ツヴィリングトゥルムの黄金 ZT-6・戦闘前
円舞曲「仮面」
……
窓辺を叩くのはやめろ。誰かに暗号でも送りたいのか?
ご覧の通り私のチェロはアーツが使えないようにされちゃったの。演奏ができなくて、とても……手持無沙汰なのよ。
ねえ、おしゃべりに付き合ってもらえるかしら?
諦めろ。
いいわ、なら別のお客さんを待つほかないわね。
……軽率な行動に出れば、アーツでお前の手足を縛り上げる。
アルトリアとの面会はグリムマハト様により禁じられています。いかなる例外もありません。
女帝の声でもダメなのですか?
例外はありません。
では、イーヴェグナーデ様の専属密使なら……どうでしょうか?
……イーヴェグナーデ様に来るよう命じられたのですか?
私はもうはっきりと申し上げました。
面白いわね。
最初に会いに来たのがあなたとはね。
これでお会いするのは二度目ですね、アルトリアさん。
うーん、それだけではないわ。
私たちは……音楽の中で何度も会っているんじゃない?
あなたの言葉は、あなた本人と音色のように謎めいていますね。
そうかしら?
ひょっとしたらその逆かもしれないわよ。私はほとんどの人より誠実だからね。
規範にのっとり行動する女帝の声が、危険な重犯罪人に一人で会いに来るなんて。しかも女帝の密令だと偽ってまで……私に会いに来たのは、よほどの決心をしたのね。
イーヴェグナーデ様に命じられたのではないとわかるのですか?
彼女は私から知りたいことなんてないもの。けれど、ヴィヴィアナさん、あなたの表情は疑問まみれよ。私という少し前の敵に何を教えてほしいのかしら?
……
当ててみましょうか……お父さんの本当の死因を知りたいのね?
ええ。
でも私は他人の疑問に答えることにあまり慣れていないの。
何か交換条件として差し出すものが必要ですか?
交換ね……ヴィヴィアナさん、私にご自身を開け放ち、心の内を探らせるというのはどう?
それはちょっと……
そう、不躾な申し出だったわね。
ならいつものように、一緒に物語を話すとしましょう。
昔々、嵐の中心にある高塔に、ある少女が住んでいました。
生まれた時から、彼女は塔の上の小さな部屋で過ごしていました。九歳でそこを去るまで。
ご存じだったのですか……
私を見る必要はないわ。言ったでしょう、これは私たちが共に話す物語よ。
自分がこの物語の中にいることを想像して。じっくりとあなた自身を……感じて。
……分かりました。
教えてくれるかしら。あの高塔について……少女が一番心に残していることは何か。
窓です。
あれは……とても小さな部屋でした。窓も小さかったです。手を伸ばせば、湿った冷たい雲に触れることができます。
へえ、シュトルム領の嵐はめったに止まないでしょう?
はい。真っ黒な稲妻が常に窓を叩いていました。そんな時は、母がいつも私を抱きしめてくれました。私に物語や詩を読んでくれ、声はとても軽くて優しかったです。
あなたの父は?
父は……毎週決まった夜に、私の住んでいる高塔に来ました。たくさんの本を持って、楽器の使い方を手を取って教えてくれもしました。
きっと会うのが毎回楽しみだったでしょうね。約束の時間がきたら部屋を出て、階段まで迎えに行ったんじゃないかしら?
幼い頃はそうでした。ですが後に行けなくなったのです。
何が起きたの?
あの日は……とても暗かった。父は随分と私に会いに来てくれず、母もおらず、蝋燭を使い果たしてしまいました。私は両親を探そうと思い、少し遠い所まで行ったのです。
そして、とても明るく広々とした部屋で、たくさんの大人と子供を見ました。皆大きな声で談笑し、音楽もとても大きかった……それは雷の音をかき消すほどに。
あなたは、すべての子供が自分のように部屋に閉じこもるしかないわけではないと気付いた。その子たちは両親の手を握って、心ゆくまで踊って歌うことができる。
……ええ。
その人々の中に父を見つけたのね? 会いに行ったの?
行こうとしました。ですが母に引き止められたのです。母は私の耳を塞ぎ、私の目も覆おうとしました……少し痛かったですが、それを言うことはできませんでした。
彼女はあなたをあの小さな部屋へと送り返した。その道中、あなたは顔を上げたかしら?
