背理分光 16-10・戦闘前
静まる泣き声
(小さく歌を口ずさむ)
おばあちゃん、気分は、どうですか……?
(小さく歌を口ずさむ)
……チク、タク。
チク、タク。
(小さく歌を口ずさむ)
時計が、チクタク、鳴っている。
時計は、誰も、待ちはしない。
……でもわたしたち、歌っちゃいけませんよね?
さあ……もう行きましょう。
こっちに生存者はいない。
ちっ、立てなくなっちまったみたいだ。リディヤ、いるか? 誰かに起こしてもらわないと――
リディヤ?
あっちを見て。
誰か来るわ。
ランキン……
火は消えた。
ああ、とっくに消えたよ。生き残った村人はもう僕たちを見つけてる。何かしないと。
それに、ホーリーをいつまでもこうやって跪かせてるつもり? 気が狂ってとんでもないことを仕出かしたとはいえ、こんなにひどいやり方で苛むことはないだろ。
火が消えてから周囲の気温は下がり続けてる。これ以上続けたら、死んじゃうよ。
ああ、こいつは死ぬ。だが……
今じゃない。
ランキンは村の入口に目を向けた。
かつてそこに整然と並んでいた柵は、食糧を狙う牙獣を阻むためだけに設けられたものであって、村に入ろうとする人間を拒むことはできなかった。それが善意を持つ者でも、悪意を抱く者でも。
壊れた柵の向こうに人影がちらほらと現れ始めた。
彼らは震えながらこちらを見つめた後に、怯えたように離れていった。
ランキンはまるで独り言のような口調で言った――
俺は間違っていた、ニクト。
何だって?
俺は間違っていた。
何のことだ……?
ホーリーはおかしくなってなんかいやしない。奴が火事場で叫んだ言葉は、ナディア夫人や死んだ息子に向けられたものじゃなくて、俺に向けた言葉だ。
「……これで、俺は殺戮の罪を犯した。食糧のためでも、清潔な水のためでも、暖かな家のためでもない。」
「俺は共に行く仲間たちの魂に、救いが与えられることを願っただけだ。」
僕は何も聞いてないよ。たとえ言ったとしたって、それはヴェトチキやお婆さんがよく口にしてた祈りの言葉だろ。
あいつらの佯狂者や皇帝信仰は今日に始まったことじゃない。
「佯狂者」? 「皇帝」? そんなあるかもわからないものは関係ない。ただ、俺があいつに息子を手にかけさせたのに、ホーリーはそれでも俺を救おうとしたということだけだ。
だが魂とは一体何だ? 誰がそんなものの存在を証明できる? それに、それがこの世に生きる命よりも尊いと言うのか? バカげてる……バカげてる!
俺はあいつを追い詰めるべきじゃなかったんだ。だがもう最悪の結果は生まれてしまった。もし以前あいつが息子を殺したのが俺の望みを叶えるためなら、今放った炎も、目的は同じのはずだ。
いや、よく聞け。そんな理屈は――
だから、この炎は俺が放ったんだ。
俺が償わねばならない。
ランキン、バカな真似はよせ!
……
……!
なるべく手短に話します。
今さら……今さら何を言うってんだ?
食糧と水を分けてやったというのに。
これがその返礼か?
決してそんなつもりはありません。
ではここで道を塞いで何をしようというんだ。我々を追い出す気なのか、それとも暴力を続ける気か?
皆さんに、人殺しがその行いに相応しい末路を迎える様を見届けてほしい。
はっ……ははっ……はははははっ……
人殺し? 末路? まさか放火犯も、殺人犯も、略奪者も、全員捕まえて殺す気かね?
そんなことはできやしない。だからあんたは武器を持って私と話しているんだろう。
聞かなかったことにしてやる。我々を皆殺しに来たのではないのなら、とっとと出て行け。
二度と姿を見せるな。
ランキンは手にしたツルハシを置き、身に着けたすべての武器も外すと、両手を上げて目の前の人物に意志を示した。
ランキン!
