相変臨界 17-20・幕間
罪と罰の先触れ
くっそぉぉ――くそ、くそ、くそっ!
突然現れたあの術師どもは、どこから湧いて出てきた!?
なぜ艦砲で奴らを殺せない? なぜ照準すら合わないんだ? あの忌まわしい連中は一体何なんだ――
アナトリーさん。
ああ、ヒアダ――ヒアダ!
まだここにいたのか。いや、なぜここにいる? 先に避難するようにと人をやったはずだろう?
ここは危険だ。ゼルグラードを奪還したら迎えに行く。今はまず駐屯地へ行くんだ、母上の元へ――
いいえ、私は行きません。
……お前まで、僕の言うことを聞かなくなってしまったのか?
いえ、そんなつもりではないですし、あなたの権威も決断も尊重しています。ですが、以前私たちが交わした言葉を忘れてしまったのですか?
あなたはやはり、お母様の元へ戻ろうとしています。あまつさえ、私を先に送り出そうとまでしていて……
もし私が離れてしまったら、誰があなたの安全を確保するというのですか?
僕には軍艦があるし、栄えあるウルサス軍人たちもついている――あいつらはまだここで持ちこたえているんだ! 臆病者もいるが、戦線の穴埋めには使える。
今はこうして身を潜めているが、あの逃げ惑う虫けらどもをゼルグラードから一掃してしまえば、僕はこの都市を元通りにできる! そうすれば母上に自分を証明できて――
母上の……ブテリナという名を汚してなどいないと、証明できるんだ。
アナトリーさん……
ここは戦場だ。ずっとお前の面倒を見ることはできないし、僕の傍に置いておくわけにもいかない。だけど、お前の加護は効き続けているんだろう?
少年は無邪気な笑みを浮かべて、自身の体に生えた黄金色の石を指差す。いつの間にか、それは少しずつ増えていた。
……
ですが、あなたが私を駐屯地へ送り届けようとしている一方で、あなたのお母様はもうすぐそこを出て、国境へ向かおうとしているのですよ。
……何だって?
スヴェトラーナ元帥は、あなたとゼルグラードを完全に見捨てるつもりです。それどころか、ゼルグラードに近い駐屯地に留まることさえ、良しとしていません。
アナトリーさん、今すぐに私と出発すれば、まだ間に合います――
まだお母様の艦隊に追いつけます。まだ……真実を確かめることができます。
……
若将軍は無事に駐屯地に到着されました。我々はすぐにでも出発可能です。
ご苦労。全兵団の整備完了が確認でき次第、直ちに出発する。
はっ。
……
アナトリーか。
足音でわかる。
僕だとわかるのに、振り返ろうともしないんだね。僕とはもう目も合わせたくないってこと?
ゼルグラードでのお前の一連の行動には、失望したと言わざるを得ない。
撤退せよという私の軍令に、なぜ従わなかった?
失望……それは僕のセリフだよ、母上。
どうしてゼルグラードを見捨てたの? この都市を僕に与えると約束してくれたのに、なぜ反乱軍の手に委ねようとしたんだ!
プロジェクト・ゼロで必要なものはすべて手に入れた。それに比べれば都市そのものの価値など、取るに足らん。
今の我々にとって最も重要なのは、研究成果を携えて撤退することだ。
信じられない……まさか、あいつらの言っていたことは本当だったなんて……
母上が本当に、ウルサスを裏切っていたなんて。
私はただ第一軍を、そしてお前を守るために動いているだけだ。
今のサンクト・グリファーブルクは、あらゆる闘争の渦中にある。プロジェクト・ゼロの成果を手中に収める我々は、どちらの陣営に与しようとも、最終的には全方面から矛先を向けられるだけだ。
お前なら理解してくれると期待していたのだが。
でも、僕らは栄えある気高きウルサス軍人じゃないか! ウルサスの栄光を守るために戦っているはずだよ!
