淬火煙塵 11-9・戦闘前
この命でもって
エルシー!!!
待ってて、す、すぐそっちに……
約束したもん、私は……
アラデル、すぐにここを去るんだ。
ブラッドブルードが近づいている、気付かれてはならない。
エルシーがまだいるの、だから――
あの方の言いつけに従いなさい。勝手な行動は許されない。
あ、あなたたちが私に命令なんて……
我々にはその資格がある。公爵の命に従ってあなたの「任務遂行」の協力をしに来ただけで、あなたの下僕ではないのだから。
彼女は、あなたにどう教えた?
自分の立場を忘れるな。
私は……
あなたがしなければならないのは一つだけ。自分の使命を果たすことだ。
ある刹那、アラデルは自分がどこにいるのか、そばに立っている者が誰なのかを忘れることがあった。
彼女は前へと走りたかった。己の残りの人生を奪いつつある大火の中へと突っ込みたかった。
二十六年前のあの夜、もう一つの火の中へと突っ込み、議会の兵士が父を連れ去るのを阻止したかったように。
その他の事柄については、とうの昔にあなたが関与できるものではない。
アラデルは目を大きく見開く。涙に覆われた両目は、炎にあぶられて乾いた。
しかし彼女は間違いなく、燃える庭園の中、一つの巨大な影がすっくと起き上がったのを見た。
あの破損した蒸気甲冑だろうか? かつて彼女の無数の幻想と望みを集めた蒸気甲冑だろうか?
ターゲットのもとへ戻るのだ、今すぐに。
これまで何度となく厳しい状況に陥るたび、アラデルはいつも全身全霊で祈ってきた。あの偉大なる先祖が再び蒸気甲冑に宿り、困難を乗り越える力になってほしいと願ってきた。
だが今、彼女が見たのは、古の鎧が、震えるほど恐ろしい炎を吐き出す姿。
彼女は炎の中の影が自分に対して咆哮を上げているのを見た。
それは、彼女の希望ではない。彼女はとうの昔に離れてしまった。
仮に先祖が本当に戻ってくるのなら――
アラデルにはわかっていた。それはただの悪夢でしかないと。
……
彼女に伝えてちょうだい。
私はこれまで通り、彼女の意向に従うと。
な、何故でしょうか、大君閣下……
我々のもてなしに、十分ご満足いただけているものと思ってましたが……
我々のダンスパーティーにいらしてくださったこともあるではないですか、違いますか? この場を好んでらしたはずです!
確かに、私が一時あなた方からいくらかの愉悦を得たこと自体は認めましょう。
あなた方が細心の注意を払って媚び諂う様、痛々しいほど大げさに有用さをアピールする様は、どれもいじらしいものでした。
もしや何か誤解をされておいででは? 私は大公爵や反乱軍とは何の関係もありません! 本当です……
もし本当に問題があるとすれば、カンバーランドとかいう女がやったことです! 私は彼女を告発しますぞ!
大君……閣下……どうか、お慈悲を、何でも差し上げますから! 私のコレクションも、財産も、どうぞお好きなように! お願いです……
か弱き者よ、それらが私に何の意味を持つと?
私を、殺しはしませんよね? 我々は今後も引き続きパーティーを開催します。あなたはまだ私が秘蔵している酒を飲んでいません……
レト中佐、私の身には何も起きないはずだ! なんとか言ってください。ここはロンディニウムなのですぞ!
サルカズは、あのツキに見放されたキャヴェンディッシュ公爵の招待を受けて、ロンディニウムを守りに来ただけだ。罪のない者を無差別に殺したりはしないはずです。そうですよね?
……
連れていけ。
耳障りです。さっさと始めましょう。
な、何を始めるのですか?
命令が聞こえたら、中へ突っ込め。
無事家に入り込み、中に生存者がいないことを確認できれば、お前も生きて出られる。
中……火の中のことですか? こんなに大きな火の中に行かせる気ですか? 嫌です、行きません、死にたくありません!
やるんだ。
――
古のサルカズがヴィクトリアの心臓の上に立ち、軽く指を上げた。
うわぁ――!