どけ、ニクト。
身ひとつになってもお前たちは、アーツも使えるだろう……
ここに犯人を差し出します。好きに処分してください。
……なに?
武器は捨てました。アーツも使いません。
好きにしてください。
なるほど。あんたは自分一人を差し出して、多くの者を守ろうとしているのか。
私は算数が苦手だが……あんたのやろうとしてるのが割りに合う取引ではないことはわかっている。
決して反抗はしません。ずっとここにいます。
だが私が、我々が必要なのはあんたじゃないんだ! 火事が起きた時、そもそもここにいなかっただろう!
最初に火を放った奴を寄越せ。隙を見て略奪した奴を、私の故郷を燃やした奴を――
私の妻を殺した奴を連れてこい!
その暴力の原因が俺にあるとしてもですか?
俺の傲慢さが部隊を窮地に追い込み、俺が追い詰めたことであいつはこんな残虐なことを仕出かしました。
あなたは俺を殺すべきです。
断る。
聞いてください――
あいつ以外じゃ意味がない。
廃墟の一角が片付けられ、空き地で処刑が執り行われることとなった。
群衆が自然と周囲に集まった。寒い夜に火を囲みつつも、その温度に身を焼かれることを恐れているかのように見えた。
やっぱり納得できねえ。ホーリーはなんで火を放ったんだ?
俺たちを助けてくれた村に対して、こんなことをするなんて……
狂っちゃったんでしょ。
息子が死んでから、様子がおかしくなってたし。
……
だけどよ、ひょっとしたら――あいつが火を放ったわけじゃないんじゃないか? ランキンはただ村の人らを納得させたくて、そしてちょうどホーリーの病気がひどいもんだから。
俺の知ってるホーリーはこんなことをする奴じゃない……
事実はわからないけど、私はランキンを信じるわ。彼は自分を差し出してまで、ホーリーを助けようとしたのよ。知らないの?
だけど幸いだったのは、村人たちが罪のない身代わりじゃなくて、断固本物の犯人を要求してきたことね。
……とにかく、俺は見たくない。まだ始まってもいないが……
俺はちょっと他のとこ行くよ。少し休まないと。
待ちなさい。ランキンが何か話すわ。
大体揃ったな。
(小声)……苦しみを……
(小声)共に分け合う……
この男を殺す前に、いくつか皆に言いたいことがある。犯人を弁護するためでも、彼に代わって被害者に許しを請うためでもない。
……
この男は死んで当然だ。
彼は差し出された善意と信頼を踏みにじり、ここにいる皆を危険に晒した。全力で生き抜こうという我々の初心を裏切って罪のない人を傷つけた。
我々が選んだ道を進むうえで、死にぶつかることが避けられないのはわかっている。だがそれはこんなやり方や、こんな理由によるものであってはならない。
さあ、よく見てくれ。この男のもたらした教訓をしっかりと胸に刻み付けるんだ。そしてこれから彼の命を奪う男は、本来その資格がないことを覚えておけ。
俺が彼を殺すことを選んだのは、被害者の要求と、そして俺自身の判断によるものだ。
これは俺がリーダーとして最後に下す判断にもなる。仲間殺しの罪など誰も背負うべきではない。だから……
(小声)悔い改めろ……
罪を。
雪がホーリーの肩に降り積もり、厚い層をなす。彼は何も聞こえていないかのように跪くと、祈るように両手を胸の前で合わせる。
そして顔を上げ、執行者に向けて首元を晒した。
……そうだ。俺は、本当ならとっくに己の罪を悔い改めねばならなかった。ならば、俺の手でやる。
(小声)すぐに会おう、ホーリー。
ッ!
クソッ……鏡くらいは直せると思ったのに、もっと粉々になった。
縁起が悪いな。
ランキン、ホーリーの遺体を持ち帰ることもできないのか?