いいえ。私は……目を閉じていました。母が泣いているのが聞こえてきましたが……彼女を見る勇気はありませんでした。
勇気?
……はい。私にはもう階段を下りる勇気はありませんでした。もう父を探す勇気も。
その後母が病でこの世を去り、父が高塔の下まで私を見送ってくれましたが、二度と顔を上げることができなかったのです。
なぜ?
父は選帝侯で、母とは婚姻関係がありませんでした。私の出生は秘密です。他人に知られれば、母は心を痛めますし、父にも迷惑をかけます。
いいえ、私が聞きたいのはあなた自身よ。あなたの心の中では、一体どんな気持ちだったの?
私の……気持ち?
高塔に閉じ込められていたのはあなた。人の前で父親と認め合ってはいけないのはあなた。母が悲しみやつれ死んでいったのを見たのはあなた。遠い異郷に行かざるを得なかったのもあなたよ。
カジミエーシュに行き、「騎士」になることを選んだ時、あなたは心の内に小さな期待を抱いたはず。
だって、少女時代に読んだ騎士に関する物語が、かつてあなたにたくさんの慰めを与えてくれたから。
けれどすぐに、自分はただ商業連合会の操り人形になったにすぎないと気付いたのでしょう。
あなたが高塔で過ごした少女時代すら、「リターニア人」というラベルにまとめられて、異国情緒を持つという、両国の市場で価値がある美しい看板になった。
その後、あなたは商業連合会の機嫌を損ねたことで競技場を去り、ようやく平穏を手に入れられると思っていた。しかしそんな時に、父からの一通の手紙があなたをリターニアへ呼び戻した。
再び、あなたの運命は他人に決められた。私生児、競技騎士、女帝の声。どの身分もあなた自身が選んだものではないわ。
そしてこのすべての始まりが、階段の上、あの高塔の中にある。
……その通りです。
これだけ経っても、私は時折……自分がまだあの場所にいるように感じます。
私は、一度も下りたことがないのではないでしょうか?
もう一度、記憶の中で最も印象深い瞬間に戻ることを想像して。
あの日、父はあなたの手を引いて、終わりがないかのように思える階段を下りた……あなたは顔を上げなかった。
顔を上げることができませんでした。
もし顔を上げれば、父に涙の痕を見られてしまうから。それと目の中の……
憤りも。
「私は、もうお母様を失ったのに、どうしてまだ払いのけようとするの?」
そうです、私はもう……すべてを失ったのです。
なぜ私を見捨てるの?
なぜお母様を失うと同時に、お父様も失わなければならないの?
なぜ……あの時カレンデュラ小路で、もう少し待てなかったの?
なぜ私に帰るよう手紙で言っておきながら、私が期待に胸を膨らませながら戻る前に、また……私を置いて行ってしまったの?
アルトリアはそれ以上何も言わなかった。
彼女はただそばにいるヴィヴィアナを静かに見て、その湖のような瞳に浮かぶさざ波をじっと見つめていた。
沈黙も一種の音に基づく表現だとすれば、旋律を必要とせずとも、二人の感情は依然共鳴し得る。
憤り、悔しさ、苦痛。全く同じ感情がアルトリアの目にも映った。
彼女は小さくため息をつき、最も優しい口調で記憶に沈んだ人を呼び起こした。
物語の時間は終わりよ。
ヴィヴィアナさん、ウェルナー選帝侯は私の友人よ。
私たちは普通に知り合った。普通すぎて語るに値しないほどにね。大貴族である彼は、同時に繊細でロマンチックな芸術家でもあったわ。私たちはよく音楽について交流したものよ。
数ヶ月前、旅行中の私を彼の使者が訪ねてきた。
あの時、彼はすでに自分の時間が残り少ないことを知っていた。彼が望んでいたのは私の音色の中で……もう一度心から愛する人に会えることだけだった。
父は母に会いたかったのですか?
