解離結合 15-3・戦闘前
奇跡とは
……聞こえているのは鐘の音かな? どうして色んな方向から同時に鳴っているの?
彼女の声はとても小さく、周囲の壁は少しも反響を起こさない。
濃霧のような光が差し込むたびに、壁に細かく小さな穴が数多く現れ、そっと開閉して呼吸をする。光が消えると、また沈黙する純白な壁となった。
あの光……司教様が言っていた聖都の光とは全然違う……
(未知の言語)あれは、F型スペクトルを模したものだよ。
あなたの声は聞こえます……だけど、どうやってあなたを探せばいいですか?
少女の指先が壁に触れた。それは温かく、柔らかな感覚で、まるでもう一本の指と触れ合っているかのようだった。
そして、彼女は手の平全体を、壁の表面の細かな模様にくっつけた。
手をどの方向に滑らせても、その模様は手の平に沿って伸び、彼女の手を引いているかのようだ。
もしかしてあなたは、私に答えているんですか?
彼女が前へと小刻みに駆けると、壁も遠くへ向かって伸び、彼女を導く。
扉、それに通路がたくさんある。どこに繋がってるんだろう?
コータスが立ち止まる。さほど遠くない場所で「神様」が宙に立っているのを彼女は見た。その輪郭はとてつもなく大きい。
手足の表面は金属とは異なる暗い光沢を放ち、発光するいくつもの欠片がそれぞれの規則によって素早く並ぶ。欠片の色もそれに応じて変化している。
しかし少女は、「神様」の頭に光輪がないことに気付いた。その空中の巨大なものは彼女の存在を無視し、何も気にかけない様子で過ぎ去る。
……!?
♪~
また別の似たような存在が近付いてくると、彼女の前で停止した。
♫?
何やら尋ねているようだ。
ごめんなさい、何を言っているかわかりません――
「神様」はしばらく黙ると、言語でコミュニケーションを続けるのを諦めた。
(未知の言語)君の言語の使い方は非常に原始的なものだ。
「神様」は敏捷な手でコータスの後頭部を覆い、コータスは緊張から目を閉じた。
(未知の言語)怖がる必要はない。君の思考周波数を解析して、アンセタにアップロードしているところだ。
しよう、かのう。げんゴ。キミ。
……べくトるカ未了、スイ測、はんだん。言ゴ、一じ使用。きョウしン、ひつヨウ。
えっと……何を言っているのかよく分かりません。私の言葉は通じますか?
明ラかニ。
――ではあなたは……「神様」ですか?
コータスは張り詰めた様子で、今この瞬間に何よりも答えを望んでいる質問をした。
「かみさま」、シツモン。テイギ、必要。
司教様のお話では、神とは法の化身で、聖都の主。病人や死者を守る方です。ですが司教様のおっしゃっていた内容は、書物にも記載がありません。
カミ、否テイ。
神、必需ナし。
……!?
あなたが神様でなければ、誰が私を救ってくださったのですか? なぜ私はここにいるのですか?
……それとも、ここは死後の国ですか? あなたは私の案内人ですか?
問題。過ジョウ。
共鳴、不足。こうりゅう効りつ、悪い。
光マゲる者。レイディストレーター。私。
回答ノ一部。提ジ。
「レイディストレーター」と名乗る生命は手を使って空中に窓を描くと、その窓を近くの壁に押し当てた。船窓に映し出された光景がゆっくりと薄れ……
どこからか湧き出した微弱な光が、窓全体を満たした。映像は次第に鮮明になり、コータスの少女が「窓の外」を見やる――
一つの砕けた球体が、星々の瞬く暗闇に浮かび上がる。それは、死するその瞬間で停止していた。
語られる間もなかった過去がことごとく砕けて塵となり、冷たい虚空に放り出される。
それらの塵は互いを見つけ、かつての家を囲むと、虚空に浮かぶ輪を成した。
コータスとレイディストーターはその輪の上で、帆のない巨大な船に乗り、静寂の中で航行している。
我々見ル。航行。スクイあゲ。
君、ふルエ。恐フ?
遠くのあれ、ちらついているものが、目みたいで……怖い。
星のようだけど、でも全く知らないものみたい。あまりに多くて、近くて……明るい。
あなたは怖くないんですか?
