空想の花庭 HE-ST-1・幕間
栄えの冠を捧げ奉らん
教皇聖下、全員揃いました。
ご苦労だった。
本当によろしいのですか? 歴代教皇を除き、聖徒と認められた前例は聞いたことがありません。今回のご決断はいささか早まったのでは……
君の言う通りだ。私はあらゆる経典にあたり、我らの長きに渡る歴史の中で残されてきた記録を余すことなく調べて回ったが、今回の件と類似する例は載っていなかった。
だが心配はいらない。この件は憂慮に値するようなことではないのだから。
むしろ熟考すべきは、私が受け取った警告についてだろう。
どのような内容か伺っても?
君の質問に、きちんと答えを与えたいのは山々なのだが、残念なことにそれはかなわないのだ。
我らの頭上に輝く信仰が、危機が間近に迫っていると私に警告してきたのだよ。だがそれが一体どんな危機なのか、如何にしてやってくるのかは誰にも分からない。
私が目にしたのは、数人の名前が並んだリストのみ……
そこに記載されていた最初の一人こそが、まさに本日の主役を務める人物なのだ。
ゆえに聖下は、件の若者に聖徒の称号をお与えになると?
であるにしても、他の称号でよいのでは……「聖徒」……この肩書はあまりに特別で重すぎます。なんと言っても、ラテラーノを最初に建てた聖人たちだけが得られる肩書なのですから!
ああ、確か私もそのような肩書を有していたな。
こ、これは聖下たる御身と、同列に論じられるような話ではありません!
聖徒と認めることで、あの者は少なからぬ力を得ることになる。彼は今後、多くの事柄に口出しできるようになり、教皇庁の方針に影響を及ぼす可能性すらも……決して小事ではないのです。
案じるでない、ジョヴァンニよ。時には些細な危険を冒すことも必要なのだ。
ところで、私は先ほどリストには数人の名前が並んでいたと言ったかな。
……まさか教皇聖下は、全員を聖徒とするおつもりで!?
お戯れを……いえ、つまりあまりに不適切ではありませぬか!
そう慌てて否定することはなかろう、ジョヴァンニ。まずは皆と顔を合わせてみなければな。
そうそう、リストには我々がよく知る友人の名も多く載っていた。他にどんな名があったか、君には分かるかね?
見当もつきません。
そうか。君に分からぬのであれば、今少しの間、謎のままにしておこう。
ジョヴァンニよ。
私はこの儀式が終わった後、件の友人たちを訪ねるつもりだ。
あれ、どうしてこんなに風船が飛んでるんだろ?
向こうの通りじゃ、アップルパイ投げ大会をやってるみたいだし。そこら中パイだらけのせいで、回り道するしかなかった……今日ってなんかおめでたい日だったっけ?
分からん! なにやら式典があるみたいだが、詳しいことはあまり知らないんだ。
だけどそんなことどうだっていいだろ? イベントがあればそれを目いっぱい楽しむ──いつもそうやって過ごしてきたじゃないか。いちいち考えたってしょうがないさ!
なあ、この風船を身体にくくりつけたら、空を飛べないかな?
何言ってんの。あんたの体重じゃ、十キロダイエットしたって無理に決まってるでしょ!
決めつけんなよ! コートを脱いで試してみてもいいな。そんな寒くないし……
見ろよ! また新しい風船が飛んできたぞ!
……もう我慢できない! 服を脱ぐから預かってくれ、どうしても試してみたいんだよ!
あっ、ちょっと! 気をつけて!
うっひょおおー! ほ、本当に飛んでるぞ!
すごく高い……! あれ? なんだかどんどん上り続けていくぞ?
まずい! お、俺、高いところが苦手みたいだ!
通していただけますか。
ああ! そこのお兄さん! 待って……助けてちょうだい!
ん?
助けて! し、下に降ろしてくれ!
分かりました。
痛てっ!
死ぬかと思った……お兄さんありがとな。
そうだ、俺の風船は……あっ! 全部割れてる! おいおい、少しやりすぎじゃないか?
現場の状況から、それが最も合理的と判断しました。
そりゃそうだけどさ……はぁ、せめて何個か残してくれてもよかったのに。
ぶつぶつ言わないの。あなたを降ろすためにやったんじゃない! そこのハンサムなお兄さんも、こんな人に構う必要ないよ!