ルシンダだけでなく、あなたにも。
ルシンダと愛し合った歳月を思い出すだけでなく、それよりも多くの時間、ウェルナーはあの高塔の小さな部屋が名残り惜しくて離れられなかった。
あなたたちと互いに寄り添った数々の夜が、選帝侯を継いだ初期の最も苦しい歳月の中で彼にとって唯一の安らぎだった。
これが私があなたの高塔での物語を知り得た理由よ。
つまり私に……
あなたに対してアーツを使ったからではないわ。
ウェルナーの心の声の中で、もうあなたを数え切れないほど……見てきた。
きっと、あなたはお父さんとよく似ていると、たくさんの人から言われたのでしょうね。
それはとっくにわかっています。
だけど本人に会って、私はようやく気付いた……
あなたはただの揺らめく弱い燭火ではないわ。
ただの……燭火ではない?
燭火よりも強靭で、ずっと力があるわ。
……
さて、私が話せるのはこれくらいよ。
ウェルナー選帝侯は金律楽章の副本が原因で亡くなった。このことについて私が知っていることと、あなたが知っていることに違いはないわ。
……父は、自分がなぜ死ぬのかを早くから知っていたということですね。
そうよ。
金律楽章の副本を守ることは彼が双子にした約束であり、シュトルム領選帝侯の職責でもある。
楽章を動かすにせよ失うにせよ、シュトルム領がその責任を逃れることはできない。
楽章のために命を差し出すことだけが、愛する人やホッホベルク家を守る方法だったの。それに、いずれ引き起こされるこの危機を自領から押し出すこともできた。
すべては楽章のためにですか?
わかったような……気がします。
そうだ、私に対する信頼と誠意への感謝として、もう一つささやかなアドバイスをあげましょう。
初めてあなたに会った時、あなたの背後に影を見たわ。
そして今……影はまさに広がっているところよ。もう外の階段を全て覆ってしまっているわ。
……
さようなら、アルトリアさん。答えをくださり……ありがとうございます。
哀れで尊敬すべきヴィヴィアナ……
あなたは影に呑み込まれてしまうの?
ハハ、間に合いました。
エーリヒ殿、歩くのが速すぎます、危うく置いていかれるところでした。
申し訳ありません、興奮してしまいまして。もうシュトルム領から離れられないと思っていましたが、まさか女帝の声の訪問が延期になるとは。
はぁ、巫王が在位していた時を除き、選帝侯の継承の儀がこれだけ長引くことはめったにありません……
そう心配なさらずに! せっかく、こうしてツヴィリングトゥルムに来たのです。両陛下にお目にかかること以上に重要なことなどありますか?
早く行きましょう。なるべく先に到着し、双塔から近い位置を取ることができれば僥倖です……あれ、前にいる人はどうして動かないのでしょう?
ちょっとよろしいですか!
……
あなたも女帝の祭典に参加されるのですか?
そんなところだ。
楽器を……持っていないのですか? 合奏の時はどうされるので?
……合奏?
金律楽章の合奏ですよ! まさに祭典で、最も重要なパートではありませんか。黄金の旋律の中で、リターニアの無上の輝きを感じるのですよ!
うちの伯爵が女帝の祭典に参加するのはこれが初めてなんだ。彼のフルートは護衛の俺が保管している。
おっと、そうですか、それは失礼いたしました。どちらの管区からお越しになったのですかな?
それが何の関係がある?
ハハ、誤解なさらないでください。同じ管区の者は近くに立っているのが慣例でしてね。
そうだったか。お二人は先に行くといい、我々は後ろで構わない。
それはよかった! いや、つまり、感謝いたします! グリムマハト陛下の威厳とイーヴェグナーデ陛下の恩恵が……陽光のようにあなたを包みますように!
……
双子の女帝の塔を見るのは初めてか?
純白のドレス、イーヴェグナーデ、「永遠なる恩寵」。
深黒の剣、グリムマハト、「情なき大権」。
この二つの塔は彼女たちのイメージとそっくりだ。
ツヴィリングトゥルムの名前は「双塔」から来ていて、ほとんどのリターニア人はこれを誇りにしてる。
どれだけ華やかで壮大であっても、丁寧に彫られた二つの檻にすぎない。
珍しいこともあるもんだ。その比喩に俺も賛成する。
女帝の祭典……全てのリターニア人のお祭りと称されてはいるが、実際にこの野外劇場に来て合奏に参加する資格があるのは貴族だけだ。
祭典というより、パフォーマンスを兼ねたアーツ儀式だ。
アーツ儀式?
塔の間の渡り廊下が見えるか?
