悪兆渦流 13-2・戦闘前
目の前の傷
うっ……
あなたって、いつも見張り交代の直前ぴったりに目覚めますよね。
それって昔からの訓練の成果か何かですか、Guard?
……パーシヴァル。
ここが暑すぎるだけだよ。夜になってもまだむっとするくらいだ。
交代まであとどれくらいある?
十五分くらいでしょうか。もう少し座ってても構いませんよ。
顔を洗ってくる。
その足、どうかしたんですか? 引きずっていますけど。
……結晶が広がって来てるんですか?
まだ平気さ。
パーシヴァル、タオルを取ってくれないか。左手にある。
ピンクの花柄のこれですか?
……そう、それだ。
まあいいですけど。
あなたが連れてきた人たち、当初の想定より多いですね。ロンディニウム周辺の町も、直接戦場になってるわけじゃないとはいえ、状況が悪化してきてるみたいです。
影響が及ぶ範囲が思っていたよりも広い。領地にいる貴族たちは……ハッ。当然、見て見ぬふりをしてるんだろうな。
あれらの町は、元々キャラバンとの商売に頼って生活してきた。戦争が始まった今はロンディニウムに来るような輸送隊もないし、良い暮らしなんて送れるはずもない。
暮らし向きが悪化すれば、真っ先に割を食うのは感染者だ。前は彼らも、町の端っこでこそこそと食糧を育てたり、村人たちと些細な商売をしたりすることができた。誰から稼ごうと金は金だからな。
だが、それはある程度余裕があって、みんな世間体を気にしてあまり無体なことはしなかったからだ。でも今は……
片を付ける時が来たってことです。
パーシヴァル、今はもうすぐ豆が実る季節だ。畑では、彼らが季節を通して世話してきた苗にもさやが付き始めて……そんな時期に彼らは俺たちに加わり、逃げることを選んだ。
感染者たちは、長い時間をかけて育てた土地を放棄したんだ。数ヶ月後、ひいてはこれから一生得られるであろう収穫を諦めてまで、ここを離れたがってるんだよ。
彼らは……きっと本当に、どうしようもなかったんだと思う。
俺たちは、感染者たちは、こうやって「奪われること」にとっくに慣れてしまってるのかもしれない。
だけど、いつまでも慣れていちゃだめなんだ。
Guardさん、まだお休みになってます?
話し声が聞こえたもので。やっぱり起きてたんですね。
また君か。言ったはずだぞ――
これから夜番ですかい?
夜食はいかがですか? ヴィクトリア産の缶詰があるんですよ。あんまりうまくはねぇけど、とっても便利です!
タバコはどうです? 酒は? どれも清潔ですし、夜更かしの役に立つかもしれませんよ! それから砥石に、アーツユニットに、何でも揃ってます!
パーシヴァルさんの方は、トリートメントのクリームなんかいかがです? 今は滅多に見つからない代物なんですよ。何しろ、こんなの持ち歩いてるのは士官クラスだけですから。
士官の死体は少ないっていうことですか?
そうでもありません。ただ、死体の山から掘り出すのが若干面倒ではありますがね。大体は一番下の方に埋まってますから。
……またうちの薬と交換しに来たのか?
そ、その、何だか最近気分が悪くてですね。身体中いてぇし、幻覚まで見るしで……この石が脳ミソにまで生えちまうんじゃねぇかと心配なんですよ。
砲弾で空いた源石粉塵だらけの穴の中を毎日通ってるんですから、鉱石病が悪化しない方が不思議なくらいです。
あたしたちがあげられるのは、簡単な作りの一番基本的な薬です。病気の進行を多少は抑えられますが、飲んだからといって命が助かるとは思わないことですね。
ええ、ええ、分かってますとも、それで――
君が俺たちの薬を売り払ったことは分かってる。
連れてきた感染者たちが教えてくれたんだ。バイク乗りのサルカズから買った鉱石病の薬が「なかなか悪くない効き目だった」とね。
それは、しかし――
ずいぶん儲かったんでしょう? あなたへの罰は、そのポケットに詰まったコインの枚数で決めるっていうのはどうですか?