ダメだ。
村人が遺体を手元に置いてたって無意味だろ。まさかホーリーを荒野にでも晒すつもりか……
俺たちには交渉する資格がないんだ。
それに、お前たちが今後も俺についてくるつもりなら、ホーリーと同じ末路を迎える可能性は高い。
どういう意味だよ。
あんた以外の誰についていけばいいって言うんだ? 冗談言ってる場合じゃないぞ、ランキン。
これは冗談じゃない、決断だ。
ついさっき皆に話した決断だ。
ランキンが振り向くと、顔中が汚れにまみれ、疲れ果てた人々が、まるで道しるべを見つけたかのように再び彼の周囲に集い始めた。そこに彼がいる、ただそれだけの理由で。
彼らはリーダーを見つめたまま、ぼんやりとして次の指示を待っている。
まだ南へ進むの、ランキン?
もう疲れたわ。私は風と雪を避ける屋根が欲しいだけなのに、ここにはもうそれすらないよね?
このまま進めば死ぬ……
ここに残っても同じよ。
ランキン、あいつらは見つからなかった。
パーヴェルとボジーナは……見つからなかった。遺体すらな。すまん。
あの村人たちが近づかせてくれなかった。ツルハシを置いてもダメだった。彼らは明らかに俺たちのことを怖がってる。
もう村の人たちを怖がらせたくない。行こう、ランキン。
俺たちを連れていってくれ。
ランキンの視線が一人一人の顔を横切っていく。声を上げた者も、そうでない者も。
……
すまない。
ランキン?
これからは、皆が進む道を決めることはない。
さっきも言った通り、罰を受けるべきはホーリーじゃなく、俺の方だ。
俺がホーリーの残虐さと狂気を作り出した。これまで俺が下してきた決断が、彼をあんな窮地に追い込んでしまった。
誰もが死と向き合う覚悟を持っているわけじゃない。今回の件が起きるまで、俺はそのことに気づいてすらいなかったんだ。
独断で物事を決める能力が俺にないのは、事実が証明している。だから俺が最後にできる一番賢明な決断は、決断を下す立場を放棄することだ……
選択権はお前たちに返す。
沈黙。
長い沈黙が流れた。
誰一人答える者はない。誰もかれも身じろぎ一つせず、わずかな表情の変化すらもない。
その決断を聞いた全員が沈黙した。やがて群衆の一番奥から、震えた声が響いてくるまで。
わたしたちを……見捨てるんですか?
そうじゃないんだ、ヴェトチキ。
じゃあ、なん、です? さっきの、言葉を……どう、理解すれば……いいんですか?
ランキンを囲む群衆は問いかけを発した者のために自然と道を作った。
ヴェトチキは前に出なかった。その場に立ち尽くし、指が白くなるほどに、拳を強く握りしめた。
「もう決めることはない」って、言いました! みんな、ここまで……こんなに遠くまで、来たのに?
先生は、見捨てようとしてます。わたしたち、みんなのことを。
違う! 俺はこうしなきゃいけないんだ。皆にこれ以上悪い結果をもたらさないためにも。
俺の勝手な決断のせいで無意味な犠牲が出るのにこれ以上耐えられない。俺たちが鉱区から、あの死者の国から逃げ出してきたのは、こんな結果のためじゃない。
「死者の」……「国」? だけど、あそこは、わたしの家です。
なんだって?
鉱区は、坑道は、わたしの……家です。
みんな、の、家です。かつてはそうでした。
……「家」? お前たちは皆、自分から逃げ出したんだと思っていた。俺と同じように。
それは、信じてた、からです。先生を――ランキンさんを、信じてた、から。
わかって……なかったの?
お前たちが出ていくことを選んだのは、ずっと前から逃げたかったからだと思っていた。
先生は、黒い虫を殺して、立ち上がって、こう言った。「さあ――ここを出よう!」って。だから……わたしたちは、逃げ出した。
でも今先生はホーリーさんを、捕まえて、殺して、こう言ったの。「お前たちを、連れ出したのは、間違いだ!」って。それが、「選択」だって!
わ、わたし――わからない! わたしたちは、先生にとって、一体……何なの?
大切な友人であり、家族だ。複雑すぎて、定義できない。だがお前たちが大切だからこそ――
それにここは、ここはあの、村人たちの、家だよ。
村は、建て直せるかも、しれない。でもわたしたちは? 一体どこへ……ど、どこへ行けばいいの?