ところでお兄さんの服、かなりイケてるよね。どこの店のオーダーメイド?
分かりません。
ええ? そんなことある? 誰かからもらったとか?
制服みたいだが、どこかで見たことのあるスタイルだな……
そんなカッコイイ服着て仕事できるなんて、どこの職場? 今すぐ履歴書出さなきゃ!
……これが標準的な制服かどうか私には定かではありませんが。
興味があるようでしたら、教皇庁へ履歴書の提出を。
「……彼らはサンクタを率い、都市を建設し、それをラテラーノと呼んだ。」
「しかして災厄が再び迫る時、サンクタは新たなる啓示を授かるであろう。それに伴い現れるは、人々を率いる新たな先導者……」
「世の人々が見守る中、サンクタの楽園は永久にそびえたつ。」
我、この地にてそれを見届けん。
我、この地にてそれを見届けん。
我、この地にてそれを見届けん。
──うむ、儀式はこれにて終了だ。
面を上げたまえ、子らよ。
……いや、少なくともこの場においては、呼び名を変えねばなるまいな。
面を上げ、私のそばまで来なさい。千年前にこのラテラーノが建立されて以来、教皇ならざる身として、初めて聖徒に選ばれし者──フェデリコ・ジアロよ。
……
あまり嬉しそうに見えないのは、外に飛んでいる風船が君の好みに合わないからかね?
私には分からないのです。
ふむ?
聖徒の具体的な職責とは一体何なのでしょう? 迫りくる「災厄」とは? それに対し、直ちに対策を取る必要はありますか?
「災厄」について詳細を知る必要があります。状況に応じて具体的な作戦を立案せねばなりません。
真っ当な質問であるな。だが私がそれに答えることは叶わぬのだ、我が子よ。
私が得た警告は直接的かつ、理解しがたいものであった。明確な答えが得られたわけではないのだ。
「時代」には波乱や苦難が付きものだ。我々は予め可能な限りそれに備えることしかできぬ。一つ確かなのは、君が選ばれたこと。未知の災厄に対処するだけの能力があると、買われたのだよ。
……私には理解できません。
慌てる必要はない。我々にも、まだ幾ばくかの猶予はあるはずだ。
今はもう少しこの場に相応しい話題について語るのもいいだろう。例えばだが……フェデリコよ、その服は君にとてもよく似合っているように思う。
デザインや色合いを決定するため、枢機卿たちが何度も決闘を行ったが、今こうしてみるとその甲斐はあったようだ。
枢機卿の業務範囲外の内容では。
あまり硬く考えるでない。皆、己の興味が向かう先には情熱を注ぎたがるものよ。
フェデリコ、君の業務履歴には目を通した。君が非常に優秀な執行人であることに疑いはない。
君は大多数の者とは違う種類の人間だ。戒律に縛られ、数多の行為を禁忌と見なすような類の者たちとは、一線を画すタイプのな。違うかね?
必要であるなら、禁忌は破られてもいいものです。
もちろん、そのような考えを否定はしない。
物事に対する自分なりの判断基準を持っているからこそ、君は常に首尾よく任務をこなしてきた。時には些かやりすぎてしまうことがあろうともな。
ふむ……実はとある任務があってな。元々は私自ら出向こうと考えていたのだが、あいにく急な仕事が舞い込んで後回しになっていたのだ……だが今、新たな候補者を得たのやもしれん。
決して楽な仕事ではないし、任務の状況も複雑極まるものだろう。現状、我々が予想している事態を超えてくる可能性もあるし、君が今まで執行してきたどの任務とも異なるかもしれない。
だが君ならば対処できると信じている。そして君自身が見出せることを願っているよ……君が選ばれた理由をね。
フェデリコよ、どうか私の代わりに出向いてもらいたい。
了解しました。執行人フェデリコが受任します。
任務の詳細をどうぞ。
何を見ているのかね、アルトリア?
花を眺めていたのです。
修道院全体を見ても、花が咲いているのはここだけみたいですね。開花期に間に合って幸運でした。こんな美しい光景を見逃すなんてもったいないことですもの。
……クレマンが聞いたら喜ぶだろう。
彼が世話する花を見るためにわざわざ来る者など、ずいぶん長い間いなかったからな。昔はこの修道院も花々に囲まれていたが……
今はもう、目の前にあるそれだけしか咲いておらんのだ。
本当に残念なことです。この花々には、素敵な意味が込められていると聞き及びましたのに。
かつてはそういうこともあった。
では今は?
