聖山降臨1101OS-5・戦闘前雪の夜を独り往く
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カジミエーシュクルビアリターニアヴィクトリアイェラグ
ウルサスカジミエーシュクルビアリターニアヴィクトリアイェラグ

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聖山降臨1101 OS-5・戦闘前

雪の夜を独り往く

イェラグ-ライン生命観測所

1101年12月7日

イェラグでの天災発生の三十三時間前

エレナ

計器の動作良し、端末の充電良し、ペンの替え芯良し、原稿用紙も……コーヒーも良し。オッケー!

今日も徹夜で頑張るぞ――って、わああっ!

部屋の隅から聞こえてきたガサゴソという音に驚いたエレナは、夜も遅いこの時間に、観測所を利用しているのが自分一人ではないことにようやく気が付いた。

その直後、機材のそばに積み上げられたボツ原稿の山から、誰かが這い出してきた。

カロリン

あら……エレナ、あなただったの。

ふわぁ~……こんな時間まで残業してるなんて、マックス賞狙いの偉大な科学者様か何かかと思ってたわ。

エレナ

わっ……カロリン先輩!?

私のこと、覚えててくれたんですか?

カロリン

あなたはエネルギー課最年少のスター研究員なんだから、あんまり自分の知名度を過小評価しないほうがいいわよ。

エレナ

大げさですよ……

というか、てっきり先輩はもうお帰りになったと思ってました。スケジュール表では、今日の観測記録担当は私のはずですし――

カロリン

そんなの忘れちゃって。スケジュール表通りに進んだプロジェクトなんてないんだから――じゃなきゃ、私がここに半月も泊まることなかったでしょ。

エレナ

そんなに忙しかったんですか? 道理で、観測所に来てからほとんどお見かけしなかったわけですね……お疲れ様です。

カロリン

それで、戻ってきた気分はどう?

エレナ

と言いますと……?

カロリン

ライン生命に戻ってきて、どう? って話よ。

実は、観測所のプロジェクトメンバーを集め始めた時、最初に思い浮かべたのはあなただったの。でも、きっと断られるだろうと思ってたわ。

エレナ

……正直に言うと、私自身悩みました。

でも、どうあれライン生命が私に貴重なチャンスを与えてくれたのは確かですし、この会社が素晴らしいテクノロジー企業であることを疑ったことはないんです。

ライン生命で学びを得ていた日々は、自分の夢に一番近付いていた時だと、今でもそう思いますし。

それに……フェルディナンドさんのことだって、科学研究の分野においては羨ましいくらいの天才だということは、認めざるを得ない事実ですから。

カロリン

そうね。彼は物理の才能に恵まれているから、得意なことをやらせておけばいいのよ。

何にせよ、D.C.の監獄を出てきてからは、自分の研究に没頭するあまり、他の研究員をいじめる暇もないみたいだしね。

となると、エネルギー課主任のポストはもうすぐ交代が必要になるでしょうから……頑張ってね、エレナ。

エレナ

そんな! 大げさすぎますって!

私はただ、空をじっくり見られたらと思って来ただけで……

エレナは無意識に顔を上げて、観測所の透明なドーム越しに、風雪に覆われた空を見上げた。

彼女はこうした感覚が嫌いだった。

かつて目の前に立ちはだかった、一族の古臭い伝統や認識などの、科学自体とは無関係なあらゆる障害を嫌っていたのと同じように。

科学とは、ノイズのない純粋な環境の中で限界を幾度も突破して、人々がこの大地に対して抱いている疑問すべてを解き明かすべきものなのだと、彼女は信じていた。

エレナ

この観測所でのプロジェクトは、本当に、本当に貴重な機会です。

私はただ、自分の研究に専念したいだけですが、できることなら、既存の知識の限界、知識の果てをより遠くへと押し進めたいと思うんです。

カロリン

知識の果て……確かにここは「果て」に一番近い場所でしょうね。

そういえば、イェラグの伝説を聞いたことはある?

エレナ

伝説って、何の伝説ですか?

カロリン

この土地が千年の間天災に見舞われずに済んでいるのは、神に守られているからだという伝説よ。

エレナ

あはは……どの国も、黎明期には特殊な現象を「神」のせいにするものじゃないですか。

イェラグは比較的隔絶された環境にあるので、そういう伝説が残りやすかっただけだと思いますよ。

カロリン

それでも、調査結果を見る限り、実際イェラグが少なくとも千年の間天災に遭っていないのは事実なのよ。

エレナ

確かに珍しいケースですが、必ずそれを説明するに足る理由があるはずです。

一番可能性が高そうなのは、イェラグの高度の高い環境が原因で、源石粉塵が沈下して集まることがないとか、あるいは……

カロリン

巨獣がいるとか?

