この炎が照らす先 FC-8・戦闘前
彼女の影
さすがのあいつらも、天災でめちゃくちゃになった瓦礫の中にまでは追ってこないか。
朝に濃い霧がかかってくれてよかったよ。でなきゃこうも簡単には逃げ出せなかった。
あっ、気を付けて。今の状況だと十分な防護措置は取れないから、ここでもし怪我をすれば、感染するリスクがある。
モラン、キミも。源石が密集している環境は、感染者にとっては特に危険だから。
はい、気を付けます。
……ケリーは寝たの?
はい。呼吸は安定しているようですし、寝ていれば少しは痛みが和らぐでしょう。
……ですがやはり心配です。早くどこかで腰を据えて傷の処置をしなければ、彼女は持ちません。
ええ。
……キミたち、失望した?
いいえ。私たちはしっかり納得した上で、あなたに付いてきたんですから。私たちが今、一部のダブリン兵と戦わなければならないのは、彼らにとって二人目の「リーダー」が邪魔だから……
でも彼らにはより大きな目標があるので、私たちを追い続けることはない。そうですよね?
もう逃亡生活には慣れています。このくらい我慢できますよ。
ですが、この逃亡生活が終わったらどうするかは、まだ伺っていませんでしたね。
……
それについては、まだ確かなことは言えないんだ。ごめん。
そうだ、廃墟の奥に、源石クラスターの少ない場所があるかもしれない。しばらく身を隠せる場所がないか見に行きたいんだ。
できることなら、みんな足を止めて休むべきだから。
でもあっちに誰かいませんか?
普通の人に見えますが、こんな場所に人がいること自体不自然ですから、警戒しなくては……
……
……大丈夫。
……怯えているように見えますが、どうかしたんですか?
大丈夫、心配しないで。
(……もしかして姉さんがここに来たの? この近くに?)
おい、あの人、ちょっと歩き方が変じゃないか?
見ない方がいいよ。
ひぃっ──こ、こいつ死んで──
彼女はもう、ずいぶん前に亡くなっている。
ただ、アーツに身体を操られていただけだよ。私たちがこれまでに見たあのダブリン兵たちのように。
じゃあ、これをやった人は……どうしてわざわざ一般人を操るんですか?
わからない。
──奥に行ってみよう。アーツに操られている死者たちは私が対処するから、付いてきて。
ここはとても暗いから、階段を降りる時には、むき出しになったクラスターに気を付けて……モラン、ケリーを背負ったままでもちゃんと歩ける?
ええ。あなたの火が消えない限り、はっきり見えますから。
わかった。降りられるところまで降りてみよう。あまり大きな音を出さないようにね。
──
これは……
……ゲル王の城?
そのすでに滅んだ王朝について、灰色の廃墟にうずたかく積まれた不屈の将の鎧を想像する者もいれば、古の不気味なからくりの下に未だ黄金の王冠が隠されていると言う者もいる。
現代のロンディニウムの壁と比較して王城の雄大さを謳う者、英雄時代の美徳の繁栄を果てなきクラスディン内海に例える者、またヴィクトリアの影に日一日と侵蝕される様を嘆き悲しむ者もいる。
人々はこの古城を、ターラーの悲しみの墓石、怨恨の亡魂であると想像する。
しかし、それは静かに丘の上に佇んでいるだけだ。王城がなかった頃の、この場所の姿をあらわにしているだけである。
野草が生え、蔓がそこかしこに這い伸びている。
これってどれくらい前のものなんだ? 五百年? 千年? なあなあ――
シッ……ケリーが起きてしまいます。
すまん……ただちょっと、いや、かなり驚いちまったもんで。
俺たちは毎年違ったゲル王の物語を演じてるし、ターラー王国の民の子孫だからターラー人って呼ばれてるのはわかってるけどよ……
……ですが、それが実際に存在していたなんてことは、誰も信じていませんでした。
ターラーの戦士が持つすべての武器を熔かし、王朝の運命を覆したという伝説の炉さえも存在していたのですね……
……ずっと昔、吟遊詩人を探して街からやってきた人に会ったことがあります。
彼は、伝説の多くは後世の人間によって作り上げられたものだが、その物語の中には、必ず歴史の痕跡が残されているとおっしゃっていました。
リードさん、あなたはきっと他にもたくさんのことを知っているのでは?