毎年の祭典では、双子の女帝があそこで合奏をするんだ。パイプオルガンとヴァイオリンの音が建物間の幾重にも重なり合う共鳴を通してツヴィリングトゥルムの隅々にまで広がる。
ある種の……術式だな。
爺さんが言っていた、ヘーアクンフツホルンも当時同じことをしていたとな。ウィーン区の大時計塔を核として、当時のヴィドゥニアを巨大なアーツ装置に変えた。
そして双子の女帝は巫王の術式を取り除いただけでなく、それを基礎としてさらに強化した。
巫王と同じ轍を踏まないように、二人は双塔を共鳴の中心とし、都市全体を音合わせすることで、双塔に対するいかなる外部からの襲撃もほぼ実現不可能としている。
つまり、女帝を襲撃したければ双塔を含む宮殿群ごと破壊するか、双塔内部から手を下すしかないということだ。
……妙に詳しいし、まるで本当に計画を立てたことがあるように言うな。
……
まさかほんとに……
護衛殿、憲兵や女帝の声を見かけたら必ず声を掛けてくれ。お前より早く逃げたいからな。
……静かに。
そろそろ祭典が始まる、人が増えてきた。人混みに紛れろ、先ほどのようにぼうっと突っ立ってるなよ。
合奏が始まったらどうすればいい? 私たちは何も楽器を持ってきていないぞ? まさかその剣を弾くつもりではないよな。
それは合奏が無事始まればの話だ。
あなたの親戚に会ってきました。
あなたの予想通り、彼女は極めて重要な手がかりを惜しげもなく与えてくださいました。
我々は本当に……彼らが意図的に作り出した幻覚の中に囚われているのかもしれません。
仮に巫王派の残党は金律楽章を用いて巫王の遺産を得たいのではなく……巫王の力を用いて金律楽章に何かをしたいのだとしたら?
仮に彼らの目標は、初めから変わっていないのだとしたら……
……ホッホベルクさん? なぜここに?
今ツヴィリングトゥルムに残っている女帝の声は全員召集の命を受けて、塔前劇場へと向かっていますよ。
はい、今……向かっているところです。
ですがここは重犯罪者を監禁する隔離室です、劇場からも近くありません。やはりグリムマハト様の側近に連絡を……
やめておいた方がいいでしょう。
サンクタ!? なぜサンクタがここに?
ホッホベルクさん、共に彼を捕まえましょう。重犯罪人アルトリアと結託している可能性が極めて……うっ!?
……申し訳ございません。
対処方法についてあなたの意見を伺うところでした。
そうでなければ、直接手を出していたのではないですか?
私の身分を鑑みるに、この場に現れることが外交規約に反していることは間違いないです。違反が一つであるか複数であるかは、事後処理という点において、面倒の程度が異なるにすぎません。
しかしあなたは女帝の声です。ミヒャエルさんからあなたの立場は簡単に伺っています。
お気遣い感謝いたします。
……ん?
ですが、アルトリアさんに会いに行ったことは私自身の決定です。
父の死を……無意味なものにしたくないのです。
うつむき続けて、何も起きていないふりをしたくないのです。
何かを勝ち取りたい、運命を……この手でつかみたいのです。
……アルトリアに心の声を演奏させたのですか?
いいえ。
あのような旋律は……元々私の心の奥底にあったのです。それは絶えず響いていましたが、これまでは聞かないことにしていただけです。
フェデリコさん、私はアルトリアさんが嘘をついていないと信じています。問題の核心はやはり金律楽章にあるでしょう。
金律楽章の副本はすでに女帝の術師に回収されました。
しかしこの前、彼女には密に連絡を取り合う仲間がいることを発見しました。現状の手がかりから判断すると、その人物は、必ずしもルートヴィヒ大学の事件の首謀者ではないかもしれません。
はい……巫王派の残党はすでに副本にある術式を得たと仮定する方が妥当でしょう。
これから、塔前劇場にて数万に上る人が金律楽章を合奏します。
もし群衆の中に巫王派の残党が紛れ込んでいれば、何が起きるかは……想像もつきません。
まず現在までの発見をミヒャエルさんに共有します。
そうですね。彼からグリムマハト陛下を説得してもらうこともできますし。
ですが、それではまだ十分ではありません。たとえ両陛下の同意が得られなくとも……私たちは行動しなければなりません。
レーヴェンシュタインさん、全楽師と楽器が揃いました。
ありがとう。先に出ててちょうだい。私はもう一度……この拡声用の術式を確認するわ。
アメリ、どうして戻ってきたの? 何か忘れ物?
