潮汐の下 SV-ST-1・幕間
呼び起こされし悪夢
あなたが来ることはわかっていました。さあ、お入りなさい。
どうして?
何とご説明しましょうか……
はぁ……必要ないわ。
吟遊の歌い手よ。あなたはどこへ行くにも、そのケースを肌身離さず持っているのですか?
そうよ。
では、もう一つご質問しても?
何かしら。
ケースの中には何が入っているのでしょう?
サックスよ。
サックス……管楽器の一種ですか。それは素晴らしい。
その音色、聞かせていただくことはできますか? 何せこの街にはもう何年も、音楽などありませんでしたから。
おっと、そうでした。申し訳ない……吟遊の歌い手には、報酬を支払わなければならないのでしたね。
お恥ずかしい話ですが……私では大した報酬をお渡しできないかもしれません。
ご覧の通り、この建物も随分年期が入っておりまして……フフ、管理するだけでも一苦労なのですよ。この都市では、貨幣は意味を持たないがらくたで、使う人も集める人もおりませんし。
ですが、私にもランチくらいはご馳走できます。吟遊の歌い手よ、いかがです? 何か演奏してはもらえませんか?
美味しい料理とは言えませんが……あなたのお腹を満たすことくらいはできますよ。
……
先ほどから何も言わない様子を見るに……ああ、もしや音楽よりも踊りがお好きなのですか?
ほら、あなたはダンス用のドレスを着ていますし……なんと多才な方でしょう。あなたのような魅力溢れる素晴らしき友をこの地で見るのは久しぶりです。
(……気持ち悪い男。)
歌を聞かせてほしいなら、海岸で頼んでくればよかったじゃない。
私は聞きたいことがあって来たの。それはあなたにも関係があることだけど……あなたの隣にいる人なら多分答えを知ってるでしょうね。
……
こちらは私の――知人なのですが、もしやお知り合いですか?
あら、ご存知かと思いましたわ。
あなたには聞いていません。
どうかしらね。
おや……そうなのですか?
その人が、昔知っていた人と同じかどうかなんてわからないもの。
ああ、なるほど……
それもまた、当然のことです。波が打ち寄せ続けるうち、時と共に岸辺が砂へと変わるように……人は、変わるものですから。
つまりあなたがここへ来たのは、彼女が呼び寄せたからではない……と?
――あなたが私を呼んだんじゃないの?
私があなたをお呼びしても、あなたは来てはくれないでしょう? あなたにとって、私は見知らぬ者ですから。
私はただ、彼女に呼ばれて来たのかどうかを聞いているのです。
違うわ。私が自分から来たのよ。
ふむ、嘘ではありませんね。私は嘘を聞き分けることができるのですよ……確かに、あなたは誠実だ。
私が何も言わないうちから、根掘り葉掘り質問して……あなたってどうしてそんなに鬱陶しいの?
怒りを鎮めてください、歌い手よ。別にあなたを怒らせたいわけではないのです。ただ……慎重さは美徳ですから。
……今度は私が質問するわ。
この都市の人たちはあなたを信頼してる。でも、海岸での出来事は――
絶対に異常よ。
食べ物欲しさの物乞い。やってくる恐魚。そして……海。
あなたはどこから来たの? 何か知ってるんでしょ? あなたと彼女は私に何を隠しているの?
あぁ……フフ、そうですね。確かに私は、他の人より多くを知っているかもしれません。
例えば、「あの方」があなたに会いたがっていること……だとか。
会いたがってる? 私が歌い手だから?
ああ、いえ……音楽に興味があるのは私の方です。
少々、突拍子もない話に聞こえるかもしれませんが……あなたに会いたがっているのは、私ではなく――
私の友人なのです。他ならぬ「あの方」のためにこそ、あなたをここへご招待したのですよ。
「あの方」? それは誰のこと?
それはすぐにわかります。ついてきてください。
……あなたのご友人も、そこに居りますので。
こちらへどうぞ。
さあ、あなたも。
……
ええ、あなたも来るのです。報酬を与える時が来ました。
申し訳ない。少々暗いですが……あなたからすれば、大したことではないでしょう?