先生は、わたしたちを……こんなに遠くまで、連れてきたんだよ。もし今、それをやめるって、言ったら……
わたしたちは、どうやって――帰れば、いいの?
……
ランキンさん、教えて……
わたしたちはどうやって、生きればいいの?
ヴェトチキ。
やめてください。また、あの口調で、わたしを呼んで、また、わたしを、騙そうとしてます。わたしは、もう――子供じゃ、ありません。
……
反論、しないんですね。
お前の言葉のおかげで、俺の推測が正しいとわかった。
え?
これまで俺がやってきたことは、すべて自分の考えをお前たちに押し付け、無理やり進めていただけだった。だからお前たちは俺の計画も、その裏に隠された意図も理解していない。
お前たちが信じているのは自分の選択ではなく、俺という男だ。だがもし俺がいなくなったら、お前たちはどうすればいい?
お前たちの信頼には感謝するが、これは間違っている。
だから、俺は今ここで問題をはっきりさせて、お前たちに選んでもらう。
ランキンは再び目の前にいる一人一人の顔に目を向け、皆の注意が確かに自分に向いていることを確認した。
カジミエーシュとウルサスの国境へ向かい、感染者だけの農場を見つけることは俺たちの最終目的だ。だがその過程で、この旅をウルサスが俺たちを直視するためのきっかけにしなければならない。
問題は、そうすると俺たちは必ず極めて危険な状態に置かれるということだ。なにせウルサスを揺るがす行為だからな。
かつてそうした者たちは、その後に消息を絶った。彼らのマークと名前だけが、この雪泥と沼に覆われたツンドラに伝わっている。
もし今、俺についてきたら彼らと同じ道を辿ることになるかもしれないと言ったら? 己で選択できる理性のある者に対して、生き延びたいと願う者に対して、俺はそんな選択を勧めたりしない。
……だが、俺はホーリーに選択の余地すら与えなかった。だから、あいつは死んだ。
あいつは俺に教えてくれたんだ。選択権をお前たちに返さねばならないということを。
群衆は答えを返さないまま、曖昧にざわめいた後に徐々に散り散りになっていった。
初めはあまり顕著な差はなかった。何人かはランキンの隣や後ろに立ち、また何人かは彼の目の前に立ち止まった。
ランキン、いつ出発するの?
全員が決断を下したら、すぐに出発する。
より多くの者がランキンの元へと歩み寄っていく。差が次第にはっきり現れ始めた。その足音は、ヴェトチキの耳にはまるで遅れて響いた退勤の鐘の音のように聞こえた。
一、二、三……一つ数え間違えるたびに、また一人坑道に呑み込まれるかもしれない。
……生きたくない、人、なんているの?
どうして、選ばなきゃ、いけないの?
わ、わたしは……
ヴェトチキは、彼らが自分からどんどん離れていくように感じた。
彼女は何かを掴もうと無意識に一歩踏み出したが、直後に腕を引かれるのを感じて足を止めた。
――ヴェトチキ。
お、おねえちゃん?
おねえちゃんも、行くんですか? 今までどこにいたんですか? わたし、どうすればいいか……
……みんな……みんな、離れようとしてるんです! わたしたちを置いて、死にに行こうとしてて!
大丈夫、大丈夫だよ。さっきはニクトの手当てをしてたんだ。彼は鏡の破片で怪我をしてたから――
ううん、それはひとまずいいや。とにかく、後半の話は聞かせてもらったよ。あなたが生きたいと思うことは何も間違ってない。無理に納得できない道を行く必要はないよ。私も行かないからね。
い――行かないんですか? おねえちゃんは、ここを離れないんですか?
うん、私は小隊と一緒に負傷者の手当てを続けるよ。それにニクトも残るはずだし。そうでしょ?
……ニクト?