恐怖、必需なし。
恐怖、キョクゲン的、説明不能。
コータスは、窓の下の船体の壁にたくさんの小さな穴が現れるのを見た。
白い光の点が一つ遠くに出現すると、それは拡大を続けて、窓全体を埋め尽くした。
死した地の表面をまばゆい光が撫で、全てを遮り、覗き見る者が解読するのを拒絶した。
コータスは光の源を直視する。恐怖が彼女の心臓を絶えず襲っていた。彼女には理解ができない――
それは、遥か遠くの天体の青白い燃焼だ。
死した惑星は、いまだその天体の周りを回っている。そして星の輪の上の巨大な船は、天体の輝きと嘆きを何度も何度も迎えなければならない。
見た、確認?
墓、ノみ。「聖都」、なし。
周期、のみ。法則、のみ。「神様」……なし。
宇宙。歓迎。
旅人。君? 名前。
……
ヒアダです。
「修道士たちにからかいでつけられた呼び名が、いつの間にか自分の名前になっていた。」
ロドス本艦
1101年夏
(素早く通り抜ける)
(誇らしげに手柄を主張する)
よくやった、ブーブーちゃん。どうやらクロージャとMechanistのアップグレードは効果があったみたいだな。
(嬉しそうにぐるぐる回る)
ふぅ、このエリアの点検修理もこんなところか。
彼女は小さな体が背中にぶつかってきたのを感じた。その人は首に抱きついて、くすくすと笑っている。
アランナはその笑い声をよく知っていた。その声の持ち主がいるおかげで楽しい気分にあるときもあれば、心配になることもあった。
彼女はそのまま、その可愛い子をおんぶした。
鍋蓋ちゃん、クリームシチューの香りがしてるぜ!
もうランナお姉ちゃん! これじゃあサプライズにならないじゃないですか!
うまそうな匂いがぷんぷんするんだから、仕方ねぇだろ。
そんなに嬉しそうだってことは、ドクターが許可してくれたのか?
はい! レム・ビリトン事務所への外勤募集を見て、すぐに応募しました。
わたしの料理じゃ、まだ鉱山のおじさんおばさんの鉱石病は治せませんが、ロドスの人ならそれができますからね。そして、わたしなら、みんなのお腹をいっぱいにしてあげられるんです。
けど、サベージお姉ちゃんとレイお姉ちゃんの担保がなければ、ドクターはその場で申請を却下していたかもしれません。
うーん、あんたと一緒にいてやるのは保護者であるあたしの責任なんだけどな。
レイお姉ちゃんとサベージお姉ちゃんが一緒なので、心配はいりませんよ!
けどランナお姉ちゃん、わたしがいない間ちゃんとご飯を食べるんですよ。厨房に一週間は飲めるくらいの「日替わりスープ」を作って置いておきましたからね。全部お姉ちゃんが好きな味です。
後方支援部のお兄さんお姉さんがわたしの代わりに監視してますから、忘れずに食べてくださいね。
はは、ちゃんと鍋蓋ちゃんの言うことは聞くさ。
けど、ここでできた友達と離れ離れになってもいいのか?
(大げさにうなずく)
うんうん「ブーブーちゃん」も、もちろん大好きなお友達ですよ。
ですが知り合ったみんなが自分から各地の外勤支援に申請して、わたしも後れを取るわけにはいきません。
みんな任務が終わってわたしたちの新しいおうちを見るのを楽しみにしてますよ。ランナお姉ちゃんが約束してくれましたから、改造が終わったロドスはもっと大きくてきれいになってるって!
(シッ――もちろんさ。クロージャの設計図をこっそり見ているのだから。)
それに……
それに?
わたしはもうパパみたいに、家族に別れを告げて遠くへ出かけられるくらい勇敢ですから。ランナお姉ちゃん、わたしの帰りを絶対に待っててくださいね!
巨大クッキー? ケオベがアタシらに?
各地に増援に向かうたくさんのオペレーターももらってるんだ。
「旅する時はしっかり食べないと」ってケーちゃんが言ってたよ。
……だけど、みんなに配る前に、自分で知らないうちにほとんど食べちゃってるかも。
だからヴァルカンお姉ちゃんたちともう一回急いで焼く約束をしたんだよね。それでケーちゃんからってことで、外勤任務に行くオペレーター全員が受け取れるようにするんだ。
その時は、ソニアにもケーちゃんと一緒に配ってもらいましょう。
なんで――まあいい、ならリェータも引っ張っていくか。
――!?
へへ。まあどうせ向こうに着いたら、今まで貸してた分のハチミツドリンクを返してくれるんだろうしな……
なら冬将軍の言いつけは何なりと聞いてやるよ!