……あるいは、いまだにあるのやもしれぬ。しかし、目が霞んだ今となっては、花見を純粋に楽しむこともできなくなってしまった。アルトリア、私は歳を取り過ぎた。ここで長く過ごしすぎたのだ。
あなたの奏でるチェロの音色が、心の傷の痛みを和らげることはできても老いを止めることはできぬように、花では人の腹を満たすことは叶わぬ。今の私に分かるのは、それだけだ。
物事が思い通りには運ばぬことを、予期しなかったわけではない。あるいは、我々の救援を求める旨の手紙がラテラーノに届けられた日から、こうなることはとうに定まっていたのやもしれぬな。
今や……
我々に残ったのは、苦果だけだ。
苦果、ですか。消えることのない苦みを舌の上に残すような余韻がありますね。私は、そういう味わいも嫌いではありません。
経験上、痩せた土地に甘美な果実を実らせることは困難なものですから。
……痩せた土地、か。そうだな、ここの土地はあまりにも痩せすぎている。
だがこんな痩せっぽちの土地でも、我々にとっては家なのだ。
我々のような人間でも、より良い生活ができると、より平穏な暮らしが送れると考えていたこともあった。
我々には雨風をしのげる要塞があり、決して崩れぬ信仰があった。静かな生活への憧れは、故郷に馳せる思いをも上回っていた。
あとはただ争いから遠ざかり、安全な片隅を見つけ、静かに暮らしていくだけだったのだ。
だが今となっては……
老人の痩せこけた顔が小刻みに震えている。
まるでそのたるんだ皮膚の下で、自分を押さえつける何かに対して全身全霊で抗っているかのように。しかし口から出かけたその言葉は、激しい咳と、荒い息遣いにかき消された。
あれから何年経った? 五十年、六十年……もっとか?
海から災厄が湧き起こり、裁判所の要求を拒んでイベリアを去ってから、我々は何代にも渡ってここで暮らしてきた……私は子供たちが生まれるのを、そして埋葬されるのを見届けてきた。
今や、生きることも困難になってしまった。
生きることはいつだって困難そのものです。
うむ、その通りだ……
今なお暮らし続ける人々を見るがいい。彼らがどこから来たのか、私にはもう分からなくなってしまった。
彼らはイベリア人なのか? それともラテラーノ人なのか?
我々は長く歩きすぎた。あまりに遠くまで来すぎたのだ……
……
アルトリア。
これだけの歳月を経てもなお、私はラテラーノ人であると言えるだろうか?
その問いに答えられるのはあなたご自身だけです、ステファノ・トレグロッサ司教。
私は、いまだにそうであると願っている。
であるならば、きっとそうなのでしょう。
……アルトリア、あなたの言うことは全て事実だ。
もはや私の心の内を探る必要もあるまい。
誤解ですよ。司教の考えを探るつもりなんて毛頭ありません。
私があなたの滞在を許しているのは、ここが、悪意を持たぬ者を拒まぬ場所であるためだ。
だがアルトリアよ、あなたが何を求めているのかは、私も皆目見当がつかぬ。
求めるものなど何もないと言ったらどうします?
……
信じてはくださらないようですね。
ならば、私のことは気になさらないでください。私はこの地で起きる何事にも干渉しないと約束しましょう。もちろん、あなたが下す如何なる決断を邪魔することもいたしません。
私は、この地の物語に惹かれて足を止めた旅人に過ぎません。願わくば完璧な結末を見届けることができればと祈っているだけなのです。
この光輪にかけて誓いを立てましょうか?
アルトリア、あなたは狡猾なお人だ。
……だが、私はあなたの言葉を信じよう。
老人は再び沈黙した。
人は皆、歳を取れば痩せこけ、干からびてしまうものだろうか? かつては人好きのする形に整っていた顔の輪郭も、今や萎びてしまい、生気が感じられなかった。
透き通っていた両の目も濁り、影に覆われている。その両目を見ていると、まるでこの地に流れた何十年もの歳月が見えてくるように思えた。
本来は、今よりずっと柔和で、穏やかで、ラテラーノ人らしい顔つきだったはずだ。
この数十年の間、聖都が我らに応えることはなかったが、私は一日とて祈りを捨てたことはなかった。
信仰は、友愛の何たるかを私に教えてくれた。我らの兄弟姉妹を、忠誠を捧げた友人を捨てよ、などというような教えを受けたことは一度もない。
だが、もしも少数を切り捨てて、大多数の幸福を取らねばならぬとしたら……
仮に私が敬虔な信徒だとしたら、そんなことは、恥知らずな裏切りだと見なすでしょうね。
あなたもこのようにお考えでしょうか?