緊張しなくていいわ。あなたにとってこれが楽団に入って初めての公開演奏ね。自分の楽器を持って、旋律に集中するの。ほかの人の視線は気にしなくていいわ。
あら……あなただったのね。
そっちのアーツユニットの方向を動かしてもらえる? 反対回りに十五度……いや、十七度ね。
いいわ、この音でなくちゃね。どうして、こんな時に私の所へ来たのかしら? イーヴェグナーデ様が、また演奏について心配されているの?
……レーヴェンシュタインさん、他の楽師は?
みんな劇場へ向かったわ。
あと十分で、金律楽章の演奏が始まるわ。ロイヤル楽団は女帝の指揮の下でしっかりとスタートを切らないとね。
もう十分しかないのですか?
女帝に仕える気象術師が、今日の日の入りの時刻を予測したのよ。慣例にのっとり、金律楽章の演奏は最後の光が消える前に終えるないといけないの。
みんな苦労してリハーサルをしたわ。幸いもう少しだけ辛抱してこの夕方が過ぎ去れば、私たちはゆっくりと休むことができるの。
あなたもよ、ヴィヴィアナ。ここ数日ずっと考えていたの……事が落ち着いて、もしあなたが女帝のお傍に残るつもりなら、ツヴィリングトゥルムで長く住める場所を探さないといけないんじゃない?
はい……
なら……私と一緒に暮らすのはどう?
バッハ区に小さな敷地を持っていてね、少し前に壁を塗ったばかりなの。
ブラントが緑のツルを植えてくれたのよ。ツルの色と壁の調和は、そこまで悪くないって彼は言うの。けど彼のことは信用できないから、あなたにも見てほしいのよね……
レーヴェンシュタインさん……コーラさん。
どうしたの?
金律楽章の演奏を中断するにはどうすればいいですか?
どうしてそんなこと聞くの? 金律楽章の演奏は女帝の祭典において最も大事な催しよ。この二十三年毎年演奏してきたの。塔の前の野外劇場にはあんなにたくさんの人が待っているのよ……
この一連の惨劇の背後にある真相にもう少しでたどり着けそうなんです。
敵の陰謀は金律楽章と関係しているはずです。彼らの思い通りにさせてはなりません。
それはどこで得た情報なの? イーヴェグナーデ様にはもう伝えたのかしら?
信じるべきかどうか、分からないのです……一体誰が父を殺したのか繰り返し考えずにはいられません。
もしかして両陛下を疑っているの? ヴィヴィアナ、あなたは女帝の声なのよ!
そこにいるのは誰?
私の友人です。彼は見張りをしてくれています。
女帝の術師が来ました。
……こんなに早く?
彼らを制圧するには十分以上の時間を要します。
金律楽章の演奏はすぐに始まります。
彼らと正面から衝突しないで。
……
ヴィヴィアナ、あなたが何をしたいにせよ、付き合ってあげるわ。
信じてくれるのですか?
そんなの質問にすらなってないわ。それに、あなたを危険にさらすわけにはいかないもの。
あなたたちはロイヤル楽団が金律楽章を演奏するのを止めたいよね? ついてきて。
……消えたわ。
なに?
階段の蝋燭よ。部屋の中が暗くなったと思わない?
何をするつもりだ? 扉から離れろ。
扉の外の人も減ったわね。
彼らはあの……可愛らしい女帝の声を追いに行ったの?
ホッホベルクさんはお前に惑わされた可能性が極めて高い。女帝の祭典が無事終わるまで、我々は彼女を監視下に置く。
彼女をお前に会わせたのは私のミスだ。
ミス……そうかしら?
あの新たな女帝の声は選帝侯の娘で、イーヴェグナーデから深い寵愛を受けていることをあなたはとっくに知っていた。
ほの暗いグリムマハトの高塔で働くより、片割れの白い高塔の方に興味あるのは明らかだわ。
女帝の新たなお気に入りに好意を示すために、あなたは確認もせずに彼女を入れた。
お前……なにデタラメを!