……
どうしたんですか? ここに来てからずっと黙ったままですけど。ここが嫌いとか?
……かもしれない。
子供の頃、私は眠る前に、いつもターラーの伝奇物語を読んでいたんだ。
ヴィクトリア王室向けに文章を書く人も、ターラー文明を残したいと思う人も、彼らは常に「ドラコは争いに身を投じる定めである」と書く。
伝説によると、初めゲル族を率いていたドラコは川の水を焼き枯らして南へ行き、互いに殺し合い玉座を奪おうとする親族から逃げ、ターラーの土地を切り拓いたという。
伝説によると、ヴィクトリアの赤き龍は、ターラー最後の遊牧ドラコのリーダーを殺して、言葉を真似始めたばかりの彼の幼子にゲル王の称号を与えたという。
伝説では、ターラーのドラコはその後宮廷に幽閉された。王冠を捨て荒野で二十年も過ごしたのちに帰還した「放逐王」ですらも、謁見しようとした際に在位中の親族に殺害されたという。
ターラーの歴史はこんな物語で溢れているんだ。ドラコの王城の中には、いつも陰謀と鮮血が張り巡らされていた。だから……
憧れや幻想よりも、私は……ここに恐怖を抱いているんだ。
……でも、ここには天災が残したクラスターはほぼ見当たらない。
ここで休めば、きっと安全だよ。
そりゃ助かった。ほら、モラン、ケリーを降ろすの手伝うよ。
はい、ありがとうございます。風が当たらない場所に寝かせてあげましょう。
壁も頑丈そうですし、奥まった場所なので足休めにはもってこいですね。夜に火を起こしたって外の人には気付かれないと思います。
あれ、おいリード、どこに行くんだ――
シッ……そっとしておいてあげましょう。
……
リードは微かな物音を耳にした。
彼女は、目の前の錆びた設備に触れようとした手を引っ込めた。
これは……動いているの?
それは、火を灯せば誰でも動かせる物だよ……点火した人がいるというだけの話なのに、何を驚いているの?
……うん、姉さんが来たんだね。
設備の隙間から紫色の炎が見えた。
かつての王城が今ではこんなふうに……姉さんはあざ笑ってるはずだよね? 伝説の君主が残したものが、この程度のものだなんて。
この近くに安らぎを得られない死者がたくさんいたのは、ここで姉さんの炎が燃えていたからなんだね……
荒野で行き倒れになってしまった人が、理由もなく死の炎で呼び起こされた。
ダメ……近づかないで。
キミもあの火が怖いんでしょ?
……
それでも……キミはそれを消したいんだね。
……うん、これは多くの人に苦しみをもたらすものだから。
でも、キミが本当にそうするつもりなら、私はキミを行かせはしないよ。
キミの姉さんはダブリンの火を灯したんだ。キミでは同じ火を灯せないことは、自分でもわかっているはず。
彼女は多くの非道な行いをし、多くの嘘で取り繕ってきた。でも、それらは必要悪だ。彼女は幾千幾万ものターラー人に、後に続くよう呼びかけた。聖人や暴徒、貴族や賤民にかかわらず。
そんなことは、キミにはできない。
いいえ……私にもできる。
私は、そうした犠牲が必要なものだとは思わないし、ターラー人が救いを得られるのは姉さんの方法だけだなんて、絶対に思わない。
でもずっと前から──オークグローブ郡のあの大火の時から、キミの姉さんはすでにリーダーだった。
ふと、通りでうつ伏せに倒れていた傷だらけの女の子の姿を思い出した。女の子の手を引いて、早く逃がしてあげたかったが、自分が手を伸ばせば、灰になってしまうのではないかと怖くなった。
すると姉が女の子に歩み寄ったのだ。
「生きたいか?」──姉はそう訊いた。
お前のすぐ隣に下水道がある。そこに逃げ込めば、憎き貴族どもはお前を追えなくなる。
マンドラゴラ――彼女はそこから逃げ出したが、最後にはまたそこに還った。
だけどキミは? キミは結局、誰に対しても手を差し伸べることはなかった。
……
そうだね。もしも私が彼女に手を差し伸べていたのなら、違う結果になっていたかもしれない。
本当に彼女が救われたのなら、あの日の放火犯のように悪事を働く以外にも……多くの選択肢があったということを知れたはず。
でも実際には、キミは自分の力すらも恐れていて、その扱いを他人に委ねることしかできない。
……だから他の人はおろか、姉さんすらもキミに失望したんだよ。
……違う、キミの言葉は間違っている。キミが言っているのはもう全部過ぎたことだよ。
今の私は、もう他人の手を握ったことがあるの。
私が先頭を切って導くとはいえないけど、この火でみんなの道を切り拓くことができる。ほかの人に手を引かれて、その道を歩むかもしれないけど、私はもう自分の炎を誰かに委ねたりはしない。
姉さんが……もし姉さんがちゃんとそれを見てくれれば、失望はしないはず。
キミはただ、偶然仲間ができたというだけでしょう?
