吾れ先導者たらん GA-ST-1・幕間
千載一遇
もうじき彼女が戻ってくる。
当然よ。だって、レガトゥスたちがこれだけ時間をかけてお膳立てしたんだもの。
あなたはどのくらいいるつもりなの?
成すべき事を成したらすぐに去るよ。
なにせ私は、ここにいてもラテラーノ人の魂を導くことくらいしかできないからね。
……
さて、もう行くとしよう。
明日からはもう来ないで。
ママ、お湯だよ。
いい子ね、ゴホゴホッ……でもママは大丈夫よ。
じゃあ……ご本を読んであげる。
ああ……セシリア、愛しのセシリア……
あなたと離ればなれになるなんて……
ママ、どこかに行っちゃうの?
いいえ、ゴホゴホッ……そんなこと……ママは一度も考えたことないのに……
だけどママには、もうどうしようもないの……
どこに行くの? わたしも行ってもいい?
セシリアは付いてきちゃダメよ……ママが行くところはね、とっても寒くて、寂しくて、何もないところだから。
わたしがママと一緒にいたら、寂しくないよ?
……セシリア、ごめんなさい。
あなたはもっと幸せな子であるべきなのに……
ママと一緒にいられて、わたしはとっても幸せだよ。
……セシリア、いい子だからよく聞いて。
うん。なあに。
ママはね、もうあなたの面倒を見てあげられないの……だけど、あなたを迎えに来る人がいるわ。
その人に付いていって、パパを探すの。
パパがママの代わりにあなたの面倒を見てくれるわ。いい?
ママは一緒に行かないの? きっとパパもママに会いたいよ……
ママは……大事なお仕事があるから……一緒には行けないわ。
パパに会ったら、ママもパパが恋しいって代わりに伝えてくれる?
それと……ごめんなさいって。わかった?
どうしてママがごめんなさいするの?
……どうしてもよ。セシリア、約束よ……お願い!
わかった。ママ……ママ、泣かないで……
セシリア、なんて可哀想な子なの……あなたが生まれてきてくれたことは一番の幸せなのに、それがあなたにとっては一生の不幸になるかもしれないなんて……ああ、愛しのセシリア……
……一体誰なら……どんな人なら、あなたに祝福を与えてあげられるの?
……いい、セシリア。見つかってしまわないように、ちゃんと隠れて……
逃げなさい……ラテラーノから逃げるの……
母はその瞳に無数の感情を映しながら、娘の手を握った。しかし、やがてすべてがその瞳から力なく消え去った。
そして、両目がゆっくりと閉じられた。
ママ……?
サンクタの少女は、何が起こったのか理解できなかった。
母の手が冷たくなっていることに気付くと、少女は母が寒くないようにと、両手でその手を包み込み、自分の胸に押し当てた。
ノック音が響いた。
ラテラーノ公証人役場から参りました、執行人のフェデリコと申します。公務執行のため、ドアを開けてください。
ホテルのチェックイン手続きはすべて完了いたしました。
本日、あとはどうかご自由にお過ごしください。街を散策されてはいかがでしょうか。道中、関心がおありのようでしたから。
うむ……
ラテラーノの建築物は、なんともユニークであるな。
ええ、ラテラーノへ来たのは無駄足ではなかったでしょう?
ううむ、そうだな。
今後のスケジュールはどうなっている?
教皇聖下との面会の手筈はすでに整えてあります。私はこれから大聖堂へと戻りますので、明日またお迎えに上がりご案内させていただきます。
繰り返しになりますが、会期中はどうか存分にラテラーノをご満喫ください。もちろん費用もご心配無用です。各国の貴賓をもてなせることはラテラーノの名誉ですから。
各国の貴賓か……はぁ、これだけたくさんの異国人を集めて、何を話すというのやら。
だが、教皇聖下がここまで誠意を尽くしてくださるからには、私も貴国ならではの風情とやらを味わわせてもらうとしよう。
ええ。どうかお楽しみください。では、お先に失礼いたします。
それにしても面白い建造物ばかりだ……クルビアにもこの手の柱はあるが、細部の趣向には違いがあるようだな……
うむ、せっかく来たからには……
ん? あれは何を――
設置できた?
ああ、そっちは?
バッチリよ。エゼル君、周囲の避難は済んだかしら?
はい。直接被害を受ける恐れのある公民の避難は完了してます。二次災害が起きうる範囲の公民も了承済みです。
じゃあ始めてもいい?
はい。ええと……現在1099年3月15日午前10時22分、今回の爆破行為は、公証人役場執行人候補エゼルの立ち会いの下で執行されます。
はーい。それじゃあいくわよ。さーん――
(サンクタが三人……柱の周りで何をやっているんだ?)