あなたはすぐにそのリスクに気付いた。当ててあげましょうか。ここを離れた後で、ヴィヴィアナは彼女の身分にそぐわないことをしたのね。違う?
今あなたはとても恐れているわ。グリムマハトと彼女の処刑人はこんな低レベルのミスを許すはずがないと思っているから。そうであればあなたは昇進の機会を失うだけでなく、投獄の可能性もある。
ならどうして、二度目の過ちまで犯してしまったの?
なっ……ぐっ! チェロの音、なぜチェロの音が?
グリムマハト様、お……お許しください! き、聞いてはいけない……
もう遅いわ。リターニアに楽器はあまりに多いから。あなたたち一人一人のアーツユニットは……あなたたちの心と同じように、私の目の前にさらされているわ。
お前がた……叩くことで……
あなたたちは楽器を持って私に会いに来る度胸がないから、わざわざドアの向こうに置いたのよね。そして今回、慌てふためいたせいか、あなたはバリアのアーツを展開しそびれた。
でも忘れたの? 振動というのは……伝わるのよ。
弦を少しでも震えさせることができれば、私の演奏を聞かせることができるわ。
冠を直してくれないか?
ああ。
指が冷たいな。
すまない。これでどうだ、冷たくなくなったか?
一日中、剣をつかんで放さないとは珍しい。おかげで手と剣が全く同じ温度になってしまったではないか。
……そろそろ時間だ。そろそろ民の前に行くとしよう。
ヒルデガルト……
どうした?
今日の私は美しいか?
……
いつも通りにな。
グリムマハト!
……イーヴェグナーデ。
狼の子が来たな。
先に行ってくれ、リーゼロッテ。あまり民衆を待たせるな。
これまでは共に階を登り、橋から民の前に姿を見せていただろう。
不変であり続けなければいけないものなどない。
演奏が正式に始まる前に、隣に並ぶさ。
どうしたのだ? お前は、下でぶらついている方が好きだと思っていたが。
緊急で報告したいことがあります。
私のヴァイオリンを取ってくれ。来たからには、向かいながら話すとしよう。
ダメです!
祭典の中止を命じてください。巫王派の残党が下の群衆に紛れている可能性が極めて高いんです、恐らく彼らは前例を見ない規模の襲撃をしようとしています!
証拠は。
……少しだけお時間をください。証拠を見つけてみせますから。
ミヒャエル、お前は慎重な質だっただろう。あの向こう見ずなサンクタがお前に影響を与えたか。
フェデリコさん……あのラテラーノの執行人が推測するに、これからさらに大きな混乱が起こり、これにはきっとアルトリアさんが関係しているとのことです。僕たちに彼女の尋問をさせてください!
金律楽章についてどれだけ知っているのか、彼女の背後の支持者は一体誰なのか、仲間と何を企んでいるのか、金律楽章の演奏を遅らせていただければ、僕が……
お前は女帝の祭典はただの余興だと思っているな。
えっ……
最初の「女帝の祭典」は、二十三年前、私たちが巫王を弑したあの日だ。
祭典などなく、女帝もおらず、そこには殺し合いの中で命を落とした将士と疲弊し恐怖に震える民衆がいるのみだった。
我々は黎明に巫王を打ち負かし、さらに数時間をかけて残党を掃討した。日が沈もうという時に、私とリーゼロッテは巫王の塔を、血に染まった階段を下り――
――一曲の合奏にてこの戦争の勝利を宣言したのだ。
今日、この合奏に参加するため何万という人々がリターニアの各管区からやってきている。
全てのリターニア人、そしてリターニアの友人と敵が双塔に、グリムマハトとイーヴェグナーデに注目しているのだ。
なのにお前は、リターニアで数々の面倒事を引き起こしたラテラーノの執行人の推測を頼りに私に合奏を延期しろと、ひいては中止しろと要求してきた。
……
お前に期待しすぎていたな。
口を開く前に、私の返答を予想すべきだ。もし自分の判断に誤りがないと固く信じているのなら、直ちに行動すべきだ。
この点においては、ウェルナー・フォン・ホッホベルクの娘の方がお前よりもはるかに意志が固いと見える。
……え?
ミヒャエル、お前は私のそばについてどのくらいだ?