僕は誓ったんだ、ウルサスのためにどんな敵も排除すると!
もういい、お前は疲れているのだ。任務は他の者に引き継がせるから、部屋に戻って休みなさい。
アナトリー……いつの日か、私はお前にすべてを託すだろう。ただその時には……もう今のように幼稚でないことを願うばかりだ。
わからない……母上、もうわからないよ。僕は一体何者なの?
栄えあるウルサス軍人でも、感染者でも、純血の貴族でもない。それどころか、自分がまだ生きているのかどうかすら、もうわからない……
もういい! 戯言はやめろ――
どうして……いつもそうやって僕を軽く扱うんだ……
僕が――母上と、あの忌々しい敗北者の間に生まれた子供だから?
……そうではない、アナトリー。何があろうと、私は血筋を理由にお前を叱ったりなどしない。
それだけは、お前自身ではどうあっても選べないものなのだから。
でも、僕があの男の血を引いていることについては、否定してくれないんだね。
それは重要なことなのか?
……重要じゃない、って言うのか?
アナトリー。
僕はきっと、狂ってしまったんだよ、母上。
ぐうっ――!
重要じゃないだって? どうして? もしそうなら、僕はどうやって納得すればいいんだ――
母上は僕を気ままに行動させているのに利用もしてて、愛してくれているのに無関心で……その全部に、どう納得しろって言うの?
僕を息子としてじゃなくて、物として見ているんだよね? 物だからしつけはいらないし、物だから人の目を惹くための便利な道具として使えるって!
ゴホッ、ゴフッ――
違う……そうでは――
……じゃあ、母上、僕は何なの?
せいぜい、いつでも代わりが利いて、いつでも捨てられる存在……そうだよね?
トーリャ、私の――
母上が、僕をおかしくしちゃったんだよ。
ほら、母上の血、こんなに温かい……
はぁっ……はぁっ――
……トーリャ、やめるんだ……
どうして……
どうして僕は、ただのあなたの息子ではいられなかったの? 母上に誇りに思ってもらえるような、そんな子供じゃダメだったの?
わからないよ。僕たちは、なぜこんなに……多くの薄汚くて複雑なものに縛られなくちゃならなかったんだろう?
「リヴァーノフ号」強襲艦 司令室
1102年1月23日 00:32
今出してるスピードに比べりゃ、これまでの行軍なんてまるでピクニックだな。
これが高速戦艦か……戦争中じゃ、本当の全速前進なんてなかなかできないしな。こんなことをやれるのは、今くらいだろう――
その力、とくと拝ませてもらうとするか。
護衛艦まで残り120km 速度30km/h
所属不明の戦艦を確認……
こちら第四軍司令部。識別コードを提示せよ。
……「リヴァーノフ号」である可能性が……
……
繰り返す、識別コードを提示せよ。
30
進路を維持する。
護衛艦まで残り100km 速度42km/h
所属不明の戦艦に告ぐ。貴艦は第四軍主力艦隊の護衛艦に高速で接近している。識別コードを提示せよ。
これは第一次警告である。ただちに識別コードを送信し、貴艦に攻撃の意思がないこと、および乗っ取り等の異常事態に陥っていないことを証明せよ。
……
目標、減速しません。
念のため、甲板の砲座に待機命令を出しておけ。
はっ。
42
このまま進むぞ。
護衛艦まで残り75km 速度55km/h
所属不明の戦艦に告ぐ。これが第二次警告である。直ちに識別コードを提示せよ。
当該戦艦は護衛艦に向かって直進しています。そのちょうど後方に旗艦があります。
甲板の砲座、各員配置につきました。
55
このまま加速する。
護衛艦まで残り50km 速度68km/h
所属不明の戦艦に告ぐ。貴艦は警戒域に進入した。直ちに識別コードを提示せよ!
