ。そうすれば連中に、過ちを悔い改めさせることができるかもしれない。
タルラ、ウルサスの民は一旦置いて、軍隊についての話をしよう。ウルサス軍は私たちを一人たりとも許容しないだろう。
お前が「抗議」のために南方へ行くと言うのなら、直接ウルサス軍の師団でも一つ見つけて討ち死にした方が話が早い。
ウルサスは一枚岩ではないし、これは私たちの勝機でもある。レユニオンの目的は信念を伝えることであり、都市に行けばその機会も増える。彼らに伝えるべきメッセージだって用意している。
何というメッセージだ?
「あなたたちは独りではない」
――――!
お前もわかっているはずだ、凍原をうろうろしても消耗するだけ。いずれはここを出る必要があると。
そんなことは私の一存では決められない。
決めることを拒んでいるだけだ。
死のリスクを背負って凍原を出る……それ自体は別に構わない。数人の敵兵と刺し違える以外、私の命は何の役にも立たないがな。
だが、私の周りにいる者たちにそれを強要することはできない。
タルラ、お前は兄弟姉妹を連れていないから簡単に言えるが、私は彼らを無駄死にさせるわけにはいかないんだ。
しかし、それは正しいことであるとも思う。
それとは、どれのことだ?
感染者に、「あなたたちは独りではない」と知らせることだ。
私たちは、雪原で時間をかけすぎた。
友を見つけるというただ一つの目的のためだけに。
しかし、都市の感染者を団結させる? そうきたか……
大都市から来た若者は、幻想を抱くのがお好きらしい。
お前にあざ笑う資格はあるのか、フロストノヴァ。
いや、そんなつもりなどないさ。お前は強い……彼らを連れて長い道のりを歩いてきたのだろう、私たちと同じように。
だが、南方行きはただの夢物語にすぎない。
遊撃隊は力を増しつつあるが、所詮私たちは感染者だ。
私たちに残された時間はあと何年もないかもしれない……そしてお前の言う団結の実現までには何年かかるか……
だからこそ――
父さん?
あっ……
ミスター・パトリオット?
パトリオットは焚き火のそばに腰を下ろした。タルラがいつも頭の中でシミュレートしていた光景と同じように、彼はただ座って無言のまま焚き火を見ている。
……
構わない。続けてくれ。
……時間が残されていないからこそだ。
南方には四季の変化による快適な気候、豊かな農地、新鮮な食べ物がある。
資源、教育、将来性……
そして未来だ。
――未来?
フロストノヴァ、お前の考えはよくわかっているつもりだ。
私の考えは顔に書いてあるようなものだ。しかし「未来」とは何なのか、私にはわからない。
私たちに残されている時間は確かに多くない。それに私たちが足を踏み入れることのできる場所もいくらもないだろう。
だが、私たち感染者にも未来はあって当然だ。感染者の未来……これからの人々の未来だ。
フロストノヴァ……彼らに居場所を見つけてあげよう。
監視隊に略奪などされず、軍に包囲されることもない場所を。
お前もわかってるだろう? 感染者を連れていると遊撃隊の行動は制限される。とはいえ、彼らを見捨てることなどできない。
これは厳しい道のりだ。
だが少なくとも、私たちが死ぬ前に生み出した希望を、後世に残すことはできる。
それに、もし今のウルサスの感染者制度を覆せれば……
全てが変わる。
私たちでは力不足だ。
例えば、お前が感染者じゃなかったら、お前は私と握手するか?
では握手から始めよう。
……お前が言っているようなことは、実現など――
父さん? どこに行くんだ?
もう十分だ。
ミスター……
はぁ。
あまり気にするな。
彼はまだ考えているだけなのかもよ?
だとしたら、あと何年考えるつもりだ?
この二年、私と彼との会話は、隊の構成と次の段取りに関するものだけだ。私の計画については一度も尋ねられたことがない。
タルラ、彼があなたをあざ笑っていようと、反対していようと――まあ、彼は他人をあざ笑うような人だとは思えないけど……あなたは待ち続けるよね。そうでしょ?
ああ。凍原を出るには、遊撃隊の力なくしては不可能だ。私は諦めない。
彼が凍原の感染者の希望だから?
アリーナの口からそんな言葉が出るとは思わなかったな。
私はあなたの考えが知りたいの。
……彼こそが凍原に暮らす感染者団結の象徴だからだ。
この象徴を次の世代に手渡すことはできないだろうがな。
早く立て! いつまでそこで固まっている気だ?
お前の冷気のせいでこうなってるんだよ、この白ウサギが……!
いくらお前の炎がちっぽけなものだろうと、たかがこの程度の冷気で動けなくなるとは情けないぞ!
何が「この程度」だ……ウルサス人の武器を凍らせる程の冷気だ、そんな甘いものじゃないだろう。
兄弟姉妹たち、退け! 敵を引きつけろ! 採掘場の守備隊をおびき出すぞ!
盾兵の支援が来るまで持ちこたえろ! 諦めるな!
――急げ、もっと早くだ! 遊撃隊はすでに包囲網を完成させつつある。
なぜそれがわかる――待て。
あの奇妙な源石のオブジェは、遊撃隊が設置したのか?
ああ、あれは父さんのために設置したんだ。
ウルサス軍が足を止めた……連中はあれを恐れているようだな。
まさか、あれは……サルカズの呪物か何かなのか?
父さんが使うサルカズの儀式用の「祭壇」だよ。今のところはあの二つが、手元の材料で作れる最高の物だ。
パトリオット……パトリオットも来るのか?
ああ。小隊が襲撃されることは織り込み済みだが、あの中隊をここで潰すには、うちの小隊だけでは足りないのでな。
……敵はもう動揺し始めてる。
父さんが戦っているとこを見たことあるか? タルラ……
あれは……や、奴だ! お前らなんで言わなかった? 奴がここにいるなんて聞いてねぇ!
撤退だ! 撤退!! そいつらは放っておけ、構うな!
いや待て! 奴は隊の後ろから来たのか? じゃあ前にいるこいつらは何の部隊だ?
おい、おい!? 何とか言えよ! 応答しろ!!
……
立ちはだかる巨大なサルカズは、現地の駐屯軍が突攻してくるまで微動だにせず、一言も発さなかった。
タルラには、凍原に吹く北風に紛れて悲痛な叫びが聞こえたような気がした。それはこの大地の震えであり、邪悪なその気配は偉大なウェンディゴの前で徐々に萎縮していった。
パトリオットは立ち止まったまま、持っていた矛を凍原に向かって投げた。
生き物の命を呑み込むことしか知らない陰鬱な空に、突然ぽっかりと巨大な穴が開いた――