驚靂蕭然 12-20・戦闘前
真摯な誘い
……
ウェリントンはほぼすべての予備戦艦を送り込んだのか?
はい、公爵様。
ウェリントン公爵はあの船を……必ずや手中に収めんとする勢いでございます。
彼らの先遣部隊はすでにサルカズと交戦しているはずです。
チッ、それにカスターまで……
あの女、これまでほとんど自分の守備範囲から出てこなかったが、さすがに今回はあやつといえどじっとしていられなくなったか……
奴らがここまで魅了されるとは。あの空飛ぶ小船には一体どれほどの価値があるのだ?
……我が軍の参謀たちからも同様に、可能な限りあの飛空船の技術を手に入れるよう進言を受けております、公爵様。
サルカズに対抗するにせよ、将来……対立する恐れのある他の相手と向き合うにせよ、あのかつてない武器は我々にさらなる選択肢をもたらしてくれるとのことです。
彼らを黙らせろ。対立する恐れのある相手? それはヴィクトリアを分裂させるよう、私をそそのかしていることになるのだぞ。
私はただデルフィーンを迎えに来ただけだ。
参謀たちが言うには、ノーポート区の状況は、恐らくかなりひどいものだろうと……
デルフィーンは無事に決まっている。あの子は私の娘だぞ。
こ、公爵様!
言わなかったか? 艦内では走るな。
ご覧ください、あの移動区画の影を……
何か……変です……
ウィンダミア公爵は、副官から差し出された望遠鏡を受け取った。
朝日に引き伸ばされた移動区画の影……だがそれはノーポート区の形とはかけ離れたものだった。
建物に遮られているせいであろうか? それにしても奇妙な形だ、どこか塔のようにも見える──ウィンダミアはそう思った。
塔?
いや……ビルか?
……まさかあれは……ザ・シャードの影?
そんなことがありえるのか? あれは自然現象か? それとも……
さっき、カスターとウェリントンの部隊は、あとどのくらいでこの付近に到着すると言った?
恐らく二時間はかからないかと……
滅多にないことです。この区画の近辺に、三人の公爵の部隊が一斉に集うなど……
参謀が言うには、他の大公爵たちも機をうかがっているようです。彼らが自ら戦艦を指揮し、ここに現れてもおかしくないと。
私も軍に入って何年も経ちますが、このような事態に遭遇するのは初めてです。
──!
船を止めろ! 緊急停止だ!
すぐに全部隊をこの区画近辺から撤退させろ!
赤の信号弾を発射し、友軍に警告せよ!
大至急だ! 急げ!
電文を送れ! 周囲のすべてのヴィクトリア部隊に通達せよ!
このエリアはザ・シャードの攻撃対象になる恐れがある!
り、了解です!
この船は旋回不要だ、ノーポート区へ向けて加速せよ!
嵐が形成される前に、デルフィーンを見つけるぞ!
赤い信号弾が雲の下で次々に炸裂し、ねじ曲がった区画の影が元の形へと戻る。
見事だ、イネス。
最大出力ではないただの試射だ。それに、選択できる地点は他にも数多くある。
とはいえ、認めざるを得ないな、少しばかり惜しいと。
だが軍事委員会の計画する目標が、単体であったことなどない。
ナハツェーラーの王に伝えよ、進軍の準備だ。
嵐が彼に道を切り開くであろう。
イネスはよく口にしていた。死も道具であると。
彼女は時折、ヘドリーにこう自嘲した。自分は死人として扱われることに慣れてしまったのかもしれないと。
しかし死が本当に目前に迫った時、自分が想像していたよりずっと冷静であることに気付いた。
彼女は目を閉じた。
突然、火と熱が正面から襲ってきた。続いてそれに伴う強烈な衝撃波が体を打った。
鼻をつく爆薬の匂い……この匂いをイネスはよく知っていた。
彼女は薄く笑みを浮かべた。
押し寄せる爆煙に包まれる。体中を打ちつける余燼は、今もなお火の温もりを帯びている。
周囲の余燼が舞うように集まり、編み上げられてゆく。
サルカズの歴史は、余燼によって織り成されている。だが時に、こういった塵芥は別のものも編み上げるのだ。
例えば……
イネスは柔らかな煙の中に落ちた。
余燼が巨大な網となって彼女を支えたのだ。
あの二人に……これ以上のやり方を期待すべきじゃなかった。
おーい、イネス、まだ生きてるかしら?