にーぃ――
失礼、どうしてこの辺りには君たち三人以外誰もいないのかね?
いーち、点火! ――って、なんで人がいるの!?
!?
ば、爆発!? ……崩れるぞ!!
た、助けてくれ! ひぃ――!
!
いけない! ……ん? 崩れる速度が、ゆっくりに……
たす――
黙らないと舌を噛むわ。
ひぃっ――
はぁ……はぁ……
し、死ぬところだった。ラテラーノは一体どうなっているんだ! ……リーベリのお嬢さん、助けてくれて感謝するよ。
名前を伺っても構わんかね? 後ほどクルビア臨時会館を訪ねてくれればお礼をしよう。
この子は「幽光の夜警」っていうんだ。
……
幽光の夜警……? ラテラーノ人は変わった名前をしているのだね……ハハ……
そんな名前じゃないわ。
えーっと……あなたたち無事よね?
ありがとう二人とも、大変なことになるところだったよ。
お二人のご協力に感謝します。
どういたしまして。
しかし、一体何事かね? こんな真っ昼間に街中で爆発とは……まさかラテラーノにテロリストでも紛れ込んだのか?
えーっと……
ねぇねぇ。
何だい。
この柱の位置ってまさにパーフェクトだと思わない?
まったくだ。ラテラーノの建築美学が如実に現れているよ。それがどうかしたのかい?
うーんと……これを爆破したらどうなるか見てみたいのよね。
え――
そいつはナイスアイディアだと言わざるを得ないね。
だけど、例のサミットってそろそろでしょ? 外国のお客さんもたくさん来るみたいだし、教皇聖下もしばらく控えるようおっしゃってなかったかしら。
その通り。
つまり「控える」ようには言われたけど「禁止」はされていないってことさ。
……なるほどね。外国のお客さんに好印象を与えたいっていう教皇聖下のお気持ちもわかるけど、ありのままを見せた上で「好印象」を与えないと意味ないわよね?
その通りだ……興奮してきたな。
それで、公証人役場に届け出てから、この執行人のお兄さん立ち会いの下、周囲の公民を避難させて……
この美しい柱を「ほどよく」爆破してみたってわけだけど……
ですが、近づいてくる人がいるなんて思ってもみませんでした。
本当にごめんなさい。人に危害を加えるつもりなんてこれっぽっちもなかったの。
……移動都市の市街地で爆破だと? しかも役場に届け出た上で……公務員の立ち合いの下!? ラテラーノ人は……これほどまでに自由奔放なのか?
ラテラーノ人も戒律と規則には従順よ。
でも戒律の許す範囲なら、やりたいことを全部やるのがラテラーノ人なの。この国は公民一人ひとりの権利を尊重し保障してるから。
ただの爆発など日常茶飯事です。どうか安心してください。
もし怪我人が出たらどうするのだ……?
僕たちも加減をわきまえてますから……もちろん、今回のハプニングについてはお詫びします。
本当にすみません。
すぐには理解できないかもしれないけど、しばらく生活すれば、あなたもきっとここを好きになるわ。
うーむ……理解したいとも思えないが。
ともあれ、これがラテラーノ人さ。
ようこそ、ラテラーノへ。
へぇ、さすがはモスティマだな。時間の流れを遅くする能力か、そう錯覚させるだけの能力かはわかんねぇけど……
何度見ても不思議なもんだ。
オレン、あちらで何かあったのか?
いいや、なんてことない見慣れた光景だ。
だが、ちょっとしたサプライズは見られたぜ。
……? ほかの者が待っているぞ。
ああ、行くか。
「レガトゥス」。
当代の教皇が設立した特殊トランスポーター組織である。
これまで、ラテラーノは中核国家間において超然的地位を持ち、永世中立国の立場にあった。
その立場を見込まれて、ラテラーノ政府当局は外交実務において、特殊な案件に関する重要な情報の伝達を依頼されることがままあった。
教皇はその役回りを常態化し、体制を整えて組織化したのである。これによりラテラーノは、国家間を行き交うことのできる独自の力を手に入れたのだ。
レガトゥスの主要な目的は、ラテラーノの絶対的な中立体制を崩さないことを大原則に、国家間における重要な情報の流れを促すことにある。
1098年、教皇は選任したレガトゥスを介して、テラ各国に招待状を送った。
それは、ラテラーノで集団安全保障を議題とした国際会議――万国サミットを開催するため、各国に使者の派遣を要請するものであった。
1099年、レガトゥス制度が誕生して三十周年。
同年三月、テラ各地に散らばっていたレガトゥスは、諸国の使節を連れてラテラーノへと戻った。
今の……一人は護衛隊みたいだったけど、もう片方は……まさかレガトゥス?