七年です。
そろそろ手放す時だな。
なぜ突然そんなことをおっしゃるんですか!?
いつの日か、お前はリターニアの明日のためにより多くの責任を担わなければならない。
さあ、私のヴァイオリンを取って来い。橋へと向かわねば。
楽団は十メートル下の位置にいるわ。
太陽は……すでに雲を赤く染めています。
演奏の開始まであと三分五十秒。
ここで銃声を鳴らします。そうすれば一部の楽師を追い払い、演奏の妨害ができるはずです。
ロイヤル楽団の楽師は、どなたも優秀なアーツの使い手です。並みの女帝の声には決して引けを取りません。攻撃の意図を見せれば、我々は即座にアーツの雨を浴びるでしょう。
では、この下に九十七名の女帝の声がいると想定します。
現在こちらに向かっている術師の二部隊を加えると、全部で百二十名近くです。
……私は三分持ちこたえられます。
ホッホベルクさん、あなたには残りの二十三秒をお願いします
もしそれしか方法がないのであれば……
追ってきた術師はお願いいたします。残りは、すべて私が引き受けます。
夕日が沈むにつれ、地面に映る双塔の影も引き伸ばされていく。
楽師たちの影、コーラの影、それとヴィヴィアナ自身の影が、次々と呑み込まれる。
ヴィヴィアナは自らの力がこれまでにないほど解き放たれていくのを感じた。
彼女は高塔のあの揺らめく燭光を思い出した。
炎はあれほどまで小さく、枕元の一角しか照らせない。より多くの片隅、螺旋階段の下、そして高塔の外の夜は、すべて濃い黒色だった。
過去の彼女は認める勇気がなかったのだ。その小さな燭火よりも、火の光の下で広がる暗闇の方が彼女の視界により長くとどまっていたことを。
……成功しました。
一部の楽師と楽器との繋がりを断ち切りました。
どういうこと? 何者かのアーツが我々に影響を与えている……
あなたたち……待って、レーヴェンシュタインさん? 人質に取られているのですか?
そう思っていただいて構いません。
……いえ。
アメリ、ごめんなさい。
あなたたちグルなのですか!?
私はもう選択をしたわ。ためらうことはない。
ひとまず……楽器を下ろしてくれる?
双塔の真下にアーツエネルギーの波動を感じる……楽団のいる位置で騒ぎが起こったようだ。
巫王派の残党か?
恐らくな。
おかしい、いつも通りなら、金律法衛はこの重要な場面でロイヤル楽団の周囲を守っているはずだ。なぜ一人も現場にいない?
……分かったぞ。
女帝は恐ろしいことが起こると予想していたんだ。必要なら、彼女たちは双塔を放棄する覚悟がある。ここにいる全ての……
先ほどのお方!
貴殿はシュトルム領の……
何をそんな驚いた表情をされているのですか? 合奏はまもなく始まりますよ。さあ、私は余分にフルートを持っていますので、もしよければ、お使いください!
……フルート?
この合奏を逃せば、きっと後悔しますよ!
いや、ここにいてはいけない。
今すぐ行け! 劇場から離れるんだ!
えーっと、もしかしてもっと良い位置を望まれているのですか? なら私たちで詰めればどうにかなるかと……
そうではない……これが見えるか?
何がですか?
ダイス、私が持っているアーツユニットだ!
何をする気だ? 正体がバレるぞ!
そんなの構ってられない。
周りを見ろ、ここには何万人と人が詰めかけているんだぞ! いやどのみち、そんなにたくさんの人は無理だ。せめて一人でも多く救うことができれば、一人でも……
周りがうるさすぎます!
な、何とおっしゃったのですか?
私を見ろ。
私のアーツを見ろ。思い出さないか? 私の姓はウルティカだ。私の持つアーツはかの者と元を同じくする。貴殿は恐れて、早く逃げるべきだ!
素晴らしい! 聞こえましたか? 女帝の楽師が最初の音を奏でました!
金律楽章の演奏が……始まりました!