……アルトリア、それに答えることは、私にはできん。
信仰が信仰に背き、揺らぐというのであれば、それを拠り所とする信徒は、どこへ向かえばいいと言うのかね?
ここに置いておくぞ。
今のうちに若い連中を何人か集めて、なるべく早めに加工すれば、冬の間は何とか持つだろう。
ああ、分かった。後で人を呼んでおくよ!
いやあ、本当に良かったよ。これだけ肉があれば、もう少しは持ちこたえられる……
……すまない。
近頃冷え込んできたせいで、獲物があまり見つからなくてな。今回の収穫は予定よりも少なかった。
何言ってるんだ、よしてくれよ!
子供たちが肉にありつけるのは君たちのおかげなんだから……謝ることなんてないよ。
ははっ、確かにつまらないセリフだったかもな。今晩は子供たちにたらふく食わせてやってくれ。
そうしたいところだけど、なるべく節約しながら食べないとね。
そうだ、最近ハイマンを見かけないけど、どうかしたの? まさかケガでもしたんじゃ?
……気にするな、何ともないさ。
本当かい?
隠すなよ! ケガってのは甘く見ちゃいけないんだ。大ごとに繋がる可能性だってある。
分かってる。何かあったら声をかけるよ。
もう遅い時間だ。俺は先に戻る。
……そうだ、待ってくれジェラルド!
ん?
……最近は皆、例のラテラーノの件を話すことが多いけど、彼らにも他意はないんだ。ただ時々、少し焦燥感があるだけなんだ。
もし誰かが失礼なことを言ったとしても、君たちが気にすることはないからね……
……
皆の気持ちは分かる。
う、うん……それならいいんだけど……
……
ご苦労だったな、ライムント。
行こう。後のことに関しては俺たちの出る幕じゃない。ところで、ハイマンはまだ戻ってないのか?
今日は姿すら見かけてねぇ。さっきデービーたちが探しに出かけたから、後で俺も行ってくる。
それと、ルートを探るための探索隊も手配し終えた。夜には帰って来るから、その時には確かな情報も得られるはずだ。
よくやった。引き続き準備を進めておいてくれ。
……待ってくれ、ジェラルドの旦那!
俺たち、このまま現状を受け入れるしかねぇってのかよ!?
落ち着け、ライムント。
分かってるはずだろう? 俺たちにはそもそも、選択の余地なんてほとんどなかったんだ。
じゃあ、諦めるしかないのかよ!
今まで俺たちがやってきたことは一体なんだったってんだよ? そもそも俺たちとあいつらと何の違いがあるってんだ。俺たちはただ──
ライムント!
もういい。感情に任せて話をするのはよせ。
けどよ!
けども何もない。
ライムント、お前に不満があるのは分かってる。
今日はまだ時間の余裕が多少はあるから……今のうちに会っておきたい人がいるなら、さっさと済ませておけ。
本来であればもう少し言って聞かせるべきところだが、今はあまりタイミングが良くないのだ。
君はかなり衰弱している。弱り果てている時、我々は多くのものに思考をかき乱され、判断を捻じ曲げられ、思想の導きに従うことができなくなってしまうものだ。
……
もはや、私の声も聞こえなくなってしまったかね?
答える者はなかった。
宣教師の声が、広々とした地下に響き渡り、何やら謎めいた奇怪な物音と交じり合っていく。
それは食事の音だった。
養分と成し得る物を全て引き裂き、食道に流し込み、腹の中へと呑み下す音。
――原型を失った生命が、影の中でゆっくりと成長していく。
冬入りを間近に控え、近頃は晴れる日も少なくなってきた。
この建物は、助けの来ない孤島のようなものだ。ずいぶん長く自分の足だけで踏ん張ってきたが、それももうすぐ限界を迎えようとしている。
見たまえ、四方を囲む壁は一つ残らず亀裂だらけだ。これでは強風に耐えきれない。
ふむ、どうやら使える燃料もごくわずかのようだ。十分な防寒具がなければ、この冬は多くの人が寒さに苦しむことになるかもしれない。
もちろん、我々とて手立てがないわけではない。
この付近には、さほど規模の大きくない源石鉱脈がいくつかあるだろう?