……
俺は、ただその、需要のあるものを、あるべき場所に移してるだけで……だって、ここはいま戦争中なんですよ。
二度目の警告はないぞ。
……だが少なくとも、君は薬を彼らに与えた。全員に薬を配るためのトランスポーターがいないのも事実だしな。
もうしません、約束します! 今回はちょっとでいいんです! ほんの何錠かだけでも構いません! お、俺……ここ最近、熱が出っぱなしでして。
Guard?
……
薬を処方してあげよう。それと今回は、彼の名を登録しておく。
ありがとうございます、助かりました!
礼なら医者たちに言ってあげてくれ。
彼らは実験室で誤って鉱石病に罹患し、会社も保険料の支払いを止めた。前途有望なエリートからクソッタレな感染者に転落するなんて、なかなか受け入れられることじゃない。
幸いにも、レユニオンの噂を聞きつけた彼らは、俺たちの元を訪ねてきてくれた。
あなたの昔の職場にも感謝すべきでは?
あの人たちには感謝以上の感情も抱いている。だが、俺が許されることは永久にないだろう……自分で選んだことだ。
とはいえ、ロドスの設備は精度があまりに高すぎて参考にもなりませんけどね。まあ、うちは製薬会社じゃありませんから、いいんですけど。
ああ、俺たちが薬を飲むのは病気を治すためじゃない。今しばらくの間だけでも生き延びるためだ。
注射と薬では、鉱石病を消し去ることはできない。
そうだ、君の名前は?
俺ですか? ええと……
そうですね……「薬売りの傭兵」とか、「バイク乗り」ってのはどうです? まだ誰かに覚えてもらうほど立派になってるわけじゃないんでね。
それじゃあ名前とは言えない。
ちょっと待ってくださいよ。何かしらカッコいい名でも考え――
な、なんだ?
後ろへ下がって。
パーシヴァルは、加入したばかりの民間人を落ち着かせてくれ。まだ荒事には慣れてないだろうから。
ヒュ――ヒュ――
俺に殺されたいのか? あなたの部隊は、ずいぶん調子が悪いようだが。
ナイン、何があったんだ?
こいつらは北方から林の中を暗中行軍していた。ロマーヌイチが矢を受けたので、現在医者に処置させている。
たった二十一人、それも何人かは担架に寝ている状態で我々の野営地を襲撃するとは、狂った奴らだ。
ハッ! 見ろよ、我が国の中心、偉大なる首都の周辺で、私が見たのは何だと思う?
クソッタレの感染者集団、レユニオンだ! さあ殺せ! 来い、やれるもんならやってみろ! 来ないのなら、私が貴様らをぶち殺してやる!
陰謀家、扇動者、暴徒、殺人犯……どいつもこいつも、我が国の膿ばかりだ!
道理でここまで苦戦するわけだ。あの野蛮な魔族どもの力だけで我らに勝つなど、どだい無理な話だからな。真の敵は我らの近くに、それも背後にいたんだ!
混乱あるところには、必ず貴様らの、感染者どもの影ありというわけか!
どうやらお前らは、前線から撤退してきたばかりのようだな。
士気は低く、編成も不完全で、傷口には包帯が乱雑に巻かれている……その装備、職業軍人じゃないな。召集兵か?
我らはファイフ公爵旗下の第四歩兵大隊、第……何中隊だったっけ……? ブラックブルク村小隊及びイーストハム村小隊に所属しています。あなたたちの中に医者はいますか?
貴様、口を閉じろ! 武器を持たんか!
ですが上官、ヴィクトルの奴が……
命令だ、武器を持て!
あまり大声を出さないでくれ、ヴィクトリア人。後ろの野営地で休息中の民間人がいるんだ。
あんたたちヴィクトリアの、な。
民間人だと? そいつらが貴様らの輪に加わり、暴徒や共犯者となる道を選んだりしなければ、ヴィクトリアが然るべき生活を与えていたわ!