距離、50キロ圏内に入ります。
砲座、目標の追尾を開始しろ。
通信はこのまま黙っておくか。
護衛艦まで残り30km 速度78km/h
所属不明の戦艦に告ぐ! これが最終警告である! 識別コードを提示せよ!
距離、30キロです。
砲座、目標を捕捉しています。
78
加速を続ける。
護衛艦まで残り20km 速度85km/h
距離、20キロ!
所属不明の戦艦に告ぐ! 貴艦はすでに本艦の短距離攻撃範囲内に入っている!
撃て。目的はあくまで相手の停止だ。艦体そのものを破壊する必要はない。
……
護衛艦まで残り10km 速度91km/h
砲撃を緩めるな。
91
進路を維持する。
……くそっ、あれは間違いなく「リヴァーノフ号」だ――なぜ加速し続けているんだ?
撃て、撃ちまくれ!
「影は音も無く消えん、姿を晦ませ。」
護衛艦まで残り5km 旗艦まで残り6km 速度93km/h
……ザザッ……
……命中を確認――
速度を確認……
……
このイカれた命知らずどもめ!
スチョーパ・ラージン、今すぐその無謀で無責任な真似を止めるなら、「セーチン」がこれまで犯した過ちを不問に付そう。
部隊を率いて、直ちに帰隊しろ。
チッ……
時々、お前のその教養ってやつが、心底羨ましくなるぜ。ここまでコケにされてるってのに、よくもまあ穏やかに和睦なんて持ちかけられるもんだ。
だが心配するな。俺は奪いに来たわけじゃない。この「リヴァーノフ号」を返しに来てやったんだからな。
ついでに言っておくが、昨日から「セーチン」は、お前の第四軍とはこれっぽっちも関係なくなってる。
以上だ。
この愚か者め、万死に値する――
さっきは命知らずで、今度は愚か者扱いか。まあいい、お前のメンツを立ててやるから、円満にお別れといこうぜ。
ああそうだ。「リヴァーノフ号」は航行モードに固定されてて、俺でも止められないんだ。だからさっさと親衛隊でも寄越して、このデカブツを止めさせたほうがいい。さもないと……
最後に何が起きるか、俺にも見当がつかないからな。
話は終わりだ。それじゃあな、あばよ。
ああ、二層甲板の角度が一番マシだな。開けた地面に一番近い。
ここから飛び降りて墜落死も激突死もしなけりゃ、俺の運が抜群に良かったってことだな。おっと、しまった。オレグに教わった高所落下時の受け身の取り方、一つも覚えてないな。
まあ、いっか――
「立ち上がれ、と奴らは言った」
はっ……一人で歌うってのは、どうにも味気ないな!
大祖母様に誓って、俺に言わせりゃ、今はこう歌うべきだ――
黒い帳なんて*ウルサススラング*、死なんてもんは*ウルサススラング*――
「ヴィイ」なんてのも――大したもんじゃねぇんだよ!
ヒアダ……やっと見つけた。ここにいたんだな。
どうして待っていてくれなかったんだ――ゲホゲホッ!
……アナトリーさん、私はここを出ます。
なんだと?
私はここを出ていきます、と言ったのです。仲間たちのところに行きます。この前、彼らを信頼できる人々に託していたのです。
それに私は、より多くの苦しむ人々を、力の限り助け続けるべきですから……
じゃあ僕は? 僕のことはどうなるんだ!?
あなたも共に行きましょう。
ここにいても、あなたは何の救いも得られません。
はっ……ああ、お前はそう言うだろうな! ましてや僕は、お前とあの女のせいで――お前たちの言葉のせいで――母上を刺し殺してしまったんだからな!
いいえ、それが理由ではありません。あなたは真っ当な行動をしただけです。
お母様はあなたを苦しめ、街を戦火に巻き込み、無数の人々を路頭に迷わせました。ですがあなたの行動は、これから多くの人々が生き残るための助けとなるはずです。
……何だと?
あなたは自分の罪を償ったのです。とても立派なことですよ。
お前は――かはっ! ぐぅっ……!