こういう爆発ってすっごく難しいから、事故が起きても不思議じゃないのよね。
しょうがないわ。ヘドリー、このまま埋めちゃいましょ。
……悪いけど、一応生きてるわ。
チッ、シラけるわね。
ところで、あんたのために打ち上げた花火は気に入ってくれた?
あんたが気付かないうちに、その服に縫い付けたものはなーんだ?
ざーんねん、答えは探知器よ!
……私が気付いてなかったとでも?
あの雑な縫い目。あなたの裁縫技術はほんとお粗末よね。
チッ、元々ホントの「サプライズ」にしようと思ってたんだけど。でも、まぁ別にいいわ。
それからこの燃えがら──
戦場で服を綺麗に保つのがどれだけ難しいか、あなたたちわかっているのかしら。
くすぶってる灰の中に私に放り込むなんて、何を考えてるの?
……前は俺のアーツを余燼と表現していただろう。
今はそんな気分じゃないわね。
怪我は重いようだな。
死ぬよりはマシよ。
えっ! ヘドリー、あんたアーツが使えたの? てっきり刀で人を斬ることしかできないと思ってたわ!
しかも、余燼ですって? 道理であたしが毎回あんたに爆弾を投げつけても涼しい顔してたわけね!
じゃ、砲弾ぶっ放されても怖くなかったりする?
怖いさ。
灰で他人の顔に一発お見舞いしてやることはできる?
できない。
そういえば、あんたいつもほこりまみれだけど、それってアーツの副作用か何か?
黙れ。
……プッ。
イネス、あんたのこんな無様な姿を見るのは何年ぶりかしらね?
賭けてもいいわ、もう今後二度と見ることはないって。
自分の運を過信しない方がいいわよ。帰り道でブラッドブルードの大君のお散歩に出くわすかもしれないもの。
……
W、別のたとえにした方がいいかもな。
何よ、あんまり長くマンフレッドの近くにいたもんだから、王庭の化け物たちに愛着でも湧いたの?
ていうかあんた、ちょっとはあたしに感謝しなさいよね! もしもあたしが帰り道に、逃げ回ってるあんたと出くわさなければ、今頃は違うお友達に捕まってたかもしれないのよ!
……まったく騒がしいな。これなら監獄に戻った方がマシかもな。少なくとも今より静かだ。
どうぞ戻れば? テレシスに、あんたのことチクってあげるから。
今からどこへ行くの?
Wのセーフハウスだ。
オーケー、しょうがないから帰るとしましょう。
ああ、忘れてたわ──
……ありがとね。
……俺は戻る。
あいつは今日に限ってなんでこんなに遅ぇんだ? 走ってるうちに転んで怪我でもしちまったか?
助けに行こうぜ。ここで恩を売っときゃ、酒を数本たかれるだろ。
何ぼさっとしてんだよ、行くぞ!
いい加減にして、ハンナちゃん! ノーポート区は今、火の海なんだよ!
ベアードはバカじゃねぇ、火を避けながら向かってんだろ。
……ベアードちゃんは死んだよ。
……
モーガン、何言ってんだてめぇ? 冗談じゃ済まされねぇ──
だから! ベアードちゃんは死んだんだって!
あのナイフを見たでしょ? あの血の付いたバタフライナイフを!
