聖山降臨1101 OS-9・戦闘後
冷たき刃を引き抜いて
指定の位置に到着した。
公爵様のご指示によれば、ラタトスが死を偽装したことには必ず裏があり、重要情報を手にしている可能性が高いため、生け捕りにせよとのこと。
……
この前庭から見るに、院内は手薄になっている。このまま突破しよう。
目立たず素早く片付けるぞ。
ただ、一点注意すべきこととして、ここには黒騎士がいる可能性が高い。
……だが、彼女はどこに?
侵入者は周囲を警戒し、手元の武器を握りしめた。
しまった!
漆黒の鐧が信じがたい速度で襲い掛かり、侵入者はその衝撃で吹き飛ばされて壁に強く叩きつけられた。
あっ……!
外から、また戦いの音が――何が起きてるんでしょう?
静かに!
今外にいる敵は粒ぞろいの連中ばっかりだ。デーゲンブレヒャーは命懸けで私たちを守ってくれてるんだよ。
だから奴らに見つからないように、精一杯静かにしてな。
あの……ラジオで、私がイェラグに拉致されたと報道されているのを聞きました。あれはどうして……
ハッ……あんたのお仲間、ヴィクトリアの連中は今じゃ、武器を手に、戦車を走らせてここを包囲してやがるのさ。
となれば、その目的があんたの救出か、あるいは事情を知る人間をここに閉じ込めほかの作戦を展開することかなんて明白だろう。
つまり、彼らは私の救出を口実に、イェラグを侵略していると……
私はそこまではっきり言ってないけどね……まあ実際、ほとんどその通りだが。
……
……どうしてこんなことになったんでしょう?
さあね。生きて資料を持ち出せたら、自分の国に聞いてみな。
私は……イェラグに来れば、抑圧された人たちを助けられると、私のカメラと文章で、もっと多くの人に本当のイェラグを見せられるはずだと、そう思い込んでいました。
自分のしていることには意味があると、そう思って……
……へえ、だったらあんたの善意に感謝でもしてやるべきかね。
ま、本当に善意だったってことにしといてやるが――それにしたってバカ言うんじゃないよ。あんたは何を根拠に、自分の見たものだけが「本当のイェラグ」だと思ってるんだい?
現実は見ての通りだよ。イェラグの民を抑圧してるのは一体誰だろうね?
……
屋根の上の雪が融け落ちてできた庭の水たまりに、侵入者の血が跳ね落ちて、波紋を広げる。
その前で、逆光に浮かぶ顔が彼を見つめていた。
そこからそう遠くない場所では、広間の燭火が、彼女の内に満ちた殺気の如く燃え上がっていた。
大した実力だ。あの方がイェラグ関係のレポートで黒騎士の存在を強調して書いていたのもうなずける。
あなたたちが忍び込んでくることくらい、わかってたわ。
その覆面を被っていると、あなたが誰かもわからないけど――
前にイェラグへ来たご同輩は、「ここは気ままに蹂躙できるような土地じゃない」とは言わなかったの?
確かに、我々もあなたの名は聞き及んでいる。
ゆえに万全の準備を整えてきた。
単に数を揃えただけにも見えるけど。
あなたに勝とうなどとは思っていないさ。こちらはただ、任務を遂行するのみだ。
その服を見るに、あなたも一応精鋭ってことよね。
となれば、痛い目を見せないとわきまえてくれないかしら。
どうしてもここを通りたいなら、死んでもらうわ。
まとめてかかってきなさい。
何の心配もせずに暴れるのは久しぶりね。
……あなたたちは全員死ぬのが怖くないってことにしておきましょうか。
殺気に溢れた彼女が武器を構えれば、鈍い音が響く。
敵は武器を抜くと、その冷たい光を閃かせ、暗い空を映した水たまりを踏み越えて一歩ずつ近づいてくる。
千年続いたこの聖地で、激しい殺し合いが始まろうとしていた。
湿った空気は次第に熱を帯びて乾き、降る雪は熱気に解けて蒸気が立ち昇り、水たまりは四散していく。
金属と血肉がぶつかり合う時にすら、赤い火花が散らんばかりだ。
ふっ――
さあ、続けなさい!