エレナ

えっ?

こっちは真面目に仮説を立ててるんですから、そんな神秘学めいた冗談でからかわないでくださいよ、先輩!

確かにこの大地には、巨獣関連の伝説や想像の話が色々な場所に残されてはいますけど――山のように大きな太古の生き物で、死後その身体は山や湖になるとかってやつですよね。

でも、そもそも巨獣の存在を実証する記録はありませんし、仮にそんな生き物が存在したとして、その生命活動を維持するエネルギーはどこからくるって言うんですか?

というか、どうして急にそんなことを?

カロリン

何でもないわ。雑談してたらふと思いついただけ。

さてと、今日はこの辺りにして、あなたは休みなさい。夜の観測は私がやっておくわ。

エレナ

本当にいいんですか? でも、先輩はこの数日ずっと夜勤してるんじゃ――

カロリン

いいの。どのみち昼夜逆転してるし、あなたと話してたら眠気が覚めてきたから。

それに確か、あなたが担当してる、高エネルギー粒子線照射装置のエネルギー供給構造には、未解決の問題があったはずよね?

エレナ

そ、そこまで知ってるんですか……?

カロリン

だからしっかり英気を養って、その賢い頭をもっと有意義なことに活用してちょうだい。

エレナ

そういうことなら、ありがたく休ませていただきます!

今度お時間のある時に、麓に新しくできたヴィクトリアレストランのフィンズアンドチップスをご馳走させてください!

カロリン

遠慮しとくわ。異国の地で、本物のヴィクトリア料理を食べられると期待してるヴィクトリア人なんていないものよ。

エレナ

あはは……だったら、イェラグ名物のチーズフォンデュにしましょうか。

カロリン

ええ、約束ね。


カロリン

……

イェラグには、いつも通りの静かな夜がやってきていた。この古き土地は眠りにつき、火灯りが消えたその代わりに、星々が輝いている。

夜闇に眠る雪山は、時として人の想像を掻き立てることもあるだろうが、多くの人々はとうにその姿に慣れ親しんでいる。

こんな夜に、空を見上げようとする者はそう多くはない。

カロリン

――!

あれは……!

その天を横切る異様な光は、あらゆる装置と彼女の肉眼ではっきりと観測された。

それは、天啓の如き光だった。


ノーシス

資料を拝見する限り、カロリン氏は非常に優秀で聡明、前途有望な若手研究者のようですね。

サイレンス

ライン生命もクルビアもこのプロジェクトを強く重視している分、優秀な研究員ばかりが集められていますから。

加えて現状、彼女の記録や通信内容に問題は見つかっていません。

ノーシス

彼女はヴィクトリアの出身ですか?

サイレンス

ライン生命のプライバシー規定に反しますので、これ以上の個人情報は提供できません。

イェラグ側から正式にスパイ容疑での告訴がなされるまでは、ライン生命内での情報以外はお渡しできかねます。

ノーシス

そうでしょうね。

彼女の提出した申請書類は完璧なものであり、当直業務も外勤時の情報収集も素晴らしい仕事ぶり、と……

記録を見るに、どうやら進んで外勤調査に出ていたようですね。

基礎研究をこなしながら、並行してイェラグの地理情報の収集にまで気を配っていたというわけですか?

サイレンス

彼女はとても責任感の強い研究員で、ライン生命内での業務評価も常に高いですし、学生時代も一貫して成績優秀でした。

本来であれば、こうしたトラブルに巻き込まれるタイプではありません。

ですが、カロリンの行方に関する手がかりも情報も、何一つ得られていないのが現状です。

……信じてくださるかはわかりませんが、ライン生命はあなた以上にカロリンの行方を知りたいと思っているんです。何しろ、この件は多くのことに関係していますから。

たとえば、ライン生命の名誉や、研究データの情報セキュリティ問題、そして管理システムの脆弱性や侵入リスク、我々の事業協力と今後の信頼関係、さらには……

ノーシス

さらには?

サイレンス

……イェラグ自体の発展にも関わることです。

ノーシス

それは科学倫理委員会としてのご意見ですか?