珍しい組み合わせだなあ。
ちょっとエゼル君、立ち合いの仕事はもう終わりでしょ。ボーッとしてどうしたの?
申請書にも書いた通り、柱は元通りに立てておくから安心して。
わかりました。ではよろしくお願いします。次の任務があるので、僕はこれで失礼しますね。
え、遺言の登録状況確認者が……亡くなっている?
……
典型的な単身女性の住まい。ほかの者が生活していた痕跡はない。
寝室には安らかに眠る女性の遺体があるのみ。毒や暴力が行使された跡もない。
こちらフェデリコ。
ステファン区セルヴァティウス通り7-265にて、女性公民の遺体を発見。
死因は自然死と見られます。管轄の安魂教会に遺体収容の通達をお願いいたします。
現状遺言は確認されていません。故人の身元確認、及び遺言の事前登録情報に基づいた遺言捜索任務の発令を申請いたします。
報告完了。
ママ……
外に出ちゃダメ。
ほかの人に見つかっちゃダメ。
制服を着た人には絶対に近づいちゃダメ。
ママがそう言ってた。
制服の人、もう行ったかな? まだかな?
でも大丈夫。いつもみたいに、お客さんが来たらソファでお昼寝してればいいんだ。起きたらまたママと一緒にいられるから。
でもどうして……どうしてこんなにそわそわするの?
……どうして全然眠れないの?
大丈夫。きっと大丈夫だよ……変な人が出て行くのを待ってればいいだけなんだから。
それからママのそばに戻ればいいんだ。
あんなに使者を寄越すなんて、サルゴンは繁盛してるみたいだな。
いやいや、パーディシャーたちが積極的なだけですよ。それぞれ好き勝手に使者を寄越しただけで、全員同じ考えとは限りません。
使者同士が揉めないだけでも御の字です。
カジミエーシュもなかなかの大所帯だが、あいつらはどうだ?
監査会には提案を拒否されましたが、商業連合会は興味を持ってくれています。
自ら私を訪ねる代表もいたほどです。
……その代表は、国際情勢に関してレガトゥスにも劣らない理解を有する方で、色々とお話をさせていただきました。
もし多忙でなければ、今頃この場に現れていたことでしょう。
そちらの話も聞かせてください、オレンさん。
ああ。お前たちも耳にしてるだろうが、ヴィクトリアの情勢はこじれにこじれてるぜ。
ゴドズィン公爵とはなんとか良い関係を築けているが、公爵は今……人を寄越したくても寄越しづらい状況にある。
些細な動きが情勢を左右することになりかねないからな。まぁ、そんなところだ。
炎国も使者を出していませんが、「教皇聖下への感謝の気持ち」と称して、かなりの寄贈がありました……まったく炎国らしいやり方ですね。
ここ数年で頭角を現したイェラグも今回使者を派遣してきましたね……他国の使者も揃ったようです。
正直、私たちがこれほどの影響力を有しているとは思ってもみませんでした。
怖気づいたか?
少し。
たしか、お前はこの仕事に就いてまだ数年だろ?
ええ、四年弱です。
だが、レガトゥス制度はもう三十年も続いている。
今日の影響力は――俺たちの努力の積み重ねの結果に他ならないってことだ。
それに、まだ俺たちの目指すものには程遠い――俺たちが目指しているのは、中身の伴った正真正銘の「万国サミット」だろ?
ラテラーノ大聖堂に現れるのは、各国の使者なんかじゃなく、真に改革をもたらすことのできる人であるべきなんだよ。
緊張するのはそういう大物たちが揃った時に取っとけ。
そんな言い方をされると、その日の訪れが待ち遠しいとも思えなくなりますが……
オレン、また先輩風を吹かせて後輩イジメかしら。
おいおい、冤罪だぜ!
……いつかあなたの思い描いた光景が実現しても、緊張する必要なんて何もないわ。
私たちには皆、その資格がある。そうでしょう?
かもな。
それで、各地域の担当レガトゥスは皆、揃ったかしら?
あとはモスティマさんだけですね。
モスティマ? あぁ、さっき見かけたぜ。
彼女は何を?
今頃、故郷の空気を存分に楽しんでるところだろうな。
そう。構わないわ、元々来るとも思っていなかったし。
いつも通り、彼女が教皇聖下に報告する番は最後に回せばいいわ。
教皇聖下がご到着されました。
一瞬にして、ホールが静まりかえった。
レガトゥス全員の視線が一箇所に集まる。
全ラテラーノ人の導き手であり、牽引者であり、宗教指導者――
おはよう、我がラテラーノの子らよ。食事は済ませたかね?