吟遊の歌い手はその多くが素晴らしい腕前だと伺いました。都市も荒野も、あまり親しみ深くはないものですし、遠出には災いがつきもの……身を守るすべが必要ですものね。
音楽の才はお金では買えませんが、それを披露すれば貨幣となり得ます。歌が上手ければ、どこへ行っても餓えて死ぬことはありません……
私も以前はそうした生活に憧れたものです。しかし、恐らく向いてはいないのでしょう……一度どこかに根を下ろすと、そこを離れがたくなってしまうものですから。
さあ、着きました。
この場所は……まさか……
そう、ここは海底です。
あれは――!
スペクターの身体が、水槽の中に浮かんでいる。彼女は死んでいるようにも、深く眠っているようにも見えた。
スカジの頭の中を、いくつもの考えがよぎる。
どうして彼女が水槽の中に? グレイディーアがやったの? もし彼女が死んでいるなら、グレイディーアは彼女を見殺しにしたってこと……!? それじゃあ、彼女は本当に――
彼女はあなたの友人……そうでしょう?
では、あなたがスカジですか。ああ、いえ、あなたを見張っていたのは私ではないものですから。無論、我らの手の者ではありますがね。彼らは実によくやってくれていましたよ……
特に、あなたと親しかった人々を始末し続けてくれたこと……これは素晴らしい働きでした。あなたにプレッシャーをかけ続け、ギリギリの精神状態を維持させることができましたから。
――
なん……ですって……?
ですが、最近の彼らはあなたに構っている暇がないようでしてね。代わりにこちらの隊長さんが、私への贈り物として……あなたをここへと呼び寄せてくれたのです。
まさか歌い手ではなく、あなたの方から進み出るとは……一体何を待ち続けていたのですか? 私を殺す機会などいくらでもあったはずでしょう?
あら、あなたはそこまで愚かでしたの?
あなたたち罪深き者はいつもそうした態度を取りますね……中身がともなっていないにも関わらず、自分が優位にあると思い込む。この実験体の……彼女の命がここで消えても構わないのですか?
彼女を連れてきた時……あなたの表情からは喜びようが見て取れました。その上あなたは、彼女をどこへ連れて行くか私には見せませんでしたわね。ええ、あなたに彼女を殺せないことは明白ですわ。
それはきっと私ではなく、スペクターの命こそがあなたにとって重要なものだったからでしょう。
私があなたたちの実験場にもたらした損害よりも、ずっと……ね。
やはり、やったのはあなたでしたか。
――スペクターの存在はさぞかし貴重でしょうね。あなたが行っている、アビサルハンターを対象とした源石感染性テスト……その被検体となりえるのは彼女だけですもの。
陸生家畜の原罪が、あなたたちの罪深き身体にも影響を与えること……興味深いとは思わないのですか?
確かに……我々三人の実験場はあなたに手ひどく破壊されてしまいました。エーギルの技術を駆使して、精錬後の液化源石をあれほど大量投入したというのに……もはや再現は叶いません。
そう、彼女は実に貴重です。なぜこれほど凄まじい源石感染に抗えるのか……私には理解が及びません。何しろ彼女の脊髄は、その成分を希釈しても、小国を一つ感染させるに十分なのですから。
しかし、今はこれまでとは状況が違います。彼女は既に私の手中にある……あなたのお陰でね。罪深き者よ、感謝します。私は他の二人に先んじて……あなたたちの最後の秘密を暴いてみせましょう。
私は、自らの成果を証明するのです。我が研究を、我らが宿敵の秘密を、そしてその弱点を……
あなたがそれを成す前に……ここで死んでいただきますわ。
私、生かす理由も価値もない者は始末することにしておりますの。つまりあなたを生かしておいたのは、あなたこそが「あの男」なのだという確証を得るためですわ……
そして、あなたと彼らがこの実験に関与していること……その確証を得ましたので、あなたはもう必要ありませんわ。
深海教会……あなたは、深海教会の人間ね。
私がいつ、そう呼ぶことをあなたに許しましたか?
上手く素性を隠したものね。あなたたちは皆、生まれが違うように見えるし、言葉も随分達者だし。
スペクターがおかしくなったのも……あなたたちが彼女に何か植え付けて、苦しめたせいかしら?
それにあの住民たち……あなた、彼らを利用してるわよね。彼らもあなたの実験台?
それなら海に身を投げた人たちは……皆、あなたの実験の犠牲者ってことになるのかしら?