頭いてー……やっぱこういうやつへの対応はナターリアに任せるべきだ……
ナターリアも忙しい身ですからね。具体的にどう動くべきかについて、アーミヤさんと協議することがたくさんあります。
今回の遠出は少し面倒です。何せ目的地は――
(ウルサス語)「ウルサス」なのですから。
……
もしかして、自分では手に負えないので、アーミヤさんとの協議をナターリアに丸投げしたのですか?
手に負えねぇわけないだろ。ただ――
ウルサス、かつて彼女たちが離れた場所。
あれから長くの時が経ち、今の自分たちにはそれに向き合う勇気があるはずだとズィマーは信じている。
グム、手どうした?
だ、大丈夫だよ、ズィマーお姉ちゃん。ちょっとだるいだけ。用意するクッキーが多すぎて、食堂のみんな休む暇なく作ってたから疲れちゃったよ。
ケーちゃんですらヴァルカンお姉ちゃんに捕まって、食堂の外でおとなしく手伝ってた。
グムの心配はいらないよ、ズィマーお姉ちゃん。ケーちゃんは、今までお世話をしてくれたみんなに、家を離れてもちゃんとお腹いっぱい食べてほしいって思ってるんだ。グムもそう思う。
……アタシらも手伝いに行こう。
どうせナターリアの方もまだ時間かかるだろうし――
手伝いに行くの? なら私も行かせて。
ねぇ、クマちゃん、私にも何かできることあるかしら?
教官!?
ドクターの所であなたたちの申請書を見て、勝手に同行申請させてもらったわ――「保護者」としてね。
正直、今回あなたたちがウルサスに戻るのをドクターはとても心配しているのよ。私も安心しきれないわ。
ズィマーお姉ちゃん……?
もちろん歓迎さ!
ロサさん、実はドクターは初めあなた方の申請を許可するつもりはなかったんです。
みなさんの状況を医療部が評価した後に、ウルサスでどう行動するかの詳細をより客観的かつ慎重に検討するようアドバイスしてきました。
だけどドクターは最終的に私たちの決定を尊重してくれたわよ?
ズィマーさんのおかげです。
彼女はドクターの執務室に押し掛けてきて、みなさんが一人も欠けることなく無事ロドスに戻ることを約束してくれたんです。
あの時のように。
……
チェルノボーグでやったことだ。今回も同じだ。
ナターリアと考えてある。アイツの家のロストフ実業の名を借りれば、アタシらは都合のいい身分で動くことが――
(医療部の報告を差し出す)
君たちはまだ万全の状態ではないと結果が出ている。
……
アタシら全員、多かれ少なかれ戻ることにまだビビってるのはマジだ。けど、結局のところあの場所からは逃げられねぇんだ。
これは「自分癒やしの里帰り」じゃねぇ。ウルサスに関する作戦を遂行するのにアタシらが適してると自分たちで判断して、熟慮した結果だ。
アタシらはとっくにロドスのことを家だと思ってるんだよ。
だからアイツらを無事連れて……家に帰ってくるって約束する。
ソニアはいつだって私よりも勇敢よね。
アーミヤ、ロストフ実業と具体的にどう協力していくかについてケルシー先生とドクターにさらなる検討をしてもらっていいかしら。
こうした精査は私たちの任務に対してメリットしかないと思うわ。
問題ありません、ロサさん。
ですが、やはり行動エリアはひとまずチェルノボーグ直轄区を避けての活動を提案します。
ウルサスはいまだあの場所を厳格に管理していますし、みなさんの立場はデリケートですから。
本艦との連絡は保つようにするわ。ウルサスでどう動くかについては、継続的にあなたたちに判断を仰ぐ必要があるもの。
分かりました。どうかご無事で、ロサさん。
本艦は後方支援オペレーターと医療オペレーターを増派してみなさんに同行させ、円滑に任務が遂行できるようサポートします。またウルサス地域に事務所を正式に設立する可能性も模索します。
そうだ。実は、みなさんがウルサスへと向かうという情報が出た後に、加入を希望する方が一名訪ねてきました。
え?
(ぐぐぅ~)
――?
グム、鍋を置いて、まずは自分のお腹を満たしてください!