彼には背後から何が追ってきているのかよく見えなかった。
サルカズの戦士が言ったように、彼は確かに本能的に命令に従い、死に物狂いで前へと走っていく。
前方にあるのは火だ。だが、火中には少なくともまだ、わずかばかりの生きる望みがあった。今まさに彼の背後から迫るものこそが、絶対的な死の息吹なのだ。
けれど逸る気持ちに、身体はついてこなかった。足をもつらせて、数歩もせずに倒れてしまう。
鮮血が彼の体内から噴き出した。
赤いソレは、既に主を変え、別の者のしもべとなった。
彼の指揮の下、前方の大地へと、倒壊する邸宅へと、獰猛な大火へと真紅が飛びついた。残骸を噛み砕き、枝を呑み込み、灰を覆う。
赤き血は行軍を続け、それを止められる者はいない。炎でさえも。
レト、彼の言った通りです。
私はまだ、彼の秘蔵の酒を飲んだことがありません。
味わってみるべきです、違いますか?
着いた、ここで待ってろ。
ルンド、チャーリー……
ここが、あたしらを処刑する場所かい。
……なぜわかる。
そこまで御大層な謎じゃないよ。
ここ数年、あんたらは工員たちに何を作っているか教えたことがないだろう。
だがね、あたしら上の者は、多かれ少なかれその内容を知っちまってる。
最近これだけ急がせてるのは、もう終わりが近いからだろう。だとしたら、あたしらみたいな知り過ぎちまった奴は、そろそろ死ぬ時期がきたってことだ。
……さっきは嘘をついたのか。
安心しな、後のことを託しただけだよ。
あたしらは、今まで好き勝手言われながら、駄獣みたいに三年働いてきたろう。今更何ができるっていうのさ?
何か企んでるなら諦めた方が身のためだぞ。
何人か来い、外の様子を見に行く。
パプリカ、こいつを見張っておけ。
……うん。
タバコ吸ってもいいかい?
うん……いいよ。
ありがとう。
あんた、逃げようと思ったことないの?
逃げる? 逃げるってどこに?
それにね、もしあたしが逃げれば、工員たちがひどい目に遭っちまうよ、お嬢ちゃん。
……
あたしらはどうなるのか、色々考えてたんだけどね。どうやらあんたらの上の者は、なかなか人間味があるみたいだね。
これで? ……人間味がある?
あんたらに命令を下した奴はきっと、工員たちにパニックを起こさせるなと言ったはずだよ。だからこうして、一箇所に集めて静かに処理しようってんだろ。
あたし一人の命で、より多くの工員が生き長らえるなら、そうすればいいさ。
他にも老いぼれが連れてこられたろう。みんな何もわかってないとでも思ってるのかい?
なんでそんな……
ふぅ……
お嬢ちゃん、あんた今年でいくつだい?
ドクター、蒸気騎士の話は知ってる?
ばあちゃんは昔、蒸気甲冑を作る工員だったんだ。
過去の俺たちにとって、そいつは認められた証しだった。
だって、このロンディニウムを守り、俺たちの故郷を守る戦士、その甲冑は、俺たちの両手が作り出してたんだからさ。
俺もね、昔は憧れたよ。いつの日か、ばあちゃんみたいに、偉大なものが生まれていく様をこの目で見るんだって……俺もそこに加わるんだって。
ばあちゃんは、色々経験してきたんだ。ロンディニウムがどうやって一歩一歩今の姿になってきたのか見てきた人だ。だから、俺にはばあちゃんが失望してるのがわかる。
けど俺は……こんなに早く諦めたくないんだ。
この引き出しで合ってるよな……
隠し収納、隠し収納……おっ、見つけた。
流石ばあちゃんだな~、普通の人ならこの机が改造されてることなんて気付かないわ……
これは……俺の社員証?
それと……ノート?
……
つまりあんたはクルビアで育ったんだね。
うん、ばあちゃんに育てられた。
うちの両親は傭兵だったんだ。二人とも死んじゃったけどな。
それなのに、傭兵になったのかい?
だって、自分とばあちゃんを養わなきゃダメっしょ。
サルカズを歓迎してくれるとこは、少ないかんね。傭兵になるしかなかった。
良い子だね。
で、あんたはあの摂政王のやり方に賛成してるのかい?