二つに分かれた後も群衆は騒ぎ続けていてニクトの姿は見えなかった。Raidianがアーツを使って特定の電気信号を探るとすぐにニクトの居場所が分かった。
彼は私たちの部隊の後ろにいる。やっぱりここを離れな――
……すまない、セラフィナさん。
ニクト――
すまない、ヴェトチキ。
僕は戻るわけにはいかない。僕がサンクト・グリファーブルクの出身だっていうのは知ってるだろ。最初から鉱区は僕の家じゃないんだ。
それに進む先が死とは限らない。僕があいつのことを見ていれば、あいつが言うほどひどい状況にはならないかもしれない。だって……
チャンスっていうのは、人の手で作り出すものだろ?
いや。いや!
どうして……どうして?
なんで、そうしなきゃ、いけないんですか?
なんで……いつも……
……離れ離れになるんですか?
さあ、早く帰りましょう、ヴェトチキ。風邪をひいてしまうわ。
ひと眠りして目を覚ましたらお父さんもお母さんもお家に帰っているから。
もしおばあちゃんも褒めてくれるくらいいい子にしてたら……そうしたら、目を覚ました時に枕元にチョコレートが置いてあるかも!
……ボイコット……
権利を勝ち取る……賛同する者は……いなかった……
……死刑……
「母」。
「父」。
「子」。
……「おばあちゃん」?
(小声で歌を口ずさむ)
ひと言だけ! あなたのひと言だけでいいんです!
たったひと言だけで、私の魂は……救われるんです!
(小声で歌を口ずさむ)
わ……私は――
――どうか……お許しください……
あなたの子を殺した罪を……
「私は……」
……おばあちゃん?
(小声で歌を口ずさむ)
……おばあちゃん……
(小声で歌を口ずさむ)
おばあちゃん、誰か……外にいるんですか?
誰も残ってはいないし、誰も待ってはいないよ。
みんな……行っちゃった。
みんな泣きながら、おばあちゃんの手に、キスして、「離れたくない」って、言ってたのに……行っちゃった。
誰もが歩むべき道を持っているのさ。
……じゃあ、これは避けられないことなの? でも、どうして……
苦しみを受ける魂よ、あんたには理由が分かるはずだ。
ランキンさんから……まだお、教わってないの。あの時計の……読み方を。
ストップウォッチ、時計……? 鐘の音が、聞こえる。
いつもと同じだ。
おばあちゃんの、手……どうして、冷たいの?
炎が熱いからだよ。
わたしの身体、も、冷たい。それに、痛い……
……でも、炎のせいじゃ……ない。
わからない……
いいんだよ。人は皆そうやって混沌とした生を過ごすものだ。
死ぬ……まで?
そうとも。死ぬまで。
(小声で歌を口ずさむ)
……おばあちゃん、その歌、一体……何の、歌?
愛だよ。
でもわたし……苦しい。
それはあんたが愛しているからさ。
愛は、人に苦痛を、忍耐を、服従を強いるものだ。
そして人を強く、裕福に、高貴にするものでもある。
あんたが愛しているから、苦しい。あたしはあんたを愛しているから、あんたの苦しみを一緒に感じるんだ。
……
ヴェトチキは口をつぐんだ。彼女はぎゅっと目を閉じ、身体を更に丸める。だがいつものように自分の頬を撫でてくれる手に、これ以上触れることはできなかった。
その言葉は、前にも聞いたことがあった。その時は訳の分からぬ状況の中、それを支える根拠を見つける必要もなかったが、今は、彼女にもはや確信を持てなかった。
ただ朦朧と生きているだけなのに、どうして王侯貴族より裕福で高貴であると言えるのだろうか?
明らかに何の力もないのに、どうして棍棒を振るう権威より強いと言えるんだ?
目の前には焚火がある。本来ならそれは人を暖めるはずだったが、ヴェトチキは体の隅々に寒気が侵入してくるのを感じた――
その冷たく、干からびた手を伝って。
「私は黙して祈り、そなたの苦しみを共に担おう。」
「我ら皆が……」
「心から罪を悔い改めんことを願おう。」
その声はただの繰り返しであり、残響だった。
その残響は……破滅を指し示していた。