え? グムもうずっとお腹を空かせたことないよ。
(ぐぅ~)
あ! へへ、今日は興奮しすぎたせいで忘れちゃってたのかも。
イースチナお姉ちゃんとズィマーお姉ちゃんがいるから、大丈夫だよ。
だとしてもまずは飯を食ってからにするぞ。
ほらグム、あーん。
ん――も、もう食べられないよ、リェータお姉ちゃん!
ところでソニア、何か持っていくものがあるんなら手伝ってやろうか? 超でっけートランクで行くからよ。
じゃナターリアがくれたギターを持っていってくれ。後になってあいつがまたあれこれ聞いてこねぇようにな。
他のもんは、とりあえず部屋に放り込んでおきゃいいさ。帰ってこねぇわけじゃねぇし。
リェータ、何も持っていかないと最初に言っていませんでしたか?
ある奴にいくつか渡さなきゃいけねぇガラクタがあることを思い出したんだ。ついでにイェラグに寄ることできるか、ソニア?
……分かった。じゃドクターに旅程の申請に――
みんな、ちょっといいかな。私もみんなと一緒にウルサスに行ってもいい?
ごめん、急すぎる申し出だとは思ってる……
だけど……
ソニア、ゾーヤも同行させましょう。
今回の増援任務は長くなるでしょうし、互いに助け合えるわ。
ナターリアは私が参加したいってことを知ってたの?
ロサさんには私から話しておきました。
はは、心配いらねぇぜ、ゾーヤ。アタシらが外勤で協力すんのはこれが初めてってわけでもねぇしな――
待ってくださいケオベさん、そのクッキーはまだ焼けていません!
え?
いけません、ケオベさんを止めてください。お腹を壊してしまいます!
ありゃ?
(礼儀正しく止める)
間に合わなくなっちゃう!!
(怒ってぐるぐる回る)
おいら、クッキーをいっぱいいっぱい用意した。
すっごく優しくしてくれた人たちに渡すんだ。
たくさんの優しくしてくれた人たちが旅に出ようとしてる。みんな「おうち」でおいらの面倒を見てくれた。だからお腹を空かせてほしくない。
だからいっぱい用意しないと。
先生、ここ数日各階の印刷室は人でいっぱいですよ。
今回の各地への外勤増援は、現地の記念品を購入する絶好の機会です。同僚たちがお互いに作ったウィッシュリストはテラの博覧会を開催できるほどです。
クロージャから、オペレーターの代わりに購買部がまとめて購入する提案をされたが、それについては却下しておいた。
そうしたお楽しみは残しておいてやろう。購買部から後ほど経費申請の通知がされる。
先生、私の今回のヴィクトリア行きで、何か持って帰ってきてほしいものはありますか?
ケルシーはかぶりを振ると、フォリニックがずっと持っているクッキーを怪訝に見た。
ケオベがさっき私の腕に押し込んできたんです。
先ほど彼女は厨房で大騒ぎを起こして、アーミヤがいまだに後始末を手伝っています。
アーミヤも大変だな。
フォリニック、今回のヴィクトリアでの任務は楽なものではない。
複数の公爵領内にある事務所のデータ資料を回収する以外に、ナ・シアーシャとリードの状況にも注意を払う必要がある。
できる限り各地の事務所と連携して、彼女が適切な支援を得られるように手配してほしい。
分かりました。
ではロンディニウムは……?
ハイディには報告のための帰還を一時的に延期するよう知らせを出そう。ロンディニウム議会が外交ルートを回復した後、中核国家の情報も再度向こうに集まり始めた。
ハイディがこれまでに築いた情報網は非常に重要であり、これも君を増援に手配した目的だ。
……つまり、実際の状況はあまり楽観的ではないということでしょうか? 分かりました。注意を払っておきます。
フォリニック、肩の力を抜け。
え?
君は気を張るのが癖になっている。
君の任務スケジュールを確認したが、あまりに詰め込み過ぎていたようなので、少し削っておいた。
……
自分が恐れている物事を考えないようにすること、そして、それらの物事を無理にコントロールしようとしないことが重要だ。
フォリニック、私はこれまで君から君の母親……あるいは私自身の姿を見出したいという類いの期待はしたことがない。
苦痛を経験した人間に対して、憎しみや暴力を忘れろとすすめることに私は賛同しない。より良い時代の追求に必要なのは、決して放棄ではないからだ。
しかし時には歩みを緩めることが必要だ、フォリニック。日々の暮らしをもっと自身の制御できる形で送らねばという焦りは、無為に自身を苦しめる感情にほかならない。
ヴィクトリアへの道はまだまだ長いものだ。けれど、どうかこの部屋に入ったばかりの時の君の笑顔を忘れずにいてほしい。
これが私から君への唯一の要求だ。
……
覚えておきます、先生。
先生へのお土産は、その時になったら自分の気持ちに従って選びますね。
それでは、さようなら。
レッド、隠れる必要はない。
……レッド、ケルシー怒ってないか、心配。
ケルシー、シラクーザのこと、レッドに悲しむなって言った。レッド、ケルシーを悲しませた――
レッド、今回はロドスを離れたくない。ケルシーが反対しないか、怖い……
S.W.E.E.P.に出向命令を出すつもりはない。
――!