そこに行けばエネルギーとして利用可能な源石を採掘できる。この数年間、君たちはそうして乗り越えてきたはずだ。
だがそれには大きな危険が伴う。当然、皆もその危険性は重々承知しているだろう。鉱石病への感染リスクがまさに自分の身を脅かしているのだから……
他に選択肢があったとしたら、誰が好きこのんでそのような危険を冒すだろうか? この孤島で鉱石病に感染することは、死刑宣告を受けるのと同義なのだ。
故郷を離れ、はるばるこの地へとやって来た君たちは、ささやかな居場所を得るために、最も危険な仕事を自ら進んで引き受けた。
君たちは今や、この修道院の欠かせない一部となっている。
……
やはり、私の言葉が分からないかね?
……
認めざるを得まい……
私は今、確かに胸を痛めている。
誰かいますか? すみません、誰か……わっ!
どうしてこんなに、ガラスの破片が散らばってるんだろ……
フォルトゥナですか? ちょうどいいところに来ましたね。
ちょっと手伝ってもらえませんか? 窓枠を支えてほしいんです。強風でまた窓ガラスが割れてしまったので、とりあえずどうにか塞いでおかねばと思いましてね。
あっ、はい、任せてください!
この窓、何日か前に直したばかりじゃありませんでしたっけ。また割れちゃったんですか? 確か前にステファノおじいさんのお話を聞いていた時も、寒さで歯がガタガタ鳴ってた記憶が……
ガムテープで貼り付けた方がいいでしょうか?
今回はずいぶんひどく割れてしまったから、ガムテープではダメだと思います。すみません、どうしてもすべての破片を集めることはできなくて……
謝らないでくださいよ。割れたのはクレマンおじさんのせいじゃないでしょう。
それで、どうしましょう。風が吹き込むと寒いですし、ひとまず何かで塞いだ方がいいですよね……そうだ、使っていない布を探してきましょうか?
いえ、布を無駄遣いするわけにはいきません。近頃は冷え込みが激しいですし、布が余っているならそれで服を作った方がマシです。
前にジェラルドが空き家を取り壊していましたから、木の板が多少は余っているはず。後で私が取りに行ってきますよ……
よし、窓枠はこんなところでいいでしょう。お疲れさまでしたフォルトゥナ。
そういえば、何か用事があって来たのではないですか?
あっ、そうでした! 食べる物が残ってないか見に来たんです。実はフィーナのせいで遅れちゃったから、ランチの時間に間に合わなくて……
誰のせいですって?
フィーナ!
どうしてここに?
もしここに来なかったら、あんたがそうやって陰口を言ってるのを知ることもなかったでしょうね!
陰口なんて言ってないってば。本当のことを言っただけじゃない。もしフィーナのお説教がなかったら、遅れなかったはずでしょ?
そもそも、あんたがすぐ騙されるお間抜けさんだからでしょ!
あのレミュアンって女には気を付けなさいって言ったわよね!? 色んな人と接触して、さもみんなのことを気にかけているフリをしてるけど、何を考えてるか分かったもんじゃないんだから……
フォル、あんたは最近いっつも魂が抜けたみたいにボーッとしてるけど、あいつに何か吹き込まれたんじゃないでしょうね?
違うよ! 誰にも何も言われてないし、そもそもボーッとなんてしてないから!
……してるわよ。
フォル、あたしたちサンクタ同士は、お互いにウソなんてつけないんだからね。
……
レミュアンさんだってサンクタなんだよ。あの人に悪意がないってことは分かるはずなのに、どうして信用できないの?
どうしてそんな風にラテラーノ人を毛嫌いするの? 私たちだって……元を辿ればラテラーノ人だったはずじゃないの?
もうすぐ向こうへ帰れるはずだって、ステファノおじいさんが前にそう言ってたじゃない。なのに、どうしてラテラーノから来た使者を拘束しなきゃいけないの?
どうして、ラテラーノへ帰らないの?
ライムントたちが一緒に来られないからよ! あんたはこの理由だけじゃ納得できないの?
まさかあいつらを見捨てろとでも言うつもり? あたしにはそんなことできない!