アナトリーさん……
ヒアダが身をかがめる。そうして改めて、彼女は目の前の少年の体をつぶさに観察することができた。
黄金色の石はすでにほぼ全身へと広がっており、服の下の至るところでゴツゴツとした形を浮かび上がらせている。
もはや、彼は限界だった。
もういい……お前がどう思おうと、関係ない。ただ……
僕を助けてくれ、もう一度だけ。お願いだ、ヒアダ。
お前ならできる。お前にしか……
いいえ、もう助けたくはありません。
……ヒアダ?
もしこれがあなたの最期だというのならば、受け入れます。あなたがこれ以上、苦しく無意味な人生に身を投じるところを見たくはありませんから。
だから今回、私はもうあなたを助けません。
もうじき十時だ。九時半になってから続々と入場してくるのは貴族ばかりだな。
大半が見知らぬ顔だが……態度や振る舞いを見るに、身分を隠す気は微塵もないようだ。
……
まさか、時間が変わったのか?
いいえ。おそらくもう、隠し立てするつもりもないのでしょう。
すでにこんな事態になっている以上、子供騙しのように陛下を欺き続けるより、直接的に圧力をかける方が手っ取り早いですから。
……
ヴォルキナ公爵はまだお見えにならないのですかな?
中央軍はいかなる動員指示も受けておりませんし、首都駐屯軍団による議場への兵力配置も真っ当な範囲です。
公爵は、またしても傍観を選んだだけかもしれません。
はぁ、予想通りではありますな。開会まであと五分……先に入りましょう、副議長閣下。
どうぞお先に。私はここで……人を待っていますので。
ウルサス帝国議会ホール
1102年1月23日 09:59
帝国議会、その巨大なドームの下の議員席は満席となっていた。
侍従が行政区ごとに出席者を会場へと案内しており、すべては整然と進められていた。ただ一点を除いて――
本来なら各区の市民の代表が座るべき席には、押し黙った貴族たちがびっしりと並んでいたのだ。
折り目正しい軍服や最新の仕立て服、これ見よがしに飾り立てられた勲章、優雅な獣皮のショール。
色とりどりの衣装が、人間の表面を仰々しく引き立てる。そこに嵌まっている瞳は、いま確かな足取りで進む皇帝の姿をじっと捉えていた。
……
皇帝の到着を迎えたのは、起立でも敬礼でもなく、ただ緩慢で機械的な拍手のみ。その様子は、あえて彼の発言の開始を遅らせているかのようだった。
(小声)陛下、各区の代表たちの行方を把握するべく、すでに人を遣わしております――
ああ、彼らの安全を保障せよ。
(小声)もちろんです。このような事態は元より想定しておりました。陛下は法案の成立を決定事項とし、毅然と押し通すことにご専念いただければと。
(小声)投票など……形だけの茶番に過ぎません。
フョードルは頷き、それ以上は何も語らず、ヴィッテとすれ違って一人壇上へと向かった。
その時、前列に座っていた若い貴族が突然立ち上がった。彼女は微笑みながら、恭しく皇帝に一礼する。
すぐさま、すべての視線がこの些細な出来事へと集まった。
今日は特別な日だ。楽にすればよい。
お前たちもせっかく来たのだ、席に着き、とくと見ているがいい。
尊き陛下、私たちは本日「市民議会」が開かれると伺い、そのため参りました。
構わぬ。傍聴を許さぬと言った覚えもない。
ええ、慈悲深き陛下。ですが、どうやら一つ勘違いなさっているようです。
私たちは、傍聴のため参ったのではございません。私たちもまた、「市民」を代表して参ったのです。
なにしろ、私たちこそ――
彼女は手をかざし、背後に着席したすべての貴族を指し示した。
ウルサスにとって最も重要な「市民」ではございませんか?