この都市を占領したことを言ってる?
んー……わかんない。
うちらは、ただお金を受け取って仕事するだけだし。こんなでっかい都市の占領に来るなんて、初めはうちガチで知らなかったし。
クルビアにいる頃だって、うちらの仕事ってったら、やましいことしてる商人のために荷物を運んだり、獣を狩ることだったかんね。
うちが覚えてるのは、グリンがあんなに興奮するのは初めて見たことくらい。今回の任務がうまくいけば、サルカズは良い生活を送れるって言ったんだ。
グリン? あのタバコ好きのグリンかい?
そ。
彼はどこへ行ったんだい、最近は見ないね。
死んだよ。
……悲しくはないのかい?
グリンが教えてくれたんで。うちら傭兵にとっては、別れは——生きながらの別れも、死がもたらす別れも普通のことだって。
別れ、か。ロンディニウムは長いこと混乱に巻き込まれてるけど、それでもヴィクトリア人はサルカズのことをちっとも理解できないよ。
受け取んな、お嬢ちゃん。
え、何?
キャサリンはタバコの箱からあるものを取り出すと、パプリカへ投げた。
それは小さく、柔らかく、毛糸で編まれていて、鮮やかな色をしていた。
これ……指サック……
グリン……
……あんたが編んでやったんだろ?
人差し指に怪我をして痛がってたけど、それでもタバコはやめられなかったみたいでね。あいつは、それをタバコの箱の中にしまっていたよ。
使うのがもったいなかったんだろうね。あんたの気も知らないで。
……
ここを出た時、数ヶ月分のタバコ代として、この箱をくれたんだ。
あんたのことを話したことはなかったけど、一目見てわかったよ。あいつがずっと気にかけていた子が誰なのかをね。
うち……うちは……
あいつが、この戦争をどう思っていたのかは知りやしない。
でもこれはわかる、お嬢ちゃん、あいつが言わなくたってわかるさ……あんたはまだ、戦争が何なのかをわかっちゃいない。
ドクター、あんたを連れてここに戻ると決める前、俺はばあちゃんに何を話すべきかたくさん考えたよ。
覚悟ができてると思ってた。これだけ長い間、俺たちは十分すぎるほど色々経験したからさ。
でも、俺やっぱ、ばあちゃんに「ごめん」って言わないといけないんだ。
……
ばあちゃんはいっつも仏頂面で、表情は変わんないけど。あの人がただ、普通の暮らしを送れなくなっただけの一般人だってことをみんな忘れちまってる。
これだ、ドクター! ばあちゃんが地図に疑わしい場所を丸してくれてる――
そうだな、集積場に近づくのはきっと難しいはずだ。
でも、俺たちが近づけなくても、ばあちゃんがくれたこの情報は十分役に立つ。
別れの挨拶をしてきたいけど……
それは、次に取っとく。
ドクター、そろそろ戻ろうぜ。
うちと一緒にいる傭兵のほとんどは、自分たちが何のために戦ってるのか実のとこわかってないんだ。
うちらはただ、他に行き場がないだけ。どこもうちらを歓迎してくれないから。
でもサルカズの王が、うちらでも帰る場所を持てるって、統治してもらえるって、未来を見つけられるって言ったんすよ。
あんたらの中の何人かとは関わりを持ったことがあるけど、彼らの中には本当の戦いに参加したことさえない奴がいたね。
あんたはどうなんだい?
うちは戦える!
人を殺したことあるのかい、お嬢ちゃん? 良心に責められることもないほどの悪党をじゃなくて……人を、だよ。
……
工員なんだし、あんたも人を殺したことないっしょ。知ったかぶりして説教するなし。
ロンディニウムは長いんだろ、なら蒸気甲冑は聞いたことあるはずだね?
あー、ガチヤバい兵器らしいな。でも、姿を消して長いんでしょ。
そうさ、だけどあれは凶器だよ。
あたしはかつて、この手であの凶器を一つ一つ作っていたんだ。
だけど恥じてはいないよ。なぜならあの凶器は、あたしが暮らす土地を守るために使われていたからね。
あんたはどうなんだい、お嬢ちゃん。今何のために、手に持っている凶器を振るっているのかわかってるのかい?
うちは……