そういう意味じゃなくて!
じゃあどういう意味よ!?
そこまでです! 喧嘩はよしなさい!
司教がそう決めたのには、彼なりの道理があるんですよ。二人とも……それ以上はやめなさい。
……
……
私は板を取ってきます。とにかく、窓を塞がねばなりませんからね……どうか二人とも、頭を冷やしてくださいね。
……フィーナには、私の気持ちが感じ取れないの?
感じているわ、フォル。
けど……
はぁ、もうやめ。さっきはちょっとムキになりすぎたわ。あ、あんたがそういうつもりじゃないってことくらい、あたしだって分かってるから。
……私も悪かったよ。
それにしても、いっつもその銃握ってるよね。お父さんからもらったんでしょ。とっくに使えなくなってるんじゃなかったっけ?
うん、そうだよ。どこかのパーツが壊れてるみたい。それに、私はそもそも銃はあんまり使い慣れてないし……
けどこれは、使うために持ってるわけじゃないの。
アクセサリーみたいなものだと思ってたけど、当たってる?
半分は当たってるかも。
こうやって銃を握るのは、ある種の……祈りなんだ。
お父さんがこの銃をくれた時に言ってたんだよ。それがサンクタの習慣なんだって。
……そんな習慣があったなんて、知らなかった。
私のおばあちゃんの銃は峡谷でなくしちゃったから。
……そんな悲しそうな顔しないで、フィーナ。この銃、貸してあげるから。
どうにかして直せたら、一緒に使い方の勉強しようね。
今は、一緒に祈りを捧げましょうか。
前に余った木の板は……確かここに置いてあったはず。
やっぱり、ここにありましたね。
よし、これで十分でしょう。もし余ったら、外周の窓も少しは補強できるかもしれません。
……それから、燃料は……
はぁ、あまり多くは残ってないみたいですね。
ん?
誰ですか!?
……
……誰も、いない?
気のせいか……
ここの地形は、ずいぶんと変わってるな。分類的にはなんだろ? 砂漠? それに下の方には峡谷まであるぜ。
足元には気をつけろよ。
どうも。あなたがそんな紳士的な人だったなんて知らなかったよ、リケーレ。
よせよ。お前がそうやって褒める時は、大抵ろくでもないことが起こるからな。
そんなに根に持たないでほしいな。今回はあなたに散財させたりしないってば。
どれどれ、目的地の移動修道院はっと……前方にあるやつがそうだよね?
ああ、間違いないはずだ。
どうするの? このまま玄関の前まで行って、律儀にノックでもしてみる?
開けてくれる人はいるのかな?
お前はどう思う? フェデリコ。
このまま進みましょう。
了解。えーと、予め任務の情報を確認しとくべきか?
任務の目標となる建造物は、1011年にイベリアがラテラーノと共同出資して建造した可動式大型総合施設。正式名称は「アンブロシウス修道院」。
当該修道院は元々イベリアに属していたものの、六十一年前に航路を逸れて以来、消息を絶っています。
一ヶ月前、ラテラーノは当該修道院から救援要請の連絡を受け、状況調査のため、二名の特使を派遣しました。
そこまでは分かりやすい話ね。
それで、特使たちからの連絡が途絶えて、あなたたちみたいな戦闘員が出向かないといけないレベルの事態に陥ったのは、一体どうしてなのかしら?
私が受けた任務は、連絡の途絶えた枢機卿補佐官レミュアン、及びレガトゥスであるオレン・アルジオラス両名を探し出し、彼女たちの安全を確保することです。
任務遂行にあたっては、修道院の運営に影響を出さず、死傷者を出す事態も避けるようにとの通達でした。
つまり、教皇聖下のお考えとしては……あまりやりすぎないように注意しろってとこか?
……
正直言うと、オレンの方は別にどうだっていいんだけどね。私がこの任務への参加申請を出したのは、レミュアン先輩のためだから。
あなたの私的な感情は、任務とは無関係です。
目下のところはターゲットの状態も不明ですし、建造物内の住民に敵意があるかどうか確かめる術もありません。
あー、つまり、まずは潜入調査的なことから始めようってことか?
いいえ。
私の提案は、直ちに正面突破を敢行し、速戦速決で終わらせることです。
もしも両名に何か不測の事態が起こっていた場合、任務の内容は、ラテラーノへの遺骨の送還に変更となります。