そもそも、卑しいクズどもがどいつもこいつも感染者なのは、一体どういうわけだ?
なぜ我が国に巣食うスラムのゴロツキも、荒野の盗賊も、邪悪な魔族も、それから後ろ暗いことを企んでばかりの貴様らレユニオンも狙ったかのように感染者なんだ?
我らが敬愛するファイフ公爵や、偉大なるフレデリックⅢ世陛下が感染していなかったのはなぜだ? 誠実で道徳的な人々が鉱石病に侵されていないのは一体どうしてだ?
人は果たして、感染したがゆえに卑劣になるのか……それとも卑劣だからこそ感染してしまったのか、どちらなのだ?
じゃああんたはどうなんだ?
まさかその卑劣さが伝染したとでも?
貴様、何を――
いい加減にしてください!
俺たちは全員……あんたの言う卑劣なクズになっちまったんです!
……そうでしょう、上官?
それは……
それは違う、これは栄誉の……
あんたのその腕。
結晶が生えてきているな。進行がかなり早いみたいだ。
……私は国のために命がけで戦ったのだ! ただサルカズどもを殺している時、うっかり砂利が付いてしまっただけで……それか、魔族どもの血が――
……
あんたたちは徴兵に応じた時に何を学んだんだ? 活性源石環境に関する警告を、一つも受けなかったのか?
教官は、ただ引き金を引いて矢を撃てばそれでいいとだけ……訓練はたった二週間しか受けていません。
きっと、遮断薬も配布されなかったんだろう。
えっ……何ですか、遮断薬って?
……ナイン、彼らはおそらく全員感染してる。
そ、そんな? 一週間前に中隊で受けたばかりの健康診断では、何も問題なかったのに!
一週間か……感染ペースがかなり早いな。それとも、お前たちを前線に投入し続けるだけのために、記録をごまかされたか?
黙れ!
担架の上の奴らは意識を失ってからどれくらい経つんだ? 相当危険な状態だぞ。
え?
急性の発作は感染者の死亡、及び遺体の崩壊を引き起こす。お前たちにとっても、我々にとっても危険だ。
気絶した負傷者を仰向けに寝かせて、担架に乗せて道を急いできたお前たちの判断は正しい。そうすることで無意識下の窒息を防げるからな。
だが……背中は確認したのか?
……
これは……
ヴィクトル! クソッ!
前線に連れてくるべきじゃなかったんだ……ヴィクトルが感染したことをこいつの父親に知られたら、こいつも俺も殺される!
サルカズどもの仕業だ! 奴らの巫術が、我々を感染者へと変えたんだ! 昔聞いたことがあるぞ! 魔族どもは呪いを使うとな!
奴らは我らの土地を汚すだけでなく、道徳までをも貶めるつもりなのか!
黙ってくれ。
生まれつき感染しやすい体質を持つサルカズの軍隊は、ほとんどが感染者で構成されている。あんたたちが彼らを殺すか、あるいは感染したあんたたちが彼らに殺された場合……
もしも遺体を処理する者がいなければ……
……確か俺は……塹壕の中で、ある音を聞いた……
上官はあの時、これは砲声だとおっしゃいましたよね!
ああそうさ、砲声だとも!
我らの敵は、あらゆる手段を用いてこの国と我々を傷付けようと試みる。奴ら自身の死をも含めてな!
魔族、盗賊、ターラー人……フレデリックⅢ世陛下がご健在だった頃は、こんな馬鹿げたことなど一度も起きなかったのに!
我らは……必ずやあのゴミクズどもをヴィクトリアから駆逐せねば……
我らは……
我らに、一体何ができる……? ヴィクトルの命を救うことは可能なのか? 我らは……ヴィクトリアの栄光の庇護下に……
……
バカ野郎。
もう一度言うぞ。あんたは感染者になったんだ。助かる見込みはないんだよ。
もっとはっきり言ってやろうか。あんたは俺たちのように、ここにいるみんなと同じように……
もうすぐ死ぬんだ。