……まさかこんなことになるなんて。
私はイェラグへ来るべきではなかったんでしょうか?
それはあんたと、あんたの国が答えを出すべきことだろ。
だが、イェラグのためなら、私もあんたを利用しようと考えたかもしれない。それを思えば、私にもヴィクトリア人を卑劣だなんて非難する資格はないだろうね。
……ではヴィクトリアにとって、そしてイェラグにとって、私の報道にはどういった意味があるのでしょうか?
あの連中は既成事実が欲しくて、あんたを利用しようとしてるだけなんだ。それをあんまり真面目に考えすぎないことだね。
つまるところ、私たちはただの人質なのさ。
……すみません、ただ、今のすべてがあまりにバカげているように感じてしまって。
これも真実ってやつの一つさ。あんたのカメラがまだ使い物になるなら、絶好の素材になりそうだけどね。
私が……この扉を出ていけば、お二人は無事で済みますよね?
その場合、あんたは奴らに剣を向けられ、資料をすべて没収されるだろう。その上であんた自身も姿を消し、あんたの行方を知る者はいなくなるかもしれないね。
この点については……あんたのほうがよくわかってるはずだろう。
では、ここで何もせず、じっとしているしかないんでしょうか?
ヴィクトリア側の奴らは、あんたという人質を失うことは望んでないはずだよ。
落ち着いて待っていな。それで……
エンシオディス……あんたが何を企んでるかは知らないが、そろそろその策を披露してもらわないとね。
ご報告します!
アークトス様のご指示通り、バリケードで道を封鎖しました。
敵艦は現在、距離三キロの地点で行軍を続けており、砲撃を仕掛けてきてはおりません。如何いたしましょう?
爆薬の備蓄はどれほどある?
運べるだけ運び込みました。こちらも命を危険にさらすことにはなりますが、ヴィクトリア人の進軍をしばらく遅らせることはできるかと。
十分だ。
お前は隊列の指揮に向かえ。俺は先んじて、ヴィクトリアの連中のツラを見に行くとしよう。
軍艦が彼の目の前で停止した。その濃いグレーの装甲板が、陽光を反射している。アークトスにとって、こうして何かを見上げるのは生涯でも数少ない瞬間だった。
指揮官は誰だ? そいつと話をさせろ!
アークトス・ペイルロッシュ殿、私の上官はあなたとの衝突を望んでいません。
それはお前たちがイェラグを訪れた理由次第だな。山で迷子になったなどとは言わせんぞ。
理由であれば、公爵様が発布した公開書簡に明記されているはずです。我々はヴィクトリアの利益を守り、天災後のイェラグの情勢を安定させるべく協力しに来たのです。
こちらとしては、イェラグを混乱に陥れた元凶であるエンシオディスが然るべき裁きを受けることのみを求めております。これはペイルロッシュ家のお考えとも矛盾しないはずです。
今俺が考えていることなどただ一つ。お前たちがそれ以上、一歩でも前に出たならば、必ず代償を支払わせるということだけだ。
イェラグに足を踏み入れんとするなら、俺の死体を踏み越えて見せろ!
戻ったな。指揮官からのご指示はあったか?
前と同じだよ。持ち場をしっかり守れとさ。こちらの人員が全員中に入ったら、イェラグの武器庫を見つけ出せるはずだと言ってる。
これだけ探したのに、まだ何もわからないのか?
