画中人 WR-1・戦闘前
目覚め
そりゃどうしてだ?
それは書生があの晩、志を果たし、「誰も見たことのないもの」を描き切ったからです。
なんだか本の内容とは違う気がするんだが?
実際は、老父はそれを言う暇も無かったか、どう説明すればいいか分からないまま息を引き取ったのでしょう。
だから巷の噂は、書生が順風満帆の人生を歩んでいるところから、失意の底に沈んだところまでしかないのです。
真相を知るものは、どこにもいないのかもしれません。
でもよ、見たことないモンを描くってのは、別に難しくないだろ。今から俺が家に戻ってよ、めちゃくちゃに筆を走らせてやりゃあ、あんたらが見たことない絵ができるぜ。
はぁ……そういう事じゃあないんですよ。あなたが湖を見たことがなくても、雨上がりの水溜りは見たことがあるでしょう? 湖とは大きな水溜りです。つまり、あなたは湖を見たことがあるんです。
この書生のすごいところは、まさにそこなんですよ。
じゃああんたの言うとおりだったとして、彼は何を描いたんだ?
それは分かりません。
なぁ、いい加減そんなややこしい話は止めてくれ。面白くねえよ。いつ他の話をやってくれるんだ?
私は、前回の『一つの影が天へ向かい、双つの剣が天を分かつ』の結末が聞きたいな!
ええ、話しますとも。この世には語り尽くせないほど物語があり、私にはたった百年にも満たない寿命しかありません。もしもすべての物語を求めるなら、それは強欲というものです。
あなたたちが望むのであれば、次は違う話を致しましょう。
やったぁ!
いつも通り、私の話にお代はいりません。しかし皆様方のお茶代はいただきますよ。
本日はどうやらご新規さんたちがいるようです。御三方、私の講談はお楽しみ頂けましたでしょうか?
…………
…………
……今のは実話ですか?
とある書生が実は鉱石病に感染していて、志を果たせずに塞ぎ込んで死んでしまった。そういう物語ならば、間違いなく実際どこかで起きていたことでしょう。
そういった話に尾ひれを付けて、より面白い話として広められたのでしょうね。
なるほど、説得力のあるお言葉です!
ありがとうございます。
しかし、これらの奇譚の何割が真実なのかは私にも分かりません。ただ私はこの類いの話に興味がある、それだけなんです。
私は決して真っ当な講談師ではありませんが、この町で長い間、講談活動をしてきました。しかし私の「口から出まかせ」を聞きたがる人は、数えるほどです。
――ですが御三方にはお初にお目にかかります。なんとお呼びすればよろしいでしょうか?
ゴホン――(目配せ)
ああ、そうだそうだ、ご紹介が遅れましたね。実はこちらのお二人は遠方から来た友人なんです。人捜しをしているんですよ。
ですがお二方は炎国に詳しくないので、私が友人のよしみで道案内をしているんです。――ええと、こちらこそなんとお呼びすれば良いでしょうか?
私は家を出て長く、旧名はとっくに捨てました。若い頃は物書きをしており「煮傘居士(しゃさんこじ)」などと自称していました。今思えば赤面の至りですが、未だその名にしがみついております。
なんともゆかしい! いやぁ偶然ですね。私も必要に迫られて故郷を離れ、すべてが烏有(うゆう)に帰した身。そのままウユウと名乗っておりまする。
(だから言ったろ? あいつの名前は偽名だって――!)
(しーっ……)
(クルース? 何かに気付いたのか?)
(ん~? いや別に何もぉ……ただあの人が毎回、無理矢理こじつけたがるのが面白いなあって思って~。)
(…………)
では私たちは遠い異郷を流浪する者同士ですね。ちなみにお三方が探しているのは、どなたです?
曰く、「つまづく石も縁の端」……本当に偶然なのですが、私たちが探しているのも先の講談と同じく、画家なんですよ。
画家? この小さな町に、画家が住んでいるなどとは初耳です。どんな人なんでしょうか?
それは……恩人様、あなたから話されては?
女性です。あー、たぶん頭には変わった角が生えてて、奇妙なアーツを使う可能性もあって……それから、えーと……とにかく画家です。
情報はそれだけですか?
……それだけです。
そうですか……まるで思い当たりませんね。
うーん、おかしいなぁ……もしかして恩人様方の探している方は、もうここを離れてしまったとか?
この町にはほとんど客人など来ませんよ。もし皆様がおっしゃるように変わった方であれば、印象に残っているはずなんですが……町の人に頼んで聞き込みをしてもらいましょう。
いやぁ、それは助かります。お忙しいところ大変お邪魔しました。では私たちはこれで――
これで……あれ?