あれはベアードちゃんが肌身離さず持ってたナイフだって。間違いないよ……
そのナイフが別の人の手に渡ってた。それはつまり……
……
単なる早とちりかもしんねぇだろ? ベアードがうっかりナイフをなくしちまっただけじゃねぇのか?
あいつにだってさ、ヘタ打つ時くらいあんだろ? 物をなくしたことだってあるしよ。
覚えてっか? あいつ羽獣の卵を一ダース分なくしたことがあっただろ、朝飯に目玉焼きを食う予定だったのによ。
あいつだってたまにゃヘマするさ、そんな大げさなことじゃ……
ハンナ……マクラーレンがあのナイフを持っていた。
ベアードは最後にあいつを探しに行った。
あいつは耳が聞こえていない、恐らく……
……
……
ハッ! あいつらがどんだけ長い付き合いだと思ってやがんだ? また俺をビビらせようとしてんのか?
ベアードはマクラーレンにナイフをちょっと貸してやったんだよ、そんだけのこった。
俺は……
……
……どういうことかあいつに訊いてくる。きっと教えてくれるさ、これがただの……
ハンナ。
マクラーレンはどこにいる? 一緒にノーポート区を離れたよな、そんならこの中にいるはずだ。
訊いてみりゃ勘違いだってわかるさ……
マクラーレン──どこだ──
マクラー……
……ハンナ、彼には聞こえない。
……
俺は──
ぶっ殺してやる!!! あのクソ野郎をぶっ殺してやんよ!!! あいつを見つけ出して、骨を一本ずつ引っこ抜いてやる!!!
ハンナ! ……もうよせ。
ヴィーナ! *ヴィクトリアスラング*とっくに知ってやがったのかてめぇ!? だったら何で──
何であいつの頭を叩き割ってベアードの仇を取らないかって? 私がしたくないとでも思っているのか!?
必死で堪えているんだ!
なぜならそんなことしても*ヴィクトリアスラング*意味がないからだ! 耳の不自由な狂人を一人殺したところで何の意味もない!
ハンナ、私はすべてが憎い……これらすべてが憎くてたまらない。私はどうしようもない愚か者だ、身勝手なバカ野郎だ!
アラデル、ベアード……
私がこの都市の問題に関与しなければ、もしかしたら彼女たちは……
……私は一体何のために戻ってきた!?
私は自分が何のために戻ってきたのかわからない!
これは……初めから、偽りの責任感によって犯した過ちだったのではないか?
自分は心の中で彼女たちを、共に死線を潜り抜け、共に苦渋をなめ尽くした友人たちをどう見ているのだろう?
この……かけがえのない「友情」は、実は自分さえも欺いている、ただの言い訳にすぎないのではないか?
自分でさえも、自らを国王だと錯覚し始めているのではないか?
慈悲を与え、仁愛を振り撒き……そして、希望と尊敬を集める。
自分は一体……何になりたいのだ?
自分は一体何になることを期待している?
……ヴィーナ、吾輩たちが帰ってきたのは、ただ……傍観していられないからだよ。
ここが吾輩たちのストリートで、吾輩たちの縄張り、吾輩たちの国だからだよ。
あんたはいつも前線に突っ込んでくけどさ、それはあんたが責任を背負ってるからなんかじゃない。
吾輩たちがあんたの後ろについてくのも、あんたに何者かになってほしいからじゃない。
ヴィーナ、あんたは吾輩たちのヴィーナでしかない。
……
……もちろんだ。
誓おう。私はただのヴィーナでしかない。
ノーポート区の市民の方々をどこに連れて行きますか? このまま荒野で放っておくわけにはいきません。
それに、ここは戦場の中心です。
……彼らが望むなら、母の領地で生活することができます。
母が移動都市をロンディニウム付近にまで移動させています。小型の要塞都市ですが、ここの人たちを収容するには十分です。
カドール、他に何か考えはありますか?