ほんとにな。実際、イェラグには大した抵抗なんてできないって話が本当だとしても、あのエンシオディスが何の備えもしてないとは思えない。
もしかすると――ん? また輸送車が来たぞ。
勘弁してくれ。今度こそ何が何でもお前に行ってもらうからな。俺はさっき豆の袋をひっくり返して調べたもんで、ヘトヘトなんだ。
わかったよ。
ゆっくりと近づいてくる車に彼が手を振れば、相手も素直にその場に停車した。
こんにちは、すみませんが公爵様のご命令で、こちらを通る車両はすべてチェックする決まりになっていまして。
一旦荷物を降ろして――
言葉が終わる前に、堅い棍棒が彼の頭に振り下ろされた。それを見たもう一人の警備兵が応援を呼ぶ間もなく、黒い影が彼の背後に現れ、首を絞め上げる。
ご命令通り、こちらのルートを確保しました。
状況をノーシス会長に報告してくれ。
補給の輸送を急ぐんだ。くれぐれも時間を無駄にするな。
誰の血かも分からないものが視界をぼやけさせ、頬を伝って口元へ流れ込んでくる。
その生臭さは彼女にとって久しぶりに味わうものだった。
二本の鐧を振るい、彼女は四方八方から襲い来る刃を払っていく。その巧妙な攻撃は彼女の身体に無数の傷跡を刻んでいたが、それでも彼女は一歩たりとも引かなかった。
その周囲にはすでに、七、八人の敵が倒れている。
ペッ……
ごほっ……
もう限界だろう、黒騎士。
あなたには武器を捨て投降するという選択肢もある。
大口叩いてくれるわね……
度胸があるなら、御託を並べてないでかかってきなさい。
名高きあなたも、血を流し続ければいずれは倒れる。
こんなところで命を落としていいのか?
……ふっ。
戯言ね。そんなのは――
死ぬのが惜しいと思ってる人に言ってやりなさい。
大きな音が響く。
彼女は敵が見せた隙を逃さず、相手を吹き飛ばした。
今や数多の傷を負っている彼女には、本来これほど強力な一撃を放てるはずはない。その力は、長年眠っていた怒りが引き出したものだ。
満身創痍の騎士が放つ気迫は、敵を心から震え上がらせるに足るものだった。
誰かが半歩後ずさる。
……何を恐れているの?
彼女がよろめきながらも前へ歩み出ると、地面に二筋の血痕が残されていく。
その目は異様な輝きを放ちながらも血走っており、今にも倒れそうにも見えた。その強い執念は、どこからともなく沸き上がっているようだ。
広間の燭火は徐々に弱まり、地面に映る影は曖昧になっていく。
そうしてついに、彼女が倒れようとしたその時……
蔓珠院内に発煙弾が数発撃ち込まれ、すべてが煙に包み込まれた。
誰だ?
蔓珠院の衛兵ではないな。予想外の勢力が戦闘に介入したようだ。相手の規模は不明。こちらの被害状況を鑑みて、任務続行は困難と判断する。
作戦中止。負傷者を連れて撤退せよ。
間に合ったようだな。
ヴィクトリアの精鋭相手ではこちらも手を焼くことだろう。まずは場所を移すぞ。
起きろ、寝るんじゃない。
げほっ、あなたは……
Sharp?
喋るな。今のお前は重傷だ。
ドクターの命令で来たの?
ドクターとシルバーアッシュ氏は常に連絡を取り合っていた。イェラグに天災が起きたと聞いたドクターは、お前たちがトラブルに見舞われると予測したんだ。
今はこちらも手が回らない状況ではあるが、ドクターは以前、イェラグに危機が迫った時は決して見捨てない、と約束をしていたからな。
この場への増援は頼んでおいた。すぐにロドスの仲間が駆けつけるだろう。
……
エンシオディスは?
心配するな。彼であれば、今頃状況を掌握しているだろう。
持ちこたえろ、デーゲンブレヒャー。お前は一番困難な時期を乗り越えたんだ。
……現在の生産量は維持できそうか?