本艦に残って待機をしていればいい。アスカロンからすぐにでも命令が下りるぞ。
……命令くるまで、レッド、ケルシーのそばにいてもいい?
ああ。とっくにいるだろう?
うん、レッド、とっくにいる。
この黄金ニンジンの缶詰は同僚に配るようにって、ジェマおばさんと母さんがわざわざ用意してくれたんだよ。
けど、ごめんね。ちょっと多すぎたかも……先に厨房に置いた方がいいかな?
缶詰が小山のように高く積まれている……
あなたにだよ。
今回はすっごく急だったでしょ。もうずっと家に帰ってなかったから、母さんってば置き切れないほど缶詰を買いだめしててさ。毎回何も考えずいっぺんに渡してくるんだよ――
わざわざ同僚へ用意したものだと言わなかったか?
え、えっと……大して変わらないよ!
どうせ全部わたしのだし、使い方はわたしが決めるよ。
ドクター、悪いけどこの缶詰をほかの同僚に渡しておいてくれないかな。ウォーミーちゃんの出発までもう時間がないし、間に合わないんだよね。
そうそう。名前を書いておいた二つの缶詰はあなたとアーミヤちゃんに取っておいたやつだから、間違えてほかに人に渡さないでね!
どれも同じように見えるが。
――ちょっと……違うに決まってるでしょ!
そうだ、今回わたしも三十缶持っていかないといけないんだった。
補給としてか?
ううん、お土産にだよ。
ウォーミーちゃんとレイさんには、ジェリーさんっていう友達がいるらしくて、ジェリーさんはキーラさんと結婚した後に仕事もだんだん軌道に乗ってきたんだって。
前に写真を送ってくれたんだけど、その時にはもうたっくさんの子宝に恵まれててね、ついでに彼らを訪ねようってウォーミーちゃんと約束したんだ。
彼女たちから聞いたことがある。
時が経つのは本当に早い。
みんな、そんなに変わりないみたいでよかったよ――まあ、アーミヤちゃんはカズデルから帰ってきてからすっごく成長したけど……
レム・ビリトンの状況には詳しいし、二人に大変な目に遭わせたりはしないよ。
安心して、ドクター。
外勤任務が終わったら、また会えることを楽しみにしてるね。
でも、今回の外勤任務で行く地域は広いから、多分また長いこと自分の部屋に戻れないんだろうなぁ。
安心してくれ。ロドスは君たちの帰りを待っている。
うん! わかった!
それじゃあ帰りを待っててね、ドクター。
おい、なに止まってんだ?
前に用意した医薬品とケアマニュアルをみんなに配ってなかったことを思い出して。しっかり言っておかないと、きっと忘れちゃう人がいるよね。
今回の外勤はすごく長い期間だし、みんなちゃんと時間通りにご飯を食べて薬を飲んでくれるかな……
担当の医療オペレーターがちゃんとすんだろ。オマエがそんなん気にしてどうすんだよ。
だって、自分のことまで手が回らない人がほとんどでしょ。ラヴァちゃんだって、よく私が用意したご飯を持って行くの忘れるじゃない……
いやそれは……まあいい。
それにA1小隊の他の子たちも……隊長が向かう任務は危険だし、クルースちゃんも一人でかなり遠い場所に行かないといけないし、みんな大丈夫かな……
あー……やってらんねぇ!! いつもいつも周りを子ども扱いすんじゃねぇ!
どれだけ経ってると思ってんだ。成長しないガキがどこにいるんだよ!