……
黒いアーツの球が彼の手から浮かび上がり、空へ飛ぶと、赤みを帯びた黒い影となって破裂した。
そしてすぐさまさらに多くのきらびやかなアーツの光の束に埋もれるのだった。
様々な色のアーツが合わさって作られた光の束が、雲の中で織り交ざる。
旋律とアーツはすべて地上の人々によるもの。リターニアだけの楽章を誰もが全身全霊で演奏する。その手に持っているのは楽器であり、アーツユニットでもある。
周囲の建物と双塔が見事に共鳴する。この瞬間、二つの女帝の塔を囲むこの開けた場所は真の野外劇場となった。
壮麗な旋律と共に、雲を貫く彩りは刻一刻と変化し、人々はまるで空の夕景色を演奏しているかのようだった。
これはアーツが編み上げた視覚と聴覚の盛宴であり、リターニアの古典的美とアーツの力の究極的体現。
ツヴィリングトゥルム全体が、ひいては近隣の都市からもこの壮麗な景色を拝むことはできる。
エーベンホルツは突然落涙の衝動に駆られた。
彼はウルティカ領のあの高塔の頂上に立ち、移動都市を見下ろす自分を思い出した。
ウルティカ領には天辺が尖った時計塔がいくつもある。夕暮れに差し掛かると、すべての時計塔が音楽を鳴らす。
人々は一日の仕事を終え、大小さまざまな職場から出る。金属を繋ぎ合わせてできた路面を車輪が走り、都市が鳴らす音楽に混じって音を立てる。
少し背伸びをすれば、さらに遠くの青黒い野原が見えた。このアインヴァルト管区は至る所に森林があり、季節が来れば、熟した果実を車列が都市へと入る。
農夫たちは客を呼び込もうと、アーツを用いてわざと売り物の香りを強くする。これほどまで高い場所に立っていても、彼は農夫たちの手にある極上の果実の香りを風の中から嗅ぎ取れた。
他の貴族が見ていなければ、彼を可愛がっていたあの侍女がこっそり市場からいくつか持ち帰ってくれた。
あのたわわに実った新鮮な果実は、古い長テーブルに置かれた選別後のしなびた食べ物とはまるで異なっていた。
彼はもう思い出すことができない。あの侍女はその後どこへ行ったのだったか? 愛する人の所へ身を寄せるため遠く南へ向かったのか、それとも塔の下の楽器工房で新たな仕事を見つけたのか?
それと、ウルティカを去る際……彼は果たして振り返っていただろうか?
そう、彼も心の奥底では、この地を愛していたのだ。
これぞリターニア、霊妙なる楽が流れる地、夢幻の術の故郷。
演奏が始まってしまいました。
弦楽パートがなくても、こんなに……調和が取れているのですね。
確証があるわけではないけど、ずっと前に聞いた話があるわ。
金律楽章にはリターニアの意志が込められている。
それは秩序、調和、美への認知を象徴している。
それを簡単に壊せる者はいない。黄金の旋律は、リターニア人一人一人の心の奥底に深く根差している。
ある種のアーツのように聞こえますね。ラテラーノの法と多少の共通点がありますが、効果の原理と作用の対象は異なります。
つまり……金律楽章は一種の極めて複雑な術式で、旋律を耳にしたリターニア人の認知に影響を与えているということですか?
そして我々の目の前の術者は……万にも上ります。
我々はこの演奏を妨害することができない、そうですか? なら敵は……敵はどうするつもりなのでしょう?
敵の思考は間違いなく我々とは逆です。
彼らはきっと楽章が演奏され続けることを望んでいます。では、最も隠れるのに適した場所は一つしかありません。
な、何をするのですか?
もうあなたに言われた通りチェロを置きましたよ!
私とホッホベルクさんは楽師が立ち去るのを阻んでいません。
あなたの同僚たちは、大半がホッホベルクさんのアーツに抵抗している、あるいはレーヴェンシュタインさんが我々の味方についていることから戦闘を避けています。
しかし、あなただけがずっとここにいます。
……
あなたの言う通りよ、サンクタ。
真の……リターニアの楽章が鳴り響くのを聞くために、あまりにも長く待っていたの。
残りの巫王派の残党は……女帝の楽師たちの中に隠れていた?
コーラさん、彼らから離れてください!
……
どうしたのですか? ……泣いているのですか?
……ええ。
金律楽章を……聞いているのよ。
楽章?
なんて美しいのかしら。
この旋律が気付かせてくれるの、私がこれほどまでリターニアを愛しているということを。