無礼者め。
海の施しは、彼らを利用するための行いなどではありません。彼らへの救済こそ我が目的。
無論、彼らを放っておくこともできますが、そうなれば彼らは命を落としてしまうでしょう。
海は彼らに食べる物を与え、生きたいと思えない人には自由で新しい生までもを与えてくださるのです……
罪深き者などに、どうして理解できるでしょう……
もう結構ですわ、司教。何か勘違いなさっているようですけれど……あなたの目的に興味はありませんの。私の関心事は、あなたの為した数え切れぬほどの悪行がどこまで影響するかということだけ。
お話はもう十分ですわ。
たかだか一人連れてきただけで……私に勝てるとでも?
あなたたちは皆等しく自信に満ち溢れていて――同時に等しく愚かであるようですね。
あなた方の中には恐魚になるという選択をした者もいること、私は既に存じております。ですが、それは切り札とはなり得ませんわ。
たとえあなたが「シーボーン」になれたとしても――
グレイディーア!!
グレイディーアの速度を以てすれば、声が届くよりも早く避けられたはずだった。
しかしそれは、彼女が避けようと思えばの話だ。
グレイディーアは気付かなかった……
ゴフッ――げほ、ごほッ……
この行為。彼が願い、私が応じた。
休息せよ。Gla-dia。
Ishar-mla。
Ishar-mla。会いたかった。
長らくの浮沈。長らくの浮游。数多の生と、死。
やれやれ……
愚かにして罪深き者よ。使者があなたを必要としていなければ、あなたたちのような悪しき者は海岸で命を落としていたでしょうね。
減らず口を……
使者よ、どうかこの問題を疾くご解決ください。我らが海を侵犯する悪しき者たちを見ていると、気分が悪くなってきます。
お前は、それほどに。彼女たちへの攻撃を望むか?
この連中が、エーギルが生み出した雑種どもが……我らの同胞をどれだけ殺してきたとお思いですか?
お前は――いや。
初めに、問う。質問をしよう。
Ishar-mla、我が姉妹よ。
……今、なんて……?
……
姉妹よ。お前は今も、己がどこから来たのかを、故郷を知らない。
私の故郷はエーギルよ、怪物……つまり、あなたの天敵ってこと。
お前は無知だ。
私が、真実を教えてやろう。
お前たちは、我らと同じ存在だ。
……
お前には、我らと同じ血が流れている。
嘘よ!
おお、使者よ……今、何と仰いましたか?
Isha-mla。お前の血潮は、我らの血潮。
お前たちの肉体が存在し、我らの血潮が流入した。
私には、数多の血族がいる。彼らはお前たちに会った。そして、彼らは死んだ。
彼らは、お前たちの匂いを嗅ぎ取る。お前が、我らの匂いを嗅ぎ取るように。
彼らは、お前たちの皮膚の下に、同胞が幽閉されていると考えた。故に彼らは危険を顧みず、お前たちの肉体を噛み千切り、同胞を解放したいと願った。
しかし彼らは、準備ができていなかった。その時点では未だ、理解するための器官を持たなかった。
お前たちの体内に、幽閉されし同胞は存在しなかった。お前たちもまた、我らの同胞だったのだから。
Ishar-mla。お前は、我らの一員だ。
今こそお前を呼び覚まそう。記憶の中の、その感覚を。エーギルの肉体は脆く、そして万物はあまりに速く過ぎ去っていく。お前の中に眠る血脈を私が共に探し出す。
やめ……やめて!!
だが、お前は知りたがっている。それを私は、理解している。
あなたたちは、私たちを、エーギルを散々殺してきたじゃない……なのに今度は私を同胞呼ばわりして、迎え入れようっていうの!?
私には、お前と同じ血が流れている。
お前は、我らの匂いを嗅ぎ取る。我らが、お前の匂いを嗅ぎ取るように。
お前たちは、我らを探し出し、我らを殺した……
我らの理解が及ばなかった時、我らもお前たちを殺した。
我らは海に餌をやる。我らの死体は海を育てる。
Ishar-mla、我らの故郷は同じなのだ。
あなたたちは私の家族を殺したのよ。私のお母さんを、おばあちゃんを、妹を……
いいや、違う。
我らは、エーギルの都市には行かない。
数え切れないほどの都市を滅ぼしたくせに!
あれらの都市は、我らの領地に存在していた。
ふざけないで。エーギル奥地の都市でも、あなたたちに狩られた人がいたのよ!