いかがですか?
外的要因は認められません。おそらく持病によるものでしょう。
ああ、なんと痛ましい。どうかあちらでは苦しみと無縁でありますように。
灯火の潰えたサンクタよ、あなたは安魂教会へ運ばれ、永遠の安らぎを得ることでしょう。
壁に掛かっている「これ」も持って行きましょう。後で公証人役場の方にお渡しします。
どうしてママを連れて行っちゃうの……?
わたし……どうしよう……
セシリアが視線をドアの方へと向けた。
外に出ちゃダメ、見つかっちゃダメ……そうしないとセシリアが危ないから。
ママはそう言ってた。
……でもママは連れて行かれちゃった。ママは危なくないの?
フィアメッタ……
ちゃんと名前で呼ぶなんて珍しいこともあるのね。
ふーん、嫌だった? やっぱり「幽光の夜警」の方がいい? それとも新しいのが欲しいのかな?
フィアメッタ以外は認めないわ。それで、何?
今頃、大聖堂で同僚たちに陰口を叩かれてるのかなーと思ってさ。
自覚があるなら顔くらい出せばいいじゃない。
遠慮しとくよ、大聖堂の雰囲気はいつまで経っても慣れないんだ。
それに、私なんて歩く警告標識みたいなものだし、顔を出したところでみんなの居心地が悪くなるだけでしょ。
あなたが他人の居心地なんて気にするの?
私だって空気くらい読むよ。
どうだか。でも思ったより今回の里帰りを楽しんでるみたいね。
そうかな?
……なにが「ようこそラテラーノへ」よ。
あぁそれ。久しぶりの里帰りでちょっと浮かれてたのかもね。
あっそう。
ハハッ、ほら、行こうか。
行くってどこへ?
もちろん「あの子」に会いにだよ。
……あっ、もしかして転院しちゃってる?
……あなた、自分がどれだけラテラーノを離れていたか自覚した方がいいわ。
付いてきて。
めったに来ない場所だ。もう郊外近くまで来てるけど……もうすぐかな? えーっと、セルヴァティウス通り7-265……
あの家の前に停まってる車……安魂教会の霊柩車かな?
修道士さん、こんにちは! あの……
ごきげんよう、お若き執行人さん。
お二人はもう調査を終えたんですか?
ええ、病で亡くなられたサンクタでした。
ご遺体を確認させてもらってもいいですか?
……検証完了、故人は世帯主のフェオリア・ラポルタさんですね。
修道士さん、僕が受けた任務説明では、故人の周りに遺言は確認されずとのことでしたが、お二人はそれに類するものを見かけませんでしたか?
いいえ。ですがこちらをお受け取りください……公証人役場が回収するものでしょう?
これは……故人の守護銃ですか? ありがとうございます。僕が責任を持って公証人役場へ持ち帰りますね。
身元の確認と守護銃の回収が済んだのであれば、私たちはこの御方を安魂教会へとお連れいたします。よろしいですか?
……あっ、わかりました。よろしくお願いします。
えーっと、故人の情報があれば、端末からでも遺言の事前登録情報を照会できるはず……
……本籍地……世帯主……
……あれ、遺言の事前登録がない?
この診断記録は……
はぁ、この手の病気なら、入院治療を諦めてもしょうがないか……でもどうして遺言すら残さなかったのかな……
ん……? 近所の子供かな。でも僕を避けてるような……
危ない!
え、そんな。気を失ってる? ただ転んだだけなのに……
すみません! この子のご両親はいらっしゃいますか!? あるいはご両親をご存じの方は? 近所に住んでる子でしょうか?
こんな子、見たことないわね。倒れちゃったの? ……頭でも打ったりしてないわよね?
僕も知らないなぁ。越してきたばかりかな? 役所の出張所の人に聞いてみたらどうかな。
ぐずぐずしてる場合じゃないでしょ! 怪我してるかもしれないんだから早く病院に連れて行かないと!
執行人さん、早く病院に連れて行ってあげて。私たちはみんなこの辺に住んでるから、親御さんっぽい人を見かけたら急いで病院に向かうよう伝えておくわ。
わかりました、お願いします!
チッ……まさかセシリアが家から出るとは。しかもよりによって公証人役場の奴と鉢合わせるなんて……
パティア、どうする?
どうするもこうするもないわ。まずは追ってセシリアの安全を確認して……それから奪い返すのよ!