……
続けて熱弁を振るう前に、まずは自席に戻るといい。
余の行く手を遮っているぞ。
陛下――
そして、お前たちが「市民」の代表であると自負しているのならば……
とくと聞け。我らが偉大なるウルサスの市民たちが、今、何を必要としているのかを。
準備はいいかしら、ヴェトチキ?
はい、じゅ、準備、できました!
言葉が誰にも届かないかも、なんて心配する必要はないわ。あなたは話し方が少しゆっくりなだけで、自分の考えが表現できないわけでも、表現の仕方がわからないわけでもないんだから。
あなたはクライニ・セーヴェルで、砲撃に晒されながらも、すでに一度はっきりと意志を伝えられた。今回はただ丸腰の人たちが、言葉を武器に非難し合っているだけよ。
あなたのすべきことは変わらないわ。真相を明かし、ただ口にすればいいの……
あなたたちの、伝えたい言葉を。
副議長閣下、お待ちの方にはお会いになれましたかな?
いえ、残念ながら……
ならば、もうご出席にならぬやもしれませんぞ。閣下が先ほどおっしゃったように、また傍観を選んだのでは――
おや、始まるようですな。
皇帝は、手にしていた巻き紙を広げた。
連日、ヴィッテを始めとする近臣と幾度も協議を重ね、最高裁判所にも編纂に加わるよう依頼し、市民の代表との議論を経て最終稿へと至った法案が、今、彼の手の中にあった。
彼は、自分でも思いもよらぬほど冷静な声で話し始めた。
ここへ来る道すがら、夜間の照明として、道の両側にかがり火が置かれているのを見た。
だが、我々は皆知っているはずだ。サンクト・グリファーブルクが移動都市となる遙か昔から、市街地ではすでにオイルランプやかがり火を街灯として用いなくなっていることを。
思うに、今夜のサンクト・グリファーブルクは、おそらく百年前の姿と何ら変わらぬのだろう。そしてそのような有様が、すでに二ヶ月もの間続いているのだ。
源石の産出量が不可解なまでに激減し、覆らぬ事実となった最初の日。それは、裕福であったサンクト・グリファーブルクの家庭が、暖を取るために先祖伝来の家具を薪に使った最初の日だ。
そしてその日は、全国の源石備蓄をすべて動員のうえ分配し、この厳しい冬の中でウルサスの民が凍死する事態だけは防がねばならぬと、余が決意を固めた日でもある。
……それでも余は、その決意があまりに遅すぎたと悔いている。
「カトルガ区事件」が起きてしまうほど、そして、ツァレフグラード区が市民の居住エリアへとエネルギーを分配しても、もはや状況の好転が望めないほどに、遅すぎたのだ。
これはかつてない危機だ。目先の危機に留まらず、根本的な解決に至らなければ、ウルサスをテラの大地から完全に抹消しかねないほどの国難なのだ。
ゆえに、ウルサスは「冬季臨時資源配給法」を断固として成立させねばならない。
会場は静まり返っていた。しばらくの間、反論する声も、また賛同する声も上がらなかった。
……この法案は暫定措置に過ぎず、今後実際に運用する中で徐々に調整と改善を行う予定だ。だが少なくとも、厳冬により凍死しかけている我らの国民を、これでひとまず救うことができる――
つまり陛下は、我々が自らの手で苦労の末に築き上げ営んできたすべての事業を、強制的に国家の手にお収めになるご算段ですかな?
あるいはそのエネルギーとやらを、従順な軍へと優先的に分配するための方便でしょうか?
……
我が国がこの冬を越すことすらできないなら、どれだけ多くの産業があろうと、どれだけ広大な領土があろうと、何の意味もなさぬ。
そこまでおっしゃるのであれば、今すぐ条例を読み上げ、投票をお始めになればよいではありませんか。
それとも、ここに我々のような見知った顔ぶれが集ったとお気づきになり、踏むべき手順を踏むことすら億劫になられましたかな?