はい、弾薬は計画通り供給可能です。とはいえ……
どうしても疑問を抱かざるを得ません。相手がカスター公爵の艦隊となれば、生産量を十倍まで引き上げたところで、太刀打ちできないのではないかと。
心配無用だ。計画通りに進めてもらえたらそれで問題ない。
それ以外のことは我々が対処する。
……
ノーシス社長、私はカランド貿易に務めて十一年になりますから、この会社がイェラグに何をもたらしてきたかも承知しています。
私は、あなたたちを信じますよ。
……
どうやら、準備は整ったようだな。
これ以上の忠告は不要だろう、シルバーアッシュの当主殿。
ああ。交渉へ向かうからには正装に着替えなくてはな。
カスター公爵の軍隊はイェラグを包囲している。一部の先遣隊はすでに街道の一部を制圧し、民衆を自宅へ追い返していた。
アークトスが兵を率いて対峙しているが、彼の軍隊はヴィクトリアの兵力の前には無力だ。
加えて、公爵の使者がカランド貿易に来訪し、交渉を求める「招待状」を届けるよう依頼してきた。
彼女は君を待っているんだ、エンシオディス。
聞く限り、状況に予期せぬ変化は起きていないようだな。
まだその一つきりの高速戦艦を眺めているのか。今こうして見るとあまりに頼りなく見えるな。
……
近頃は、昔のことをよく思い出すんだ。両親がブラウンテイル家からの招待を受けたあの日のことを……
当時、父は言っていた。ブラウンテイルとペイルロッシュが我々を支持しないのは、私に見えているものが彼らには見えていないからだと。
「たった一歩でもいい、前に踏み出せる者がいたなら……」――招待を受けた理由として、そう語っていたものだ。
相手があの悪名高きルカ・ブラウンテイルであってもか。
二人は最悪の可能性を把握していながら、それでも躊躇はしなかった。
私は今や両親が亡くなった時と同じ年齢まで生きたが、あの頃と比べても、状況は何一つ変わっていないようにすら思える……
だが少なくとも、私は理解するに至った。当時、二人がなぜ躊躇しなかったのかを。
……
あの一件の後、私は家族と共にイェラグを離れ、ヴィクトリアに向かうことになった。
あれは困難に満ちた始まりだった。私は具体的な目的もないまま勉学を続けるうちに、ヴィクトリアの同級生から注がれる冷たい視線に慣れていった。
唯一の支えは、いずれイェラグに戻れると知っていたことだった。
しかしその後、君までもがヴィクトリアへやって来た。
キャンパスで初めてお前に声をかけた時のあの表情は、忘れられそうにない。
……私はただ、君が挨拶代わりに、「子供の頃の約束を覚えているか」などと無邪気で愚かとも言える言葉を投げかけてきたことが意外だっただけだ。
「お前にはまだ、イェラグをどこよりも強い国にし、我々二人が活躍できるような舞台に変える気はあるか。」
だが、それゆえに私は確信できたんだ。君の言うすべては、君が見ている未来は、決して幻想などではないと。
だからこそ、私は今日までカランド貿易と共に歩んでこられた。
「今日まで」などではまるで足りんな、ノーシス。
私はこれから、あの残酷な胴元にして債権者たる人物に会いに行くが……
……私が生きてそれを見られようと、そうでなかろうと、必ずイェラグに「明日」を迎えさせてみせよう。
……
最後に一つ、君に伝えておきたいことがある――君を支持しているイェラグ人は、我々以外にも数多くいる。
カランド貿易が幾年もかけて積み上げてきた努力は、決して無駄ではなかったんだ。
……
ここで聞きたい言葉があるとすれば……
……君ならいつでも、他人の口から聞きたい言葉を引き出すことができるだろう。
たとえば何だ?
君はデーゲンブレヒャーに、お前はただの駒に過ぎない、契約が満了すればイェラグに残るかどうか自分で選んでいいと言うだろう。
だが、それに対して彼女がどう答えるかは知っているはずだ。
……
あるいは、お前たちがどう答えるか、さほど確信が持てないからこそ、その言葉を聞きたがっているのかもしれないだろう。
ふっ、今更怖気づいたのか?
二十数年前、イェラグをどこよりも強い国に変えると言った時、私は恐れる権利を捨てた。
お前はその場にいたのだから、忘れてはいまい。
……ただ、時として私にも、支えとなる言葉が必要となることもある。
では君から見て、私とデーゲンブレヒャーはその役目を果たしていたのか?
……ああ、疑いようもなく。
お前たちがいて……よかったと、そう思っている。
……
あるいは、未来のイェラグでは、もはや莫大な代償を伴う取引を行う必要も、信仰を得るべく蔓珠院に依存する必要もなくなっているのかもしれないな。
そしてあるいは、お前たちのほうが私より――
思い込みで物を言うのはよせ、エンシオディス。
君が理想に描いた未来のイェラグの姿は、君自身の目で確かめろ。
もし君が、理想に向き合う勇気も持たない臆病者なのであれば、勝手にしてくれ。私にもデーゲンブレヒャーにも、やるべきことがあるのでな。
まさに今がそうであるように。では、そろそろ失礼する。
……
いいだろう。