その人たちの前でなら、キミは戦えるし、演説することも、みんなを先導することだってできる……そうやって装うんだ。
でもキミはただ姉さんの真似をしているだけ。
キミは姉の影にしかなれない。あの人は、いかなる手段も抜かりなく徹底的に用いることができる。それに対して、キミには余計なためらいや軟弱さが多すぎる。
私はターラー人居住区を焼き払った将校たちのことを思い出した。彼らはターラー人のことを身勝手だと言った。ろくに読み書きもできないターラー人が、法律に抗議していると言ってあざ笑った。
私には、これこそが姉が最後に先生に言った、今後起こるであろうことだとわかっていた。
ヴィクトリア人は、自分たちの手で憎しみの炎を生み出した。すべてを焼き払うまで、この大火は消えない。
瞬きをするな、と姉さんは言った。私たちの暮らしがどのようにして何度も滅ぼされてゆくのか、その目に焼き付けろと。
黒焦げの死体がそこかしこにある中で、死の炎を支配するドラコが手を上げてアーツを放つ。
冷たい紫の火が、死者を焼いていた激しい炎を覆った。
実はその死の炎自体は、誰かの命を奪ったりしない。それはただ、彼らが灰燼から這い上がり、復讐することを許しただけだ。死してなお故郷を燃やした者に対して復讐をすることを。
……私は後悔していない。
これまで、私はずっと姉さんが正しいと思っていた。
「ターラー人の理想郷を築くためならば、私たち全員の命を炎に捧げることも厭わない……」
姉さんのそばで、私はずっとこう言っていた。
……でも燃料にした命が全て燃え尽きた後、姉さんの国には、誰が残るの?
私は迷ったことがある。自分のしたことを振り返って反省したことがある。逃げ出したこともある……
でも私は、そのことを後悔してはいない。
私はここまで逃げる間に、姉さんでは見ることのできない人々や物事を見てきた。私の本当に言いたい言葉は、きっと姉さんのものとは違う。
だから、私はもう姉さんを思い出すことを恐れない。
私は決して……自分の影に囚われたりしない!
この王城に気付いた時、キミは恐れていたんじゃないの?
さっき「仲間」が逃亡生活の後はどうするのかと聞いたとき、キミは答えられなかったけど……心の中でははとっくに答えが出ているんでしょう?
私に――「リーダー」にはならないというなら、キミはどうやってダブリンの理想の中で自分の居場所を見つけるの?
──ラフシニー、お前は何を望む?
リードは、あの大火の中で彼女たちの方へと歩いてくる死者の姿を思い出した。
……早く止まって……
彼らは傷だらけで、元の面影を留めていないにもかかわらず、その目には未だ渇望の炎が燃えていた。
ヴィクトリアの将校に対する復讐を終えた彼らは、自分たちのために炎を燃やした者の所へ戻って来たのだ。
これ以上は進まないで……
キミたちは……安らかに眠るべきだ!
──気付いた時には、迫ってきていた死者の先頭に居た者が目の前で倒れ、空っぽの瞳で彼女を見つめていた。
一瞬燃え上がった彼女の火に包まれ、死の炎は消えた。
……ごめんなさい、姉さん。ごめんなさい……
私は、姉さんのアーツを破るつもりなんてなかったの。
──よくやった、ラフシニー。
彼女は恐怖の中で顔を上げた。
姉は初めて彼女に対して賞賛の微笑みを見せたのだった。
本当によくやった。お前の火は、これほどまでに眩いのか。
私はずっと考えていたのだ。どうすればお前が己の力を自ら示し、他人に注目されるようになるだろうかと。
もう一度私にお前の才能を見せてみろ。お前には、私の炎を退けられる可能性があるのだと証明してみろ。
お前は私に勝てるか、愛する妹よ?