……
(小声)陛下、これはヴィッテ議長からお預かりしたものです。
(小声)本来ここに座るはずだった、各区の代表たちについて……これまで把握していなかった事実が判明しまして――
フョードルは視線を落とし、手渡された紙に並ぶ名前を目にした瞬間に呆然とした。
彼は眉をひそめ、ホールを見据える。
そこでは、ひそひそと囁き合う人々が、皆一様に嘲笑うような表情を浮かべていた。
(小声)……申し訳ございません、陛下。我々の失態です。まさかこれほど多くの者がすり替えられていたとは。もっと早く気づくべきでした。
(小声)議長が申しますには、陛下が日を改めて真の市民議会を開き直すおつもりであれば、今ならまだ間に合うと。
……
いや、構わぬ。
……承知いたしました。
「見知った顔ぶれ」と言えばだ。
ここに集った者であれば知っているであろう。余が近頃、すべての民の声に耳を傾けるため、自ら各区から選出された市民の代表たちとの接見を重ねてきたことを。
その中には坑夫、青果店の店主、配管工、家庭教師、さらには余がこれまで存在すら知らなかった職業の者までいた。誰もが「新しい顔ぶれ」だった。
その経験は余の見聞を広め、内省を促してもくれた。これまで、余はそれを一つの進歩だと思っていたのだ。より多くの本物の要求を聞き、国民がどのように生きているかを知れたのだと――
だがつい先ほど、それが真実ではないと気づかされた。
(小声)やはり今回、我々は少々やりすぎだったのでは……
必要なことです。
余が接見した者たちは、皆身分を偽っていたのだ。そやつらは坑夫でも、青果店の店主でも、配管工でも――家庭教師でもなかった。
そやつらの正体は、田舎の劇場の役者、どこぞの伯爵の秘書、『貴族の系譜』の末尾に名を連ねる下級貴族、無為に日々を過ごす裕福な市民の子女だったのだ――
そう考えると、すべての辻褄が合う。
あの奇妙なほど流暢な受け答え、いともあっさりとした妥協。そして、本来の労働では擦り切れないはずの位置に自ら穴を穿った、丈に合わぬ粗末な衣服……
あれほど明らかであったというのに、余はその場で気づくことができなかった。
欺かれる者とは、元より欺かれるに相応しい愚かさを持ち合わせているのだろうな。
――いいえ――
そのようなことはありません!
誰だ――
会議中のホールへ無断で押し入るとは、一体何者だ!?
なんと、あれは――
不安を抱く貴族は、少しばかり腰を上げて無礼な乱入者の姿をはっきり捉えた。そして、すぐさま前列の副議長へと視線を向ける。
ヴァシリーは振り向くことも、背後から注がれる無数の視線に応えることもしなかった。
彼はただじっと、壇上の皇帝を見つめており、その決断を待っているようだった。
……お前は……
フョードルは手を上げ、乱入者を取り押さえようとする兵士たちを下がらせた。
何が言いたい?
私はただ、陛下がそのようなお方ではないと申し上げたいのです。
陛下は決して、人に欺かれるべきお方ではありません。仮にそのような目に遭ったとしても、それは必ずや、傲慢な逆臣が陛下の尊厳を踏みにじろうと目論んだがゆえのこと。
彼らは万全の準備を整えています。たとえ陛下とその側近の方々であっても、彼らの邪悪な企みを四六時中監視し続けることなど、できるはずがありません。
ゴルシコフ閣下、そちらの毒吐き娘をどうにかしていただきたい!
彼女はもう成人しています。私が諌めるまでもなく、自分の行動には自ら責任を持つでしょう。
お前は……アロイジウス・ゴルシコワか。
いかにも。
見知らぬ少女を連れているようだが。その者は?
真の「市民の代表」です。
その者がこの名簿に載っているような役者ではないと、どうやって証明するのだ?