違う……それは、違う。
我らの行いではない。都市での死は、一族を育まない。
エーギルが我らを攻撃し、我らがエーギルを攻撃する。違いは存在しない。
お前たちの領地、都市での人々の死は、その地の者の行いだ。
そんなの、嘘に決まってるわ!
「嘘」? 私は「嘘」の意味を知りたい。先刻、お前は「嘘よ」と発言した。私は「嘘」を知りたい。
違う……いいえ、違うわ……!
Ishar-mla、お前と我らの間には、大きな隔たりがある。お前では、我らに思考を伝達することは不可能だ。
しかしお前には、我らの思考を知ることが可能だ。それで十分だ。
私の身体は成長した。言語を用い、お前と交流することができる。
言語は膨大であり、扱いにくい。私の言葉は限られる。しかしお前は言葉を以て、私に伝達することが可能だ。
Ishar-mla、私はお前に会いに来たのだ。
私と、あなたは……ううん……
お前は、周囲の生き物を、馴染みがたいものだと感じている。
海を泳げば、その方向を知る。理解する。光なくとも、海中のあらゆることを知ることが可能だ。
お前は、時折夢の中で、大群と共に泳いでいるように感じている。
……どうしてそんなことを言うの。どうして……
……
お前は、思い出した。
……あ、ありえない……
なぜ、これまで……どうして、我らは気付かなかった!? なぜ我らに発見できなかった!?
Ishar-mla。聞きたいことがある、Ishar-mla。顔を上げろ。
私が……私が、「それ」を……殺したの……
お前は、殺していない。
違う……私が、殺した……
私が■■■を……殺した……
■■■は何もしなかったのに……それなのに、私は……私は……
私の……私の妹までも……エーギル……エーギルが……!
お前は、罪に言及するか?
私の罪は……私は……
Ishar-mla、疑問は不要だ。我らに罪など、存在しない。
お前はただ望み、行動しただけだ。Ishar-mla、同胞のしたことに罪はない。
でも私は、私たちは、エーギルのために……あんなに、たくさん殺したのに……
お前は、自分をエーギルだと思っている。ならば、お前が殺した、行為は正しい。
お前は、他の人間を血族と見なした。だから、お前は行動した。我らは、知らなかった。お前たちを攻撃した。その時、お前たちは我らを殺した。この行為も、正しい。
――
どうして?
――Ishar-mla。
エーギル、鱗のない者たち。「罪」とは、お前たちの言葉の中にのみ存在する。
生存のための行為は、すべて正しい。
つまり……
お前は、間違っていない。お前には、知ることをすべて伝えることが可能だ。望むか、望まないかは我らには存在しない。伝えるか、伝えないか。存在するのは、それらのみ。
お前に、質問をしよう。回答せよ。
Ishar-mla。お前たちの攻撃が、我らと「それ」との繋がりを、密接な関係を断った。今、我らは「それ」の脈動を感じるのみ。その声を聞くことはできない。
お前たちが最後に共に泳いだのは、共に攻撃したのは、その時だ。
そう……
「それ」が再び眠りに就いた時、お前は――
「それ」が何か言ったのを、聞いたか?
■■■は――
■■■は、言ってたわ――
なっ……!? し、使者よ!
あぁ……いずれまた会おう、我が姉妹……
グ……ァあ……
Gla-dia……
ゥ、ギ……お前は、頑丈だ。Gla-dia。
小煩いゴミですこと――(エーギル語)あなたには、礼を以て接する価値などなくってよ。
(エーギル語)おとなしく狩られなさい……罠に掛かり、醜い悲鳴を上げて。勿論、獲物はあなたよ。この意味、無能なゴミにわかるかしら?
我が姉妹よ……お前の伝達……情報量の、密集……
感情を、恨みを。獲物風情がどうして理解できるというの?
愛、恨み、苦痛、悲しみ、喜び、安堵……あなたたちからすれば、すべてが無意味なのでしょう? それらを無用の塵芥……不要で余計なものだとでも、思っているのでしょう?
お前の言う、すべて。我らは、持っていない。
では、愚鈍なゴミには理解も及ばぬことでしょうね。私たちからしてみれば、「余計なもの」を持ってこその人生なの。いいこと? ――私たちは、あなたとは違うのよ。
Gla-dia。感情。非常に強力な感情。
歌すら満足に歌えないのに、随分お喋りするのね。死になさい。
どうして――なぜ! そんな、ばかな……
あれほどの傷を受けておきながら、回復したというのですか!?