フンッ。
デルフィーン、オマエ気付いてるか? 身分を隠すのをやめてから話の視点まで変わってるぜ。
……ベアードの件で辛いのは分かっています。
私たちも同じ気持ちなんです。でもわざわざみんなの気分をもっと悪くするようなことは、言わなくてもいいでしょう。
私はただ……
おや、やっと人を見つけたよ。
ねぇ、僕たちにお水をくれないかな?
あのドラコ……彼女の使うあの火は嫌だったな。体に燃え移って全然消せやしないんだもん。
……変形者。
やぁ、アスカロン、久しぶりだね。
何をしに来た?
お水を探しに。
ついでに僕たちの小さな魔王に挨拶でもしとこうかと思ってね。
あのバンシーが君のことを随分と褒めてたよ。
アーミヤ、退がるんだ。
大丈夫です、ドクター。この姿は初めて見ましたが……私はこの人たちのことをよく知っています。あの歴史の中に何度も現れていますから。
ですが、この人たちはいつも王庭から離れていて、自分たち以外のすべてに対し……興味がないようです。
変形者の欠片、あなたはなぜ私たちの前に現れたのですか?
どうやら君は正真正銘の魔王みたいだね、子ウサギさん。
あれは、君をすごく苦しめたみたいだね。サルカズでもないのに、よくあんなにたくさんのものをその小さな頭に詰め込めるよ。ほんと感心する。
記憶は、僕たちにとって最も貴重なもの。でも僕たちにとって毒になることもあるんだ。
ほら、僕たちにはやっぱり共通の話題がありそうでしょ?
あなたもやっぱり……私は「魔王」の王冠を戴くのに相応しくないと思っているんですか?
どうやら、あのぐちぐちと小うるさいレヴァナントに、こっぴどく罵られたみたいだね。
無視していいよ、あいつは昔からうざいから。
あなたは古のサルカズですよね、あなたなら……魔王はどうあるべきだと思いますか?
うーん、良い質問だね。まぁ、僕たちはなったことがないし、気にしたこともないんだけど……
でも僕たちが思うに、せめて強大じゃなきゃダメなんじゃない?
どんくらい強大かっていうと……あらゆるためらいや迷いを余裕で乗り越えられるくらい──かな?
だけど、一つだけ確実に言えるのは、君は僕たちにそんな質問をすべきじゃないってことだよ、小さな魔王。
……
君はまだまだ長い道のりを歩まなくちゃならないんだ。そのロドスとかいう組織をこのまま率いて騒ぐにせよ、サルカズの魂の導きに従うにせよね。
あっ! ごめんごめん、忘れてたよ。サルカズの魂は君を受け入れないんだった。僕たちを受け入れないのと同じだ。
僕たちはどちらも彼らにとって異類だからね。
でも──
君は将来のある時点で理解するはずだよ。時間を打ち負かすことはできないってね。僕たちの記憶の中では、どの魔王も結局最後には同じ道を歩いてたよ。
……ですが、私はそうはなりません。
私は──その道を歩むことを拒みます。
そう急いで答えを出さなくてもいいよ、子ウサギちゃん。僕たちも昔は、もう一人の若い魔王に驚かせてもらえるかもと思ったことがあったけど、君たちの運命は揺らがないみたいなんだよね。
それでも僕たちは君に大きな期待を抱いてるよ、サルカズじゃない魔王……
今なお成長を続け、自らの血に疑問を抱く若き魔王……
僕たちがいまだかつて見たことのない魔王……
……お前の目的は?
僕たちに……敵意はないよ。
魔王、僕たちは君より知恵を持ってるとは言えないし、君に何かを教えることもできない。
ただ、お願いをしたいだけさ、こういった……「唯一」の個体を深く理解する機会が欲しいんだ。
アスカロン、君がもし僕たちみたいに長命ならわかるはずさ。
目の前に今まで見たことのないものが現れた時、触れずにいられるわけがないだろう?
敬愛すべき魔王、僕たちの長い生命にサプライズをくれないかな?