彼女がクライニ・セーヴェル事件の生還者であり、本来なら女大公の公聴会に出席し、その罪を告発する証人となるはずだったこと。それが根拠の一つであり――
また彼女の声が、クライニ・セーヴェルでの例の「放送」を聞いた者ならば、決して忘れえぬ声であること。それがもう一つの根拠となるでしょう。
……
彼女と生き残った坑夫の同僚たちは、本来ならばオドエフ区の代表となるはずでした。
余が接見したあの「坑夫」たちは――
陛下が本物の「坑夫」と接見されたことがおありなのか、私には疑問です。
お前は何を望み、その者をここに連れてきたのだ?
陛下、それをお知りになりたいのであれば、彼女が何を望んでいるかをお聞きになるべきでしょう。
ヴェトチキ、あなたの望みを聞かせてちょうだい。
こ、こんにちは。わたしは、ヴェ――ヴェトチキ、です。お母さんからは、アーニャと、呼ばれてました。
クライニ・セーヴェル中心……こ、鉱区から来ました。
感染者治療センターの……みんなが、あたたかいベッドで、眠れるように、なってほしいです。
感染者にも、雨とか、風とかをしのげる場所が、あったら嬉しいです。
それと、わたしたちみたいな人が、もっとたくさん、無事に――
この寒い冬を、越せるようになってほしいです。
……
わたし、賛成に投票したいです、ええと……
……「冬季臨時資源配給法」にか?
はい、そうです! 投票、したいです。寒さと病気で、死んじゃう人を、減らしたいんです。
わたしにも、できますか?
……
もちろんだとも……
「もちろん」ですと? 陛下は何を根拠に、その哀れな娘に保証なさるおつもりで?
ご覧ください。陛下の目に映るあの「市民」たちは、国を治める力など持っておりません。彼らを政治に参加させるのは、ご自身の徳を示すための憐れみに過ぎず、真の救いなどではないのです。
この法案とて……結局は他人の懐を当てにした施しに過ぎません。何一つとして、この国が直面している重大な問題を解決できないでしょう。
まったく、これでは遊園地か中学校の講堂ではありませんか。身分をでっち上げたどこぞの輩が紛れ込み、国の運命について大口を叩くとは。
陛下、この法案を強引に推し進めるおつもりであれば、我々はもはや何も言いますまい。しかし、これだけはご承知おきを――
とうにわかっている。
……今、なんと?
どのような結果を招くかなど、余はとうにわかっているのだ。
ただ余は本来、帝国の敵は中央区の境界の向こう側にいるものとばかり思っていたのだが……
それは思い違いだったようだ。
彼は手にしていた紙の束を、演壇へと力任せに叩きつけた。
そして前方を見渡し、異なる思惑が浮かんだ顔の一つひとつを捉えていく。
帝国の敵は、ここにもいるということだ。
陛下! これだけは申し上げねばなりません。今そのような軽率なご判断を下されれば、いずれ代償を――
そやつを外へ引き摺り出せ。
陛下!
……
ゴルシコフ、この臆病者め! 貴様も、貴様の忌々しい娘も、絶対に許さんぞ――
兵士たちはすぐにその貴族をホールの外へ「お送り」したが、彼の罵声はしばらく廊下に響き渡っていた。
先ほどの者の言葉に賛同し、続けてこの場を去るつもりの者がいるなら、今のうちに席を立つがいい。
……
おらぬようだな。では、これより此度の会議の結果を宣告する。
陛下――
この場の諸君が皆、ウルサスの人口の九割以上を占める民衆、すなわち「市民」には声を上げる資格がないと考えるのならば――
その「市民」たちを代表すると宣う現在の議会とて、これ以上存続する必要はあるまい。
陛下、まさか――
なんということを……
ここに宣告する。「冬季臨時資源配給法」は一票差にて可決され、直ちに施行される。
さらに……ウルサスの皇帝という、唯一の君主としての権力をもって、ここに重ねて宣言する……
帝国議会を、直ちに解散する。