サイレンス

誤解しないでいただきたいのですが、これはあなた方を見下しての発言ではありません。私はカランド貿易の事業に対して、強い敬意を持っています。

現状維持から踏み出す勇気というものは、科学者にとって最も賞賛すべき資質ですから。

ノーシス

恐らく、それは科学者に限った話ではないでしょうね。

イェラグには「黒い駄獣は手に負えない」という言葉があります。

そうした駄獣たちは、次々に囲いを跳び越えては、雪原へと駆けていくのです。そして、その足跡を辿って雪原へと踏み込んだ駄獣飼いは、二度とは戻って来られません。

サイレンス

亡くなられたということですか?

ノーシス

「雪原へ踏み込み、戻って来なかった」というのは、イェラグにおいては大抵そうした意味です。

次々と紙が卓上に置かれていき、カロリンのノートとその行動の形跡は、小さな束へとまとめられた。

ノーシス

しかしそれなら、逃げ出した黒い駄獣はどこへ消えたのか? その問いも、実のところは同じことです。

もしかすると、駄獣は駄獣飼いと共に雪山へと向かい、森で迷い、ある夜凍え死んだのかもしれません。

目を通し終えた紙がまた一枚、そこに加えられる。

ノーシス

あるいは……

ノーシスは、最後の提出記録を置いた。

紙の余白が、凍てつく山肌を覆う新雪のように重なり合って白さを増していく。

ノーシス

彼らはただ、新たな水源を見つけ、新天地に辿り着いただけなのかもしれません。

最後に、件の外勤調査任務について、具体的な調査地点を教えていただけますか?


エレナ

……

ダメだ。観測データが完全に消えちゃってる。記録端末から内容を復元するのは無理か……

テーブルの上には書類が積み上げられ、マグカップには乾いたコーヒーの跡が残されている。

データ復元の失敗を示すエラー音は、再び心を落ち込ませた。

エレナ

入出記録はIDカードのログが残るはずなのにそれもないし、宿舎にも実験室にも何のメッセージも残されてなかった。

メインの監視カメラは壊れちゃってるし、実験室の側面にある二つのカメラには何も映ってない。

偶然と考えるにはできすぎてる。まさか、カロリン先輩は本当に……

……

ううん、ダメダメ。今はみんな、先輩がスパイだと決めつけてるけど、私がミュルジス主任に閲覧権限を申請したのは真相を明らかにするためなんだから、私まで先入観を持っちゃ……

ミュルジス

コンコン、失礼? 徹夜続きの誰かさんはいるかしら?

エレナ

み……ミュルジス主任?

ミュルジス

そんなに意外だった?

聞いたわよ、もう二日も宿舎に戻ってないんでしょ? まだ消えたデータのことを考えてるの?

エレナ

はい……

とりあえず、私たちが見た観測記録が改ざんされていたことはほぼ確実だと思います。ですが、誰が何の目的でそうしたのかまではわかりません。

それでも、隠蔽されたデータには、きっとすごく重要な手掛かりがあるはずで……

ミュルジス

うーん……でもねえ。まあ、とにかく一旦置いておいて、おやつを持ってきたから食べましょう。お腹が空いてたら、頭も回らなくなっちゃうもの。

エレナ

ありがとうございます。これは……

ミュルジス

イェラグのチュラパレよ。粉砂糖がかかってて、ラズベリージャムが入ってるやつ。最近、観測所で流行ってるのに、食べたことないの?

エレナ

……

チームの人から噂は聞いてたんですけど、最近はイェラグの特殊なエネルギーの調査で忙しくて。本当は、下山ついでにチーズフォンデュを食べて、その時買ってみようと思ってたんですよね。

エレナは楕円形の小さなチュラパレを手に取った。それはしばらく置かれていたせいで少し乾燥していたが、中のチーズとジャムはまだとろける食感を維持していた。

少し離れたところで水の流れる音がして、それが止んだと思えば、ミュルジスが洗ったばかりの清潔なマグカップを二つ持ってきて、エレナのそばに腰かけた。

ミュルジス

コーヒーをご一緒してもいいかしら?

エレナ

ええ、もちろん。

マグカップにコーヒーが注がれて、その香りが広がっていく。

深夜の実験室には、機械の稼働音がひときわ鮮明に響いている。巨大な透明の窓の外には、イェラグの果てしなく深い星空がいつも通りに広がっていた。

張り詰めていた空気が徐々に和らいでいき、エレナは一瞬ためらったあと、マグカップを手に取った。

ミュルジス

ふう……こうして真夜中の実験室で後輩とコーヒーを飲んでると、昔を思い出しちゃうわね。

エレナ

主任も昔はしょっちゅう徹夜してたんですか?