ウユウさん?
おい、どうした?
あ、えへへ。私たちは……どこから入ってきたんでしたっけ?
何言ってるんだ。アタシたちは――
――この小道に沿って行けば、庭園から出られますよ。
きっとここへ来る途中、人混みに紛れて迷ったのでしょう。はは、この庭園はそこそこの広さですし、もし道に迷ったなら、使用人に声をかけてみてください。
へへ……いやぁお恥ずかしい。どうして覚えてないんでしょうね。
もしその画家について、何か手がかりを見つけたり、手伝いが必要になったりしたときは、また私をお訪ねください。
では私も用事がありますので、この辺で。
ええ、どうもありがとうございました。恩人様方、とりあえず我々は失礼しましょうか。
おい待て――
さて、次はどこを見に行きましょうか? 茶館、宿場、庭園は全て回りました。どこに行けば手がかりがありそうですかねぇ?
……アタシたちがここに来てどのくらい経った?
え、突然どうしたんです? 大体……二、三日ですかね?
曖昧だな。
あはは、昨晩よく眠れなかったのか、頭がぼんやりしてしまって。
ラヴァちゃん。
ああ……この感じは……でもはっきりしない……まるで――
こういうときはやっぱり直感で進むに限るよぉ。
でもアタシの直感は、面倒な状況だって告げてる。
うーん、何かの精神系アーツかなぁ……?
ああ……これがアーツなら……
恩人様方、何をずっとブツブツ言っているんですか? 早く行かないと、日が暮れちゃいますよ。
何を言ってるんだ。空はまだ――
…………?
――空は……
私たち、なんで今まで空を見なかったのかなぁ? 顔を上げればすぐに気づいたはずなのに……おかしいなぁ。
お、恩人様。これはどういう状況でしょう? あそこを見てください……月が出ていますよ!?
ですが今は真っ昼間のはずですよね? なんで橋の方には灯りまで点いているんでしょう?
後ろを見てみろ……
えっ?
……反対方向の地平線だ。あれは……太陽じゃないか?
あ、そしたら、あっちの端からこっちの端まで一往復したら、一昼夜を「駆け抜け」られるのかなぁ?
本当に……奇妙だな。ニェンから、この広大な炎国の地ではどんな珍しいことでもあり得るとは聞いていたが……こんな現象まで見られるなんて――
ん? 待て、ポケットの中に何かある……
これは、ニェンがくれた護符……?
いや……待て! おかしい、おかしいぞ!
何が「こんな現象」だ。さっきアタシは何を考えていた……?
あ……
ウユウ!
え? はいはい、何でしょう?
ここは本当に泥翁町なのか!?
そ……それはもちろ……ん……?
よ、よく見てみたら何だか少し違うような……けれどこの付近には他の町はありませんよ!
……やっぱりおかしい、何か変だ。
クルース……アタシたちはロドスを出て、まず勾呉に到着した。そこで物資を補給した後、翌日の午前中に街を出た――そうだな?
うん。それから灰斉山に行く途中の荒原で、一台の車がスクラップになっててぇ――
――そして恩人様方が、あの畜生どもの手にかかろうとしていた私を救ってくださった……ですよね?
私はただ、あの子たちを新しくお家が作れそうな場所に連れてってあげただけだよぉ。あの子たちも一生懸命生きてるんだからぁ。
それから?
それから私たちは……
うんうん、それから灰斉山に登ってぇ……一軒の古ぼけたお家を見つけたのぉ。
そしてアタシがあの……
……門を開けた?
鐘の音? どこからだ?
鐘? 鐘が鳴ったぞ! おい、早く家族みんなに知らせるんだ! 急げぇ!
どういうことだ! 長いこと鳴ってなかったってのに……どうして今日に限って!?
おいっ……! 何が起こったんだ!?
あ、あんたらは外の人間か? あの鐘の音はな、西の山から化け物が来る合図だ!
化け物は光に近づけない。太陽の出てる場所にいれば助かる!
ば、化け物? どんな化け物なんだい?
ああもう、あんたらと喋ってる暇はねぇよ! 邪魔しないでくれ、妻も連れてこなきゃならないんだ!
お母さん! お母さん!
皆いるか? 来ていない者はいないか! 早く確認しろ!
恩人様、恩人様、私たちも早く避難しましょう!
太陽の出てるところに行けば安全だそうですよ! なら私たちも早く――恩人様?
……クルース。
準備できたよぉ。
よし。
――恩人様!? 無茶は止めましょうよ。未だに状況がはっきりしないんですから、まずは身を隠して――
え! ちょっと、どうして突っ込んで行くんです!? ああもう、恩人様方ときたら……待ってください、私も行きます!