わかってるよ……わかってるけど……
ただ、いままでずっとみんなで一緒にいた場所を急に離れることになっちゃって、いつになったら帰れるんだろうって思ったら……
なんだか心が、ぽっかり空いちゃったみたいで……
……
……安心しろ、アタシたちは帰ってくるんだ。
ロドスは今面倒事を解決する必要があるんだ。アタシはドクターにケルシー先生、それとアーミヤなら、きっと問題をうまく片付けてくれるって信じてる。
アタシたちは自分の任務をちゃんとこなして、辛抱強く待ってりゃいいんだよ。
ロドスはアタシたちの家なんだ、失くしたりするもんか。どんな状況でも、アタシたちは帰ってくるんだ。
……いつの日かはな。
うん……
また、みんなで一緒に過ごせるよね。
体温が下がらぬ。以前の薬の組み合わせではもはや効かぬようだ。
しかしそなたの代謝速度はあまり影響を受けておらぬ。血液中の薬物濃度が下がったら、新しい薬をいくつか注射するとしよう。
新たな薬は痛みの感覚を増幅させるが、鎮痛剤の量も増やすので心配するな。
はい。
ほかのベッドは……また空きが出たのですか?
昨日な。だが案ずるな、より的確な治療を受けるため、一時的にほかの場所に移されただけだ。
そうだ、何人かがそなたにメモを残しておったぞ。そなたのベッドサイドテーブルの中だ。
……そなたの症状は特殊であるので、治療環境を変えるのは得策ではない。ここで妾の観察を受けているのが一番良い選択だ。
はい。ありがとうございます。
クロエ、何を見ておる?
天井に、いくつか小さな点があって、ずっと回っていて……見ていると安心するんです。
結晶が視覚に干渉しておるようだ。次の手術の目標には、すでに網膜付近の結晶を取り除くことも含めてある。
じっと見るたびに、そっと近付いてきて、私に話しかけているみたいなんです――
聞こえますか?
(目を閉じる)その音は、私が昔から馴染みのある鐘にすごく似ています。
そなたが前に話してくれた、故郷の鐘楼のことか?
あれ一つだけではありません……私はずっと鐘たちを修復しようとしていました。何度も修復しましたが、最後には砲火に破壊されてしまいました――
ヴィクトリアに派遣されたオペレーターから聞いたが、その街はすでに修繕作業が完了したようだぞ。現地の人間がそなたに代わり鐘を修理してくれた。
それは良かったです……鐘の音がすれば、暮らしはまだ続いています。それって、とても安心できることだと思いませんか?
ワルファリンは最後に一度各計器の数値を確認し、調合した薬を点滴装置に注入した。
計器のうなる音や輸液ポンプの作動音、そしてクロエが時折発する苦しそうな息遣いが混ざり合う。
……ワルファリン先生、この三年間でどれほどの薬を試してきましたか?
それは妾が気にかけることだから気にするな。そなたの体の各指標は落ち着いてきておる、これこそが重要なのだ。
鉱石病に感染する前、私もよく鐘楼の中で負傷した感染者兵士のお世話をしていました。体の石が増えていくことは何を意味するかはよくわかります。
クロエはなんとか顔の筋肉を動かそうとしたものの、皮膚に付着した小さな棘のせいで、彼女の表情は歪んだ。傷口が裂け、鮮やかな血がにじみ出た。
(苦笑い)ほら……微笑むことすらも、満足にさせてくれないんです。
医者として、そなたにどんな結果も保証してやれぬ。妾にできるのはロドスの医療オペレーターは全員が、力を尽くしてそなたの治療をすると約束することだけだ。
ありがとうございます、ワルファリン先生。
ただ……少し故郷が恋しくなってしまいました。
……
この検査報告はなんだ!?
この患者の医療データを初めて手にした時、私もデータに誤りがあると思いました。
ですが、繰り返しチェックをしてみても、この数値に誤りはありませんでした。
理屈からすれば、この源石融合率で、患者からバイタルサインが確認できるはずがない。
これは、これまで我々が積み重ねてきた鉱石病に関する理解と相容れぬデータだ――
しかし、あの源石が想像もつかない方法で患者の命を維持しているのは確かです。
彼女の体内の一部器官はすでに完全に結晶化しています。ですがそれらの機能効率は過去のどの症例よりも高く、安定しています。
原因はまだ特定できていませんが、データによれば、感染レベルが重度であるほど、彼女は……より健康になり、そしてより苦しむようです。
これは前例のない症例だ。鉱石病の新たな変化やもしれぬ。もし治療に際して何かしら革新的な進歩があれば……
ヴィクトリアから救い出したこの者たちは、本当にロドスに奇跡をもたらしてくれるやもしれぬ。