ミュルジス

この仕事をしてて、徹夜しない人なんていると思う?

社会人になってからもそうだけど、学生の頃ですら、期末が来るたびに、自分の身体が水じゃなくてコーヒーで出来てるような気がしてたわ。

エレナ

あははっ……やっぱりみんなそうなんですかね。

ミュルジス

だって、夜のほうが仕事が捗るもの。

エレナ

そうですよね。夜のほうが静かですし、集中力が高まることもありますし。

私も、今よりもっと忙しかった頃には、論文を書きながら、ボイスレコーダーに別の論文の概要を口述でまとめたりしてましたよ。

そうすれば二つの作業を同時並行で進められますから。今思うと、本当に……

……あっ、そうだ、レコーダー!

ミュルジス

えっ? なになに、レコーダーがどうかしたの? どこへ行くつもり?

エレナ

監視カメラのレコーダーを確かめたくて!


エレナ

閲覧権限よし、えーと、時刻は……午前3時19分……

見つけた、これだ。

ミュルジス

でも、監視カメラには実験台の映像が一切映ってないんでしょ?

エレナ

はい……でも、観測機器の音が記録されてる可能性は高いと思うんです。

ほら、この辺り、機械の稼働音がたくさん聞こえますよね。はっきりピッピッて聞こえてくるこの音は、音波センサーだと思います。

これの送信周期はグラフの描画に結びついてるので、この通りに再現すれば――ええと、紙とペンは……

ミュルジス

はい、どうぞ。

エレナ

あっ、ありがとうございます。

エレナはペンを走らせる。一日中機材に囲まれて過ごす研究員は、この上なくデータに精通していた。

そして彼女は、記録した数字をコンピューターに入力した。


エレナ

できた……

これで、隠蔽されたデータと同じものができました。

ミュルジス

ええ……このグラフを見るに……

エレナ

天災発生の前日未明に、カランド山で微弱な地震が起きているようですね。

いえ、厳密には地震というより、大きな衝撃を受けているように見えますが。

まるで何かが、空から山へと落ちてきたみたいに。

この後、イェラグに初めての天災が訪れたんですよね。

観測所の大きく広い窓の外では、月明かりに照らされた雪山が青く輝いている。一見して、その夜はいつもと変わらない。

ミュルジス

もしかして、行方不明になったカロリンはその「空から来たもの」を探しに行ったの?

でも、だとしたらなぜ単独行動を選んだのかしら?

エレナ

カロリン先輩が勝手に持ち場を離れたことはありませんし、何か見つけたのは確実だと思います。

落下地点さえわかれば、先輩を見つけられるかも!

それ自体は、衝撃音の周波数から具体的な位置を割り出せると思います!

……ミュルジス主任、私たちは……

ミュルジス

エレナ、今の蔓珠院はライン生命の代わりに調査を行ってくれることはないのよ。

理屈で言えば、これ以上関わるべきじゃないわ。あたしたちにできるのは、せいぜいこの件をコンポーネント統括課に報告することくらいよ。

エレナ

ですが、カロリン先輩が危険な目に遭ってるかもしれないのに……

ミュルジス

それでも、これはあなたの仕事じゃないってわかってるでしょ。

あなたは別に、カロリンの親友ってわけでもないし、彼女の置かれた境遇はあなたにはまるで関係のないことよ。

……

短い沈黙の後、ミュルジスは冷えてしまったコーヒーをひと息に飲み干した。

そして、その苦味に軽く舌を出してから、チュラパレを一つ手に取り口に入れると、話を続けた。

ミュルジス

……でもね。

科学者にとって一番大事な才能は、時としてほんの少しの勇気と……無謀さだったりするものよ。

あなたは感性の鋭い子だから、音楽の中にリズムを見つけることが得意よね。

それは、ダンサーであれば不可欠の素質なんだから、踊りたがってるあなたを縛り付けて自由を奪うなんて、残酷すぎると思うわ。

エレナ

主任、それって……

ミュルジス

今夜あたしがここに来たことは誰も知らないの。だから、あなたを止められる人なんていなかったし、すべきこととすべきでないことを教えてくれる人もいなかった、ってことで。

この夜食は……あなたが自分で共用冷蔵庫から持ち出したってことにするのはどうかしら?